第240話 ~この手で掴め~
重傷者の入院暮らしは退屈だ。特にシリカやユースのような、暇さえあれば剣を振るい、体がなまるのを拒みたがるような騎士にとって、じっと毎日寝ているのはつらい。騎士館医療所専属の医者や、治癒魔法を得意とする魔法使いの手ほどきのおかげで、例の日から一週間経つ頃には、自分である程度動けるぐらいにまで回復できたが、だからこそ尚更。
幸い、第14小隊の3人が集められたこの病室は話し相手には困らず、辛抱たまらなくなったら隣に話しかければいいので、そういう意味では暇をし過ぎなくて幸運か。ただ、戦場から隔離されたこの場所にいたって、嫌でも現在世界を取り巻く近況は耳に入ってくるし、早く体を完治させて、何か出来ることに努めたいという想いは募る。魔王アルケミスの誕生なんて、あの日から一週間も経った今、騎士団に属する者であって聞き及んでいなかったら、耳が遅すぎる。
「失礼します」
はやる気持ちをなんとか抑えるシリカとユース。焦っても仕方ないと割り切って、医療所の人に取り寄せて貰った小説を読むアルミナ。そんな3人が動かない毎日を暮らす中、ある日この一室にノックもせずに足を踏み入れた誰かがいる。
「お、お疲れ様で……いっ、て……!?」
突然の、かつての上官との再会。思わず体を起こして一礼しようとしたユースが、全然治りきっていない体を軋ませ、痛みにうめき声をあげる。シリカも危うくユースと同じく、がばりと体を起こしそうな衝動に駆られていたが、そこは焦らずゆっくり上半身を起こして一礼した。流石にそこは年の功。
「ご無沙汰しています、上騎士ラヴォアス様」
「相変わらずですな。今となっては法騎士の貴女が、私に敬う言葉遣いは不適切でしょうに」
「前々から申し上げていますが、普通にお話して下さいませんかね……」
上騎士ラヴォアスは、見習い騎士時代のシリカとユース、両方の師であった男だ。今は彼よりもシリカの階級が上になってしまったから、ラヴォアスはシリカに対して敬語を使っているが、シリカからすればかつての師に腰を低く話されてもむず痒い。生活習慣のだらしなさに対し、昔は山ほど食って掛かった恩師であれど、根本的な敬意が一切薄れていない年上に敬語で語られると、シリカみたいな性格をした人物には具合が悪いようだ。
「しかし、今は貴女が法騎士なわけで……」
「お願いします、昔のようにお話して下さい」
「それでは秩序というものが……」
「ああっ、もう……じゃあもう、命令します。普通に話せ、上騎士ラヴォアス」
困ったな、という顔のラヴォアスを、ちょっと尖った目で見つめるシリカ。しばし沈黙。
「…………様」
呼び捨てにしきれず、だいぶ間を開けて結局敬称をつけるシリカ。ラヴォアスだけでなく、アルミナも笑ってしまう。ユースだけは、その気持ちわかりますよと温かい目線を送っていたが。
「わかりました、わかりましたよ。――シリカ、ユース、お疲れさん。これでいいか?」
はぁと溜め息をついて、こっくりうなずくシリカ。史上最年少の法騎士なんて、所詮彼女にとっては、名に応じた重責を背負う肩書きだけのものだ。自分より階級が低い騎士の中に、尊敬する人は山ほどいるし、自分に確たる自信もないシリカは、それらに下から目線で来られることをすごく嫌がる。世の中はいやらしいもので、尊敬できるような人に限ってしっかりしてるから、立場をわきまえて"正しい"口調で接してくるから、シリカにはこの手の悩みが尽きない。
「怪我も治ってねえお前らに言うのは少し酷な話だが、騎士団の方針が決まった。心して聞いてくれ」
現在のラヴォアスは攻軍に参加せず、王都の守りと若き騎士の育成に従じる身だ。参謀職には就いていないが、騎士館暮らしが長いため、内部情報には非常によく通じている。こうして伝令役を買って出ることも多く、そんな人物の報告に、シリカ達は静かに耳を傾ける。
