第216話 ~ラエルカン城の決戦③ 危地転じて好機と為せ~
魔将軍エルドルが城から飛び出してから僅か5分。ラエルカンが都として活きていた頃には、城に仕える上層兵などの過ごす宿舎が集まっていた城下が、火の海一色と化している。業火に焼かれて息絶えた者は人類の兵もそうだが、巻き込まれた魔物もそれと同じぐらい多い。
空に現れたエルドルが放ったのは煉獄の風。駆ける場所に可燃物あらば炎を纏わせる熱風を広範囲に拡散、それでまず城下いっぱいを熱気で満たす。この時点で熱風にやられて傷ついた魔物も多く、エルドルの降臨に気が付いていた賢しい魔物だけは、数秒後を予見したこの時点で城周辺からは逃げ出している。人類の多くも、各地に散る魔導士による魔力障壁で、まだ致命的な傷を負う者は少なかった。
次にエルドルが放ったのは紅蓮地獄。翼をはためかせれば普通は風が生じる、それがただの熱風どころか赤々と燃える炎を放つエルドルが、地上いっぱいを炎で満たした。この時点で亡国に残っていた枯れ木の数々も燃え盛り、魔導士達の作った障壁の範囲外にあった者達が焼かれ、燃料代わりに火柱の種になる。逃げ切れずに炎に呑まれた魔物も同様だ。
さらに目についた魔導士どもを上空から見下ろし、高圧炎の魔法を数度発現。空に開いた風の魔力の発射口は、地上に立つ人間に、超高圧の炎を真上から滝のように落とすのだ。魔将軍エルドルの二連続魔法をなんとか凌いでいた魔導士達も、一点集中の高気圧火炎を落とされては障壁を突き破られ、人としての肉体をあっという間に炭に変えられてしまう。それに伴い、術者を失った魔法障壁も消え、なおも紅蓮地獄の業火に焼かれる犠牲者がさらに増える。
極めつけ、ラエルカン城門上空に身を置いたエルドルが、自らを軸とする竜巻のような風を生じさせる。それもまた、火と風を司るエルドルよろしく炎の竜巻。厄災の奥義、火焔潮流をエルドルが完全発動させたその瞬間、炎の渦は一気に径を広げ、重ねられた魔法で熱気と炎に満ちた城下と相乗し、一気に地上を広く焼き尽くした。
合図の一つも配下に送らず、敵も味方もお構いなしの大魔法の連発。まるでこの世の終わりを体現したかのように、熱気と言うにも生易しい、火と炎と黒煙に満ちたラエルカン城下の真ん中、魔将軍エルドルは大きく鼻息をつく。短時間で数百の死体を生み出した魔将軍は、ひと呼吸を置くと同時に接近する何者かの気配を察し、首と体をぐるりとその方向に向ける。
高空からエルドルを見定め、封魔聖剣の魔力纏いし騎士剣を振り下ろす勇騎士。エルドルの頭から股下までを、真っ二つにしていたのではないかと思えるほどの全力斬りは、エルドルの爪先によって右方にはじき返される。そのパワーを受けきったエルドルの怪力も特筆点だが、それだけの反撃を剣に受けても剣を落とさず、払われるままの方向に身を流し、宙を蹴って体勢を整えるベルセリウスも流石。この中で最も大きく光っていたのは、ベルセリウスの剣に纏われた封魔聖剣だろう。
あらゆる魔法や物理的な力、我が身を滅ぼそうとする力を、剣に衝突した瞬間にイーブンに抑えてしまう封魔聖剣の魔力は、何年もベルセリウスの命を救ってきた。獄獣との殴り合いも、アーヴェルの壊滅的な魔法も、そして城下いっぱいに広がる炎でさえ、ベルセリウスが剣を振った瞬間、裂かれてエルドルへの無炎無風の空間を明け渡す。勇者ベルセリウスの剣は武器であると同時、剣の形をした盾でもある。守備力に秀でた師匠の教えが、実によく反映されている。
「エルドル……!」
