第27話 ~タイリップ山地⑥ タイリップ野盗団壊滅の日~
「くそ……! あの野郎、どこにいやがる……!」
沼地に辿り着いたラルガーブは焦っていた。自らが最も強く求める、この山道に潜む魔物達の長、最強の魔物の姿が見当たらない。かの者の背後に隠れることさえ出来れば、自分の安全は100パーセント保証される見込みがあるのに。
その背後から2発の銃弾が迫り来る。自らを正確に狙うその銃弾を、横に跳んで回避したラルガーブは、ふと遠方に見えた巨大な影に向かって方向転換して走り寄る。あれが求めていた相手かどうかは定かではないが、追手を撒く駒としては使えるかもしれない。
森を抜け、沼地に辿り着いたキャルとアルミナは遠方で駆けるラルガーブに目線を定めた。それとほぼ同時に草陰で、ここに来た敵を狙撃してやろうと銃を構えていた野盗が、いよいよだと殺気をその指先に込める。
銃弾が放たれるより早くにキャルがその存在に気付いたその直後、樹上からその野盗に襲いかかる一つのシルエット。ふとその野盗がそれに勘付いて顔を上げたその瞬間、舞い降りた人影の握ったナイフが、勢いよく野盗の鎖骨から胴元までを深く切り裂いた。
悲鳴をあげた野盗の胸倉を掴み、そばの沼地に放り投げたのはマグニスだ。野盗の命を奪っても何とも思わないような顔でそれを暗い沼につき落とした冷酷な姿に、遠方からその野盗を稲妻で撃ち抜こうとしていたチータも、今日まで彼に抱いていた軽い印象を改める。
「追いかけろ! アルミナ、キャル、チータ!」
危機を切り抜けたユース達を見届けたマグニスは、ほぼ同時に周囲を取り巻く魔物達を殲滅し、先行したアルミナ達の助けになるべくここまで来ていた。あまりに頼もしい速さで駆け付けたマグニスは、叫んだのち振り返りざまに、ある一方に向けてナイフを投げつける。その先には草陰に潜むもう一人の野盗がいて、その眉間をナイフが貫き、また一つの命がこの沼地から消えていく。
ラルガーブは、遠方に見定めた巨大な影に近付いて、その正体をオーガだと視認すると、少し距離をおきながら影を追い抜いてその後方へ逃れていく。やがて結果的に、オーガを挟んで、ラルガーブとアルミナ達が立ち位置を一直線上に置く形となった。
オーガはラルガーブを一度視野に入れはしたものの、すぐに彼から目を切って、ラルガーブを追うアルミナ達を睨みつける。沼地を取り巻く魔物達はその親玉の指示に従って、野盗達に手を出さぬよう指示されているのだろう。そうでなければこの動きはあり得ない。
「開門、落雷魔法」
オーガを盾に身を隠すラルガーブに舌打ちしながらも、地上に降り立ち前進するチータは詠唱に移る。直後オーガの頭上から落ちた稲妻がその肉体を貫き、大柄なオーガが呻いて体を傾かせる。しかしミノタウロス達と同じくタフネスが自慢のオーガは、その一撃を致命傷とはせず、怒りに満ちた目でアルミナ達の方に襲いかかってくる。
アルミナとキャルが銃と弓を構えた瞬間、すでに次の詠唱に移っていたチータの口元が動く。
「開門、岩石魔法」
突如地面から突き出した岩石の槍が、オーガの顎元を正確に突き上げた。不意を突くその一撃にオーガがのけ反った次の瞬間には、魔力を操るチータによって岩石の槍は砕けて崩れ落ちる。
目の前にいるのは、体をのけ反らせて動きを止めている一匹のオーガ。射手の二人にとって、これほど打ち損じがたい的はそうそう無い。アルミナの銃から放たれた三発の銃弾がオーガの胸元に2発、喉元に1発着弾する。直後キャルの放った矢が、オーガの脳天を貫いて、頭を前に引いて体勢を整えかけていたオーガが再び後方にぐらりと体を傾ける。
「開門、火球魔法」
自らの頭二つぶんほどの大きさを持つ火球を生じさせたチータが、それをオーガに向かって発射する。既に致命的な攻撃を受けて意識朦朧だったオーガは顔面にそれを受け、そこから全身に燃え移る炎に身を焦がされた末、やがて倒れて動かなくなった。
