表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第16章  ひとつの歴史の終楽章~フィナーレ~
277/300

第261話  ~人々の未来に倖い多かれ~



 現世で勇者達の帰還を待ち続ける、ジャービルを中心とした三人の精鋭。少し離れた場所で、体を丸めて座り込んだマナガルムに背を預け、精も根も尽き果てたキャルは深い眠りについている。日がすでに沈んだコズニック山脈の奥地で、魔王討伐のために魔界へ赴いた仲間を待ち続ける時間というのは、彼ら彼女らを案ずる想いも相まって、実に長く感じられたことだろう。


 そんな中、自らとベルセリウスを繋ぐ、魔法戦士ジャービルの握る魔導線(アストローク)がびりりと震えた。はっとして魔導線のもう一端、ベルセリウスの魂が現世への道を辿り始めた気配に、ジャービルが意識を集中させ帰還への道を訴える。現世はここだ、帰って来い。そんなジャービルの想いが、次元を隔てた魔界から帰ってくるベルセリウスを引き寄せる。


 やがてジャービルの眼前に、蛍のように集まり始める光の粒。それらは時をかけて集い、人一人をまるまる包み込めるほどの淡い光の塊となる。そしてやがて、その光の塊が強い光を放ちはじめ、ゆっくりと光がおさまっていく先に、帰ってきた勇者の姿が現れる。


「ベルセリウスどの……!」


 帰還した勇騎士の、毅然と胸を張る姿は本当に立派なものだ。魔王との戦い、彼も決して受けたダメージが無かったわけではない。痛む全身、きしむ骨、そんな苦痛も戦士の魂に脈づく強さで握り潰し、勝利を友軍に知らせて帰郷する時まで、容易に崩れ落ちたりなどしないのだ。騎士団の中でも、政館に関わらぬ中で最上級の階級、勇騎士の名を冠する男の強さは伊達ではない。


「……終わりました。やがて、お師匠様達も帰還するでしょう」


 ただ、彼の表情が少し晴れぬのは何故だろう。魔王の討伐、それを叶えたと口にする彼の表情は、浮かれるほどでないにせよ、もっと明るくていいはずだ。ジャービルの直感が、その表情の意味するところを僅かに予感しかけたが、事実がはっきりするまでは決め付けない方がいい。縁起の悪いことを考えるべきではない。


 やがて、シリカと自らの魂を魔導線で繋いでいた大魔法使いの手元に、シリカの魂が現世に帰ってくる震えが伝わる。ベルセリウスの帰還から、そう続くと予見していた大魔法使いも、シリカの魂が現世に迷わず帰って来られるよう念じる。この世界とは触れ合えぬ異世界からの旅、道を示さねば万にひとつ、どうなってしまうか予想もつかない。エルアーティに言われたとおりのベストを尽くすのみ。


 やがて蛍のほうな光が集まって、ベルセリウスの時と同じように大きな光の塊が出来上がる。ただ、その大きさはベルセリウスのそれほどに高さがない。光が晴れ、姿を現したシリカは、両膝をついてうなだれるようにして小さなシルエットで、それに伴い彼女を包む光も小さかったのだろう。


 かすれたような呼吸を繰り返すシリカが、顔も上げられずにいる姿が、死闘を切り抜けてきた戦士の姿として当然のものなのだろう。ベルセリウスのように、涼しい顔して帰ってくるような鉄人が特別なのであって、最初の帰還者の姿にベルセリウスを見てしまっていた三人は、シリカの姿を見て改めて、魔王との決戦に臨んだ勇士の帰還と、その奇跡性を認識する。


 見ていて息を呑むほどに、すべてをつぎ込み力尽きたと見えるシリカ。彼女の魂を現世へと引き寄せた、大魔法使いがねぎらいの言葉をかけようと近付いた時、はっとしたようにシリカが顔を上げる。目の前で、急に顔を上げたシリカの姿に大魔法使いも少し驚いたが、目の前の人物よりも大事な何かを探すように、シリカは慌てて周囲を見渡している。


