第251話 ~騎士ふたり~
「……今、どうなってるんですか?」
「ひと山越えてるよ。ゆっくりしてろ」
ユースがウルアグワの世界に取り込まれていた時間は思いの他長かったらしく、現世に還ってきたユースの前、状況は随分と変わっていた。多数の魔物を迎え撃っていた様相は晴れ、今は掃伐した魔物達の骸の数々を前に、しばしの小休止を挟んでいる時間帯。ユースの問いに対するマグニスの短い答えに、それらの意味はすべて詰められている。
「にしてもシリカ、どうするよ。そろそろこの小隊も限界だぞ」
「……わかっている。今、考えてる」
同時にこれは敵の本拠地を近くした、山脈進軍部隊にとっての最後の休息だ。ここから出陣すれば、以降まず間違いなく休みなしで、魔界レフリコスまで突っ切ることになるだろう。今現在はまだ500人超の頭数が残っているが、そのすべてが最後まで戦える力を持った兵とは到底言いがたい。最後まで辿り着く見込みのない者は、ここにおける隊の編成で撤退させるのが指揮官の務めだ。
夢魔ウルアグワの霧に呑まれて消え、その上で帰ってこられたのはユースだけ。最前列の兵力を大きく削がれたことにより、ここでの戦いは相当に隊を消耗させる結果になった。死傷者の数も本来の想定を僅かに上回っており、戦死に至らずとも継戦能力を失うだけの傷を負った者も多い。なんとしても友軍の死者を招かざれやと、過剰に魔力をつぎ込んで応戦してくれた魔法使いは、とうに霊魂を疲弊させきって、以降の戦いで力を出せる状態ではない。ユースを救出するために全魔力を注ぎ込み、今やマグニスに体を預けて立つことも出来ない、チータあたりもその例だ。
最終進軍を前にして、何人かの兵は撤退させ、生きて人里で勝利報告を待つ身に変えてやらねばならないのだ。確かに戦争において兵とは駒、しかしそれ以上に、兵とは人であり国家にとっては民なのだ。戦場において戦力にならぬなら、引き退がらせて生存させる選択を取らねばならない。まだ戦えるものを護送の役目につけ、危険な山脈を生還させるために兵力を割くという、進軍部隊にとっての損失も伴うものだが、それでも死ぬとわかっている命を無為に送り出してはいけない。
「チータは確定、アルミナも限界だろ」
「……そう、かもしれませんけど」
チータは言わずもがな継戦能力なし。アルミナも、見るからに帰りたくなさそうな顔を見せているが、ここらが潮時だと自分でもわかっている。ここから先、帰還者も多く兵力が少なくなる上で、敵対する魔物の強さはここまでと変わらないのだ。単身で戦う力に秀でるわけでなく、周りの間隙を縫ってのサポートでこそ力を発揮するアルミナにとって、友軍の兵力が心細くなるここからの戦いはきつ過ぎる。
「ねえ、キャル。お願いが……」
「イヤ」
「ま、まだ何も……」
「行くのは私だよ」
マナガルムをそばにおくキャルに歩み寄るアルミナだが、その口から溢れかけたアルミナの頼みごとをキャルは一蹴した。言われなくてもわかる、マナガルムを貸してくれと言うのだろう。そうすればアルミナも射手としての立ち回りがやりやすくなり、継続参戦できるだろうけど、代わりに撤退するのはキャルということになる。それが見えてて誰が譲るかと、キャルの眼差しがアルミナを見上げて突き刺す。
最後まで力になりたい、帰りたくない、そう考えるアルミナと同じで、キャルも同じ考えだということだ。ましてどちらが生存の目が強い撤退組に入るかという話になれば、アルミナとキャルの二人が考えるのは、自分ではなく相手の方を帰らせたがるに決まっている。マナガルムは渡さない、生きて帰るのはあなただと、絶対に譲歩しない瞳を突き返してくるキャルを前に、アルミナもがっくりと肩を落とす。
「……本当、無茶だけはしないでよね」
「わかってる。もう、わかってるよ」
一度命を捨てかけた前科はあれど、だからこそ後悔の末に、みんなと生きての日々を歩まんとするキャルの精神力は強固なものだ。理屈で丸め込むよりも信じることが大切、キャルの前から一歩後ずさるアルミナの目には、妹を案じる想いが色濃く表れているが、彼女を送り出す決意は固まったとも見える表情だ。なにも案じて縛り付けるばかりが愛ではないと、アルミナだってわかっているのだから。
「まぁ俺も撤退組だろうな。ガンマもだぞ?」
「うー……」
あとは撤退するアルミナやチータ、ならびに友軍の撤退組を、山脈外まで帰還させるための兵力が必要だ。深きコズニック山脈、どこでまた魔物と遭遇するかもわからないのに、戦えない者だけで帰れだとか馬鹿げた要求である。マグニスやガンマのように、継戦能力と高き実力を持つ者が、進軍する兵力に加われないのは痛いが、逆にそういう者が撤退組に混ざれば、撤退組の護送役の数を削れるし、相対的に進軍部隊の頭数も多く確保できる。