ラエルカンの奪還がほぼ確定づけられた一週間前をゼロの日とする。翌日を1とすれば、今が7の日だ。それで数えて約30の日、エレム騎士団とルオス帝国軍、ダニームの魔法使い師団の連合軍で以って、コズニック山脈の最奥地レフリコスへの進軍が行なわれる。そう決定された。目的は当然、魔界レフリコスに身を隠す魔王、アルケミスの討伐だ。ラエルカン戦役で傷を負った戦士や魔法使い、それら全体の回復模様などと見合わせ、その頃に進撃することが、最速かつ充分な兵力を確保できる日付と結論付けられた。
シリカ達が、再び戦列に並んでいいと見込まれる日は25の日ぐらい。つまり、間に合う。レフリコスへの進軍に伴い、それに参加することを見込まれる二人に、ラヴォアスはそう告げに来たのだ。未だ傷も癒えぬ者に、治る見込みありとはいえ、数週間後に出陣するよう宣告しに来るなど、騎士団もなかなか容赦のないことである。それが戦人というやつで、傷の癒えを早くする優秀な医療機関の功罪でもある。
「出るか否か、選択権はお前らに一任すると……」
「出ます」
「行きますよ」
当たり前のように即答するシリカとユースに対し、ラヴォアスも嬉しいような寂しいような。戦士として迷わぬ信念を脈づかせてくれていることは何よりだが、やっぱりそれって早死にするタイプの考え方にぴったり当てはまるのだから。とはいえ決意は二人だけのものであり、公的にそれを抑制する顕現が誰にも与えられていない以上、二人がやると決めたらやらせるしかないのだ。何かこれ以上口を挟むのも無粋だとラヴォアスもわかっている。
「頑張って来いよ。そして、必ず生きて帰ってこい。三人ともだ」
ラヴォアスは優しく微笑んだ。縁深き二人のみならず、アルミナに対してもだ。彼女はその日、戦列に並ぶと明言しなかったが、即答したシリカとユースを追いかける目をしたアルミナは、その態度だけで運命の日に対しての決意を表明できている。
「上騎士ラヴォアス様、うちの小隊のみんなはどんな様子だとか、聞いていませんか?」
このまま軍事報告だけ受け取って、はいさようならでは味気ない。気になる情報を拾おうとする傍ら、久しぶりの師との再会を懐かしむシリカとユースを想い、話を引き伸ばそうとするのがアルミナだ。ラヴォアスもこの流れは歓迎のようで、聞き及ぶ限りの話をしてくれる。
マグニスはもう歩いているし、ガンマも当人の回復力でかなり快方に向かっている。キャルは医療所を奔走して看病に回れるぐらいだし、小隊内でアルミナが4番目に早く全快しそうな流れとのこと。ラエルカンで精神と霊魂をすり減らしまくったチータとクロムがその後に完治し、心身ともに最も手ひどく傷つけられたシリカとユースが、一番最後に完治する見込みとされている。
「エレム王国第14小隊、望むならきっと全員参戦できるだろう。やるなら、やるだけやってこい」
「わかりましたっ!」
今も寝返りうつだけで苦しいコンディションのアルミナは、それが嘘かと思えるぐらい元気な返事。何度死にそうになったって、戦うことで勝ち取るものの掛け替えなさを知っているから、彼ら彼女らは決して戦陣から退かない。人々の安寧を脅かす大悪に立ち向かい、死をも恐れぬかの如く突き進む彼女らの根底には、そうした想いが揺らがずある。そうした意志の結集が、かつて魔王マーディスを討ち果たし、近くラエルカンを奪還した過去を歴史に残している。
3週間後の決戦の日までなど、過ぎてしまえばあっという間だ。既にその日を見据えた3人の騎士と傭兵、その家族にも等しい5人の仲間達。生と死の狭間に自ら飛び込む決意を固めた第14小隊の魂は、すでに輝きを取り戻して人類の未来を照らそうとしていた。
「バーダント様……アルミナ、大丈夫かなぁ……」
「大丈夫よ。あの子達は、そう簡単に死んでしまう人間ではないわ」
