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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
最終章  語り継がれる幻想曲~ファンタジア~
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第274話  ~人非ざる者の譚詩曲~



 年末が近付くと、コズニック山脈の浅部に踏み込んでいた騎士団の手も休まる。魔王が討たれた今となっては、コズニック山脈は急ぐ攻略対象ではない。冬場の広き山脈は、人の踏み入らない閑散とした山肌に、羽を伸ばす魔物達が闊歩する世界となる。魔物達も、人里を攻めよと命じる主君亡き今となっては、わざわざ山を降りて人里に襲い掛かることもないから、きつく山を監視する必要も無い。


 そんなコズニック山脈の上空を、箒に座って駆け抜ける小さな影が一つ。紫色のローブに身を纏う賢者は、ナイトキャップを片手で押さえるほどの速度で南下し、強い風を真正面から受けての一直線だ。寒い冬空の高くを、こんな速度で駆け抜けるのはやはり寒く、自分周囲を暖かな大気で包む魔力の生成を怠れない。


 そこまでして、賢者エルアーティがコズニック山脈の奥深くに求めるものとは何か。魔界レフリコスがあったその地に向け、ゆっくりと降下していくエルアーティ。彼女が会いたかった存在は、そこであぐらをかいて賢者を待っていた。


「ごきげんよう」


「このクソ寒い中での待ち合わせにしやがって……もっと早い季節でもよかっただろうがよ」


「ごめんなさいね。私も色々、手が離せない事情が多かったのよ」


 魔王討伐から凱旋したのち、賢蘭祭に向けた準備やら、ルーネ主導のラエルカン復興の安定を計る手伝い、果ては講演会に向けた論文作成と、結局年末までかかってしまうことは目に見えていたのだ。エルアーティはそうした事情から、最後の再会をこの寒い季節にまで遅らせたが、温かい穴蔵で冬を過ごしたい相手方にとっては、こんな季節に外で待ち合わされてはたまらない。ここまで寒くなる前に会いに来いと。


「さんざん待たせてくれやがったぶん、それなりの土産は持ってきてくれてるんだろうニャ?」


「ええ。まずは魔界レフリコスについてだけど――」


 人類にとっては最大の怨敵であった一体、百獣皇アーヴェル。それを目の前にして、忌むどころか、久しぶりの旧友との再会を楽しむような表情で、エルアーティはその口を弾ませる。黙って彼女の話を聞く、魔物たるアーヴェルの方が、会いたくない奴と仕方なく顔を合わせたような態度であり、あぐらをかいたまま憮然顔である。


「――とまあ、封滅してきたわ。当分は、魔界レフリコスが活動し始めることもないんじゃないかなって」


「フン……」


 エルアーティの言葉の真偽を疑うアーヴェルは、フードをはずして耳をぴくぴく動かす。何度も近付き、見知った魔界の気配を探る魔力を操っているのだ。心配しなくても嘘なんかつかないわよ、と、くすくす笑うエルアーティの態度にかりかりしながらも、やがてその言葉が真だと確信したところで、アーヴェルは深々と溜め息をついた。確かにあれだけ騒がしかった、魔界レフリコスから漏れていた瘴気も、今となっては影も形も無い。


「はぁ~……これでやっと魔界の暴君どもともオサラバか。長かったニャぁ……」


「気の毒だったわね、魔王マーディスなんかに目をつけられて」


 元々流れ者のアーヴェルは、ある時コズニック山脈に辿り着いた時、魔王マーディスに見つかってしまった。なんやかんやあって、実力を示し、魔王の軍門に半ば強制的に招かれてしまったのが運の尽き。逆らったら容赦なく自分を殺しに来るであろうマーディスに従うまま、エレムやダニーム、ルオスの強き人間達との戦いに身を投じる毎日が始まってしまった。まさに前門の虎、後門の狼といったところか。