熟達、老練の帝国兵や魔法使いを進軍枠に割くことは決して無駄なことではない。魔物達にさんざん苦しめられてきたこの時代、人類軍の層の厚さは確かなのだ。緻密なバランスが要求される、撤退護送枠と継続参戦枠の割り振りだが、比較的若いマグニスやガンマ、かつ戦闘能力の高い二人が撤退護送枠に入るのが妥当な選択だろう。まだまだやれる、進んで力になりたいと考えるガンマの不満も顔に現れているが、撤退組を生きて人里に還すのも大事な仕事。それをわからぬガンマではないのだから、いざ動き出せば前向きに動いてくれるだろう。
第14小隊において、シリカは勿論キャルとマナガルムは継続参戦。チータ、アルミナ、ガンマ、マグニスの4人は撤退。マグニスが一人で話を進めているが、シリカもその辺りに関しては同じことを考えているようで、目配せしてどうだと問うマグニスに、うなずき返して仕切りを任せている。シリカも戦人として、少しでも長く参戦して力になりたいと考える気概には理解を示せるし、帰れ撤退しろと命令するのは心苦しさを感じたりもするのだ。勿論マグニスが仕切らなくたって自分の口で言うことだが、饒舌なマグニスが歯に着せずに言いづらいことを言ってくれる姿には、シリカも助けられている自覚がある。
「……んで、そいつどうするよ」
問題はあと一人だ。シリカの隣で座り込み、静かに体を休めているユースだが、外面に見えるほど今の彼が健常体でないことは周囲もわかっている。外傷なし、息を荒げるわけでもなし、だからまだまだ戦える、と判断するには、ユースの目があまりに焦点を定めていないからだ。マグニスが指差され、周りの注目を浴びるユースだが、それに気付いて顔を上げるのにも数秒かかっている。心ここにあらず、うつむいたまま上の空であったことは明らかだ。
シリカの視界の端、首を振るチータの姿も、シリカの悩みを後押しする要素だ。夢魔ウルアグワの世界に引きずり込まれ、魂をぼろぼろに痛めつけられたユースの実状は、明確に目に見えるものではない。しかし、戦場下の休息中においても、どこか集中力を失ったようにぼうっとするユースの姿を見ていると、共にユースと魂を同調させて戦っていたチータ以外の目にも、今のユースの魂の疲弊が映りかける。霊魂とは、精神と肉体のはたらきをつなぎ合わせるための重要な要素であり、霊魂が疲労困憊して正しく機能していないものは、いくら気概が強くてもそれに応じた意識も動きも保てない。今のユースの姿は、まさしくそれを思わせるものだ。
肉体と精神、霊魂の関係性を詳しく勉強しておらず、理屈のわからぬガンマでさえもが、今のユースを見て何かおかしいのはわかるのだ。このユースを、戦場に送り出していいものかと聞かれ、自信を持って首を縦に振れる者はいない。むしろ心配になる想いの方が強い。
「ちょっとシリカ、来い」
チータをガンマに預け、少し離れたところへ歩いていくマグニス。何を言われるのか、ほぼほぼわかるシリカも腰を上げ、マグニスについていく。シリカを目で追うユースだが、少し不安そうな顔だ。彼もまたアルミナやガンマ達と同じで、こんな所で引き退がりたくない。
「……お前の気持ちはわからんでもないが、あのユースを連れていくつもりか」
「…………」
「考え直した方がいいぞ。ユースが死んじまったら、後悔するのは目に見えてるだろ」
ここから先は、魔王の居城への一本道。予測される限り、二百名を下回る総数の兵での進軍になるだろう。目的地に辿り着くか、脱落するかの旅路だ。脱落するにしたって、纏まって撤退できる今のラストチャンスを流して以降、危険な山奥から少数で撤退なんて、生還できる見込みは果てしなく下がる。今撤退するか、最後まで戦うか、賢明な岐路は間違いなくここにある。
ただでさえ、望むままに体を動かせるかどうか怪しい、霊魂をウルアグワに打ちのめされた後のユース。ここからの戦いで、彼が英雄の双腕を発動させようとしたって、その際にもさらにまたユースの魂が打ちのめされるのだ。最後まで戦い抜けるとは思えない。だからマグニスは、撤退組に護衛がしっかり入る今のうちに、ユースを退がらせろと提言している。
シリカだって、頭で考えれば考えるほど、それが間違いなく賢明であるのはわかっているはずなのに、どうしてそんなにつらそうに悩むのか。マグニスは全部わかっているのだ。その上で、正しい選択をしろと迫るのが、シリカを追い詰めることになるとわかっていても、ユースの命を天秤にかければ譲れない。
