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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第15章  光を目指した組曲~パルティータ~
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第244話  ~遺恨清算② 無限進化~



 ディルエラの連続攻撃には隙がない。長い手足、それゆえに大振りの攻撃を繰り出せば、自分より小さな体躯の相手に懐への侵入を許した時、一転して窮地に陥ることを知っている。ルーネやクロムへの距離を最大限詰め、肘や膝を使った短距離攻撃を繰り返す戦術は、リーチを活かさないように見えて合理的だ。


 肘の一振りを横にかわしたルーネめがけ、水面蹴りを振るって追撃。跳んで逃れるルーネのことなど織り込み済みで、振るった脚はそのままクロムへ襲い掛かる。バックステップにより逃れ、目と鼻の先をディルエラの足先がかすめていった瞬間、クロムの突き出す槍は回転するディルエラへと的確に迫る。気配と音だけで見もせず腕を振るい、回転しながらその攻撃をはじき上げるディルエラには、どこから攻めれば攻撃が当たるのか見当がつかない。


 相手がルーネでなければだ。クロムからの攻撃に一瞬でも意識を逸らした瞬間、少しディルエラから離れた位置に着地した瞬間に、ルーネが大地を蹴っている。幼いルーネの足で10歩走ればディルエラまで辿り着ける距離。それを発射一発の超加速度で急接近するルーネは、まるで瞬間移動でもしたのかと思えるほど、ディルエラが気付いた頃にはゼロ距離にいる。


 横っ腹に突き刺さるルーネの拳は、幼子の体重を隕石のような速度で突撃させ、さらに拳を突き出す凄まじい筋力を上乗せしたものだ。屈強なディルエラの筋肉にどれほどの力が込められていようが、その破壊力は獄獣の体内まで容赦なく貫通する。打撃によって張り詰めた筋肉がひしゃげ、骨が砕け、内臓まで響く重みで吐き気がしそうになるなど、ディルエラにとって何年ぶりの経験だろう。


 ダメージは大きい、それでも怯まないから、本来ディルエラに接近戦を仕掛けてはいけないのだ。腹に接したルーネに素早く手を伸ばし、小さなルーネの体をわし掴みにする。抵抗されるよりも早く、最速でルーネを振り上げた直後、一気に口まで引き寄せる。掴んでから1秒の時間も作らない、ルーネの頭を噛み砕く口は、すでに大きく開いて閉じ始めている。


 その短時間で力を込めたルーネは、獄獣の口へと引き寄せられる数瞬の間に握力をこじ開け、掌の中に開いた空洞で体を回す。背中に接する掌を支えに足先をディルエラの口へ向けると、開かれた口の上、前歯を蹴飛ばし後方へと自らの体をはじき返してしまう。歯茎が滅茶苦茶にされるほどの蹴りで前歯を蹴られたディルエラは、目も覚めるような激痛とその衝撃で体をのけ逸らせる。


 そんなディルエラに側面から槍を振り払うクロムは、獄獣の首を後方から断ち斬る槍先を描いている。視界外からの決定打、ましてあれだけ激烈な一撃の直後、普通だったらこれで決着だ。槍先が首に食らいつくまさに直前、裏拳を後方に振るってクロムの槍を食い止めるディルエラの反応速度には、決まっていたはずの一撃も通らない。


 自らの前方に大きく跳んで離れるルーネが着地するよりも早く、それに到達するほどディルエラの瞬発力は凄まじい。放物線を描いて地面に吸い込まれていくルーネの目の前、地を蹴り一気に迫ったディルエラは、着地寸前のルーネを射程距離内に捉えている。引いた拳を前進の勢いに任せて突き出し、最速の正拳突きを放つディルエラの一撃は、空中に身を置き自由に動けぬルーネも、かわすすべなく胸の前で交差させた腕で防ぐしかない。


 一枚岩をも粉砕し、落盤よりも重いディルエラの攻撃を真っ向から受けた人間が、直撃の瞬間に爆散しない時点で普通ではないのだ。それどころかルーネは、そのパワーを受けて後方に飛ばされながら、地面に激突する瞬間には身を回し、地面をひっかき足裏と膝をブレーキに、地に跡を残して滑っていく。ディルエラのパワーを真正面から受けてなお、その腕は折れもせず砕けもしていない。