大森林アルボルの最奥地、聖樹ユグドラシルそのものである大精霊バーダントは、ここ最近ずっと遠方の地の友人を案じて止まぬ妖精の前に、人の姿を顕して話を聞いている。不安げな表情の妖精ベラドンナを胸に抱き、頭を撫でて安心させようとするばかりだ。
バーダント、ベラドンナ、ならびにマナガルムは、ラエルカン奪還戦争が終わりを迎えたあの瞬間を以って、シリカ達との約束を完遂した。かつてアルボルに迷い込んだ第14小隊、それらにアルボル側が不条理を押し付けたお詫びとして、かの一戦に力を貸すという約束だ。結果として大精霊や妖精の加護を得たシリカ達は、獄獣を撃退するという功績に結びつくことが出来た。充分すぎるほど力にはなれたし、今は大森林アルボルに帰り着いて、元の暮らしを嗜んでいる。
「……ねえ、バーダント様。もしもアルミナ達が……」
「大丈夫だって。さっきからそう……」
「ううん、そうじゃなくて」
アルミナ達が助からなかったら、とベラドンナが言い出すかと思ったバーダントに対し、胸元の妖精は首を振る。彼女が言いたいのは、今そんなことではない。
「もしもアルミナ達がまた、私達に力を貸してって言ってきたら……」
「…………」
言葉半ばにして途切れさせたベラドンナに、バーダントは何も応えず黙っている。何を言いたいのかはわかった。だけど、その仮定は今からでは考えにくい。
「私また、アルミナ達に力を貸してあげたい」
「……そうね。私もそう思ってる」
バーダントは人間のことが好きな精霊だ。力を貸してと頼まれれば、守るべき森をしばらく留守にすることは気がかりだけど、協力は惜しまない口。ラエルカン奪還戦争が集結を迎えた際、ただならぬ魔力の持ち主――魔王アルケミスがこの世に顕現したことも、あの日バーダントは察している。もしもあれを討ち果たすことをシリカ達が目指すなら、協力を求められることも充分に考えられる。
そうなれば、力を貸していいとバーダントも考えているのだ。ただ、実際にそうなるかどうかが、かつての経験則からバーダントには予想しづらい。
「もしも、話を持ちかけられたら、よ。そうなれば、マナガルムにも声をかけてあげましょう」
「……うん」
思えばかつて、魔王マーディスが幅を利かせていた時代でさえ、人類はバーダントに協力を仰がなかった。当時すでに、もっと言えばずっと昔から、精霊と人類の繋がりはあったのに。大精霊という圧倒的な力を持つ者の力を、人類がいくら危機に瀕してなお頼らない人類のスタンスを、バーダントは何年も見続けてきた。
一般にそれは、"人の歴史は人によって築いていかねばならない"という通説によるものだとされる。あるいはバーダントと心と魂を通わせ、最高の形で協力関係が生み出せる者がいなかったからかもしれない。シリカはアルボルでの一件から、バーダントと自然な形で心を通わせるきっかけを得ることが出来ていたから、後者の条件があるならクリアできたと言えるだろう。その手を引いたのはエルアーティであったが、通説においてのエルアーティは、一般にそうした考え方をしていない。
魔王マーディスが現存し、ラエルカンを一度占拠し、最も人類が危なかった時代の話だ。当時は勿論、大精霊という大いなる存在の力を借りるべきだと、数多くの人々が唱えたものである。しかし、当時既に魔法都市ダニームの重職に就いていたエルアーティは、断固として大精霊バーダントに人類が助けを求めることを支持しなかった。人の世は人が創るべし、精霊の力に頼るでなしという古くからの考えを重視するにしても、本当に危ない時代だったのに。厳かに過去からの教えを遵守して、人の未来を救える可能性に手を伸ばさないエルアーティの姿は、手段を選びすらしない柔軟性を持つエルアーティの考え方に、実に似つかわしくないものだった。
