表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第15章  光を目指した組曲~パルティータ~
265/300

第250話  ~夢魔の世界⑤ 光へ~



 首を斬り落とすかのような一閃の剣。それをユースが最小限にかがんでかわしても、最速で剣を返すより速くウルアグワの蹴りが飛んでくる。身を沈めたユースは盾を構えて腹部への蹴りを防ぐが、鋼のブーツによる突きは重く、ユースの表情を歪ませる。既に全身ずたずたの身では、どんな衝撃を体の一部に受けても全身を駆ける衝撃が体に悲鳴をあげさせる。


 痛みは戦士の動きを鈍らせる最たるものだ。激痛をこらえてカウンターの騎士剣を振りかぶろうとした瞬間には、既に頭上からウルアグワの騎士剣が振り下ろされている。ほぼ反射的に身をひねってかわせたのも、良い反応と言えば聞こえはいいが、咄嗟の判断で次が用意されていない以上、限られた選択肢を強制させられた形と変わらない。


(折れるな、ユース……! 勝てない勝負じゃない……!)


「防戦一方だな」


 勝てると唱えるチータの訴え、声色で無駄だと示唆するウルアグワの囁き。砂上に浅く立てられた枯れ枝のように、既に今にも崩れて倒れそうなユースの心に、圧倒的な力で押してくるウルアグワが与え続ける絶望感は痛烈だ。それでも信ずるのは、悪魔の姦言ではなく仲間の箴言。へし折れそうなユースの精神力を、チータの叫びが懸命に支え続けてくれている。


「くっ、が……!」


 頭上から迫るウルアグワの剣を、振りかぶった盾で横殴りにはじき飛ばすユース。腕が痺れる、あるいは芯である骨がみしついたかとも思えた。覚悟の上での痛みを全部奥歯で噛み潰し、ウルアグワの胴体を真っ二つにするユースの剣が振るわれる。間違いなく最高のタイミング。


 ふん、と余裕の一声とともに跳躍したウルアグワが、その一閃を容易に回避。無重力空間にいるように、地に足着けぬ動きが自在のウルアグワが、ユースを跳び越えるに際して頭上から騎士剣を振り抜いてくる。ユースの頭を、前と後ろの真っ二つにする太刀筋だ。


 かがむと同時に、自分を跳び越えて後方にいるはずのウルアグワに、片足軸に高速回転して向き直るユース。しかしそこにウルアグワの姿は無い。空間上、どこでも静止と加速が可能であるウルアグワは、既にユースの背後上空にいる。それがユースの後頭部めがけて、騎士剣による突きを放ってきた殺気には、ユースの全神経が瞬時に警鐘を鳴らす。


 またも片足軸に身をひねったユース、ずらした頭、耳のすぐそばをウルアグワの剣がかすめていった恐怖は言葉では言い表せない。しかし回転によって後ろへと視野を広げたユース、視界に黒騎士の姿が入った瞬間に剣を振るうのもまた速い。それを、まるで空中で地を蹴ったかのように後方に退がり、悠々と回避してしまうウルアグワの動きには、まだまだ余裕が感じられる。


 頼れる仲間の実体もそばに無し、ベストであるはずの反撃をことごとくかわされ、勝利への一手がどんどん遠くなるように感じる。攻撃をかわされるたび、決死の一撃を放つためにこらえた苦痛が、本来あるものと重なって二重苦のようにのしかかる。すかさずユースに接近し、右手の剣を、時に左の拳や蹴りを放って追い詰めにくるウルアグワに、ユースは回避と防御を強いられ続ける形に戻される。


(しっかりしろ……! 独りで戦ってると思うな……!)


 精神の屈服はすなわち、今のユースにとって霊魂の消滅。魂が仮初めに作り上げた今の肉体を、戦える形で動かしているのは精神力なのだ。好機掴めず窮地の沼に捕われ、心まで砕けそうなユースに差し込むのは、闇の中に一筋駆けるかすかな光、友の声。顕現した翼も活かせず、単身では討てぬ黒騎士を前にして追い詰められるユースに、チータが希望を全身全霊で注ぎ込もうとする。


