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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第15章  光を目指した組曲~パルティータ~
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第241話  ~言えなくたって伝わること~



 テネメールの村。以前駆けつけた時は、魔物の強襲を受け、硝煙と血の匂いでいっぱいだった村だ。魔物達に踏み荒らされた土、潰れたままの多くの家屋、焦げたままの草木や建物の数々が散見する光景は、やはり魔物達の爪跡深さを意識せずにはいられない。


 それでも血と泥にまみれていた川や池を浄化し、散らばっていた瓦礫や武具のかけらを片付けただけで、村は随分と以前の形に近付くものだ。魔物達に襲撃されたあの時から、ふた月の時を経て帰ってきた故郷。半壊としか形容できなかった故郷は、完全復興に向け、戦後の顔へと確かに前進してくれている。馬の手綱を引き、荒れ模様の街道を歩く中、蘇りつつある故郷の姿には、ユースも胸が温かくなる想いだった。


 村役場近くの馬小屋に辿り着き、旅路の相方を馬小屋の主人に預けると、ユースは村の多目的集会場に向けて歩きだす。集会場の前には小さな井戸があり、そこはよく待ち合わせ場所に使われるものだ。そこで待つであろう人物の顔を思い浮かべるユースは、無意識に歩く足が速まってきている。


「――母さん!」


 井戸に背中を預け、ちょこんと座った人物を見つけたユースは、手を振って大声で呼びかけた。もう二十歳にもなろうという彼の、あまりに無邪気な行動には、振り向いたユースの母も、思わず笑みがこぼれたものだ。よいしょと立ち上がったユースの母、ナイアの元へ、彼女の息子は早足で近付いてくる。


「おかえり、ユース。今日はいいの?」


「ん、大丈夫。ちゃんと騎士団にも許可を貰ってきてるから」


 この日はコズニック山脈の奥地、レフリコス攻略に向けた出陣の前日だ。第14小隊ともども、誰もが長年家族のように自らを育て上げてくれた人の所へ、乾坤一擲の一戦前最後の再会に向かっている。アルミナは孤児院へ、ガンマは育ての親ヴィルヘイムのもとへ、キャルは祖父母のように愛し愛されたアイラーマン夫妻のもとへ。チータもコズニック山脈攻略軍、ルオス陣営の中に混ざる姉や師との再会に向かっており、出陣前に鋭気を養っている。建前上は謹慎処分中の第14小隊だが、こういう時ぐらいは大目にみてくれる辺り、エレム王国騎士団も理解のある組織だと思う。


 一つか二つの相槌を挟み、二人はゆっくり歩きだす。一度魔物達に手ひどく痛めつけられたこの村は、今も復興支援者や村人が駆け回り、ある意味では平穏な頃よりも活気に満ちている。それだけみんなが復興に向けて前向きであるということだ。この村に生まれ育ったユースもナイアも、村のために駆け回ってくれる人達に道を譲るかのように、建物のそば道の隅を自然と歩いている。


「もっと早く歩いていいのよ? お母さん、まだまだ元気だから」


「怪我はもう?」


「ふふ、ばっちり。魔法使い様の治癒魔法、本当によく効くのね」


 歩きながら口を弾ませ、ぐっぐっと握り拳を胸の前で振り、元気だよと素振りを見せるナイア。ふた月前、魔物達に家を破壊された際、その家屋に潰されて怪我を負ったナイアだったが、あの後王都近くの町の医療所に担がれ、適切な治療を受けさせて貰えたようだ。魔物達の襲撃などで、いつどこで重軽傷者が出てもおかしくない時代だからこそ、エレム王国の各地医療所は多くは国営にして、その運営費用も国庫から賄われている。要するに医療所の職員は公務員のようなものであり、患者から銭を取る必要がないわけだ。故郷を魔物の襲撃によって追い出された者は、ほぼ当然文無しの状態で医療所に駆け込まざるを得ないため、私営の医療所しかなかったら助かる人も助からない。