 シリカとベルセリウスの目が合った瞬間、彼にもシリカが何を考えているのかはわかった。疲れ果てた目、息も絶え絶えで出ない声、そんなシリカが何を捜し求めているのか、理解できた途端にベルセリウスが、憂いの色を眼差しに濃くした。すぐに帰ってくるよ、と応えてやるのは簡単だ。だが――


 ベルセリウスと目を合わせたまま、まさかという想いで胸の奥を真っ暗にするシリカ。そんな彼女の想いをよそに、最後の魔法使いの手に握られた魔導線が震えた。魔界に旅立った、エルアーティを除く三人の戦士の中、最後の一人が現世へと帰ってくる気配がする。魔法使いが先の二人と同じように、手繰り寄せる帰還者の魂へ、現世はここだと道を示す精神の訴えを投げかける。


 意志ある魂なら、何らかの反応があるはずだと思った。こっちだ、と呼びかけた魔法使いの精神の声に対し、彼の魂は何の反応も見せない。声が返ってくるほどでないにしたって、現世へ帰りたい魂に宿りし精神力が、こちらに魂を向かわせる気配のひとつぐらい返していいはずだ。魔法使いの手元に伝わる、最後の勇者の魂が放つ気配は、まるで賢者の魔力に押し出されるまま、意識なく現世へと流されるかのようだ。


 嫌な予感を胸の奥に感じた魔法使いの前、光が集って還りし者を包み込む光が生まれ始める。集まった光はほとんど高さがなく、少し広がって人を一人包み込める大きさになる。これはもしや、と周囲が予感したとおり、光が消えた末に姿を現した最後の勇者の姿は、シリカやベルセリウスとは違い、二本の足で地上に立っていなかった。


「ユース……!」


 現れたユースの姿を見て、誰もが息を詰まらせたことは言うまでもない。誰よりもその顔色から血の気を引かせ、這うようにして近付いたシリカが最も顕著だろう。盾を失った片腕は血にまみれ、胸に風穴を開けられたユースが、天を仰いで目を閉じ倒れた姿に、顔面蒼白のシリカがつまづきかけながら近付く。


「ユース……ユース……! おい、ユース……!」


 何度も彼の名を呼ぶシリカのそばへ、ベルセリウスも駆けつける。上手くいく予感はしない。だけど一抹の希望があるなら捨てたくない。風穴開けられたユースの胸に手を当て、ベルセリウスが全力の魔力を込める。治癒魔法のエキスパートとしても名高い、勇騎士ベルセリウスの掌が淡い光を放ち始める。


 魔王という恐怖の象徴に勇敢に立ち向かい、人類の未来を拓こうとしてくれた、若き勇士をこんなところで死なせてなるものか。命があるなら傷を塞ぎ、彼の目を覚まさせんとするベルセリウスの魔力が、日の沈んだ山奥で虚しく光る。治癒魔法とは、対象の精神が当然のように持つ生存本能に訴えかけ、肉体が持つ自己治癒力を本来以上に高めるものだ。彼の魂も、まだ肉体を離れてないはず。そんな希望にすがるように、ベルセリウスが必死で治癒の魔力を注ぎ込む。


 傷は塞がらない。死者の傷を癒そうとしても、活動しなくなった肉体には自己治癒能力などないし、死者は生存を望む精神力も深層に眠らせていない。ベルセリウスの魔力に応えるものが、何もないのだ。いくら魔力を注ぎ込んでも、ユースの傷が塞がらないという事実が、より残酷に今のユースの実状を突きつけてくる。


 哀願するようにベルセリウスを見上げるシリカの目が、ベルセリウスの胸を締め付ける。必死でユースを救おうとするベルセリウスの後ろ姿を、悪い予感が当たったことに苦い顔をしながらジャービルが見下ろしている。現世に帰ってきた時の、勝利したのに浮かない表情をしていたベルセリウスの姿は、やはり仲間の誰かがこうなってしまったことに由来していたのだろうと。そして治癒魔法の理屈を知る魔法使い達だからこそ、いくら魔力を注いでも癒えないユースの傷を見て、もうどうしようもないことがわかってしまう。


