第228話 ~宿命の対決① 獄獣ディルエラVS法騎士シリカ~
万物を切り裂く勇断の太刀の魔力を背負う騎士剣。絶対的な決定力を持つ自らの手を疑わないシリカは、反撃も恐れず深く踏み込んでディルエラに切りかかる。
手首に装着した棘付きの腕輪は、ディルエラにとっては刃に対する盾のようなものだ。それを使わず瞬時に跳躍、シリカの攻撃を回避したディルエラは、自信に満ちたシリカの太刀筋から、それが普通の剣と全く違う威力を持つものであると見抜いている。
巨体に見合わぬ機動力、大聖堂の天井まで一瞬で到達したディルエラは、掌で天井を殴って自らの落下軌道を折り、シリカ後方の床へと着地する。大小無数の瓦礫を踏み潰しても傷つかない足裏への刺激など意にも介さず、振り返ったシリカ目がけ、後ろ手で瓦礫を拾って投げつける。既に駆け出していたシリカは、弾丸の如く迫る瓦礫を回避してディルエラに差し迫る。一太刀で勝負を決めるためだ。
接近したシリカに対し、振り返りざまのディルエラが素早く突進してくる姿が、超加速によってシリカの距離感を一気に狂わせる。ディルエラよりやや離れた時点で、既に騎士剣を振り上げようとしていたシリカ。その懐まで飛びこんできたディルエラに、シリカも即時攻撃を遮断、突き出される拳を横っ跳びに回避するしかない。その瞬間に薙ぐ剣を迫らせても、突撃任せに自分の横を通り過ぎていくディルエラには届かない。しかも自分に背を向けたままにして、地面を蹴り上げたディルエラの足が、瓦礫の数々を後ろ蹴りで飛ばしてくる始末。
バックステップ一つを挟み、危険軌道の瓦礫だけを打ち払うシリカの眼前、既に右手に魔力を集めたディルエラが振り返りかけている。間髪入れずに追撃に移るディルエラの行動速度は、常にシリカの先手を取る結果を導き出す。
「列砕陣」
床を殴りつけたディルエラの拳は、シリカの方向へ向けて特大の衝撃波を放つ。狂馬の如く地表を走るそれは、大聖堂掃除のために放たれた衝撃波とは比べ物にならない速度と破壊力。石床を跳ね上げて迫る破壊の波を前に、シリカも気圧されそうな精神力を奮い立たせ、騎士剣を振り抜き上げた。勇断の太刀の魔力を纏いし剣で、ディルエラの衝撃波を真っ二つに割るために。
シリカ目前を分点にYの字に割れた衝撃波が、シリカ側面と後方を粉砕していく中、剣を振り上げた直後のシリカにディルエラが迫っている。振り下ろされかけた拳、それをシリカが後方に回避すると見えたディルエラは、途中で拳を引き止め前蹴りに移行する。重心が後ろに移りかけていたシリカも、想定以上の射程距離を持つ足の一撃の気配を察した瞬間、真横に身を逃す動きでそれを回避する。
横に逃げたシリカに、振り下ろしかけていた拳を広げ、掌で大薙ぎを振るうようにしてシリカを轢き殺そうとするディルエラ。跳躍してかわしたシリカは、跳ぶと同時に騎士剣を伸ばして振るい、ディルエラの顔面に剣を向かわせる。しかしその一撃も、ぐいと頭を沈めたディルエラが回避。ディルエラを飛び越えるようにしてその背後へと着地していくシリカも、空中で既に体を捻り、地に足が着く頃にはディルエラに体を向けている。一瞬でも、ディルエラを視界外に入れたくない。ほんの一瞬でも目を切ったら、その隙がどんな致命傷に繋がるかわからない。
その認識は恐ろしく正しい。空中でディルエラに体を向けた瞬間には、既にディルエラが地を蹴って自分へと駆け迫る姿が見えていた。着地の瞬間のシリカ目がけて突き出される拳を、かろうじてサイドステップと身のひねりで回避したシリカ。そこへ追撃の暇も与えぬと言わんばかりに、ディルエラの足が素早く振り上げられ、シリカの頭を打ち抜こうとしてくるのが速すぎる。
