第256話 ~最後の対話~
その気になれば、数千人を収容できるであろう広大な謁見の間。美しい絨毯を玉座へと大きく伸ばした一室は、もはや火の海に変わっている。地上のどこにも、人が降り立てるような場所はなく、火の手が上がる絨毯のみならず、白金の床さえもが油を引いたかように、うわべを火鼠が跳ね回るような様相だ。
熱気に包まれた謁見の間、高き天井のそばを舞う大魔法使いに、玉座上空に位置する大魔導士が黄金の槍を放つ。術者アルケミスからエルアーティに伸びる金色の槍は、陽炎に揺らめくようにぐにゃりと曲がる。視覚的な錯覚ではない、金色の蛇のように自在に曲がる魔王の槍は、回避しようと自在に飛ぶエルアーティを追撃するように切っ先を差し迫らせている。
かわせぬ金槍が自らの側頭部を貫く寸前、エルアーティの取消の魔力が槍に抗い、金の槍の切っ先を粉砕した。しかし地上の火の海、ある一転から飛び出した火竜の如き炎の塊が、下方後方からエルアーティに差し迫る。気配を察したエルアーティが、振り向きざまに掌をかざせば、火竜は彼女の掌の前で頭を破裂させて飛び散ってしまう。敵の魔法を打ち消し、自らへ届かせないエルアーティの魔法は、この日も大魔導士を相手に切れを光らせている。
攻め手の数々を無効化され続けることにも、表情を一切変えずに次々と攻撃を放つアルケミス。目まぐるしく空を駆け回るエルアーティの周囲には、常に五色の石が彼女を取り囲むように回転飛行している。赤、青、緑、黄、茶色の五色の石は、所有者アルケミスの思念に応じて淡い光を放つ。火の魔法の起点たる赤い石、土の魔法の起点たる茶色の石が光を交換したその直後、滑空するエルアーティの眼前空中に、突如真っ赤に焼けた溶岩の壁が生じるのだ。回避すべきか、いや、そうではない。動きを乱したエルアーティを狙撃する狙いが見え見えのこの行動、エルアーティは真っ向から溶岩の壁へと突っ込んでいく。
「取消」
突っ込んできたエルアーティを消し炭に変えるはずだった、溶岩盤の壁は賢者に触れた瞬間に爆散。しかし溶岩の壁に込められた僅かな水の魔力は、火と土の魔力とが発散させられた瞬間に、火山蒸気のような真っ白な熱い霧を生じさせる。柔らかなエルアーティの肌に火傷を負わせるほどの熱蒸気、熱を退ける魔力で自分周囲を守っているエルアーティも、致命傷にならぬ程度の熱を我が身に通し、止まらぬ目の上の汗を拭う。白い霧に包まれた眼前、蒸気の壁を突き破って自らに飛来する稲妻を瞬時に察知する。
真っ直ぐの滑空軌道を下降方面へと折り、頭上をアルケミスの放つ稲妻がすれすれで飛んでいく実感を得ながら、真下から突き上げられる岩石の槍を、魔力を打ち消すことで抹消。未だ逃げ回る一方のエルアーティの周囲、赤と緑の石が魔力を交換した瞬間が、アルケミスにとって最初の勝負手だ。
「密林の火」
エルアーティの周囲広くの空間上、無数の鬼火が瞬時にして現れる。それらはまるで獲物を見定めた蜂の集団のように、彼女めがけて多角から迫り来る。鬼火の一つ一つは小さなものだが、回避したエルアーティの後方で、鬼火同士が衝突した瞬間に小爆発を起こしたことから、それら個々が爆弾相当の威力を持つ鬼火であることは明白だ。
「……解消」
無数の鬼火を回避することに専念すること2秒、その短時間でアルケミスの魔法を解析。木の魔力で鬼火の爆発力を高める、火木術であると見抜いたエルアーティは、金の魔力で木の魔力を抑圧、水の魔力で火の魔力を無力化する魔法を展開。木が火の魔力を高めるアルケミスの魔法だが、金の魔力で水の魔力を高めるエルアーティも同じなので、単純な相性を有効にはたらかせて敵の魔法を打ち消せる。
初見の魔法も、僅かに時間を与えればこうして打ち消されてしまうのだ。だからこれはあくまで布石。エルアーティの眼前に滑り込むように現れた青い石、それを軸に彼女の後方で光る黄と茶色の石と魔力を交換したアルケミスが、周囲の鬼火を一瞬で吹き飛ばしたエルアーティへとどめの一撃を放つ。