 理屈がわからず諦められないのはシリカだけなのだ。何とかして下さいと、必死の眼差しで訴えかけてくるシリカの目の前、ついにベルセリウスは魔力を途絶えさせる。どうして、と、引きかけたベルセリウスの手首を掴むシリカが、どれほどユースを救って欲しいのかはわかる。だが、どれほど決死の魔力を注ぎ込んでもユースの傷が塞がらない事実からわかる、もう変えられない定めを悟ったベルセリウスは、無念の瞳をシリカに返して首を振る。


 死んだ者はもう蘇らないのだ。治癒魔法に応えてくれないユースの肉体は、完全に途絶えた彼の命をはっきりと物語っている。ベルセリウスから返される、絶望的宣告に等しい反応から目を切り、シリカがユースの顔を見返しても、目を閉じた彼の表情は揺るがない。


「な、なぁ……嘘だよな……? 冗談きついぞ……お前……」


 横からユースの両肩を持って、ゆさゆさと揺さぶるシリカ。引きつった笑顔を浮かべる彼女は、目を開けて大丈夫ですよと言ってくれる、ユースの姿を信じているかのようだ。今までも、何度も命の危機に晒されても、問いかければ大丈夫ですと意地っ張りに応えてくれた彼。今日もそう、きっとそう、絶対にそのはずだって、認識しかけた現実を願いで塗り潰して、シリカが問いかけ続ける。


「な、何か言えよ……ユース……聞こえてるだろ……?」


 揺さぶっても、声をかけても、返事をしてくれないユースの姿が、シリカに恐ろしい現実を突きつける。もう二度と、ユースと話せなくなる、笑い合うことも出来なくなる恐怖。たとえきつく叱っても、ずっと自分を慕い続けてそばにいてくれて、ちょっと弱気を見せたら励まそうとしてくれたりした、ユースとの温かい記憶も、ここで思い返せばぞっとする想いしか沸いてこない。誰より長い時間、ずっと自分を支え続けてくれた、可愛くて仕方のなかった後輩だったのに。二人で笑い合ったあの日々を、もう二度と迎えられないのかと思えば思うほど、言葉に出来ない絶望が、シリカの胸を引き裂いていく。


 エルアーティが言っていた。このままいけば、自分かユースのどちらかが死ぬって。忠告を聞かずにここまでユースを連れて来た、自分にばちが当たるのなら、神が攫うのは自分の命であるべきじゃないのか。どうして冷たくなりかけた体で、ユースは何も応えてくれないのか。無理をして現実から目を逸らし、現実を拒んでいた笑顔も崩れ、ぼろぼろと涙をこぼし始めたシリカの口から、ユースに呼びかける言葉が詰まり始める。


「た、頼むから……お願い、だから……目を……目、を……」


 こうなる可能性もあったのに、ついて来てくれるユースを願った自分がいた。何度も自分を救ってくれた、そばにいてくれるだけで心強かったユースと、背中合わせで敵を迎え撃った記憶の数々。肌が触れ合わぬすぐそばにいた彼が、気質で伝えてくれていた頼もしさだったのに、どうして今のお前は黙って何も応えてくれないんだ。それだけ頼りにさせて貰っていたのに、こんな所で自分を置き去りにして、ユースが遠くに行こうとしている。


 命に代えても守ってやるつもりだったのに。たとえ自分かユース、どちらかが命を落とすことは避けられない運命でも、その運命は自分が背負うつもりだったのに。どうしてユースが、自分にとって最大の支えであり続けてくれたユースが、最悪の運命を押し付けられてる側にいるんだ。神様は、正しく生きてきた尊き者にこそ、よき命運を授けてくれるものではないのか。


