第273話 ~運命賢者の総仕上げ~
晦日まであと二週間。年末前を迎えた大人達は、仕事納めに向けて忙しくなる時期であり、各国共通して年末祭を開催する予定もあるから、それへの準備も並列して行なわねばならない。年越しに向けての仕事のラストスパートというのは、働くようになった身には、年末恒例の風物詩みたいなもの。
誰もが一日一日を、自分の仕事で手一杯になるはずであろうこの時期、今年はそんな人々さえもが目を離せない、一大イベントが控えている。それは賢者エルアーティが魔法都市ダニームにて行なう、魔王軍との抗争を経て纏めた学説を発表する講演会だ。
そもそもエルアーティが公の舞台に立ち、自説を発表するという時は、自説にかなりの確信を抱いた時だ。なぜって彼女は、誤った知識をひけらかすことを嫌うからである。その上で、今までに誰にも辿り着けなかった魔法学の境地を解き明かし、自信を持って発表する時のエルアーティというのは、魔法使いや魔導士にとって見逃せないものだ。一度エルアーティが講演会を開くとなれば、会場は必ずアカデミーの中央ホールという最大の箱が選ばれ、入場希望者数は会場の収容人数をあっさり超えてしまう。
たかだか一人の賢者の講演会に入場するために、アカデミーから公式にチケットが売られるぐらいなのだ。がめつく聞こえるかもしれないが、そうして入場者数を絞らないと、入場希望者が多すぎてまともな講演会にならないのである。最前列でエルアーティの声を聞ける席なんて、そんじょそこらの一般市民の月給相当の高値でさばかれる始末。それでも買うという魔法使い達が後を絶たず、今回も普段と同じように、講演会開催が発表されてから1日経たず、チケットはあっさり完売した。かなりぎし詰めだが、収容人数3千人見込みの大会場のチケットが、そんなに早く売り切れるという時点で、いかに世間がエルアーティの講演会に価値を見出しているかがわかると言えよう。アカデミーも儲かって幸せだ。
特に今回は、今まで以上に注目度が高い。魔王軍との戦い、魔王アルケミスとの邂逅を経て、賢者エルアーティが見出した新たな真実とは何なのか。講演会当日の一週間前、エルアーティが発表した講演会のプログラムを見て、高いチケットを買った者達も、最高の買い物を出来たと安心しただろう。
1.蘇生魔法実現理論
2.魔界レフリコス誕生の歴史
3.鉱物の魂と意志
4.魔王学
5.魔界ラエルカン
知識欲深き魔法使い達には垂涎の並び。講演会の後でも広く発表されるであろう、エルアーティの論文だが、それを直接の言葉で耳にする価値を、知識の探求者達は見過ごすことが出来ない。
「蘇生魔法の理屈自体は、そう難しいものではないのよ。対象の霊魂を肉体に導き、その形を取り戻してから急速な治癒を促すだけ。筋に適ってるでしょ?」
「霊魂を肉体に戻す、という発想が欠けている限り、確かに決して成功しないのね」
講演会前夜、賢者ルーネの自室を訪れたエルアーティは、親友との夜話に明け暮れていた。話題は明日の講演会で述べる内容そのものであり、ルーネは一足早く、賢者エルアーティの新学説を聞く形になっている。本来、高いチケット代まで集めて開く講演会当日まで、その内容は秘密裏にされるべきであるはずの内容だが、ここ二人の関係においては特別だ。ルーネもエルアーティも、新学説を導き出す時の相談相手はお互いだし、講演会を開く前から相手が舞台上で語る内容なんてのは予想がついている。
命あるものを構成するのは、肉体、精神、霊魂の三つとされている。精神が望むことを肉体に伝達し、それを叶わせるのが霊魂という仕組みだ。
人の体は放っておいても、傷が治ったり病気が治ったりと、自己治癒能力を持っている。これも、霊魂学の言葉を借りて説明することが出来る。生物は、生存本能という潜在的な"精神"を持っているから、それを感応した"霊魂"が、"肉体"の修復や改善を行なっているということだ。死した肉体は霊魂を既に失っているから、いくら時間が経っても傷は塞がらず、肉体が腐っていく一方なのだ。生と死の境界の定義は、肉体に霊魂が宿っているかによって定められている。