当時は抜け駆けし、バーダントに協力を頼み込みに行く者もいただろう。だが、バーダントはエルアーティに釘を刺された考え方を肯定し、大きくは人類に手を貸してこなかった。森の恩恵を与え、わずかな支えとなってきたぐらいのものだ。数多くの人類が理解できなかった、大精霊の協力を仰がない、一貫したエルアーティのスタンス。きっと彼女が魔法都市に存命していれば、たとえ魔王アルケミスを討つための最終決戦の地にさえ、バーダントを招くことを肯定しなかったはず。
だが、今はエルアーティがいない。バーダントも、なんとなくわかっている。あの日亡国から消えたエルアーティが、もはや人里に生きて帰っている人物でないことを。そして、大精霊の力を借りることを最も拒む者がいない人類が、どう自分たちにはたらきかけてくるかは予想が立てられない。
知己となったシリカ達に力を貸すことを、大精霊は望むべくある。だが、森を守る者として、自分から勝手に動くことは出来ない。人類と精霊間で結ばれた長き習慣に乗っ取り、頼まれてもいないのに力を与することは出来ない。積み上げた歴史は、時に絶大なる力を持つ者の意志さえをも拘束する。
レフリコスへの進撃を一週間前に控えた頃には、シリカも外を出歩ける体を取り戻す。剣を振るうなど、体を酷使することは固く禁じられているものの、普通に生活するぶんには許される体となり、外を出歩くことを許可された。第14小隊でただ二人、完治まであと少しというユースとクロムは、まだ医療所から出ることを許して貰えないが。
本来ならばシリカも完治を宣言できるまで、医療所で安静にしていなければならない立場だ。そんな彼女が一日だけの外出許可を得られたのは、彼女に託された騎士団からの指令があったから。魔法都市ダニームに待つ、エルアーティと双璧を為すもう一人の賢者は、シリカが歩けるようになれば会いに来て欲しいと、ずっと前から騎士団に申し出ている。
「ご無沙汰しております、ルーネ様」
「お久しぶりです、法騎士シリカ様。お体の方は、もう大丈夫ですか?」
「はい、おかげ様で」
魔法都市のアカデミーの自室で待っていたルーネは、にこやかにシリカを迎え入れてくれた。帯剣も武装もしていない、普段着のシリカと話す機会がなかなか設けられないルーネにとって、この再会もそれだけで新鮮だ。昔はそうではなかったが、シリカが法騎士になって以来、仕事に追われる彼女にプライベートで会う機会なんて作れなかったから。
たった一人の血を分けた息子、クロムを率いる小隊の長たるシリカに、我が子の今を問いたい気持ちも勿論あっただろう。しかし今は、そんな話をしている時間ではない。お掛け下さい、とシリカに椅子を差し出すと、机を挟んでルーネが対面に座る。騎士団に無理を言って、医療所からシリカを引っ張り出した立場として、私情で話を長引かせることは一秒だってルーネには出来ない。
「騎士団から、当日の陣については詳しく聞かれていますか?」
「はい」
コズニック山脈の最奥地、レフリコス。恐らく当日は、山は魔王の本陣を守る魔物達で溢れ返り、各地で魔物達と人類の激戦が繰り広げられる。人類もそれを想定した陣形を組み、レフリコスへと魔王を討つ勇士を送り出す形を作り上げねばならない。
非常に簡単に言えば、進軍部隊は3つに分けられる。最終目的地はレフリコス、そこへ北から真っ直ぐに向かう第一軍、西から険しい山を越えて突き進む第二軍、そして砂漠を越えて西から攻め込む第三軍だ。第一軍の総指揮官を勇騎士ベルセリウスが、第二軍の総指揮官をルーネが、第三軍の総指揮官を魔法剣士ジャービルが担い、人類の中でも最高位の力を持つこの三人が、レフリコスに到達することが目指される。
シリカ達は第二軍、ルーネが指揮を務める、魔法使いダニームの魔法使い達が主軸となる部隊に混ざる。山は非常に険しいが、レフリコスまでの道のりは最も短く済み、それを魔法使い達の援護を得る形で攻略する算段なのだ。足元は極めて危なっかしい進軍ルートだが、それに見合うだけの戦術は充分に敷かれている。こうして3つの軍によってコズニック山脈を包囲し、魔物を蹴散らし、レフリコスまで到達する手筈である。
