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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第16章  ひとつの歴史の終楽章~フィナーレ~
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第264話  ~賢蘭祭① 過去よりも、今よりも~



 賢蘭祭2日前から、魔法都市ダニームの宿は、どこもかしこもいっぱいいっぱいである。それは、賢蘭祭当日の夜が明けた瞬間から、お祭りを楽しみたいと考え、2日も前から宿を取る人が多いからである。お祭り前日にダニームで、泊まれるところはありますかと宿に問うても、空いてますよと言ってくれる宿はまず無い。妥協手段でダニーム近辺の町村の宿に声をかけるのが、前日における宿取りの現実的手段とされ、それでも運が悪かったら、宿なしも覚悟しなければならない。


 二日間開催の賢蘭祭だが、48時間しか楽しめないのが、愛好者達にとってはそれでも物足りないのだ。ルオス最大の春のお祭り豊緑祭、エレム最大の夏のお祭り創騎祭でも、人々にここまでさせるほどのパワーはまだ持っていない。各国最大のお祭りを比較した時、何が最高のお祭りかなどと序列はつけにくいものだが、狂信的とさえ言えるほど人々から熱烈な愛を寄せるのは、やはりダニームの賢蘭祭が最もだろう。


 エレム王都から魔法都市ダニームまで辿り着くには、浅海を経て河を登る船一本。誰もの予想どおり、朝一番の便から船はぎゅうぎゅう詰めであった。この日ばかりは巡行する船の数もしこたま増やされるのだが、何時の何番の便も満席いっぱいまで人が乗る。みんな、一秒でも早くダニームに行きたい。現地で一秒でも長くお祭りを楽しむためなら、少しでも早い便に乗らなきゃ間に合わない。


 ガンマが行ったとおり、明朝から早起きし過ぎなぐらいに起きて、エレムの港に並んで大正解だった。日が出てすぐの時間帯から並んだのに、それでも3便待たなきゃ船に乗せて貰えなかったんだから。すっかり明るくなってから港に並んでいたら、何便待たされたかわかったものではない。ようやく船に乗れてから、振り替えって港で待つ人の数が激増していた光景を見るに、やっぱりみんな考えることは一緒である。


 普通の人々よりだいぶ早く、しかし情報強者から言わせればだいぶ遅く船に乗ったシリカ達は、午前中に魔法都市ダニームに到着することが出来た。人いっぱいで狭い狭い船旅の人口密度も凄かったが、祭りの現地なんかもっとである。各地から集まってきた、朝早くから賢蘭祭を楽しみたいという人々でいっぱいで、空から見たら人の頭で地面が埋まっているんじゃないかというぐらい。


「案内してくれるよな、ガンマ」


「まかせて下さーい! 楽しいとこは全部チェックしてるから!」


「こーら、マグニスさん。こんな日まで単独行動じゃノリ悪いですよ」


「ユースも単独行動してんだしいいじゃんよー」


 クロムの問いかけに元気よく応えるガンマは、楽しいことには覚えのいい頭を全力稼動させて、賢蘭祭の楽しい歩き方をしっかり用意してきてくれている。流石に彼はダニームの生まれ育ち、地の理で言えば間違いなくガンマが強い。こそーっと第14小隊の輪から離れ、一人で女を引っ掛けたいマグニスを引き止める、アルミナの監視もよく光っている。


「行きますよー! 賢蘭祭ツアー開幕でーす!」


「いててててて! ガンマガンマ、強い強い強い!」


 隊の総意を受け取ったガンマが、絶対逃げられないパワーでマグニスの手を握り、ずるずる引きずりながら先導した歩きを始める。深夜帯には夜遊びも認めてやろうか、と目配せするシリカに対し、甘い甘いやめとけ、と首を振るクロムの語らいも、日中の二人が笑い合う小さな種だ。ガンマに逆らい握られた手をふりほどこうとするマグニスの尻を、チータが杖でかつかつ突く姿も微笑ましい。それを後ろで見守るアルミナとキャルが、くすくす笑って追っている。