治癒魔法というものも、そもそもは肉体が持つ自己治癒能力を促進させるためのものでしかないから、霊魂が宿らない死体に効果を為さないのは当たり前。だからと言って、霊魂なき肉体に、魔法使いが傷を塞ぐ魔法を施すのは理論的に不可能。だって、魔法というのは術者の精神に依存し、言い換えれば術者のイメージを具象化するためのものだ。想像で明確に補って、失われた人体の傷を塞ぐ新たな部分を創造し、パズルのように正しく埋めるなんてまず無理な話である。人体っていうのはそんな単純なものではない上、個人差もある。そんなことが出来る術者がいたら、そいつは命を作りだせる創造主にだってなれるだろう。
傷を癒したい対象がいる時、当人の体の構造を正しく知る、記憶している霊魂に頼らずして、それを成功させるのは無理がある。だから、蘇生魔法を実現させようとすれば、まず霊魂を蘇生させたい対象に取り戻させ、肉体を修復させたい霊魂を助けるための魔力を注ぎ込み、自己治癒能力を急速に促進するのが正しい手順である。理屈そのものは確かに、エルアーティの言うとおりシンプルだ。
「総じて言うなら、蘇生魔法に最も必要なものは何かしら」
「認識と、手腕と、幸運でしょう?」
「得てして学者は、その3つ目を認めたがらないものよね。確立しようとする学問には、成功の反復を求めるから」
蘇生魔法の実現は、長い歴史の中で実現してこなかったが、その要因は3つある。一つは、霊魂を肉体に再び宿すべきだという根本的な概念が、いよいよという時に重視されにくいこと。死に至った者をどうにかしようとしたその時、人はどうしてもその意識が、その者を死に至らしめた外傷や病を何とかすることに偏りがちだ。霊魂を肉体に戻すことが、すべてに優先される大前提であることを、まず揺るぎない事実であると"認識"していなくては、蘇生魔法を成功することが出来ない。正しい知識が必要だということである。
また、霊魂を肉体に戻したとしても、既に死に至るほどの傷や病を負った存在を、速やかに生存可能な状態に戻さねば、再び霊魂は死体から離れていってしまう。霊魂を肉体に留める力を保ちつつ、迅速な治癒を促す魔力を注がねば意味が無い。必要なのは、死に至るほどであった傷を塞がせるほどの膨大な魔力、それを素早く促進できるほどの魔力の供給、そして霊魂を肉体から離れさせない魔力を同時に操る綿密さ。蘇生魔法の実現に必要な"手腕"は、並の魔法使いでは気が遠くなるほどの境地である。
エルアーティにはその認識も手腕も足りていたから、蘇生魔法を実現させることが出来た。だが、長い歴史を洗えば、エルアーティに比肩する認識や手腕を持ち、蘇生魔法を試みた者もいたはず。その上で、蘇生魔法が一度として成功してこなかった最大の要因は、ルーネが挙げた3つめの要素が最も大きいのだろう。
「あの日、法騎士シリカという存在がそばにいてくれたことが、騎士ユーステットにとっての最大の幸運であったと言えるでしょうね。そうでなければ、彼の魂は既に輪廻へと飛び立っていたと見える」
「エルアに言わせれば、それも彼の運命力?」
「そうね。やっぱりあの子、運命に愛されてるわ」
肉体から離れた霊魂が、現世を離れて輪廻へ飛び立った後だったら、もう、どう足掻いても蘇生は不可能だ。蘇生魔法に一番必要なものである、対象の霊魂というものの行方が、人の手ではどうしようもない。あの日ユースの魂が、エルアーティが蘇生魔法を施すより先に、あの世に旅立ってしまっていたら、エルアーティにも為すすべがなかった。いかに認識と手腕が必要に足りていたとしても、霊魂が現世を離れずにいてくれたという"幸運"と両立されていなければ、蘇生魔法は成功させられない。ウルアグワのように、蘇生させたい対象の霊魂を、魔界に引き寄せ確保できる条件が確立されているなら、幸運は必要なく確実にその条件は満たせるが、それは特別な例だろう。
