第276話 ~第14小隊① 家族旅行~
「それもう、惚れられてるよ。キャル自覚ないかもしれないけど」
「う、うぅ……そ、そうなのかな……」
「知らねぇフリして曖昧なままじゃ、相手にとっても残酷だぜ? どっかで答え出してやらねえとさ」
魔法都市ダニームから、魔導帝国ルオス領へとゆるゆる歩く、大きな馬車の中。第14小隊の全員が集まれば、やっぱり一番口数が多いのはアルミナとマグニスだ。そんな二人が、この時話題の種にしているのは、最近とある少年からアプローチを受けているらしいキャルのことだ。
二人に挟み撃ちにされたキャルが、この話は終わらせて欲しいのか、シリカやクロムに助けを求める目を返す。まあまあお前達、そんなにキャルを詰めても――と優しくフォローしてくれるシリカだが、クロムは腕を組んだまま、苦笑いを浮かべている。
「どっちにしたって、少々考えてやれよ。愛された女のつらい宿命ってやつだ」
「そ、そんなぁ……わ、私そんなの、まだ……」
やがてはお嫁さんになりたいキャルも、昨今急に訪れた男との縁には、心の準備ができておらず、戸惑うばかりで困り果てている。明日以降真剣に考えることなら出来るかもしれないけど、惚れられてるよとはっきり突きつけられたついさっきの後では、やはり思考もまとまっていない。
馬車の中でしゃなりと座ったキャルが、目線を落として顔を赤くし、もごもご口を動かす。キャルにボーイフレンドが出来そうな現状、背中を押したいアルミナとマグニスが、ありがた迷惑に両脇から色々言ってくる。前者は全力で応援してくれているが、後者は後輩に彼氏が出来たら面白いから、ぐらいの野次馬根性なのが、また。
「はいはい、見えてきましたよ。アピスの郷」
「えっ、ホント!?」
遠い地平線を見つめていたチータの言葉を耳にし、馬車後方隅のキャルに構いっぱなしだったアルミナも、持ち場を離れてチータに這い寄る。魔法都市ダニームからの長い馬車旅、その末に見えてきた、地平線の上に昇り立つ煙は、今日の第14小隊の目的地の目印だ。
「せっかくだから短時間、アピスの郷についての講義でもしましょうか?」
「チータお前、そういうの好きだよなぁ。故郷だから詳しいのはわかるが」
「こいつやっぱり先生気質なんですよ。人にもの教えるのも上手いですしね」
語りたがるチータの態度に、難しい話はいらねぇぞと口を尖らすマグニス。もうちょっとキャルをつついていたかった悪巧みを、チータに邪魔されたからだ。そんなチータを肯定する口を、素早く差し込むユースは、話題の的にされていたキャルを救うため、チータが話を切り出したという真意を、軽く読み取っているからだ。わかりにくい気遣いでも、けっこうチータって身内に対してさりげなく気を利かせる奴だから。
「アピスの郷が拓かれたのは約50年前。今ではすっかり開発も進みまして――」
おいおいそんな所から語りだすのかよ、とマグニスが思うほど、長話の予感がする語り始め。目的地に到達するまでを、自分の独り語りでもたせてやるという、チータの策略である。それによって、逃げたかった追究から解放されたキャルは、これから目的地までマグニス達に絡まれることもないだろう。喋りたがりの演出の裏、気を回してくれたチータの心遣いに、キャルは心の奥底でこっそりお礼を言っていた。
年の最後の月である今月の頭、チータから第14小隊にひとつの提案があった。謹慎解除の少し前のことであるが、みんなでもう一度、夏休みのあの日のように、どこかに遊びに行きませんかという話だ。彼の中でプランはその当時に完成しており、チータがみんなに提案したのは、ルオスにある大きな温泉街に、寒い年末みんなで行きましょうというもの。それがアピスの郷と呼ばれる場所であり、故郷をルオスに持つチータには、エレム暮らしの仲間達より詳しく、案内がしやすい場所である。
