第217話 ~魔将軍エルドルの最期① 紅蓮地獄の死闘~
魔将軍エルドルの鼻先をかすめる、鋭い槍の切っ先。それをかわした直後には、すぐに腹部目がけて突き出される槍の一撃が来る。3人の槍兵を同時に正面から相手にするような、目にも止まらぬ一人の騎士の連続攻撃を、エルドルが単身回避しているだけでも見事なものだ。
「邪魔だ……!」
紅蓮地獄の炎を手に握り、正面のクロム目がけて広く炎を放ち散らすエルドル。前後左右どこに逃げても火の手からは逃れ得ぬ、広範囲への放火を前に、クロムはエルドルめがけて跳躍する動きで回避。巨体の手から放たれる炎を跳び越え、エルドルの頭上を飛び越える動きだ。
上空から縦に薙いだ槍先は、エルドルの頭を後頭部から真っ二つにする軌道。視界の端で槍を振るっていたクロムの動きも見捉え、顔の横から振るった爪で槍をはじき返すエルドルは、同時に後方に向き直る動きを成立させている。その動きが、背後から迫っていたベルセリウスに体を向ける形を完成させ、エルドルの突き出す蹴りが、ベルセリウスを真っ向から迎え撃つ形となる。
ベルセリウスの振り上げた剣は、頑丈なエルドルの踵にぶつかって足を叩き上げる形となり、エルドルもその動きに倣うように後方へと宙返り。着地寸前、唾を吐くように発射した口からの火球が、ベルセリウス目がけて飛んでいく。火球を切り裂き迫るベルセリウスの追撃にも、爪を振るって騎士剣と火花を鳴らして応戦するエルドルに、隙はない。そのパワーに流されず、全身どこからでも炎を放てるエルドルの動きを抑圧すべく、第二第三の猛撃を繰り返すベルセリウスは、ここが勝負どころだと強く意識した動きだ。
ベルセリウスの連続攻撃を打ち払うエルドルだが、敵の攻撃の間隙に返した爪もはじかれるという、進退のなき2秒間を繰り返す形には危機感も抱く。一対一ならそれでもいいが、今は違う。ベルセリウスの後方からこちらに猛進してくる、もう一人の厄介者を視界に入れた瞬間、後方に跳び退いたエルドルが翼を広げる。
「煉獄の風……!」
前方二人の騎士を一気に吹き飛ばす、草木も灰になりそうな熱風を広く放つエルドル。だが、ベルセリウスの封魔聖剣の魔法はそれを受け入れない。真正面から壁のように押し寄せる炎の塊を、一振りの剣で大きく切り裂いたことにより、エルドルへの無風の道を作りだす。期待していた行動が招く結果に、ベルセリウスを追い抜いたクロムは、一切の減速なくエルドルへと直進だ。
胸元を貫きにきたクロムの槍先を、振り下ろした掌で思いっきり叩き落とし、足元の地面と掌で潰してしまうエルドル。槍はこの一撃で粉砕したと言っていい。だが、武器を奪われた男が次に何をするかと思えば、そのままエルドルの頭部目がけて飛びかかるという捨て身行動。
身体能力強化、名も与えていない己が力を最大限振り絞ったクロムの脚力は、地を蹴った瞬間に得た急加速により、僅か一瞬エルドルの想像を超えた速度を実現する。そしてエルドルに瀕する位置まで跳んだ瞬間、空中でクロムの放った回し蹴りは、エルドルの顔面に深々と食い込んだ。
頬骨がめきめきと音を立てて粉砕された瞬間には、エルドルの中でも時間が一瞬止まったかのように思えた。それほどまでに大き過ぎるダメージが、顔面を通して脳まで響いている。蹴飛ばされた顔面に引っ張られるまま、体を傾けるエルドルだが、地面を踏みしめぐらついた体を止めると同時、憎しみに満ちた眼差しをクロムに返してくる。
危機感に血を沸騰させたクロムへ、炎を纏った左手を開いて向かわせるエルドル。死の一撃を前にしたクロムは、落下しながらその手を蹴り上げ、なんとか最悪の事態を回避する。その手を蹴った方の左足に、エルドルの炎がもう燃え移っている一事だけでも、あの手に捕まれば終わりだったと明らかだ。
着地と同時にアーミーパンツに燃え移った炎を、大きく足を振るうことで振り払うクロム。熱気に満ちた紅蓮地獄、すぐには消えぬであろうはずの炎を強引に身から剥がしたクロムの前、既に魔力を両手と翼に携えたエルドルの姿がある。