「水銀の隆盛」
三つの石から、口を塞がれた水鉄砲のように拡散する水銀が放たれる。エルアーティを周囲三方から襲う、水銀のシャワーは彼女に逃げ道を残さない。それらはエルアーティに纏わりつくようにびしゃりとかかった瞬間、がちんと固まってエルアーティの全身を溶金属漬けの如く縛り付けてしまう。目を閉じたエルアーティの顔にまでそれがかかり、口を塞いで詠唱さえさせぬようにした直後、エルアーティの全身を水銀が一気に圧迫しにかかる。
閉じた口の奥、歯を食いしばったエルアーティの思念の魔力は、自らを拘束するばかりか皮膚を貫こうとする水銀を吹き飛ばした。触れて確信する、アルケミスの水と金と土の合成魔力を、金の魔力で膨らむ水の魔力を練成することで、敵の土の魔力を抑制する。アルケミスの金の魔力を吸収して膨らんだ水の魔力を、そのまま敵の水の魔力とぶつけ合わせ、隙から金の魔力を火の魔力で撃破。最後に残ったアルケミスと自身の水の魔力を、自らの土の魔力で同時に鎮圧することで、敵の魔法を構成する3つの魔力を処理完了。
結果としてアルケミスの水銀の隆盛を破る、解消の魔法を発現させたエルアーティが、我が身を捕えていた水銀をはじき飛ばして消し去る。服の下の柔肌に、魔力金属に締め付けられた痣を残し、熱気に満ちた空中に解放されたエルアーティの眼前には、すでにアルケミスの5つの石が集まっている。
「終末の光」
ラエルカン上空のエルアーティを、一度完全に葬り去れるほどの結果を残した大魔法。絶対死を自らにもたらす、初見でない大魔法に対し、エルアーティはどのように抗うのか。アルケミスが見定めんとする瞳の先には、死の大爆発の一瞬前を眼前に控えたエルアーティの小さな姿がある。
「抗魔侵蝕……!」
最効率でアルケミスの大魔法を封殺する手法はこれだ。火、水、木、金、土の魔力を、どの程度の配合比率でこの魔法が発現しているのかはもう解析済み。終末の光において最も大きな比率を占めるのは火の魔力、そこへ木属性の魔力を注入して炎の魔力を増幅させるも、金より水の魔力の比率が多い敵の魔力により、その魔力は増幅されて土の魔力を抑制する。時間差で注ぎ込む自らの火の魔力で以って、敵の金の魔力を抑圧し、邪魔な水の魔力を木の魔力で抑えたまま、敵の木の魔力で火の魔力を膨らませる。残るのは、自らの火と木の魔力、敵の火と水と木の魔力。
膨れ上がりすぎた、エルアーティとアルケミスの火の魔力は、終末の光のバランスを大きく崩す。本来どおりの大爆発ではなく、凄まじい火力任せのみの超爆発を起こすアルケミスの魔法に対し、両掌を突き出したエルアーティが魔法障壁を展開する。火の魔力だけならいくら大きかろうと、理論上は水の魔力の最大出力で充分に抑圧できる。我が身を骨も残さず焼く、火の魔力を抑制したエルアーティだが、残った水の魔力が生む蒸気圧、その風に吹き飛ばされて地上へと一直線。焼かれず爆風に押されたエルアーティが、火の海と化した地上へ隕石のように落下する結末だ。
エルアーティが落下した一点を中心に、業火に満ちた謁見の間の床は大きな火柱を上げた。獲物を口に入れた凶獣が喜ぶかのように昇る炎の隆盛は、賢者の焼死を連想させるもの。あれが火の海に突入したぐらいで、死ぬようなたまではないと知っているアルケミスだから、次はどう来ると自然に考えられるだけ。
「……一掃」
床一面を覆い尽くしていた火の海が、賢者のひと詠唱によって、彼女を中心に一気に消し飛ばされた。炭になった絨毯、つやめく白金の床。クリアになった謁見の間の中心、箒に背中を預けて寝そべる賢者が、低空にふよりと浮いている姿が見える。
けふっ、と咳をひとつ吐いたエルアーティの口からは、灰燼が溢れるかのように煙が漏れた。熱に満たされた大気に肺を犯され、体を起こして箒に座るエルアーティは、決して健康な顔色をしていない。服の下は水銀に締め上げられた傷を残し、すすだらけのローブや赤くなった肌からも、致命傷でない程度にダメージを受けていることは確か。無双の守備力を持つと言われた賢者が、ここまでの姿にされること自体、過去に例を見ない展開だ。
