第236話 ~胡蝶の夢② 月下の夜明け~
まあ、15歳の見習い騎士が高騎士と一騎打ちしたところで、勝てる見込みがある方が不思議なぐらい。階級章を身につけていなかったシリカゆえ、彼女がよもやそんな上の人だと知らなかったユースは果敢に挑み、10秒の様子見の直後、シリカに瞬殺された。それも背後を取ったシリカに、背中をこつんと木剣でつつかれるという、えらく優しいフィニッシュだ。余裕ありすぎ。
ここまで惨敗だと悔しいとかいう気持ちも失せて、練達の騎士様に挑戦してしまったんだなという現実に、へこみすらしない。女と言っても明らかに年上、構えもしっかりしていたし、侮ったりしなかったユースは、それでよかったんだなと尚更思った。さっきまで、自分の才なさに絶望しかけていたところにこの惨敗、追い討ちになりそうなものでもあったが、逆にユースは清々しくすら感じたものである。
「……君は見習い騎士、だよな?」
お手合わせありがとうございました、と一礼するユースの前、どうだと胸を張ることもしない勝者が、怪訝な顔でユースを見つめていた。どう見ても17歳に至らず騎士館で訓練するユースは、見習い騎士でなければ何なのだというものなのだが、確かめるように問うシリカの表情は、それを容易に確信していない。
そうですけど……と、ユースも不思議そうに応える。シリカの方こそそれを聞き、なおも不思議そうな顔を深め、ユースに年を聞いてくる。15歳です、と応えたユースに、シリカはしばしの沈黙を返す。
「……もしも君が時間を作れるなら、明日以降もここで会わないか。私は少し前の戦役で負傷して、しばらく戦線復帰を認められていないんだ」
要するに最近暇であると。自分の近況、その全容を説明するには短すぎる言葉だったが、ユースの握る木剣をちらっ見てそう言う表情からは、時間を作れるならまた明日以降も、二人でこうして剣を交えないかという提案と見えた。態度と表情、短い言葉からそこまでの疎通を果たす二人というのは、なんかもう頭の作りが根っこまで剣に生きている二人ゆえなんだろう。騎士脳って言葉がよく似合う。
この日は一度のお手合わせだけで終わったが、シリカの提案を快諾したユースは、シリカが帰った後、ちょっと元気を取り戻して素振りを再開する。思いっきり塞ぎこみかけたあの瞬間、誰かと剣を交えた末、軽くお喋りできただけでも、いい気分転換になったのだろう。体がよく動いた。何よりあれだけ惨敗した直後でも、それをマイナスに捉えもせず、あんな強い人がいるんだ、自分も頑張らなきゃと、心機一転出来るユースの前向きさは絶対に才能だ。何でもいいから言い訳せずにやらなきゃ、という想いが根底にあるユースは、ちょっとしたきっかけ一つで体を動かすことが出来る心根を持っている。
自主鍛錬を終え、夜遅くに自室に帰ろうとしたユースだが、その時ラヴォアスとぱったり顔を合わせる機会があった。精が出るな、いいことだ、などと朗らかに笑いかけられた後、自室までラヴォアスと一緒に歩く中、こんな人に会いましたよ、という話をユースもする。どんな奴だと聞かれて、そういえば名前を聞くのを忘れていたなと思い返すユースだが、髪の色や上背などの特徴を話せば、それが誰のことかラヴォアスにはすぐわかった。こんな時間に訓練場を訪れる暇な女騎士、それでその特徴ならあいつしかいないので。
明日も会おうとシリカがユースに提案したことを聞いたラヴォアスは、誘いかけたシリカの心中を推し量る。シリカとユースの両者を知りつつ、二人の接点がなかったゆえ今まで考えたこともなかったが、ユースとシリカを二人並べて想像した時、ラヴォアスは面白い組み合わせだと思った。似てると。もしかしたら知ってか知らずか、シリカもそうした気質を感じ取ったんじゃないかとさえ。