「旦那がここにいれば、違うことを言うかもしれねえけどな。俺は……」
「……いや、うん。そうだよな……それが、正しい」
ユース達に見せない角度で、暗い瞳を落としていたシリカだが、顔を上げてマグニスに答えた言葉はそれ。元気のないかすかな笑顔、その表情にあるのは、正しい選択肢を推してくれたマグニスへの感謝の想いもあったのだろう。ユースを置いて、この先へと進む決断をしてくれるシリカに、それでいいんだと一言返すマグニスも、小さくひとつうなずいて。この先のシリカを想えば、今度はシリカのことが心配になるが、ユースが生きて帰れるならばその収穫とは充分釣り合うはずだ。
「――シリカさん」
答えをユースに告げようと、彼の元へと歩きだしかけたシリカ。そこへ自分から近付いてきて、一声放つユースの行動は、マグニスでさえも予想していなかったことだ。マグニスでさえも読めなかったことなんだから、シリカなんて驚いて目をぱちくりさせてしまったほどである。
「連れて行って下さい。最後まで戦いたいんです」
ユースもどこか不穏な空気から、自分が撤退組に組み込まれる予感がしていたのだろう。それを拒み、シリカとともに進軍したいという瞳には、強い意志力が宿っている。シリカとユースは背丈も同じぐらい、目線の高さが等しいからこそ、真正面から刺さる決意の眼差しも鋭さを増す。
「あのな、ユース……」
「……行けそう、なのか?」
無茶を言うユースを制止しようとしたマグニスの横、ユースに問いかけたシリカの行動が、彼を帰還させようとするマグニスの思惑を破綻させる。ユースの行く末を決められる人物は二人だけなのに。彼自身の決断する意志と、その上官であり命令を下せるシリカだけなのに。
「やれます。やらせて下さい」
「……そうか」
この言質を取られてしまい、マグニスがきつい眼差しでシリカを睨みつけている。全部わかっている、シリカが本心ではユースを連れて行きたいことぐらい。はっきり言って、ユースの命を危ぶめることになるとわかっていながら、シリカがその決断を踏んだとしても、マグニスは責める気にもならない。それだけユースがシリカと共に歩んでいくことは、シリカにとって絶大な価値を持つことを知っているからだ。マグニスは決して、ユースだけに対して優しくするような偏った目線は持っていない。
それでも命を天秤にかけた時、正しい決断とはいかなるべきか。やめておけ、と眼差しで訴えかけるマグニスに突き刺され、シリカも最後の一言を吐き出せないでいる。ユースには来て欲しい、だけど予見されるとおり、ユースが命を落とすことになってしまったら? エルアーティの残した不吉な予言も、不意にここで心中に蘇り、切望と理念の狭間でシリカが口を開けない。
「……行かなきゃ一生後悔するって、この人の魂が訴えかけてるの」
突然ユースの後ろから、第三者の声がした。ひょこっとユースの肩の後ろから顔を出した、小人のような大きさの妖精が、そう言ったのだ。ずっとアルミナの魂を支え、彼女が空を舞うための魔力を生み出す助けに従事してきたベラドンナが、なぜユースの背中から出てくるのか。
「お前っ……!」
「や……! お、怒らないで……でも、っ……」
忌々しい思い出の多い妖精を目にして、一気に目の色を変えるマグニス。その剣幕が恐ろしく、ユースの肩の後ろに顔を引っ込めてしまうベラドンナ。頭の回転が速いマグニスは、ベラドンナがユースの背中にひっついている理由まで想像が届き、それが自分の計画を完全に破綻させ得るものだと気付いている。
「こ、この人の魂、今は傷だらけだけど……私が支えれば、まだ戦い続けることは、きっと……」
ほらやっぱり。舌打ち一発挟んで、ベラドンナの相方だったアルミナの方へとつかつか歩いていくマグニス。やばい、かなり怒っていると見えたアルミナも、座り込んだままたじたじの表情だ。
「あのな……!」
「い、いや、わかってるんですけど……マグニスさんにもわかるでしょ……?」
アルミナにもわかっているのだ。ユースがシリカについて行くことが、どれほど大きな意味を持つことかぐらい。だから、死ぬかもしれない道へとユースを送り出すことと天秤にかけ、ベラドンナをユースの元へ預け、彼を戦場に送り出そうとしている。決して考え無しの行動でないのはマグニスにだってわかる。
