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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第14章  闇の目覚めし交声曲~カンタータ~
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第231話  ~宿命の対決④ 翠の剣と蒼き盾~



 全身傷だらけ、中身も滅茶苦茶のはず、なのにどこからこんな力が絞り出してくるのか。そんな当たり前の疑問も、ディルエラは脳裏に描きかけてすぐ締め出している。勇騎士ベルセリウスといい、賢者ルーネといい、かつて死にもの狂いで食い下がってきた人間どもは、みんなそうだったから。


 ディルエラの前蹴りを跳んで退がって回避したシリカは、そのまま騎士剣を横薙ぎにしてディルエラを真っ二つにしようとする。敵から離れてなお届く、剣身以上に伸びる切断の魔力でだ。攻撃を放った直後の片足ででも跳ぶディルエラの回避能力は凄まじく、さらには宙返りして、後方から迫るユースを的確に踏み潰せる落下状態を作っている。


 ディルエラの側面へと身を逃すユースに向け、裏拳を振るうディルエラの一撃は、彼が必要以上に大きく逃れていなければ当たっていただろう。目と鼻の先をかすめるディルエラの拳をかわした直後、すぐさま獄獣と距離を詰めるユースの度胸も壊れている。あれほどキャルに言われたって、死への恐怖心が切れた戦士の魂は、何度本当に殺されそうになっても退くことを思い出せない。


 返されるディルエラの回し蹴りは、ユースの頭を打ち抜く高いもの。くぐって回避して迫ることに、言い知れぬ危機感を感じたユースは、わざわざ危うい跳躍でディルエラの頭上を越えるようにして回避。絶対に正しい。地上を駆けていたら、獄獣の掌がユースを掴み取り、そこで彼の命は間違いなく終わっていた。


 ディルエラの頭上を越えながら前転同時に騎士剣を振り抜くユースは、騎士剣で三日月型の軌跡を描いて獄獣の頭を狩りにかかっている。回し蹴りで視界がぶれながらも、素早く身を沈めたディルエラがこれを回避、そうして沈み込んだところに、すぐさま接近したシリカが騎士剣を振り上げている。


 槍3本を繋いだような長さの翡翠色の勇断閃ネフリティス・ドレッドノートの一振りは、もはや騎士剣方向から距離を取って回避できるものではない。右から迫るシリカに対し、バックステップ一歩で一太刀をかわしたディルエラの目前に、巨大な緑の残影が残される。これだけでも壮観、本来ならばぞっとして血が凍る。


 シリカへ蹴りの一突きを返そうとするディルエラだが、返す刃でシリカが剣を薙ぐ方が速い。頭を狙い済まされた大振りの一閃を、ディルエラは攻撃に踏み切れずかがんでかわすしかない。しかしそれで一撃後のシリカの体が眼前にあるのは、間違いなくディルエラのとっての好機。


「邪魔だ……!」


 背後から迫ろうとしたユースに、後ろ蹴りで泥を放って接近を阻む。その勢いで、少し離れたシリカへと一気に迫るディルエラに、シリカの反撃は間に合わない。この絶体絶命の局面へ、恐れ知らずに舞い込んだ彼女の姿こそ、ディルエラにとっては予想外のものだろう。


 シリカの位置へと真上から真っ直ぐ急降下したアルミナは、軌道をへし折り獄獣へと真正面から迫った。腹を地上から遠ざける横向き姿勢のまま、引き金を引いた反動任せに横へと逸れて吹っ飛ぶアルミナを、突然目の前に現れた邪魔者に掌を突き出したディルエラも捕えきれない。放たれた銃弾はディルエラの掌に小さな傷を残し、その僅かな痛みとアルミナの横入りが、シリカへ迫る獄獣の速度をほんの僅かでも遅らせる。


 その一瞬があるから、巨木の一薙ぎのように自分を吹き飛ばそうとしたディルエラの回し蹴りも、シリカは跳躍してかわすことが出来た。ディルエラの頭の横めがけて飛び込んだ彼女が体を捻り、剣より長い翡翠色の魔力で獄獣の体を両断しようとする一撃も、ディルエラは高さを伴う大きな横っ跳びでかわすしかない。