 魔王マーディスが討伐されるまで何とか生き延び、やっと逃げられるかと思ったら、魔王復活のために手を貸せとウルアグワにストーキングされ、魔王マーディスの遺産なんて呼ばれて、人類どもとの継戦続行。夢魔ウルアグワの本質にも気付いていただけあって、あのしつこさと性格の悪さはわかっていたし、知らんぷりして逃げる選択肢も選べなかったのだ。魔界がエルアーティの手によって封印され、ウルアグワという存在も消えてくれた今、ようやくすべてから解放されたのが今のアーヴェル。完全に魔界レフリコスの気配が、この世から消え去ったことを確信できたアーヴェルの安堵は、平和が訪れた人類の溜め息によく似ている。


「これからどうするの?」


「どっかテキトーなとこ行って平穏に暮らすっつの。お前らみたいのと争うのは懲り懲りニャ」


「そうじゃなくて、それ」


 エルアーティは、鈴のついたアーヴェルの錫杖の先を指差す。指し示されたその先には、ちりんと鳴る大きな鈴しか無いように見えて、そうではない。稲穂の先のそばを舞う(あぶ)のように、アーヴェルの錫杖の鈴の周囲を舞う、小さな小さな霊魂が確かにある。エルアーティには、それが見えている。


「蘇生させてあげるつもり?」


「たりめーだろ。でなきゃわざわざこうして抱えるかっつの」


 人類から取り戻された、ラエルカンの地。戦後のその地から、番犬アジダハーカの亡骸が消えていたことは、人類の多くに一抹の不安を落とし込む事象だっただろう。それをエルアーティが、何も人類にとって悪いことが起こる予兆ではない、と断言していたのは、その亡骸を持ち去ったのが誰なのか、ある程度予想がついていたからだ。アジダハーカの霊魂を、愛用の杖先の周りに舞わせるアーヴェルの姿を見て、やはり彼の亡骸を持ち去った存在はこれだったのだろうと、エルアーティも改めて確信する。


「出来れば今度は、人か魔物かどっちかついた姿に生まれ変わらせてやるつもりだがニャ」


「霊魂を軸にした蘇生術は、生前の形にしかならないはずよ。あなたならわかっているはずじゃ?」


「そう思うんならそう思っとけ。お前らの知らん霊魂魔術なんぞ、いくらでもあるっつーの」


 蘇生魔法とは、死者に生前の形を取り戻させるため、その霊魂に頼らなくてはならない。霊魂が記憶する生前の形、それを取り戻そうとする霊魂を支援する形で、死者に生存可能な肉体を再び与える。それがエルアーティの辿り着いた蘇生魔法だ。だからアジダハーカの魂を軸に、彼を蘇生させようとアーヴェルが考えているのなら、生前のいびつな彼の姿のまま、蘇生するのが本来のはず。


 鼻で笑うように一蹴し、違う結末にしてみせると自信満々なアーヴェルには、それだけの実績がある。魔将軍エルドルを蘇生したこと、アルケミスを魔王として生まれ変わらせたこと、それらはウルアグワにより、蘇生対象の霊魂を確保していた側面もあるが、それはエルアーティの言う蘇生魔法論と同じものを成功させた実績。一方で、いくつもの生物を合成した魔物、ケルベロスやメデューサ、マンティコアのような存在を作り、新たな命として生まれ変わらせた実績をある。あれは、エルアーティの言う理論とは全く違う理屈で、新しい命を作り上げた凡例。それを数多く成功させてきたアーヴェルには、エルアーティも辿り着いていない、命を生まれ変わらせる極意があるということだ。


「ふふふ、学者冥利に尽きるわね。まだまだ世界には、未知が溢れ返っている」


「言っとくが教えてやるつもりはねーぞ。お前みたいな奴に知識分け与えてたまるか」


「いいわよ、別に。解き明かす楽しみが増えるだけだから」


 新たなる真実を掴む快感は何にも勝るが、その獲得に向けて歩み続ける日々の楽しみはその次に良い。人は、自らの手で掴んだ大いなる成功にこそ、この上ない至福を感じられる生き物だ。何もせず、ある日いきなり与えられた幸運では、その時は気持ちが良くても、やがてその幸福が薄れていくことをエルアーティは知っている。自分で解き明かす楽しみを重視しているのは、単なる道楽の想いによるものではない。


