第23話 ~タイリップ山地② 草陰の待ち伏せ~
「うわっ……!?」
「ぐが、っ!?」
森を駆け抜けていた騎士達の、驚きと苦痛に満ちた声が、山林の至る場所で響く。表の山道をはずれ、木々や草木に満ちた視界の悪い山中は、野盗団達の仕掛けた罠の数々で満ちている。落とし穴や、張った弦に触れれば矢が降り注ぐブービートラップ、猟師が獲物を捕えるためのトラバサミなど、いずれも戦場においては一人の兵にとって、致命傷となり得る危険な罠だ。
目の前の野盗達を追いかけていた騎士達は、深い落とし穴に招き入れられて底にある槍の数々にその身を貫かれる。思わぬ場所から飛んできた矢に不意を突かれた者もいれば、危うくもその矢を凌いだ者いる。だが、その隙を突かれ野盗の放つ銃弾によって負傷する者もいる。容赦ない圧力と凶悪な牙の形をあつらえられたトラバサミは、捕えた騎士の足首を砕き、その場で戦闘不能にしてしまう。野盗の仕掛けた罠の数々で、すでに総数30名余りの騎士達が負傷し、戦線を離脱しているのが現状だ。
「第7小隊は撤退だ! ただちに負傷者の保護に回れ! 第31分隊は……」
駆けながら号令を放つカリウス法騎士は、そこまで言いかけた瞬間に足元から感じた気配に反応し、即座に跳躍する。まさにその直後、先ほどまでカリウス法騎士の足があった場所を、熊の足さえも捕えて砕く巨大なトラバサミが、凄まじい金属音と共に空を切って牙を合わせた。
「――第31分隊は負傷者をそちらに回して前進! 前方にある二人の野盗を逃がすな!」
空中で、木の上に潜む野盗の放った3発の銃弾を、両手に握った剣ではじき、指令の続きを言い放つ。着地と同時に、銃弾の出所のひとつをカリウスが見やり、直後後列の射手である騎士に、標的への一斉放火を指示する手の動き。
カリウス率いる部下の放つ矢と銃弾の数々が、指し示された場所に向かって雨あられのように飛ぶ。樹上で身動きのとれない野盗は為すすべなくその攻撃を受け、少し間をおいて蜂の巣になった野盗が樹上から落ちてきた。そのわずか後、カリウスの前方で逃亡をはかっていた野盗二人が、騎士に追いつかれて斬り伏せられたのか、森に鋭い二つの悲鳴が響く。
「自分の力を信じろ! 野盗如きに劣るような、生ぬるい修練を積んできたお前達じゃない!」
辺り一面に響き渡る、法騎士カリウスの声。その言葉の裏にあるのは、野盗と単体交戦になれば決して負けないだけの力を身につけている部下達を信じる想いと、それを潰えさせる野盗の小賢しい罠に対する敵愾心。数でも地力でも圧倒的に騎士団が勝っているこの戦いを、簡単な勝ち戦と出来ない要因は、野盗達の決死の知恵の賜物によるものだった。
「っが……!?」
極めて浅く掘った落とし穴に足をとられ、森を駆けていた騎士の一人が前のめりに崩れる。直後、動きを止めた騎士に対し、野盗達が計4発の銃弾を放つ。
絶対絶命のその騎士の命を救ったのは、その銃弾の軌道に立ち塞がった法騎士ボルモード。巨体に加え、全身を包む重い甲冑を引きずるはずの彼が、その風体からは想像に及べない速さで騎士を庇い、自慢の甲冑で銃弾をはじき返す。自身の頭に当たりそうだった銃弾だけは、貫通力を持つ特殊弾丸である可能性を加味した上で、手に握るハルバードで叩き払ってだ。
銃弾の出所を見定めると、足元の大石を握って投げつけるボルモード。それは木々の奥に潜んだ野盗の足元に突き刺さり、土が勢いよく跳ねたことに小さな悲鳴を漏らした野盗の声を聞いて、多くの騎士が気付き駆け寄る。
「……退がっていろ。救助隊に合流してこい」