明日以降、シリカとユースが真夜中に二人で会う機会を得たと知ったラヴォアスは、もしかしたらこれはいい転機になるのではと思った。そしてユースには、そのことは誰にも話すなよと釘を刺した。なんでですかと問うユースを適当にラヴォアスははぐらかしたが、その本意は、二人が会う時間を二人だけにしたかったからだ。真夜中に訓練場に訪れる美しき女騎士、そんな噂が広まったら興味を持って一目見ようとする奴が現れるに決まっている。
何かと大人というやつは、こっそり根を回しているものである。そうした密かな気遣いは、誰の耳にも永遠に入らぬのが殆どだが、そうした心遣いに支えられ、未熟な子供は導かれていることが多い。
翌日の夜、シリカとユースは再び二人きりの再会だ。日中の訓練は、年の瀬を迎えた頃で周りも気合が入る時期、ユースにとってはなおいっそう、意気込む周りに気圧されがちで、序列の最後尾にいる自分を意識してしまいやすい時期だ。それでもめげずに訓練をしっかり果たし、みんなが寝静まるような時間まで休んだ後、自室を抜け出し例の訓練場へ行く。
「もう、怪我は治ってるんですか?」
「普通に生活できるぐらいにはな。年が明けたら戦線復帰できるんだが、それまでに少しでも体を動かして、なまらないようにしておきたい」
魔将軍エルドルの断末魔の大魔法に晒された彼女は、ダイアンやマグニスの力によって守られていたとはいえ、全身に手ひどく痛めていた。それが先月の話だ。今年最後の月、年末を前に控えるこの頃には、医療所の人々の尽力の甲斐あって、シリカも普通に歩いて過ごせるぐらいには復調していた。ただ、件のエルドルとの戦いで、当時まだ医療所に身を伏せたままの者もいて、当時の高騎士ダイアンや法騎士ナトームもそうだ。彼らはその後、戦線離脱を余儀なくされる後遺症に悩まされる結果になるのだが、それだけエルドルの魔法が強力な破壊力を持つということ。回復気味のシリカも、大事を取って戦線復帰を見送る形にされていたのがこの頃である。
もっとも、その辺りの細かい事情はユースには語られていない。身内間では、魔将軍エルドルを討伐した一人だと背中を叩かれるシリカだが、エルドルを長く追い続けたナトームが弱らせた魔将軍を、最後だけ討ち取った形になったように感じるシリカは、当時特に後ろめたかった。だからエルドルのことなんて一言も話さなかったし、ユースも目の前のシリカがそんな高騎士様だったなんて知らなかった。
シリカとしてはもう動けるので、素振りないしゆるやかな対人訓練ぐらいはして、実戦に戻った時に勘を失っていないようにしたいのだ。ただ、事情を知っている身内が付き合ってくれるはずもなく、こっそりこうして真夜中に、人知れぬ訓練場で素振りでもしようかと考えていたらしい。そこに具合よくユースが居合わせたことで、これもきっと縁だと剣を交わすことを、シリカが頼む形になっている。
付き合わせてすまないな、と謝るシリカに対し、ユースの答えは決まっている。こうした時間でもお手合わせしてくれる人がいて、嬉しいぐらいですの一点張り。これを社交辞令抜きで地から言えるユースだから、シリカもくすっと笑ってしまう。確かに自分も立場が逆なら同じことを思ってるけど、人に言われると可笑しいぐらい生真面目に見えるから面白い。胸中密かに、日頃良く自分のことを頭が堅いと揶揄するマグニスの言葉に、少し言い返しづらくなる想いも沸いてくる。
「それじゃあ、やろうか」
「はい。ご指導よろしくお願い致します」