「生意気な人間風情が……!」
冷静な表情、瞳にだけ燃え滾る怒りを宿し、炎の海が裂けた道を駆け抜けるベルセリウス。友軍の人間を数多く焼き払われた勇者の憤慨と、自らに刃向かう人間への憎悪で満ちた魔将軍が衝突する後方、ベルセリウスの駆けた跡が周囲の炎に呑まれてまた火の海になる。
ベルセリウスの一見単調な薙ぎ払い。エルドルでさえ反応がコンマ一秒遅れたのは、剣を振るう直前に目線を揺らがせてフェイクをかけたからだ。それでもその剣を爪先ではじき落とすと同時、逆の手でベルセリウスの鼻を削ぐ、最小の弧を描いた爪の一撃をエルドルが返してくる。人間の肉体など、エルドルのパワーで振るう爪なら、浅い当たりでも充分に致命傷になる。一撃一撃が緻密なベルセリウスに対し、エルドルも図体に似合わず精密な白兵戦をこなすことが出来る。
自分に逆らう人間の目がともかく気に入らず、豪快に掌で潰すだとか足で踏み潰すだとか、無残な即死をもたらすことを本来好むエルドル。そうせず合理性を重視して戦っているのも、敵対するベルセリウスの実力が、僅かな隙を与えれば致命傷に繋がるものだと本能でわかるからだ。振り上げた剣は的確にエルドルの顎元手前をかすめ、身を逸らしたエルドルは無駄な回避を強いられる。その体勢の変容が素早い反撃を行なわせず、追撃するベルセリウスの剣がすぐに迫ってくる。大腿を狙った一撃を爪ではじくのは容易だが、持ち前の反射神経がなければ追いついていないはず。部下では勝負にならないものだと、嫌でもわかってしまう。
息を吸う。ベルセリウスが一歩踏み出しかけたのと同時、後方に跳び退くエルドル。先手の回避を為したエルドルの動きの方が早く、重心が前に傾いていたベルセリウスに、エルドルはその口から燃え盛る火炎を吹き付ける。だが、目の前が突然炎でいっぱいになっても、数瞬後に予定していた前進をベルセリウスは打ち切らず、その炎を切り裂いて道を拓いてエルドルに差し迫る。
視界を阻む炎が目の前から取り払われた瞬間、エルドルはすぐ近くにいる。大きくバックステップした直後、炎を吹きながら一歩踏み出していたのだ。エルドルが大爪を突き出し、巨大な槍のようにしてベルセリウスの胸元を突き貫こうとしてくる。視界を防がれ、炎の幕が取り払われた瞬間、敵が残像より前にいるという手品を前に、ベルセリウス以外の者ならばなすすべなく心臓を貫かれている。
衝突寸前、その爪を下から騎士剣で叩き上げたベルセリウスは、同時に身を沈めてエルドルの腕の下に潜り込むように接近。互いに踏み出している状況、距離がゼロに近付くのもほぼ一瞬。素早いベルセリウスの騎士剣が、攻撃直後のエルドルの足めがけて薙がれ、エルドルもまた瞬時察した危機に、跳躍とともに斬撃を跳び越える。
その動きを見受けてから、騎士剣の軌道を上ずらせて少しでも届かせようとするベルセリウスだから侮れない。エルドルの足首を僅かに傷つけただけだったが、それでもゼロでないダメージは後々に響き得る。ベルセリウスの後方に着地したエルドルが、その瞬間に歯を食いしばったのは、傷つけられた怒り以上に痛みのせいもあるだろう。
ベルセリウスの剣技には派手さが無い。言い表すならば、基本に忠実かつ変幻自在な、先人が遺した剣術の理想形というだけであり、見て勉強になることはあっても面白いものではない。それを極限まで極め、封魔聖剣というカードを携え、敵に力負けせずに対等に戦える条件まで持っていった時、最強の騎士という形が出来上がる。理屈ではわかっても、対峙した者にしかわからない、真の強さがここにある。初めて戦うベルセリウスとエルドルだが、エルドルもようやく本当の意味で、獄獣ディルエラがベルセリウスに敗れた理由が実感できた。