 万物を断つ剣は、軌道自在のウルアグワに対抗し得る翼は自分の力なのか。そうじゃない。この力を思い描かせてくれた、強くて大好きな仲間達に並びたくてずっとやってきた。みんなと二度と会えなくなるなんて絶対に嫌だ。ウルアグワの剣が、ユースの胴元を真っ二つにする太刀筋を駆けようとした瞬間、地を蹴ったユースの背中の翼が大きく羽ばたく。彼自身、一度も経験したことのないほどの跳躍力が、上天高くにユースの体を逃がす。


「愚策だな」


 すかさず追うウルアグワは、上昇するユースに一気に迫り、下方から足首を裂く剣先を振り払う。空中戦に不慣れ明らかなユース、まして下方からの攻撃への対処法など彼の経験外だ。恐れるばかりに足を振り上げ、ウルアグワの剣先から足首を逃がしたユースの体が、空中で一気に姿勢を崩したのが明白だ。


(操れ……!)


 お前の魂を、思うがままに。自らの膝で自分の顎を蹴り上げそうな勢いで、脚を振り上げたユースが首を後方に引けば、体は空中で後転する。それでいい、繋げろ。地に足着けぬ中でも自在の動きを見せてきた、シリカのことをずっと目で追ってきたじゃないか。


 翼をどう動かせば体を操れるか、そんなことは知らないしどうでもいい。体よ言うことを聞けと強く願えば、翼はユースを望む形に押し出してくれる。ばさりとはためく翼に押し出され、後方回転したユースがその手を伸ばし、接近するウルアグワを逆さまの体勢から、上方に剣を振り上げる形はそうして"叶え"られる。術者の望みを叶える魔法による動きは、ウルアグワの予測さえをも上回る最速の反撃を生み出した。


 それでも僅かに身をずらし、胸元から自分の頭を割り上げる剣を回避するウルアグワ。それにユースがぞっとした瞬間には、ユースのすぐ側面に黒騎士の体がある。盾を構えるユースより早く、ウルアグワの振るった膝がユースの横っ腹に突き刺さり、風穴二つ開けられたボディへの一撃に、ユースが舌ごと口の中のものを外へ出す。


 重き一撃は一気にユースを地上へと叩き落とす。流星のように地表へと真っ逆さまのユースを、ウルアグワは容赦なくその方向へと追い迫る。遊び心を捨てている。予期せぬ反撃を慣れない空中戦で披露したユースはもう、ウルアグワの油断を誘えなくなった。


 終わるな、続けろ、と頭の中に響いたチータの声と、ユースの思い描く言葉がこの時一瞬、完全に一致する。二人の意志は別物なのに、まるで一つの魂が叫んだかのように。意識が飛びそう、目の前もかすむ中、背中を下にして地面へと斜方降下するユースの翼が、空中で大きく開いて凧のように風を受ける。ユースの落下速度が僅かに減速し、矢のように迫るウルアグワとの距離が縮まる。


 しかし地面に激突する瞬間、翼で勢いよく地面を叩いたユースの動きは、体をぶち抜くはずの衝撃を翼に持っていき、ユースの体を弾む床に落ちた球のように浮かせる。背中から何かに叩きつけられるとき、二の腕で地面を叩くことで受け身を取ってきた形を、翼による受け身に巨大化させたようなものだ。そうして後方に跳ねたユースは、跳ねるままにして首を後方に引き、ぐるんと空中で後転して足を下にする。


 ワンバウンドの中でそれを叶えたユースが、地に足を着けた瞬間に一気に蹴りだした。翼を背負った勇者が上空から迫る黒騎士へ、まるで打ち返された球のように急速接近する。間を狂わせられるどころか、正負逆転したかのようなユースとの距離感に、咄嗟に騎士剣を振って対応するウルアグワも間に合わない。


(行け! 決めてこい!)