 戦いばかりで、日々の暮らしを8人全員で過ごせるだけでも、幸せだった一年間。戦人の暮らしなんてのは、それが普通だったのだ。平穏の世が訪れ、普通の人々が当たり前のように過ごしてきたような幸せが、ようやく第14小隊にも巡ってきた。






 エレム王都から魔法都市ダニームへの海路は混雑するが、そちらに人の動線が偏るから、それ以外の方角への便は比較的すかすかである。そんな世相の中、ユースは陸路を経て魔法都市ダニームへと向かっていた。最短陸路のタイリップ山地を武装せずに歩くのも何なので、随分遠回りしてダニームへと到着し、結局お祭りに辿り着いたのは昼過ぎ。長く賢蘭祭を楽しむには少し勿体ない到着だ。


 それでもいいのだ。ユースがこのお祭りを共に歩きたいと選んだ人は、田舎村からゆっくりとダニームへと向かっていたのだから。遠いテネメールの村から、普通に出発した想い人だったら、だいたいこれぐらいの時間にダニームに着いている計算。ダニーム南東、馬車を迎え入れる関所の近くの待合小屋で、ユースはきょろきょろと目当ての人物を探している。


「――母さん!」


 こっちこっち、と小さく手招きしている女性を見つけた途端、ぱっと笑顔になったユースが大きく手を振る。二十歳にもなろうというのに、無邪気な子供のように手を振る彼の姿は、母にとってはなんとも微笑ましいものだ。幼い頃より遥かに代わり映えたはずの息子の顔が、何年も見た幼い顔に戻る心地を抱きながら、ユースの母ナイアも歩み寄ってくる。


「待った?」


「今来たところよ。私もゆっくり来たからね」


 実は少し待っていた身でも、自然とそんな言葉が出てくるあたり、よく似た親子である。逆の立場だったら、ユースも相手に気を遣わせないよう、同じ言葉を迷わず吐いているだろう。この母に育てられたユースだから、今のような彼に育ったのも間違いではあるまい。


「行こうか。母さんは行きたいところとかある?」


「んーん、ユースと一緒ならどこでもいいわ」


「俺全然考えてないんだけど。賢蘭祭に来たこと殆どないしさ」


「ふふ、そう。じゃあ私がエスコートするしかない、かな?」


 流暢な会話を止まらず弾ませ、賑やかな日中のお祭りに歩きだす二人。人混みではぐれないよう、そばに寄り添う二人の姿は、ある意味では恋人同士のそれのような距離感。親子でそんな距離感で歩くというのも、すでに独り立ちしたユースの年頃には気恥ずかしいものである。マザ何とかと、デリカシーなく揶揄されても、ちょっと言い返せない年齢には達しているんだから。


 でも、たとえ周りにどうこう言われたって、たった一人の母親を大事にしたい気持ちに嘘はつけないのだ。初日だけは、約束した母と一緒に歩きたいと言ったユースに、それは良いことだって笑顔で見送ってくれた第14小隊に背を押され、ユースは今を歩いている。自信が足りず、人目を気にし過ぎるはずのユースが、何も気にせず歩ける今日を導いてくれるのは、信頼する仲間達の言葉があるからだ。


 勝ち取った平穏を、愛する母と歩ける幸せ。口を弾ませ町を歩くユースにも、ようやく戦人としての日々から解放され、普通の幸せを噛み締められる日が訪れていた。











 流石は魔法都市の学者と魔法使い達が、英知を結集して開催する年間最大のお祭り。人混みに満ちた地上の光景は、どこを見渡しても人の頭と背中でいっぱいなのに、その隙間から見える都市の光景は、それら障害物を押しのけて美しさを訴えかけてくる。日の下でもいっそう輝く暖色の旗一つとっても、そばにある寒色の軒先と併せ、街を一様にしないよう設計されている。普段から均整の取れた建物の並ぶ魔法都市だが、美意識に全力の意識を傾けた学者達は、屋根の形ひとつでさえ看板や花飾りを備え付けることで、より見るものに黄金比を伝えるシルエットに変えている。誰も気付かないような足元石畳の色模様さえも、無意識下で人を落ち着かせる薄い色筋が振り撒かれ、まさに隙なく客人の心をもてなす構築だ。