「アジダハーカの亡骸はどうしてるの?」


「あいつが食っちまったよ。あいつなりの親心だったんだろうニャ」


「優しいのね、あなた達」


 我が子のように可愛がってきたアジダハーカの死体を食うことに、愛を感じ取ることは難しいかもしれない。だが、ラエルカンという人類に奪還された地、魔物にとっては危険の伴う地に、わざわざリスクを犯してまで重いアジダハーカの肉体を回収しに行った時点で、間違いなくそこに我が子への想いがあるのだ。人類の敵として、数々の人間を殺してきたアジダハーカ。その死体が人類の手に渡れば、憎しみの刃で切り裂かれ、焼いて打ち捨てられる死体蹴りがあってもおかしくない。それだけのことを、哀しい生まれによるものとはいえ、アジダハーカも繰り返してきたのだから。


 アジダハーカの死体を食らったという、あいつというのが誰なのかは、エルアーティもほぼわかっている。きっとそれは、自分達を親として慕ってくれたアジダハーカを、生涯忘れぬための、魔物なりの弔い方だったのだろう。また、同時にそれは、やがてアジダハーカを新しい形に生まれ変わらせようとするアーヴェルに倣い、アジダハーカが望まずに生まれた醜い体を、この世界から決別させるための行為だったと見える。少なくとも、エルアーティには。


「ツレも待たせてるし、そろそろ行かせて貰おうか。お前にすりゃ、アジダハーカがどうなったか聞けただけでも満足なんだろ」


「ええ、私としてはそれで充分。魔物にも愛という概念があると確信できただけで、最大の収穫だわ」


「ふーん、これが愛っつー感情か。めんどくせェもんなんだニャ」


 アーヴェルが、奪った人里で拾い読んだ書物には、愛とはなかなか美しいものとして描かれがちだったから。だが、アジダハーカに親心を抱くがゆえにこそ、彼の蘇生にこれから手間を割かねばならないアーヴェルにとって、彼への愛は仕事を増やす感情であるのも事実。誤解を恐れず語るなら、愛など抱かねば抱えずに済む悩みがこの世には腐るほど多いのも、ある意味では真実であろう。


「ああ、それと」


 捨て台詞を最後に立ち上がり、背を向けたアーヴェルを引き止めるエルアーティ。翼を広げ、南の空に向けて飛び立とうとしたアーヴェルが、まだ何かあるのかと鬱陶しそうに頭をかく。


「あなた長らく"ひゃくじゅうこう"って呼ばれてきたけど、それって"百獣后"じゃないからね。"百獣皇"だからね」


 まったく同じ発音で意味深なことを言われても、耳では全然わからない。何だそりゃ、と振り返ったアーヴェルの目の前では、エルアーティが異様に面白がるような顔で笑っている。嫌な表情だ。


「まあ、安心なさい。これからの人類の史書にあなたの名を残す際、あなたの二つ名は"ひゃくじゅうき"に変えておくから」


 首をかしげそうになったアーヴェルの脳裏を貫く、電撃のような閃き。まさかとは思うが、と、細めていた目をゆっくり開くアーヴェルの表情が、意地悪魔女のエルアーティにとってはたまらなく可笑しいようだ。


「お、お前ら……まさか……」


「"(それがし)"、なんて一人称使ってるから誤解されるのよ。それって人間の世界では、男が使うものよ」


 実はアーヴェルは魔王マーディスの軍門に下って以来、立場の変遷に伴って、一人称を変えてきたのだ。人類には知られていなかったことなのだが、生来アーヴェルが使ってきた一人称というのは"(わらわ)"であり、これは謙譲の意味合いを持つものでもあるから、マーディスの配下になってからもしばらくは使っていた。だが、やがて百獣軍の総指揮官に任命されたことで、謙譲と尊大の両方の意味を持つ"(それがし)"という一人称に変え、主君に対する謙虚と総指揮官としての尊大を両立してきた、というわけである。意外とアーヴェルは、なまじ知識があるだけに、そういう所が細かい。