 着地の瞬間、円形放射状に放たれるディルエラの衝撃波が、地を駆け泥を跳ね上げていく。周囲の石畳殆どが吹っ飛んでしまっている今、瓦礫による二次追撃は出来なくとも、敵を不本意に跳ね上げられればそれだけで勝負がつく。着地地点に僅かに転がる、小さな瓦礫をすぐさま握ったディルエラの眼前、衝撃波を斬って割るシリカの姿がある。ユースはどうだ。


 自分で跳躍して回避しているようだがそれで結構。衝撃波を飛び越えるほど高く跳んだユースは、その行動一つで軋む体に絶大なダメージを受けている。即座にユースへ的確な瓦礫弾丸を投射したディルエラの行動が、逃げ場なき空中で盾を構えるユースを強制する。


 獄獣のパワーで投げつけられた瓦礫の威力は、英雄の双腕(アルスヴィズ)で防いでなお重く、浮いた体でそれを受けたユースは空中姿勢を乱される。めちゃくちゃに回されるようにして地表へと吸い寄せられたユースが、足裏と膝と両手でかろうじての着地を成立させたところに、ディルエラが真っ直ぐに駆け迫る光景が続く。着地の衝撃だけで吐きそうになったユースに、回避も防御も出来るはずがない。


 そしてそんな自分を許さないシリカのことも、ディルエラは織り込んでいる。立てないユースの頭の上を通過する、翡翠色の巨大な刃が真正面から自分に迫る光景に、ディルエラの戦闘勘が即座に最善の行動を導き出す。胸の高さに迫る一太刀、沈むか、跳ぶか。答えは跳躍。


 跳ぶ先はユースではなくシリカの方だ。ユースを踏み潰す方向に跳んでいたら、返す刃が速攻で飛んできただろう。走行軌道を折るように、突如自らに飛来したディルエラに対し、シリカは一気に前方へと転がり込むようにして回避。立ったシリカを頭から踏み潰していたはずのディルエラの足が空を切り、踵の後ろを過ぎ去ったシリカが前転して地面に転がる形となる。


 片方の肩を巻き込むように前転受け身に際すれば、自然と体が後ろを向いて立てるのだ。そうでなければ間に合っていなかっただろう。着地した瞬間にディルエラの足裏が放つ、後方のシリカへ放つ衝撃波は、充分彼女を天高く吹き飛ばすだけの威力を孕んでいる。後方へと連続のバックステップを挟み、ユースの位置まで退がったシリカが、勇断の太刀(ドレッドノート)を振り下ろし、壁のように迫る衝撃波を切り開く。


「貰った……!」


 獄獣の勝利宣言とともにシリカを襲う、衝撃波の壁の向こうから飛来する恐ろしき影。背負った戦斧をディルエラが投げ、それが水平回転して凄まじい速度でシリカへと迫る。回避は難しくない、後ろのユースがその斧に潰されても構わないのなら。列砕陣(れっさいじん)を破った直後、息が切れかけたシリカが踏みとどまり、振り上げる一閃により斧を真っ二つにして、獄獣の巨大な武器がシリカの側面へ割れて飛んでいく。


 そうして剣を振り上げて、がらあきの胸元を晒したシリカに迫る存在とは。全力で振り上げた剣を、即座に振り下ろすことなど出来ないシリカの眼前、拳を引いたディルエラが迫っている。何があっても諦めない、絶対折れぬとしていたシリカとて、一瞬のちの絶命の予感には滾る血も凍り、力を失った目が思わず表れてしまったほどだ。


英雄の(アルス)、っ……双腕(ヴィズ)……!!」


 そんな彼女の後ろから、法騎士を追い越して飛び出したのは誰か。どんな邪魔者が入ろうと、まとめて薙ぎ倒すだけの全力の拳をディルエラが突き出す。幾多の騎士を、人類を、百年前には火山に棲む巨大な竜をも仕留めてきた獄獣の拳が、構えた小さな勇者の盾に勢いよく激突した。


 絶望一色の表情でそれを見ていることしか出来なかったアルミナの遠き前方、ユースの盾が強く蒼き光を放ったことを、きっと彼女は生涯忘れない。隕石が巨大な岩山に激突したかのような衝撃音、地鳴り、震える大気。世界がその衝突で揺らいだかとさえ思えるほどの凄まじいぶつかり合いの末、二人の騎士をまとめて打ち抜くはずだった拳が、そう出来ていない。


