表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第15章  光を目指した組曲~パルティータ~
262/300

第247話  ~夢魔の世界② 恐怖~



「シリカさん……! チータ……!」


 あの時、英雄の双腕(アルスヴィズ)の魔力構えし盾で、ナイトメアの霧を正面から受けたユースは、後方のシリカを守れた実感が確かにあった。霧はユースの正面、盾から傘のように広がった魔力に遮られ、はじけるように拡散していたからだ。だが、闇を形にしたような黒い霧の塊がユースの盾を取り込み、やがて彼の体を獣の大口のように呑み込んだのは、ユース自身も認識できたこと。


 霧に呑まれた瞬間には、終わったと思ってぎゅっと眼を閉じたものだ。だが、体のどこに痛いところがあるでもなく、盾を構えたままユースは立っていた。恐る恐る目を開けたその時、ユースの目の前にあった光景とは、形容する言葉を見つけるのが難しいほど、何も無い空間だ。


「キャル……!? アルミナ、マグニスさん……!?」


 思わず仲間の名を叫び、周囲を見回すユースだが、その空間上には仲間はおろか、周りにひしめいていたはずの人類や魔物、もっと言えば草木や小石の一つすらない。朧月が照らすような薄暗い闇の世界の真ん中、どこまでも延々続いていそうな平坦な地面が足元に。四方八方、どこを見渡しても360度地平線しかない。


 広すぎて、薄暗くて、孤独な空間に置き去りにされたユースは、戸惑うままに見回すことしか出来ない。騎士剣と盾を、いつでも好きなように動かせる位置に構え、もしも突然何かが襲い掛かってきても、対応できる体勢でいるのは習慣の為せる業。普段と明らかに違うのは、ユースの想像力を超えていた出来事との直面により、その顔が戦士としての色を失い、不安な素顔を隠しきれていないことだろう。


「そんな顔をするな。まだ何も始まっていないぞ?」


 それは突然。ユースの後ろから手を伸ばした何者かが、冷たい手でひたりとユースの首を包み込む。驚いて、という言葉ではとても足りない。悲鳴をあげそうになるほどの恐ろしさを、肌で感じた瞬間に、ほぼユースは反射的に後方へと騎士剣を振り抜いている。


 ユースの首に両手で触れた何者かは、ひらりと後方に舞って騎士剣を回避する。ユースから少し離れた場所、そこにふわりと着地した存在を見て、ユースの心臓がばくばくと高鳴る。暗き中でも光景に紛れず、むしろその漆黒さを際立たせる異質の甲冑。それを見てユースの胸が感じ取る悪い予感は、まさかという言葉に他ならない。


 噂には百度以上聞く黒騎士、魔王マーディスの側近として長く知られたウルアグワ。ユースにとっては当然初めて見る相手だ。それでもこれが、人類最悪の敵と名高く知られた存在であると、直感的に悟ったユースの勘は正しい。孤独な空間、そのような存在と一対一で直面しているという現実を、ユースの恐怖心が認めたくなかったとしてもだ。


「いい顔だ」


 ゆらりと頭を傾けて、鉄仮面の奥からユースの表情をうかがうような仕草をウルアグワが見せる。ユースは既に、恐るべき敵に向き合い、戦う決意を固めた戦士の表情に戻っている。しかし、全身からぶわりと噴く冷や汗、震えそうな唇を引き絞る口元、鋭さの奥に隠しきれない恐れを内包する眼差し。ウルアグワの見定める眼には、ユースの心が不安と恐怖で満ちていることなどお見通しだ。


「貴様は何を恐れる? 死か?」


 ゆっくりと、距離のあるユースへと歩み寄り始めるウルアグワ。剣も抜かず、無防備なまま、ゆらゆらと近付いてくる黒騎士の動きに、息を詰まらせかけてユースが一歩後ずさる。甲冑に身を包んだ相手とはいえ、ここまで隙だらけの相手に足が退がるなど、心の芯が保てているなら有り得ないこと。


「苦痛か?」


 ユースの剣の射程範囲内に踏み込んでなお、ウルアグワは何ら構える気配がない。あまりにも挙動なき前進に、ユースも一瞬この手に染み付かせた、敵が枠内に入った瞬間に剣を振るう先手が打てない。足を止めないウルアグワが、ふわぁとその手をユースの顔に伸ばしてきたのが直後のこと。