 百獣王ノエルの下についていた頃のアーヴェルの一人称は、まだその性に見合ったものであったのだけど、当時のアーヴェルは前に出たがらなかったし、"(わらわ)"と自分を呼ぶ口を人類の前で見せたことがなかった。アーヴェルという個体が人類に認識されたのは、彼――もとい、彼女が百獣軍の総指揮官に任命され、前線で魔物達を操るようになってからである。この時既に、アーヴェルの一人称は"(それがし)"である。


「お、お前らなあ、っ……!」


「だって私達、魔物の性別の見分け方なんか知らないもの。あなたと熾烈な戦いを繰り広げる中で、あなたが雄か雌かなんて考える人もいるわけなかったんだし」


 ひゃくじゅうこう、と自分が呼ばれ続けていることを知ったアーヴェルは、ずっと自分が"百獣后"と呼ばれているものだと思っていたのだ。百獣"王"ノエルの上に立つ者、だから后。残念ながら人類の考えは真逆で、百獣"王"ノエルの後継者である"皇"だという認識だったのだけど。


「癖になってるみたいだけど、これを機会に治したら? でなきゃあなた、人の歴史には男として刻まれていくばっかりよ?」


 顔を真っ赤にして、その場でぶにぶにと地団駄踏むアーヴェルを眺め、くすくす笑いながら眺めるエルアーティ。女らしくない、と言われるならまだしも、はなから男だと誤解されていたという驚愕の事実は、ひどくアーヴェルの自尊心を傷つけたらしい。長らく自分を研究しようと躍起になっていた人間どもが、根本的な部分もわからんバカだったのかと思うと、頭をがりがりひっかいて苛立ちを発散しないとアーヴェルも気が済まない。いや、その誤解は主にアーヴェルのせいだったのだけど。


 ひとしきり、一人で狭く勝手に暴れた後、ふうぅっと深い息をつくアーヴェル。むかついたところで殴る対象もないのだし、努めて頭を冷やしてエルアーティを睨みつける。目が鋭いのは単なる八つ当たり。


「お前はそれがし……(わらわ)が女だってことに気付いてたのか」


「男は強く、女は優しいものよ。アジダハーカの魂を大切に手放さないあなたの姿は、母親のそれと見て何ら疑う余地はないわ」


「破綻。お前は少なくとも優しい人間じゃねえよ」


「あら、私ってすごく優しいわよ。ルーネ限定だけど」


「どうだか。お前は好きな相手を努めて泣かせて、泣いてるあなたも可愛いとか言いそうな奴ニャ」


 頭を冷やせば毒舌全開、されどエルアーティのそういう一面を見たことあるわけでもなかろうに、まるで知っていたかのような的を射た指摘。曲がりなりにも人類に対抗するため、人の中身を見抜く目を養ってきたアーヴェルの眼力は、やはり伊達ではないものだと言えよう。長らく自分が雄だと思われていたことを、見抜くことが出来なかったのは惜しかったけど。


 今でもエルアーティのことは好きになっていないけど、互いに観察し合って腕を競い合った魔法使い同士。最後のお別れともなれば、不思議と名残惜しい気分にもなるし、最後ぐらいはつんけんしつつも、自らの力を高めてくれた好敵手に、尻尾ぐらい振って別れてやろうと思ってたのに。よもや想像だにしなかった、根本から性を誤解されていたという最低な事実を知らされては、感慨もことごとくパーである。


「じゃーな、クソ魔女! お前のことは、最悪の思い出として絶対に忘れねーよ!」


 もういいや知るか、と背中を向け、翼を広げて我が身を浮かせるアーヴェル。もう、何を言われても振り返ったり止まったりしないぞという態度なのがよくわかる。


「ばいばい、アーヴェルちゃん♪」


「死ね!!」


 吐き捨てて南の空へと飛んでいくアーヴェルを、ひらひら手を振り見送るエルアーティ。人類にとっては最悪の敵の一体だったが、エルアーティにとっては敵対陣営の賢者に、惜しみない敬意を送ってもいい想い。アーヴェルとの戦いでは、常に己を悟らせぬために飄々とした態度を取り続けていたものの、その実気を抜ける局面など一度としてなかった。それだけの好敵手だったのだ。魔法使いの一人として、アーヴェルとの出会いを経て辿り着いた新たな境地が、数え切れないほどあることをエルアーティは忘れていない。