「ッ……マジかよ、こいつ……!!」


「シリカ、さんっ……!」


 獄獣の破壊鉄拳を食い止めたユースが、決して倒れずがらがらの声で、後ろの法騎士に訴える。伝わるのに一瞬、踏み出すのに一瞬、まずいと感じたディルエラが後方に勢い良く跳ぶのに一瞬。ユースの横から一歩前に出たシリカの剣が、跳び退がるディルエラ目がけて一閃に薙ぎ払われる。


 長き翡翠色の勇断閃ネフリティス・ドレッドノートの光の刃は、素早く離れたディルエラも逃さなかった。獄獣ほどの速度でなければその肉体を真っ二つにしていた魔力は、それでもディルエラの腹を鎧ごとばっさりと切り裂いたのだ。シリカ達から離れた着地の瞬間、魔力に触れられた悪寒からくる冷や汗を流した直後、ばくっとディルエラの腹の傷が開いて血が溢れ出す。


「っ、ガ……! クソッタレが……!」


 着飾りの鎧を剥ぎ取り、激痛に苛まれる腹に力を入れるディルエラ。傷はどこまで届いたか。もっと深い傷を負った経験則から、致命傷でないことはわかっている。だが、長く戦い続ければ、流れる血が自らの動きを鈍らせることもわかる。強引に腹の筋肉を締め付け、流血を防ぐ力技で、ディルエラが継戦能力を取り戻す。


 耳で難敵の接近の有無を確かめる。気配は無い。生存を望むなら逃亡も難しくないであろうこの状況、ディルエラはその選択肢を放棄する。打ち破らねば意味がない、勝たねば超えたことにはならないのだ。こんな人間達に敗北して逃げ延びる自分に、向こう数百年生き延びていくだけの力に自信が持てるか。その時その時のみの生存に逃げて、無限の時を生きていく魂は決して培えない。世界にはこいつらよりも強い奴がいて、やがてそれと対峙する時が必ず訪れる。


「――列砕陣(れっさいじん)!!」


 シリカ達めがけて衝撃波を放つディルエラ。飛びそうな意識をこらえて波を両断するシリカだが、腹の傷に響きつつもまだ戦える自分を確かめた獄獣は、眼差しをより鋭くする。真に限界寸前なのは自分ではない、ふらりと後ろに傾きかけたユースの姿も、シリカの後方に見えている。地面を殴りつけた拳で泥を掴み、口に含んだディルエラの、なりふり構わぬ勝利への執念がその足を駆けさせる。


 あっという間にシリカとの距離を詰めたディルエラの掌がシリカに襲い掛かる。頭を吹き飛ばす一振りをかがんでかわされれば、即座に前蹴りを打ち出すディルエラ。横に逃げたシリカに足元の泥を津波のように蹴り上げ、庇い手でそれを防いだシリカを拳で叩き潰そうとする。後方に跳び退いたシリカの隙を突き、ユースへと迫ろうとしたまさにその瞬間、シリカの振り下ろした騎士剣以上の魔力の振り下ろしが、魔獣の道を塞ぐ神の御柱のように倒れてくる。すかさず僅か後ろに退がったディルエラの鼻差の前、翡翠色の魔力が地面を粉砕し泥を跳ね上げる中、その泥も避けきずに受けるユース。


 びしゃりと泥を浴びただけで後方にふらつく彼が、もはや魂の糸が切れかけた前後不覚なのは、誰の目にも明らかだ。決死最後の魔力を振り絞ってディルエラの拳を受けきったユースは、倒れていないだけで既に精も根も尽き果たしている。ディルエラがユースよりも僅かでも距離を作ったなら、すぐにその間に割り込んで獄獣へと騎士剣を振るうシリカの、なんとしても死なせないという想いが魔力を枯らさない。


 一筋の巨大な斬撃を低く跳んで回避するディルエラも、ようやく鈍り始めたシリカの動きに一切油断しない。シリカの斜め上空前方から口内の泥を噴き出し、毒霧のようにシリカの視界を塞ごうとする。ディルエラの動きを目で追いかけた直後、目前が泥の霧でいっぱいになったシリカが目を閉じた瞬間、それが彼女にとっての致命的な隙を生む。