 触れられてはいけない。傷つけられるとか、首を絞められるとか、そんな次元じゃない。あの手に触れることがまるで自分の死に直結する気がして、ユースは思わず騎士剣を振り上げていた。渾身の一撃は、ウルアグワの腕を叩き上げ、甲冑の右腕が肘から折れて上天へと飛んでいく。剣を振り上げたユースの目の前には、肘から先がなくなった右腕の先を、ユースの頭に向けたウルアグワの姿がある。


 次の瞬間、真っ黒な手がウルアグワの右腕、甲冑の肘の折れた穴から飛び出した。それはまるで蛇のようにずるりと伸び、血と泥を混ぜたような赤黒い触手のような手が、騎士剣を握ったユースの右手首を掴む。あっ、とユースが思わず声をあげた瞬間には、手甲に包まれたウルアグワの左手がユースの顔に迫っている。


「それとも、私か?」


 左手の人差し指と親指をユースの顎下に潜りこませ、ぐいとユースの顔を、自らの頭の前まで引き寄せる。ウルアグワの左手がちょいと力を込めれば、一瞬にして喉を千切られるであろう形。抵抗しようと剣を握る右手を動かそうにも、絡みついた赤黒い手の力は強く、ぎしりと壁に縛り付けられたかのように動かない。打つ手無く、首に死神の鎌をかけられたユースの目の色を、次第に恐怖の色がより濃く侵していく。


 それでもなんとか屈さぬ想いを体現するかのように、ぎしぎしと右手首を握ったウルアグワの手を振りほどこうとするユース。動かない。それでも諦めず、歯を食いしばって闘志を目に蘇らせようとするユースの抵抗に、ウルアグワは実に満足げだ。鉄仮面の向こう側、ウルアグワの表情など見えもしないはずのユースにも、なぜかウルアグワの上機嫌が目に取れてわかる。


「貴様はユースという名だそうだな。いいぞ、本当に美味そうだ」


 声を聞いただけで鳥肌が立つ。これからユースに残虐な手を下そうとするウルアグワの意志が、今の声にはぞっとするほど詰まっていた。耐え切れなくなったユースが、まるで子供のように乱暴に右手を引くと同時、片足上げてウルアグワの腹を蹴飛ばした。がむしゃらに、何にも代えて、ウルアグワから離れたいとしたユースの蹴りと同時、ウルアグワはユースの手首を手放した。勢い余って後ろに転びそうになるユースだが、なんとか体勢を整えて二本の足で立つと、数歩下がってウルアグワから距離を取る。


 心臓の音が聞こえる。息が荒くなっている自覚がある。恐れるものかと自らを鼓舞する想いを、魂の奥底から湧き出る恐怖の感情が押し潰そうとする。獄獣ディルエラや百獣王ノエルと対峙した時でさえ、闘志で以って恐れる心を踏み倒してきたユースが、不気味な黒騎士ウルアグワを前にして、心から魂まで恐怖で犯されそうになっている。


「くくく、心配するな。貴様を食うのは最後だ。今しばらくは、余生を楽しむ時間があるさ」


 ウルアグワの甲冑の関節部、あるいは鉄仮面と鎧を繋ぐ首元、そこから噴き出した黒い霧が、ぶわりとウルアグワを包み込む。目の前に霧の塊が立ちすくみ、黒騎士の姿がそれに隠されてなお、息を呑むユースの心には、ウルアグワの残影が描き残されている。


「しばらく楽しめ。退屈させぬよう、余興ぐらいは用意してあるのだから」


 その言葉を残した瞬間、ウルアグワを包んでいた黒い霧が、はじけるように発散する。霧が晴れたそこには何者の姿もなく、忽然とウルアグワが消えてしまったことにより、暗黒の世界に再びユースがたった一人で置き去りにされる形になる。


 首にまだ、ウルアグワに触れられた時の冷たさが残っている。ぬるりと絡みついた悪寒は、ユースを警戒心から解放しない。突然背後から首を掴まれた先ほどの記憶は、消えたウルアグワがどこから現れても対応できるよう、周囲を見回すユースの行動に反映されていく。