現世を離れかけていたユースの魂が、シリカのそばを離れていなかったのは、類稀なる僥倖だった。過去に蘇生魔法を叶えてこられなかった、魔法使いとして稀代の才人も、運にだけは恵まれてこなかったのだろう。認識と手腕を併せ持ち、同時に幸運に恵まれたエルアーティが、この時代にしてようやく蘇生魔法を成功させることが出来た、というのが、歴史の筋に語られるべき真実だと賢者は語る。
「ユース君の霊魂には、ちゃんと生前の精神も刻み付けられていたのかしら?」
「恐らくね。だって実際一度死に至ったはずの、魔将軍エルドルや魔王アルケミスは、死ぬ前の記憶がちゃんと残ったままで現世に蘇生を果たしている。蘇生後の彼らに記憶を残したものが何かと言えば、霊魂以外に確かな要素は無いわ」
実際のところ、ユースの霊魂は肉体に舞い戻ったのち、記憶するユースの肉体の形を取り戻すための治癒能力を形にした。肉体や霊魂とは別物と数えられている霊魂だが、それらの記憶を持った存在として独立した存在だと認識してよさそうだ。シリカと死に別れたくない想いの強かったユースの未練が、彼女の残った現世に魂を留まらせたのだとしても、霊魂の思想原理としてなにもおかしくはない。
「ユースの法騎士シリカが"好き"っていう感情は、魂にまで刻まれるほどの強い想いだったということだけど。果たしてそれってどっちの意味なのかしらねぇ」
「はいはい、あんまり詮索しないの。あなたには関係のないことでしょう?」
「関係あるわよ。確かな運命力を持つ彼が、女の運には恵まれているのかどうかの……」
「それは関係あるって言わない」
話を本筋に戻しなさい、と溜め息つくルーネに、エルアーティもくすくす笑うのみ。まあ、今は実際明日のことに意識を傾けるべき時間だし、話を横道に逸らすのは少しでいいだろう。
「アルにも直接話を聞いて、いくつかわかったこともある。霊魂は、生前の記憶を持ったままでいるというのも新事実として理解できたし、魔王となったあの子から、魔界誕生の経緯を聞くこともできたわ」
「パエル=アトイン=ユーマ氏のこと?」
「行方知れずのまま歴史から消えていった、魔法都市ダニームの古き罪人の名が、こんな所で現れるなんて瓢箪から駒よ。私も正直驚いたわ」
明日の講演会で話す内容の第2項、魔界レフリコス誕生の歴史を語る際、パエルの名を聞いた魔法都市ダニームの人々はどんな顔をするだろう。きっと、みんなびっくりする。今からそれを想像しただけで、先んじた知識を得た者は、語る日が楽しみな気分になるものだ。
「因果なものよね。魔王マーディス誕生のきっかけになったダニームの魔法使いパエル、凍てついた風カティロスという魔に染まったエレムの法騎士スズ、百獣皇アーヴェルに組したルオスのライフェン=マイン=サルファード。歴史を掘り返せば、どこの国にも裏切り者がいるんだから」
「あの、エルア? まさかあなた、明日の講演会でその辺りも……」
「言うに決まってるじゃない。アルだけを悪者になんかさせるもんですか」
真っ黒な皮肉のこもった、各国に対する糾弾にも等しい口を、エルアーティは多くの聴衆の前で語る心算を、今から既に固めている。それは決して各国の管理体制を責める意図ではなく、魔王アルケミスの誕生という事実の表面上から、アルケミスを裏切り者だとする風潮が、エルアーティは面白くないからだ。
「アルは新たなる英知を獲得するため、やがて討伐される魔王という存在へと鬼門をくぐって成った。そうして得た知識を知己である私に残し、人類の誰も到達できなかった新たな智を、人類に刻もうとした想いをはっきり形にしてくれた。あの子のそうした想いを知ろうともせず、智の探求者であるはずの学者達が、悪に堕ちただけの元人間だとアルを罵ることなど、私には容認できるものではないわ」