 広い魔法都市いっぱいにそんな配慮を散りばめた賢蘭祭、歩く人々が浮き足立つのも当然だ。普段はちょっと怒りっぽい人が、子供にぶつかられても笑って済ませられるこの街の空気が、主催者の計算の上で成り立っていると聞いても、そう簡単に信じられるだろうか。絵に描いたようなその理念が真実なのだから、世界すべてを見回して比較しても、魔法都市ダニームの学者は魔法使いは別格なのだ。


「凄いなぁ、賢蘭祭。歩いてるだけでこんなに楽しいって、噂どおりだよ」


「そうだろー! 俺もダニームに暮らしてる時は、毎年この日が楽しみだったもん!」


 財布の紐が人並み程度に堅いアルミナが、やたらと買い食いしてる時点で普段の彼女ではないのだ。人を楽しませる絶大なる場の効果は、経済効果も半端なく大きい。大人になったら、祭事が生むしたたかな経済効果うんぬんも皮肉的に意識するようになるが、知っていても逆らえない魔力を醸し出すのが楽しいお祭りというものだ。


久々に(・・・)来たけどほんっと楽しい! 今年は来られてよかったー!」


「アルミナ、前にも来たことあるんだ?」


「んっ? あー、昔、孤児院のみんなとね。あの時も楽しかったよ」


 うっかり小さな"失言"を漏らしてしまうぐらい、アルミナも存分にお祭りを楽しんでいるということだろう。すぐさま作り話を作り上げ、さっと流してしまうあたり、機転の速さは残ってたのだが。今の僅かなやりとりから、やってしまったと悔いるアルミナの心底を読み取るには、よほどに彼女のことを知っていないと難しい。それは彼女と最も親しいキャルや、観察力に秀でたクロムにだって気付けなかったことだ。


「ガンマ、あれは何だ?」


「あー! あれは"名も無き音楽隊"ですよー! 行ってみましょうかー!」


 ただ一人、すぐに本質に気付けたシリカの一手が早く、近き公園の一角を指差す彼女が話題を逸らした。ダニームの案内役を任せられ、元気いっぱいでみんなを導くガンマは、人の集まるその一角へと第14小隊を導いていく。人だかりの隙間をくぐって辿り着いた先には、いくつもの多種の楽器を置き揃えた、野外コンサート会場のような急造舞台がある。


 ステージひとつのデザインひとつとっても美しいのはさておき、数人の男女が舞台の上で楽器を鳴らし、歌って踊って周りを盛り上げている。素人目にみても、あれは本職の音楽家ではないのがよくわかる。趣味程度に楽器を嗜む愛好家が、集い楽器と喉を自慢しているのだ。


「このメンツでここに来るとはなー」


「マグニスさん、知ってるんですか?」


「素人飛び入り歓迎ステージだよ。ノリのいい奴が上がって、楽器鳴らして客を楽しませる舞台だ」


 賢蘭祭の小さな目玉の一つ、"名も無き音楽隊"と呼ばれるステージ。今、舞台に上がって楽器を鳴らしている数人も、今日この場で初めて会ったメンバーだ。それらが各個の個性豊かに奏でる音は、決して上手に調和を生み出しているとは言いにくい。それが素人の集まりの味とも言え、そんな彼らが己に酔うまま、だけど初対面の仲間達とひとつの合奏を作り上げようとする光景には、好きもの好きには楽しい光景だ。完成された音楽なら、アカデミー近くで演じられるコンサートで存分に聞くことが出来るし、ここに集まる客で素人芸にうだうだ文句を言う奴など一人もいない。みんな、手を叩くなり指笛吹くなりして楽しんでいる。