「その後はトネムの都? 王都では見かけなかったけど」


「ええ。炊き出しのお手伝いをしながらね」


 テネメールの村を魔物達から守り抜くことに成功した騎士団だが、半壊状態の村にはそれ以前ほどの防衛力がどうしても欠け、あの日以降テネメールの村はしばらく厳戒態勢だった。ラエルカンを魔王マーディスの遺産達に陣取られたままでは、いつまたテネメールの村に魔物達の強襲があるかもわからず、一度村から逃れた者は帰ることも推奨されない日々が続いていたのだ。そうしたことが戦乱の世には日常茶飯事なわけで、エレム王国は王都近くの町村にはちゃんと、故郷を焼かれた者が逃げ込むための避難施設を設けている。王都近くは騎士団本拠地に近く、地方町村に比べて危険も少ない。


 故郷を追われた者がほぼ無一文なのは先述のとおり。質素な暮らしには違いないが、雨露と飢えを凌げる避難施設もまた国営で、避難民から銭を取らない。緊急時におけるエレム王国の福祉力は、世界的にも随一の安定度を誇り、高くもない税金からそんな安寧を国民にもたらす頼もしさを備えている。計画的な国庫の貯えに始まり、商人達との強い結びつきにより、避難所に人が溢れても、その胃袋を満たすものを美しい妙価で確保する手腕がある。


 魔物が闊歩する時代、国防力の要となる騎士団の存在は、国を守る最大の盾。そんな騎士団が絶対的な権力を持つでもなく、政館としっかり敬意を払い合う並立の立場でいられるのは、内政に従事する王宮の政治家が、しっかりこうして民を守る仕組みを保っているからだ。


「あんまり歩くと体に響くかもしれないぞ。どこかで休まない?」


「ええ、そうしましょうか。お腹もすいてきたしね」


 普通、ふた月前に崩された故郷に、騎士の息子と被災者の母が里帰りし、こんな穏やかに語らいながら話せること自体が稀有なのだ。半壊した村を立て直すためにかかる費用も馬鹿にはならず、職人や商人も過労寸前までの大忙し、それを動かすだけの財力と信頼力を築き上げたエレム王国だからこそ、一度死にかけた村に活気を取り戻せる。それをたったふた月の間、もっと言えばラエルカン奪還から、ようやく本腰入れて復興に取り組んだ一ヶ月間で形にするのだから、迅速な対応力と実現力も読み取れて然るべきだろう。


 行商人が料理人を雇い、街角の一角に机と椅子を並べ、繊維屋根を構えた簡素な急増の出店がある。復興中の町村には、こうして町の人々の舌を癒してくれる施設が、需要を理解する有志によっていくつか作られるものだ。肉を炒める良い香りを放つ出店へと歩いていくユースもナイアも、なお傷跡残る村を歩く中にあって、古くから故郷を歩いてきた日々のように平安な心地で語り合っていたものだ。


 魔王マーディス存命の時代と同じく、今もまだまだ大変な時代であると言えよう。そんな時代に生きる二人が、祖国に生まれたことを幸せに思えるほどには、エレム王国は住まう者にとって優しい世界だ。






「今年は賢蘭祭は無くなるのかしら。楽しみにしてたんだけど」


「いや、やるみたいだよ。例年より時期は遅らせるけど、ちゃんとやるってルーネ様も言ってた」


「あら、本当? じゃあちゃんと新聞に目を通しておかなきゃ」


 急増の露天出店は席の数も多くなく、回転率が儲けの要になるはずだが、昼食時を既に過ぎたこの時間帯、ユース以外にこの出店の客はいない。出てきた料理をごちそうさましたユースとナイアだが、ごゆっくり、とお茶を出してくれた店主の気遣いに甘え、腰を落ち着けての世間話だ。また客が出店に並び出す時間帯になるまでは、こうしてゆったり語らうのも悪くない。