「っ……う゛あああぁっ!」


 万物を断つ想いをその剣に込めて。ウルアグワの迎撃の剣よりも深くへ飛び込み、黒騎士への刃を振り抜いたユースの一閃は、まるで空を切るかのように黒騎士を通過した。それほどまでに、ユースの剣は障害物を意にも介さなかったのだ。ウルアグワの側面を通過したユースの後方には、一太刀の騎士剣によって胴体を切断され、真っ二つにされた黒騎士の甲冑が舞っていた。


 高い跳躍力を以って空を跳んだユースが、地面に辿り着くまでにはわずかな時間がかかった。それでも決定的な一太刀を食らいつかせた実感にも驕らず、着地の瞬間ウルアグワの方向に向き直ったのは良かった。だが、それでも遅い。空中に身を置くうちに身をひねってでも、ウルアグワの動きを視界に入れていなければならなかったのだ。


 下半身だけでユースへと直進するウルアグワの甲冑には、振り返りざまでは対応しきれない。奇襲の如く胸板に突き刺さるウルアグワの足先は、まるで跳躍した格闘家の蹴りのようにユースの胸骨を破壊する。ウルアグワの剣で胸を貫かれた傷の残るユースにとって、この一撃はあまりにも致命的。


(ひる、むな……ユース……!)


 魂を近しい所に置くチータが、霊魂へのダメージを半分持っていってくれたから、ユースは第二の矢として迫るウルアグワの上半身に対応できた。胴より上の甲冑が剣を振りかぶり、首を刈るかのように迫ってきた姿に、自分を蹴り抜いた下半身ごと真っ二つにする太刀筋を振り上げることが出来た。ちっ、とウルアグワの低い声が聞こえた気がした直後、二分化されたウルアグワの肉体は、ユースの剣を回避する。上空へと急上昇する上半身、後方へ跳ね退く下半身。足によって蹴り押し出されたユースの体は後方へと吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられるユースの姿へ続く。


「さて、どうやって私に勝つつもりかな?」


 元より中身のない甲冑、切断したところでウルアグワへの決定打にならないことの証明。真っ二つにされてなお、独立した二つのパーツとして機動するウルアグワに、万物を断つユースの剣が何の役に立つのか。地面に叩きつけられた瞬間、受け身を取って後転した後、地に足と膝をつけてウルアグワを見据えるユースの正面、遠方でウルアグワの上半身と下半身が再び接合する。両断されてもすぐに元通り、その光景がユースの心に絶望の影をちらつかせる。


(ユース……)


「わかっ、てる……!」


 そうわかっている、チータの言いたいこと、言おうとしてくれていることぐらい。自分がウルアグワの攻撃を受けるたび、苦しそうな声へと変わっていくチータ。それだけの想いで、諦めるなと支えてくれる人がいるのに、どうして絶望に身を任せて屈せるというのだ。ウルアグワの体が元通りになった光景を見て、希望を断たれたかのように視界が歪んだユースだが、その目は決して死んでいない。


 いくら斬られても無傷なら、どうしてウルアグワはこれまで数度ユースの攻撃を回避してきたのか。希望を蝕もうとする黒騎士の演出なんかに惑わされてはならない。唯一の武器であるユースの騎士剣は、黒騎士に通用しないなまくらなどではない。そう、冷静に状況を分析し、敵の騙しや画策を切り抜けて勝利を手にするマグニスがここにいれば、きっとそう言ってくれるはず。


 真っ向から駆け出して迫ってくるユースに、無駄な足掻きを、と露骨な揺さぶりをかけるウルアグワの言葉も、今のユースを動揺させない。先人がユースに見せてくれた理知、真実を見抜く目。それは確かに彼の記憶に脈づき、闇に吸い込まれそうなユースの精神力に、崖っぷちで希望を手放さない強さをもたらしてくれる。


 ウルアグワを腰元から肩口まで、真っ二つにするためのユースの剣。振り上げられたその一太刀を、ウルアグワの剣が食い止める。立ちはだかる黒騎士を断つための剣が止められ、腕にびりびりと響く衝撃に、ユースの全身がひび割れたように軋んだ。鉄仮面の奥でにやりと笑ったように、僅かに首を傾けたウルアグワは、消耗したユースの魂が生み出せる魔力の際限を見極めている。


 絶望感をユースが振り払うより早く、ウルアグワの左手がユースの喉へと突き刺さる。喉輪の形でユースの首を掴んだ瞬間、その指を鷹の爪のように、獲物の首に突き立ててだ。鋼の指先が喉を貫き、ぶしっと首に明けられた5つの穴から血が噴き出す感覚は、当然ユースも前代未聞の経験。死を予感するしかない傷を、魂に直接刻み付けられたことに、けはっと息を吐いたユースの顔が蒼白に染まる。


