第220話 ~嵐のラエルカン② 切り札と切り札の激突~
「抑制」
空を駆ける箒に座り、雨の中を滑空する賢者エルアーティは、地上近くの低空を駆けながら魔力の糸を張っていく。蜘蛛の巣がそのまま地面に落ちたように、地表を網目模様に縛り付けるエルアーティの魔導線は、縦横無尽に地表を走るウルアグワの魔力を抑えている。地表からのそりと立ち上がろうとした、血色のどろりとしたものが、エルアーティの魔力に押さえ込まれて育たない。
ラエルカン各地に流れる、人や魔物の血は、降り注ぐ豪雨に満たされた地上を漂い広がる。主失いし血を操るウルアグワの掌握範囲は広く、各地そこらで血の塊が大きな形となって、人類の兵を手にかけている。こうしてエルアーティが、ウルアグワの力を抑制する網を張っていなかったら、今以上にラエルカンじゅうが、ウルアグワの操る血人形でいっぱいだったはずだ。
嵐の中でも人類の兵と魔物達は激戦を繰り広げている。百獣皇アーヴェルが作り出したこの嵐は、両陣営にとって視界が悪く、耳のはたらきも阻害され、普段以上に戦いにくくする。それでも地上や水溜りを叩く、無限の大雨が鳴らす轟音に負けず、吠える人類の号令や気合は凄まじい。対抗する魔物達の雄叫びもそれ相応だ。突然の大嵐にも戦場から目を切らず、奪還のため、あるいは生存のため、戦いに身を投じる両軍の戦意は色褪せない。
「取消――抵抗」
激戦区低空、上からも下からも横からも狙われ得る最も危険な高度を、エルアーティは駆け抜ける。一瞬視界に入った人間へ、魔法砲撃を向ける魔物もいれば、鉄分銅を投げつけてくるヒルギガース、届くと見えれば長尺の斧を迫らせてくるビーストロードもいる。巧みな軌道でそれらをかわしながら、直撃しそうな魔法には手をかざし、触れた瞬間敵の魔法を打ち消すエルアーティ。百獣皇アーヴェルの雲散霧消と同様で、エルアーティも敵の魔法を打ち消すすべには長けている。
自らを真っ二つにしようとする、ビーストロードの攻撃も通さない。エルアーティを真っ二つにしようと迫ったハルバードの刃は、エルアーティに触れる直前で魔力障壁にぶつかり、はじかれる。触れた対象の物理的な力を受けた瞬間、相応の反発力を返して脅威を退けるエルアーティの防御障壁は、今のところ獄獣ディルエラや百獣王ノエル、あるいは身内のルーネ以外に破られたことがない。
「遅延、抑制……濃霧……発火」
素早く空を舞いながら、つぶやくように小声での詠唱の連続。自らを狙撃した魔物の魔法を眼前で制止、2秒の間を開けて解放し、発射軌道の先にいる魔物に誤爆させる。血を操るウルアグワの魔力を自らの魔力の網で抑制、徒党を組んだ魔物達の群れを急発生する濃霧で視界を塞ぎ、空にばらまいた罠の魔力に触れた魔物を、突然発生する炎で焼く。自己防衛、戦場支配、友軍援護、敵軍陥穽、通りがかりにすべて一人でこなしていくエルアーティは、駆け抜けた地の戦況をことごとく上向きに変えていく。人類にとっては百獣皇アーヴェルこそが最も難敵たる大魔導士だが、それに対する立ち位置の大魔法使いエルアーティも、魔物達にとっては手のつけられない脅威。
放置すればエルアーティは、次々に各地戦場を制圧していくだろう。魔物達陣営も黙ってはいない。有象無象の魔物達では対処しきれぬ賢者へ、風雨の中で蹄の音をかき鳴らして駆け迫る存在がいる。
「ふぅん、こいつが来るんだ」
低空を駆け抜けるエルアーティの後方、廃屋の屋上を飛び移るようにして猛然と迫る大きな影。真っ黒な全身、4本の足を蒼い炎で包む怪馬は、高速で空を駆けるエルアーティとの距離をぐんぐん縮めていく。それが放つ邪気と殺意は、振り返らずともエルアーティが、敵と自分との距離がわかってしまうほどに濃い。察したエルアーティも、寸分違わぬ距離感で魔力を後方に放っている。