「ユースが騎士団に行っちゃってからも、私は毎年行ってるのよ。あなたは行ってないの?」


「騎士の仕事で忙しかったからなぁ。3年前には第14小隊――あの時は分隊かな。みんなで行ったけど」


 春のルオスの豊緑祭、夏のエレムの創騎祭、秋のダニームの賢蘭祭、冬のラエルカンの建国祭。4つの国が集まるこの地方において、四季それぞれに各国最大のお祭りがある。ナイアが昨年秋の思い出を脳裏に描き、懐かしむように微笑むのは、それだけダニームのお祭りが楽しかったからだろう。


 芸術と美意識の練磨された魔法都市ダニームは、年に一度のお祭りの日、都市全体が華々しい色と光に満たされる。魔法使いや学者達の英知と技術を総動員し、色鮮やかな景色と華やかな催し物で溢れる賢蘭祭の美しさは、その華々しさで言えば他国最大のお祭りと比較しても、頭一つ飛び抜けたものと言われている。また、賢者ルーネと賢者エルアーティが、毎年アカデミーの別館をまるまる借りて作る"お化け屋敷"は、入った人をいろんな魔法による見世物で出迎えてくれる、年に一度のダニームの名物として有名だ。仕掛けも毎年ごっそり変わるらしく、ここ数十年、それを楽しむために賢蘭祭に訪れるという愛好家もいるほどである。


「その時の賢蘭祭では、クロムさんが街角の弦楽隊に混ざってリュートの弾き語りしてたよ。上手くてびっくりした」


「クロムさんって、ユースと一緒に駆けつけてくれたおっきな人?」


「意外だろ。そうそう、火術が得意なマグニスさんも、花火師さん達に混ざって花火打ち上げたりしてた」


「マグニスさんって昔一度、あなたが里帰りした時に一緒に来てくれた人よね? 赤い髪の毛の」


「母さんも口説かれて大変だったよな」


「うふふ、嬉しかったわよ? こんなおばさんを、あんな風に立ててくれる人がいたんだから」


 ナイアは実際の年よりも若く見えるし、いい年のとり方をしているのだが、本人にはそういう自覚がないらしく、マグニスに頂いたお世辞はやっぱり嬉しかったようだ。未亡人になって久しく、再婚も全く考えていないナイアだが、今でも充分町を歩いていて何人かを振り向かせる可愛らしさを失ってはいない。彼女を毎日見て育ったユースだから、そんな母のお綺麗さには無頓着だったりするのだけど。


「シリカさんも舞姫さんに混ざって踊ってたなあ。なんか当たり前のように上手かったんだけどさ」


「あらあら、一度見てみたいわ。私、騎士としてのあの人の姿しか見たことないし」


「うーん、二度とやってくれないと思う。クロムさん達に煽られてやっただけだし、思い返すと恥ずかしくて消えたくなるから、もうやらないって拗ねながら言ってたから」


「えー、残念。お綺麗でしょうに」


「うん、綺麗だったよ。アルミナとかが見たら大喜びしそうなんだけどな」


 第14小隊と出会ってからの思い出を語るユースと、相槌を打ちながら楽しそうに耳を傾けるナイア。シリカやクロム、マグニスとの出会い、後に友人となったガンマやアルミナ、キャルにチータを引き合いに、次々とユースの口からエピソードの数々が語られる。縁深き、家族のような距離感で生活を共にしてきた第14小隊、その気になればユースはきっと、一晩中語り明かしても思い出全てを話し尽くせないだろう。あまりお喋り上手でない息子が、矢継ぎ早に思い出の数々を口にする姿は、いかに今の仲間達との暮らしが満たされているか、母の目には一目瞭然だ。