敵の攻撃よりも早く後方に跳んでいたシリカ、その鼻先をかすめるディルエラの足の爪。思いっきり上体を後ろに逸らしてなおその結果には、シリカだって戦慄で血も凍る想いだ。それでも振り上げ、ディルエラの足先を断とうとした騎士剣も、瞬時に引き戻されるディルエラの足には届かない。最大の武器である手足、それを使った直後すぐに懐へ撤収させるディルエラの回避能力は、獄獣の体に沁みついた格闘術の基礎動作。流れる血のように、当たり前のように隙がない。
後ろのめりに着地させられ、2歩の高速ステップでバランスを整える時間さえ、ディルエラの前では後手に回される遅れとなる。急接近するディルエラの拳、退がってかわせば回し蹴りの一閃、かがんでそれをかわしたかと思えば、既に向き直ったディルエラの次の掌の突き出し。一撃一撃がぎりぎりで、反撃の剣を振るう暇もない。
戦場における自分の立ち位置、それを察する法騎士のフィールドセンスが、後方に壁が迫っていることに非常警報を鳴らす。退がれる距離にも限度あり、最後の後退で大聖堂の教壇前に着地したシリカへ向け、頭を吹っ飛ばす回し蹴りを放つディルエラ。かがむと同時、軸足への騎士剣一閃を放つシリカの後方、既に大きな教壇がディルエラの脚によって粉々に粉砕されている。そのシリカの剣さえ、軸足だけで跳躍したディルエラは、膝ほどの高さに振るわれた剣を飛び越えるようにして後退。
宙返りするように後方に跳ぶディルエラが、にやりと笑ったのをシリカは見逃さなかった。瞬時に足裏へ集めた魔力、着地と同時に列砕陣を発動させたディルエラが、腰を下げたシリカ目がけて衝撃波を放ってくる。距離はあまりにも近く、1秒も満たぬ間にシリカへと到達しかけた衝撃波。回避の時間などなく、ほぼ反射的に振り上げた騎士剣で波を割くしかない。
目の前いっぱいだった衝撃波が割れた瞬間、シリカの目がディルエラの姿を認識するより早く、彼女の胸元に超速度で迫った鉄球。剣を振り上げるままに立ち上がったシリカを撃ち抜く凶弾に、シリカは素早く身をひねって回避。半身をディルエラに向ける一瞬の隙は、それだけでシリカにとっては避けたい一事なのに。
続けざまに二発の瓦礫弾を投げてくるディルエラに対し、半身から騎士剣を振るって打ち払うシリカの背後では、衝撃波の直撃を受けた大聖堂の祭壇が悲鳴を上げている。真正面で無表情のディルエラが、何かを隠すポーカーフェイスであると悟ったシリカの勘は正しかった。ぞっとする倒壊の気配に振り返るシリカの眼前には、大聖堂の祭壇に飾られた巨大な神仏像が、彼女めがけてへと倒れてくる光景。
斜方前方へ銃弾のように駆け立つシリカ。一瞬前までシリカのいた場所に崩れ落ちる神仏像。そして跳んだシリカへと、あっという間に迫るディルエラ。側面からのディルエラの攻撃は、爪先で地面を引っかき上げるようにして殴り、砕いた床の破片をシリカに飛ばしてくるものだ。シリカの間合いの僅か絶妙な外から、当たれば決定打の攻撃を飛ばしてくるディルエラに、シリカも着地と同時にディルエラから離れる方向へ跳ぶ。飛来する大きな石弾丸をはじき飛ばし、手足にぶつかる大きめの小石の痛みに耐え、剣を握らない右腕で顔面への石に抗う。こんな一発一発でも、シリカの体には馬鹿にならないダメージだ。
あれだけ無双の攻撃力を持ちながら、迂闊にはシリカの射程圏内に踏み込んでこないディルエラの用心深さ、その上で人間相手の体力の削り方を心得た戦い方は、シリカを五里霧中の想いにさせる。少なくとも、待っているだけで隙をうかがい、返す刃で仕留めるという戦い方が通用しない。本来踏み込んできた敵の攻撃をかわし、反撃一閃で勝利する戦い方を最も得意とするシリカのことも、ディルエラは読みきって戦術を選んでいるようにしか思えない。
逃げているばかりでは駄目、と、攻めるしかない形にされて攻め入るのは、それこそ鮫の口に自ら飛び込むような危険なことだ。それでもシリカは決断するしかない。実力で勝る王者に、挑戦者が大番狂わせを実現させるには、王座を置く敵の土俵に上がることも強いられる。飛び道具を持たぬシリカに瓦礫を投げつけるディルエラへ、後退軌道を真逆に折って急前進したシリカが、瓦礫を回避して獄獣へと真っ直ぐ駆け迫る光景が続く。