「クロムさん、リュート弾けるんですよね? マグニスさんもですよね?」


「なんだ、混ざりたいのか?」


 うきうきしながら問いかけてくるアルミナの態度からして、何が言いたいのかはすぐわかる。恥ずかしがりやのキャルが、こそこそとアルミナの視界外に逃げようとしても、見逃さないアルミナがぐいっと引っ張って逃がさない。


「キャルも上がろうよ! 楽しいよ!」


「わ、私楽器なんて……」


「歌うだけでもいいじゃねえか。こんな日ぐらいいいだろ」


 弾ける楽器がないとかそういう問題じゃなく、人前で何かするのが恥ずかしいのだが。わかっていながら、お祭りの町中でキャルを舞台に上げる気満々のアルミナとマグニスが、キャルをあわあわさせている。


「みんなー、ありがとう! 次の方、どうぞー!」


 舞台の上で演奏していた一団が一曲終え、喝采の中で次の役者を集める声を放つ。拡声の効果を持つ魔具を片手に唱えた、舞台上の歌姫の声に応え、振り向きざまに手を挙げた人物は数名。その中でも最も挙手が速く、歌姫の拡声された声にも劣らぬ大声で応えた人物が、第14小隊の中にいる。


「はいはーい!! 次は私達がやりたい!!」


「速かった! じゃあ、そこの子どうぞ!」


 次の演者を使命するのも、ステージに上がった演者の最後の仕事。混乱したらそばに立つ司会者が話を纏めてくれるのだが、今のところ彼にもたいした仕事はなし。参加者同士で盛り上がる、名も無き音楽家が集うステージは、今日も何一つ問題が起こることなく進行しているようだ。毎年そうだけど。


「ほら、行くよキャル! 賽は投げられたー!」


「あわわ……し、シリカさん……!」


 何とかして下さいと、唯一アルミナを引き止められる人物に助けを求める目を振り返るキャルだが、苦笑いしたシリカに手を振られて終了。アルミナに手を引かれ、舞台上まで引っ張り上げられたキャルの周囲にも、クロムとマグニスとガンマが立ちはだかっており、既に逃げ場がない。


「俺とマグニスはリュート、ガンマは?」


「俺はこれがいい! 下手かもしれないけど、頑張る!」


「アルミナは何か使えるのか?」


「これですよー! 孤児院の子供達によく聞かせてあげたから得意です!」


 吹きさらしの舞台裏に置かれた楽器の数々、種類も様々で困らないラインナップだ。得意とする楽器を手に取るクロムとマグニス、大きすぎて舞台上から動かせないティンパニに駆け寄るガンマ、楽器の管理者からハーモニカを受け取るアルミナ。舞台の真ん中まで引き上げられ、今さら降りるのも水を差すような気がして動けないキャルだけが、大量の観客の前で凍り付いている。


「マグニスお前、大丈夫か? 久々で腕もなまってんじゃねえの」


「去年も俺ここでやってますよ。上手く弾ければ女捕まえられるし、けっこう練習してたんすから」


 いつだ。去年の今頃って言えば、タイリップ山地戦役で獄獣や黒騎士が出没した後で、まるまる一年戦いに明け暮れていたのが第14小隊だったはずではないのか。一人ぶらぶら去年の賢蘭祭に参加していただけに留まらず、そこから今年にも備えてリュートの練習をしていたというマグニスの返答には、小声でそれを聞いたクロムも笑ってしまう。あ、シリカには内緒っすよ、と言われ、わかったわかったと手をひらひらさせるクロム。


「みなさーん! お集まり頂き、ありがとうございまーす!」


 高いステージから見下ろす目の前、いっぱいの人だかりの目線が自分達に注がれる光景に、テンション最高潮のアルミナは拡声魔具を片手に大声だ。聞いただけで声主の高揚する想いが伝わるご挨拶、客も手を叩いて歓迎の意を示してくれる。