「紅蓮地獄……!」
翼を使わず、右掌に乗せた水をばらまくかの如く、ベルセリウスに向けて炎を発するエルドル。規模はそれどころではない。まるで炎の壁が眼前から迫ってくるような、大規模なる炎の猛襲は、正面からそれに立ち向かったベルセリウスの果敢さをかえって際立たせる。
攻め気でいるのはベルセリウスだけではない。距離を詰めるどころか、炎の壁を切り裂いたベルセリウスへと猛進するエルドルは、頭からベルセリウスを叩き潰さんばかりの左掌を振り下ろす。無駄の多い動きは怒り任せの攻撃ではない。身を左に逃がしたベルセリウスの足元から、金棒のように振り上げられたのは、魔将軍エルドルの前蹴りだ。
目線を上下に揺さぶられながらも、エルドルの足を、騎士剣を盾にするように横に構え、食い止めるベルセリウス。封魔聖剣の魔力は、エルドルのパワーを封じ込める。しかし剣の刃はエルドルの足に僅か食い込むのみで、通らない。やはり攻め気で剣を振るわねば、切れ味の鋭い刃でも怪物の皮膚を裂くには至れない。
食い止めたのもごく一瞬のことで、すぐさまベルセリウスが体を横に跳ばせていなければ、エルドルの左手と右脚が、ベルセリウスを前後から挟む形になっていただろう。蝿を叩き損ねたかのように、自らの掌で自らの足首を叩くことになったエルドル。地面を転がって立ち上がるベルセリウスは、焼けた地面の高熱に表情を歪めている。
先に動いたのはエルドル。右の回し蹴りを放つようにしてベルセリウスの頭を打ち抜こうとするが、冷静にベルセリウスは低く身をかがめて回避。ベルセリウスが踏み出そうとした瞬間には、一瞬背中を向けたエルドルが、左脚を振り上げる形でベルセリウスを蹴り上げようとしている。ベルセリウスも一歩退がるしかない。そしてベルセリウスがもう一度前進しようとする頃には、既に素早く向き直ったエルドルが、紅蓮地獄による炎を投げつけてくる。
今度は炎の壁が低く、高いエルドルの目線からベルセリウスの位置が筒抜けだ。目の前の炎の壁を切り裂いたはいいが、同時に前方やや高所から迫る、エルドルの口から放たれた火球弾の連発がつらい。子供一人まるまる飲み込めるような大きな火球、それが一秒に何発も不規則に飛来する光景は、魔将軍と呼ばれた者の、魔力の底知れなさの象徴だ。
自らに着弾しそうな、あるいは近しい火球だけを切り裂いて対処するベルセリウスだが、彼に当たらぬ火球も、地面に当たれば爆発して火柱と熱風を生む。致命的着弾を受けずとも、周囲が火に満ちる環境は、人間の肉体にとっては肌を焼く苛烈なもの。暑さから熱さへ、熱さから痛みへ。周りに立ち上る大きな火柱の数々が、触れずして勇騎士の全身を痛めつけてくる。
「く……っ!」
限度を感じたベルセリウスは、騎士剣を自分の斜め前方から、270度の回転斬りを演じる形で、周囲の炎を切り払う。魔力によって燃え盛っていた炎が、その一閃で断ち切られ、ベルセリウスを取り巻いていた魔力による熱気をも一時的に振り払う。こうでもしなければ、熱気だけで全身を火傷まみれにされていた。
エルドルに立ち向かうベルセリウスだが、首を狙った騎士剣をエルドルは的確にはじき返す。追撃が来る前に、至近距離でも口から火を吹いて反撃だ。それに怯まず、顔面ごと炎を切り裂かんとする果敢な一太刀も、読みきっていたエルドルのバックステップによって回避される。退かせたのではない、誘われた攻撃で次の一手を遅らされ、予定どおりの動きを経たエルドルが先攻権を握っている。