後方から迫る何者かが、空中に仕掛けた己の魔力に触れた瞬間、エルアーティがパチンと指を鳴らした。瞬間、その黒き怪馬の首元が雨中で大爆発を起こし、根元から首が落とされてしまう。しかしなおも加速するエルアーティの意識に、敵を仕留めたという認識はない。ひとまず魔法一撃くらわせて、敵の出方をうかがってみたという表情だ。敵の首を落としたことは実感として得ているが、その認識は変わらない。
そう、敵は死んでなどいない。首を切断された黒き怪馬は全身を霧に変え、嵐の中で風にも流されず、エルアーティの上空へと移る。そして突如実体を顕し、巨大な怪馬の姿を取り戻したかと思えば、エルアーティを踏み潰そうと落ちてくるのだ。旋回飛行して逃れるエルアーティだが、黒き怪馬は空を蹴るようにしてエルアーティを追い、口から黒い霧を強く噴き付けてきた。
「丸め込み」
自らに背後から迫る霧の波を、背後に構えた網状の魔力で捕えるエルアーティ。一部の霧をその網で捕えたものの、敵の放った黒い霧はエルアーティの周囲を包み込む。一瞬で視界が奪われる。
「解消」
真っ暗な前方から、突如怪馬の頭だけが現れ、エルアーティの頭を食い千切ろうとしてきた。本当に突然だ。一手早くエルアーティが魔力を展開したことにより、彼女周囲の霧が吹き飛ばされたことで、怪馬の頭までが吹き飛ばされて消え失せる。この黒い霧そのものが、怪馬の全身を構築する物質そのものであると、もうエルアーティは見抜いている。丸め込みの魔力の網で包んだ霧の一部、それに自らの魔力で触れた時点から、敵の本質の解析は始まっている。
「面白い。いい勉強になりそうだわ」
悪辣な魔物以上に妖しく笑うエルアーティは、抑制の魔力を地上にばら撒き、血を操る黒騎士ウルアグワの魔法を抑制しながら空を駆ける。そしてウルアグワの邪魔をする賢者を追うのは、黒騎士の愛馬として長年恐れられ続けた、正体不明の怪物ナイトメア。向かい風をも切り裂いて空を舞うエルアーティの速度に全く遅れず、空を駆け抜けるナイトメアの速度もまた、この嵐の中での向かい風を受けた速度とは思えない。
ナイトメアが戦場に立ち並ぶことは少ない。それこそ、12年前のラエルカン奪還戦争の際でさえ、主のウルアグワを差し置いてこの魔物は現れなかった。エルアーティにとっても遭遇するのは初めての魔物であり、一瞬ナイトメアの霧に触れたエルアーティも、なるほどこれは正体不明とされるわけだと納得する。それだけ、触れて解析したナイトメアの本質は闇が深く、その真髄を容易に見せてくれなかった。
追われる危機と解き明かす楽しみ。いずれを優先すべきかなど、魔法学者エルアーティにとっては考えるまでもないこと。逃げることより迎え撃つ魔力をより強く練り上げたエルアーティは、旋回飛行した末に、怪馬ナイトメアとその目を正面から向き合わせた。
いったい誰がこの化け物を止められるのだろうか。何十人で同時に飛びかかっても、振りかぶった腕一本で戦士達を薙ぎ払う。そこに間髪入れぬ追撃が迫っても、機敏に後方に退がる素早さで傷を負わない。返す刃で素拳を放ってくる素振りを見せ、目の前の戦士達が怯むのを確認してから、一気に前進して前蹴りで数人纏めて蹴飛ばす。周知されるとおりのパワー、噂以上の素早さと反射神経、さらにはそれだけの能力を兼ね備えていながら、フェイント一発挟んで敵を翻弄する器用さ。どれを単体で比較しても、獄獣のこれに対抗できる力を持つ者がいるとは思えない。
「爆閃弾」
あらゆる方向から自らを狙撃する魔法砲撃に対し、右拳と左掌を力強く打ち鳴らすディルエラ。その瞬間に発生した大爆発は、自らの周囲にある者全てを吹き飛ばす爆風を生み出し、魔法による砲撃すらも退けてしまう。元々これが、多方向からの魔力砲撃に対する手段として作られた獄獣の奥義の一つなのだ。物理的な戦いでは圧倒的支配力を持つディルエラだが、魔法攻撃にもこうして悠々と対処してしまえる姿には、抗う側も誰もが打つ手なしかと思ってしまう。