「いっつも俺のことからかってくるアルミナだけど、この間は本当に助けられたんだ。もしもあいつがいなかったら、俺どうなってたかわかんなかったもん」


「あの子、明るいだけじゃなく芯がしっかりしていそうだもんね」


「わかるだろ。俺、同い年であんなにしっかりしてる友達に恵まれて、本当よかったって思うんだ」


 血生臭いラエルカン戦役の思い出をここで語ることはしなかったが、エクネイス攻防戦においてアルミナと再会し、支え合って生き延びたあの時のことは、ユースも明るく話すことが出来る。特にあの日は、テネメールの村からユースやナイアを追ってきたスフィンクス――ワーグリフォンと再会し、撃破した日でもあるから、それに繋がって話も弾み続ける。あまり日頃、自分の戦果を自慢するようなユースではないが、母の前ではちょっと立派な今を見せてあげたいのか、そんな話をしたりもする。


 ある意味では、昔よりも自信がついてきた表れでもあったのだろう。以前の里帰りでは、シリカに立てて貰えたにも関わらず、たいしたことも出来ていない奴だと自己評価していたのだから。あの時よりも随分明るく話してくれるユースの姿には、やはり母として嬉しい想いもこみ上げてくる。


「立派にやってるのね。私も嬉しいわ」


「まだまだ、もっと、頑張らなきゃいけないこともあるけど、何とかやっていけてるよ。周りの人はみんないい人ばかりだし、俺だって……」


 言葉半ばで急にユースが口を止めたのは、机を挟んで向かい合うナイアがふっと目線を落としたからだ。真意を読めないユースだが、つい行動に心中を表してしまったナイアも、胸に渦巻く複雑な想いには、少し言葉を選びたがっている。


「母さん?」


「ううん、なんでもない。お母さん、嬉しいなって」


 ユースが物心つく前に夫を病で亡くし、若くして未亡人となったナイアは、たった一人でユースを長く育て上げてきた。目に入れても痛くない可愛い一人息子を、時に厳しく叱りつけ、泣きながら眠りについた我が子と離れたベッドで、悔いるべきか悔いぬべきか悩んだ記憶は数知れない。あの人が遺してくれた最愛の一人息子が、立派な若き騎士としてやっていけている姿が、どれほど感慨深いことであるだろう。顔を上げてふんわりと笑うナイアの表情は、大きく育ったユースを瞳から手放そうとせず、我が子の幸せな今を慈しむ愛に満ちている。


 そんな穏やかな表情の裏腹、ナイアが次の言葉を紡げず黙ってしまうのは、今の息子に向けるべき言葉を見つけられないからだ。本音を言ってもいいのかもしれない。だけど、きっとそれは我が子の心を縛る鎖になってしまう。それをはっきりと言葉に出来なかったナイアは、遠回しに今のユースを案じた言葉を作る。


「……魔王討伐の戦いに、行くんですってね」


「ああ、うん。俺がそんな戦いに混ざるなんて、今でも信じられないけど……」


 ユースが9歳の時、4人の勇者様が魔王マーディスを討ち果たしてくれた。子供心に、遠き英雄の戦果に胸躍らせ、既に当時剣術道場に通っていたユースは、自分もいつかと夢を抱いたりしたものだ。それから11年間、騎士団入りして筋がいいと褒められた末、落ちこぼれの底まで一度落ち、光が見えて見習い騎士を卒業した後も、凄い人達が周りにはいっぱいいて。いつしか巨悪を討つ英雄になんて憧れる想いも失せ、自分に出来る形で、近しい人を守ることばかり考えてきた日々だった。再びこの世に現れた魔王、それの討伐に向けた戦いに自分が携わるなんて、想像だってしていなかったことだ。


「頑張ってきてね。お母さん、応援してるからさ」


「……うん。ありがとう」


 騎士剣、草摺、小手と盾。騎士としての立派な姿を身に纏う一人息子が、これから魔王という大悪に立ち向かうのだ。優しい笑みでユースを送り出そうとするナイアだが、心配でないはずがない。いつ、どんな形で命を落とすかもわからない死の道へ、我が子が旅立とうとしている。柔らかな笑顔の裏に潜む、本当ならば引き止めたいという想いを、必死でナイアは抑えつけている。死んだりなんかしないでね、という単純な言葉さえ、ユースを迷わせるかもしれないと思えば、口には出来ないつらい親心がある。