 まどろんだような力ない目を強要させられてなお、喉の前半分を千切り取っていこうとするウルアグワの握力は、ユースの首へとしっかり予感されている。指を突き立てられてから、ユースの首が狼に食い千切られたような大傷を得るまで一瞬。決着はすぐそこのはずだった。そのウルアグワの狙いが実現されなかったのは、左腕を振り上げたユースが、盾でウルアグワの左腕の肘を殴り上げたからだ。


「速い……!」


「けは……っ、あ゛……!」


 予想を上回るユースの対処に計算を狂わせられながらも、続けざまに振り上げられたユースの騎士剣をウルアグワは回避する。しかし、後方に跳び退いたウルアグワを完全には逃さず、ユースの刃はウルアグワの左腕に直撃する。一度止められたからってなんだ、出来ないなんて思うな。絞り出した魔力を騎士剣に再び纏わせたユースの一閃が、ウルアグワの左手首の上を通過し、黒騎士の手を切り落とす。


 左手を切り落とされてなお、ウルアグワの機転は素早い。手の無くなった左腕をユースの方へ突き出し、少し離れた場所からユースへと魔手を伸ばすのだ。空洞の甲冑、手甲を失った左腕の先の穴から素早く伸びた、真っ黒でぬるりとした手がユースの手首に巻き付く。それにユースが気付いた瞬間には、蛇のような手はすでにユースの首に巻き付き始めている。さらに伸びる手は、後方からユースの両目を覆い隠すように掌を巻き付けるのだ、最後にぎしりと張りを固めたウルアグワの黒い手は、剣を握るユースの手と首を繋ぐ枷のようにユースを固定する。掌でユースの視界を遮ってだ。


「あ……っ、英雄の双腕(アルスヴィズ)……っ!」


 腕に巻きつく魔手を振りほどこうとしても、ぎちりと動かないウルアグワの黒い手の拘束。真正面からのウルアグワの殺気にぞっとしたユースは、前も見えぬ中で切り札を唱え、盾を構えた。何も考えずに咄嗟に構えた盾だったが、ウルアグワの狙いにはしっかりと合致し、ユースの胴体を真っ二つにしようと振るわれたウルアグワの剣が、ユースの盾に食い止められる。完全なる山勘。今の状況、首を断つ一閃は来ないにせよ、足首断ちが来るか胴斬りが来るかは完全に運否天賦だった。


 防いだ実感、しかし次の一撃が来ることはわかっている。動けないユースに、接近したウルアグワはどんな攻撃でも繰り出せる。駄目だ、駄目だ、殺される、それだけは嫌だ。魂の滅を踏み、ウルアグワと共に冥界へ行くことへの恐れが、死を拒むユースの精神にさらなる火をつける。


「こいつ……!」


(ユース、お前……!?)


「ぐう、っ……がああああっ!!」


 この苦境から逃れるための力を。自分には無いはずの力、だけど今だけでいい。クロムのように、すべてをその手で叶える力強さ、彼が一度だけ見せてくれた卓越した力を。鎖のような強固さと、竜の皮膚のように柔軟な強度を持つウルアグワの黒い手を、ユースが力任せに引き千切る。ウルアグワも驚きを隠せないが、彼の魂からほとばしる、クロムによく似た魔力の色を感じたチータも同様だ。


 解放された右手の剣を、ほぼ苦し紛れで振り下ろしただけの反撃も、動揺して次の一手が遅れたウルアグワには充分な先手。咄嗟の判断で後方に跳んで逃れるウルアグワの判断も正しい。額から目を覆うように張り付いたままの、魔手の残骸をすぐさま引き剥がすユースは、離れた位置にウルアグワが着地した瞬間の姿を視認。攻勢に転じる岐路を見定めたユースが地を蹴って、一気にウルアグワへと差し迫る。


 黒騎士に急接近するユースの額めがけ、真正面から飛来するものは何か。先ほど切り落とされたウルアグワの左手が、砲弾のような速度でユースの頭蓋を粉砕しようと迫っている。視界真正面から拳が飛来する光景は、誰でも反射的に目を閉じてしまうようなものだ。怯めばその間がウルアグワに刹那の時を与え、決定打を与えられたはずの好機も失われてしまう。


 ここしかないのだ。本能に背いてでも突き抜けねばならない。やるべき時に決して折れず、どんな大敵にも真っ直ぐ立ち向かってきたガンマの姿を思い出せ。完全に不意打ちに近い、目の前から突然迫った黒騎士の拳に目も閉じず、振り上げて盾ではじき上げたユースは、減速するどころか加速して黒騎士に迫る。