一瞬心が折れればそれが死に直結。爆風によって廃屋の壁に叩きつけられた、帝国兵二人へと迫ったディルエラは、まず両掌で人間二人の頭を粉々に潰して殺害。さらには廃屋の壁を突き破った両手が、ちょうど二階建ての廃屋の壁に突き刺して、廃屋そのものを握るような形になる。
フン、と鼻息を鳴らして全身に力を込めたディルエラが、二階建ての廃屋を地面から引き抜くのだから、目の前で起こったことに誰もが言葉を失う。その廃屋を勢いよく人類の集まりにぶん投げてくる獄獣に、誰が冷静な頭で対処できようというものか。斜方投射された廃屋そのものは、巨大隕石のように人類に迫り、十数人纏めて下敷きにしてしまう。あまりの惨劇に血も凍った空の魔導士は、拳に残った建物の破片を投げつけたディルエラの攻撃に対し、反応すらできずに頭を撃ち抜かれて絶命する。
「おいおいシケたツラしてんじゃねえぞ! てめぇらが売ってきた喧嘩だろうがよ!」
身もすくむ若き戦士にこそ素早く迫り、お前らは邪魔だとばかりに掃伐にかかるディルエラ。強者の訪れを待つ、あるいはそれとの再会を求めて駆けているのに、はずれくじの雑魚ばかりでは面白くもない。何より、いよいよ強者に巡り会えたとなった時、こんな烏合の衆に茶々を入れられても癪に障る。ならば死体の山を積み上げて、惨劇を知り及んだ人類の上層兵が来る撒き餌にでもした方がいい。無分別に殺戮を繰り返すように見えるディルエラだが、すべての行動には必ず何らかの目的がある。
そして、その耳では聞いているのだ。自らに迫る強者の足音を。廃墟を駆け抜け、嵐の中をくぐり、自らの強さを知りながら果敢に挑戦してくる果敢な勇者を。参戦以来、早くも二百人目近くの人間を葬ったその時、ディルエラの脳裏を耳から貫く濃い気配が接近する。
側面遠方から凄まじい爆音が聞こえた瞬間、ディルエラの膝元へ弾丸のように迫った何かがある。目の前の人間をぺしゃんこにしかけていた掌を寸止めし、後方に宙返りするディルエラの機転が恐ろしく速い。そうしていなかったら、目にも止まらぬ速さで迫っていた勇騎士が、ディルエラの膝を切り裂いていただろう。
「ディルエラ……!」
「よぉ、ハンフリー。何年ぶりだ?」
勇者ベルセリウスと年を近くした親友であり、今では彼に並ぶ勇騎士として騎士団の星となった存在。強者か"飼った"人間以外に興味を示さないディルエラが、その名をすぐに思い出せるというだけで、その実力は獄獣が保証しているようなもの。
地を踏みしめたハンフリーの足元が、突然爆発を起こし、彼の体を一気に前に押し出す。魔力による爆発によって、急加速を得るだけのシンプルな魔法だが、その突撃力はディルエラでさえ、一瞬距離感を見誤りかけるほど凄まじい。光のような速度でディルエラの脇をすり抜けたハンフリーは、瞬時に身をひねって回避したディルエラの二の腕に、振り上げたグラディウスで小さな切り傷を残していく。
与えた傷は小さいが、それは獄獣でも真っ向から、その速度から逃げ切れなかったということだ。ほんのあと一瞬、ディルエラの回避が遅れていたならば、もっと深い傷をつけられていただろう。あの凶悪な腕の筋を断ち、使い物にならなく出来ていた可能性すらある。
「いいぜいいぜ、挨拶無用の速攻殺し合い、大歓迎だ!」
背負った斧も抜かずに構えるディルエラだが、素手の戦いこそディルエラにとっては、人間に対する最大の戦闘手段。小回りの利く人間を相手に、大振りの大戦斧による攻撃は無意味なものだ。どうせ武器になど頼らずとも、この身ひとつで一撃必殺なのだから。
「総軍、構えろ! 獄獣ディルエラをここで駆逐する!」
「来いや人間ども! 現実を教えてやる!」