追い詰められた鼠、それも猛毒を擁する牙を持つ小動物の恐ろしさを知るディルエラは、差し迫るシリカに口から瓦礫の破片を一発吐く。銃弾サイズの小さな瓦礫も、獄獣の口の噴出力で吹けば兵器と変わらない。近距離からの凶弾をかがんで回避、速度を落とさず接近したシリカは、すでにディルエラを下部から断ち上げるための剣を構えている。
真上に跳躍したディルエラの上昇速度は凄まじく、敵の懐の寸前、最高の位置で迫らせたシリカの剣も見事に回避。天井に拳を突き刺して、両足を天井にまで持っていくと、蹴った勢いで身を振ると同時に大聖堂の壁へと自らを投げ出す。シリカが迷わずその方向へと駆け、剣を構えていることも視野に入れてだ。
壁を蹴って地上へと降り立とうとした空中のディルエラ、それに向けて迷わず跳躍し、矢のように迫るシリカがいる。ディルエラの戦闘勘は、天井から腕を引き抜く際に掴んだ、瓦礫の一弾をシリカへと投げ返す行動を実現している。シリカの跳躍を目にした瞬間から放たれていた瓦礫は、結果としてディルエラとシリカの距離が縮まるよりも遥か早く、空中のシリカに真正面から迫る形になっている。
「だろうな……!」
切り落とすしかない。振り上げていた騎士剣で、飛来する瓦礫を切り落としたシリカ。予定よりも遥かに早く振るわされたシリカの剣が、僅かに翡翠色の魔力を纏っていたことをディルエラは見逃さない。そして地上に降り立つディルエラの上方、壁を蹴ってディルエラから離れる方向へと跳ぶシリカの姿がある。
剣身よりも僅かに伸びて見えた、翡翠色の切断の魔力こそ、今のシリカの新たな札だとディルエラには見えた。あれはどれほど武器以上に伸びる? どうせ切れ味はこの体でも食い止められないほどのもの。どおりで急ぐように、跳んで迫ってきたわけだと納得すると同時、敵の切り札の種を割ったディルエラは、既に地を蹴っている。
着地寸前のシリカがディルエラに身を向ける頃には、既に迫った獄獣の姿。身動き取れぬ着地寸前を拳で打ち抜かれる悪寒に、シリカも騎士剣を振り下ろして対処するしかない。瞬間、シリカの剣よりも長く伸びた、万物を切り裂く法騎士と大精霊の魔力の結晶が、まだ僅かに遠いディルエラにも届く範疇を切り裂く、翡翠色の半月型の残影を描いた。
予見していたとおりの長い射程範囲、あるいは少し想像を超えていた斬撃に、ディルエラは死を免れる横滑りの動きで回避して見せる。着地直後のシリカへ届く拳が僅かに遅れ、後方に跳んだシリカの鼻先をまた獄獣の鉄拳がかすめる。必殺の隠し玉であった、翡翠色の勇断閃を不本意な形で公開してなお、危うく死を一歩手前で回避するだけの結果だ。
敵の手札さえ見られれば、相応の立ち回りを選べるのがディルエラだ。披露と同時に敵の討伐を果たしてこそ真価を見せるのが切り札、それを結果の出せぬまま晒すことになった痛手は大き過ぎる。虚を突き得た、唯一にして最大の隠し玉を知られたシリカの表情は苦しく、ましてシリカを睨む目を更にきつめるディルエラが、より隙のない怪物に化ける現実は、法騎士を追い詰める。
駆け迫るディルエラの振り下ろした掌は、回避したシリカの立っていた床を粉々に粉砕。着いた掌で地面を引っかくようにして、いからせた肩を至近距離のシリカへ向かわせるディルエラの体当たりには、シリカだって横っ跳びかわすしかない。直後すぐに振るわれるディルエラの回転蹴りを回避する後退に全力を注がねばならず、返す刃を振る暇もない。猛襲で先手を上書きし、敵の反撃を封じるディルエラの戦法は、シリカに容易な反撃など許さない。
「爆閃弾……!」