 ガンマのような迷いのなさで、クロムにも負けないぐらいの力を込めて、勝負所のマグニスのような爆発力をその手にして。右手に握る騎士剣で守りを構えたウルアグワに、一気に迫ったユースの騎士剣が振りかぶられる。我が手を阻む、あらゆるものを両断するための魔力は、最愛の師が戦場でほとばしらせる魔力と全く同じ色で、既にユースの騎士剣に掲げられている。


勇断の(ドレッド)……っ、太刀(ノート)!!」


 ユースの剣を打ち払うため、ウルアグワが我が身の横に振るった魔剣すら、全身全霊をこの一撃に懸けたユースの一閃には断ち折れた。通過点にあるものすべてを切断する、まさしく万物を切り裂く勇者の一太刀。ウルアグワの剣身を断ち、黒騎士の右の腰元から左の脇までを駆け抜けたユースの騎士剣は、ウルアグワの甲冑を下方から斜めに真っ二つにする結果を残した。


「く……!」


 初めてと言えるほど苦々しい声を響かせるウルアグワ。断たれた下半身がユースへの蹴りを放つより早く、盾を前に構えて下半身に突撃したユースが、足腰だけになった黒騎士の甲冑を突き飛ばす。そんなユースの上方に舞うウルアグワの上半身は、剣身を立たれて短くなった剣をユースに迫らせようとした。しかしそれは黒騎士の下半分を突き飛ばしたユースが身を沈めたことで届かず、後頭部すれすれをウルアグワの刃が通り過ぎた直後、振り返りざまに騎士剣を振り上げるユースの姿が続く。


 上半身だけになったウルアグワの甲冑を、胸の下から鉄仮面の頂まで両断するユースの一閃。それは頑丈なウルアグワの甲冑を真っ二つにし、全身を上下二つに割られたウルアグワの上半分が、さらに左右に真っ二つにされる形を実現した。魔剣を握るその手からも得物を落とし、ばらばらにされた黒騎士のそれぞれが、意志無き物質のように地面に転がる。


「ぬぅ……ここまでか……!」


 夢魔の世界、ここは霊魂と霊魂だけが共存し合える空間。ユースと同じく、ウルアグワもまた魂だけの存在としてここにある。ユースの魂を好き放題に傷つけてきたウルアグワだが、万物を切り裂く魔力を精神に掲げたユースの勇断の太刀(ドレッドノート)が断てるのは、物理的な話に限ったことだろうか。魔力とは精神力を具現化したもの、敵の魔法、魔力を両断してきたシリカのように、今のユースの剣にも、形無き魔力そのものを断つ力は宿っている。


 自らの夢魔復興(ソウルオブナイトメア)の力により、この空間内に霊魂としての存在として在るウルアグワを傷つけるために、万物を断つ、傷つける魔力は充分な威力を生じていた。一撃そこらならば魂を傷つけられても、仮初めの甲冑姿を自在に操るだけの魔力は抽出できる。余裕を演じ、ユースの絶望感を煽る姿を演じることも出来た。だが、甲冑という形に具現化した自らの魂をばらばらにされたウルアグワは、自らの限界を悟ることもまた早い。左手と、下半身と、上半身を二つに割るほどの形で自らの魂を解体されたウルアグワは、継戦能力を取り戻すだけの魔力を生み出せない。


 元より役目を終えた夢魔ウルアグワは、じきに滅びるだけの存在だったのだ。魔界レフリコスがもたらしてくれる、魔界の意志たる力の供給も、今となっては元根が絶たれている。


「滅びるならばそれもよし……! どのみち結末は変わらぬ!」


 地面に散らばったウルアグワの肉体が、泥のように溶けて地面へと沁み落ちていく。ここへ連れて来られたばかりのユースに、ウルアグワが見せた死体の数々。あれらのように、どろどろになって消えていく黒騎士の姿は、戦いの終わりを絵に表したようだ。目に見えるとおりに、戦いが終わったと見ていいのか、ユースも確信は持てない。