第14小隊に出会ってから1年半近く、本当に良くして貰ったと感じているチータは最初、旅費のすべては僕が持ちますからとまで言ったぐらい。これは打算なく、心からの本音だ。そこまでチータが言ってくれるぐらい、第14小隊のみんなを愛してくれている事実が、誰にとっても嬉しかったのは言うまでもない。水臭いこと言うなよ、と真っ先に言い出したのはユースで、当初のチータの覚悟とは反面、旅費なんて当然、各自負担になった。まあ、そんなの当たり前のことで。かくして第14小隊全員、乗り気の総意を持って、今年の最後に8人でルオスの温泉に遊びにいく流れになったのだった。それが今回の旅行である。
実のところ、第14小隊の8人が揃って動ける機会って、今後は久しく訪れないかもしれない。まず、騎士団がユースを独り立ちさせたがっていおり、年明けにはユースをどこかの分隊の隊長として、指揮力を高めようとしていること。今はまだどうなるかわからないが、第14小隊以外のどこかの分隊の指揮官にユースが任命されれば、今後一緒に行動できる日々は限られてくる。
また、クロムがラエルカンの生まれでルーネの実子だと露呈した今、騎士団としても彼を、ラエルカン復興の人材にあてたがるのが自然な流れだ。一度そうしてくれと騎士団が申し出てくれば、クロムとしても無碍にはできまい。心遣いありなのが見え透いていて、相手の温情と顔に泥を塗るようなことは、クロムだって普通にしたくない。あくまで推測段階でしかないけれど、この読みは多分当たるだろうなと、シリカもクロムもほぼほぼ確信していることだ。
小隊そのものの解散というほどにまではなるまいが、ある程度の分解が見込まれる今、8人一緒に行動できる将来が少なくなる予感はするのだ。だから新しい日々が始まる前、みんな揃って過ごせる最後の時間に、大きな思い出作りに臨めるチータの提案は魅力的だった。朝の早くにエレムの王都を出発し、ゆっくりとした旅路で遠きルオスの国まで来る旅中、長時間なれど会話が途絶えたことは一度も無い。
「んーっ、寒い! 温泉がすごく気持ち良さそう!」
やがて辿り着いた温泉街、ルオスの名物のひとつアピスの郷の真ん中で、馬車を降りたアルミナが背を伸ばし、体全部で北国の風を受ける。南国のエレムとは対極、冬の北国ルオスはたいへん寒く、だからこそ温かい露天風呂が楽しみになる。
「チータ、宿に案内してくれ」
「はい、こっちですよ」
あらかじめ手際よく、2泊3日の予約まで取っておいてくれていたチータに倣う形で、第14小隊が温泉街を歩いていく。観光地として有名ながら、風景そのものは田舎に近く、民家が立ち並ぶばかりの大通り。遠めに見える大きめの旅館のみならず、民宿なるものも多いのどかな郷の光景は、観光地として開発された今になっても敢えて残された、素朴な村としての姿。こういう村の中で楽しむ温泉の方が、風情があっていいということなのだろう。いたずら豪華に開発してもお金がかかるばっかりだし。
「すまなかったな、ユース」
「いいえ、そんな。俺もやっぱり、こういう形が一番だと思いますよ」
第14小隊の集まりの最後方、シリカがこっそり小声でユースに謝ったのは、魔王との決戦前に交わしたユースとの約束を、果たせる機会を逸してしまったからだろう。すべてが終われば二人だけで、どこかに遊びに行こうかなんて言ってたけど、これで年末数日間を使ってしまったら、恐らく二人きりでどこかに遊びに行く時間はもう無い。年末はなんだかんだで、エレムの王国年末祭でやることがあるし、年が明けたら新しい毎日が始まる。あの約束は、もう無くなったものだと認識した方が正しい。
でも、ユースはそれでよかったのだ。確かにシリカと二人きりでどこかに遊びに行くというのは、想像すれば楽しかったと思う。ただ、やっぱり抜けがけじゃないけれど、小隊がやがて割れるかもしれない昨今、二人だけでの思い出作りなんて気が引ける。だいたいシリカだって、等しく第14小隊のみんなのことが大好きな人であって、そういう彼女だからこそユースは、シリカのことをより好きになってきた。こうしてみんなで過ごせる時間を大事にするシリカと一緒にいられる方が、彼にとっては温かい。
