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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第2章  彼女に集った七重奏~セプテット~
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第21話  ~第14小隊の問題児~



「よ、ユース。おはようさん」


「あ、マグニスさん……おはようございます」


 朝起きて、朝食の席へ歩いていたユースに、軽い声で青年が声をかけてきた。振り向いたユースの目線の先から歩いてくるのは、赤毛のロングヘアーを肩の下まで伸ばしたマグニスだ。すでにさらさらの流髪を形にして、赤髪に近しく淡い橙のよそ行きの服装に着替えているマグニスは、目の冴え方からもユースより随分早くに起きていたことがうかがえる。スレンダーな体格と長身、ほどよくいい形の筋肉を持つ肩と二の腕を見せる形の風体は、白のズボンと合わせて全体的に明るげな色彩で、マグニス本来が持つ男前の顔立ちと魅力的な体格をさらに際立たせる。首の下に下げた宝石混じりのネックレスも、マグニスのような男が身につけていれば、いかにも彼が遊び人であろうというオーラを一層引き立たせるものだ。


「今日の訓練は俺、生理痛で休むってシリカに伝えておいてくれ。そんじゃ」


「いや、あの、ちょっと」


 立ち止まりもせずにすたすたとユースを追い抜くと、マグニスはユースから遠のいていく。思わずユースが声をかけると、その時やっとマグニスが足を止める。


「ん、どした?」


 訓練サボりの常習犯は、ユースが何を言わんとしているかを本気でわかってないような顔で振り向いてくる。あんな顔をされると、またサボっちゃって大丈夫ですか、と言おうとしていた少年騎士ですら、言っても無駄なんだろうなと悟ってしまう。


「……せめて、朝食ぐらいは一緒に食べません? シリカさんも……」


「一緒に飯食ったら捕まるじゃねえか」


 席を同じにすれば訓練場まで引きずられることぐらいわかってくれや、と言わんばかりの表情でマグニスはそう言い捨てた。こうまで言われてはユースも、次の言葉に詰まるしかない。


「……行ってらっしゃい」


「おう」


 にかっと笑って立ち去るマグニスの背を追って、シリカに何と言えばいいのやらとユースは心底溜め息をついた。






「まったく、あいつは……」


 食卓を囲んで、シリカはげんなりした表情で天井を仰いだ。昨晩じっくりと説教したのだから、そろそろ懲りたかなと希望的観測を抱きもしたのだが、やはり現実は甘くない。人はそう簡単に変わってくれないものだ。シリカも、頭ではわかってはいるのだけど。


「今日はどのみち、私が騎士団から特務を受け取っているから、訓練は無かったんだがな。話も聞かずに出ていく辺り、本当に困ったものだ」


 マグニスのぶんの朝食が寂しく食卓に残されている光景は、シリカにとって気分のいいものではなかった。元々、小隊メンバー全員で食卓を囲む習慣を好むシリカのことだから、尚更だ。


「特務ってのは何だ?」


 あまりこの話を引っ張るのも良くないと感じたクロムがすかさず話を転がした。シリカの呆れと失望感はみんな感じ取っていて、誰も次の言葉を繋げられなかった空気の中、密かな好プレーだ。


「北のタイリップ山道の調査を行うらしい。私がその大隊を率いることになった」


 法騎士であるシリカは、大隊を率いる権限を時に任される。法騎士以上の地位に立つ騎士の多くは他の長期任務を抱えていることも多く、たとえばシリカの二つ上の階級であるベルセリウス勇騎士は、現在南のコズニック山脈に、旅団を率いて魔物討伐の任務で赴いているらしい。


 日頃小隊の隊長として、長期任務を預かることの少ないシリカは、時々こうして王都近隣の短期任務の指揮官に抜擢されることがある。シリカがこの後語った内容によれば、327人の騎士と傭兵を率いて、野盗団のアジトがあると推察されている、王都の北にあるタイリップ山道を調査することが目的らしい。


「少ねー。やる気あんのか騎士団の連中は」


「……これでも頭数は随分と揃えてくれている方なんだぞ」


 弓や銃を持ち得る敵が集まる敵地の恐ろしさは一様に語れるものではない。地の理を敵が知るならば、大自然の作った砦に戦争をしかけるのとさほど変わらないのが現実だ。敵が戦闘訓練を積んだ軍の人間ではない、野盗の群れだとしても。