所属する第6中隊でも、高騎士シリカは既に後輩を導く立場だ。とはいえ本職騎士として生きる中、15歳の少年を指導する経験なんて久しぶりのこと。騎士見習い時代には早々に頭角を現し、ラヴォアスの下で立派な先輩としての姿を形にしていたシリカだが、あの時後輩と剣を交えていた時のことが、ユースと木剣を構え合うと明朗に懐かしめる。
真夜中の訓練場、騒がず声を放たず、木剣の音だけを打ち鳴らし合う二人。シリカとユースだけの世界だ。目の前の、なんだかよくわからないけど凄く強い女騎士様に、一本取らん勢いで攻め立てるユース。相手が自分より強いことなんかわかりきっている。駄目で元々、積極果敢に前進し、やられればそこから学んでやるというユースの勢いは凄まじい。
シリカにすれば未熟で、対処も容易である太刀筋。それでもシリカが騎士としての眼差しを失わないのは、剣を握れば全力という騎士性分ゆえのみではない。昨晩、初めて手を合わせた10秒の時点で確信していたことだが、下地がしっかりしていて無駄のない太刀筋なのだ。経験と力量の不足から、シリカに対する決定力を生み出せていないだけで、少なくともユースの思うまま、最大限武器を操れていることがよくわかる。15歳の見習い騎士が、これほど堅実な戦い方を形にし始めていることには、シリカも戦っていて驚きだ。少なくとも自分が同じ年頃、こんな武器さばきを身につけてはいなかった。
形だけは防戦一方、敢えて防御と回避に徹する数分で、シリカはユースの木剣が語る、彼の騎士半生を聞き取り続ける。何も語らず前に出るユースの積極性が、5歳の頃から木剣を握り続けたこれまでの人生を、剣に乗せて訴える。今日は昨日と違って、シリカとのお手合わせがわかっていたユース、その左腕に光る木の盾の何たるかを、シリカも問いたくなり始める。
シリカが攻撃を返し始めた。ユースからの攻撃の合間を縫い、決め手に欠ける甘い反撃だ。ユースはしっかり反応して、盾でシリカの木剣による突きを横にはじく。すぐに退がったシリカをユースの武器が捉えることは出来なかったが、備えた武器と防具を的確に使用できるユースの手腕には、シリカも離れて小さく笑わずいられない。出来る後輩と手を合わせている実感を得ると、先人の意地に火がともる。
駄目で元々、そういう積極性でがむしゃらに前進するユースは、本来持っているポテンシャルが攻撃性に傾くから、普段の彼以上に勢いを増す。ラヴォアスに挑む時だってユースはそうだ。どつかれて負けるのは最初から織り込み済み、だから痛みと共に学ばんとする想いが、ユース本来の力をしっかり形にする。ユース含めた、小隊に属する教え子と一対一で戦う時、ラヴォアスは各々の成長具合を計るのだが、ラヴォアスに挑む時にのみ限り、ユースは小隊内でも一、二を争う総合力を発揮する。結局は積み上げた能力に対し、本人の消極性がそれを打ち消す形で、結果に繋げてこられなかっただけの話である。
実際12歳で騎士団入りしたばかりのユースは、周りから見ても破竹の勢いで力をつけていた。先輩も、来年にはこいつにやられるんじゃないかと危機感を覚え、それが上に対する突き上げにもなっていたぐらいだ。ただ、1年経って先輩になったユースが、後輩には負けちゃいけないなと軽口で周りに言われたのが、糞真面目な彼にとって大きな足かせになってしまった。まあ、周りもまさかユースが本当に後輩に負けるような強さだと思っていなかったのだが、その信頼の裏返しが、まさかの悪い方向にはたらいた例である。
負けられない、と思うと、ユースの動きが思いっきり堅くなる。積極性が薄れる。本来の力量が発揮されなくなる。それで不覚をとったユースが、まさかの1年後輩に敗れたことは、周囲も当時びっくりだったものである。いっそのことユースが、後輩でかい顔させてたまるかボコボコにしてやんよとバリバリ攻めていたら、むしろ圧勝で終わっていたような勝負だったのに。若い者同士の戦いで番狂わせが起こりやすいのは、どちらも未熟ゆえ、両者の心持ち次第で容易に本来の実力差がひっくり返り得るからだ。