 無音の闇、振り向く自分の体が、服と擦れ合う音ばかり聞こえる。体をひねるたび草摺が金属音を鳴らし、日頃意識しない自分の足音まで耳に入ってくる。どこだ、どこから来る。一向に姿を現さず、気配さえをも一切感じさせないウルアグワが、ユースの精神を追い詰める。今ここにはもう、ウルアグワはいないのに。存在しない敵の影に怯え、神経をすり減らすユースの精神が、彼の胸をずきずきと痛めつける。


『ぎゃあああああああああっ!!』


 その時だ。ユースも思わず、ひっと小さく悲鳴をあげてしまうほどの絶叫。無音の世界に突然響いた、何者かの断末魔とさえ思える悲鳴が、最悪のサプライズとしてユースの心臓を高鳴らせる。何が起こっているのかわからない。ここが何なのかもわからない。未知の中で恐怖の種を心に植え付けられるユースは、すでにその表情を青ざめさせ始めている。


 その悲鳴から数秒後、どちゃりと背後に何かが落ちる音がした。その音に肩を跳ねさせ、しかし何が起こったのか確かめねばならぬユースは、恐怖心を踏み倒して振り返る。そして目の前にあったものを見て、胃の奥から反吐が込み上げてくるのを必死で堪える。


「貴様がこうなるのは最後だぞ? ゆっくりと待て」


 闇の中、どこからか聞こえてきた声にもユースは反応する余裕がなかった。まるで、胸の真ん中に剣を突き刺され、そのまま胸板をばっさり振り斬られたような無残な死体。それはユースの背後に落ちた瞬間にひしゃげてしまったのか、体じゅうあちこちの骨が砕けて、生きていた時の形を留めていない。ぐるりと裏返った眼差しが、ちょうど自分に向けられている気がして、惨い死体からユースは一歩後ずさってしまう。


 ユースの目の前、その亡骸は不意にどろりと溶け始め、泥の塊が沼に沈んでいくかのように、平坦な地面に浸透して消えていく。死体の顔の皮が剥がれ、大きな眼球が地面に転がり、むき出しになった頭蓋骨までが泥のように地面へ溶けていく光景には、もはやユースも考えをまとめられない。何が起こっているのかを疑問に感じられる余裕など、こんな恐ろしい光景を前にしてあるはずがない。


『ぐげあ、っ……!』


 また、闇の中で鋭く響いた謎の断末魔。震え始めた騎士剣を握る手、それをぐっと握り直して震えを止めても、右後方にどしゃあと何かが落ちた音で、集中力をかき消される。音のした方を振り返ることしか出来ないユースの前には、騎士の姿をした死体がまた一つ、無残な形で転がっている。


 そしてその男は、ユースにも見覚えのある顔だ。彼は、ユース達第14小隊とともに最前列を駆け続け、ナイトメアの霧に呑み込まれたあの時も、そばで戦っていた高騎士様の一人である。この異様な空間に突然引きずり込まれた自分と同じように、彼もまた引きずり込まれた側の一人なのだろう。そう直感した瞬間、ユースの心臓がより一層、どくどくと強く胸を打ち始める。


 貴様を食うのは最後。ウルアグワはそう言った。一つ前の死体、今の目の前の死体、やがて次の死体も自分の目の前にさらけ出されるのだろう。その末にあるのは、最後に自分をあのような形で葬るというのがウルアグワの真意なのか。あまりにもむごい死体を、二連続で見せ付けられたユースの心に、ウルアグワの凶刃にかかれば最後、あのような姿で死に至るという想像が走る。


 同時に脳裏に、致死の傷を負って横たわる自分の屍姿も思い浮かぶのだ。直接何かされたわけでもないのに、はぁはぁと息を荒げて冷や汗を流し始めるユースの姿は、抑えきれぬ恐怖に心が侵食され始めたことを証明している。それを、この異世界のどこかから見下ろすウルアグワが、心底嬉しそうに笑っている気配もする。