しかも、アルケミスはまだ全力を出していない。エルアーティが誰よりも一番よくわかっている。アルケミスが放つ魔法、それに込められる魔力はアルケミス自身のものだけで、魔王の魂が生み出す魔王たる絶大な魔力を一切含んでいない。魔王としての力を手にしたはずのアルケミスは、未だ人としての大魔導士の力だけでエルアーティを圧倒し、彼女に勝ち目のない戦いの構図を突きつけている。
「独りで来ることは愚策だったのでは?」
何をしている、早く我の力を解放して一気に勝負をつけろと、アルケミスの中で魔王の魂が騒いでいる。鎮まれ、まだ待てと共存する魔王の魂を抑制しながら、アルケミスはぼろぼろの賢者に自然な問いかけをする。
「いいえ、有益……!」
箒を駆けさせアルケミスに接近したエルアーティが、魔力の網を周囲一帯に拡散させる。張り巡らせた魔力の結界で敵を捕え、多角からの魔法狙撃と防御を行なう聖戦域は、エルアーティの十八番。過去にどのような敵と対峙しても、これによって敵の攻撃を無力化し、返す魔法の刃で勝利を収めてきた賢者の基本魔法とも言える。
「私の解析を先に済ませる、という意味で?」
その張り巡らせようとする魔力の網も、アルケミスが周囲に放つ魔力の刃が断ち切り、結界としての意味を為さなくする。視認できない世界下、ホームグラウンドを作ろうとするエルアーティに対し、そうはさせぬとするアルケミスの魔力が、賢者に主導権を渡さない。
アルケミスの放つ火球魔法を、エルアーティは自分から離れた地点で水の魔力を炸裂させる形で撃退。火球の中に、水の魔力を吸って肥大化する木の魔力が秘められ、火の玉が消えた瞬間に数本の枝の槍に変わるその魔法は、アルケミスの器用な魔力の扱いようを証明するものだ。そんな枝槍の数々を、目の前に展開した第二の魔法障壁で防ぎおおすエルアーティも、自分周囲に展開した聖戦域によって、より有効に戦いの展開を操っている。
開戦からすぐに聖戦域を使わなかったエルアーティは、細工なしでアルケミスの魔法をいくつも真っ向から受け止め、彼の魔力に基づくアルケミスの精神模様を解析していたのだろう。後に駆けつける、ベルセリウス達が加わった後の戦いで、より有利に戦いを進めるためにだ。仲間を守りながら戦うよりも、一対一で敵を解析した方が、守るのは自分だけでいいから余程に楽。
多大なリスクを乗り越えて、生存したエルアーティによる反撃が、あらゆる方向からアルケミスを襲う。火球に水の矢、岩石弾丸に稲妻、杖の一振りでエルアーティの放つ魔法の数々を吹き飛ばすアルケミスだが、その余波を感受するエルアーティの魔力の糸は、不意打ち気味にアルケミスの足元から金属の槍を突き上げる。しかし自らの顎を串刺しにする槍を視界外から差し向けられても、アルケミスは悠々と後方に跳び退いて回避するだけだ。
背後にエルアーティの張った魔力の糸があるのもわかっている。念じると同時、魔力の波で張り巡らされたエルアーティの魔力を吹っ飛ばし、賢者の頭上に魔力の塊を生成。一瞬で巨大な岩石が生成されたかと思えば、それは素早く滑空するエルアーティ目がけ、急加速度を得て一直線。
「丸め込み」
幼い自分の体の数倍ある岩石の襲来に、パチンと指を鳴らしたエルアーティの魔力の糸が、一瞬にして岩石に集う。激流を泳ぐ魚を捕える網のように、岩石の勢いを殺したエルアーティの魔力は、術者アルケミスに岩石を投げ返す結果を作り出す。跳躍して回避したアルケミスが、エルアーティの周囲を取り囲む五色の石を光らせる行動にすぐさま移る。
「雷車獄」
「不落……!」
高度を上げ、アルケミスから離れた一点でエルアーティが静止した瞬間、彼女の周りを高速回転する五つの石が、賢者を狙い撃つ稲妻を放つ。目にも止まらぬほどの速さで動く砲台、それが稲妻の一斉放火を自らへ放つ地獄の空間内、両手を広げたエルアーティが自らの周りに抗魔の障壁を張り、耐え忍ぶ。