ともかく後輩に負けたショックが、より一層ユースに、今後これ以上の失態は重ねられないと自分にプレッシャーをかけることになっていった。こうなると悪循環スタート。後輩に負けられない、戦場でミスは出来ない、早く先輩に追いつかなきゃ、出来れば勝つ形で。そうした自分発信の重圧で、ユースは培った力を、訓練でも実戦でも発揮できなくなっていく。先輩もユースのことを頭打ちかと思うようになり、後輩もユースさんなら追い抜けるかも、と勢いを増す。その目線が尚更ユースを焦らせる。
自主鍛錬を積んでいる時のユースの太刀筋はめきめき洗練されていくのに、いざ実践となれば目に見えて、周りから突き放されていくほどに形にならない。親友として一番ユースを見ていたアイゼンだけが、不可解なほどのそんなユースの有り様を見ていたから、アイゼンの中でのみユースは強い同期だったのだが。ただ、そうなってしまう起因の本質まで見抜けるほど、アイゼンも秀才だったわけじゃなく。
気付いていたラヴォアスも、このことはユースに対して口が酸っぱくなるぐらい言っていたのだが、こればっかりはユースも教えられたことを上手く実践できなかった。要するに、びびらず前に出て積極性を出せというだけの話だったのだが、プレッシャーと焦りの狭間で揺らめく心のコントロールは、10代前半の少年にとって難しいものだ。ユースは言われたとおり、積極果敢にしようとしているつもりでも、胸の奥底の不安や重圧が結局体を縛るから、結果は変わらない。むしろ何度も教えられるとおりにやっているつもりなのに、それでも上手くいかない自分に余計焦ってくる。絵に描いたような悪いスパイラル。
自分はもしかしたら出来ない奴なのかと思い始めると、人間なかなか覚醒しない。偶然的にでも、何かばちっと上手くいくことの一つでもあれば、それを境に自信が持てて、本来の地力がはじけることもあるのだが、不幸にもユースがそういう性格をしていない。コボルドに金星めいた勝利を上げた時も、先輩が隙を作ってくれたからという謙虚を地で持ってしまい、自分の力が為したことだと心からは受け止められなかった。ともかく本人のメンタリティが、逆に逆にユースを後退させていくという仕組み。傲慢でなさ過ぎるのも考えものである。
ユースへの評価は、強き者であるほど、そしてその上でユースと直接手を合わせた者ほど高い。ユース自身が心底で、この人には勝てないだろうけどやるだけやって全力を見せてやる、と思えた相手に限り、歳月と努力に見合った実力を発揮するんだから。ラヴォアスなんかがその第一人者であり、その実ユースの潜在能力を、ラヴォアスも高く評価していた。ある時、それを読み取れないユースの後輩が、ちょっと偉そうな口でユースの至らなさをからかった時、お前も未熟なくせに生意気抜かすなとラヴォアスがぶち切れたこともある。それは縦社会風に先輩のユースを庇ったわけでなく、ことの本質をわかっていたラヴォアスの純真な怒りだった。
そんなユースの挑戦を真っ向から受けるシリカの目には、積み重ねた努力相応のユースの実力がはっきり見えている。たまたま巡り会った4歳年下の少年との手合わせで、無自覚にふつふつと、負けたくないというシリカの血が沸いてくる。何分かの打ち合いの直後、どこかでぷちんとスイッチの入ったシリカが、いきなり彼女本来の全力カウンターを飛ばしてしまった瞬間、あっさり決着がついてしまった。