エルアーティだって、魔王となったアルケミスの行動が、人類にとっての敵対行動であったということぐらいわかっている。だが、アルケミスの本当の目的は、魔王となって新たな智を獲得し、それを人類に残すことであったのだとも、エルアーティは知っている。実際に、魔王の魂に蝕まれ、支配されかけた状態であっても、それを遂行してくれたのだ。世界で唯一、彼の真意を知る身として、エルアーティが言わねば誰が言うのか。敵を作りかねないような話をしてでも、愛した弟子の志を強く語ろうとするエルアーティの熱き魂は、冷徹な瞳を浮かべることの多い彼女からは、なかなか表面化しない彼女の一面だ。
「エルアがアルケミス氏から聞いた魔界誕生の経緯、未練ある魂集わせし場所が魔界ということからも、霊魂には生前の記憶が刻まれていることが示唆されている。ユース君の魂が、シリカ様のそばに留まったことも、彼の生前の記憶によるものと別角度から説明できそうね」
「アルから聞けた話はそれだけじゃないわよ。金術の超越者となったアルは、鉱物を含むあらゆるものの意志を耳にする力を持つ。それを通じ、鉱物にも意志や魂があることを、彼ははっきりと証言してくれたわ」
「……蛍懐石とか?」
「そう、それよ。すぐにそれを閃くあたりが流石あなただわ」
蛍懐石という、コズニック山脈の各地で見られる、淡い光を放つ鉱石がある。自ら光を放つその鉱物は、まるで魔法を常に唱え続けているかのようだが、魔法学において魔法を行使するためには、精神と霊魂がなければ不可能だ。無生物が魔法を唱えることなんかないし、それでは無生物ではない蛍懐石というのは、魔法でないどんな力で光を放っているのかと、長き魔法学の疑問として取り扱われていた。
明日の講義の第3項、鉱物の魂と意志というチャプターで、エルアーティが語るのはまさにこれ。魔王となったアルケミスは、蛍懐石とさえも意志の疎通が出来たと、本人から証言が取れている。蛍懐石とは、闇深き山中で命果てていった命達の、闇を恐れる精神を刻んだ魂の宿った鉱石であり、だから延々と光を放ち、暗い山中を照らし続ける存在なのだと。蛍懐石には確かに霊魂が宿っており、その霊魂に刻まれた精神が確かに宿っているという事実は、魔王となって鉱物並びに金術の支配者となったアルケミスにしか、真実であるとはっきりと確信することが出来ない。アルケミスとの最後の対話により、エルアーティが掴んだ新事実はこんな所にもある。
アルケミスが意志を疎通できた鉱物とは、支配下にあったコズニック山脈のものだけに限られていたようだが、それでも無生物として認識されていた鉱物、石、大地にも、霊魂や精神が宿っていたという新事実は確かである。思えば地の声を聞き、遠き地で起こっていることも耳に出来るという獄獣ディルエラの力も、それに似たものだったのだろうかとも思えてくる。一つの確定した新事実があれば、学者は新たなる道を一気に切り拓いていける。
「魔王とは、つくづく私達の想像を超えた存在であったと思うわ。高き実力や魔力はさておき、私達人間には出来ないことを、当たり前のようにやってのける能力を備えている。大精霊バーダントと同じよね」
「やっぱりあなた、その仮説を捨ててはいなかったのね」
「そりゃそうよ。魔王と精霊、何が違うの? どちらも大いなる自らの世界の支配者であり、卓越した力を持つ絶対的存在。マーディスとバーダントの違いなんてのは、人類の敵であるか味方であるか、その程度でしょ」
大森林アルボルの精霊として、人類の一部にとっては信仰対象ですらあるバーダント。その昔、エルアーティがバーダントを魔王と形容した時には、相当な物議を醸したものである。大森林アルボルとバーダントを信仰する、ルオスを拠点とする緑の教団とは、今でもエルアーティは仲が悪い。だが、エルアーティとてわざわざ争いたくて、そんな自説をぶち上げたわけではない。魔王学として提唱したその学説には、その向こう数百年の未来を見据えた理念がある。