勇騎士の参戦に、なけなしの勇気を駆り立てられて奮起の声をあげる戦士達。勇騎士という最強の兵、それを中心にまとまった大多数の人類を単身相手取るディルエラは、一見不利な状況下においてなお、豪快な咆哮とともに人類を痺れさせる。
戦場が激しく活気付けば付くほどに、獄獣ディルエラの魂は、戦意を焚き上げ燃え盛る。ぶはぁと大きく息を吐いた獄獣の目が、まばたきひとつ挟んで変貌する。道楽の喧嘩屋の眼差しでしかなかったそれが、覇気に満ちた戦人の眼光に変わったことが、向き合う人類にとっての、密かなる最悪の凶兆だった。
「矢如し光陰」
百獣皇アーヴェルの全身が強い光を放つと同時、全方位に向けて放たれる無数の光の矢。当たった対象を焼き貫くだけの単調な矢、威力も高くないが、術者の放った強い光が敵の視界を一瞬阻害するため、回避は非常に困難となる。弾速が良いだけの単純なこの放射攻撃に、何人もの魔法使いが撃ち抜かれているのはそのせいだ。
「チータ、怯むなよ! 単なる牽制だ!」
「わかっています……!」
なんとか光の矢を回避した空の第14小隊二人は、アーヴェルの術に秘められた敵の狙いを察している。ただでさえ視界の悪い嵐の中、目くらましを兼ねたアーヴェルの散弾魔法は、二人とも回避した一方で、あと少しアーヴェルとの距離が近ければ避けきれなかったかも、という想像を駆り立てられる。そうして近付く者の恐怖心を煽り、敵の接近を阻もうとするのがアーヴェルの戦い方だ。
「陰陽の虹」
それならそれでと涼しい顔、空を滑るアーヴェルが右手を振り上げると、その手元から離れた光球は空高く舞う。曇天の上空で強い光を放つ魔力の塊が、下方目がけてばら撒くように光の弾丸を放つのだ。弾丸はいずれも残光の尾を空に描き、箒星のように空を駆ける光の弾丸は、眩しい空と暗き空をまばらに描き分けるほど多数のもの。アーヴェルが召喚した、嵐の中に放った魔法砲台は、太陽のように強い光を放つと共に、一秒間に何十発もの光弾をばら撒いている。
光弾の間隙を抜け、太陽のように輝く自らの砲撃へと舞い上がるアーヴェルを、愚直に尻から追いかけることは難しい。敵の砲台に自ら近付くことは、弾をばらまく機銃に距離を詰めることと同じだけ危険だ。誰もアーヴェルに追い迫ることが出来ない中、それでもただ一人アーヴェルへ向けて空を舞う者がいるが、逆光を背負って振り返るアーヴェルの表情はまだ軽い。にんまりしながら錫杖を振る。
全方向に光の弾丸を放つ光弾、それを背中に背負った魔導士が、自分に向けて風の刃を放ってきたことを目で認識できる者などいない。しかしマグニスは、アーヴェルが自分に向けて放った真空の刃、雨を切り裂き迫る凶刃を回避。そのまま眩しい空の一点に向け、一気に急加速だ。
「で、近付いてくるのはいいけどどうすんニャ?」
アーヴェルを射程圏内に入れた瞬間、長い鞭を腰から抜いて振るうマグニス。敵を焼き切る熱線と化した鞭の本質は、アーヴェルにしてみれば見てすぐわかる。翼を強くはばたかせ、壁をよじ登るようにその身をくんと一身ぶん上昇させたアーヴェルの足の下を、マグニスの炎の鞭が空振っていく。だが、炎の描いた軌道上に残されていく炎は、上昇したアーヴェル目がけて立ち上る炎となり、空に生まれた炎の壁が百獣皇の体に迫ろうとする。
雲散霧消を使うまでもなしとばかりに、周囲の風を操って、自らに迫ろうとする炎を吹き払う。目と鼻の先ですれ違うマグニスの放つ投擲ナイフも、自らとマグニスの間に岩石の壁を一瞬で生成してはじくアーヴェル。百獣皇の背負う太陽のそばを駆け抜けるマグニスは、ばらまかれる光の弾丸を回避しながら、一度距離を取らざるを得ない。
「空の怒り」