それでも手札が露呈した以上、言わば開き直ったように迷い無く、僅か離れた位置から翡翠色の勇断閃の剣を振り下ろしてくるシリカ。だから毒を抱えた鼠は厄介。一瞬早く胸元の前で拳を鳴らしたディルエラ、その一点から発生する爆風は、シリカの体を後方へと力強く吹き飛ばし、離れるシリカが振るった騎士剣から伸びる翡翠色の魔力は、ディルエラの目と鼻の先をかすめている。爆閃弾の発動が一瞬遅ければ、ディルエラの頭の方が割られていた。
吹き飛ばされたシリカは空中で身を翻すも、瓦礫まみれの地面を滑るように着地することが出来ない。だから着地と同時にいくらかの跳躍に移り、戦闘態勢に移るまで時間がかかってしまう。足を下にして数回バウンドするように退がるシリカの真正面から迫るのは、自由に動けぬ法騎士へと放たれた列砕陣。畳み掛けるような容赦なき猛攻に、シリカも剣を振り上げて衝撃波を割るしかない。精霊の加護なしにして、ここまで何度も獄獣の技を断つほどの勇断の太刀を使わされていたら、とうに霊魂が力を尽かしていただろう。
地力勝負で初めから勝ち目なしの相手、それでも勝てれば何でもいい。差し迫るディルエラに、両者本来の間合いよりも遥かに長い射程距離を持つ、翡翠色の勇断閃の一振りを返すシリカ。けさ斬りのように斜めに振り下ろされた一撃を、シリカが同じ事をやるように素早く身をひねってかわすディルエラ。それだけ早く動ける上で、太い腕を剛速で振り回し、一太刀後のシリカを殴り飛ばす軌道を描く速さは、もはや身体能力で勝る怪物の反則技とさえ言える。
元より獄獣に限らず、どんな魔物の攻撃も受ければ一撃死のシリカが、回避に特化した戦い方を身につけていなければ、こうした攻撃を沈み込んでかわすことも難しい。そして自らの頭上をディルエラの腕が通過した直後、敵が蹴りを放つより早くその胴体に騎士剣を迫らせる。しかし地を蹴り、振るう腕に振り回されるように身を浮かせ、シリカの後方へ転がるように落ちるディルエラの機敏なこと。人間なんかより遥かに恐ろしい、巨大生物とも野生の中で巡り会ってきたディルエラは、古き血に脈づく敵の攻撃を忌避する動きを体現し、シリカ相手でも決定打をかわす周到性を見せている。
低空軌道中でも身を操ったディルエラは、シリカの方に顔を向けて四つん這いの形で着地。抜かりなく口に残った瓦礫の破片をシリカに飛ばして、安直な接近も許さない。その一撃を剣ではじいて、一瞬遅れてディルエラに迫る形を強いられ、追撃の翡翠色の勇断閃はまたも、両手両足で床を押し出したディルエラの後方跳びでかわされる。届かない。
「決めるか。長引くと危ねぇ」
着地と同時に小さく漏らしたディルエラの言葉は、集中したシリカの耳には届いていない。大聖堂に密かに響いた、自分宛ての死の宣告など知らず、立ち上がったディルエラへ果敢に迫る法騎士がいる。シリカの振るう騎士剣、地面と平行に描かれる三日月形の大きな残影を飛び越し、ディルエラはシリカから離れた後方へと跳躍。低く飛び、滞空時間を設けず、離れた位置でシリカに素早く振り返る。
「列砕陣!」
着地と同時に足裏で放てるはずの衝撃波、それをわざわざ拳を地面に叩きつける形で放つのは何故か。敵の動きを咄嗟以上に見定めるためだ。目の前を衝撃波が駆け出す中、逆の手で地面に落ちていた瓦礫を拾い、口に含んで噛み砕く。これで実弾は装填した。
待ち構える選択肢のないシリカが、衝撃波を断ち割って猛進してくることだって読んでいる。真正面から3発の瓦礫弾丸を吹き、衝撃波を抜けてきたシリカを狙撃。流麗かつ素早い剣さばきで無駄なくそれらを打ち払うシリカに、ディルエラも直進。獄獣と法騎士の正面衝突を予感させる、両者勢いのある突撃だ。
だが、シリカの間合い――翡翠色の勇断閃を含めた間合いに踏み込むその直前、ディルエラの右足の強い踏み込みが、獄獣の体を逆方向へと切り返す。同時に地面を踏み砕いたディルエラの右足、それが放つ列砕陣の衝撃波は、敵を射程内に捕えたと思って剣を薙いだシリカの眼前、大地がはじけたかのように至近距離で炸裂する。