稲妻の内包する魔力の色は、一秒ごと一瞬ごとに五色の魔力を掛け合わせ、決して一様の色には染めない。エルアーティが対抗魔力を作り、魔法を打ち消そうにも、対応する魔力の色を定めさせないためだ。消せない稲妻の檻に捕えられたエルアーティの動きが完全に封じられ、汗にまみれた顔色を歪ませる師の姿も、稲妻の隙間からアルケミスには見えている。
「らしくないと思うのですが」
こんな苦しい戦いに自ら首を突っ込み、命を危機に晒すことを好むエルアーティでないことは、弟子であったアルケミスが一番知っている。間違いなく、今は自分がエルアーティを押している。守りに秀で、攻め手に欠く自分がアルケミスと戦えば、こうなることぐらいエルアーティもわかっていたはずだ。知りたいという想いから何かに挑戦しても、その果てに殺されてしまったら、得たものを活かす時間も存在しなくなるというのに。
我が身をちりちりと焼く火花に片目を閉じながらも、エルアーティは小さく笑い返した。余裕のある笑みでは決してない。それでも挑戦的な表情をアルケミスに返すエルアーティの表情は、彼女を師として見上げ続けたアルケミスにとって、初めて目にする表情とも言える。
「あなたは私のことを正しく知らないだけ」
稲妻の檻に閉じ込められたまま、はぁっと息を吐いたエルアーティの行動。それに伴い発生する魔力の波動は、稲妻に抗うためのものではない。目に見えて空気が揺らぐほどの魔力の波は、真正面からアルケミスを貫いた。それは触れた対象を傷つけるためのものではなかったが。
「光魔の手……!」
稲妻の檻を突き破り、エルアーティから放射状に放たれた光の砲撃は、弧を描くようにしてどれもがアルケミスへと襲い掛かる。捕捉の魔力で狙撃対象を定めたエルアーティが、敵を逃がさず焼く光熱の魔法を、囚われた空間下から外界に放ったのだ。
後方に我が身を逃すと同時、自らに纏わりつく捕捉の魔力を吹き飛ばせば、対象を見失ったエルアーティの光線は、アルケミスがいた一点で衝突し合って爆滅する。しかし動いたアルケミスに触れる、新たな魔力の糸が担う力とは、再びアルケミスを認識する捕捉の魔力に他ならない。
「これは……」
光線を放ったあの瞬間、謁見の間いっぱいに聖戦域を張ったエルアーティが、あらゆる角度からアルケミスを狙い撃つ。まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされた賢者の魔導線は、すべてが連動するようにして全方位からアルケミスを狙い撃つ。素早く地上を駆け、それらを回避するアルケミスが過ぎ去った後を、火球が焼き石の刃が突き刺し、さらに逃れる大魔導士を稲妻が狙い撃つ。
回避に意識を削がれた一瞬の隙、自らを取り巻く稲妻の檻の魔力が一様に定まった瞬間、解消の魔法で雷陣を吹き飛ばすエルアーティ。振り返り、視界の中心にアルケミスを捉えた瞬間、エルアーティがその右手を開いて振り上げる。
「雷滅炎……!」
「絶対防御……!」
エルアーティが掲げた手を振り下ろした瞬間、獲物を逃がさぬ魔力で捉えられたアルケミスの上空から、業火と天雷が混在する高圧の魔力が襲い掛かった。真正面からそれに向き合うアルケミスが、難攻不落の魔法障壁を展開した瞬間、凄まじい圧と熱を持つエルアーティの攻撃魔法が、アルケミスの盾にぶつかる。
受ける側のアルケミスも、攻め手に欠ける賢者と知られる彼女が、これほど凄まじい威力の攻撃魔法を行使する姿には驚きだ。炎と稲妻を形成する魔力を介して伝わる、敵を滅することを強く決意したエルアーティの精神を感じ取るアルケミスにとって、これほど攻撃的な側面を見せる賢者は意外とさえ言える。
「……型を捨てましたか」
「いいえ、私本来の性格」
堅固な要塞に踏み込んできた敵を、圧倒的守備力で封殺しつつ、構えた罠で討ち取るエルアーティの戦い方。聖戦域を使ったエルアーティの戦い方とはそういうものだ。そのスタイルを捨て、見定めた獲物に猛襲を仕掛けるエルアーティの戦い方を、型を捨てたと形容したアルケミス。否定するエルアーティ。