「……えっと、その。母さん」


「ん?」


 ユースにだって、それは不確かながら感じ取れてしまったのかもしれない。この親ありにしてこの子あり。互いの心が完全に読み取れなくたって、上手く言い表せない相手の胸の内を察しかけてしまうことはある。理屈や理論で生じる結論では決してなく、不思議な心の繋がりは時として、言葉を超えて密に結びつく。


「帰ったら、たまには一緒にお祭りに行こうか。俺も少しぐらい稼げるようになってきたし、たまには母さんにもご馳走したいしさ」


「…………」


「すべてが上手くいったら、賢蘭祭にも行こうよ。仕事と重なったりするかもしれないけど、そしたら上の人に掛け合ってみるからさ」


 ずっと支え続けてくれた母、故郷を離れた後も、干渉しないという最大の形で支えてくれた母。心の隅にいてくれるだけで、ユースにとっては芯を支える存在であり続けてくれた母に、ユースは親孝行をちゃんとした記憶がない。たまには立ち止まり、振り返り、そのために動いたっていいはずだと思えた。それを決意するユースの言葉には、生きて帰ってくるよという、ささやかで確かな約束が内包されている。


 思わぬ形で差し向けられた、最も聞きたかった言葉。生きて帰って、また顔を合わせようという戦士の約束。伏せて隠したはずの胸の内に貫かれる、かつて小さかった我が子が大きく育ち、親の想いを超えて届けてくれた声。思わず目を伏せかけ、熱くなりそうな目頭を隠しそうになったナイアが、揺るがず眼差しを真っ直ぐユースに向けたままでいられるのは、彼女が今も強き母親でいるからだ。


「……うん。すごく、楽しみにしておく」


 親がいなくとも子は育つ。顔を合わせるたびにそう思わせてくれる我が子の姿に、ナイアの胸はいつだって満たされる。選ばれぬ簡素な言葉を口にするので精一杯の母、その真正面には、恐るべき大悪に立ち向かう日を前にして、希望を掴むことを強く決意した一人息子の顔がある。


 今生の別れになど、ならないはず。根拠無くそう信じて心を逃避させるわけではなく、そうするのだと我が意志で決意したユースの姿は、不安でいっぱいだった母の胸を、じんわりと温かさで満たした。たとえ彼が無自覚であろうと、その背を案じる人の心を救う姿こそ、勇者の持つ才覚の一つである。











「もういいのか?」


「はい。いっぱいお話してきましたし」


「そうか。それじゃあ、行こうか」


 村役場の待合室で待っていた先輩のもとへ、母と別れたユースが帰ってくる。彼にとって最も敬愛する彼女は、この日テネメールの村を守る駐在騎士に、騎士館からの連絡通達の使者を兼ねる名目で、ユースについて来てくれた人物だ。村役場の人々に一礼し、馬小屋に預けていた馬を引き取ると、二人はそれに跨ってエレム王都へと帰っていく。


「ナイアさんは元気だったか?」


「はい。怪我も治ったみたいですし、安心しました」


「テネメールの村も随分立ち直ったようだしな。もう、心配ないだろう」


 元気な母、息を吹き返し始めている故郷。ユースが目にしてきた明るい光景を復唱し、機嫌よくユースがうなずける会話を作ってくれるシリカ。そのすぐ横に並ぶユースは表情も明るいが、母の前を離れたら、やっぱり気持ちは明日のことに向いてくる。明日になれば、今日のことは金色の過去に過ぎない。