「見てたんですよ? シリカさんがチータに旅行の話を持ちかけられた時、すごく嬉しそうな顔してたの」
「……そうだな」
出会って最も短い第14小隊のチータが、仲間達との絆を大事にしてくれていることを、ここまでわかりやすい形で表明してくれた時、どれほどシリカが嬉しかったことか。二つ返事で、いいな、行こうと明るい声を返したシリカの姿を見て、これでこそこの人だって無意識にユースも感じたものである。自分が好きになったシリカさんって、こういう人だよなって。
「おーい、二人とも何をイチャついてんだ」
「お前ら似合ってるからそのまま付き合っちまえ」
少し離れて一番後ろで語らうユース達の会話は、前には何を話しているのか聞こえないから、二人きりで内緒話をしているようにも見える。いつもどおり、軽い声でからかってくるクロムやマグニスの振り返る声を受け止め、シリカもユースも顔を見合わせて笑う。あいつら、あの人達がいる限り、二人になっても横槍を入れられるから、二人きりなんて無理だよなって。
「言っておくがマグニス、ナンパは控えろよ。お前はすぐ騒ぎを起こすからな」
「はあ~? 聞こえませんなぁ。旅の恥は掻き捨てって言うだろ」
「僕の故郷で掻き捨てていくのはやめて頂きたいですね」
シリカが刺してくる釘を、ぬか床からあっさり抜き去ったマグニスだが、隣を歩くチータに尻を杖先で小突かれる始末。お前、俺一応先輩だぞ、とマグニスが不平を垂れるが、容赦なくアルミナがチータに乗り、せいぜい謹んで下さいよとさらに太い釘を刺す。
毎日のように繰り返してきた会話であろうと、それを楽しめるのが身内の真髄だ。宿への歩く道の中、第14小隊の輪に咲く会話は、留まることを知らなかった。
小さな民宿をひとつ借り切った第14小隊。2泊3日の貸切とは思い切った買い物だが、たまにはそんな贅沢があってもいいだろう。なんだかんだで今年は大活躍だった第14小隊、年に一度あるか無いかの贅沢な旅、奮発するだけの路銀は持っている。チータの手際よく予約してくれていた宿が、8人で貸切にするのにちょうど過不足ない大きさで、お値段も均衡価格であったという点も大きかったけど。
宿から少し歩いたところに、温泉の沸き所があって、そこを中心に大きな露天風呂がある。宿に荷物を置いた第14小隊は、冬の早い日が沈む前に、着替えを持って温泉まで一直線だ。2泊3日、時間は沢山あるようでそう多くない。めいっぱいこの旅行を楽しむには、速やかに行動しないと時間が勿体ない。
「ふぃ~、生き返るねぇ」
「兄貴、すんげえおっさん臭い」
「オプションついてるから余計に」
多くの観光客が集う、アピスの郷の露天風呂。お盆の上にとっくりとお猪口を乗せ、一杯やっているクロムの姿は確かにおっさん臭い。元々年齢以上の顔立ちとはいえ、まだ27歳という身でありながら、これだけ湯船酒が似合うというのもどうだろう。うるせぇよ、と笑いながらガンマとユースの頭を小突くクロムだが、軽くでも手を出してくるあたり、ちょっと気にしているのだろうか。
「なあチータ、女湯はどっちだ?」
「あっちですよ。死にたければお好きにどうぞ」
絶対言うと思ってたけど、やっぱりマグニス、花園への門を開きたいようだ。この人は、冗談でも何でもなくロマンだとのたまって、覗きを遂行したがる人である。向こうには現在シリカやアルミナ、キャルが入浴中。見つかったら、玉のひとつでも引きちぎられてもおかしくないであろうのはわかっているくせに、それでも行きたいなら止めませんと。
「言っておきますけど、警備めちゃくちゃ固いですからね。見つかったら、洒落にならないレベルでルオスに裁かれますので、その辺りはご留意下さいませ」
それでも放っておいたら、命を懸けて挑戦しそうなマグニスのため、入念な釘を刺すチータ。ロマンだろ、と湯船から立ち上がろうとしていたマグニスも、それを聞いては諦めざるを得ず、極めて残念そうな表情で岩風呂に背中を預ける。