 北の人里に向け、箒に座って飛び立つエルアーティ。もう二度と巡り会うことはないであろう、永遠の別れ。それに至るまでの日々で獲得した者を胸に、二人の賢者は未来に飛び立っていく。過去より現在、現在より未来、そして未来を作っていく礎はすべて過去にある。わかっているからアーヴェルも、エルアーティとの出会いが、自らの生涯において大きな意味を持つものであったと理解している。


 認めたくはないけれど、人間というものに対する敬意じみたものは、アーヴェルの中にも芽生えている。杖の先を離れない我が子の魂を眺め、生まれ変わらせるならば自分達と同じ魔物の姿として、と考えていたアーヴェルも、違う道を考え始める。この子が本来生まれるはずだった、人の子として生まれ変わらせることも、悪い道ではないんじゃないかって。


 山の南で待つ相方と落ち合ったら、そんな相談もしてみようかと思えた。百獣姫として名を刻まれていく一体の魔物は、人類との戦いの中で得た新たな感情を胸に、第二の人生へと翼をはためかせる。











「はい、大丈夫ですよ。何も問題はありません」


「ありがとう、ルーネ先生!!」


 謹慎期間の長いガンマだったが、ようやく生まれ故郷の魔法都市ダニームに帰郷できて上機嫌だ。賢蘭祭の間だけ、里帰りする機会が与えられたのも事実だが、あの時は町の警備で忙しい父に会いにいくことも出来なかったし、羽を伸ばして歩ける帰郷が叶った今が、やっぱり一番気持ちいい。


 生まれがそもそも特殊なガンマは、アルボル帰りのシリカ達から得たものをもとに、体を安定させる手術を施行したルーネに、後の傾向を案じられていた。エレム王都を謹慎ゆえに離れられない期間のガンマにも、月に2度ほどルーネが会いに来てくれて、体の調子を見ていてくれていた最近がある。今日里帰りしたガンマを、港で迎えてくれたのもルーネだったし、ルーネの自室でしっかり体を看てもらい、問題なしの太鼓判を貰って上機嫌。アカデミーのルーネの自室の前、待ってくれていた父に迎えられ、ガンマはさらに表情を明るくする。


「その顔じゃ、問題はなかったみたいだな」


「やっぱり全部脱ぐの恥ずかしいよ~。せめて下着ぐらいはさぁ」


 他愛もない会話を繰り返しながら、育ての親であるヴィルヘイムと共に歩くガンマ。アカデミーの外はさんさん日和で、寒い冬空から温かい日光が降り注ぐのが、ほのかに心地よい天候だ。冷えても温かさの残るこの天候が、年末前には一番快適な気候と言えよう。


「もう、何度も看る必要ないってさ。これからはもう……」


「おいこら、危ないぞ」


 頭の上に両手を組み、後ろ歩きしながら父に話しかけていたガンマの肘を、手を伸ばしたヴィルヘイムが握って引き寄せる。周りへの注意力を欠いていたガンマがいた場所を、数秒送れて荷馬車が歩いていく。すみませんねうちの子が、と頭を下げるヴィルヘイムに、いいんですよと御者も一礼。ヴィルヘイムがガンマを引き寄せなかったら、思いっきり馬車が歩く道をガンマが邪魔していただろう。


「俺、馬に轢かれても平気だよ?」


「そういう問題じゃねえっつの。人様の迷惑を考えろい」


 注意散漫だった自分が恥ずかしくって、素直にごめんなさいが言えず、苦笑いで誤魔化す口を動かすガンマ。こつんとガンマの頭を軽く突くヴィルヘイムも、反省しているのはわかるから強く叱らない。気をつけろよ、と、幼い頃から代わり映えない我が子に注意すれば、はぁいとガンマも照れ笑いで応じるのみ。