攻撃直後のシリカにこれを何とかするすべはなく、地面を上空へと吹っ飛ばすディルエラの衝撃波が、シリカの体を殴り上げるように上空へと飛ばす。発動地点が近すぎたことと、咄嗟の発動に近かったため衝撃波の威力は大きくなかったが、それでも軽いシリカの体を吹き飛ばすには充分だ。舞い上げられた自分の体に、地面を離れた瓦礫の数々がぶつかり、なおもシリカは高所へと叩き上げられる。
地上への落下まで時間はさほどかからない。それでもディルエラの速度を以ってすれば、着地前のシリカに再接近するのは造作も無いこと。跳ね上げられたシリカは、全身を突き刺す瓦礫に表情を歪めながらも、その胸は数瞬のちに予想される、ディルエラの強襲に対する危機感で満ちている。痛めた体にも動けと訴え、空中姿勢を強引にねじ曲げ、最高点に達する頃には既に足を下に向け、ディルエラのいるであろう方向に体を向けている。苦しい中での万全だ。
やはり来ている。一度シリカに迫る逆方向へと大逃げしたディルエラが、自分の落下予測地点へと素早く駆け迫る姿。自分を見上げて駆けるディルエラに、最悪差し違えてでも刃を届かせる覚悟を胸に抱え、シリカが全力の魔力を練り上げる。来るのは蹴りか、拳か、急加速による体当たりか。どんな攻撃が迫らされようと、騎士剣の尺を超える翡翠色の勇断閃の魔力で、獄獣を切り裂く決意は出来ている。
「使わねえって言った覚えはねえぞ?」
出来ていたからこそ、駆けるディルエラが背負った斧を右手で握る動きには、シリカも血の気が一気に引いた。得物本来の射程距離まで届く一撃、それはシリカがやろうとしていたことと全く同じもの。手札を丸裸にされて虚を突けぬシリカ、素手の格闘だけで激戦を演じていたディルエラの、見えていたはずの隠し玉。気付いたところで遅過ぎる。勝ち誇ったように口の端を上げた獄獣の笑みが、地面へと吸い寄せられるシリカの目には、命を奈落に引きずり込む死神に見えた。
その瞬間は訪れた。地面到達を目前に控えたシリカへと振るわれる、獄獣の振るう大戦斧の側面。広い範囲を殴り飛ばす巨大な壁の如く、ディルエラの斧の側面がシリカに直撃した。獄獣のパワーでだ。小手を装着した手で庇っても、巨大な壁から頭を逃がしても、腰を守る草摺があっても、ディルエラの怪力の前でそれがどれだけの意味を為すだろう。化け物じみた腕力に、遠心力まで上乗せした重い斧によるディルエラの一撃は、思わず目を閉じていたシリカも直撃の瞬間、痛み以上に体がバラバラにされた実感を得た。たった一瞬触れたその短時間で、それを強く実感する時間が生じたのは、死の間際の人間が、時間を異様に遅く感じさせる現象によるものなのかもしれない。
感覚にして数秒、時にして一瞬。ディルエラの斧に殴り飛ばされたシリカが、大聖堂の壁に向かって凄まじい速度で吹き飛ばされる。度重なる列砕陣によって痛めつけられた教会の内壁は、とんでもない速度でぶつけられた人間のエネルギーに耐えられずに砕けた。シリカの体が大聖堂の壁を破り、教会の外まで吹き飛ばされ、廃屋の壁まで叩きつけられる結果を見届け、斧を振るった直後のディルエラはフンと鼻を鳴らす。
「収穫」
満足げに笑う獄獣が口にしたのは、"飼った"人間を真っ向勝負で葬り、得られたものを実感する一言。戦闘において何の役にも立たなかった鎧も、葉巻をしまう懐を作るにあたっては便利なものだ。斧を再び背負い、その懐から葉巻を取り出してくわえたディルエラは、指先をはじいて火をつけると、胸いっぱいに煙を吸い込んだ。
今日の大凶を訴えかけていた、先々の葉巻どもの言い分を見返した心地だ。本能で周囲の音を拾う耳、あるなら魔力の接近を感知する歴戦の肌が、何者も近くに接近していないことを確かめると同時、吸った煙をぶはあと吐き出すディルエラ。大勝負を勝ち抜いた後の一服は、やはり何にも勝って旨いものだ。