「今日は私達、エレム王国から来ました! そこにいる……ちょっとー、ガンマ! まだ早い!」


 開演もしていないのに、どこどこ大きな打楽器を鳴らしているガンマが、ちょくちょくアルミナの声を遮っているのだ。振り返って突っ込みを入れたアルミナに、舌を出して気まずそうに笑うガンマの姿が、観客のくすくす笑いを誘っている。


「えー、こほん! そこにいらっしゃるお方は、何を隠そう魔王を打ち倒した勇者の一人、法騎士シリカ様! 私達、エレム王国第14小隊は、平和になったこの世界の真ん中、明るい未来を彩る一曲お届けするため、この舞台まで推参した次第です!」


 流石は素人小説執筆経験者、流暢な語り口と語彙力で語り上げ、観客の目をシリカの方向に寄せ集める。舞台上のアルミナに指差され、周りのどよめきと眼差しに晒されるシリカも、流石にこれには顔が赤くなりそうになる。わたわた慌たりしようものなら、後でクロムやマグニスに後でいじられるネタになるし、そうはいくかと冷静ぶって、清楚に周囲に手を振るので精一杯。


「お届けする曲は"夜明けの輪舞曲(ロンド)"! 拙い演奏になるかもしれませんが、最後まで楽しんで頂けたら嬉しいですよー!」


 難しい曲名に見えて、子供でも知っている曲だ。大人用にも子供用にも歌詞が用意されていて、日が昇ると同時に訪れる新しい一日、その明るさと晴れた日の爽やかさを表現した曲である。人の世を脅かす脅威が去り、光に満ちた未来へと歩きだした人々に贈る一曲として、なかなかアルミナもいい選択をしているはず。


「はいっ、キャル! あなたが歌姫だよ!」


「わ、私……」


「ここまで来たんだからいっちゃおうよ! キャルすっごく歌うまいんだから! 私が保証する!」


 怖くないよ、と明るく笑ったアルミナは、拡声魔具を一つキャルに手渡し隣に並び立つ。自分もハーモニカの音を大きくするための、拡声魔具を首から下げ、準備万端という表情だ。楽器を口にしたアルミナが、いくよとウインクしてくる姿には、キャルも腹をくくらざるを得なくなる。


 大層な楽器を使って奏でるには、あまりにも簡単なメロディーの一曲なのだ。精密な楽器の扱いになど慣れていないガンマが、ちょっと優しくティンパニを叩いてリズムを作り出せば、得意の楽器を手にしたクロムとマグニスが後に続いてくれる。キャルに目線を送りながら、ハーモニカを吹き始めたアルミナが前奏に乗る横で、キャルも口の中に溜まったものをごくりと飲み込む。やるしかなさそうだ。


 覚悟を決めればキャルは強い。目の前いっぱいに広がる観客を目にすると、やっぱりどきどきする心臓が止まらないが、すうっと息を吸ったキャルは前奏の終わりとともに、綺麗な声で歌詞を口にし始めた。幼い少女のような、童顔と小さな体を持つキャルが、見た目とは全く異なる美しい歌声で、大人用の綺麗に韻を踏んだ歌詞を歌い上げる姿には、観客も驚いて閉口しかけたものだ。直後、予想外の歌姫の実力に歓声が上がったのは、お世辞ではない素直な反応である。


 顔を真っ赤にしながら歌い続けるキャルの隣には、遅くないメロディーにしっかり合わせ、ハーモニカが放つ音程を操るアルミナがいる。予想だにしなかった歓迎されように、これでいいのかなとかえって不安げな顔を見せかけたキャルにとって、無言ですべてを肯定してくれるアルミナの笑顔は、どれほど頼もしい味方だろう。