そりゃあ世の中、空を飛んで壁を越えられる魔法使いなんて腐るほどいるんだから、高い壁を隔てた女湯を覗ける腕を持つ者は多いだろう。そんなご時勢、この観光地の空を見張る警備がしっかりしてないと、温泉街も流行るまい。魔導帝国ルオスの魔導士の監視の目は、隅々まで光らされており、不届きな壁越えをしようとする者がいれば、超速攻で取り締まってくれる。そして、悪さをした者に対するルオスの刑罰は、非常に強烈であることで有名。
覗きはあくまで軽犯罪、だけど観光地の客入りを落としかねない悪行を働いた罪人に対してとなれば、国も見せしめの意味を込めてきつく行くだろう。新聞にも積極的に載せる。そこまでされてしまったら、マグニスはやばい。シリカにボコボコにされる、アルミナに命を取られる、覗きの犯人として晒し者にされる、それによってエレムでも仕事が減りかねない。ロマンっていうのは、そういう馬鹿みたいなリスクを冒して追い求めるものじゃないと思う。
「残念がるぐらいだったら混浴風呂行けばよかったじゃないですか」
「ジジババしかいねえのわかってるもん。若い女が混浴風呂に行くかっつの」
実は男湯、女湯とは別で、ちゃんと混浴風呂も設けられているのだ。非常に魅力的な響きではあるものの、実際にはマグニスの言うとおりなのが現実。男湯、女湯には人が多く集まる一方で、ほぼ閑散とした混浴の湯は、異性に裸を見られても気にしないようなお年になった方々が、人が少ない湯を楽しむための空間だ。桃源郷を求めて混浴に突入したところで、お爺さんとご婦人のシルバー湯なのは目に見えている。地元に帰れば抱ける女にも事欠いていないマグニスにとっては特にだが、そんなの美味しくもなんともない。
壁の向こう側から聞こえる、若い観光客の女性の声、黄色くて華やかな声を聞きながら、マグニスははぁ~っと深い溜め息。最も期待していた夢を打ち砕かれると、我が身を癒す目の前の湯さえ、楽しむゆとりもなくなるものなのやら。これだから発想が悪い奴は、目の前の幸せを見落としがちだと言われるのに。
「ユース、我慢比べしようぜ~。どっちが長いこと、入ってられるか」
「俺、ガンマに勝てる気しないんだけど」
熱い湯のエリアに移り、分の悪い勝負だとわかりきっていても、ノリよくガンマに付き合って楽しむユース辺りを見習えと。結局この後二人とも、意地になってのぼせるまで勝負するのだが、そういう楽しみ方でいいのだ。煩悩まみれで愚痴愚痴言ってても、眺めるだけで楽しめる何かを周りが提供してくれる第14小隊の集まりが、身勝手な生き様を貫いてきたマグニスを、毎日幸せにしてくれてきた。もっともそれぐらいは、マグニスだって自覚していることだけど。
茹蛸になって目を回し、空を仰いで倒れた二人を見て、何やってんだよお前らと笑う時間はやっぱり楽しい。いい仲間達に恵まれたもんだ、と改めて実感するマグニスの想いを知るのは、きっとこの場で当人一人でしかなかっただろう。
「キャルは満更でもないんでしょ?」
「うん……ストロス君、いい人だし……」
女湯の方では、アルミナが旅中での話題を掘り返していた。マグニスという無責任に囃し立てる奴がいない今、アルミナの問いかけにもキャルが素直なものだ。時間を置いたおかげで少し考える頭に余裕が出来たのもあるが、面白半分で人を詮索するわけじゃないアルミナが相手だと、キャルもはぐらかさない。
ラエルカン大戦役の少し前、エクネイス攻防戦でキャルとタッグを組んでいた、小国の哨戒魔導士の少年。名をストロスというのだが、話を聞くにすっかりキャルにお熱のようだ。あの攻防戦が終わりを迎えた後、ワーグリフォンの魔法に撃墜されて大怪我をした彼だが、命を取りとめた彼に、献身的な看病のために通い詰めてくれたキャルのことが、それはもう天使に見えたのだろう。目を潤ませ、ストロスが生存したことを心から喜び、両手を握ってくれたキャルの姿でコロッと。キャルって誰にでも優しいから、結構こうして罪作りな部分はある。