 それを仕留めるはずだったディルエラを阻害するべく、急接近する空の影。何度死にかければこいつらは諦めるのか。背後から迫るそいつの銃口がどこに向いているのか知らないが、風切るその位置取りが自分の射程圏内に入った瞬間、身をひねったディルエラの回し蹴りが彼女に迫る。捕えたはず、そうディルエラが思えた瞬間、翼を大きくしたアルミナの急加速が、空中回し蹴りを放つディルエラの脇の下へと超速度で潜り込んでいく。


 鎧を剥がしたディルエラの腹部に銃口が接しかけた瞬間、引き金を引いたアルミナが反動任せに後方に吹っ飛び、地面へと転がり落ちていく。さしものディルエラも、痛みの著しいボディにさらなる傷穴を開けられたダメージには目を見開く。厚い筋肉のせいで体内で静止した銃弾が、裂かれた内臓に裂傷を及ぼす激痛には、着地の瞬間に衝撃波を放つ意識を失わせる。


「ぬ゛ぅ……あ……!」


 目を開けぬままでも着地音めがけ、騎士剣を振るったシリカの追撃に、ディルエラは再び跳んで逃れる。飛来方向は逃げではなくシリカへだ。視界を失っているなら必殺のカウンターになるはず。絶対に間違っていない勝負手のはずだった。


 跳んだ直後のディルエラの脳天めがけ、騎士剣を投げつけた奴がいなかったら。想像を超えた必中弾に、ディルエラも腕輪ではじき上げて防ぐしかない。目を開きかけたシリカの前、獄獣が飛来するぼやけた光景も、たった一度の高い金属音がクリアにしてくれる。前方空中からシリカを踏み潰そうと迫るディルエラを前にして、シリカが勢いよく前方に飛び込んで逃れる。


 ディルエラの目前にはユース。死にかけで、今にも折れそうなそいつを目の前に着地した瞬間、側面から飛んでくる銃弾がディルエラの意識を奪う。地面に倒れたまま、立ち上がれずして引き金を引いたアルミナの一撃は、側頭部を撃ち抜かれかけたディルエラの防御を誘発する。その一瞬の意識の惑いが、ディルエラ後方ですぐに立ち上がったシリカへの対応を遅らせる。


 それでもディルエラがアルミナの銃弾をはじくに際して、最警戒対象のシリカに向き直っていたのは、獄獣の戦闘勘の賜物だ。騎士剣を振り上げたシリカの姿を視認する。それが自らに振り下ろされた瞬間、あの剣身が伸びた射程距離が自分をかっさばくのがわかる。逃れるために地を蹴ったディルエラの最速行動が、獄獣をこの窮地から救い出すはずだった。


 後方に跳ぼうとしたディルエラの背中にぶつかる、どん、という衝撃。重く巨大な獄獣の体が、凄まじい脚力でそれを逃がそうとした動きをゼロにする。背中にぶつかってきたその正体をディルエラが認識した瞬間には、目の前のシリカが既に騎士剣を振り下ろし始めている。


「この、野郎……っ……!!」


「いっけええええええええええっ!!」


 英雄の双腕(アルスヴィズ)構えし盾で、獄獣の動きを背後から封じたユースの叫び。きっとあの人が、シリカが、獄獣を討ち果たしてくれると信じて。そしてその想いに応えるかのように、法騎士の振り下ろす騎士剣が纏う翡翠色の刃が、足止めされた獄獣へと真っ直ぐに振り下ろされていく。


 万物を切り裂く魔力は、獄獣の肉体を右肩から腰元までをずばりと切り裂いた。鎖骨を断ち、筋肉を裂き、臓器までをも踏み荒らして。刃を受けた直後にディルエラの動きがびしりと固まったのは、決して自分の肉体を貫いてはいけない何かが、はっきりとこの肉体を通過したことによる絶望からだ。


 今の一太刀を振り下ろし、拳が地面につきそうなほどうなだれるシリカが、顔を上げた前方。高みから迫っていた魔力の残影を見上げたまま、硬直したディルエラの姿がある。確かに手応えがあったからこそ、これで駄目だったらどうすればいいのか、今のシリカには次への道が残されていない状態だ。