「う、嘘だ……うそだぁ、っ……

 なんで、お前が……こん、な……こと、にぃ……」


 動かないユースの首元に顔をうずめ、彼の頭を抱きかかえるようにして震えるシリカ。親しき者の死は、長く戦士として生きていればやがて直面することもあり、ベルセリウスはそんな同士の姿を何度目にしても慣れることが出来ない。裏返った悲痛な声、嗚咽を漏らして涙を止められなくなったシリカの表情が、そばで彼女とユースを見下ろす魔法使いの胸を締め付ける。得られた大いなる勝利に対し、失われた命が一つなら、人類にとっては良かったのかもしれない。だけど彼と親しかった者達にとって、その犠牲がどれほど大きく耐え難いものであるかは、家族を持つ者ならば想像できることだろう。


 ユースの名を呼ぶことも出来ず、泣き声を溢れさせることしか出来ないシリカの声が、静かなコズニック山脈の一角に残響する。魔王の討伐、一人の勇敢なる若者の死。獲得された掛け替えなき未来と引き換えに失われたものは、一人の法騎士にとってあまりにも大き過ぎるものだった。


 ふと、ベルセリウスが振り返ったのは、そんなシリカの痛ましい姿から目を逸らしたかったわけではない。ふわりと漂い始めた、蛍のような光の粒が集まり、彼のすぐそばで大きな光を作り始めたからだ。魔界から帰還する最後の一人である賢者が、ベルセリウスのそばに小さな姿を現したのがすぐのこと。


「お師匠様……」


 現世に立ち返ったエルアーティは、周囲に勝利報告をするでもなく、挨拶のひとつを挟むでもなく、倒れたユースに歩み寄る。彼のそばを離れようとしないシリカの背中に、後ろから乗り出すようにして胸を当てる。エルアーティの口元は今、シリカの耳元にある。


「離れなさい。あなたの望みは、私が叶えてみせる」


 囁くエルアーティに、涙で目を真っ赤にしたシリカが振り返る。今までシリカに対し、厳しい口様や眼差しばかりを向けてきたエルアーティが、シリカの目尻の涙を指先で拭い、聖母のような笑顔を向けてくれていた。優しくシリカの肩を引くエルアーティに促されるようにして、シリカはユースを見下ろす形で膝立ちになる。


 もう、ユースの命は事切れているのに。エルアーティが何をするつもりなのかは、長年彼女と共にいたベルセリウスにも予想できないことだ。周囲の眼差しを一切無視して、ユースのそばに立つエルアーティが、目を閉じ濃密な魔力を作り上げ始めた。


「……法騎士シリカ。彼が何を望み、命を失う可能性を経てなお死線に臨んだかは、貴女にもわかるでしょう」


 エルアーティの魔力が、倒れたユースの頭上にあたる地面に、小さな一輪の花を咲かせた。続き、ユースの左腕から離れた地点に、小さな火の玉を灯す。左右対称点、右腕から離れた地点には不意に湧き出す小さな水溜りを。そして、右足から少し離れた場所には白銀の結晶を。その対称点、左足から少し離れた点には、土が固まり小さくいびつな形の泥団子を形成する。


 花、泥団子、水溜り、火の玉、白銀の結晶。それらが順に光を繋ぎ、ユースの胸の真ん中に中心を持つ、極めて美しい比率の五芒星を描く。木、土、水、火、金の魔力を最高の形で結びつけると、行使しようとする大魔法の発動に向けて、エルアーティが各々の魔力の配合率を整える。砂ひと粒ぶんの重さの誤差さえも許されない、そう例えられるほどの精密な魔力の配合比率。5つの魔力を超精密に均すエルアーティの顔からは、じわりと汗がしたたり落ちている。


「大切な人、愛する人々が、魔王やそれに与する者に脅かされぬ、平安なる未来。望んだ未来を彼は勝ち取って見せた。魔王という大悪なきこれからの時代を、多くの人々が羽を伸ばし、枕を高くして眠れる時代が訪れようとしている」