無邪気な笑顔と共に頭上で掌を鳴らしたアーヴェルを中心に、広い空域全体に走る衝撃波。アーヴェルの掌から放たれる電磁波が、天駆ける隙間無き砲撃として空いっぱいを走ったのだ。威力そのものは極めて微小、しかし雨中の空を広く振るわせる電磁波は、空域を舞う者達の動きを著しく乱す。そうしてがくんと空中で身を揺らしたマグニスを、背後から陰陽の虹の光弾が撃ち抜くのだ。
空域あらゆる方向から、がむしゃらにアーヴェルを狙撃する魔法使い達の砲撃も、素早く空を舞うアーヴェルの体をかすめもしない。確保した安全圏内から、狙い澄ました真空の刃を放ってくる百獣皇の反撃で、次々に魔法使い達が切断される光景ばかりが続く。かろうじて背面に張った炎の魔力で、我が身を貫こうとした光の弾を抑えたマグニスも、魔力の防御を貫通して焼かれた背中の痛みに耐え、アーヴェルへと差し迫ろうとする。
「お前さんは、某に勝てると思ってかかってきてんのかニャ?」
「負けると思って戦う馬鹿がどこにいるっつーんだよ……!」
「それはただの真実を見誤ったアホだニャ」
追い迫るマグニスを振り返って背面飛行するアーヴェルは、発射される火球のつぶての数々を、体を左右にぶらしながら、上下移動を絡めて回避する。勿論背面飛行で速度が出るはずもなく、マグニスがアーヴェルに差し迫るのはすぐのことだ。胸の前で両掌を近くし、そこへ魔力を凝縮させるマグニスの動きを、その眼で観察しながら笑うアーヴェル。
「火岐大蛇……!」
強い光がマグニスの両掌の間に集まった瞬間、アーヴェルは背後から自らを前方上空に押し出す突風を操り受け、一気にその身を銃弾のような加速度で逃がす。直後マグニスを中心に発生した大爆発は、もしもアーヴェルが一瞬早くその身を逃がしていなかったら、百獣皇の全身を焼いていたであろう凄まじさ。
さらにその爆炎から伸びた八本の炎が、一気にアーヴェルの方へと伸びて襲い掛かる。単調にアーヴェルを真後ろから追うものもあれば、アーヴェルを追い抜いて軌道を折り返し、前方上空から迫るものもある。文字通り炎の大蛇が、アーヴェルを多方向から包囲するように襲い掛かる秘術には、さしものアーヴェルも感心した顔。これだけ精巧な魔力操作、そう簡単なものではあるまいとわかる。
「開門、雷撃錐……!」
「氷河決壊」
その場でくるんと体を一回転させたアーヴェルの全身から、周囲に放たれる急冷凍の魔力。それは敵の魔力そのものを自らの氷の魔力で侵食するものであり、その魔力が炎の蛇に触れた瞬間、アーヴェルは敵の魔力を解析。火属性の魔力を水の魔力で押さえ込み、自らの土の魔力を増加させる糧として利用、それらでマグニスの炎を完全に押さえ込んだ瞬間から、主たる氷の魔力を走らせるのだ。アーヴェルに迫っていた炎の蛇の頭が一瞬で凍り、その頭から一気に氷へと変えられていく先には、術者マグニスへとアーヴェルの氷の魔力が迫る結果がある。
アーヴェルの頭上すぐに、稲妻を放つ空間の裂け目を召喚したチータのタイミングもよかった。マグニスがアーヴェルの反撃を促し、その隙を撃ち抜くべく放たれた3つの稲妻は、アーヴェルの頭を貫く稲妻として発射されていたはず。しかし詠唱すらせず、掲げた錫杖の先に稲妻を引き寄せる魔力を集めていたアーヴェルの行動が一手早く、三筋の稲妻は避雷針のように錫杖へ。
「ほい、返すニャ」
錫杖の先に受け取ったチータの魔力を自分色に染め上げ、やや離れたチータ目がけて一振りで投げ返してくるアーヴェル。チータの飛空軌道を読み、的確に投げつけてくる狙いぶりは、空中戦に慣れた魔導士の技だ。なんとか急上昇してかわしたチータだが、チータのそばをかすめた雷魔力の塊が、その瞬間に強い光を放つ。この瞬間にはチータも、きつい被弾を覚悟したものだ。
だが違う。チータのそばで炸裂した、元チータの魔力今アーヴェルの魔力は、ある一方に稲妻一閃飛ばした。氷の魔力で撃ち抜かれかけたマグニスが、爆炎を再生成して、迫る氷を吹き飛ばした方向へだ。炎が晴れた瞬間、雨の中を駆けるアーヴェルの稲妻の魔力に、マグニスの胸が勢いよく貫かれるのが直後のこと。