あれから何度かエレムの王都に遊びに来ているようだし、勇気を持って第14小隊の玄関を叩いたこともある。看病してくれたお礼に、と、フルーツを持ってきてくれたのだが、その時キャルと顔を合わせた時のストロスの顔が、完全に恋する男の子の顔だったと、後からマグニスが教えてくれたのだ。キャルも礼儀めいたもので、謹慎が解除になってから、エクネイスのストロスを訪れたのだが、その時同行したアルミナの目にも、彼の姿や態度は印象的だった。ストロスとキャルの関係性が話題になったのは今日が初めてのことで、マグニスとアルミナの証言をまとめてみれば、まあやっぱりあいつがそうか、という結論に纏まったのだ。
「すぐに付き合ったりすること考えなくてもいいからさ。ちょっとお話してみれば?」
「でも、次に会えるのいつになるかは……」
「エクネイスからもラエルカンの復興支援、やってるんでしょ? キャルもラエルカンの復興に関わったら、また会えるかもしれないよ」
ねえシリカさん、と話しかける先を変えたアルミナに、シリカは小さくうなずいた。確かに、ありそうだ。もしも本気でストロスという少年がキャルに惚れているのなら、彼女がラエルカンの復興に携わり、そこで長期滞在する場合、彼の方も追いかけてきそうである。一緒にいられる時間を増やすため、ちょっとぐらいがっつくのは大いに、あり。でないと他国住まいの者同士、時間を共有できるチャンスも少ないんだから。
「第14小隊も、ラエルカンの復興支援に加わる可能性は高いからな。キャルがそれもいいと思うなら、そういう采配も考えるよ」
「う、うぅん……」
ラエルカン復興の指導者であるルーネに力添えする形で、第14小隊からはまずまずクロムが呼ばれる。クロムは分隊を指揮できる階級を持っているから、傭兵のキャルがクロムの指揮下で動くのもありだ。そうした範疇でなら、第14小隊のシリカの意向、ひいてはキャルの意志も反映しやすい。
「ね、そういうの考えてみようよ。素敵な彼氏さんに巡り会えるかもしれないよ」
「そう……なのかな……」
頬が赤く染まっているのは、何も湯に浸かっているせいだけではあるまい。恋人探しとは無縁の毎日、大好きなお姉ちゃんの後ろばかり追いかけ、戦場で弓を引いてきたキャルにとって、こういう巡り合わせが早く回ってきたのには、当人も戸惑いを隠せない。その一方で、いつかと夢見ていたお嫁さんへの道筋が、ほんのり見えてきたことに対しては、キャルも胸の奥がとくとく弾んで仕方ない。
「それにしても、意外だな。アルミナがキャルの恋人探しに、ここまで乗り気だなんて」
「んむ、どーいうことですかシリカさん」
「アルミナはもっと、キャルを手元に置いて独り占めしたいものだと思ってたからな」
「わー、失礼なっ! 私はキャルが幸せになってくれるなら、それが一番なのにっ!」
無論、冗談。わかっていてぷんぷん怒る素振りで詰め寄るアルミナと、ごめんごめんと笑って応じるシリカ。先のことを考えてしまい、小さくなってしまっていたキャルも、こうした二人の姿を見ていると、くすりと笑いが漏れて安らぐ。
「でもアルミナ、キャルがいつか結婚してしまったらどうする?」
「号泣します。ああもう言わないでっ」
「それは普通の感情として計算していいのかなぁ」
「こらあっ、シリカさん! 誤解を招くようなこと言わないで下さいっ! またキャルが変な目で……ああっキャル、違うよ!? 私ノンケだよ!?」
意識過敏に慌てふためく演技を見せ、キャルの笑いを誘うアルミナは、今まで自分がからかわれてきた不名誉な二つ名、要するに同性愛疑惑をネタに出来る器を持っているということだ。心配しなくたってアルボルの一件で魂を通わせた二人、アルミナが心からの家族愛でキャルを大切にしてくれていることは、かつてよりキャルに伝わりきっている。すぐにべたべたしてくる適わないお姉ちゃんだし、このお風呂に来た時も、湯船の中で抱きついてきたけど、変な感情ではないことぐらいわかってるんだから。アルミナって元々、単にスキンシップが大好きなだけである。