 白兵戦は確かに終わっている。だが、ウルアグワの言う結末とは、そんな次元に終わる話ではない。


「私は滅びぬ! 貴様は冥界へ引きずり込まれる! 私の勝ちだ!」


「が……っ!?」


 ぼろぼろにされた魂、今すぐにでも気を失いそうだったユースが目も覚めるような出来事。自らとウルアグワ、脳裏に響くチータの声以外に無音だったこの世界に、突然尖った爪でガラスを引っかくような金切り音が響き始めた。それは小音でも鳥肌が立つような嫌な音であり、そんな金切り音が怪鳥の吠え声のような爆音で鳴り響くのだ。思わずユースが両手で耳を塞いでしまうほどにその音は凄まじく、しかし魂を全身から刺激するその音は、耳を塞いでもユースの頭の中まで響いてくる。


(ユース、聞こえるか……!? ユース……っ!?)


 チータも同じ音を聞いているのか、苦しそうな声を張り上げている。しかしユースの意識にその叫びは届かない。本来無音だった空間に響き渡る、凄まじい金切り音はチータの声よりも大きく、頭が割れそうなほどの音に頭を支配されたユースは、うずくまって悲鳴をあげている。自分自身の声でも上塗りできないほどの音が、ユースの精神をずたずたに引き裂く中、突如としてこの世界全体が巨大な揺れを生じ始める。


 夢魔復興(ソウルオブナイトメア)の魔力によって作られていた空間、その術者が世を去ることに伴い、作られたこの魔界が崩壊を始めたのだ。立つこともままならないほどの揺れに、腰砕けにユースが倒れるのと同時、平坦だった地面がぼこぼことうごめき始める。術者を失い、この世に存在できなくなった小宇宙が界の法則を失い、いびつな形に崩れ始めている。


 そしてこの世界が消え去ってしまった時、ここにいたユースの魂はどこに行くことになるのか。それを知っているから、ウルアグワにとっては最初から勝ち戦だったのだ。夢魔の目的は、最後にユースを冥界へと連れ去ることであり、過程なんかどうでもいい。自分が滅して魔界の一部へ還るのは、どのみち最初から決まっていたこと。ここでユースを自分の手で殺せようが殺せまいが、界が崩れた時にここへ捕われていたユースの魂、その行く先は定められている。


「先に冥界で待っているぞ……!」


 ウルアグワの最後の言葉、次の瞬間うごめく地面が波のように、ユースの体を巻き込み地面に縛り付ける。崩れるこの世界の実感、捕われた感覚、ユースの心を包み込む闇。この世界の崩壊とともに、行く先を失った自分の魂が、ウルアグワの手元に引き寄せられる明確な予感。やめろ、離せとユースが心の中で訴える中、落盤のように重い地面のうごめきが、ユースに絡み付いて逃がさない。


(させるか……ユース、還るぞ……! 手繰り寄せてやる……!)


 自らとユースの魂を繋ぐ魔導線(アストローク)。その一端に確かにあり、異界に捕われたユースの霊魂を現世へと引き寄せようとするチータ。地割れが人を挟みこんだような、凄まじい圧迫感に霊魂を捕われたユース。これ以上の痛みなどあるはずもないと思っていたのに、界の崩落がユースの魂に与える苦痛は、人の形をしたユースの魂をばきばきに砕くほど。巨人の歯に噛み潰され、全身の骨を複雑に砕かれるような地獄の中、悲鳴さえあげられずにユースが食い殺される寸前だ。


 終わってしまう、ここまでやったのに。自分にはこれが限界だったのか。人類最悪の敵と称された、黒騎士ウルアグワに目をつけられた時点で、運は尽きていたのだろうか。急速に冷えていく体、痛みさえも彼方へゆっくりと溶けていく感覚は、ユースの意識が途絶えるまさに一瞬前の出来事。


(馬鹿野郎! 意識を途切れさせるな! 帰りたいと願え!)


 全魔力を、渾身の精神力を具現化した力を注ぎ込み、ユースの魂を現世に取り戻そうとする者がいる。夢魔の世界の崩落に、こいつを付き合わせてたまるものか。願い、望んだことを叶える力が魔法なら、一生に一度の願いをここに使っても構わない。失いたくない人を完全に失えば、時が過ぎてはもう遅いのだ。


(最後の力を振り絞れ! 望め! 心の底からだ!)