 野盗の数の見込みに対して、その倍以上の兵力を確実に割くべきだという考え方を、クロムは確固として持っている。もしも敵と遭遇して戦闘が避けられなくなった場合、勝敗如何はともかく、こちらに死傷者を出さない見込みで動かねば明日はどうなる。今日がすべてを賭けた戦いの日でもあるまいし。


「まあ、お前さえ無事に帰ってきてくれりゃいいけどね。頑張って来い」


 クロムはそこまで聞いて、この話を打ち切った。これ以上話すと、どうせろくな方向に話が転ばない。


「……もしかしてシリカさん、その任務をシリカさんに預け……」


「あと、シリカ。お前がいない間は俺が訓練を仕切っていいのかね」


「ん? ああ、それは勿論だが」


「はいよ、まあ適当にやっておくよ」


「適当に、という言葉を使うべき場面じゃないはずなんだがな」


 アルミナが言いかけた言葉を遮る形で談笑に持っていったクロムに、アルミナの言葉が耳にあまり入っていなかったか、シリカはそのまま笑って話を続けた。物言いたげなアルミナに、クロムはさりげなく目線を送り、それ以上は言うなと釘を刺す。


 朝食の時間はこの後、何事も起こらず慎ましやかに過ぎていく。やがてシリカは騎士館に足先を向け、アルミナやキャルに見送られながら去って行った。






 朝食を終えての戦闘訓練は、クロムの指揮のもと行われた。主にシリカがやっていたように、クロムがユースとガンマを相手に、まず1対1で武器を交わす。騎士剣を模した木剣を持つユースと、愛用の武器に見立てた木製の巨大な斧を持つガンマに対し、クロムは大槍を模した木槍を訓練で用いる。ユースが両手を広げても、指先から指先までの距離でその槍を収めきれぬ長い木槍は、戦闘においてはとてつもなく長いリーチを持つ。


「これで5回目だな。ほら、早く拾え」


「っ……まだまだ……!」


 木槍を振りかざすクロムは、涼しい声でユースの体に鞭を打つ。離れた敵に雨あられのように突きを繰り出してくるのがクロムの基本戦術であり、それをくぐって接近戦に持ち込んで初めてユースにも勝負の目が現れるのだが、いざ近付いても槍の尻の部分、石突を器用に扱うクロムは、接近戦になっても冷静にユースの攻撃を捌いてみせる。一度止められれば、その剛腕から槍に伝わる強い力で以って、手に握って離さないはずの剣をはじき飛ばされてしまう。


 腕力に優れたわけでないシリカは、速度と自在な動きを活かして敵を翻弄し、隙を見出し急所を一閃に断ち切る戦い方を得意とする。一方でクロムの戦い方は、腕力と器用さを活かして、敵の攻撃をその身に届かせないことで流れを作る形を主としている。攻撃的なシリカの戦い方と、防御から一転カウンターによって勝負を決めるクロムの戦い方は、実に対極的であると言えよう。


「がむしゃらなのは結構だが、それじゃあまだまだだな」


 遠距離からのクロムの突きをかわし、距離を詰めようとしたユースだったが、直後クロムの槍がユースよりも早く引かれ、クロムに斬りかかろうとユースが木剣を振り上げるより早く、槍の柄の槍先に近い部分が、ユースの左腕に襲いかかる。


 一瞬早くそれに気付いたユースは、左腕に備えた盾でその衝撃を受け止める。しかし一瞬攻勢から防御に回らざるを得なくなったユースを見逃さず、槍を大きく回したクロムの石突が、ユースの足を払うべく地面と平行に風を薙ぐ。


 この攻撃にもぎりぎり反応できたユースは、咄嗟に跳躍してその攻撃を回避できた。そのままクロムに向かって前進もしたものの、空中にあって行動が制限されたユースという標的を、クロムが見逃すことはない。足を払うために回転させた槍の動きを止めず、向かい来るユースの脇腹に、そのまま木槍の刃にあたる部分を叩きこむ。


 空中で重い一撃を横っ腹に受けたユースは、そのまま訓練場の床に叩きつけられる。隙を見せれば近付くことさえ許してもらえない。先ほどから一歩もその場所から動かず、汗ひとつかかないままにここまで叩き伏せてくるクロムに向け、ユースは拳を握り締めて顔を上げる。その目に宿る、負けてなるものかという想いを見て、クロムはこれまた機嫌よさそうに笑う。