「人と敵対する巨大なる存在は魔王、人と仲良くしてくれる偉大な存在は精霊、そうして呼び分けているだけでしょう。私に言わせればマーディスもバーダントも、レフリコスやアルボルという我が世界を統制する、超越者として何ら違いは無いわ」
「まあ、そうやって新しい言葉を使って括ってくれる程度には、エルアも妥協してくれているんだろうけど……」
「ああ、そうそう。あなた魔界レフリコスに法騎士シリカを送り出す時、バーダントにシリカの助力をするよう口添えしたそうね。今回は悪い方向に転ばなかったけど、ああいうの本当に推奨しないから」
「わ、わかってるわよぅ……でも、エルアもいなくなっちゃって、あの時は……」
魔王アルケミスの誕生、さらにはその討伐が急がれるという中、バーダントの力を借りようと提案したルーネは、エルアーティの思想ではそれを駄目とすることも知って、決断に踏み切った。事情はもちろん加味するが、エルアーティにとってそれは良い決断ではない。
「今は人類に好意的なバーダントだけど、いたずらに恩を買い過ぎると大変よ。万に一つでもあれが人類の敵に回ったら、それは精霊が魔王に変わる時。決して深く関わり過ぎないよう、向こうの領分を侵さぬまま、人の未来は人の手で切り拓いていく。そういうスタンスが大事なんだから」
精霊も、人類に味方しない形になろうものなら、魔王と変わらぬと主張するエルアーティは、精霊に恩を作ることは危険なことだと常に提唱し続けてきた。エレムも、ルオスも、ダニームも、自分達の力で人類の未来を切り拓いていく力があると、信じている裏づけだ。それが出来るのに安易に大精霊を頼ることは、長き目で見て悪い結果を招き得ると、エルアーティは危惧している。
今回はそういう結果にならなかったが、人類と共に行動する中で、大精霊バーダントが人類を見限って、これは自分が協力するに値しない存在だと心変わりしてもまずいのだ。人間って言うのは、良い奴らもいれば悪い奴もいる。法騎士スズを魔物達に差し出した、高騎士ジーンやその取り巻き。利得のために教団の立場をかさにきて、裏で百獣皇アーヴェルと繋がっていたライフェン。バーダントはある程度、人類の黒い所も知っていてなお付き合ってくれているようだが、下手に精霊との接点を増やして、見限られ得る要素を晒すのはかえって危険なことだと、エルアーティは考えている。そこまで不特定多数の人類すべてを手放しで信頼できるほど、人間は綺麗なものばかりではない。
「バーダントが今の時代、ああいう姿形でいてくれてる時点で、人類に好かれる対象でいたいと思ってくれているのは確かだけど、過信は禁物よ。警戒すべきだとまで言える段階ではない一方、魔王に匹敵する力を持つ存在であるのは確かで、敵に回すようなことがあってはならないと、明日は改めて提唱してくるわ」
「あはは……そういえばバーダント様、相変わらずお綺麗だったなぁ。私でも、ちょっと胸がときめいてしまうぐらいに」
「究極的プロポーションよねぇ。あいつ、本当よく研究してると思うわ」
古き史書によると、数百年前の大精霊バーダントというのは、今のような刺激的な姿ではなかったらしい。萌黄色のドレスに身を包み、絹のような羽衣を身に纏う、森に降り立った聖女のような姿だった時代もあると、歴史上では語られている。それが今ではあんな、出てくびれて出ての美しい体の曲線美、さらには自信満々にその体を晒す、露出の多いお姿である。なんでそう変わったかっていうと、その方が人間に対して受けがいいからである。
そもそもバーダントの本体は、魔界アルボルの中心にそびえる聖樹ユグドラシルであり、精霊としての姿に定義された形は無い。その時その時代に応じ、精霊としての形を変えることは出来るのだ。極論、人ではなく、動物の姿を顕現することも出来るだろう。そんなバーダントが、今はああいう姿形をとって人前に姿を表すのは、ああいう格好の方が男達が喜ぶからっていう。しかも人類の美意識を細やかに研究して、自分を目にした相手が女性であっても、魅了し得るほどの美貌をしっかり作っているのだ。そういう姿を作って人類の目を保養し、ご機嫌取りをしてくれる程度には、昨今のバーダントは人類に好意的であると言っていい。