「――生きて帰れたら、母さんと賢蘭祭に行く約束をしました」


「……そうか。それじゃあ、絶対に負けられないな」


 ユースにだって不安はある。当たり前だ。母の前では努めて隠したその胸中も、シリカを前にするとつい素直に吐露してしまう。戦に生きる者同士の会話と、そうでない者と語らう戦人で、顔色が変わるのも当然のことである。


 シリカだって考えていることは同じだ。自分自身の命の保証はおろか、大切な仲間達の命が失われるかもしれない死闘に望むにあたり、そうはさせぬという決意の裏には必ず不安がある。かつて出会ったあの日から、真っ直ぐに自分のことを追いかけ続けてくれた、唯一無二の後輩。それがユースだ。エルアーティの不吉な予言もあるだけに、ユースの決意を聞けば聞くだけ、シリカの胸の内では、そんな予言を現実にしてなるかという想いが濃くなっていく。


「なあ、ユース」


「はい?」


「生きて帰れたら……」


 そこまで言いかけたシリカが、顔をこちらに向けたユースを前にして、言葉を詰まらせる。明らかに、言おうとした言葉を喉の奥に引っ込めたシリカの態度には、ユースも思わず首をかしげそうになる。


 沈黙にして3秒。明確な迷いの時間だ。


「――乗馬の練習をし直そうか。やっぱり、危なっかしい」


 ほんのり笑ってそう言うシリカに、ユースはうへぇと顔を歪めた。確かに足取りよく歩くシリカの馬に比べ、ユースの馬の足取りはどこかぎこちない。時々ぶるると不満げな声を漏らすし、乗馬が苦手なユースの手綱さばきは、いまいち改善されていないのが馬の態度からもわかる。


「えー、もういいんじゃないですか? 俺それより、もっと鍛錬……」


「だーめだ。お前がいつか上騎士になる日が来たとして、そんな手綱さばきじゃ格好がつかない」


「格好よさなんて俺いりませんし。それよりも……」


「聞かないぞ、そんなわがまま。落ち着いたら、みっちりしごき直してやる」


 ちぇー、と拗ねるように唇をとがらすユースと対照に、口ぶりだけ厳しくも、ちょっぴり苦そうに笑うシリカ。言いたかったことも、ちょっと目を合わせただけで詰まらせてしまう自分の意気地のなさには、流石にシリカも自分らしくないなと気付いた。ユースを相手になら、強気に演じる以外でならなんでも言えてきたのに、何を急に物怖じしてしまったのか自分でもわからない。


 ちょっと憂鬱そうに前を向くユースと、シリカの目線が向き合わなくなる。シリカも前を向き、まだ遠いエレム王都の方へ目を向ける。夕暮れ過ぎには王都に辿り着くはずの旅路、時間はまだまだたくさんある。二人きりで草原を歩くユースに、言いかけた本音を口にする機会は多いはず。


「……それと、な」


 そうやって先送りにしていたら、だいたいの場合は最後まで言えなかったりするのだ。これじゃ良くないと感じたか、シリカが一歩踏み出すが、ユースはぴくりと肩を動かすだけで振り向かない。また何か駄目出しでもされるのかな、と、内心でちょっと身構えている。


「全部が終わったら、少しぐらいは休暇を貰って、だな……どこか、遊びにでも行かないか」


 ちょっとユースも驚いた。仕事の虫のこの人から、そんな提案が出るなんて。まあ、これから立ち向かう戦いの大きさを思えば、それが終わればそれぐらいの余暇があってもいいのかもしれないけど、とは思う。そう考えたら、シリカもそういう考えなのかなとも思う。


「いいかもしれませんね。みんなで賢蘭祭にでも行きます?」


「いや、別にどこでもいいんだが……二人でだな……」


 思わずシリカを二度見したユースのリアクションは間違いなく正しい。第14小隊は一蓮托生、任務で隊を二つに分ける時以外、シリカの行動理念はいつだって8人揃ってだ。彼女の意向で、夕食などは出来る限り8人揃って、というのが当たり前の第14小隊なのに、その提案は予想外過ぎる。