この光景に誰よりも戦慄を覚えたのがラルガーブだ。あの巨大な体躯を持つオーガが、たいした時間稼ぎすら出来ないままに葬られた事実に強いショックを受けた野盗団の頭領は、本当に僅かな時間ではあったが茫然としてしまう。
そしてオーガを討伐した事実に、達成感を覚えるいとまもない射手。遠方の野盗が隙を見せたことを素早く未届け、即座にその手に握る武器をかざしてラルガーブを撃ち抜く者がいた。
「ぐが……!?」
キャルの放った一本の矢が、ラルガーブの膝を正確に撃ち抜いた。風を切って駆け抜けた鋭い矢は、膝を守る固い骨を貫き、突き刺さって止まった瞬間に全エネルギーを解放して、ラルガーブの足を内部からズタズタにする。
逃亡者にとって明らかに致命的な一撃に、ラルガーブは痛みと憎しみ二つの意味で歯ぎしりする。やがて彼のもとに近付いてくる三人の騎士団傭兵を近くに見据えるも、後ずさることしか出来ないラルガーブの目には、やや絶望の色が濃く表れていた。
「ま、待て! 降伏する! 撃たないでくれ!」
ラルガーブからの声を受け、アルミナ達が足を止める。情けをかける必要がある相手とは思えずとも、無抵抗を唱えた人間を即座に打ち抜く決断が出来るほど、アルミナもキャルも非情に徹しきれたものではない。
「俺はこの野盗団の頭領だ……! この野盗団も今日を以って解散する! だから……」
「……武器を捨てて」
キャルのその言葉を受けたラルガーブは、慌てて手に握っていた猟銃を投げ捨てる。態度から見ても、逆転を狙うしたたかな姿勢が見えるとは思えない。
それでも。
「開門、落雷魔法」
チータは躊躇いなく、ラルガーブの頭上に稲妻を叩き落とした。野盗団の頭領を名乗る男は短い悲鳴をあげ、その稲光がやむ頃には、身に纏う服を黒焦げにして倒れたラルガーブの姿だけがあった。
「チータ……」
「……加減はしたつもりだ。命までは奪っていない」
一見変わらぬチータの姿を見て、アルミナが不安そうな目でチータを一瞥した後、キャルを見る。新しく第14小隊に加わった仲間の姿勢が、臆病なキャルの目にどう映ったかが不安だったからだ。
そんなアルミナの視線から、彼女の真意に近いものを感じ取ったキャルは、チータの方を向く。
「……私達を守ろうとしてくれたんだよね。ありがとう」
裏表なく自身の真意を言い当ててくれたキャルに対し、無表情のままにしてチータはほんの少し眉を動かした。正直言って、この小隊で最も年下であり幼いと見ていたキャルが、こうした見方を以って自分の行動を捉えてくれるとは、あまり予想していなかったからだ。
「別に、お礼を言われるようなことじゃない」
「……うん。仲間だもんね」
二人の様子を見てほっとしたアルミナは、倒れて動かなくなったラルガーブに歩み寄る。腰元に持っていた縄で彼の手を拘束し、可能な限り王都まで連行するためだ。魔物達の襲撃などによって、それを叶えられなくなる可能性はあっても、野盗団の頭と名乗る者をそうすることによって、ひとつの一件落着を迎えられるのは事実だから。
アルミナが縄を伸ばし、ラルガーブのそばで腰を下げる。その時、遠方からそれを見ていたキャルの目に、倒れて意識を失ったと見ていたラルガーブの指先が、僅かに動く様が映った。
「アルミナ……!」
思わずキャルが叫んだその瞬間のことだ。がばりと勢いよく上体を跳ね起こしたラルガーブが、同時に右手で腰元のナイフを抜き、アルミナに襲いかかった。その左手がアルミナの喉元を捉え、彼女を勢いよく地面に叩きつける。