「諦めたっていいんだぜ。その調子じゃ、何時間やっても同じだからよ」


「誰が……!」


 意図されたクロムの挑発に、望みどおりの反応で再び立ち向かうユースの姿は、師事するクロムにとっても実にやり甲斐のある相手だ。余裕の表情を崩さないクロムの目は、ユースにとっては悔しさを燃え上がらせる対象ではあったものの、そんな少年騎士の成長をこの目で近く見届けられることは、ものぐさなクロムにとっても実に楽しみ甲斐のあることだった。






「はいよ、今日の戦闘訓練終わり。みんなお疲れさん」


 真昼前になって、クロムの指揮のもと行われた戦闘訓練が終わる。ユースとの一騎打ちを何度も経て、のちにガンマとの一騎打ちを何度も挟む。その後はアルミナやキャルの援護射撃も認め、いわば1対多の状況で、クロムが部下達を相手取る実戦訓練が多く行われた。


 アルミナの武器は銃だが、もちろんこの訓練においては実弾を用いるようなことはしない。銃口から実弾とほぼ変わらない軌道で放つことが出来、着弾すれば卵の殻のように割れて、怪我をしないように済む特殊弾丸を訓練で用いている。勿論、当たればかなりの痛みを伴うものでもあるが。同様に、キャルが用いる武器もアルミナの武器と同じく、当たっても大きな怪我をしない特殊なものだ。


「大丈夫か、アルミナ、キャル。立てるか?」


 参戦を認めた際には、クロムも容赦なくアルミナやキャルにも接近し、攻撃を浴びせている。勿論怪我をしないように加減した力で武器を叩き込んではいるのだが、女をその武器で打ちのめすことに対して、あくまで訓練のことである以上、クロムも悪びれるつもりはなかった。


 あくまで訓練だったから、武器による攻撃を受けても命が助かっているだけなのだ。これが実戦で、クロムが両者の命を本気で奪おうとする敵であったなら、今頃二人の命が無かったことは語るべくもない事実である。痛みによって、敵の刃を受けることの恐ろしさは覚えなくてはならない。教えなくてはならないのだ。


 同時に、後衛のアルミナやキャルが傷つくということは、前衛を走っているユースとガンマが、後ろに立つ守るべき人を守りきれなかった結果も物語っている。この訓練によって、自らの力及ばなさを自覚して受け入れねばならないのは、そちらにも言えることである。


「ら、らいじょーぶ、です……立て、ます……」


 かすれた声で応えると、訓練が終わってへたり込んでいたアルミナは立ち上がる。キャルも呼吸が安定しないのか返事を声には出せなかったが、小さくうなずいて立ち上がってみせた。


 シリカほど過激な内容ではないものの、クロムの指揮する戦闘訓練とて楽なものではない。クロムはひと汗かいてさっぱりしたような顔で煙草を吸い始めているが、ユースもガンマも息絶え絶えで、水を飲まないと倒れるんじゃないかというぐらいに汗びっしょりだ。余裕ある上官と疲弊した部下の姿は、両者の力の差を如実に物語っているといえよう。


「おーい、メシにすんぞ。めんどくせぇが、俺が作ってやるからよ」


 一服終えて吸殻を握り潰すと、床に落ちた灰をクロムは入念に拭き取ってから、訓練場を後にした。


 訓練場内は本来禁煙である。シリカがいない今だからこそ、クロムも好き勝手やっている。






「ういっす。メシある?」


 昼食が出来上がる頃に、マグニスが帰ってきた。訓練に参加もせず、昼食だけはここで頂こうと図々しく帰って来るこの根性には、アルミナ辺りが心底あきれ返っている。


「適当に取って食え。大食らいの多い小隊だから、しこたま作ってある。メシは自分で入れろよ」


「お、マジであるんだ。んじゃ、いただきまーす」


 クロムの料理は典型的な質より量で、盛りつけもめんどくさい、皿に分けるのすらめんどくさいという彼の性格を象徴するかのように、野菜や肉を大量に炒めて、大きな皿にどかっと盛っただけ、あとはそれをおかずに各自勝手に飯を食えというスタイルだ。人数分の料理をしっかり用意するシリカやキャルの丁寧な料理とは、似ても似つかない。