「っ……!」
大隊の指揮権を握る法騎士に命令され、先程躓いて守られた騎士は悔しそうに足を引きずり、戦場から退いていく。すね程までの深さしかない小さな落とし穴も、足を取られれば思わぬ形で足に過重をかけ、捻挫を引き起こす。命に別状のない負傷でも、ここより先の戦いの力になるほどの力を見込めぬ以上、引き退がるしかない。無念だが、これがこの作戦における方針である。
たとえ一人退いたとしても、兵力はまだまだある。死傷者を出さぬことが優先されている。一人の聖騎士と三人の法騎士、やがて敵の罠をすり抜けた騎士の数々がこの戦いに勝利をもたらすならそれでいい。その結果を、最小の被害で収めることこそが最大の課題だ。
遠方で、ボルモード法騎士に居場所を見定められた野盗が、斬って捨てられた悲鳴が聞こえる。逃げ惑う二人の野盗をよそに、撤退を余儀なくされた騎士を草陰から狙っていた野盗が襲いかかる。上手く捕らえられれば人質にでも使えるという算段だろう。
「舐めるな……!」
片足を引きずりながらもその騎士は野盗の短剣を捌き、次の瞬間にはその胸元を騎士剣で切り裂いた。声になっていない呻き声をあげて、無謀な野盗はがっくりと脱力し、自らの鮮血で真っ赤になった地面に倒れる。
「戦況は決して悪くない。このまま何事もなくいけば良いが……」
地力で勝り、数でも圧倒的な勝負。敵の仕掛けた罠だって必ず限りというものがある。死傷者を出さずに勝利するという当面の目標も、決して難しくない勝ち戦だった。
それでもボルモード法騎士は、呟きとともに懸念を胸に抱く。負け戦だと知りながらも戦場を去らなかった野盗団の思惑は、未だ明かされぬまま今に至っている。
「開門、岩石弾丸」
走る足ではなく、地表を滑るような動きで前進していたチータが詠唱した瞬間、彼の眼前に表れた空間の亀裂から、人の頭ほどの大きさの石つぶてが発射されて真っ直ぐに飛んだ。その石はやがて野盗の額を捉え、当の野盗は意識を失って倒れる。
「その辺、ブービートラップが多いから気をつけろよ」
森を駆けるクロムは、素早い動きながらも冷静に目の前の光景を分析している。草葉に紛れて森に潜む、人造の糸つきの仕掛けを見抜くと、後ろから来る小隊の仲間にも、行くべき道を指し示す。
「キャル、まだよ……! 絶対に見逃さないでね!」
アルミナがその手に持つ銃から弾丸を放ち、野盗が身を隠した木のそばを二発の銃弾が走る。自身の居場所がばれていると危機感を感じた野盗は木陰から抜け出し、一目散に退却する。
その後ろから、太ももを鋭く貫く一閃の矢。キャルの放った矢が野盗を転ばせ、顔面を地面に打ちつけた野盗はその場で動けなくなる。アルミナの銃弾が敵をあぶり出し、木陰を離れた野盗をキャルがしとめるコンビネーションだ。
容赦なくその男の側頭部を蹴飛ばし、完全に失神に至らせたのがガンマ。直後、その野盗の手に握られていた銃を蹴って地面に転がし、その手の大斧で粉々に粉砕する。
「おーい、シリカ。前方左斜めに野盗発見。見え……」
「問題ない……!」
樹上で戦況を冷静に把握するマグニスの、見えるかという問いを途中で遮って、シリカは敵のいる方向に向けて直進する。その野盗がシリカの動きに気付きつつも逃げないのは、シリカの前方に野盗達が仕掛けた罠があることを知っているからだ。
走るシリカは目の前にあった、細く見えにくい糸を自らの騎士剣で敢えて斬る。同時にその切断に伴い発動する野盗の罠が、シリカに向けて左右と上、加えて斜め後方から計4発の矢を放った。しかしシリカは三発の矢を走りながら剣で弾き、後方から来る矢さえも刹那の遅れののち、その剣で以って切断してみせる。