「紅蓮地獄……!」
エルドルが眼前いっぱいに翼と両手から放つ炎を撒き散らす。クロムの後方から飛び出したベルセリウスが炎を切り裂かねば、クロムの全身は猛炎に包まれていたはずだ。ベルセリウスと同じく前進したクロムは跳び、地上からベルセリウス、飛来するクロムの二人を迎え撃つエルドルが、両の手でそれに対応する動きに構える。
ベルセリウスの剣を左の爪で弾き、時間差で顔面へと飛び込んでくるクロムへは右の爪を薙ぐ。鋭い爪を携えた手を回転蹴りで打ち返すクロムだが、はじいた手はすぐに再びクロムへと襲い掛かってくる。そしてクロムの腕を握りかかったその手に対し、クロムは両手でエルドルの指を握りにいく形で応戦する。
クロムの大きな体もひと握りにしてしまえそうな、エルドルの巨大な手の指。その人差し指と中指を掴んだ瞬間には、まるで溶岩を掴んだかのような凄まじい熱がクロムの手を貫く。だが、瞬時の苦痛を奥歯で噛み潰したクロムは、牛の角を握って進行方向を強引に変えるような舵取りで、我が身を掴もうとしたエルドルの手を振り払う。同時に手の指の間に叩き込んだ蹴りで、エルドルの手の骨を砕いてだ。
思わず手を引くエルドルの動きに合わせて手を離したクロムの下、ベルセリウスの剣がエルドルの大腿へと向かっている。その一閃は魔物の足の筋を断つものであったが、手を砕かれた痛みの中にあっても一歩素早く退き、致命傷を回避したエルドルは流石だろう。大腿に僅かな切り傷を残しただけにとどまったエルドルは、前蹴り一発でベルセリウスを上空に蹴飛ばす。剣を構えて防御したベルセリウスだが、封魔聖剣で防いでなお、このパワーには腕がびりびりくる。
クロムはどこにいる。ベルセリウスに一瞬の意識を移した瞬間、視界から消えたクロムの気配を敏感に悟るエルドル。自らの側面に移動し、そこから顔面めがけて飛来するものの気配を察したエルドルは、迎え撃つ掌をそちらに向けて防御。さらには燃え盛る掌にそれがぶつかった瞬間、握り潰して破壊する。
それは人間ではない。大男一人ぶんの大きさに匹敵する大きな瓦礫だ。クロムの投げつけたそれが、憎き人間そのものでないとエルドルが察した瞬間、飛来した本物のクロムはエルドルの握り拳を横に蹴ってどけ、身をひねるままにしてエルドルへと直行する。
「くたばれ、クソ山羊……!」
エルドルの顔面に迫ったクロムの踵は、円運動を描くままにして魔将軍の鼻に真っ直ぐ突き刺さった。顔面の骨を粉々に砕かれる衝撃に、その身をのけ反らせたエルドルだが、虚ろな目で上天を見上げた瞬間、宙を蹴る魔法を経て自らに舞い降りてくる勇騎士が目に入る。
詠唱も口走れぬコンディションながら、咄嗟に火焔潮流の魔法を展開し、炎の竜巻を自分中心に発生させるエルドル。その風は至近距離のクロムには凄まじい勢いで襲い掛かり、腕を交差させて顔を守るクロムの全身を焼き払う。炎とは強力なエネルギーで肉体を壊死させるもの、身体能力強化の魔法でどうにか壊れない体を作り上げても、本当に一瞬の一時凌ぎにしかならない。着地の瞬間に後方に飛び退いたクロムだが、火の燃え移ったタンクトップを瞬時破り捨てねばならぬほど、その竜巻はクロムの全身を焼き焦がした。
だが、上空のベルセリウスにその足掻きは通用しなかった。一振り目の太刀で熱風を裂いたベルセリウスは、見上げたエルドルへと一気に舞い落ちる。そして、ベルセリウスの振り下ろしたとどめの一撃は、魔将軍エルドルの顔面をばっさりと切り落とす形となった。
頭蓋を通過し、頭の中まで真っ二つにされる形となったエルドルは、その力に押されて後頭部から地面に叩きつけられる。剣を引き抜いたベルセリウスは即座にクロムの元へと跳躍し、彼の隣に立った瞬間、その背中に手を当てる。治癒魔法のエキスパートでもあるベルセリウスは、全身を炎で焼かれたクロムの体が、自己治癒しようとする本能を一気に促進させるのだ。継戦能力を取り戻させようとする意味では焼け石に水だが、大ダメージを負いつつもまだ戦える体になら、これは大きな助けになる。