 だから、不在だったマグニスのぶんの昼食もある。シリカだったら流石にこのケース、マグニスのぶんまで人数分、料理を用意していないだろう。キャルなら作ってくれるかもしれないが。


「お前朝からどこ行ってたんだよ。どっかいい遊び場見つけたか?」


「賭場にちょっと。朝のメンツは弱いから稼ぎ頃なんすわ」


 ポケットからサイコロを3つ出して、勝ってきましたというのをクロムに態度で示すマグニス。わざわざこんなものを常に持参していることからも、彼が遊び人気質であることがわかりやすい。


「旦那も今晩どうっすかね。いい場所いくつも見つけてあんだけど」


「騎士様を風俗に誘うな馬鹿野郎」


 マグニスの誘いをきっぱり断って低い声で笑うクロム。旦那、というのは、マグニスがクロムを呼ぶ時の愛称だ。


「マグニスさん、いい加減にして貰える? キャルの耳に毒だから」


 下品な話題に怒り心頭のアルミナが、相手の顔も見ずに目の前の食事に手をつけながら苦言を呈す。当のキャルは苦笑しているが。


「キャルはこんぐらいの話も平気だろ。お前がウブで嫌な顔してるだけじゃん」


「はいはい」


 マグニスの回答を、舌打ち寸前の口に食べ物を入れて聞き流すアルミナ。今日一日はもう、マグニスとは口を利かないと心に決めたと見える。


「新参のチータ君はどうよ? 遊び場には興味ねえの?」


 気真面目なユース、生粋の戦士気質のガンマにはこの手の話をあまりしなかったマグニスは、新しい顔にこの話題を振って試みている。チータの隣に座っていたユースは、話の流れから察するに、この話題にチータが乗るような予感がしなかった。


「盤棋はよくやりましたね、旅中で」


 別方向から切り返したチータにアルミナが、あんまりこの人に話を合わせちゃダメだって、と言わんばかりの目線を注ぐ。しかし時すでに遅し、マグニスがそのチータに食いついた。


「へえ、お前盤棋できんだ。後でちょっとやってみねえか?」


「いいですよ。昼過ぎにはダイアン法騎士様の所に行く予定がありますが、それまでなら」


 盤棋というのは、9×9マスに区切られた盤上の上で、20枚の駒をやりとりして勝負する、駒取り合戦の遊びだ。自軍の王を意味する『王』の駒を取られたら負け、その周囲に立つ『近衛』や『衛』、『勇』、『聖』、『法』、『騎』、『少』などある数々の駒を使い、相手の王を追い詰めて勝利するのが目的のゲームである。


 駒の名前は、エレム王国騎士団の騎士の階級にあやかってつけられている。それは盤棋という遊びが、そもそも古きエレム王国において生まれた文化であるためで、ここから世界に広まって愛される遊びということで、なかなかこの国においては歴史深いゲームなのだ。


「よし、メシ食ったらやってみようぜ。お前、どんなもんだか気になるし」


「ええ、わかりました」


 そして古来より、勝負事というのは常に賭けの道具には使われ得る。無表情でマグニスの誘いに乗ったチータだったが、その胸の内では何を企んでいるのやら。遊び相手が増えて機嫌よく昼食を腹に入れるマグニスを、細い目でちらりと見たチータの目つきを、見ないふりしてちゃんと見ていたクロム。少年魔導士の内面を、些細な動向から密かに見定める目ざとさは、他の誰にも劣らぬ観察眼だ。


 シリカがいないとなれば、マグニスはよく喋る。結局昼食時は、マグニスとガンマがよく口を動かして、機嫌を損ねたアルミナと元々寡黙なキャルが殆ど口を挟まない食卓となった。


 ユースは黙って場を眺めるクロムを見て、訝しげに感じていた。チータも曲者だろうし、マグニスも癖のある人間だとはわかっていたが、この人こそ一番掴めないのだから。マグニスとチータの間に初めての接点らしきものが見えた途端、クロムの目が何やら面白がるように笑ったのを見逃さなかったユースだったが、その真意を読み取ることまでは出来なかった。