「気を強く保てよ? 食い時に干からびていては旨みがないからな」


 声だけで上機嫌を伝えてくるウルアグワ。何も出来ぬ闇の世界の中、耳を塞いでも頭の中まで響いてきそうな、誰かの断末魔がまた響いた。











「チータ……っ! ユースがどこに行ったかわからないか……!?」


 地上の魔物達の多くがナイトメアの霧に呑まれて消えた、そうは言っても戦いが終わったわけではない。残存した魔物達との交戦を継続し、ヒルギガースの首を刎ね飛ばした直後のシリカが、振り返らずに後ろのチータに問いかける。


「わかりません……ただ、命を奪われたわけではない」


 ユースと自らを魔導線(アストローク)で繋ぎ、混戦模様の戦場でも疎通し合っていたチータには、他者より今のユースに対しての情報を持っている。今も自分と魔力の糸で繋がっているユースが、まだ生きていることもだ。単に体を糸で繋ぐような形ではなく、自らと相方の魂同士を繋ぐ魔力の糸は、仮にユースが既に息絶えているなら、魂の脈動を感じることも出来なくなるはず。ユースはまだ、死んだわけではない。


 だが、いくら魔導線(アストローク)を介して呼びかけても、ユースからチータへの回答がない。ここではないどこかへと連れ去られたユース、魔力の糸はまだ繋がっている、それでいて意志を向こうへと届けられないのは、チータの想像に及ぶうちの世界にユースがいないからだ。魔法とは精神によって願うことを実現するための力、想像に及ばないことまでは叶えられない。


「少し、考えるための時間が欲しいのですが……!」


 空の魔物達、特にワイバーンのような巨竜の姿も散見する魔物の空軍は、同じ高さで交戦する人類の間隙を縫い、地上を爆撃してくる。広範囲を焼くワイバーンの炎は近くの魔法使いが、結界を張るような魔法で防ぎおおしてくれたが、別角度からチータ目がけて放たれた巨大な火球には、チータが自分で魔力の防御を行使して防ぐしかない。冷静に考えを巡らせられるほど、今の戦場は落ち着いていないのだ。


 ユースを案じるよりも、現状を何とか打破しなくてはならない。繋がれたユースへの手がかり、一本の魔導線(アストローク)を絶対に切らぬ精神力を保ちながら、チータは広く戦場を見渡す。そうしないと、今しがた戦士達の壁の間を抜け、中衛に位置するチータに飛びかかってきたワーウルフの姿も見落としてしまう。構えるチータ。一撃でも向こうの攻撃を凌がねば。


 そんなチータの眼前の光景、真横から光のような速さで割り込んだ誰かが、ワーウルフに反応させる暇も与えず、その横っ腹に膝を突き刺した。その一撃で、屈強なワーウルフの肉体が吹っ飛ばされ、内臓や肋骨を粉々にされた人狼が、地面に倒れてひくひくと全身を震わせる。命は失っていないが、すぐに立ち上がれる状態ではない。


 長き白金色の髪をたなびかせ、ワーウルフを撃破した直後の自分目がけて放たれる鉄分銅を、ガンマが片手で握り潰すようにして受け止める。同時に鉄分銅に繋がれた鎖のもう一端、ヒルギガースを、体ごとひねって鉄分銅を引き、引き寄せるパワーが凄まじい。遠き位置からガンマの方向へ、よたつくように数歩ぶん引き寄せられたヒルギガース。前のめりなその顔面に、弾丸のように直進したガンマの拳が、岩壁を揺らがせるほどの凄まじいパワーで魔物の頭蓋骨を粉砕する。その一撃で後方に軽く吹っ飛ばされ、仰向けに倒れたヒルギガースは、もう立ち上がってなど来られないだろう。


「チータあっ! ユースはどこに行った! 探せるのか!?」


 騒がしい戦場内でも、よく聞こえるほど響き渡るガンマの声。チータへ迫らんとするもう一匹のミノタウロスへ、放たれた矢のように駆けながら叫んだガンマは、射程距離内に入ったガンマに斧の矛先を変えたミノタウロスに、抵抗さえも許さない。ガンマの首を刎ねようと、大薙ぎの斧を振りかぶりかけた瞬間には、急加速したガンマの斧が先にミノタウロスを射程距離内に捉え、怪物の胴を真っ二つに切断している。


「……探せる」


 確証はなくともチータは応えた。やれるとして、自分しかいないのは間違いないのだ。そんな自分に、思索を巡らせるための時間を与えに来てくれたガンマの想いに、チータも応えぬわけにはいかぬ想いが高まる。