「かっ……ぐ……!」
「マグニスさ……」
「氷結星」
精神と肉体に明確な傷を負ったマグニスへ、アーヴェルの容赦なき追撃。マグニスの四方八方近くの雨が突然凍り、一瞬で氷塊に姿を変えた瞬間には、術者アーヴェルの操るままにマグニスへ迫る弾丸へと変わる。全方位から自らを撃ちぬく氷のつぶてに囲まれたマグニスは、なんとか火の魔力で全身を多い、腕で頭を守って致命傷を防ぐが、全身を貫く氷の弾丸はマグニスの体をぼろぼろにする。しかも氷の数々はマグニスに当たった瞬間に肥大して、3秒後には蜂の巣にされたマグニスが、膨らんだ氷に全身を縛られた形が完成する。足裏の火炎車も氷の魔力で打ち消されたマグニスは、飛空能力を奪われた上で半ば氷漬け、為すすべなく重力に引っ張られて地上へと真っ逆さまだ。
「さーて間に合った間に合った! こっからはボーナスゲームかニャっ!」
「開門、封魔障壁……!」
比較的近い空域にあるチータを睨むと、アーヴェルはチータ上空に小さな雷雲を呼ぶ。後方から殺気を感じたチータが身を逃すも、雷雲の放つ稲妻は一閃にして的確にチータを狙撃。チータも敵の魔法を受け止める、空間の亀裂を間に挟んで防御するが、アーヴェルの魔法の破壊力はあまりに大きく、空間の亀裂が受け止められる威力の許容量を超えている。チータの作った空間の亀裂に飛び込んだアーヴェルの稲妻は、その中で膨大な魔力を暴れさせ、チータの作った空間の亀裂を内側から爆裂させる。
「お前さんはどうニャ、某に勝てるとでも思ってんのかニャ?」
「劣れど退ける戦いではないんでね……!」
「ほう、考えなし死にたがりのアホか」
小さな翼をはばたかせただけで、周囲の気流を大暴れさせるアーヴェル。軌道不規則のめちゃくちゃな風に無理に抗わず、吹き苛まれるままにその身を流すチータの飛び方は間違っていない。無理に風の流れに逆らって動きが停滞すれば、そこを狙い撃たれる可能性の方が遥かに高い。
「風籠」
自らの操る風に敵が乗るなら乗るで、それはよし。自分周囲の空域各点、あらゆる場所に突然無数の岩石を召喚するアーヴェルは、それら全てを風下に作っている。風に流された者が、空中固定された岩石の塊にぶつかるよう作っているのだ。
進行方向に突然岩石の塊が出来た事に、チータも心臓を凍らせて風に抗い、なんとか滑空軌道を上向きに逃がす。激突は免れた、と確かめるチータの遠方では、風に煽られ岩石の壁に激突させられた魔法使いも散見する。しかもそれら岩石は、風に吹き飛ばされた人間を迎える仕事を終えた瞬間、アーヴェルへと一気に集まるように飛ぶ。空中に点在していたアーヴェルに、無数の隕石が迫るような光景が描かれ、この岩石の動きがまた一人、空の魔法使いの脳天を粉砕する。
アーヴェルがその身の周囲に張った防御結界は、自分へと飛来した岩石を兆弾のように弾き返す。一度アーヴェルへと集まり、術者に触れた瞬間にまた拡散発射される岩石達は、壁として発生して静止したその時間と、往復二回の軌道で何人の魔法使いを撃ち落としたのか。アーヴェルに触れて跳ね返った岩石の塊を回避したチータだが、杖の尻に岩石がかすめた瞬間、杖を落としそうになるだけの威力が手まで伝わり、直撃していれば命はなかっただろうと思わせてくる。
無限の引き出しを武器に大暴れするアーヴェルに、あれだけ数多く百獣皇を包囲していた魔法使い達の師団も、随分兵力を減らされたものだ。諦めずに迫ろうとする魔法使い達も、内心ではどうすればこの怪物を落とせるのか、答えが出ずに守りが固くなって攻め気を奪われていく。
「音速の殺意!」
「来たっ! 雲散霧消!」