「くっ、カ……ぐはっ……! ベルセリウス、め……!」
上体を起こそうと頭を持ち上げるエルドル。明らかな致命傷、死は目の前。憎々しげにベルセリウスとクロムを睨みつけるエルドルは、爪を振り上げ、なんと自らの胸に突き立てる。
エルドルの目はまだ死んでいない。むしろあの傷を負ってなお、憎き人間を葬ることを諦めていない眼光だ。
「魔神復興……ッ!!」
エルドルの爪が突き立てられた胸の傷から、血の代わりに噴き出す炎。何かが起ころうとしている。過去にない恐ろしき予兆に、ベルセリウスも封魔聖剣を纏わせた騎士剣を構える。そして次の瞬間、溶鉱炉のように真っ赤に光ったエルドルの体が、凄まじい爆音と共に大爆発を起こしたのだ。
伴い発生した爆風を、封魔聖剣の一振りで裂いて、自分と隣のクロムの周囲に無風空間を作り出して守り通すベルセリウス。自爆魔法だったのだろうか。だが、直後ベルセリウスとクロムの脳裏に響いた、おどろおどろしい声が、終わったと思った戦いがそうでないのだと警鐘を鳴らす。
(愚かなる人間ども……生かしては帰さぬぞ……!)
エルドルの声。そして魂の声とも思えるようなその声は、さらに起こる悲劇を二人に予感させる。爆発したエルドルの肉体を中心に飛乱した炎が、まるで噴火した火山から飛ぶ溶岩のように、無数の放物線を描いてラエルカン各地に散っていく。
「エルドルめ……!」
(終わらせぬ……! 限られし我が命の為す、最後の復讐だ!)
「炎竜召弾!!」
上空ある一点からルオスの魔導士が放った炎は、まるで赤き蛇の如き竜の形を作り、彼方の地上へと飛来する。同じく空からその着弾点を見届けたアルミナの遠方、巨大な水の盾が発生し、何者かが自らへ迫る火の魔法を、水の魔法で撃退したのがよくわかる。
「敵将、魔導士と見た! 地上の部隊は拡散して包囲戦術を取れ!」
「了解! お前は裏路地から、お前は区画整備路から突入しろ! 正面突破は俺達だ!」
索敵能力に秀でた空の魔導士の放った炎の魔法は、敵将と思しき魔物の位置に発射したものであり、討つべき敵の所在を友軍に知らせるためのもの。空から駆けた炎竜の突き進んだ先こそを最終目的地とし、騎士団と魔導士の連合軍が地上を駆ける。分散する動きを指示して包囲網を作るのは、固まって突入しようものなら、広範囲砲撃の大魔法で一掃されかねないからだ。
「走雷陣……!」
「来るぞ! 耐魔障壁!」
敵将までの道のりは敵軍の精鋭で満ちている。ダークメイジ達が、自らに迫る人類の突撃に対し、地を這う稲妻の砲撃を乱打してくる。地表から噴き出す魔力の壁により友軍を守る魔導士、それによって生じた魔法障壁が雷撃を抑制、そして人類の射手が障壁の向こう側に立つダークメイジの額を撃ち抜く。弱った敵陣を、空の魔導士達も魔法で放射する。
魔法障壁の向こうから、鉄分銅による物理的飛び道具を飛ばしてくるヒルギガースもいる。斧でそれをかち上げて、後ろの仲間を守る傭兵の実力が光る局面だ。敵軍の制圧まであと少し、限られた頭数の兵で、なんとか押し切ってしまうしかない。
「轟く空」
ある瞬間、敵将と思しき魔導士の位置から一閃の魔力が空に放たれ、瞬時にして上空に雷雲の如き魔力の塊を作りだす。恐らくは人が何百人でも立てそうな広さを持つ、高空に現れた雷雲が、各方向に無数の稲妻を落とすのだ。無差別、不規則、我が身をかすめる稲妻を回避する空の魔導士の一方、的確に地上の人間の群れへと放たれる稲妻もある。
敵将にあたる魔物が、魔導士として相当なる手練であることがわかる。自らの布陣を突き崩そうとする人間を、空から広く稲妻で狙撃する手腕に、撃ち落とされた空軍も地上軍も多い。守備と回避により人類の攻勢が後退するには至らぬが、兵力を削がれて進軍力が落ちる。