 静かな声の裏、強く込められた意志力が何を望んでいるのか。シリカはエルアーティの言葉を耳にすると共に、ユースに向けて顔を伏せて、額の前で祈るように両手を握り合わせて目をつぶる。あなたの望みは私が叶えてみせる、そう宣言してくれたエルアーティの大魔法が叶うよう、ぎゅっと、心から、強く望んでだ。目の前ふんわり開いた両掌の間に、優しい光を伴う魔力球を生み出す賢者にも、隣で強い祈りを捧げるシリカの想いは伝わっている。


「安寧なる日々を愛する人と歩んでいくことが、誰しもに許される時代なのよ。そんな世界の(さきわ)いを、巨悪を討ち滅ぼした彼だけが、天国で見下ろすことしか出来ないの?」


 魔王の討伐、訪れるであろう明るい時代。そんな日々の中に、ユースの姿だけがない。彼が命を懸けてまで、それを手にして人類にもたらしてくれたっていうのにだ。戦う力を持たない人々の命運まで背負い、戦い抜いた勇者とも呼べるはずの者が、せっかく勝ち得た世界の幸福を生きて実感できないなんて理不尽な結末、たとえ神が許してもエルアーティは許さない。


「そんな横暴を運命が彼に強いるなら、私は運命を敵に回すことも厭わない……!」


 魔王の討伐、それでおしまい、めでたしめでたしで終わらせてたまるものか。優しい光を掌中に収めていたエルアーティが、強き意志力を口にした瞬間、光球はふわりと浮かんでユースの胸の上に移る。空中に浮かぶ光球に、ユース周囲の5つの魔力の象徴が、強い魔力の道筋を作り上げる。


 長く、永く、人類の誰もが実現させてこられなかった奇跡の魔法。エルアーティは、必ず上手くいくと信じている。成功させるためのものは、すべてここに揃っている。


「死は終わりではない、新たなる世界への旅立ち。現世に留まることこそあるべき未来なら、一度定められた死の命運を覆し、再び生を歩むこともまた旅立ち」


 大魔法実現のための膨大な魔力。何に代えても未来を歩ませたい彼を望むエルアーティの精神、そして彼女に並び、ユースの生還を望むシリカ。そばで跪くシリカの、強き願いの力を叶えんという意志力を主軸に構え、賢者と呼ばれし大魔法使いの魔力は、その精神と霊魂によって絶大なる魔力を導き出す。


 僅か違えただけでも成功をゼロにする、超精密な魔力配合比率調整。正しく実現できるかどうかは、エルアーティの手腕に懸かっている。そして彼女は、手遅れでないこの形で自分がここにいること、それを導いてくれた運命の見えざる手を信じ、叶えるべきだと導かれた、自分自身の運命力を信じた。たとえ運命が自らの介入を認めぬとしても、それに退け理想を現実へと変える自らの運命力をだ。


「……帰ってくるのよ、ユース。あなたにはまだ、離れてはいけない人がいる」


 ユースの魂。ここにある。支配夢見し魂を引き寄せるのが魔界レフリコスであったなら、誰よりも彼のことを案じ続けた法騎士、その魂こそが彼の魂にとっての還るべき止まり木だ。輪廻にも、あの世にも飛び立たず、もっとこの人のそばで生き、幸せな未来を歩みたかったというユースの魂の存在を感ずるから、エルアーティはその想いを叶えんとしている。


 必ず成功する。前人未到の奇跡の魔法、その名を唱える瞬間のエルアーティは、困難の実現に向けて歯をくいしばるでもなく、成功を確信するかのように柔らかく笑った。


「――蘇生魔法(リヴァイブ)


 念じたその瞬間、視認できぬユースの魂がどこからかエルアーティの光球に舞い込み、やがて光球がユースの胸の傷へとゆっくりと降り立つ。その光球は無残な胸の傷を光で覆い尽くし、やがて大きくなっていく光はユースの全身を包み込み、周囲に彼の姿が見えぬようになっていく。周囲が光に戸惑う一方、閉じた目からも涙を溢れさせ、一心に祈り続けるシリカだけが、訪れた現象を前にして動かない。