再び紅蓮地獄による炎を撒き散らすエルドルだが、今度は散乱する炎でベルセリウスの周囲を取り囲むようにし、炎の壁で敵を捕えるかのような形。壁内も狭く、熱気もそれだけ凄まじい。だが、ベルセリウスの頭上に作られた炎の開口は、捕われたままの勇騎士を葬るための殺意。
「高圧炎!」
頭上から、滝のように凄まじい勢いで降り注ぐ炎の塊に、ベルセリウスは前方の炎を切り拓いて道を作り、素早く脱出。ついさっきまで自分の立っていた場所が、赤に染まって塵も残らぬ死の空間になった光景を背負い、そのままエルドルへの攻勢に移っていく。
だが、完全に悪い流れだ。近距離戦では背負うリスクが大きいと見たエルドルは、接近戦に持ち込もうとするベルセリウスの攻撃を、いなしてはじくことに専念する。反撃してこない。反撃してくるのであれば、その隙を突くことこそベルセリウスの真髄であるというのに、近距離戦において防御に専念し始めたエルドルは突き崩せない。
ほんの少しベルセリウスから体を離せば、全身どこからでも生じさせられる炎で、ベルセリウスを焼こうとしてくる。吐く炎ひとつで充分だ。ベルセリウスはその炎を裂いて対処するしかない。その瞬間に距離を作り、中距離からの魔法攻撃で弱らせる、という戦い方をエルドルが選んでいる。そして距離を作られると、騎士剣以外の攻撃手段を持たないベルセリウスは、決定打を届かせる手段もない。
決め手を見出せないベルセリウス、じわじわと敵の体力と魔力を削ぐエルドル。ここまででも長き戦い、封魔聖剣を顕現させられる魔力があとどれぐらい練り出せるのか。対するエルドルの魔力は無尽蔵で知られ、あと何時間も同じ展開が続いてもこちらは困らないだろう。拮抗したように見えて、状況は完全にベルセリウスの劣勢だ。魔物の親玉を相手にして、前進のない持久戦に持ち込まれた時点で、それは負け戦である。
もう一押しがあれば。それを意識せずにはいられないベルセリウスの前、容赦なき火球の連続発射を口から放つエルドル。火球を切り裂き前進せざるを得ない。魔力と体力はいつまで保つだろう。エルドルの足を狙った一撃は爪によってはじかれ、頭上から吹き付けられる炎を返す刃で切り裂く。防衛を強いられる。
気後れしかけた気配を見逃さないエルドルの、剛腕による反撃がこの時返ってきた。金棒のように太く長い腕による、当たれば即死の一撃だ。食い止めても腕は曲がる、撒きつけられて捕まったら終わりだ。ベルセリウスは退がるしかなく、差し戻された展開に表情を歪める。周囲が燃え盛る熱気も、ベルセリウスの体力を削ぎ落としていく猛毒だ。
「……ぬぅ!」
再びエルドルがベルセリウスの方向へ、紅蓮地獄の炎を撒き散らそうとした時のことだ。魔将軍の背後から弾丸のように差し迫った何者かは、エルドルの後頭部目がけてその長い武器を振りかぶる。焦熱に満ちたこの空間に舞い込んだ何者か、その気配を察したエルドルは、身を捻りながら裏の拳を振る形で、後頭部を貫こうとした何者かの刃を殴り逸らす。
その重さたるや。全力で殴りつけ、武器ごと粉砕してやろうと思ったエルドルが、拳が武器に当たった瞬間に頭を逃がし、武器を粉砕しきれない結果に至った。なぜなら突き出された槍の先を殴った時、その武器の直線慣性は止まりきらず、エルドルの頭を貫くのではと予感したからだ。