無言で自分の赤毛をがりがりと引っかき、どいつもこいつもと苦々しい顔を露骨に見せるマグニス。これでユースが死んだらお前らのせいだぞ、という痛烈な言葉も、心無く吐けずに呑み込むしかない。言葉で強く痛めつけてやるのはやり過ぎだと思うぐらいには、アルミナの判断もまた間違ったものではないからだ。
シリカと向き合うユースをちらりと見るマグニス。体に問題はなし、傷だらけの霊魂もベラドンナという支えを得て戦い続けられる形になるのなら、継戦能力は充分に保たれている。だったらもう、シリカの決断は一つしかないじゃないかと、溜め息が出そうになる。
「……来てくれるか?」
「はい……!」
人の気も知らないで、二人ともほっとするような顔をして。いや、一方のシリカがその裏で、新たな決意を掲げていることはわかっている。それにしたって、と、マグニスはとうとう我慢できず、大きな溜め息を吐かずにはいられなかった。
再びユースに近付いて、大きな平手でユースの背中を思いっきり叩くマグニス。目も覚めるような痛みに小さく悲鳴をあげたユースだが、それを無視してシリカを睨みつけるマグニスは、出陣前のシリカに強く警告する。
「第14小隊隊長、法騎士シリカさんよ。俺にさんざん働けと説教してきたんだ。ここだけは絶対にしくじんなよ」
「……やってみせるさ」
勝利をもたらし、部下を守り、揃っての生還。指揮官に最も求められる使命とはそれだ。必ず敵将を討ち、ユースともども生きて帰って来いと突きつけるマグニス。4年以上、しっかり果たしてきた、第14小隊の指揮官としての役割。苦難が先に見えているとわかっていても、絶対に果たし漏れてはいけない絶対の決意を、シリカははっきりとマグニスに返した。
何するんですかと振り返ってマグニスを見上げるユースに、頭をくしゃりと撫でて返すマグニス。言葉は無かった。時々垣間見せてくれる、強い感情のこもった眼差しだけで充分だ。過程なんかどうでもいいから、ともかく絶対生きて帰って来い。2秒ユースと目を合わせ、ふっと再びシリカに目線を戻した時間だけで、そんなマグニスの想いは受け止めることが出来た。
法騎士シリカと騎士ユーステット、相棒マナガルムを従える傭兵キャル。継続参戦する3人が確定したちょうどその頃、周囲の隊の数々も撤退と参戦に分かれる采配が定まりきったようだ。撤退する者達の集まりに向け、マグニスがアルミナ達を先導する。シリカの先導でユースやキャルも歩き出し、3人と1匹が参戦組の集まりへ向かい始める。
「ユース」
撤退組に混ざる前、後ろから駆け寄った彼女の声が、ユースの足を引き止める。愛用の銃を抱きかかえ、ユースの前で立ち止まったアルミナは、少しの間無言でユースと向き合う。どんな言葉を預けてくれるのかは予想できる親友だが、ユースは時間を惜しむこともなく、アルミナの言葉を待ち続ける。
「シリカさんをよろしく。あんたにしか出来ないことよ」
生きて帰ってきて、絶対に死なないで、そういった言葉を予想していたユースにとって、あまりにも予想外の言葉だっただろう。大きくない声で発されたその言葉は、離れた位置にいるシリカには聞こえてはいなかったはず。汗ばんだ手を差し出すアルミナ、その手を握り返すユースが返す答えも決まっている。
「……頑張ってくる」
「うん、頑張って。あんたなら、必ずやれるはずだから」
自信のない回答が来ることだって織り込み済みだ。力強い笑み、鼓舞する言葉。ユースの手を離したアルミナの姿は、拭いきれない不安を一抹、心に抱えていたユースの胸に光を差し込んでくれる。夢魔の世界でチータの声が、闇に差す一筋に光であったように、アルミナの姿そのものはいつだって、ユースにとっての太陽でいてくれた。
アルミナに背を向け、進軍への道を歩いていくユースを待つ法騎士も、ユースにとっては夜闇を孤独に感じさせない月。戦場はいつだって、死と隣り合わせの伏魔殿。そんな中で戦い続けてきたユースのそばに常にあり、迷いや恐れを拭い去ってくれたあの人と、かつてない死闘へと踏み込んでいく。だからユースは湧き上がりそうな体の震えを退け、勇気を胸に大悪に立ち向かう足を進められる。
何度だって確信を持って言えることだ。自分はここまで一人で来られたわけじゃない。当たり前の事実を、常々忘れず認識し続けられるほど、心強い人がそばにいてくれたことの幸福は、何にも代えがたい現実としてユースの胸に宿っている。
「さあ、行こう」
「はいっ!」
少年は男へ、騎士は勇者へ。法騎士シリカの声に導かれ、駆け寄るユースが航路に乗る。人類の命運を定める歴史的一戦、魔王との最終決戦への処女航海が、ユースの盾を帆に代えて始まるのだ。