 視野の広さでいい勝負が出来ても、目にしたものから深みを見抜けるかどうかは別物だ。人生経験の差というのは、そういう所で響いてくる。











 昼食を終えたアルミナが孤児院に行き、ガンマはクロムと共に街へ繰り出して行った。特に何かすべきことがあったわけでもないユースは、とりあえず訓練場で騎士剣の素振りをしていた。今頃マグニスとチータは、家の中で盤棋を打っているのだろう。


 昔はがむしゃらに、剣を縦に振るい続けたものだ。しかし今はシリカやクロムの指導や、実戦をかつてより多く積んだ経験から、多くの太刀筋をこの手に沁み込ませている。それをいざ実戦で自由自在に実行すべく、昨今の個人鍛練では様々な太刀筋を試みるようになった。


 横薙ぎの斬撃を放ち、敵がしゃがんで避けた場合はどうするか。どこからどの角度で反撃が来ても対応できるように剣を止められるか。敵が跳躍して避けた場合、すぐにそれを追えるか。空中で自由自在に動ける敵であったなら、愚直に追撃せずに守りに入るべきか。自主鍛練の際にも必ず左腕に装着した愛用の盾の動きもイメージしながら、目の前にいるはずの敵の動きをイメージのみで作って剣を振るい続ける。


 傍から見ただけではその目に何が映っているのかわからない、ユースだけの世界。個人鍛練中の自分には絶対に近付かないようにして欲しいと、小隊の仲間達にも常々言ってある。のめり込んだら周りが見えず、集中してしまう自分の性分もよくわかっているからだ。


「……ユース」


 そのユースに、やや離れた場所から小さな声で少女が呼びかける。自分の名を呼ばれたユースがふとそちらを見ると、そこにはひと汗かいた後といった風のキャルの姿があった。


「……すごい汗。水を飲まないと、体によくないよ」


「ん、ああ……ありがとう、キャル」


 大きめのコップに水を汲んできてくれたキャルに礼を言って、ユースはそれを受け取って飲み干す。はぁと生き返った心地で息をつくユースを、キャルがくすくすと笑って眺めている。


「……頑張り過ぎないようにね。体を壊しちゃ、意味がないから」


「あ、うん……」


 そう言ってキャルの小さな体が、とてとてとユースから離れていく。ユースは今の言葉をそっくりそのままキャルに返してやりたい気分になったが、流石に口にはしなかった。


 ユースから距離をおいたキャルは、自分の武器を持って自主鍛練を再開する。昼食後、食器などをアルミナと一緒に片付けたキャルは、一足先に自主鍛練を始めていたユースに一歩遅れる形で訓練場に来て、こちらも鍛練を重ねていたのだ。頑張り過ぎるな、というキャルの発言は、忌憚なく言えば、人のことを言えた口ではない。


 さっき顔を見た時は、ほどよくひと汗かいた後のような顔だったキャル。鍛錬を再開した彼女の顔にはすぐに汗がしたたり、ことあるたびに腰に巻いた絹で汗を拭っている。それを見たユースの目に映るのは、自身の向上を目指してひたむきに努力を重ねる少女の姿。


 こっちも水の一杯でも汲んで渡すのが礼儀なのかな、なんて考えながらその場に立ち尽くすユース。そう思うのならそうしておけばいいのに、実行に移れないのは彼の性格のせいだろうか。


「そんなだからお前モテねーんだよ」


 いきなり背後近くから声をかけられて、ユースがびくりと肩を跳ねさせる。振り返ればそこにいたのは、まるで駄目な弟を哀れむような目をしたマグニスだった。


「練習の邪魔しちゃ悪いだとか思ってんのか知らねえけど、疲れたところに一杯の水を持ってきてくれて、嫌な顔する女なんていねーだろ。考え過ぎなんだよ、お前は」


「……別に、マグニスさんには関係ないじゃないですか」


 考え過ぎ、と言われたことよりも、そんなだからお前は――と言われた部分のせいか、ユースはマグニスから目を逸らしてそう返した。女性と手を繋いだこともなくここまできてしまって、そこそこ気にしていただけに。