槍を握った何者かに対し、振り返りざまにエルドルは火を吹いて焼き払おうとする。何者かは後方に勢いよく跳び離れ、着地と同時にくわえていた煙草をつまみ、口から離すと煙を吐く。最先陣を勇騎士ベルセリウスとその周囲の騎士達に一存し、無数の魔物をこの地で葬ってきたその人物は、後方の魔物達を掃伐した末、ようやくここに辿り着いたのだ。そしてラエルカン城が崩壊し、火の海が城下に広がった光景を前にして、周りが止める声も聞かずに飛び込んできた唯一。
「魔将軍様に火を貰えるとは光栄だな」
エルドルの脳裏に蘇る、一度命を失ったあの時に居合わせた者の顔。歳月がいくらか人の顔を変えているが、屈強な体つきといい得物の槍といい、一度自分を殺した人間達の顔を、再びこの世に生を預かった今忘れるはずがない。
騎士クロムナードは煙草を指先ではじき、離れた位置に立つ勇騎士ベルセリウスに小さく会釈。すでにジャケットを脱ぎ捨て、タンクトップ一枚の上半身は汗だくだ。熱と炎と煙に満ち溢れた、灼熱地獄の中に身を投じたクロムは、大悪魔相応の姿をした魔将軍を相手に槍を構える。
その目にたじろぎは一切なく、勝利以外の何をも見据えていない目だ。エルドルが最も嫌う、人間の眼差しである。
「寝る時間だぜ、山羊親分。人生は一度で充分だ」
「その口を閉じて骸となれ! 煉獄の風!」
頭上から両腕を振り下ろしたエルドルの動きに伴い、魔将軍を中心に発生する凄まじき熱風。自らを襲う風を切り裂いたベルセリウスの一方、クロムは迫る炎の風をも恐れぬかの如く前進する。最速の蹴り出しで銃弾のように駆けたクロムは、押し返す熱風をもものともせず、近き距離でエルドルと、目線の火花を一瞬散らせた。
たった一兵の投入で戦況ががらりと変わるというのは、戦の歴史を洗えばそれなりに多いことだ。それを叶えられる一騎当千が、両陣営の計算された策の上で適時投入されるからであり、大きな合戦では必ずどこかで、そういった逆転劇が意図的に引き起こされ得る。とはいえ両軍、一兵に至るまでそれなりの実力者を揃えてあるものであり、そこに単体の駒一つ投入するだけで戦況を描き変えるような実力者は、そう多くない。数が限られているから使い所が非常に重要なのだ。
そうした大駒が最適の時と所で友軍に味方すれば、流れは一気に手繰り寄せられる。第11大隊の後方を強襲する魔物達の輪に乱入したマナガルムの暴れぶりは、魔王軍の尖兵を兎呼ばわりするだけあり、差し向けられる怪物の攻撃をものともしない。斜め後方から飛来するヒルギガースの鉄分銅を後ろ足で蹴り上げ、四方八方から自らに放たれるガーゴイルの火球を、咆哮と共に魔力を発し、地表から噴き出した水柱で防ぎおおす。真空の刃による攻撃が注視されがちで、水の魔法による防御手段が忘れられがちなサイコウルフという魔物がいるが、マナガルムはその上位種だ。体格も魔力もそれらを遥かに上回る。
真正面から自らの頭目がけて斧を振り下ろしてくる、大柄のミノタウロスにも全く怯まない。大口と牙で白刃取りのように斧の側面を噛み止め、屈強な首の力でミノタウロスの手元から斧を取り上げざま、空のガーゴイルに向けてその斧を投げつける始末。その斧が魔物の体を真っ二つにしたのとほぼ同時、マナガルムの背に跨る射手が、力ずくで斧を奪われてよろめいたミノタウロスの額を、矢で貫いて致命傷を与えている。