シリカが多方向からの矢を対象が捌ききれず、1発は矢を受けて怯む想定しかしていなかった野盗は、迫り来るシリカになすすべなく斬り伏せられる。両腕の筋をほぼ同時に切断され、致命傷ではないものの間違いなく戦闘不能となる傷だ。
同じ頃ユースは、遠方から自らを狙撃する二人の野盗に手を焼いていた。襲いかかる銃弾を盾と剣で退けつつ、若い騎士を二人がかりで戦闘不能にして敵の戦力と戦意を削いでやろうと画策していた野盗達に向かって、一気に接近する。
ユースに眼前まで迫られた一人の野盗は、意を決したように腰元の短剣を抜いた。安定しない山中の足元に動きを制限されたユースの第一撃は、極めてシンプルな横薙ぎの斬撃。騎士剣を短剣で受け止めようとした野盗は、少年の小さな体躯からは想像しづらい重い一撃に押され、体勢を大きく崩す。それを視認するより早く、ユースはその剣をその男に振り下ろそうとしているところだった。
腰を地につけた野盗が、起死回生を賭けて地面の土を握ってユースの顔めがけて舞い上げる。砂の目潰しに一瞬視界を奪われたユースの隙を見定めた野盗に対し、ユースが敵の攻撃を警戒したのは間違いなかっただろう。
手元の短剣ではなく、敢えて腰元の短銃を抜いて至近距離のユースを撃ち抜こうとした野盗の決断は間違っていない。短剣を武器に迫っても反撃を受けて自滅するだけだと直感的に悟ったその勘は、むしろ好判断だったと言える。だが、野盗のそんな動きさえも織り込んで跳躍したユースによって、彼を撃ち抜くはずだった銃弾は空を切り、直後振り下ろされた騎士剣により右腕を切り落とされ、野盗は凄惨な悲鳴をあげた。
人を斬ることに慣れていないユースも、その胸を刺す痛みをすぐさま振り払う。自らの命を奪うことも厭わない敵に情けをかけて、自分が命を失うことになってしまっては最悪というもの。為すべきことを為すべき時に為す、それが戦場の正しい在り方だ。
しかしその一瞬の思考の遅れがユースを危機に陥れる。もう一人の野盗が、ユースの左方の彼方から銃口を向けて引き金を引いた瞬間、それにようやく気付く形でユースが振り向いた。
「開門、岩石弾丸」
野盗が放った銃弾は、ユースが咄嗟に構えた盾によって弾かれる。それから僅かに遅れ、チータの放った石つぶてが野盗の側頭部を撃ち抜いて失神させる。
あわや一歩反応が遅れていたら致命傷を負っていたであろう事実に、ユースの全身から冷や汗が吹き出す。一瞬たりとも気を抜けない戦地にいることを再認識できたのは、生きている事実の上に成り立つ幸福だ。
「……悪い。間に合わなかった」
「いや、助かったよ。チータ」
仲間を撃ち抜こうとした野盗をいち早く倒し、仲間を助けようとしたチータなりの行動は、結果的にユースが銃弾を自己処理したため、チータからすれば上手くいかなかった想いだ。とはいえ野盗の追撃を防いでくれたチータのはたらきには、ユースも素直に感謝の言葉を返すのみ。
「好調だな。このままいけば、楽勝ムードなんだが」
樹上のマグニスのつぶやきは、漠然とした懸念ではなく、後に控えるまだ見ぬ脅威を確信したような声色だった。それはシリカが先日持ち帰った情報による部分も大きかったものの、元より彼の思考においては常に危惧している影を見据えた発言。
その影の正体は、この戦場に立ち並ぶすべての者が知っている。タイリップ山地に潜む野盗団の、騎士団に対抗する切り札の一部を、先の調査でシリカが目撃しているからだ。