 今日は息子が里帰りするということで、魔法都市の自警団員であるヴィルヘイムも、週一の休みをずらしてこの日に合わせている。親子水入らずの自宅に向け、並んで歩いていく二人だが、さっきの一件からぴたりと二人の会話が止まってしまっていた。賑やかな魔法都市の真ん中を、無言で歩く二人の耳に届くのは、活気に満ちた町の声ばかりだ。


「第14小隊ではうまくやってるか?」


「……うん」


「彼女は出来たか?」


「……まだ」


「エレム王国暮らしは楽しめてるか?」


「……うん」


 元気なガンマなら、いくらでも話を広げられるような話の切り口を、秒をおいてヴィルヘイムが提示する。返ってくるのは短い返事ばかりで、話が弾む気配が無い。時々、こういうガンマの姿もあると知っている父の目には、ガンマの胸の中で小さく渦巻いている、ささやかな悩みにも敏感だ。


「馬に轢かれても平気だっていう、元気な息子。俺はいい子を授かったと思ってるぞ」


 照れ隠しで、考えなしに言ってしまったあの言葉をきっかけに、ちょっと考えてしまったんだろうと、ヴィルヘイムは正しく読み取ることが出来た。考えていたことを見透かされ、父を振り向き見上げるガンマに、ちゃんと前見て歩けとヴィルヘイムは笑う。ガンマの頭の上に掌を置き、首の向きをぐいっと前に正す。


「普通の子は、もっと怪我したり、病気したりするもんだ。そのたび親は、心配になるもんなんだぜ。俺はそういう心配をせず、息子がずっと元気でいてくれることを信じられる親だ。幸せなことだと思ってる」


「……そう、なの?」


「普通の子じゃない、って言われると、それだけでお前は嫌か?」


 そういう言い方を避けて付き合う優しさもあるかもしれない。だけど、変えようのない事実なのだ。その事実から努めて遠ざかろうとせず、むしろ強調し、それが悪いことじゃないと言うヴィルヘイムの表現も、ガンマとの一つの付き合い方。


 父の言葉にガンマは何も答えなかったが、一度だけ左右に首を振る仕草で、明確に意志を表明できている。差別的な言葉を向けられるのは、本来やっぱり好めることじゃない。それを自らを否定する言葉としてではなく、美点として表現してくれる父だから、嫌じゃないと本心を表明できるのだ。


 ガンマの目の前に腕で壁を作り、交差点の前で立ち止まるヴィルヘイム。目の前を横切る荷馬車が、通過するのを立ち止まって待つ。すっかり言葉を紡げなくなったガンマを見かねたヴィルヘイムは、息子の後ろで腰を降ろし、ガンマの股下に頭を潜り込ませる。


「わ、わ……ちょっと、親父……」


「辛気臭ぇツラしてんなっつの。ほれ、視点を変えれば気持ちも変わるか?」


 両腕でガンマの太ももを抱え込んだヴィルヘイムが立ち上がり、ひょいっとガンマを肩車する。小さな体でもそれなりに重いガンマの体を、容易に首に乗せて立ち上がってしまう辺り、やはり自警団の中でも有力な一人である、ヴィルヘイムの屈強さが表れている。


「生まれがどうした、しょうもねえこと考えてんなよ。お前は周りよりちょっと力が強くて、ちょっと体が頑丈なだけの子。そんで、その力で大好きな友達を守ってきた優しい奴だろう。俺にとっちゃあ、我が子を誇れる要素でしかねえってんだよ」


 父に肩車され、高い場所から見渡せる魔法都市ダニームの風景。幼い頃の自分を、おんぶより、だっこより、肩車してくれる回数の方が多かった父。それで何度も見せてくれた視界が、愛いっぱいで自分を育ててくれた父との記憶を刺激してくれる。目の前に映る、賑やかな町の風景を通して蘇る思い出の数々が、ヴィルヘイムの言葉が心からの真意であると強調してくれる。