「ユース、こっち……! そこが一番の抜け道……!」
空からアルミナの放つ銃弾。狙う先は魔物ではなく、道だ。敵将の位置はユースにもわかっているはず。拡散して敵将の位置に攻め込む人類陣営のどの流れにも沿わない、狭い道を撃つアルミナが、ここから進めとユースに訴えている。迷いなくアルミナの示す道を一人駆ける、ユースの前に敵はいない。そういう道をアルミナも選んでいる。
「雷岐大蛇」
「っ、ぐ……!」
一方のアルミナは空軍魔導士に紛れ、敵将からの魔法を引き付けている。術者から放たれる、不規則な軌道を描いて空を駆ける稲妻の魔法は、まるで無数の蛇が人類へと食らいつくかのよう。前方あらゆる方向から襲い掛かる稲妻を、勘と旋回飛行でかわして舞うアルミナだが、我が身をかすめていく稲妻の放つ火花には、肌を焼かれる痛みに表情も歪む。
敵に近付いたアルミナには見えている。漆黒のローブに身を包んだ敵将は、白骨の手に刺々しい錫杖を握り、空を見上げるその顔もまた骸骨の頭。ジェスターやダークメイジ、魔物達の魔導士にあたる連中の上位種にあたる、屍人にして高い魔力を持つ魔物、リッチと呼ばれる存在だ。
「ちょ、ちょっとアルミナ、無理しすぎだって! 死んじゃうよ!?」
「やるしかないの……!」
「環状岩」
アルミナが翼で空を漕ぎ、近付こうとしたところで、敵将リッチを中心に大きな竜巻が発生し、その渦の中には無数の岩石が発生する。風に飛行軌道も煽られ、思うがままに空を駆けられないアルミナと同じく、風に揺らされ、躍動する岩石をかわしきれない魔導士も多い。アルミナの胸元で騒ぐベラドンナが心配するとおり、空の敵を寄せ付けまいとするリッチの魔法に、真っ向から飛び込むことは危険極まりないことだ。横殴りの風に抗いながら翼を強く漕ぎ、前にぐいっと体を進めたアルミナの後方、一瞬前にアルミナがいた場所を巨大な岩石が通過する。
(ち、地上軍、警戒……! 来――)
敵将リッチが錫杖を握る手を、地上の人類に向けて突き出す。大通りを駆け抜け、真っ向から自らへと突き進む人類を迎え撃つための予備動作だ。不吉なる魔力の揺らぎに、空の魔導士が友軍に声を届けようとしたところで、当の魔導士を空を舞う岩石が直撃して撃ち落とす。
「煉獄砲炎」
リッチの手から放たれた炎の砲撃は、巨大なる象さえも飲み込むほどの太いもので、大通りを駆けて敵将に迫る戦士達には、まるで炎の津波が襲い掛かってくるほどのものに見えた。見るからに凄まじい威力を体現した魔法に、地上の魔導士も魔力による障壁を作り出すが、ここまでの進軍で疲弊した魔導士の魔法障壁を突き破る。ここまで戦い抜いてきた戦士達数名が、一瞬にして炎に飲み込まれて灰にされてしまう。
「地烈衝撃波」
リッチの恐るべき所は、それでも横道、建物の間から自らへ向けて走る、唯一の存在から意識を逸らしていないところだ。瓦礫の山と化した建物二つの間を駆け、迫り来る一人の騎士に向けて放たれたリッチの魔法は、地盤と砂塵を叩き上げて地を走る衝撃波を生み出のだ。
真正面から襲い掛かる脅威にユースは跳躍、そして横の建物の壁を蹴り、斜方に跳ぶ形でさらなる高さを生み出す。先ほどまで自分が走っていた場所を、リッチの放った衝撃波が破壊していくの跳び越えたユースが、いよいよリッチを視界に捕えた地上に降り立つ。
近くに迫った人間に対し、詠唱もなく錫杖を振るったリッチは、火球のつぶてを無数に発射してくる。リッチへと突き進むユースは、自分よりも大きな火球を素早く回避し、火球の林を駆け抜ける。後方や側面の大地に着弾した火球が、爆発して火柱を上げる様にも振り返らない。
「溶岩障壁」
いよいよリッチまで辿り着き、剣を振るおうとしたユースの眼前、突然地面から噴き出す熱い壁。前方いっぱいに広がった壁は赤々と燃え上がる岩のようで、突っ切ることなど出来そうもない高き壁を前に、ユースも急速に地を蹴って後方に跳ぶしかない。高き溶岩の壁が、波のようにこちらに倒れてくる予感がしたからだ。