「あなたを討たねば、また魔王の時代が訪れるのでしょう?」
「それは貴女にとって困ることなのでしょうか」
エルアーティの性格は知っている。魔物達が人の歴史を飲み込み、人類が支配される結果になったとしても、彼女はそれで胸を痛めたりしない。それもまた人の世の運命、そう見定めてあっさりと受け入れてしまうタイプの人間だ。アルケミスを討つために、これほどの魔力を生み出すエルアーティの攻撃的な精神力は、そうした賢者本来の性格と全く一致せず、知る彼女と今の彼女の様相の剥離にアルケミスは戸惑う。
「私は困らないわ。だけど、あの子が泣いてしまう」
たった一人、すべてに優先して守りたい人物がエルアーティにはいる。その親友は、魔王が跋扈し人の世に多くの死者が生まれることになった時、絶望に打ちひしがれて毎日涙を流すだろう。そんな結末は認めない。魔王を討ち、彼女の望んだ泰平の世を導かんとする賢者の魔力は、アルケミスの障壁を揺るがす炎と稲妻の砲撃をさらに強くする。力押し、それが彼女の決意を何よりも表現している。
「人は私を、受けに回ってこそ最強の魔法使いと呼ぶけれど」
口の端を上げたエルアーティの表情が揺らめいた瞬間、アルケミスの周囲にいくつもの鬼火が発生する。これはアルケミスが一度エルアーティに向けて放った、密林の火の魔法と酷似している。アルケミスの周囲に張り巡らせた、魔力の結界聖戦域を以って、今日初めて見た魔法を限りなくオリジナルに近い形で模倣するエルアーティに、アルケミスも思わず舌打ちだ。
「今日の私は、攻めなのよ」
その一言を合図に、無数の鬼火がアルケミスへと蜂の群れのように強襲。魔法障壁を正面だけでなく、自分周囲を取り囲むように変形させたアルケミスへ、爆弾相当の鬼火が次々と着弾する。小爆発がアルケミスの立つ地上点にいくつも発生、火柱は噛み合うように膨れ上がり、最後にぎらりと目を光らせたエルアーティの、火と稲妻の砲撃がアルケミスを一気に押し潰す。
魔王が君臨する謁見の間、その中心で高き天井まで届くほどの火柱が上がり、魔界の王たるものが聖火に焼かれる絵図。魔王のあらゆる攻撃を受け切り、空に身を置くエルアーティの一矢報いた炎に身を晒すアルケミスは、炎の中で動かずにたたずんでいる。
どうだマーディス、これでわかっただろう。私も知らなかった人類最強の魔法使いの一人、エルアーティの本質を見たか。いずれ私の肉体と霊魂を支配し、あれと戦う貴様にとっては必要な情報であったはず。それを導くために私がいる、貴様はまだ黙っていろ――そう胸の中の魔王に釘を刺すアルケミスに応じるように、騒ぎ立てていた魔王の魂が静まっていくことで、ふうとアルケミスは安心したように息をつく。火柱の中で。
「抹消」
まるで神が災厄を一息で吹き飛ばすかの如く、炎と稲妻が織り成す自分周囲の火柱を吹き飛ばすアルケミス。涼しい顔、無傷。やはりね、と苦笑いするエルアーティを見上げるアルケミスの目は、今や完全に人としての大魔導士のそれに戻っている。
内在する魔王の魂がある限り、自らの脅威たるエルアーティへの殺意を消すことは出来ない。そういう存在に自分は生まれ変わってしまったのだ。恩師を生還させ、自らが伝えた魔王と魔界の真理を持ち帰る道を恩師に与えたい真意とは相反する、決して消えない殺意なのだ。人はそれを宿命と呼び、それを乗り越えるエルアーティを望むアルケミスにも、同時に師との最後の力比べを心行くまで楽しみたい想いがある。
「お師匠様。もう、おわかりでいましょう」
「あなたの死が、魔王の完成に繋がる」
「今はまだ、"私"ですがね」
"大魔導士アルケミス"の討伐、それが"魔王アルケミス"が始動する時。魔王を討ち果たし、それが跋扈する時代を終わらせるための道は、まだ半分も過ぎ去っていない。言い換えれば、その半ばまでは人としてのアルケミスと語らえる時間が終わらないとも言えることでもあるのだが。