「そんなことはどうでもいいから、今晩食いたいもんでも考えとけ。好きなもん作ってやるからよ」


「……ハンバーグ」


「食い意地だけは張ってんなー、お前。そういう答えだけは早いんだからよ」


 快活に笑う、股下のヴィルヘイムの豪快な笑い声が、ガンマの胸を温かく満たしてくれる。きっと今、父と喧嘩したりしたら、勝つのは自分の方なんだろう。それでも適わないなとどこか思わせてくれる、そんな頼もしいお父さん。両手をヴィルヘイムの頭の上に置いていたガンマの手が、体重かけずにふんわり力が抜けていく実感が、彼の心の安らぎをヴィルヘイムに伝えている。


「だいたいお前、ハンバーグって作るのめんどくせえの知ってるか? 俺もだいぶ練習したんだぜ?」


「作って貰えばいいじゃん」


「あん? 誰に?」


「親父、いい加減結婚しなよ。お嫁さん探してさ」


「落とすぞお前。怪我しねーんだろ?」


「やめろよー、痛いのは変わりないんだから」


 幼い頃から、外食でハンバーグを食べるとすごく機嫌がよくなるガンマを見て、家でもそれを食べられるよう練習してくれた父のことだって、今となっては知っている。そういうヴィルヘイムに育てられたからこそ、第14小隊に入ってすぐ、みんなの好きな食べ物を真っ先に覚えるようなガンマに育ったのだ。仕事ばかりで妻には恵まれない、不器用な男だけれど、それでも授かれた唯一の息子を大切にし続けた彼がいたからこそ、第14小隊の仲間達に愛される、今のガンマがいる。


 人の心配するよりも孫の顔を見せろ、と笑うヴィルヘイム。親父こそいい加減結婚しろよ、と荒っぽく返す一方で、独り身でなくなって寂しくない父の未来を望むガンマ。親の心子知らずとはよく言うが、ガンマだって大好きなお父さんに、幸せになって欲しいと思っていることに気付いて欲しい。心配しなくたって、会うたび結婚しろ結婚しろと言ってくるガンマが、心根では何を望んでいるかぐらい気付いている。俺もお母さんが欲しいよ、と、わがままを言うふりして、幸せになってよと素直に言えないガンマだけれども、ヴィルヘイムにはちゃんとお見通しだ。


「お前けっこう食うからなー。買い物、荷物ぐらいはちゃんと持てよ」


「力仕事ならいっくらでも!」


 確かに生まれは普通の人間とは違う。そういう力には恵まれすぎているほどに。だけど、ルーネがガンマを普通の人の形に生み落としてくれ、こうして当たり前のように、父と仲良く寄り添える暮らしが、今は確かに手元にある。これ以上、何を望むべくかとふと考えてしまったら、ガンマには何も思いつかない。


 人として生きられる自分、それを導いてくれた賢者様、優しくて強い仲間達、世界で一番自分のことを愛してくれるお父さん。最後の最後で心を通い合わせられた、アジダハーカには知ることすら出来なかった幸せなのだ。空を見上げて少し考えてしまうガンマの目線の先は、奇しくも南の空だった。いつかどこかで生まれ変わって出会えるなら、友人として再会したいと思えた盟友の魂は、その方向の空で母に抱かれ、新しい大地に向かっていることをガンマは知る由もない。


 中央市場に辿り着き、父とハンバーグの材料である挽き肉や、添える野菜を買う時間。一般にはきっと、魔を退けた戦士にようやく訪れた、平穏な日々と形容される時間だろう。本来幸せとは後から気付き、その過去の輝かしさを思い出として胸に刻むもの。今が既に最高の幸せの中にいると自覚し、その上で父と笑って一緒に歩けるガンマにとっては、この幸福を表す多くの言葉は不要だろう。


「……俺、いいお父さんに恵まれたんだなぁ」


「うん? 何か言ったか?」


 元気が取り得のはずのガンマが、思わず漏らした真意は彼らしくなく小さな声。騒がしい中央市場の真ん中で、ぽつりと溢れた我が子の本音を聞き漏らしたのは、ヴィルヘイムにとって本当に勿体ないことだ。


「なんでもないっ」


 大好きなお父さんを振り向いて笑うガンマの表情は、晴天の太陽にも勝るほど輝かしかった。

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