「その気になれば綿の雨を降らし、街一つ滅ぼすのも簡単な存在なんだからね。大いなる力を持つ味方だと認識するのが正しいうちはいいけど、同時に畏怖の念も持つべきだというのを忘れている連中が多すぎる。明日の魔王学では、きっちりその辺も説明してあげるつもりよ」
また親友が緑の教団と揉めるんだろうなと、ルーネも溜め息が耐えられない。確固たる意志を携え、明日を迎えようという親友の姿を見送る身も大変だ。
「……たださ、エルア」
「ん?」
「魔界ラエルカンって、何? 私もこれは全然想像つかないんだけど」
「今聞きたい?」
「……うん」
どこから辿り着いたのかもわからない、エルアーティが立ち上げた新理論。故郷の名におぞましい冠をつけられたルーネも落ち着かない。くすくすと笑って、溜めるようになかなか本質を語ろうとしないエルアーティの意地悪に、ルーネの胸がじりじりと汗をかく。
「どうしようかな~。明日のお楽しみでもいいんじゃない?」
「あの、お願い、エルア。私にとっては、冗談じゃ済まないのよ」
明日の講演会まで秘匿されているべき話を、乞うように問うルーネの表情が、エルアーティにとってはぞくぞくする。ひどい親友もあったものだ。やれやれ仕方ないわね、と肩をすくめるエルアーティは、不安げなルーネを目の前に、一日早く新学説を公開し始める。
「私、ラエルカンにも魔界があることを確認してきたわ。入れたもの」
「……まさか、あなたの魔法って」
「そう、運命超過。殆ど全くの偶然に近いものだったけど、そんな形であの魔法は、私を死の危機から救ってくれたわ」
完全に、死の運命を避けられぬ状況であった、魔王アルケミスと対峙したラエルカン上空のエルアーティ。その運命を超え、自らに生存への道あるならそれを示せと、全魔力を注ぎ込んだ大魔法は、エルアーティ自身も想像できない結果を導いた。頭の片隅にあった、アルケミスの終末の光から逃れるにはこことは違う世界にでも行くしか方法がない、というイメージが、本当に実現してしまったのだ。
「……どうなったの?」
「面白かったわよ。ラエルカンには魔界が確かにあった。不完全な世界であり、私は魂だけの存在になり、まるまる数週間そこから脱出できなくなったけどね」
歩ける現世や、魔界レフリコスやアルボルのように完成された魔界ではなく、あまりに不完全で、世と同じ摂理すら確立されていない魔界。エルアーティは肉体を失い、霊魂だけの存在となり、しかし必至で意識と記憶を保ち、上も下も前後も、時の流れもわからない魔界ラエルカンを漂っていたという。とても耳にして、どんな世界であったのかを想像できるものではない。エルアーティですら、不安定で壊れかけたようなあの世界を、歪んだ異次元という言葉以外では説明できないのだ。
「ただ、ラエルカンの地に確かに存在したその魔界、漂う他の魂から感じた想いは感じられた」
「……それは、何?」
「愛国心」
魔界レフリコスは、支配への未練抱きし魂の集まる場所。魔界アルボルは、かつて滅ぼされた大森林の生存欲強き魂の集まる場所。そしてラエルカンに存在した"魔界"には、愛国心を抱きつつ果てていった、ラエルカンの民の魂がいくつも集っていたとエルアーティは言う。
「正直、その本質を語るにはあまりにも情報が少なく、魔界ラエルカンを紐解くことは出来そうにないわ。ただ、私が確信していることは二つある。ラエルカンには魔界があること、そこには愛国心に満ちた魂が今でもさまよっていること。……私をその世界に導いてくれたのも、貴女だったように思えるわ」
「わ、私……?」
「ええ。だって私が魔界ラエルカンの門を開いて侵入できたということは、不完全であったはずの魔界が、私のことを受け入れてくれたということだもの。石碑のことが脳裏に浮かんだわ」