「焦って否定するところが怪しい……」
「違うのよー! 私はそんなんじゃなくってー!」
すすすっとアルミナから離れるキャルに、追いすがるように泳いで近付くアルミナ。二人とも、和やかな表情だ。露天風呂なら星空でも見上げながらが一番素敵か、その次に雪見酒あたりが風情あるだろうけど、今は夕暮れ、そういう趣ある情景には恵まれていない。そんな風物詩を眺めるよりも、シリカにとっては、仲良きアルミナとキャルの姿を見ている時間の方が幸せ。一度キャルを本当に失う寸前までいった過去もあるだけに、尚更。
故郷と家族を魔物達に奪われたアルミナ。人類の策謀に里を壊され、やっと出会えた新しい家族との日々も、一度騎士団に剥奪されかけた過去を持つキャル。そんな二人が出会った末に、一生涯付き合える親友に、姉妹になれたのだ。二人の過去をはじめから知り、どうか幸せになって欲しいと願った過去のあるシリカにとって、この光景は何にも代えがたい。
「おーう、上がったかお前ら」
「女ってのは風呂が長いねぇ」
「そういうお前達は、とっくに酔っ払ってるな」
マグニスやクロムを中心に集まる男達の前に、ようやくシリカ達が顔を見せた。旅館で用意して貰った、温泉街を歩く身なりとして趣ある、浴衣に身を包んでだ。その上に羽織を一枚着ることで、見た目の上では最大限の防寒を果たしてある。
「ホットスプレー使います? 色んな香りがありますけど」
「えっ、何それ。見せて見せて!」
流石にそのままでは風邪を引いてしまいかねないので、温泉側としても素敵なアイテムを用意してくれている。チータが指差す先に並んでいるのは、香水のようなものが売られている売店だ。あれをしゅしゅっと体に吹きつけると、体がしばらくの間温まり、薄着であっても風邪を引かずに済むということらしい。
これは本来、寒冷地での遠征に赴く戦士達にも愛用されるものであり、観光地を浴衣姿で歩けるようにするための使い方というのは、その派生した用途である。戦士用のそれらは業務用かつ無臭だが、ここで売られているものは観光地用に手が加えられ、芳しい香りがするようになっているとのこと。
「あー、俺はいいや。香水っぽいの、なんか好きじゃねぇから」
「私はこれがいい! ラベンダーの香りってやつ!」
「僕はハーブにしようかな。ほら、ユースも選びな」
売店の前で、しばらく考え込んだ後、それぞれが好みの香りを選び取る。1人一本買っては高くつきそうなので、二人か三人でひとつにしようという発想もあった。クロムだけは買わず、アルミナとキャルとシリカがお揃いでラベンダーの香り、ユースとマグニスがライム、チータとガンマがハーブ。お買い上げの末、屋根のない寒空の下に出て、お互いに吹き付けてみることで、効果のほどを確かめる。
「わあー! 凄い凄い、ほんとにぽかぽかする!」
「北国のルオスだからな。こういう魔具の開発の進み具合は、他の国には負けてない自信があるんだってさ」
祖国の強みを口にするチータも、どこか無性に楽しそうだ。心はすでに第14小隊と共にあっても、やはり生まれ育ったルオスへの愛着を、チータはいつまでも忘れないだろう。今日はこうして仲間達との旅行が叶ったけど、いつかは春のルオス最大のお祭り、豊緑祭にも、いつかみんなで行きたいと思っている。
「それじゃあ、行きましょうか。旅館にまっすぐ帰るんじゃなく、町を見て歩いていきましょう」
まあ、それはまた今後の話。楽しい旅行は最大の目玉、温泉を堪能しただけであって、まだまだ始まったばかりなのだ。日が沈みかけ、行灯のようにぼんやり光る街灯多くに照らされたアピスの郷は、夜の温泉街と出店を楽しんでいってくれと、訪れた客人を優しく歓迎してくれている。
エレム王国第14小隊、家族のように日々を共にしてきた8人の休日。生涯忘れ得ぬ思い出の三日間は、まだまだ始まったばかりである。