 前を向いたままのシリカの横顔をユースが見つめるが、ちらりと横目でユースを見てすぐシリカは、目線を前に戻してしまう。手綱を握るはずの片手を離し、指先で額をくしくしと拭うシリカの挙動は、ユースもあまり見たことのない姿だ。汗をかくほど暑い季節はもう過ぎていると思うのですが。


「……お前には、いっぱい苦労をかけたしな。たまには私が、一対一で労ってやりたいんだよ」


 彼女なりに言葉を選んでの言葉だろう。別にユースはシリカと一緒にいて、苦労をかけさせられたどころか助けられっぱなしだと思ってるぐらいで、既にこの時点で話は噛み合っていないのだが。それでもまあ、シリカなりに何か考えてくれているのは、流石にユースも読み取れないわけではない。何か、の中身までわかるほどユースも鋭くはないが。


 別にそんな、と謙遜するのが普段のユースだ。それは正しくない。出そうになったその言葉を、言い知れぬ直感で胸の奥にしまいこんだユースは、少しの間を置いて、もう少しいい答えを導き出せた。


「……わかりました。でも、だったらみんなには内緒の方が?」


「ん……そうだな。うん、みんなには秘密だぞ」


 なんだか嬉しそうに、ユースに振り返って笑うシリカの内心なんて、今のユースには気付けやしないだろう。ただ、4つ年上であるはずの女性が、不意に1つ年下の可愛い女の子のような可愛らしい笑みを見せてくれたことに、思わずユースの胸がどきりと鳴ったのはここだけの話。普段は姉のように頼もしく、優しく微笑んでくれた彼女と同じと思えぬほど、その笑顔は無邪気で、幼げでさえあった。


 ずっと弟のように可愛がられてきたのが面白くなくて、ちゃんと一人の男として認めてもらいたいと思い続けてきたユースにとって、シリカはちゃんと異性なのだ。そう意識しても、ユースの中に今までは芽生えてこなかった感情は、ふとしたきっかけで色を持つようになったりもする。今日がその日なのかもしれないし、あるいはこれは芽生えですらなく、もっと大きな変革が先にあるのかもしれない。それでもユースの胸の奥、僅かに揺らいだ何かがあったのは確かな事実である。


「必ず、生きて帰ろうな。どちらかが、じゃない、二人でだ。みんな、揃ってな」


「……はい」


 一瞬だけ見えたような幼い笑顔が、いつもの頼もしいあの人の笑顔に戻る。まるで今、シリカに向けるこの目を見られたくない気がして、ユースがひゅっと顔を前に向けてしまう。今度はこっちの様子がおかしくなってしまい、シリカの方が首をかしげそうになる。あっちがああなればこっちがこう、似通う点の多いぐらいの二人なのに、残念なぐらい不思議にすれ違う。


 長い帰り道、二人がいくらかの世間話を交わす場面はあった。ただ、途中からどんどんユースの口数が減っていった原因が、シリカには最後までわからなかった。ユースにだってわかっちゃいなかったのだけど。




 アルミナやキャルが、出撃前に育ての親と顔を合わせに行ったように、シリカにも出撃前の時間を費やす先はたくさんあったはずだ。独り身でシリカを育ててくれた祖父との再会でもよかったし、あるいは生真面目な彼女に限って言えば、騎士剣を振るって自主鍛錬していてもおかしくない。そんなシリカが名目を作ってまで、この日そばにいようとした相手が、家族でも旧友でもないユースであったことは、決して運命のいたずらなどではない。シリカがちゃんと、自分の意志で決めた道なのだ。


 まったく言葉にしなくても伝わる想いはある。よくよく考えれば気付けそうな態度にだって、人は全く気付かなかったりもする。だから心の繋がりというものは繊細で、同時に儚く貴い。容易に得られるものばかりが甘美とは限らず、ふとしたきっかけで拾ったものが珠玉なんてのは、実にありふれた話である。

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