「いいよなー、頑張る女の子。キャルは可愛げもあるし、応援したくなるわ」


 遠回しに、シリカはそうじゃないと言わんばかりの発言。こうしてすかさず皮肉を挟んだりする辺りが、実に彼らしいといえば彼らしい。


「マグニスさん、チータとの盤棋はどうだったんですか?」


「いやー、負けたわ。あと一歩だったんだがな。あいつ強えわ」


 悔しー、とばかりに掌と拳を叩き合わせてその想いを表に見せてくる。その様子だと単に負けたわけじゃなく、しっかり金銭を賭けて勝負した上で負けたと見える。


「あいつ多分、賭け勝負慣れしてるな。旅暮らしの中でも盤棋してたって聞いた時点で、そんな気は薄々してたんだけどなぁ。侮っちまったなぁ」


 そう言ってマグニスは、さっきまでの悔しげな顔はどこに行ったのやら、明るく笑って見せる。強がりには見えないし、遊び相手が増えて嬉しいんだろうなとユースは思うことにした。盤棋でマグニスの相手が出来る者といえば、第14小隊にはシリカとクロムしかいなかったからだ。


「お前もなんか遊びを憶えて接待してくれよ。先輩だぞ、俺」


 鬱陶しい絡み方を敢えて振ってくるのは冗談ゆえとわかっているが、そう言われても困る。ユースは時間が空いたら、自主鍛練に使いたいタイプだからだ。特に、マグニスが誘ってくるような遊びは、盤棋はまあともかくとしても、女遊びや酒や博打など、ユースとはわかりやすく性に合わないものばかりだから。


 まあ、機会があれば――と苦笑して返すユースを見てマグニスは、はーぁと溜め息一つ。


「ちょっとは遊び心持たねえと、つまんねえ人間になっちまうぞ、割とマジで。シリカ見てみろよ」


 公然と上官を貶すマグニスに、ユースも思わずおいおいと思わなくもなかったが、その表情を見越した上でマグニスは話を続ける。


「だってそうだろ。あんだけ顔も体も良くって要素揃ってんのに、23にもなって未だに彼氏の一人も作ったことねえって、マジ何事よって感じ。本人にゃ考えあってのあの振る舞いなんだろうけど、あれじゃあ売れ残ること間違いねえってもんだろ」


 ユースは反論できなかった。昔々、アルミナがシリカに、キスとかしたことありますか、とお気軽な話題を振った時、長々と妙な返答を返してはぐらかしていた場面に立ち会ったことがある。目だってかつてないぐらい泳いでいたし、男性経験ゼロなのは態度からわかるレベルで知っている。


「華があるのも今のうちだけだからなぁ。年食って、貰い手も見つからなくなった頃になってから後悔すんのはあいつだってのに。だから俺はずっとあいつに、もっと肩の力抜いて遊びを憶えろって言ってんだけどねぇ」


 マグニスなりに真剣にシリカのことを案じているのは伝わるし、それはユースにもわかっている。ただ一つ気になることがあるとすれば、


「それは自分の都合も明らかに入ってますよね」


「んー? そりゃそうだろ。上司にゃ堅物じゃなく、もうちょっと柔らかくなって貰わなきゃ疲れる」


 マグニスは予想していた突っ込みに対してけらけらと笑った。何か企んでる人間というものは甘いことを囁きながら近づいて来るものだ、というのは、マグニスとの長年の付き合いで、ユースが自然と学び取った教訓である。


「でもま、お前もあんま人のことは言えないけど」


「俺は別に……」


「そうか? 例えば、40にもなったオバサンが、私は男とかどうでもいいの仕事に生きるの、なんて力説して生きてたら、生き様の立派さはさておいて、お前ときめくか? 主に性的な意味で」


 性的な意味で、と言われたら返答に困る。言葉を選ぼうとしたユースに、マグニスが追い打ち。


「剣の道に生きようとするのは結構だが、お前そのまま40ぐらいまでそのまま貫いて、女とかどーでもいいんだ、って生き方してて、女が振り向いてくれんのかね」


 ひとつ前の例え話が強烈な伏線になって、今の自分に襲いかかった。一瞬、それぐらいの年まで彼女の一人も出来ないまま進んで、気がついたら――なんていう自分を想像して、鳥肌が立つ。


「ちょっとぐらい肩の力抜けって。シリカにもお前にも共通した話だけどな」


 訓練場で堂々と煙草に火をつけて一服するマグニスに突っ込む余裕もなく、ユースは割と真剣にへこんだ表情で騎士剣を眺めていた。いや、立派な騎士を目指して頑張る今の生き方が間違っているとまでは、絶対に、決して、思わないけれど。