「お、出やがったぜ」
先陣を切って逃げ惑う野盗を追いかけていたクロムが、足を遅める。その視界の隅に映った小さな影が、自らのテリトリーに人間が踏み入ったことに気付き、その赤い目をぎらりと光らせた。
「先手必勝……!」
その目に向けて、アルミナの容赦ない弾丸が放たれた。銃弾は影の目を貫き、緑色の血を噴き出させ、対象の後頭部から飛び出してその命を一瞬で奪う。
その事実を見定めた、森に潜む影たちが一斉に樹上から姿を現す。10歳に満たぬ子供のような小さな体に、赤い眼と緑色の肌、衣服を身に着けないその背中から生えたコウモリのような羽をはためかせ空中で牙を剥くその姿は、誰がどう見ても人間のそれではない。
「キキーッ!!」
「開門、耐魔障壁!」
樹上から降りてきた五匹の魔物が、クロムに向けて手鞠ほどの火球を放ってくる。クロムが、自らにそれらが着弾する直前に回避しようとしたその矢先、彼の周囲を広く淡い光が包み火球をはじき返したことで、結果的にクロムはその場に立ったままにして無傷で立っている。
「今のはチータか? 助かったぜ」
「必要なかったかもしれませんけどね」
クロムを中心とした足元に、光輝く円形の亀裂が口を開けている。それは何かを吸い込むわけでもなく、その上に立つ形となっているクロムの周囲に、亀裂の縁から光の壁を上方に放つ形で、クロムを魔力の壁で囲っている。敵の放った魔法に抗うための魔力により、襲いかかる魔法を退けるチータの術だ。
「インプか……俺、こいつら苦手なんだよな」
敵の名を口にしてガンマが舌打ちする。大斧を活かした近接戦闘においては自信のあるガンマだったが、空中に逃げ道を持ち、魔法で遠隔攻撃してくる敵は不得意だ。
「まだ序の口だぞ……! 野盗団が手を組んだと思われる魔物達は、こんな奴らだけじゃない!」
シリカの発言は、暗に目の前のインプは通過点だと示している。これを打ち破ってもその先に、更なる強き魔物が潜んでいることの示唆でもあった。
「キイッ!!」
シリカ目がけて火球を放つ魔物、インプの砲撃を、シリカは魔力を纏わせた剣撃で斬り裂く。切断された火球は魔力を失い、足元の草木を焦がす程度の火の粉に変わって消えていく。
タイリップ山地に拠を構える野盗団が手を結んだ、騎士団にさえ対抗し得る戦力。これを見越していたからこそ野盗達は、危機に瀕しても長くこの地で潜んでいた。その自信から察するに、これより先さらなる強敵が待ち受けていることは、今朝の時点で誰もが覚悟していたことだ。
「気を抜くなよ、お前達……!」
使い古した言葉を何度でも言い放つ。シリカはそれが何より重要だと知っているからだ。
聖騎士グラファスは、冷静な口調で周囲の部下達に指示を下しながら、殆ど走らず落ち着いた足取りで歩を進めている。騎士達から逃げ惑う野盗はどんどん自らより離れていくというのに、決して焦らず、ゆっくりと前進し続けるのみ。
そのゆったりした動きの初老の剣豪からほのかに漂う、戦の素人である野盗達でさえ感じ取れる、凄まじいまでの威圧感。一度視界にグラファスを捉えた野盗は、どれだけ離れても彼から意識を逸らすことが出来ない。本能的な恐怖が、野盗達の心を無条件に鷲掴みにする。
「あと少しだ……! あそこまで辿り着けば……!」
すがる想いで逃げる野盗に、騎士団の勇士達がいよいよ追いつこうとしている。しかしその直後に山中に響き渡った声は、野盗の悲鳴ではなく騎士達の悲鳴だった。
「ぬぅ……」