 舌打ちする暇もなく後方から迫るクロムに、回し蹴りを返して応戦するディルエラ。沈み込んで懐までもぐり込もうとするクロムに、振り返るように回転するまま拳を振り下ろし、インファイトを許さない。クロムもただでさえ速い速度を、拳が降ってくるのを視認した瞬間に走行軌道を折り、致命的な一撃を回避する。ディルエラからの離れざま、長き槍をディルエラの頭部めがけて振るう抜け目のなさも、攻撃直後のディルエラを即時防御を強いる一撃だ。クロムから離れる方向へ短く跳んで離れるディルエラは、攻勢一方という図式を作りきれていない。


 即時クロムへの追撃へと移れるなら、奪われかけた流れを取り戻せるだろう。それが出来ないのは、あれだけ吹き飛ばしてやったルーネが、いつの間にかすぐに近くまでもう迫っているからだ。遠くからの突撃、今度は側面から迫っていたルーネに素早く向き直り、真正面から拳を突き返すカウンターを繰り出せた。だが、前のめりにディルエラに向けて突進していたルーネが、拳と我が身が触れ合う直前、一気に体を後方に回転させたのがもっと速い。


 まさに正面衝突の直前、空中で後転したルーネの足が、ディルエラの拳を蹴り上げて上方へと逸らす。反動で背中から地面へと一気に軌道を変え、背中から叩きつけられるルーネだが、自ら肩の後ろで地面に体を打ちつけ、同時に肘で地面を押し出して、僅かに浮いた体でさらにくるりと後方回転。足と片膝で着地したルーネの目の前には、拳の突きを逸らされて体の上ずったディルエラの姿がある。


 瞬時に地を蹴ったルーネは、隙なきはずのディルエラの懐へ一気に飛び込み、その顎を勢いよく蹴り上げる。間欠泉に混ざる岩石が勢いよく顎に激突したかのように、凄まじい破壊力でディルエラの顎を粉砕し、脳まで揺らす衝撃を届ける。意識が飛びかけたディルエラの背後から、その後頭部を貫かんとする槍を突き出すクロムは、最強のルーネの攻めを主軸に勝利を勝ち取る、理想的なコンビネーションを遂行していると言える。


 回避と反撃、両方兼ねてルーネへと勢いよく頭を振り返し、石頭の額で頭突きするディルエラ。後頭部をすれすれでクロムの槍先がかすめていった直後、ディルエラの頭を蹴飛ばして空中に身を置くルーネに、獄獣の凄まじい頭突きが直撃する。腕を構えてガードしたルーネは、頭突きに押し出されるままに地面へと叩きつけられるが、3度地上を跳ねた後、がっしり地面を掴んでディルエラから離れていく体を止める。ダメージは確かにあり、表情を歪めているルーネだが、致命的な一撃になっているとは到底思えない。


爆閃(ばくせん)(だん)……!」


 休む間もなく即座に接近するルーネと、後方のクロムの追撃が自らを挟み撃ちにする一瞬後を予感したディルエラは、何よりも優先して足元を地面で殴りつけた。そこを爆心地に発生する巨大な爆発は、接近しかけたルーネと近きクロムを凄まじい爆風で押し返す。一対少数の戦い、あるいは魔導士相手の魔法対策として編み出した奥義が、爆発から僅か3秒の間、誰もディルエラを追撃できないインターバルを作り上げる。


 覚悟はしていたが、やはり普通に戦っては駄目。どんな人間も一撃必殺であったディルエラ、その基本理念がルーネには通用しない。究極の身体能力強化魔法というやつは、ここまで人間の肉体を、魔王軍最強の刺客と呼ばれた自分にも劣らぬものへ変えるのだ。ダメージはあるはずだと殴り合いの持久戦に持ち込んでは、先に崩れるのは自分の体である可能性が高い。


 爆閃弾(ばくせんだん)が炸裂した瞬間から、ディルエラは右の掌に特別な魔力を集め始めた。いかなる強靭な敵をも葬る、必殺の奥義を形にするための魔力。ベルセリウスに、ルーネに、かつて敗れたあの日から編み出した必殺奥義を以ってでしか、確たる勝利を掴めない確信がある。


 そんな一瞬の思索、隙さえも許さず後方から放たれたそれは、突如にしてディルエラの後方から迫った。風切り音とともにディルエラの延髄めがけて投げつけられた槍は、爆風に煽られて接近できないクロムの手を離れ、最速でディルエラに届かせられる一撃だ。気配一瞬、反応も一瞬、左の拳を振るって腕輪で弾き返すディルエラだが、それによって最大の脅威に横身を向けたのは、失策と言えるほど危険なこと。しかし不可避だった。