「楽しそうですね」


「チータも上がればよかったんじゃないか?」


「いいえ、見る側に立ててよかったと思います」


 演奏が始まってしまえば、楽しそうに一曲奏でる5人の戦人の姿に、観客は英雄法騎士様にも振り返らず釘付けだ。最高の舞台のリズムを作り出すことにご満悦のガンマ、遊び混じりに体を躍らせて観客の目を引くマグニス、そんな二人を指差して、このお調子者どもいいでしょと観客に目で語りかけるクロム。一番前で体を寄せ合う、花形二人の姿は誰が見ても可愛らしく、楽しみ始めたキャルの姿も併せ、見ている側も幸せな気持ちが自然と沸いてくる。


「ずっと、こんな日が来るのを待っていたんですから」


「そうだな」


 チータももしかしたら、気付いていたのかもしれない。アルミナが過去に、賢蘭祭を訪れた時というのは、両親が生きていた最後の年だったということに。今日のこんな日、それを僅かでもほのめかせてしまっては、楽しい空気に水を差してしまうと機転を利かせたアルミナだったが、わかる人にはわかってしまうのだ。特に、アルミナと一緒に孤児院での時を過ごし、実の母親と孤児院の母を等しく愛するアルミナの、前向きな生き様を近くで見たチータなら、想像力だけでももしかして、という仮説に辿り着けてしまう。


 別にシリカも、そうしたアルミナの寂しい過去を知っているわけではない。だけど、力なき幼き日々の中、理不尽な悪に大切なものを奪われた過去を持つ者が、この数十年間で何人もいた。キャルだってそう。そんな彼女達が今をこんなにも楽しんでいる姿というのは、二人を愛するシリカにとっては、胸がいっぱいになるような光景だ。


 確かに舞台に上がって楽しめば、向こう側でしか楽しめないものがあるのだろう。わかる。それでもなお、見る側に立つことを選んだ二人は、幸せそうなアルミナとキャルの姿を目の前にして、こちら側でよかったと思えた。そんな想いを共有する二人は、華やかなステージ上から一時たりとも、目を離すことが出来なかった。











 ガンマのナビゲートのもと、賢蘭祭特別の舞台の数々を満喫する第14小隊とは真逆、ユースとナイアのお祭り巡りは実に落ち着いたものだ。賑やかな町中を眺め、彩られた景色や風景を楽しみ、小腹が空いたら軽食を挟みに喫茶店に入っていく。特に賢蘭祭特有の何かを嗜むでもなく、まるで日頃と何も変わらぬ歩き方ですべてを楽しむ二人は、素朴な幸せを大事に出来る性格をしている。よく似た親子だ。


「それにしても、ユースがこんなに凄い人になっちゃうなんてねぇ」


「何回それ言うんだよ、もういいだろ」


 日頃と違うのは周囲の目ぐらいのものだ。今日はシリカも時々そうだったが、何せ魔王を討伐した勇者様の一人、武装していない彼であったって、知ってる人は感づいてユースを祭りの場で見つけてしまう。シリカに比べて顔が広く知られていないユースであったって、あなたが勇者ユーステット様ですかと、町中で何度か声をかけられたものだ。その都度緊張して、求められた握手に応えることしか出来なかったユースに比べれば、勇者様のお母さんですねと言われ、照れながらでも胸を張っていたナイアの方がよっぽど肝太い。


「あなたにはわかんないかもなぁ。自分の子が、魔王を倒した勇者様になっちゃうなんて、今でも実感沸かないのよ?」


「や、それは俺もそうなんだけどさ……」


「あなたより、私の方がよ。絶対」


「張り合うとこ?」


「ええ、ここだけは譲れない」


 喫茶店で向かい合って座るナイアが、妙に実感こもった眼差しを返してくるので、ユースもどう返していいものやら。別にそんなところで、母と小競り合うつもりもないのだし。


「私は、そうねぇ。立派な大人になって欲しいとは思ってたけど、英雄様になって欲しいとまでは思っていなかったもの」


「母さんよく言ってくれてたもんな。立派な騎士様になってくれれば嬉しい、でも体だけは大事にして、って」


「うん。魔王との戦いにまで乗り込んで、一回死んじゃうなんて、そんな子に育てた覚えはなかったのになぁ」


 責める意味ではなく、笑いながらそう言うナイアだが、ユースは気まずそうに目を逸らさずにはいられない。エルアーティが蘇生魔法を成功させたという知らせは新聞の大見出しに載ったし、その被験者がユースであることも掲載されたから仕方ないとはいえ、流石にこれはナイアに知られたくなかったのに。