だが、アーヴェルは知っている。敵を圧倒することが相手の攻め気を削ぎ落とし、結果として自らの身に迫る脅威を封じられることを。そして、そうやって削ぎ落とした敵の活力は、状況の変遷次第で容易に取り返され、再び自らを脅かし得る勢いに変わることを。
遠方空の彼方から自らへと放たれたそれは、百獣皇アーヴェルへの宣戦布告に近い。あらゆるものを切断する音波の一撃、掌でそれを握り潰して打ち消すアーヴェルだが、逃れた危機よりも迫る危機に全身の毛を逆立て、見えぬ敵を威嚇するような眼光をその目に宿している。
「監獄雷陣!」
「接空の風……!」
軍服に身を包んだ魔法剣士が凄まじい速度でアーヴェルに迫り、サーベルの一振りをかわされると同時、身を翻してかざした掌から稲妻を放ってくる。それは術者の掌から前方広くに拡散し、逃れたアーヴェルを真っ向から狙う稲妻の一筋もあれば、アーヴェル上空の空に逸れた末、大気の一点に触れた瞬間降り注ぐ雷と変わるものもある。
まるで格子のようにアーヴェルを包み込む、縦横無尽の稲妻の中を、舌打ちしながらアーヴェルは無傷で舞い抜けていく。自らの体を貫く電撃を受け流して大気へと逃がす、まるで避雷針の足元の地面と同じはたらきをする、特殊な風を纏っているからだ。雷属性の魔法にしか通用しない防御手段だが、それに限って言えばほぼ完璧な防御方法である。
一瞬一瞬で敵の動向、放つ魔法を読み勝って、最善の防御を見せるアーヴェルの眼には、勿論今この空で敵対する強敵の意味も見えている。周囲の魔法使いも、希望が訪れたと見たのか活力を取り戻し始めた。かつて魔王マーディスを討伐した勇者の一人、魔法剣士ジャービルの参戦とあってはそれも当然か。これがここに現れ、人類が気力を取り戻すより早く、見るから面倒そうなイフリート族の男を撃墜できたのは、アーヴェルにとっては間に合っていたと思える。
「ジャービル……! 年老いたてめえに某が討てるとでも思ってんのか……!」
「やろうがやれまいが、貴様を野放しにするわけにはいかぬ! 悪穿の雫!」
「思考停止のアホめが……! 天海乃使!」
天空へと放たれたジャービルの魔力は、ひとつが大獅子をも押し潰せるであろう巨大な水の塊を、次々と上空から降り注がせる。一気に狭くなる空を滑空しながらアーヴェルは、その手を振るった拍子に巨大な水の蛇を召喚。アーヴェルの小さな体などひと呑みに出来そうな、巨大な水の蛇は、空を駆けてジャービルの降らせる水の塊、さらに雨を取り込むとさらに巨大化し、のたうちながらジャービルへと急接近だ。降り注ぐジャービルの水魔法を阻害した上、さらに攻撃の種にする機転には無駄が無い。
気合一閃、破魔の魔力を剣に宿したジャービルがサーベルを振るうと、サーベルによって斬られた水の大蛇は裂かれた末に砕け散る。嵐の中でもよく響いた魔法剣士の咆哮は、百獣皇アーヴェルの眼差しを厳しくさせ、友軍の胸に頼もしき希望をもたらしてくれる。
周囲の大気を集めて翼とする、魔法剣士ジャービルの力は柔軟性に富む。豪雨降り注ぐ嵐の中、水の魔力を周囲からかき集め、自らの労力すくなくして大きな翼を背負う魔法剣士の姿からは、エルアーティとはまた違った猛者の気質が漂っている。素早く空を駆けながら、視界内に常にジャービルを含むアーヴェルの目は、もはや窮鼠に噛まれることを恐れた猫のそれではない。ネズミ狩りはここまで、捕食者を撃退し、生存への道を勝ち取るための戦いを、百獣皇も覚悟している。
「思い出させてやる……! 空の支配者が誰であったのかをニャ!」
「全軍、陣を取り戻せ! 百獣皇アーヴェルを包囲する!」
嵐雲から空をつんざき、地上を貫く稲妻の爆音。それは真の空の戦いが幕を開けた鐘の音に等しく、吠えた勇者が人類を導くと同時、百獣皇の魔力が更に雨と風に勢いづかせる。
たった一体の魔物に対し、何百何千もの魔法使いが挑む戦争。それでも最後に笑うのがどちらなのか、誰にも予想できない戦いが始まった。