「煉獄砲弾」
だが、ユースの予想を遥かに超えたリッチの追撃は、燃え盛る巨大な火球に溶岩の壁を突き破らせるもの。溶岩の壁にいっぱいだった前方視界、壁を突き破って自らに超速度で迫った火球の飛来に、もはや後方に跳んでいるユースには、回避の手立てがない。
「ユース、っ……!」
火球が溶岩の壁の向こう側、人間を焼き尽くしたであろうことをリッチが確信した瞬間、真横からリッチの体を抱えるようにして体当たりした者がいる。地表近くの超低空を滑り、ユースに対処していたリッチの不意を突いていたアルミナだ。廃屋の隙間から飛び出したアルミナの特攻は、両者の体をもつれ合わせて地面を転がす形を作りだす。
何度も地面に体を打ちつけながら、リッチの体にしがみついて離れないアルミナ。だが、地面を引っかき勢いを殺したリッチが、転がる体が止まったとほぼ同時、アルミナの顔面を白骨の手で握り潰そうとしてくる。だが、リッチの二の腕あたりに銃身を押し付け抵抗するアルミナは、もみ合うようにしてリッチから離れようとしない。非力な体の全力を振り絞り、距離を詰め、地面に転がったままリッチを押さえ込もうとする。
だが、やはり魔物の腕力の方が遥かに上。自らの体が下になった瞬間、下半身を振り上げてアルミナの体を跳ねさせたリッチが、それでも魔物にしがみついたアルミナの体を横に転がす。素早く起き上がったリッチが、アルミナの腰の上に馬乗りになり、白骨の左手をアルミナの喉元に振り下ろしてきた。骨がむき出しのその手は、5本の針で人の喉を突き刺して引き裂く凶器と変わらない。
握った銃を咄嗟に構え、リッチの左手を受け止めるアルミナ。パワーは向こうの方が上、それでも両手で必死に食い止めようとした腕力が、その一撃を食い止めてくれた。歯を食いしばって片目をつぶるアルミナだが、開いた方の眼の前に移った光景には、なんとか生き延びてやろうという心が一瞬でへし折れた。
「あっ……死ん……」
口を開いたリッチの喉奥、ぽうと光った光は何を意味するのか。両手で銃を構えてリッチの左手を抑え、腰に跨られて身動きの取れないアルミナの顔に向け、リッチの口が魔法を放つ一瞬前。抵抗どころか身をよじることも出来ない状況下、さっきまで熱かった全身が一気に冷える実感がアルミナを貫いた。
「アルミナ……っ!」
口の奥からリッチが火炎魔法を放とうとした瞬間、割って入った何者かが、騎士剣でリッチの頭を叩き飛ばした。火を吹きながら、首からはずれて飛んでいくリッチの頭は、廃墟の壁にぶつかって砕け散る。アルミナの体にまたがっていたリッチの体を、続けざまに彼の足が蹴飛ばしたのが直後のこと。
煉獄砲弾の大火球を、英雄の双腕の魔力を纏った盾で凌いだユースは、目の前の溶岩の壁が崩れたと同時、地を蹴ってリッチに迫っていたのだ。リッチが召喚した溶岩障壁の障壁が消えたのも、アルミナがリッチともみ合って敵の集中力を奪い取ったから。足掻いて足掻いた数秒間も、ユースが彼女の命を救うための時間を稼ぐためには、非常に大きなものだったと言えよう。
「アルミナ、大丈夫か!?」
「な……っ、なんとか……マジ死んだかと思った……」
上体だけ起こして、鳴りっぱなしの心臓と同じぐらい、早くて短い呼吸を繰り返すアルミナ。よろりと立ち上がるアルミナだが、震える体を隠しきれないぐらいだ。それぐらい、目の前で火を放とうとした魔物の口が光った瞬間というのは、臨死を想うには充分なものだった。
だが、ユースに蹴飛ばされて地面に転がったリッチの肉体は、数秒の時を経てがばりと体を起こす。頭を失ってなおだ。屍兵の恐ろしき所は、体のどこかに位置する"核"を破壊されぬ限り、活動を止めない所にある。前進の毛を逆立ててアルミナとリッチの間に割り込んだユースの前、錫杖を振るったリッチが巨大な火球を放ってくる。その大きさたるや、先ほどの煉獄砲弾そのもの。