 クロムが促したディルエラの防御行動は、槍をはじいた瞬間にルーネが敵へと接するに充分なもの。それでも凄まじい速度で迫っていたルーネに、踵返し蹴りを返していた事実だけでも、一対多に慣れたディルエラの戦闘勘を証明していると言えただろう。跳ばず地に足を着け駆けていたルーネは、丸太のような巨大な脚による一撃を回避、沈み込ませた体を一気に跳ばせ、勢いよくディルエラの胸元に飛び込んだ。


華絶滅砕掌(かぜつめっさいしょう)!!」


 引いた両手を激突の瞬間に突き出し、両の掌をディルエラに直撃させた瞬間、ルーネ最大の奥義がディルエラを貫いた。無双の怪力、圧倒的な破壊力、それを叩き込むだけなら奥義でも何でもない。その掌が持つ本来の破壊力を魔力に変え、それが敵の肉体に触れた瞬間から、破壊力だけをルーネの体から独立させることにこの魔法の真骨頂がある。


 ディルエラの胸を貫くはずだった、ルーネの破壊エネルギー。それはディルエラの胸の中心に収束し、直後体内で爆発するようにして全身へと駆け抜ける。打ち抜くだけならディルエラの胸を砕いていただけの一撃は、その威力を敵の体内いっぱいを内側から駆け抜けるのだ。ディルエラの腕が、脚が、脳が、臓器が、全身の筋肉と血管がずたずたにされていく。傍から見て外面上は一切の変化なし、華もなければただ敵を滅するだけの秘奥義は、宿敵を屠るための精神を魔力に変えたルーネの、残酷とさえ言える切り札だ。


 技が完全に決まった実感を得たルーネは、ディルエラの腹を蹴り、大きく離れた地面に着地する。直立したまま目を見開いて動かなかったディルエラが、片膝をついて崩れ落ちたのが直後のことだ。ごぼりと大量の血を吐き、全身をひくつかせるディルエラ。外からではわからぬほどのダメージがあったのは、秘奥義の術者でなかったクロムの目にもよくわかる。


「だ……ッ、大吉、なんだよ……今日は……!」


 油断などしていなかったルーネだが、ぎらりと笑ったディルエラの表情には全身の毛が逆立った。確実に、全身の体組織を滅茶苦茶にされ、継戦能力を失ったはずだったディルエラ。それが妖しく浮かべた笑みが、強がりに見えなかった瞬間の戦慄は、戦乙女の血が沸騰するほどの危機感を覚えさせる。


神獣(ソウルオブ)復興(ベヒーモス)……!!」


 とどめの一撃へと駆け迫ったルーネの、最速の判断力を以ってしてもなお遅い。ディルエラが口にした詠唱よりも早く、その恐ろしき力は発動しているのだ。全身をずたずたにされ、真っ当に動くことも出来ないはずのディルエラが、至近距離にルーネを捉えたその瞬間、肘を振るって迎撃の動きを叶える。


 まるで無傷の体と何ら変わらぬ、ルーネですらも、すんでの所でかわせたほどの速き一撃。それだけではない、再び懐に飛び込みかけたルーネを、速すぎるディルエラは身をひねって回避する。対象の胸元を空振りかけたルーネだが、通り過ぎるよりも早く後方から振り下ろされた掌が、逃れる暇も与えずルーネを地面に叩きつけた。


 ディルエラの掌と地面に挟まれ、勢いよく叩き潰されたルーネが、大口を開いて口の中のものをすべて吐き出した。声にならない悲鳴、肺の奥から溢れる全ての空気。普通なら生死どころか、体が原型を留めていなくて当たり前の一撃であり、さしものルーネも一瞬、完全に意識が吹っ飛ぶ寸前だった。


 母の窮地に素早く駆けたクロムが、ディルエラの腕に蹴りを突き刺していなければ、そのままディルエラがルーネを握り潰していたかもしれない。ディルエラの手が怯んだその瞬間、地に屈したルーネの手を引き、乱暴なほど自分の胸元に引き寄せたクロムが、今確かに母の命を救ったのだ。おふくろ、と荒い声で呼びかけたクロムの胸元に、一瞬ぐったりと体を預けていたルーネだが、小さくうなずきぽんとクロムの背中を叩いて、大丈夫だと示す。クロムが手を離せば、崩れかけるように地面に着地するルーネだが、体を貫いたダメージで前かがみになりながらも、ディルエラに振り返り構え直す。