 魂は、生前のかたちを記憶しているのだ。生きていた頃のユースの肉体、それを記憶する彼の魂が、エルアーティの魔力を受けて肉体を復元していく。優しい光に包まれて、目で確かめることが出来ない光の向こう側で、ユースを生存できぬ者たらしめていた深き傷の数々が、塞がっていく実感をエルアーティは感じ取っている。


 何秒か、あるいは十数秒か。ユースを包んでいた光がゆっくりと消え、再び彼の倒れた姿が目の前に現れる。ベルセリウスもジャービルも、大魔法使い達も驚かずにいられなかったのは、魔王との戦いを終えて無残な傷だらけだったユースの体が、傷ひとつない綺麗な体で現れたからだ。胸の風穴、肌の火傷、腕が千切れてもおかしくないほどの抉り傷。すべてが消え去り、死相も消えたユースの姿には、もはや少し前のような生還を絶望視するような面影がない。


「シリカ」


 そばで祈り続けるシリカの肩をぽんと叩き、その目を開かせるエルアーティ。握り締めて汗ばんだ手の力を緩めたシリカの前には、死んだようにではなく、眠るように目を閉じたユースがいる。


「呼びかけてあげなさい。今度は目覚めるわよ」


 二歩ほど後ろに退がったエルアーティは、ユースに最も近い場所にいる人物を、シリカ一人にする。溢れた涙を拭うことも出来ず、無我のようにシリカはうつむき、そっとユースの頬に手を添える。


 自分からこうして、温かいユースの肌に触れることは初めてだったかもしれない。命を感じるぬくもりに、絶望でいっぱいだったシリカの胸が、ほんの僅かな希望を授かる。口から溢れる言葉もまた、そんな希望にすがるように、願う望みを口にしたものだ。


「ユース……目を、開けてくれ……」


 泣きはらした声で最愛の人の名を呼ぶシリカの前、ユースのまぶたがふるふると震えた。彼女の声に応じるように、ユースが目覚めへの一歩目を踏み出したのは偶然ではない。エルアーティが叶えた蘇生魔法に脈づく魔力とは、彼の生還を誰より望むシリカの想いも背負っていたのだから。


 ゆっくりと、重い目を開くユースの動きを目の前にして、思わずシリカも小さく短い声をあげた。目覚めた彼の目の前にあったのは、今まで一度も見たことのないような、涙で顔いっぱいを塗らしたシリカの姿。薄く開いたまぶたの間から見えるその顔は、ぼんやりしてはっきりと視認できなかったけど、それが誰の顔であるのかだけはわかった。


「シリカ……さん……?」


 口を開いたユースの行動が、一気にシリカの表情を崩れさせた。生きて目の前で言葉を交わしてくれたユースの姿。とても言葉では言い表せないほどの想いと共に、ぶわりと涙を零したシリカが、倒れたままのユースの胸に顔をうずめた。


「っ……ばかやろう……!」


 命を捨てて自分の盾になろうとしたユースに向けた言葉なのか、それとも彼を死出の旅に導いた自分への罵倒だったのか。その一言を最後に、嗚咽を漏らして泣き続けることしか出来なくなったシリカの後方、ほぅと息をついたエルアーティの体がふらりと傾く。


 誰もがユースの蘇生に目を奪われていた中で、お師匠様、と素早くエルアーティの後ろに膝をつき、倒れそうだったエルアーティの体を支えたベルセリウス。力なく、完全にベルセリウスに全体重を預けるエルアーティは、力尽きたという風でぐってりしている。無尽蔵の魔力を持つ賢者と知られる彼女のこんな姿は、長年彼女の弟子であったベルセリウスも初めて見るものだ。


「つかれたわ……みんな、おつかれさま……」


「お疲れ様です、お師匠様……! ありがとうございました……!」


 いたいいたい、と小さな声でエルアーティがうめくのも仕方ない。魔王を討つため、命を懸けて臨んでくれた若き志。そのユースを死の淵から救ってくれたエルアーティへの感謝を、ベルセリウスが後ろから彼女をぎゅっと抱きしめる形で表しているからだ。抵抗したいけど、体が言うことをきかないぐらい、霊魂がばてばてのエルアーティは、力持ちの勇騎士の腕の中で、身動き出来ずに息を詰まらせている。若い頃からそうだったけど、いくつになっても気持ちに正直な弟子だと、エルアーティも痛感する。まさしく痛いぐらいにだ。