「……確かに、大凶」


 次の瞬間、片足を一歩引いたディルエラが、ぐわりと背後のユースの頭を掴んだ。倒れたままのアルミナが声にならない悲鳴をあげる一方、既に意識を失いかけたユースは、自分に何が起こっているのかもわかっていない。ディルエラの手が、ユースの頭を握り潰す一瞬後を想ったシリカが目を見開く中、ディルエラはユースの肉体をシリカの方へと投げつける。


 思わぬ行動になすすべなく、シリカがユースの肉体をぶつけられ、地面に吹き飛ばされる。背中から泥に叩きつけられたシリカが後頭部を打ちつけ、完全に意識を失ったユースが、シリカの体から離れて地面に転がる。地に屈したままのアルミナの目の前、騎士剣を手放さぬままシリカが、胸だけを上下させて動けない姿と、死んだように微動だにしないユースの姿がある。


「負け、だ……! てめえらのことは、生涯忘れねえ……!」


 一歩後ずさった瞬間、ディルエラの右肩から腰元を縦断する深い傷がばっくりと開いた。噴き出す鮮血の勢いだけでよろめく獄獣は、それでも飛びそうな意識を保って倒れない。腹を横断するもう一つの深い傷を右手で押さえ、左手で胸元を縦断する傷を掴むと、シリカ達に背を向けて走りだす。


 ディルエラの後ろから、ユースが必死の叫び声さえ上げていなかったら、容赦なきシリカの巨大な刃がディルエラを真っ二つにしていたかもしれない。肩から腰までの一線で真っ二つにされていれば、いくら獄獣とて生存していなかっただろう。だが、仮にそうなっていたとしたら、それによって獄獣の後ろにいたユースまで、獄獣の肉体を貫通する魔力でどうなっていたかは想像に難くない。


 彼の叫び声がシリカに瞬時の躊躇を与え、討てたかもしれない獄獣を絶命に至らせられなかったことは功罪なのかもしれない。だが、獄獣への決定打を導いたのも間違いなくユースだったのだ。致命傷へと繋がる一太刀を、獄獣に届けた一枚の盾が、最も彼を愛した法騎士の刃で散るようなことにならなかったこともまた、運命の巡り会わせである。シリカかユース、どちらかの片方が近く死ぬという賢者の予言は、ここでは実現せずに済んだのだ。


 ラエルカン各地を走る人間どもの足音を耳にしながら、動きを捕えられぬ道を駆けて逃亡するディルエラ。何十年間も魔王の側近として、魔王軍最強の刺客として、数々の戦士達を葬ってきた獄獣を、たった二人の若い騎士と一人の傭兵が退けたことは、歴史上でも類を見ない出来事だ。亡国ラエルカンの片隅で繰り広げられた絶望的死闘は、人類の勝利を以って幕を閉じたのだった。


「シリカさん……! ユース……!」


 獄獣を退けたのはいい。だけど一時も気が抜けない戦場下で、息をしているかどうかもわからないほど動かないユースと、呼吸だけして指一本動かせないシリカ。這うようにして二人へ、やがて立ち上がり、おぼつかない足取りで駆け寄るアルミナは、とうに顔面蒼白だ。今にも泣き出しそうな顔でユースを揺さぶり、反応がないことにシリカを見やっても、虚ろな目で空を仰いで動かない彼女の姿が、亡国の地でアルミナを一人ぼっちにする。


「し、シリカさぁん、っ……! しっかり……しっかりして下さいよおっ……!」


 重いユースの体をシリカの方へ引きずって、ぼろぼろ泣きだすアルミナがどれだけ不安でいるか、彼女のそばにいるベラドンナもかける言葉が見つからない。ここまで来たのに死にたくない、みんなと一緒に帰りたい、そんなアルミナの魂の叫び声も全部聞こえているのだ。例えばもしも、ここにリザードマンの一匹でも現れようものなら、それだけで動けない二人が為すすべなく殺されてしまう。今のアルミナにも、日頃は討てたはずの魔物を真っ向から討てる余力も残っていないんだから。


「バーダント様……!」


「ええ、応えましょう。そうすべきだわ」


 必死の一声を訴えたベラドンナの意図は、シリカに内在する大精霊バーダントににも伝わっている。かつての非礼を詫びる意味で、シリカにその力を貸すという約束だったが、ここまできてその約束に固執して何もせぬでは、あまりにシリカ達が報われない結末も見えてくる。たとえ恨みを買おうとも、人類との契約事には厳格な境界線を敷くバーダントだが、丸一日命運を共にした者の命が危ぶまれる今を、手をこまぬいて傍観するような大精霊では流石にない。