「辿り、着いたぜ……! 確かにこれは、危うい力だな……!」


 まさかと最悪の仮説を立てるクロムの推察どおり、交錯した瞬間に真相を理解したルーネの読むとおり、ディルエラの全身を包む魔力の本質は、向き合う人間二人が見に纏うものと同じ。ディルエラが欲するのは生存力。たとえいくら傷つこうとも命を失わない、不屈の肉体こそ追い求めてきた理想だった。自らを追い詰めるほどの人間達との交戦を繰り返してきたディルエラは、本来弱き人間であるはずのルーネの魔法をヒントに、これを叶えることをずっと夢見てきたのだ。


 今のディルエラになら肌で感じられる。"身体能力強化の魔法"は、理論上、意志力の限り無尽蔵に継戦能力を保てるもの。しかし限界を超えてなお、その魔法で無理を言わせて戦わせた肉体は、戦い終えてその魔法を断じた時、崩壊の一途を辿るのみ。当たり前のように身体能力強化の魔法を発現させ、自分と渡り合い続けてきたルーネは、人の肉体本来の限界を超えた傷を常に負って戦ってきたはず。それが死せず戦い続けてきたことそのものが、執念とも呼べる彼女の意志力を証明してきたものだとわかる。


 戦意を失わぬルーネの眼が、生き延びることを望むディルエラの精神力に火をつける。討ち果たし、生還への道を駆けるべく、ディルエラが傷ついた肉体をその魔力で補完し、ぶはぁと荒い息を吐く。喉の奥から溢れていたはずの血も、もう続きが溢れてこない。


「さァ、収穫だ……! 地獄に送ってやる!」


 ひと蹴りでルーネ達に差し迫るディルエラは、無傷であったはずの開戦の瞬間よりも速い。手始めに二人まとめて薙ぎ倒せる腕を振るうディルエラに、ルーネは低く沈み込んで回避、クロムは後方に跳んで回避。そして先ほどまでのディルエラとは違うと証明するかの如く、懐に入りかけたルーネへと膝を向かわせるディルエラの動きが、ルーネの速度を超えている。先ほどまでなら、間違いなくディルエラの腹にまで飛び込み、拳を突き刺せた絶妙な間だったのに。


 急前進した勢いを殺せず、しかし真正面から自分の顔面を打ち抜きにかかる膝に対し、即時両腕を構えて防御体勢を取れただけでも、ルーネは対応力に秀でている。激突の瞬間、自らを後方上空に吹っ飛ばす破壊的なパワーを両腕で叩き落とし、後方上空よりも真上気味に飛ばされる、受けた力のコントロールまで。それによってルーネの腕がびきびきと悲鳴を上げるが、同時に彼女の剛腕に殴られたディルエラの膝にも著しい負荷がある。苦痛に表情を歪めるのは二人とも同時だ。


 バックステップの直後、すぐさまディルエラに差し迫ったクロムの速さに、膝への痛みに怯みかけたディルエラが立ち直り、対応するのも間に合っている。接近するクロムの顔面を打ち抜く右拳を放つディルエラ、紙一重でそれをかわすと同時、蹴り上げた足でディルエラの手首を打ち上げるクロム。獄獣の腕は、岩石をも砕く豪傑の強化された脚力でも、大きくは跳ね上がらない。蹴ったクロムの脚の方が痺れ、強烈な打撃を堪えたディルエラが目を見開き、クロムの胴をへし折るべく、左脚を振り抜いてくる。


 自ら最高速で背中から倒れ、目と鼻の先上空をディルエラの脚が通り過ぎた瞬間、頭の上で地面を押し出す手によって、跳ね起きるクロムの動きは絶妙だ。回し蹴りを振り抜いた直後で背を向けた、ディルエラの背後で立つクロムに、ディルエラも隙の無い後ろ蹴りを放ってくる。顎を蹴り上げるような弧を描く後ろ蹴りに対し、一気に前方に沈み込んでかわしたクロム。額をディルエラの足爪の先がかすめた直後、ディルエラの軸足めがけて水面蹴りを放つ行動は、死地をくぐった直後の好機をしっかりと獲得したものだ。