それを聞いて初めてグラファスが地を蹴った。想定外の強敵に巡り会った時、絶対に無理押しするなと部下には言ってある。今の悲鳴をあげた騎士達は無茶な交戦には踏み込んでいないだろうが、なればこそ早くそこに到達して救ってやらねばなるまい。
木々が一点少なくなり、少し拓けた場所に辿り着く。グラファスの目に映ったのは、10歳の少年の身長をちょうど倍にしたような大きな背丈を持ち、柱のような太い腕に人間の等身大ほどの巨大な棍棒を握った、筋骨隆々の化け物だった。その顔は人間のそれに近いものであったが、棍棒を片手に、狂ったような目つきで獲物達を見据えてよだれを垂らす表情は、人間には真似できない狂気を思わせる。
「オーガか……この地に似合わぬ魔物だ」
巨大な魔物オーガは、ほんの少し前にその棍棒でぶん殴って吹き飛ばした騎士を睨んで笑っている。当の騎士は吹き飛ばされて木に頭を打ち付けたか、うつろな目で横たわっている。生きているということは、オーガの攻撃を剣で受けるだけの防御ぐらいは出来た証拠だとも取れるが、いずれにせよこの激戦区で戦い続けられるコンディションではないだろう。
腰元に下げた刀を少し抜き、グラファスは刀の鍔と鞘を強く打ち鳴らせる。カキン、という高い金属音が山中に響き渡った瞬間、オーガがグラファスの存在に気付いて振り返る。新たな獲物を見つけたオーガは、ぎらりと光る瞳でグラファスを睨みつけた。
グラファスは武器から手を離し、平常時の歩みと変わらぬ速さでオーガに近付く。それはまるで、何事もなく平和な町並みを歩くような、無防備で、肩の力を抜いた歩み。狂気に満ちた目のオーガがグラファスを見て抱いた印象は、隙だらけだという想いに他ならない。
やがてオーガの射程内にグラファスが入ったその瞬間、オーガがその棍棒を勢いよく振りかぶった。目の前の男を横から殴り付け、骨を粉々にして命を奪うための攻撃。その棍棒が自らに辿り着く直前、グラファスがその刀に手をかけるまでは、その狙いは実現されるはずだっただろう。
「南無……!」
棍棒が空を斬る。オーガが一瞬で見失ったグラファスは、次の瞬間には既にオーガの斜め後方に立っていた。すでに一度抜いた刀を鞘に収めつつあったグラファスが後ろにいる気配を感じ取り、オーガが振り返ろうとする。しかし体を回して後方を向いた瞬間、オーガが全身に強烈な違和感を訴えかける。
その矢先、オーガの腹部が真っ二つに切断され、巨体を支えていた太い二本の足も、それぞれが胴体と同じように、すねの上下に分かれて離れる。何が起こったのかも理解しきれぬまま、オーガの全身は4つに切断され、錯乱した頭のまま倒れて命を失った。
オーガが猛将グラファスの動きを目で追うことも出来ず、一瞬にして断ち切られた事実だけを目の前に見た騎士達は、敵以上に味方を畏れる想いで息を呑む。そして、オーガが騎士達を打ち倒す様を見届けようと、遠方でその様子を伺っていた二人の野盗が抱いた戦慄は、騎士達が抱いたそれとは比較にならない。この練兵と敵対する立場なのだから。
先程まで追っていた二人の敵が、遠方で身をすくませて立ち止まっている気配を察知したグラファスは、再び腰元に収めた刀に手をかける。彼が今から何をしようとしているのかは、野盗には到底計り知れぬものだったが、視界の奥にある練達の怪物の視線にかつてない危機感を感じた野盗は、本能的に背を向けて逃亡を図ろうとする。