「既に広く知らせていることですが、私はきっとレフリコスまで辿り着くことが出来ません。途中からは、指揮権を誰かに預けることになるでしょう」
「……はい」
全体進軍図から見て、それが事実ならかなり手痛い。魔王アルケミスという強大な存在に対し、そこにルーネという最強の駒をぶつけられるなら、何よりも心強いものだろう。彼女はかつて魔王を討伐した勇者達と比較しても、決して見劣りしないだけの実力を持っている。
それが何故レフリコスまで辿り着けぬ見込みとされるかも、軍部には精密に報告されている。しかし、それは今論じても仕方のないことだ。運が良ければそうならないかもしれないが、それはもう織り込んで話を進めた方がいい。楽観的な観測で戦術は作れない。
「法騎士シリカ様。あなたはすべてに優先し、自分自身がレフリコスに到達することを志して下さい。かの地に辿り着くべき者とは、他のすべてに勝りあなたです。その"運命力"を、私は感じています」
「……私が」
「はい。あなたが人類にとっての、希望の種へとなるのです」
魔王アルケミスにぶつけられるべき人類の大駒。勇者ベルセリウスやジャービルはそうだろう。次に名を連ねるべき者と言えば、挙げれば枚挙に暇が無い。空を舞い無双の槍を振るう勇騎士ゲイル、魔導帝国ルオスの老練の大魔導士エグアム、あるいは練達の剣豪である聖騎士グラファスや、渦巻く血潮を身に宿す聖騎士クロードでもいい。シリカよりも、優先的に決戦の地に送り出されるべきであろう強豪なら、人類の中を探せば無限にいる。
それでもルーネはシリカを推した。彼女の直感が感じ取る、大悪を討つ運命にある一人の法騎士を。そして彼女のそばに立つ、親友がその運命力を推す若き一人の騎士を。シリカの名だけをここに挙げたルーネだが、その思考の視野の中には、シリカの一番弟子である彼の姿もある。
「布陣とは連携です。送り出すべき誰かを送り出すため、抗戦隊や遊撃手の協力あってこそ、敵を討つべき人物が、巨悪の核心に手を届かせます。貴女に課せられた使命は、誰かを送り出すために戦うことではありません。自分自身がレフリコスに辿り着くため、その全力を尽くして下さい」
流れのままに、誰かが本拠地に辿り着ければそれでいいという考え方もある。だが、結束のためには目的を合致させねばならない。確たる一本の芯を揺らがすことなく、全体の意志が統一され、そのためにすべてが動かねば巨悪は打ち倒せない。相手が魔王のような、絶大なる存在であれば尚更だ。掲げた目的、たとえばシリカの落命によってそれが果たせなくなった時、取り返しのつかない戦い方にも違いないが、どのみち作戦の本軸を崩されようものなら勝てないのが、決死の戦争というものだ。
ルーネの強い眼差しに押されてうなずくも、シリカにすれば言葉に詰まりさえする作戦だ。ずっと彼女は騎士団の一員として、全体の、あるいは騎士団の筆頭を最高の形で、敵の本陣へ送り出すための戦い方を主にしてきた。個人技もそうだし、指揮を下す時もそうだ。法騎士の上には聖騎士も勇騎士もいる。自分よりも敵将にぶつけるべき先人がいて当然、それが24歳の法騎士の今までだ。自分自身が巨悪を討つ主役になることなど、今まで一度もシリカは想定したことがない。
「大精霊バーダント様の力をお借りしましょう。エルア亡き今……魔法都市ダニームにおける戦陣の全権を握る私が、それを推奨します」
「ルーネ様……」
「……エルアがここにいたら、絶対に反対したでしょうけどね」
世界一の親友が世を去ってから三週間余り、心の傷が癒えきっていないのは、ルーネの力なき笑顔からも明白だ。そんなルーネが、断固として大精霊の力を借りることを拒み続けた親友亡き今、決断したことは、再び大精霊バーダントをシリカ達へと関わらせること。