 でも、それでも、ちょっとそれは。


 二十歳前の思春期の少年にとって、死活問題とさえ思えるような重大な危機感。若いねぇ、と、ユースと3つしか変わらないプレイボーイが、対岸の火事を眺めるような目でその様を眺めていた。











「チェックメイト」


「ありゃりゃー、負けたか。君、強いねぇ」


 騎士館のダイアン法騎士のもとを訪れたチータは、ここでも盤棋に付き合わされていた。世間話からチータが盤棋を打てるという事実が漏れれば、それに対するダイアンの食いつきも中々のものだった。


 先輩魔法使いに教えを請いに来たはずのチータだったが、こうした時間もチータにとっては前向きに捉えられるものだった。魔法を極めるにあたって重要なのは知識を深めるだけでなく、人と触れ合い人間を知ることも重要だからだ。盤棋を打って、相手の打ち筋から、こんな人間もいるのだと経験から見識を深めることは、魔法を極めるにあたっていい経験にはなる。


「君の小隊にも、盤棋を打てる青年が一人いたよね。彼とはもう対局したかい?」


「ええ、まあ」


「どうだった? その強さなら、勝てたんじゃないの?」


 実際、勝った。だが、チータはその返答をする前に、敢えて少しの間を置く。


「……僅差でしたね。勝ちましたが」


「勝ったと言う割には浮かない顔だね。圧勝しなきゃ満足できないタイプ?」


 チータは、もしかしてこの人はわかってて聞いてきてるんじゃないかと一瞬思ったが、とりあえずここは事実を事実として言葉を繋げる。


「相手が明らかに本気を出していませんでしたから。一局目は初顔合わせということもあって、こちらも気軽に打ちましたが、二局目も恐らく本気じゃなかった。お金を賭ければ本気を出すかと踏んでいたのですが」


 僅差の勝利を、マグニスが敢えてそうした演出だとチータは推測している。対局中、怪訝に思って敢えて僅かな悪手を打っても、その隙に気付いていながら敢えて見ないふりをしていたように見えた、とチータはその後に繋げる。


「僅差を作り、わざと負ける、か。考え過ぎじゃないのかなぁ。お金が懸かった真剣勝負で、彼がそんなことをするメリットがわからないよ」


 これは白々しい、とチータは無意識に感じた。ダイアンとも一局打ってみてチータが感じた印象は、ダイアンは他人を騙して化かす狐のような考え方が出来る人物だというもの。


「こつこつ相手に勝ちの味を覚えさせて、相手が浮き足立った頃に相場を上げ、足をすくって元手を回収する。あの人がやろうとしているのはそんなところじゃないですかね」


 チータはダイアンの目を見据えてそう言った。多分それがわからないあなたじゃないですよね、と眼差しで釘を刺しながらの発言だ。


 ダイアンは一切、朗らかな表情を崩さない。目で語りかけたチータの言葉に、はいともいいえとも明確に答えを導き出せない表情を、一貫している。


「なるほど、一理ある。君もそういう考え方に思い至れる辺り、侮れない人物のようだね」


 このタイミングで妙なお世辞。チータの目には今はっきりと、目の前の人物の方がマグニス以上に侮れなく映った。


「……あなたはどうなんですかね」


 今の対局で、明らかに底を見せない打ち方をして見せた上で、マグニスと同じく"僅差で負けてみせた"ダイアンに、チータは勝負手に近い切り込みを口にする。この日、最後の駆け引きだ。


 ダイアンは表情を変えない。むしろほんの少し、機嫌が良くなったかのように見える。


「賭け盤棋、僕と打ってみるかい?」


 その言葉を放った時、ダイアンの背中から漏れた言い知れぬ瘴気。なるほど、彼を見定めた自分の見方は間違っていなかったと、チータはここで納得して矛を収める。


「結構です。勝算が見えてからこそ戦うのが、戦というものでしょう?」


「そうだね」


 旧友との世間話を楽しむような笑顔を浮かべて、二人は今の話題を締め括った。


 つくづく、シリカ隊長はいい人間を紹介してくれたものだと、チータは腹の底で満足する。そんな彼の想いとまるで同調するかのように、ダイアンもその瞳の奥に、この上ない満足感を宿していた。

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