高騎士の名に恥じぬ騎士様の太刀筋はユースの想像を超えて速く、その動きを視認する暇もなく、強烈な木剣の一撃がユースの胸に入った。直撃の瞬間にうめき声を漏らして動きが硬直、すぐにうつむくユースの姿に、シリカも一瞬で熱が冷めた。なんで全力を出してしまったのか自分でもわからない。
「だ、大丈夫か!? 今思いっきり……」
「へ……っ、平気です、平気です……これぐらいは、やられ慣れてますので……」
ちょっと休憩、訓練場の真ん中で二人で腰を降ろす。その際、ユースの教官がラヴォアスだということを聞き、シリカも色々と納得した。けっこうきつめの一撃を返してしまったのだが、ラヴォアスが上官ならあれ以上の苛烈なしごきは毎日やっているだろうなと。見習い騎士時代のシリカの上官もラヴォアスだったので、そりゃよく知っている。
「シリカさん、俺より4歳年上って言ってませんでした?」
「私は最後の一年半、他の小隊に属していたからな。正式な騎士に昇格してからも、そこでやってるんだ」
ユースが12歳でラヴォアスの小隊入りした時、シリカは16歳でまだ騎士見習い。ただ、この時から既に実戦で充分通用すると見られていたシリカは、15歳の冬に、当時の高騎士ダイアンが指揮官を務める第6中隊に移ってしまったのだ。だからラヴォアスという同じ師を持ちながら、見習い騎士時代の二人が同じ小隊で顔を合わせる機会がなかった。
「シリカさんの名前も聞かずに、ラヴォアス様はシリカさんのことわかったみたいですしね」
「あはは……私は悪目立ちしてたからな。ラヴォアス様も、私のことはよく覚えてるんだろう」
「悪目立ちって、けっこうやんちゃしてたんですか?」
「よく逆らってたんだ。今となっては恥ずかしいよ」
ラヴォアスは騎士としてはしっかりした人物だが、時々相当にだらしない。賭場に大金突っ込んで借金をこさえ、その取立人が騎士館の門を叩いたこともある。エレム王国騎士団はそんな厳格なものではなく、馬鹿野郎がまたやらかしたよと笑って済ませるだけなのだが、生真面目なシリカがそれを聞いた時、上官のラヴォアスに説教し始めたりもした。当時14歳のシリカが40歳年上の上官ラヴォアスに向け、そんな上官について行きたくありません! という暴言までぶちまけたのは今でも語り草。
他にも夜に大声を出す酒癖やら、煙草が苦手な後輩の前で遠慮なしに一服する大雑把さやら、シリカがラヴォアスにつっかかる場面は多かった。後も堅物で有名なシリカだが、十代前半の頃はもっと極端に馬鹿真面目で、私生活では自堕落なラヴォアスには、頻繁に声を荒げていた。もっとも、気兼ねなくものを言ってしまう上で離れないほどには、ラヴォアスに懐いていたとも言えるが。
「それにしても、ラヴォアス様に鍛えられていたとはな。強いわけだよ」
普通の感想を述べたシリカの前、目に見えてユースの顔が曇る。何か地雷を踏んだ実感に焦りかけたシリカだが、すぐに表情を普段どおりに戻すユースを鑑みるに、致命的ではなさそうだ。
「俺、小隊の落ちこぼれですよ? 後輩にも負けちゃうぐらいで……」
「は?」
落ちこぼれ、の一言がシリカから思わずの一文字を引っ張り出した。ユースも途中で言葉を止めてしまうシリカの反応だが、彼女からすれば当たり前の価値観だ。お前、この実力で小隊の落ちこぼれだったら、今年のラヴォアス様の小隊はどんな天才揃いなんだとびっくりする。
「……最近の騎士見習いは凄いな」
「え、どういうことです?」
「私から見て君は明らかに、明日にでも現地実戦で通用するレベルなんだが……それで、落ちこぼれ?」
「はい?」
価値観が噛み合ってない。ごくごく普通にユースの実力を客観視して、過不足ない評価を口にするシリカ。実戦でも訓練でも結果を出せない自分しか知らないユース。相手の言っていることが理解できるはずがない。