かつて一度滅びたラエルカンを復興させた際、ルーネの提案に乗り、ラエルカンに平和を祈る石碑を提供したエルアーティ。"エルアの石碑"と呼ばれて愛された、ラエルカンの安寧を祈る大きな石碑の存在、それこそが愛国心に満ちた魔界が、エルアーティを迎え入れてくれた要因だった。そう、エルアーティは語っている。
「あなたが愛する故郷を、私は心から愛しようとする心を持つことが出来た。それがあの日、計らずして、私を救う異世界への門を開いたと私は確信している。私を救ってくれたのは、間違いなくあなただったのよ」
「そ、そんなの……わ、私そんな……」
「あぁ、ルーネ愛してるわ。私、あなたのことが大好き」
ルーネに近付き、両手を彼女の首の後ろに巻き付けて抱きしめると、エルアーティはルーネの首元に頬をすり寄せる。思わぬ形で熱く礼を述べられ、ルーネも戸惑いと照れに困惑し、顔を赤くするばかりだ。
「まあ気になるのは、あの魔界には魔王か精霊に相当する、超越者たる者がいないのかって話だけど」
ルーネからは見えない角度で、軽い言葉で先のことを口にするエルアーティ。だが、顔を真っ赤にしたままのルーネでも、今エルアーティが妖しく瞳を光らせていることは、何となく感ずることが出来た。
「それって案外、あなただったりするのかしら?」
耳元でとんでもないことを言い出す親友に、ルーネはぞわりとして離れようとする。エルアーティの両肩を掴み、ばっと彼女の体を押し離し、自分の前に持ってくる。
「世界で一番、ラエルカンの地を愛し、時を経ても姿を変えることのないあなた。他の誰にも比肩できない、圧倒的な力を持つあなた。以外に魔界ラエルカンが生み出した、魔界の主たる存在とは……」
「じょ、冗談やめて? 私が、人間じゃないなんて言うの?」
引きつった笑顔で冷や汗をだらだら流し、気が気でない想いを隠し切れないルーネ。頭の回転が速い彼女であるから、仮説に行き当たる節はいくつも思い当たるのだ。老いない自らの体だけでも充分な仮説要素だし、魔界ラエルカンに集う魂がそうだと言うなら、ラエルカンを愛する想いと切り離せない自らの性根すら、まさかという仮説の肯定要素になる。
60年近く、自分は人類の一人として大悪に立ち向かってきたルーネにとって、今さらそんな仮説は胸が落ち着かなくなる。まして魔界に生み出された自分ともなれば、魔王か精霊だと言われているようなものだ。冗談でそう言われるなら笑って流せるが、唱える相手がエルアーティでは、信憑性が洒落になっていない。
「冗談ではないんだけど」
「ね、ね、お願い……そんなこと言わないで……」
作り笑いも崩れかけ、不安いっぱいになってきたルーネの顔を見て、エルアーティも流石にふぅと息をつく。いじめ過ぎても何だから、すぐに安心させてあげるつもりだったけど、思った以上にこの仮説は、ルーネにとって重すぎたようだ。
「うふふ、ごめんごめん。やっぱり困った顔のあなたが、一番可愛くて遊び甲斐があるわ」
「え、エルアぁ……もう、そういうのは……」
「私を御覧なさいよ。私もあなたと同じで、歳月重ねようと幼いままよ? あなたが魔界の落とし子なら、私だってそうだっていうの? 正真正銘、私も人間なのよ」
いたずらに笑って肩をすくめるエルアーティから手を離し、はぁ~っと深い息をつくルーネ。冗談にしたってあまりにも性質の悪いものだ。還暦手前で、あなたは魔王か何かだと、真に迫って突きつけられるなんて気持ちのいいものではない。
「もっとも、ルーネ。今の仮説は冗談でも何でもないんだけど」
「ちょ、ちょっと……」
「たとえあなたが何であっても、私はあなたを愛せる自信がある。あなたが胸を張って生きていくにあたり、愛してくれる誰かがそばにいてくれることは、それでは不足かしら?」
戸惑いかけたルーネの腰の後ろに左手を回し、右手をルーネの頭の後ろに添えたエルアーティは、ぐいっと胸でルーネの上半身を押し倒す。その場で腰砕けに両膝立ちにさせられたルーネを、正面から抱える形でエルアーティが、至近距離で見下ろしている形になる。