 真っ暗になった頭の中に、ずっと支え続けてくれたチータの姿が消えない。消えないように声を届け続けるチータが、そうさせてくれているのだ。光をも呑み込む深き闇の中、聖火のように燃え盛るチータの熱き魂は、ユースの心の中で光を絶やさない。そして一つの灯があれば、それは広がり暗黒世界を照らすほどの光となる、創始力と可能性を秘めている。


 その灯を広げるのは誰か。離れたくない友人を忘れられないユースの脳裏に、再会したい人たちの残影が蘇り始める。それは次第に、次々と、確かに数を増やして。思い描く力を取り戻すたび、体を貫く痛みもまた蘇り始めるが、悪夢のような苦痛を一身に受けながらも、明確に思い描いてしまった仲間達のビジョンは、もう頭から手放すことが出来ない。


(ユース!!)


 こんなにも望まれているのだ。自分の居場所がここではなく、昨日までいた向こう側にあるのだ。不意に脳裏に差し込んだ、小隊いち臆病な少女との記憶が、ユースにその真実をわからせてくれる。百獣王ノエルを討伐し、死地に向かうユースに向かって、生きて帰ってきて欲しいと涙ぐんで訴えかけてくれたキャル。あの日の彼女と形は違えど、自分の生還を切に願って訴えかけてくれる友人の声が、本当に砕けさせられそうだったユースの精神力を、ぎりぎりのところで踏み止まらせてくれる。


「チー、タぁ……っ!」


(独りじゃないんだ……! お前の願う力、魔力、全部僕に預けろ……!)


 ユースが一人ではウルアグワを超えられなかったように、自分一人の力でユースを救い出せないと知るチータが、他ならぬユースに手を伸ばす。救いの手であるとともに、悲願を叶えたい自分への助力を求める手。現世にユースを取り戻す、自身を帰郷の道へと送り出す、異界に立つ二人の共通した願いが両者の精神に強く描かれたとき、二人ぶんの宿願を叶えるための魔力が現世への門に手をかける。


(いくぞ、ユース! お前を絶対に僕達の世界へ連れ戻す!)


「っ……!」


 目をぎゅっとつぶり、唇を引き絞り、友人の熱意にすべてを託したユース。帰りたい、また会いたい、共に歩いていきたい。ユースの切なる願いの想いが、魔導線(アストローク)を介してチータに届いた時、生まれたてのチータの魔法が二人ぶんの精神力を糧に発動する。


「開門! 運命超過(オーバードゥーム)!!」


 真っ暗闇だった目の前が、目を閉じた今もなおまぶしく見えたほど、世界すべてが真っ白になった感覚。訪れたのは破滅か、希望か。それを確かめるすべもないまま、ユースの意識は溶けるように消えていった。











 今までのことが、全部夢だったようにも感じた。風邪を引いた幼い自分を、背負って医者まで連れていってくれた母との記憶。剣術道場を卒業した時、頑張れよ未来の勇者と師範に背中を叩かれた思い出。明日は朝早くから訓練だと言うのに、いつも夜遊びダーツに自分を連れて行きたがる上騎士ラヴォアスとの日々。シリカの誕生日に内緒でお祝いしてやろうと、7人で当日まで秘密の計画を練り上げた毎日。綺麗に作戦成功し、7人からのサプライズプレゼントに驚かされたシリカが、ちょっと涙目になりかけたのを隠そうとしていたあの日。二十年間の思い出の数々が脳裏を過ぎ去っていく感覚は、この世を去る自分の最後の光景とも、あるいは過ぎ去った過去が幻に見える不思議な現象とも感じられる。


 それらの思い出が最新の記憶、黒騎士との死闘を乗り越えたこと、友人の声に強く願いを返したことに辿り着いた時、記憶の旅は終わりを告げた。それはユースが目を開く時と同じであり、小さくまぶたを揺らしたのち、目を開けたユースの目の前、何よりも早く差し込んだものは光。


 まぶしくて、開きかけた目を細めたまま動かせないユース。ざわつく周囲の声が、少しずつ耳に入り始める。目を開くために時間をかける中で、有象無象のざわめきが徐々に、ひとつひとつの声の集まりであることも認識することが出来るようになる。


「ユースっ!!」


 そんな中で、突き刺すように上から叫んだ誰かの声が、ユースの頭にはっきり響いた。たくさんの声の中、はっきりと自分の名を呼んでくれたそれが、よく知る友人の一人であるとすぐわかる。