「アルミナ、聞こえる? 優雅の翼(スパィリア)を開きなさい」


「でも……でもぉ、っ……」


「開きなさい……! 私も力を貸すから! 二人の命を守りたいんでしょう!?」


 シリカの内に留まっていたバーダントが、その身をアルミナの魂に寄せて叫ぶ。胸元のベラドンナが、頼もしく魔力の抽出を支えてくれていた以上に、強く強く己の魂を支えてくれる何かがアルミナの胸中にある。翼を開く力も残っていない、開いても二人を運んだりなんか出来ない、そんな悲痛な声を漏らしたアルミナの嘆きを、バーダントの存在が抱きしめるように溶かしてくれる。


「頑張りなさい、アルミナ……! 今やれるのは、あなただけなのよ!」


 濡れにじんだ目を拭っても、つらい状況に歪んだ表情まで打ち消せるわけではない。それでもアルミナは祈るように、優雅の翼(スパィリア)の魔法を強く念じた。再び顕現した彼女の翼は、今までよりもずっと大きく、一度はばたいただけで空高くまで届きそうな力強さをアルミナも感じる。さっきまでの自分では、ここまでの翼が作れるだなんて想像も出来なかったことだ。


「飛べるはずよ……! さあ、行きましょう! 力を振り絞って!」


 泣きじゃくっていた女の子の顔から、愛する仲間を守ろうとする傭兵の顔に。ユースの上体を起こし、なんとか強引に背負う形にしただけで、重い彼の体で潰れそうだ。それでも歯を食いしばるアルミナは、仰向けのシリカの背中と膝の下に両手を差しこみ、翼をはためかせる。ほんの少し浮いた彼女の体は、お姫様抱っこのようにシリカの足と背中を浮かせる形になる。


「アル……ミナ……」


「捕まって下さい、シリカさん……! 絶対、こんな所で死なせません、っ……!」


 傷だらけのシリカを目前に、加えて枯れ果てて今にも息絶えそうなシリカの声。不安でいっぱい、また涙が溢れそうになるアルミナが、ぼんやりとした視界の中でシリカにも見えている。だけどその声が放つ確たる意志は、薄れ掛けたシリカの胸まで届くほど強くて、意識朦朧のシリカも無意識のように手を伸ばす。


 首の後ろに手を回し、ぎゅっとアルミナに捕まってくれる力だけで、全身打ちつけてばかりだったアルミナにとってはずきりと痛むものだ。それでも大きな翼を広げ、体を浮かせたアルミナは空へ飛び立つ。ゆらゆらとした動きからやがて加速し、西の空へと真っ直ぐ滑空するアルミナを、山に沈みかけた夕日が迎えている。振り返る暇もない彼女に代わり、胸から這い出てアルミナの頭の上に乗る小さなベラドンナが、危険な影の接近がないかを見届けている。


 ずっと手を引いていたばかりだったアルミナが、自分を抱えて戦場を去るこの姿を見て、シリカはどんな想いを抱いただろうか。アルミナだけじゃない、ディルエラという最強の敵を前にして、一歩も退がらぬどころか自分の前に出て、戦い抜いたユースの姿も脳裏に蘇る。二人のことを頼もしいと感じたのは、別に今日が初めてのことじゃない。だけど、こんなにも、ユースやアルミナと出会えたことを幸せなことだと感じたのは、きっと今日が初めてのことだったはず。


 痛むかもしれないと思いつつ、アルミナに捕まる腕にぐっと力を入れてしまうのは、そんなシリカの気持ちが引き起こした行動。片目をつぶって翼をはためかすアルミナに、そんな想いが後から伝わる日もきっと来るだろう。今は必死で心を受け取る余裕もないけれど、そばで二人を見守る大精霊と妖精がそれを見届けている。


 最高の仲間に恵まれた法騎士、がむしゃらに今を生きる傭兵、力尽きるほど戦い抜いて勝利を勝ち取った若き勇者。亡国の空を駆ける三人が歴史に刻み付けた勝利は、日差しに勝るまばゆい栄光として、人類の未来を差す光だ。

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