ぎらりとした目で、離れた位置のキャルとチータを睨みつけるラルガーブ。即座に弓を構えようとしたキャルの手は、ラルガーブがアルミナを引き起こしてその首に左腕を巻きつけ、彼女の喉元にナイフを突き付けて見せた姿によって止められる。言葉はなくとも、妙な動きをすれば手中のアルミナの命を奪ってみせるという、ラルガーブの最後の主張だ。
「そこの魔導士のガキも動くなよ……!」
立ち上がったラルガーブは、先の痛みと首を絞められた苦しさで涙目になっているアルミナを抱きかかえたまま、ゆっくりと足を引きずって後ずさる。詠唱がなくとも魔法を使うことの出来るチータといえども、一撃であの無法者を仕留められる確信が得られない限り、手が出せない。ラルガーブに傷を負わせた上でとどめを刺せなかったら、次の瞬間にはアルミナがどうなっているかわからないからだ。
「下衆め……」
チータは聞こえぬほどの小さな声で呟き、敵に気付かれぬよう体内で魔力を高める。その目には強い侮蔑の感情がこもっていたものの、裏の人間として生きてきたラルガーブにとっては見慣れた類の目であり、本来感情を表情に現さぬチータの性格を知らない以上、気にも留めなかった。
ようやく希望が見えたと感じたラルガーブが、見ていて気分の悪くなるような浅ましい笑顔を浮かべる。その下で、苦しみにぎゅっと目を閉じていたアルミナが歯を食いしばったまま、片目を開いてキャルの方に目線を送った。
目が合ったキャルは、その目線が明らかに何かを意図していることを感じ取る。その真意がいかに危険であるものかを悟ったキャルが一瞬戸惑うものの、アルミナの行動は早かった。
「っが……!?」
自らの首に巻き付いたラルガーブの腕に噛みついたアルミナが、安堵しかけていたラルガーブにまさしく不意打ちの痛みを与える。一瞬自分を押さえつけていた腕に力が抜けたことを感じると、少女の細腕なりに渾身の力をこめてその腕を広げさせ、自らを捕える腕から抜け出した。
「てめえ……!」
そのままラルガーブから離れようとしたアルミナの髪をラルガーブが掴む。引き止められたアルミナは、後方から自らの背中目がけて振り下ろされるナイフを見ずとも悟り、覚悟を決めてぐっとその目を閉じる。
次の瞬間、一閃の矢がラルガーブの右手に握られたナイフに直撃し、はじいて地面に転がした。一瞬戸惑ったラルガーブだが、その直後には二発目の矢が、ラルガーブの耳を貫いて駆け抜ける。焼けるような痛みと、頬を鋭く撫ぜた風の動きに、殺気立っていたラルガーブの全身の血が冷えきった。
ラルガーブが顔を上げると、目の前にいたのは三本目の矢を構えた少女。アルミナに殺意を向けて動乱のさなかにいた自分の武器を寸分違いなく撃ち落とし、次には耳を的確にかすめる矢を放った射手の目が、今は恐ろしく冷たい怒りに満ちている。その目に宿る強烈な意志が物語るのは、先ほど自分がアルミナの生殺与奪を一瞬握ったのと同じように、弓を構えたあの少女が自らの命運を今握っているという事実。
次は当てる。キャルの構えた弓の先で光る矢が語る明確な主張が、ラルガーブの背筋を凍らせた。
キャルの目と矢に気押されたラルガーブは、アルミナの髪を掴んでいた手を離し、一歩アルミナから離れた。もうこれ以上は妙な動きはしないという、完全に心の折れた降伏姿勢だった。
「開門、雷撃錐」
誰が今の彼に情けなどかけようものかと、チータは行動に示した。三つの稲妻が同時にラルガーブに襲いかかり、見るからにさきほどの稲妻の威力を遙かに超える高圧の電撃が、ラルガーブに大きな悲鳴をあげさせてバチバチと光り輝く。悲鳴が聞こえてもチータは魔力の解放を止めず、電撃の地獄の渦中にしばらくラルガーブが置き去りにされる。近い場所にいたアルミナは、飛んでくる火花でちくちく肌を焼かれ、さっきまでとは違う意味で慌ててラルガーブから離れる。