 目を開けたユースの正面、潤んだ瞳で自分の顔を覗きこんでいる誰かの顔がある。ぼんやりとした目の前の光景であっても、声と合わせればそれが誰なのかわかる。


「アルミナ……」


「ユース……っ!」


「騒ぐな騒ぐな、お前ら……っつーても無駄か」


 アルミナだけじゃない。ガンマが、キャルが、いてもたってもいられないという顔でユースに近付き、やっと目覚めた友人に顔色を変えている。ぶわりと一気に涙を溢れさせるキャル。これ以上ない喜びの笑顔の陰に、隠し切れない安堵の想いを共存させるガンマ。ほっとするあまり、全身の力が抜けたようにうなだれて深い息をつくアルミナ。そんな三人を、怪我人に騒いで群がるなと注意するマグニスの声も、ちょっとだけ距離ある場所から聞こえてくる。


「俺……」


「チータが助けてくれたのよ。……お礼、言っておきなさいよね」


 誰かの膝の上に頭を乗せ、地面に寝そべるユースの顔を、アルミナの声にあわせて膝枕の主が、無言で優しく回してくれた。ユースの横、あぐらをかいたマグニスの胸を背もたれにして、ぐったりとしたチータの姿がそこにある。


「チータ、お前……」


「礼は帰ってからでいい……本当に、疲れた……」


 憔悴しきった表情だが、確かにチータは小さく笑った。友人を救い出せた誇らしさなんかより、ただ目の前に生きたユースの姿があること、それに対する喜び一色だとわかる、無表情が常のチータらしくない表情だ。周りは少し、こんな顔をするチータが珍しくて驚いていたかもしれないが、魂を繋げ合っていたのが少し前のユースには、それがチータの心からの想いであると自然に理解することが出来た。


「……ありがとう」


「……帰ってからでいいって言ってるだろ」


 今言わずして片付けられるものか。生真面目なユース、照れを隠したいチータ、双方よくわかる互いの心根の交錯は、短い言葉が無くとも表情の交換だけで伝わり合う。はあーっと深い息をつくチータを前に、ユースは命の恩人の姿をただ目に焼き付けるように見つめていた。


 そこで不意にのことだったが、頭の高さが少しおかしいことにユースが気付く。そもそもアルミナの声に応じて、自分の首を回してチータに向けてくれたのは誰だったのか。ふいとユースが目線を上げ、自分の頭を膝の上に乗せてくれている人物を、視界の真ん中に捉える形になる。


 今までこんなに、安堵して目尻を下げたこの人を見たことがあっただろうか。ユースの額をその手で撫で、微笑みかけてくれる法騎士様の表情は、個人的感情を抜きにして聖母のように美しい。


「……おかえり、ユース」


 こんな時に、上手に言葉を選べないのがシリカなのだ。言いたいことはいっぱいあるだろうに、そんな言葉しか紡げないシリカの姿に、マグニスはやれやれといった表情。だけど、そんな普段どおりのシリカの姿が、いっそうにユースに、この世界に帰ってこられた実感を得させてくれる。日常的な光景こそが、帰還した者の心を何よりも安らかにする秘薬なのだから。


 戻ってこられた。元の世界へ、仲間達のそばへ。シリカに返事も返せずに、急に片手で両目を覆ったユースの行動は、帰還した彼が最初に見せたアクションだ。もう二度と会えない覚悟さえした、第14小隊の仲間達のもとへ帰れたこと。それに伴い溢れてくるものを隠したい感情も、周囲の誰もがわからぬでもない。


 覆った目の端から流れ落ち、ユースの頬をつたった一滴の雫を、ここにいる誰もが見逃していなかった。ユースが第14小隊の仲間達の前で、初めて流すそれだ。誰もこの場で、あるいは今後も、この日のユースの涙をからかうことなんてしないだろう。それだけこの再会は大きくて、失わなかったことの幸福は何にも代えがたかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] よかったぁぁぁぁぁ‼︎イェイ\(^ω^ \Ξ/ ^ω^)/イェイイェイ\(^ω^ \Ξ/ ^ω^)/イェイイェイ\(^ω^ \Ξ/ ^ω^)/イェイ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