エルアーティがどうして大精霊の力を借りたがらないのか、強く賛同する真意も持ってルーネは知っている。それでも彼女は、シリカが再び大精霊の力を借りることを勧めるのだ。それは彼女が、シリカのことを、あるいは彼から決して切り離せぬ、勇者の卵の命を救いたかったからに他ならない。
預言者エルアーティは確かに予言した、近い未来このままいけば、シリカとユースのどちらかが死ぬと。ただの一度もはずれたことのない、エルアーティの予言を覆すことが出来るのは、大精霊のような大いなる力を持つ者しかいないと思えた。大精霊に力を借りることが、どれほどの意味を持つかもルーネはちゃんとわかっている。それでもすがりつかずにはいられないのは、死出の旅にシリカ達を送り出すルーネの心が自責する、罪深さにこそ起因するのかもしれない。
「誰に何を言われても、これだけは絶対に揺らがないで下さい。大精霊バーダント様の力を借り、魔界レフリコスへ貴女自身が乗り込み、魔王を討つ刃となる。それが貴女に課せられた使命なのです」
まるで幼き頃に目を通した、騎士物語の主役のような立ち位置に自分が立つなんて、今のシリカに予想できたことだろうか。未熟なのに。獄獣を率いた魔王などという大悪に、自らがこの手で挑む。今はまだ、恐怖や戦慄すら沸かないのは、それが現実味を帯びない絵空事のようにさえ感じるから。
現実を把握させるのはいつだって身近な現実だ。真剣な眼差しでシリカを見つめるルーネの眼力だけで、それが嘘ではないとシリカの心を貫き通す。自信がなくたって、課せられればやるしかないのが法騎士だ。一秒経つごとに目の前の現実が色を濃くして、シリカの心を不安でいっぱいにする。それでも彼女の口から紡ぎ出される言葉は一つしかない。それを回り道せずに、最短で口に出来るか。
「……わかりました」
やるのなら、やると言うべき。前置きも不要、それが戦いの世界に生きる者に課せられた、最初前提の心がけ。ここまで形に出来るだけでも、法騎士として生きてきた数年間は、彼女を充分に武人たらしめるよう育て上げてきたと言えよう。
ルーネは席を立ち、シリカに歩み寄る。両手でシリカの手を握り、腰掛けたシリカよりも低い背丈で見上げてくる。いつ見ても、強さと弱さを同時に内包する、力劣りながらも魔王を討ち果たした人類の本質を物語るような瞳だと思う。
「人は、絶えぬ歴史をこの手で紡いでいける存在です。今も、昔も、そしてこれからも。あなたもまた、人であることそのものが、あなた自身の可能性を証明する事実です」
たとえ魔王のような存在に脅かされても、絶望的な戦いを何度強いられることになっても。それを乗り越える力が人にはあると、ルーネは祈るように想うのではなく、それを叶えてきた歴史から学んで人に説く。これからもそうとは限らないかもしれないという一つの可能性さえ、魔を退けて何千年も生き続けてきた数多の事実で割れば、微々たる確率論に過ぎない。1割る何千何億の可能性を恐れて希望を捨てることは、まして立ち向かうしか選択肢の無い時に、愚の骨頂とさえ言えること。
「過去の方々が繋いできたものを私たちが受け継ぎ、それは未だ生まれぬ未来の人々へ、私達が繋げていくのです。それが歴史の織り成す時間軸が課す、私達への宿題です」
人の歴史は潰えない。潰えさせないのは、今この世界に生きる人々。不文律の中で人類に託された使命は、言葉にされねば意識すらしないことだ。途方もなく重き使命、しかしなおもそれを背負い、叶えんとする強き意志力が、戦士の魂を奇跡もたらす光に変えていくことを、ルーネは知っている。教えている。
「ともに戦いましょう、法騎士シリカ様。守るべきもののためにです」
「……はい」
シリカの脳裏を駆け巡る、7人の仲間達の顔。守るべきものの最たるもの。僅かな時間、交錯した賢者と法騎士の精神が、近き決戦の時に向けてひとつになる。