「隊長、ユースは必ず見つけます。今は目先の敵に集中して下さい」


 気が気でないシリカの想いは、太刀筋にだって如実に現れている。元が強い上に、今は精霊様の加護を得ているから敵を圧倒しているが、どう見ても普段の彼女ほど安心できる姿ではない。味方を巻き込まぬよう、剣の尺どおりの勇断の太刀(ドレッドノート)を発動させっぱなしで戦うだけの冷静さはぎりぎり保っているようだが、後ろ姿からでも彼女の焦燥感はわかる。


「頼んだぞ、チータ……!」


「はい」


 空から自分を狙い撃とうとするネビロスの殺気に気が付く。しかしそこへ、地上から駆けた一本の矢が、完全に悪魔の虚を突いて翼を射抜いている。ぐらついたネビロスへ、跳躍して飛びかかったマナガルムが、背上の射手が怯ませたネビロスを前足で捕え、着地と同時に踏み潰して粉々に粉砕する。


(これでいいのだな……!?)


「お願い……!」


 前列の戦士達の多くがナイトメアの霧で消され、手薄になった最前列の壁は、中衛の魔導士や狙撃兵を危機に晒しやすくなる。ガンマやマナガルム、その鞍上のキャルといった、どこでも戦える兵がその穴を埋める形で、柔軟に陣形を整えるのは必要なこと。この隊を率いていた総指揮官の魔法使いも、知る限りの遊撃手には、自陣営の急所をカバーするための立ち回りを求め、そうした指示を出している。


 それと別枠でチータの属する中衛枠を守る、第14小隊の志は、間違いなく根底で同じ目的を描いている。夢魔の言い知れぬ力で消されてしまったユース、二度と彼と会えぬ恐ろしさも心の奥底では意識せざるを得ない。しかし、彼が再び自分達の前に帰ってきてくれる可能性が一厘でもあれば、それを大きくしてくれ得るチータに希望を託し、守り通そうとする想いに火もつきよう。


 依然、気の抜けようもない苛烈な戦場。しかし心強き親しき仲間達が、隊長が、親友への手がかりを自らに求め、僅かでも安全を確保しようとしてくれる。託された願いを我が胸の中心で受け止めたチータは、周囲の光景に意識を裂く一方で、先ほどよりも自らより伸びる、魔導線(アストローク)に神経を研ぎ澄ます。


(ユース、どこにいる……応えないなら、僕が見つけるまでだ……!)


 糸の他端に確かにある、ユースの魂に自らの魂を響かせて。己の想像及ばぬ世界へと連れて行かれたユースを求め、チータが魔導士として培ってきた経験から、想像力を一気に膨らませる。











 同じ悲鳴や光景を、しつこいほど聞かされ、見せられても、残酷な断末魔と亡骸を耳と目に晒し続けられる経験というのは、飽きもせねば慣れもしない。もう何人の断末魔を聞かされ、いくつの死体を見せつけられてきたか。べしゃり、と自らの右側に落ちた物音にも、その先に何が落ちたか連想できるユースは、振り向くのが徐々に遅れてきている。それでも音の先にあるものを確かめねば、そこから何かが襲い掛かり、自分の命を奪いにきても対応できない。ウルアグワに命を狙われる恐怖、見たくない死体、その狭間で心を打ちのめされながら、何度も何度もユースは同胞の死骸を目に焼き付けられる。


 死体もいちいち、ひとつひとつが残酷で、同じ形のものがない。頭を割られた死体、股下から腹部までを裂かれた死体、胸に空いた風穴から血管で繋がった心臓がこぼれ落ちた死体。すべての死体に共通することは、ユースの前でどろりと溶けたのち、地面に染み入るように消えていくという結末のみだ。


 それらの死体の中には、いくつも記憶に新しい顔があるのだ。それらはすべて、自分と同じ最前列でさっきまで進軍していた、騎士や帝国兵、魔法使いや傭兵。見知った者の亡骸を見るたび、ずっと自分の近くで戦っていたシリカのことが思い浮かび、まさか次には――と考えた瞬間に、背骨が一瞬で凍りつきそうな悪寒に体が支配される。