「あなたが、立派な騎士様になってくれたのは嬉しいわ。でも、私はやっぱり、あなたが元気に生きていてくれる方が嬉しいのよ?」


 いくつも死線を乗り越えて、大悪討ち果たした勇者様の功績なんて、誰一人どんな理屈でもっても意を唱える口など持てない。今のユースにこんなことが言えるのは、血を分けた母親ぐらいのものだろう。決して成し遂げたことそのものに対して、酸っぱい口を利かれているわけではないともわかっているが、切にも込められたささやかな願いが、一回本当に死んだユースの胸をちくちく刺す。


「それより私、早く孫の顔を見せて欲しいんだけどなぁ」


 口に含みかけていた飲み物を噴き出しかけ、必死でそれを飲み込んだユース。おかげで変な所にそれが入ったのか、げほげほむせるユースの前、大丈夫? と普通に我が子を案ずるナイア。前に乗り出し、近く顔を覗きこんでくるナイアに、腕で口を覆いながらユースは涙目を持ち上げる。咳がまだ止まらない。


「あなた、好きな子はいないの?」


「い……っ、いきなり、聞くなよっ……!」


 むせながら声を絞り出すから、余計に咳が止まらなくなる。アルミナあたりが目にしたら大笑いしそうな姿のユースだが、見つめるナイアの表情は真剣そのものだ。どうせこの子、浮いた話の一つも無いんだろうなと見透かした、心配そうな色まで添えてである。


「あなたの小隊、同じ年頃の女の子もいるんでしょ?」


 なんでそんなこと知ってるのか小一時間問い詰めたいが、むせるユースはその言葉が吐き出せない。返す言葉が遅れたら、追撃が来ることだってわかっているのだけど、思った以上に飲み物にやられたダメージがでかくて立て直せない。


「騎士団で立派にやってる女の子なんて、みんな芯がしっかりしてるでしょう。あなたの好きそうな女の子、そういう中に絶対いるでしょう」


「あ、あのさぁ……俺の好みとか……」


「だってあなた、芯のしっかりした人が好きでしょう」


 いや、まあ、確かにそうだけど。例えばそう、ナイアみたいにしっかりした人。ついでに言えばナイアが客観的に見るとおり、行動力があって人を引っ張るタイプの女性っていうのは、地力はあっても自信がなくて積極的になれないユースとは、非常に相性がいい、はず。


「そういう人、いないの? いるでしょ」


 そうでない例を探す方が難しいのではないだろうか。根っからの先導者気質たるシリカ、行動力の塊であるアルミナ、引っ込み思案に見えて決意を固めた時の芯が半端なく強いキャル。他に視野を広げても、家族を養うために傭兵になったプロンだとか、ある意味少し若い頃のシリカを思わせるルザニアだとか。騎士団で頑張っている女性陣なんて、少なくともユースの知る限りでは年上年下問わず、こっちから自然に尊敬できるぐらい立派にやってる人ばっかりである。


「そろそろ本気で恋人探ししてよー。私も早く、孫を抱いて頭を撫でられるお婆ちゃんになりたいわ」


「い、いや、あの……俺はまだ、さ……」


「一人息子の使命なの。クロニクス家の血筋は、あなたに懸かってるんだからねっ」


 別に決して大層でもない、田舎村の一つの血筋なんて、別にナイアも重く見てなどいない。明るく笑いながらそう言うナイアの態度からも、彼女作りに少しは前向きになりなさいよと唆しているだけなのだろう。それを冗談で笑って流すことも出来ないユースの姿が、どれだけ性に遅れる半生を送ってきたかを、如実に物語っていると言えてしまう。誠に遺憾である。