 足払いもクロムの筋力で放てば、木の幹を折り得る強烈な一撃。それに軸足の肝を打ち払われたディルエラは、一気に支柱を失って体を浮かせた。だが、当てられた痛みもその方向も、しっかり意識の中で捉えたディルエラは、まさに転んでもただでは起きない。足を払われ後方に倒れるような形から、一気に体をのけ反らせ、逆立ちの形で両手で地面を押し出す。そのまま重い体を高く跳ねさせ、バック宙返りのように着地する形へ移行する。


 僅かな高さを出したことにも意味がある。着地の瞬間ににやりと笑ったディルエラは、その顔を見ずともクロムに嫌な予感を思わせるほど、自信に満ちた気質を纏っている。地に足を着けた瞬間、ディルエラの足元を爆心地に起こる大爆発は、近き敵や迫る魔法をはじき飛ばす奥義、爆閃弾(ばくせんだん)。振り返った瞬間のクロムを襲うディルエラの爆風が、踏み堪える体勢を作る前のクロムの体を一気に浮かせる。風のままに飛ばされて体勢を作れぬではまずい。瞬時の判断で地を蹴って、ディルエラから離れる方向に大きく跳んだクロムは、爆風に押されてさらに遠くへ。大きくディルエラから突き放される形になったが、空中で姿勢を整え、地に足を着ける形でなんとか着地する。


「あばよ、賢者様……!」


 その時ディルエラは、クロムへ追撃してこなかった。高く跳ね上げられていたルーネの落下点に勢いよく駆け出していたディルエラは、地を蹴れず我が身を操れないルーネに急接近を果たしている。逃れるすべの無いルーネが防御体勢を作ろうとする眼前、勝利を確信したディルエラの眼差しがある。


撃滅裂衝破(げきめつれっしょうは)!!」


 必殺の魔力を集めていた掌を、駆ける勢い任せに突き出すディルエラに、ルーネは両腕を交差して決死の抵抗へと踏み切った。無双の強靭なる肉体を作り上げた賢者、最強のさらに上へと我が身を強めた獄獣、両者の矛と盾が激突した瞬間、勝負は一気に賢者の劣勢に傾くはずだった。腕をへし折られたルーネが吹き飛ばされ、継戦能力を奪われる予感を、離れて目にしたクロムも感じ取っていた。


 現実は違う、"劣勢に"では済まない。ルーネの腕を粉々にするはずだったディルエラのパワーは、一切彼女の腕を傷つけなかった。明らかな違和感、その次の瞬間にルーネを襲った感覚は、彼女に滅びの数瞬後を確信させるほど冷たい。無傷の腕の後方、死の直前に時間がゆっくりに感じるようなあの感覚の中、ルーネの胸の中がめきめきと崩壊していく。これは、とルーネが状況を正しく理解した瞬間にはもう遅い。賢者をも討ち果たすためのディルエラの最終奥義は、既にルーネの心臓に手をかけている。


 ディルエラの掌底に殴り飛ばされたルーネが、地面に叩きつけられ、受け身さえ取れぬかのようにさらに二度三度、地上で跳ねて飛んでいく。地に接するたびに砂煙をあげ、クロムの側面を通過した彼女は、それを目で追うクロムの後方位置、ついに地面に倒れて動かぬ形に落ち着いた。


「ッ、きついな……! だが、成果はあった……!」


 あらゆる攻撃を防ぐ盾となる剣、封魔聖剣(エクスカリバー)の使い手ベルセリウス。強固不動の守護防壁を作り上げるエルアーティ。ディルエラのパワーを以ってしても砕けぬ肉体を作り上げるルーネ。今までディルエラを退けてきた人間達が持つ、獄獣の攻撃力を防ぐための手段に対し、ディルエラが導き出したひとつの解答はシンプルだ。届けば確実に人間を葬れる攻撃力があるのなら、敵の守りを貫通する魔法を作り出せばいい。長年に渡る修練と究明の末にディルエラが編み出した奥義、撃滅裂衝破(げきめつれっしょうは)は、掌に触れた対象を飛び越える破壊力だけを独立させ、その向こうへと貫通させるという単純明快なもの。今しがた、いかに堅固な腕の守りでルーネが身を守ろうとしても、腕を破壊するためだったエネルギーだけが、腕を飛び越え彼女の胸へと届いたように、いかなる守りもこの技の前では意味を為さなくなる。