「次が、最後だ」


『ひ……っ、ひぎゃあああああっ!?』


 ウルアグワの声の直後、何度も聞いた断末魔のどれとも違う、また新たなる犠牲者の悲鳴が響く。黒騎士の言葉にぞっとした直後、その言葉の意味を物語るような悲鳴に、ユースが息を呑んだことは言うまでもない。


 悲鳴を最後に静まり返る、何も無い虚無の空間。荒かった息はいつの間にか落ち着いているが、それは決して冷静を取り戻したからではない。息をするのも苦しいほどに、長き地獄の光景と絶叫に苦しめられたユースは、憔悴しきった顔で小さな息を繰り返すことしか出来ないだけ。


 いつの間にか、自分のすぐ背後に、漆黒の甲冑が姿を現していても、今のユースには気付けない。剣を前に構え、どこから来るんだと神経を研ぎ澄ませているつもりでも、そばで動かぬ者の気配を察するアンテナとして機能していないのだ。敵にここまで容易な接近を許し、それでもなお気付けないユースの精神状態が、いかに追い詰められているかは明白であること。


「楽しんでくれたかな?」


「っ、うあっ……!?」


 耳の後ろで低く響いたその声に、悲鳴をあげて振り返りざまに跳んで逃れるユース。心臓が止まるかと思えるような声の不意打ちに、ユースも思わず左手で自分の胸元を掴んだほどだ。そして向き直った先には、ずっとそこに立っていただけだとわかるほど、微動だにせず立つ黒騎士の姿がある。


 その右手には漆黒の剣、もう一つの手には人間の頭。断頭された上騎士の頭を、ユースの目の前でひょいと上に投げるウルアグワ。そして、自分の目線と同じ高さまで頭が落ちてきた瞬間、黒い剣で生首の後頭部を真っ直ぐに突き刺した。ユースの眼前、後ろから串刺しにされた生首の悲惨な姿はあまりにも残酷。貫かれた勢いで飛び出した、上騎士様の眼球の一つは、ユースの目の前まで転がってくる。


「次は貴様が、こうなる番だ」


 かしゃん、かしゃんと甲冑を鳴らし、黒騎士ウルアグワがユースへと歩み寄ってくる。離れた位置に立つユースの表情をうかがうように、わざと一歩一歩をゆっくりとだ。ある程度まで近付いたところで、剣をヒュンと振るい、突き刺さった人間の頭を地面へと投げ捨てるウルアグワ。


 蛇に睨まれた蛙のように、恐怖と絶望に満たされかけていたユースの表情。しかし、唇をぎゅっと噛み締めたのち、はぁっと荒い息をひとつ吐き出したユースは、目に光を取り戻して騎士剣の柄を強く握る。怖い、恐ろしい、足も退がりそうだ。それでも体の重心を逃がさず、黒騎士ウルアグワを迎え撃つ構えを強く保つユース。ユースから少し離れた場所、不意に立ち止まったウルアグワは、僅かに鉄仮面が揺らぐほど、くっくっと悪辣な笑い声を漏らして喜んでいる。


「ああ、最高だ。期待通りだよ、貴様は……」


 虚無の空間に独り置き去りにされ、悲鳴と亡骸の数々で心を揺さぶられ、今にも腰が抜けそうなほどユースは精神を痛めつけられている。それでも立ち向かわんとし、眼差しに光を正しく取り戻し、剣を構えてくれるユースだから意味がある。


 夢魔復興(ソウルオブナイトメア)の力により、己の世界に引きずり込んだ人間達の魂を貪ってきたウルアグワ。どれもそれなりにウルアグワの舌を喜ばせるものではあったが、やはり今のユースのような人間の魂こそ、ウルアグワにとって最高の逸品だ。


「さて……地獄へ旅立つ覚悟は出来たかな?」


「っ……誰があっ!!」


 剣を構えたウルアグワに、恐れを振り切るかのように吠えたユースが駆け迫る。その姿を見て、これこそが世を去る前に食らう魂として最高のものだと、ウルアグワは鉄仮面の奥でほくそ笑んだ。


 夢魔ウルアグワ。人類最悪の敵と称された存在は、覚めない永遠無限の悪夢に、ユースを捕えようとしている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