「戦闘訓練で周りに勝てない?」
「……はい」
それはあり得る。周りの同僚が化け物だらけなら。
「実戦で結果を出せない?」
「……はい」
それはおかしい。これだけの力量ある奴が、ろくに戦果を出せないような過酷な戦場に、ラヴォアスが見習い騎士を引っ張り出すわけがない。ラヴォアスが見習い騎士を導くような戦場なんて、確かめたユースほどの実力があれば、縦横無尽の活躍を果たしてなきゃ不自然。これでユースが嘘をついていないのなら、実力はあるのに発揮できていないというだけだという結論に辿り着くのは早い。
「……ちょっと提案がある」
シリカは試してみたくなった。本当に、単なる思い付きだったのだが。
「私は来月から戦線に復帰するから、そうなれば君とここで会う時間も作れなくなる。今から月末までの間で、ラヴォアス様以外の小隊の全員から、一本取ってくることは出来るか」
「へっ!?」
何を無茶なことを言い出すんだとユースは本気で思った。話を聞いてたのかと。だが、ユースの正面に座ったシリカの眼差しは、ユースの瞳を突き刺すように真剣だ。
「今のラヴォアス様の小隊が、どれだけ粒揃いなのかは知らない。だが、今の君の実力を鑑みれば、それが出来ないような人物だとは思えない。一発勝負で全員から一本取れとは言わないから、全員から一本を取ってきてくれないか」
「い、いやいや、あの……俺、そんなこと……」
「出来るから」
この頃のシリカは将来以上に頭でっかちだ。よほど無理な話でもない限り、その気になれば人間やってやれないことはない、という、やや無謀ささえ漂う価値観を持っていた。それもまた若さ。
ただ、シリカが見極めたユースの実力は、まだ一歳年上の先輩が残るユースの境遇下であっても、それが出来ると思えるほどのものだった。情報不足でそこまで言い切るのは少し言い過ぎなきらいもあるが、流石に理性ゼロでないシリカがその辺りをすっ飛ばして出来ると断定するほどには、触れたユースの実力は確かなものだった。
「期間は約半月。一度、本気で挑戦したらどうだ」
「いや、でも……」
「男だろ?」
女にそれを言われるのってどうだろう。ただ、なんだか今までに抱いたことのない感情を、ユースの胸にじわりと沸かせた言葉でもあった。たじろぎっぱなしで後ろに傾きそうだったユースの背筋が、その一言でそれ以上退かなくなる。
「それまでここで会う限り、いくらでも教えて欲しいことは教える。頑張ってみないか」
「その……」
「こんな時間にでも修練を積むのは、そうした自分が悔しかったからだろう。泣くなんて、そうじゃなきゃ出来ない」
ユースが頭からぼふんと煙を出して固まる。隠したつもりだったのに、昨夜一人で泣いてたのはしっかり見られていたらしい。昨日指摘されていたら躍起になって否定して流せていただろうに、今さら不意打ちであの恥を復唱されるとやばい。顔を真っ赤にして硬直するユースの両肩に手を置き、シリカは真っ直ぐに瞳を向けてくる。
「泣いて何が悪い。私だって後輩に情けない姿を見せて、人前で泣いたことが何度もある。何度もだぞ。悔しいのは君が諦めていないからだ。今のままで終わってしまう自分が嫌だから頑張ってるんだろう。それを自分の心で否定して、見限ってはいけない。それでは、前に進めない」
昨夜初めて出会ったばかりの人が、まるで長年からの友人を案じるかのように、胸の奥まで届くような言葉を差し向けてくる。涙を見られた恥ずかしさも頭から吹き飛ぶほど、熱き魂を形にしたようなその声は、ユースの胸を揺り動かす。言葉ひとつで世界は一新しないけど、夜風の音も耳に入らない二人だけの世界に、ユースの魂が吸い込まれていく。