「私には、あなたがいればいい。あなたが私に、同じことを考えてくれていなくてもいい。どんな現実にあなたが直面し、あなたが苦しむことがあっても、あなたを救うための私でい続ける。私があなたに対して抱く愛は、あなたが私に対して思っているほど、軽いものじゃなくってよ」
思わず息を呑むほどに、見上げた間近のエルアーティの眼差しは透き通り、その想いに嘘などないことがよくわかる。ルーネに何を求めるでもなく、自らの身と心を親友に捧げられれば全てが満足。そんな親友の想いを真っ向からぶつけられては、ルーネもまばたきひとつ挟めない。
「問うわよ、ルーネ。あなたにとって、自分が何であるかっていうのは、そんなに重要なこと?」
自分が何であったとしても、この親友は裏切らない。ずっとそばにいてくれる。それをここまでまざまざ見せ付けられたら、ルーネの心に抱く答えは一つしかない。それは、人は一人では生きられない、だけど信じる誰かがそばにいてくれる限り、どこまでも強く生きられると信念を持つルーネにとって、心から嘘ではないと訴えられる回答だ。
「……大事じゃ、ないわ」
「よろしい」
ぱっとルーネの体を手放したエルアーティのせいで、膝立ちのまま体を後ろに傾けていたルーネは、あわあわ後ろに尻餅をつく。立って見下ろし、くすくす笑っている親友を見上げ、もぉ、とルーネも頬を膨らませる。
「流石に明日の講演会では、こんなことまで話さないわ。仮説にまみれて真ともわからぬことを、学会で発表するのは私は好きじゃないから」
「あはは……それは本当、やめておいて欲しいな」
「当たり前じゃないの。私があなたを泣かせるようなことするわけないじゃない」
魔王討伐の末の凱旋、あれだけ意地悪まみれの帰郷を果たしたくせに、よくそんなことを言うものだ。露骨に嘘丸出し、だったらこれは冗談なんだろうと考えてよし。立ち上がり、どの口がそれを言うのよと、エルアーティの額を指先でぴんと弾くルーネも、表情は朗らかに笑っている。
「明日の講演会は楽しみにしてなさい。周りの連中の、驚く顔が目に浮かぶわ」
「ええ。あなたの力強い語り口、久しぶりに見られるのが楽しみだわ」
幼い姿の賢者が、無邪気な笑顔を交換する。親友の晴れ舞台を心待ちにするルーネ、自らを見届けてくれる親友の前、辿り着いた真実を公開できる楽しみを想うエルアーティ。やっぱり、講演会の前日はこうして親友と語らうに限る。人前で長話をする仕事は、日が近付くに連れめんどくささを想い、やる気がどんどん削がれていくものだが、ルーネと一晩語っただけで、こんなに明日が楽しみになってくる。
この後二人で夜のアカデミーの浴室に向かい、背中を流し合うぐらいには仲がいいのだ。明日が楽しみ。子供のように笑い合い、それぞれの床に向かう二人の想いは、面白いぐらい一致して共通するものだった。
翌日、アカデミーの中央ホールで行なわれた、モチベーションいっぱいのエルアーティによる講演会。波紋を呼び得る内容を含む弁舌で、ざわめく聴衆をも圧倒するエルアーティの論説は、改めて賢者の存在感を人々に知らしめたものだっただろう。見た目には幼子にしか見えぬエルアーティが、講演会の舞台を去る時に、大の大人達が惜しみない拍手で見送ったことからも、その貫禄は証明されたようなものだろう。
魔王となった愛弟子アルケミスが残した、人類への智という名の遺産。彼の行動の是非は、きっと広き世に肯定されるものではないだろう。しかし、彼が遺した最大の遺産を受け継ぐ者は確かにいる。それによって報われる魂とは、綺麗ごとではなく一つではないはずだ。
長き魔王との戦いの終わり、それによって得られた英知を知らしめる、賢者の最後の総仕上げ。やり遂げたその時、彼女の胸につかえていた何かが、温かい誰かの魂の手で溶かされていったような気がした。きっとそれは気のせいなんかじゃないと、エルアーティは静かに確信している。