「……そろそろ、お別れの時間にしましょうか」
「ええ、それでいいのです」
最後に微笑み合う、決別に向けた師弟の疎通。こんな形でなくたって、別れはいつか必ず訪れていたはずのこと。そうして現実を受け入れる便利な言葉を構え、今と向き合うのも大人には必要なことだ。
「では、始めましょう……!」
アルケミスが魔力を一瞬で練り上げ、真正面からエルアーティへと、炎と稲妻が織り成す特大の砲撃を発射する。貴女の魔法と同じものは私も使える、第二ラウンドのはじまりを意趣返しで飾るアルケミスの態度には、よく知る弟子の心の込められた魔法と向き合うエルアーティも、寂しく微笑まずにはいられない。
エルアーティは構えなかった。謁見の間の入り口を背にした彼女の後方から、三つの影が接近していることを知っていたからだ。背伸びしたって、自分一人でアルケミスを討つことは不可能だと知っている。新たなる時代の扉を開くのは自分ではなく、過去と今を全て知る一人の勇者と、新時代の主役になっていく若き勇士達だと、エルアーティは強く信じている。
一人目勇騎士。エルアーティを飲み込もうとしていたアルケミスの砲撃を、間に割って入った勇騎士の剣が、ばっさりと斬り割いた。守るべきものを護るため、あらゆる邪を防ぐ封魔聖剣の力は、アルケミスの大魔法を師に届かせない。
二人目法騎士。勇騎士がアルケミスの砲撃を断ち切り、拓いた空間に駆けて踏み込んだ彼女は、翡翠色の勇断閃の魔力を纏った騎士剣を振り下ろす。それは対象たるアルケミスをまだ遠くに構えながらも、剣身より遥かに伸びる巨大な魔力の打ち降ろしにより、アルケミスを真っ二つにするための巨大な軌跡を描く。
三人目。後方に跳び退がり、巨大な翡翠色の太刀筋を回避したアルケミスに、真正面から一気に駆け迫る若者がいた。アルケミスの眼前へと一気に迫った彼の騎士剣は素早く、アルケミスも瞬時に額にしわを寄せ、杖を構えて騎士剣の一振りを防ぎおおす。
「なるほど、いい目をした奴だ……!」
杖術のエキスパートであったアルケミスは、魔導士でありながら白兵戦においても、騎士に引けをとらない人物だった。渾身の一振りを食い止められたユースが、ぎり、と歯をくいしばる眼前、ふっと笑ったアルケミスの全身から溢れる魔力。至近距離、最強の魔導士と呼ばれたアルケミスの破壊魔法が発動すれば、対峙するユースに生き延びる道はあるだろうか。
アルケミスの魔法が発動する一瞬前、ユースの後方から駆けた二人の騎士が、アルケミス目がけて疾風の如き騎士剣を迫らせた。ひらりと上空へ逃れるアルケミスは笑い、高みから三人の騎士を見下ろす。人類の未来を懸けたこの一戦、エルアーティが聖戦に招待した騎士三人の目を見比べるアルケミスは、何かを納得したように小さくうなずいた。
「アルケミス……!」
「……お前と戦うのはこれで二度目だな、ベルセリウス」
もう二度と戻れぬ過去を思い返すと同時、同じ高さに身を浮かせるエルアーティに顔を上げるアルケミス。つくづく人選には長けた人だ、と、師の賢しさに感服するアルケミスの正面には、自慢げに笑うエルアーティの姿がある。
「さあ、アル。終わらせましょう」
「望むところです……!」
最強の魔導士と呼ばれて名高きアルケミス。魔王を討ち果たした勇者に名を連ねる勇騎士ベルセリウス。両者の師であり自身も高名な賢者として名を馳せるエルアーティ。そして、大精霊の加護を得てこの檜舞台に招かれた法騎士シリカと、魔王となりしアルケミスに第一撃の刃を浴びせた勇敢なる騎士ユーステット。役者は揃った。魔王に、賢者に、運命に導かれし者達が集いし魔界の最奥地で繰り広げられるのは、人と魔界の未来を定める最終戦争に他ならない。
向こう数百年にも渡る命運のすべてが、この日明確に定まるのだ。念じただけで、大気を震わす波動を一帯に走らせる大魔導士の気迫は、最終決戦の幕を開ける鐘の音に相当するものだった。