 それはほぼ、ルーネが開けっ広げにした胸元を、ディルエラの掌で打ち抜かれたに等しい結果を生み出したのだ。うつ伏せに倒れ、頬を地面に接したまま、前を見ていない開いた目のまま動かないルーネ。静かな戦場、クロムやディルエラの卓越した聴力に、ルーネの呼吸音や心音が届いていない。小さく開いたままの彼女の口元から、咳き込みもしていないのにどろりと血が流れ落ちてくる。


 ルーネは仕留めた、あとはクロム。ぜぇと息を吐き、本来ならば既に壊れているはずの体を魔力で支えるディルエラ。ずしんとクロムの方へと一歩踏み出し、勝負をつけにかかろうとしたディルエラだが、その音にもクロムは振り返らず、ディルエラと逆方向に倒れた母から目線をはずさない。


 ディルエラから見て、隙だらけにも見える姿だったはず。そこに幸いとディルエラが踏み込まなかったのは、母の亡骸を目の前にしたクロムの全身から、ぢり、と沸き立つ気質を感じ取ったからだ。それは歴戦の獄獣でさえ、迂闊に踏み込んでは危険であると感じるほどのものであり、一頭の獅子がもう一頭の獅子との距離感を計る、戦場の獣達の勘に限りなく近いもの。


 往々にして、ディルエラも何度も経験してきたことだ。大切なものを奪われた直後の人間が、沸き立つ想いを爆発的な魔力に変え、自分を脅かしかけてきたことなんて。初めてラエルカンで交戦した時のルーネもそうだったし、何人もの同志を奪われた直後の騎士なんてみんなそうだった。魔法とは術者の精神に著しく依存するもの、だからこそディルエラは人類の恨みを買い、その力を引き出すことで飼い騎士達を作ってきた過去がある。


 最後の戦い、ここに来てなおやはり、それは避けられない。ルーネを奪われたクロムの体が、ゆらりとディルエラに向き直る。据わった目、全身から溢れる殺意。その精神が実現する魔力が、クロムの全身がその魔力で極限まで高める気配。ディルエラも思わず、言い知れぬ笑いが込み上げてきたものだ。こいつもやはり、本来キレさせてはいけない相手だったんだろうなと。


「やってみろよ。やれるもんならよ」


 それが自分の生き方だ。敵対する最強を討ち、さらなる強さを得て、向こう数年の安寧を切り拓く。計り知れぬリスクを背負ってでも、それを乗り越えて得る安寧を掴み取ろうとする狂気の生存欲は、向き合う人間に挑発めいた言葉を投げかけるほど。そして次の瞬間、ゆら、と体を前に傾けかけたクロムが、ひゅっとディルエラの視界から姿を消しかける。


 身体能力を強化した新たなる力、その動体視力がなかったら、今のクロムを目で捉えられていただろうか。それほどまでに、地を蹴った瞬間からのクロムは疾く、真正面から駆け迫られたディルエラさえもが見失う寸前だった。勢い任せに拳を突き出したクロム、それに対して真っ向から正拳突きを返したディルエラ、両者の攻撃がぶつかり合った衝撃は、両者の足元の砂が舞いそうになるほど大気を揺るがす。


 誰も砕けていない。自分と直接拳をぶつけ合わせても壊れない人間を、一日に二人も相手取るなど、ディルエラにとっても前代未聞の経験だ。拳の向こう側、悪鬼のような殺意を纏うクロムの眼差しが鈍く光り、近く向き合うディルエラは歯を食いしばりながら口の端を上げる。


「いいぜ、お前……! 食い頃だ……!」


 討ち果たせばさらなる力を得られた証明となるであろう敵、そんな強者にしか抱かないディルエラの見解だ。名も無き魔法で我が身を高め、独り獄獣に立ち向かう豪傑は、純然たる殺意を胸の奥で沸騰させ、瞳孔の開いた目で敵を見据える。それは決して、第14小隊の後輩達や親友の前では見せぬ、荒んだ半生を歩んだ中で彼の中で育まれた、許せぬ者に対して容赦のないもうひとつの側面だ。


 獣のように吠え、ディルエラの拳を蹴り上げたクロムのパワーに、魔王軍最強と呼ばれた怪物も一歩退く。来い、と戦鬼の表情を取り戻して怒鳴るディルエラに、母を奪われた狂戦士が猛然と差し迫った。

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