「っ……英雄の双腕!」
真っ向に打ち返すには、相手の魔法から精神模様を読み取り、敵の魔力の流れをしっかりと理解していなければならない。いつでも自由に出来るものではないのだ。ともかく抗うことに必死の魔力で、その巨大火球を上空に打ち払っただけでも充分すぎるぐらいだろう。ユースの背後から横に飛び出したアルミナが、錫杖を持つリッチの右手首を銃弾で粉砕し、高い親和性を持つであろう杖を奪い落としたのがすぐ続く。
片手を失ったリッチは、ユース達に背を向け逃亡の動きに移る。追いかけようとしたユース達へ、振るう左手から稲妻を放って牽制しながらだ。やっと捕捉した敵将を逃がしたくないユース達だが、人の肉体を焼く強烈な電撃が地を広く走る迎撃に、ユースが英雄の双腕の魔力を纏った盾を構え、動かず防御に徹するしかない。
それでもいいのだ。ユース達に気を取られていたリッチへと、空から接近した魔導士が魔法を放っている。上空より我が身に迫る火球を、横っ跳びでぎりぎり回避したリッチだったが、着弾した火球の爆風に煽られて、廃墟の壁に叩きつけられる形になる。そこへ風の砲撃による追撃を放つ魔導士が、逃げ切れぬリッチの肉体を捕え、骨だけのリッチをローブごと粉々に粉砕した。
「よくやってくれた……! これは君達の功績だ……!」
「敵将を仕留めた!! 全軍、最後の力を振り絞れ!!」
ルオスの魔導士二名、片方がユース達の元へ舞い降り感謝の意、もう一人が全軍へと強き声を響かせ、戦場支配への足がかりを伝える。きっと魔力で以っても、友軍の仲間に広くそれを伝えているだろう。近き各地で疲弊したはずの第11大隊が、手負いの獣のような雄叫びをあげていることが、長かった戦いにようやくの幕を降ろしが近付いたことを予感させてくれる。
だが。
「ッ……!? 封魔大障壁!!」
突然ユース達の元へ、空高くから隕石のように飛来した火球。ユースやアルミナにとっては後方、まったくの視界外から飛んできた火球を、そばにいた魔導士の展開した魔法障壁が食い止める。目の前で血相を変えて叫んだ魔導士、その目線の先を追うように振り返った二人の前、輝く魔法障壁の向こうで爆散して燃え広がる炎の姿がある。
そして、空から振る無数の火球はそれだけではない。空に目をやるユースやアルミナの目線の先、火山噴火によって火口より飛び散る、赤い尾を引いて地面を焼く溶岩のような無数の何かが、ラエルカン各地へと落ちていく。そしてユース達の見送る先、遠き地面にそれらのひとつが落ちた瞬間、離れていてもわかるほどの大爆発が巻き起こる。僅か間を置いて届く爆音と地鳴りは、ユース達の心臓と耳を刺激する。
「な、何……!? 何が起こってるの!?」
「二人とも、私から離れるなよ!」
うろたえるアルミナの前に立ち、空を見上げるルオスの魔導士。ラエルカン城を爆心地とする、死と破壊を招く火の手は、第11大隊と魔物の生き残りたちが戦う戦場にも等しく降り注ぐ。人も魔物もきっと見境なく焼き払う炎の爆弾の雨は、小さく集まった三人から少し離れた各地いっぱいに、無数の大爆発をもたらし続ける。
目の前の大破壊に警戒してやまないアルミナと魔導士の横、ぞっとするような殺意らしきものを感じたユースは、思わず上天に目を向けていた。その目線の先には何もいない。流れ星のように炎が飛び交うのみ。その光景すべてが放つ殺意の魂が、血も凍るようなおぞましさでユースの胸を締め付ける。
(人間どもが……! すべてこの地で根絶やしにしてくれる……!)
ユースにとっては見たこともなく、声を聞いたこともないはずの魔将軍エルドル。空から響いたように感じられた、まるでユースの魂にまで届かんばかりの何者かの怒号。それが人類を憎んでやまないエルドルの、魂の叫びであることなど、ユースにとっては知り得るはずもなかった。