光がやんだ頃には、倒れて動かなくなったどころか、痙攣して口から泡を吹くラルガーブの姿が地面に転がっていた。ここまで無残にやられていながらも命は無事だと言う意味では、ある種チータの魔法威力の調整が利いている証明でもあるが、容赦がないのは相変わらずである。
満身創痍で見るからに痛々しいラルガーブだったが、それを見て気の毒に思うほどアルミナもお人よしではなかった。危うく命を奪われる寸前だったのだ。これ以上彼に対して何か報復をしようとまでは思わないまでも、そそくさと縄でラルガーブの両手足を縛り、ついでに余った縄で怒りをこめて、猿ぐつわのようにその口を塞いでやった。
「おーい、終わったか?」
後方からアルミナ達を追う者の声。振り返った三人の目に映ったのはひと汗かいた後のマグニスで、仕事が終わってもう帰れると言わんばかりの爽やかな表情をしている。
「こいつ、野盗団の頭だって言ってたけどどうする? 連行する?」
「あー、そう。そんじゃ俺が途中まで担いでいくよ。途中で旦那に会ったら預けるけど」
アルミナに成り行きを聞いたマグニスはラルガーブに近付いて、それをひょいと担ぎ上げる。そのままどこに向かうのかと思えば、マグニスは踵を返して沼から去る方向に向けて歩きだす。
「……撤退するんですか?」
「ああ、シリカからそう伝令を受け取ってる」
さあ帰ろうかと言わんばかりに退路を進むマグニスに、チータが怪訝な表情で尋ねた。息をするように嘘をついて、マグニスは三人を帰路へ向かわせようとする。
チータがそれについて行こうとし、キャルも首をかしげながらも後に倣う。ただ一人アルミナが、不審な表情を浮かべたまま歩こうとしない。
「どうした? シリカの命令だ、撤退……」
「……マグニスさん、信じていいんですか?」
アルミナにはほぼ確信できていた。マグニスは自分が正しいと思える道を拓くためなら、平然と嘘をつける男で、今その二枚舌を動かしていることを直感的にアルミナが察知する。
マグニスは勘の鋭い少女を見やり、参ったなとばかりに頭をかく。口八丁を見抜かれたことを半ば露骨に白状するその姿を晒しつつ、マグニスは次の言葉を即席で作って述べる。
「シリカなら、間違いなくそうしている。信じられないか?」
ほんの少し物憂げな目を見せたマグニスの表情が、感情を露にしたのか作られた顔なのかは、ここの誰にも読みきれない。唯一わかるのは、そのどちらだとしても、マグニスがシリカの名を騙ってまで撤退を唱えたことに、マグニス自身が何かの強い意味を感じている事実ぐらいだ。
アルミナは自分に最も近しい場所に暮らす詐欺師の言葉を、鵜呑みにはしない心がけを強く持っている。だが、その一方で彼に対する別の視点から持つ信頼から、マグニスの言葉に従い撤退の動きに向けて歩きだす。キャルやチータも、アルミナが考えた末に出した答えを信じることを選び、沼地を去る方向に歩みだした。
野盗達の罠と銃による狙撃。魔物達による襲撃。ミノタウロスによる惨殺劇。シリカ率いる大隊の死傷者の数も、決して少ないものではない。各大隊が進軍したルートの中でも、悪質な魔物が最も多く現れた進行路だったが、この結果を顧みた時シリカはどんな顔をするだろうか。
80人近くの野盗を討伐し、それに迫る勢いの数の魔物も討伐してきたシリカの大隊。もう、充分だ。状況を鑑みたマグニスは隊長不在のこの場所で、いち傭兵ながら独断で撤退を決断した。
「おーい、シリカ」
山中を駆けるシリカの後方から、聞き慣れた声。振り向けば、人影以上に目立つ長い槍を持つシルエットが、自分に向かって駆け寄ってくる。声の主がクロムであることは、呼ばれた時点でシリカにもわかっていたことだ。
「ご苦労様、クロム。首尾は?」
「片付いた。3匹のミノタウロスに囲まれた時には死ぬかと思ったが、まあ何とか」