次の瞬間、野盗を遠くに見定めたままグラファスが刀をひと振りして、また刀を鞘に収める。直後、彼に背を向けた野盗二人の胴体がばっさりと切り裂かれ、腹と胸が離れた二人の野盗が計4つに分かれ地面に転がった。両者とも何が起こったのかを知るより早く、その意識を失い地獄に魂を向かわせる。
「参ろうか」
刀のひと振りで、遠方の敵を切り裂く波動を放ったグラファスは、何事もなかったかのように周囲の騎士達に前進を命じて歩きだす。畏怖のあまり返事も出来ぬまま、戦う力を残している騎士達は、グラファスを追い抜いて山中を進んでいく。
誰もが思っている。彼が敵でなく味方であったことが、この戦場最大の幸運であったと。
「……部下達に、手の負える魔物ばかりではないな」
グラファスの前方では、インプの集団と交戦する騎士達の姿がある。グラファスがそばに率いる隊はいずれも手練揃いで、インプの火炎魔法に抗えるだけの力量を持つ者が揃っている。自分が手を下すまでもなく、あの戦いは部下達が綺麗に勝利を収めるだろう。
グラファスの肌は、その先の気配を感じ取っている。根拠も推論要素もなく、長年の戦場を駆けた勘が、この先にさらなる強敵が待っていると警鐘を鳴らすのだ。
足を少し速めたグラファスは、現状把握を中断し、決着を急ぐべく動き出した。
「……まずいな。逃げ道がねえぞ」
野盗団の頭領、ラルガーブは山中の高台で戦況を見守っていた。敵を撃退し得るポイントの数々を敵軍が通過していく様は、野盗団にとっての戦況の悪化を著しく物語っている。
騎士団の目的は、野盗団の討伐、あるいは無力化である。野盗団指揮官のラルガーブを討伐するか、本拠地の制圧が最もわかりやすくそれを為す手段だが、敵将の顔や本拠地の様相も知らない騎士団に、明確にそれを果たすことは難しい。となると、騎士団の兵達が為すべきことは結局のところ一つに絞られ、すなわちそれは野盗の総粛清。戦いを終わらせる最もシンプルな手段は、とどのつまり敵の殲滅に他ならない。
騎士団の進軍速度を見ても、数多くの野盗達が既に斬り捨てられているであろうことは、ラルガーブの頭にも思い描ける。見続けてきた状況の変遷から冷静に判断すれば、200以上いた野盗のうち、戦える、あるいは動ける者は、もはや4分の1にも満たないと考えるのが的確だ。
「やっぱり、あいつらの力を借りるしかねえな」
ラルガーブは高台を離れ、山の東にある沼地に向かって走り出す。彼が今いる場所から、沼地に到るまでの道に、騎士団の気配は無い。その場所に辿り着くまでに、難敵に巡り会う可能性は極めて低いと言えるだろう。
野盗団の頭領は、この戦いに勝利するつもりなど毛頭なかった。部下をスケープゴートになるよう糸を引き、自らが動きやすくなるよう戦況を動かし、最終的に頼れる切り札のもとへ辿り着く。あとは騎士団がこの地から撤退したのち、馬を駆けさせこの地を去るつもりだった。捕まりさえしなければ、他の地に逃げ延びて、第二の野盗人生をやり直すだけの自信はあったからだ。事実ラルガーブは、自らが属したと言える野盗団を過去に3度裏切って、今日まで裏の犯罪者として逃げ延びてきた。
金品の蓄えも充分物資に変えたし、この地方の酒や料理も充分に楽しんだ。未練などない。自らを頼って美味しい想いを共有してきた部下達になど今さら興味も愛着もなかったし、ラルガーブは一人ほくそ笑んで、山中を駆け抜けていく。
絶大な自信がある。自分がこの地で手を組んだ魔物の首領は、騎士団如きに遅れを取らないはず。最強の味方を持つ安心感は、猛将グラファスを味方に持つ騎士団のそれと同じく、彼の足取りを迷い無きものとさせるのだった。