 もういいでしょ、とエルアーティがベルセリウスの腕をぽんぽんと叩くと、ようやくベルセリウスの腕の力が弱くなった。すみません、と悪びれもなく笑うベルセリウスに、仕方のない子ねと笑い返した後、首だけ回してエルアーティはジャービルを見上げる。うむ、と頷いたジャービルも、何を任されたかはわかっている。彼の生み出す魔力が、コズニック山脈の戦場から退いた友軍いっぱいに、交信のための魔力を届かせる。


「全軍に報告! 魔界レフリコスより、三人の勇者の生還を確認! 勇騎士ベルセリウス、法騎士シリカ、騎士ユーステット!」


 念ずるだけで友軍に伝えられるはずの言葉、それを大声で同時に口にしてしまうほど、ジャービルとて今は胸が高じている。そこまで言って、ちらりとエルアーティを一瞥するジャービルに、エルアーティはふるふると首を振った。私の名前なんて挙げないでよろしい、という反応だ。


「――ならびに、魔王討伐を確認! 繰り返す! 魔王討伐を確認! 戦いは終わった! 我々の勝利だ!!」


 最高最善の結果を、同じ志を持つ仲間達に伝えられるだけでどれだけ嬉しいことだろう。それに応じて返ってくる、勝利報告を聞いた魔法使いや魔導士達の喜びの声は、彼ら彼女らが念ずるまでもなく、繋いだ魔力の道筋を介して伝わってくる。報告を受けた魔導士達が、ジャービルの声を直接聞くことの出来なかった戦士達に、勝利の事実を伝えたことにより生じる、歓喜の声もここまで聞こえてくるようだ。


「んにゅ……?」


 ジャービルの大声で起こされてしまったのか、深い眠りについていたキャルが目を覚ます。遠目でその姿を見たエルアーティは、思わずくすりと笑わずにはいられなかった。まあ、彼女が目を覚ます前にユースの命を取り戻せたのはよかったと思えたし、そういう安堵もちょっと込められた笑いだろう。キャルのような子が、仮にでもユースの死を目にしようものなら、一生もののトラウマになっていたかもしれないし。


 マナガルムの鼻先で優しく背を押され、ひょこひょこと歩いてくるキャルは、あんまり状況が呑み込めていないようだ。シリカはまだユースの胸に顔をうずめて泣きじゃくっているし、そうされているユースも、今ひとつ生と死の境界をくぐってきた自覚がないようで、胸元のシリカを虚ろな目で見つめている。これを一目見て、寝ている間にどんなやり取りがあったのか、想像できたらたいしたものである。


「終わったのよ。最高の形でね」


 キャルに対して手短に告げる、エルアーティの言葉が全てだ。魔王の討伐、勇者の生還、約束された明るい未来と、それを歩んでいける平和への道の立役者達。微笑んでその事実を伝えてくれたエルアーティの表情は、キャルにも賢者の喜びがすぐわかるほど柔らかい。ベルセリウスと固く右手を握り合うジャービル、満面の笑みで拳を付き合わせる魔導士二人の姿からも、同じだけの幸せな想いを読み取ることが出来よう。


 コズニック山脈に散開する、人類の数々が歓喜の雄叫びと共に、武器を握らぬ拳を掲げた歓声。それは魔王が人類を脅かす歴史の終楽章(フィナーレ)に等しく、同時に光溢れる未来への序奏とも言えるものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ᐠ( ᐛ )ᐟヤッタアアアアアアアアアアアアハッピーエンドダァァァァァぁぁぁ‼︎イェイ\(^ω^ \Ξ/ ^ω^)/イェイイェイ\(^ω^ \Ξ/ ^ω^)/イェイイェイ\(^ω^ \Ξ/ …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