木剣を握っていたユースの手を取り、まめだらけの掌を両手で握るシリカ。戦士の誰もが持つ勲章ではない。15歳でこの掌は、絶え間ない向上心の末にしか作り上げられない、若さ不相応の生傷のものだとシリカは知っている。
「君が剣を握ったのは何歳の時?」
「……5歳です」
「その十年間が、君をここまで強くした。だけど私は君よりも強い。それは私が君よりも4年長く剣を握ってきたからに過ぎない。歳月は決して嘘をつかない。私にも、君にもだ」
十年間の騎士道半生。それにユースがいかに打ち込んできたかなんて、細身に見えてしっかりと作りこまれたユースの腕からも、剣を握って対峙した時の眼差しからも明らかなんだから。練達の戦士は構えを見ただけで相手の実力がわかると言われるが、シリカもそれに近い境地には辿り着いている。
「やってみないか。私のためにだ」
「シリカさんのため?」
「一途に頑張ってきた人が報われた姿を見た時、君は嬉しくならないか」
試練を課せられ、何のためにそんな苦行に飛び込まされなければならないのかと考えるならば。シリカはそれに、私を喜ばせるためにと解答を示した。努力を積み重ねてきた誰かが、それに見合った喜びを得る姿は、何にも勝って輝かしく見え、見る者の胸を温かくする。そしてその感性は、ユースも同じく持ち合わせている。自分をそうだと言い切るシリカに対し、悪い謙虚が祟って複雑な想いに駆られるけど。
「君は落ちこぼれなんかじゃないはずなんだ。間違っていたはずの今までを一新するための力が、今の君には脈づいている。私はそう、確信している」
お前はもっと出来るはずなのに、という言葉は、ラヴォアスにも何度も言われた言葉だった。出会って間もないシリカの言葉を、それより重く受け取り信じることなんて、本来そう簡単なことではない。だが、揺らがない信念をはっきりと宿した高騎士の目は騎士剣よりも鋭く、英雄譚の主役たる勇者様の放つ後光より真っ直ぐだ。熟達の上騎士ラヴォアスに、騎士としてはまだ及ばないシリカだが、彼女の眼が持つ意志力は、40歳年上の騎士にも劣らぬ強さを宿している。
「ラヴォアス様もきっと、私と同じ事を思っているはずなんだ。私のためにというのが嫌なら、ラヴォアス様の……」
「……やってみます」
シリカの言葉を遮るように、ユースは短く返した。彼の手を握る、シリカの手に落としていた目線を、ユースは持ち上げはっきりと。自分にそれが出来るだろうかという、迷いの霧は晴れていない。だけど、曲がりなき想いを差し向けてくれた人に応じたいという想いが、ユースの胸から決意じみた言葉を引っ張り出す。
「……挑戦、してみます」
「最後まで諦めず?」
「諦めません」
「約束できるか?」
今月は残り少ない。二週間弱、小隊の同僚全員から一本取るまで、腐ることなく短い期間で諦めずにやりきれるかという問い。たとえ相手との埋まらぬ力の差を感じても、時間がないから追いつけないとか、そんな言い訳も一切なし。諦めないとはそういうことだ。
何が何でもクリアしろ、という約束ではない。最後まで決して諦めない自信はある。だが、一度約束したならば、勝利は約束してないからたとえ達成できなくても、なんて逃げ道も断ち、全身全霊を到達に向けて傾けねばならない。約束を交わすというのはそういうことだ。
「約束します」
「騎士と騎士の約束だぞ?」
ユースの胸に拳を当て、くっと軽い力を込めた後に引くシリカ。女の胸を相手に同じ事を出来ないユースだが、シリカに突かれた胸を自分の拳で柔らかく叩く。それが二人の間に交わされた、最初の約束だ。
制限期間は十日余り。新たな出会いに幕を開けた小さな挑戦を、月だけが始まりを見届けていた。