汗だくのクロムの全身からは、死線をくぐり抜けてきたことがシリカの目にもよく伝わる。シリカが息を切らしていることを見たクロムの目にも、彼女が少し前に死闘を切り抜けてきたことは充分に読み取れるものだった。
「撤退か?」
「……ああ、潮時だ。山中の騎士を探して、お前も伝えて回ってくれ」
ヒルギガース討伐に向けて単身行動する前に、進軍を任せた隊の上騎士や高騎士にも、ある程度の進行のち撤退するよう命令は下している。彼らが恐らく単独でも撤退命令を下してはくれているという信頼はしているが、それが上手く回らず森に残されたままの騎士がいるとしたら、放っておくわけにはいかない。生存者を確かめ、撤退のしんがりはシリカとクロムが最終的に担うのだ。
「私は北方から回る。クロムは南方から回ってくれ。これ以上の交戦は、必要以上にしなくていい」
「了解」
二手に分かれてシリカとクロムは駆けだした。両者とも、想うところは同じ。間もなく撤退するシリカ率いた大隊のうち、何人が生きたまま王都に帰り着けるのか。答えを知るのが怖くもあるその疑問を振り払うようにシリカは首を振り、今為すべきことのために奔走した。
カリウス法騎士率いる大隊の生存者と、グラファス聖騎士が率いていた中隊の生存者はみな、タイリップ山道を遠くに見据えられる駐屯場所に一足先に集まっていた。それにやや遅れて、ボルモード法騎士が率いていた大隊の生存者達が合流する。シリカ達が率いていた大隊の生存者達の合流が、今ここで最も遅れている。
しかし、やがて山道から憔悴しきった表情の騎士達が帰還する。仲間達の生存を喜び、同志達に駆け寄る騎士達を尻目に、法騎士シリカや法騎士ボルモード、聖騎士グラファスの帰還を未だ確認出来ていない騎士達の多くが、心中密かに不安を抱く。万に一つが起こらぬ限り殉死するような人物達ではないとは信頼しているが、世の中に絶対という言葉はないからだ。
日が沈みかけた頃、その山道から最も遅れて帰ってくる人影の数々。そこには疲れ果てた表情で歩くユースとガンマ、その少し後ろで似たような顔色をした、シリカ率いた大隊の騎士の生存者達の姿がある。それにやや遅れて、シリカとクロムが第14小隊の4人を引き連れて現れ、その後に姿を見せたのは、部下に撤退を命じた後、生存者がいるならばと全力で山中を駆けた勇敢なる上騎士や高騎士。そして近い部下達を一度ここまで導いた後、再び生存者を求めて山地に踏み込んだカリウス法騎士の帰還が、その直後。
最後に姿を見せたのが、聖騎士グラファスだった。グラファスが騎士達に、生存者と未だここに帰らぬ者達の名を照合するよう指示をすると、騎士達の間で迅速に連絡が取り行われる。やがて大隊の指揮官であったシリカをはじめ、主たる騎士達がグラファスにその内訳を報告し、出撃時の頭数と照合してグラファスが結論を出す。
「……行方不明者はおらぬな。生存者の数と、殉職者の数が一致した」
その声が意味するところは、山中に取り残された仲間達の捜索をする必要もなく、今ここで撤退を踏む決断をグラファスが下したこととほぼ同義。引き揚げを悟った騎士達が、グラファスを先頭に、シリカとカリウスを最後尾に、タイリップ山道に背を向け王都へ進みだす。
傭兵マグニスから騎士クロムに預けられた、野盗団の頭を名乗ったという気絶した男には、誰もが憤怒を込めた目線を注いでいた。彼の運命は語らずとも推して知るべしといったところだが、この戦いの発端である彼が、いかなる裁きを受けたとしても、この戦役で命失われた者達は二度と帰ってこない。
王国歴に刻まれた数多くの戦役の中で、強く歴史に刻まれることはないであろう小さな闘争。47名の死者と数多くの負傷者のもとに成り立ったエレム王国騎士団の勝利を旗に掲げ、タイリップ山道を舞台としたひとつの戦いが幕を閉じた。