 逃げるように、さっき気管にダメージを与えたはずの飲み物を口にし、言葉を失ったユースを見ていると、まだまだ春は遠いんだなと、久々に会った母でもわかる。露骨に溜め息を見せてくれた方がまだましだったかもと思えるぐらい、気の毒な何かを見るナイアの目線が痛い。


「騎士としての生き方に誇りを持つのもいいけどさ。そろそろあなただけの幸せにも目を向けてくれた方が、お母さんは嬉しいんだけどな」


 騎士という仕事は、広く人々の安寧を守るため、戦い続けることに本質がある。そういう生き方に胸を張って臨むユースというのは、他者の幸福を自分の幸福に捉える考え方を根元に持つということ。それはそれで、当人にとっては幸せを獲得できる生き方なのだろうけど、それ以外にも幸せなことはたくさんあるよと、世界で一番ユースを案じる女性は言っている。


「結婚って、いいものよ。私はお父さんに会えて、とても幸せだったわ」


 夫を失って二十年近く、再婚もせずに過ごしてきたナイアにとって、かつての配偶者がどれほど特別な人であったかは想像に難くない。未亡人になったあの頃の時点から数年経った頃でも、まだまだ相手を探せる年だったんだから。今は亡き夫を脳裏に思い返しているであろうナイアは、喪った哀しみを蘇らせる以上に、金色の思い出を振り返る柔らかな表情だ。


 自分よりも人生経験豊富で、上手に理屈を唱えることも出来るはずの大人が、こんなに真っ直ぐな想いをぶつけてきたら本当に適わない。返す言葉が見つからないとは、今こそまさにこのことを言うのだろう。からかうでもなく、自慢するでもなく、本当に心から愛せた人と添い遂げる幸せ。百の言葉で語り明かしても言い尽くせない幸福を、短い言葉で切に伝える母を目の前にして、ユースの心が揺れ動く。


 今を楽しく過ごせる自分があるのは、決して楽ではないシングルマザーの身で、愛を注いで育て上げてくれたナイアのおかげだと、ユースは信じて疑っていない。だから、母に孝行したいと考える想いに等しく、同じだけの愛を注げる家族を守れる男に、いつかなりたいという夢もあるのだ。受けた恩を相手に返すだけが恩返しでなく、違う誰かに還元していくこともまた、世代が繋ぐひとつの恩返し。それは先輩から学び受けた愛情を、後輩に注ごうとするシリカやクロムの姿から、言葉に出来ぬともユースの意識の奥に根付いた真理でもあろう。


 無口になってしまったユースが、今はじめてそれに対して真剣に向き合おうとしているというだけで、ナイアにとっては嬉しい光景だ。戦いばかりで寄り道もしてこなかった息子の生き様は、いよいよ話せば容易に読み取れるし、その上で今までに考えてこなかったであろうことに想い馳せてくれるなら、自分との語らいが滞ろうがナイアにはどうでもいい。もっと大事なことが、世の中にはいっぱいある。


「ね、前向きに考えてみなさいよ。あなたは決して、悪い子じゃない。あなたのことを見てくれてる人だって、必ずいてくれるはずなんだから」


「……そう、なのかな」


「うん」


 親馬鹿だって言われたとしても、ナイアは今の言葉を覆さないだろう。だって、心からそう思えるナイアがいるということは、世界のどこかには同じような目線で、ユースのことを見てくれている人が必ずいるということなんだから。そんな人にいつか巡り会える日が、ユースにも巡って来ることを、孫に会いたい想い以上に、ユースの幸せを願う母は強く望んでいる。


 平穏を取り戻した今の世の貴さは今さら語るまでもないこと。そんな世界に生きる権利を得たのなら、その先にあるもっと貴き幸せに、手を伸ばしてみてもいいはずなのだ。

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