獅子のような巨大な体格であってなお、その機動性にも富むマナガルムは、大地ひと蹴りで別角度のガーゴイルに飛びかかっている。大口が迫ることに身を逃そうとしたガーゴイルを、前脚を伸ばして逃がさない。殴るように肉級で捕まえると、落下しながら低空のジェスターへと喉の奥から真空の刃を発射。ジェスターの肉体がそれによって二つに割られるのと、別方向に放たれるキャルの矢が地上のワータイガーの脳天を撃ち抜くのと、着地したマナガルムの前脚がガーゴイルの肉体を踏み潰して粉砕するのがほぼ同時。
駆け出したマナガルムに真っ向から鉄分銅を投げつける、二体並びのヒルギガースに対しても、自らの頭を狙った弾丸を、前方に速く低く跳ぶことで回避。手に持つ錨で迎撃しようとする敵より早く、キャルが放つ矢がヒルギガース一体の眼球を撃ち抜いてしまう。一瞬それで共々怯んでしまったヒルギガースは、片やマナガルムに頭を一瞬で噛み砕かれ、目を射抜かれたヒルギガースはマナガルムの前足で押し倒され、胸の奥にある心臓ごと肉体を踏み潰されてしまう。
魔法には魔法を返し、多角からの攻撃も四本の足で対処、さらには背中に独立した意志を持つ必中射手を味方につけたマナガルムは、友軍の畏れを買うほどに敵無しだ。魔物達も、なんとかこのマナガルムを抑えようとするが、敵の意識がマナガルムに偏れば、周囲の兵もどれだけ動きやすいか。元より後衛、射手や魔導士にというカードを持つ第11大隊の精鋭達は、足並みを崩した魔物達を的確に打ち崩す。マナガルムとキャルを中心に、兵力の消耗著しいはずの第11大隊が、数で勝るはずの魔物達を圧倒する。
(外界の魔物達も腑抜けたものだ……!)
太古に滅び、魔界と化したアルボルにて、幾千年の時を生き永らえてきたマナガルム。咆哮より放つ風の砲撃で上空のネビロスを撃ち抜くと、戦場狭しと跋扈して次々魔物を葬っていく。それによって動きが乱れる魔物達を、的確な一射で一体ずつ仕留めていくキャルの腕が駄目押しだ。周囲から集ってくる魔物の援軍がいくら重なって来ようとも、今の友軍には敗北の二文字が予感できない。
勝利を我が手に。崩れかけていた第11大隊は、苦境の中で祈るように望んでいた未来を、目の前に見えたものと認識してさらに勢いを増していく。
「ユース!」
友軍魔導士の援護射撃に助けられながら、一体のワーウルフと渡り合っていたユースの目の前、上空から脳天を銃弾で撃ち抜かれた魔物がのけ反る。突然のことに何が起こったのか、周囲もユースも一瞬状況を計りかねたが、明確な隙を見たユースの伸ばした騎士剣が、すぐにワーウルフの首を刎ね飛ばす。
「キャル来てくれたよ! もう後ろは大丈夫!」
「マナガルムは私が呼んだのよー! ほらアルミナ、私を褒めて褒めて!」
「ありがとう! 愛してる!」
一度ユースの横に降り立ったアルミナは、好転した状況を確信させる言葉を最速で放つ。そのまま別の傭兵に襲い掛かっていたワータイガーの頭を、横から銃で撃ち抜くのだから、駆けつけてから状況を把握して、行動するまでが本当に早い。胸元でアルミナを高揚させようと明るい声を放ったベラドンナに、相手が顔を赤くするような言葉まで返してだ。
「こっちどうなってる!? 方針は!?」
「――どこかに敵の頭がいるはずなんだ。それを倒してこの集団を無力化、する……っ!」
法騎士エミューに導かれる第11大隊前列の作戦を口にした折、飛びかかってきたドラゴンナイトの剣を盾でかち上げるユース。アルミナと魔物の間に自分の体を差し込み、後衛を守るのが当たり前のように沁みついた動きだ。わかっているからアルミナもすぐさま身をずらし、ユースの後ろからドラゴンナイトの鼻先を、銃弾で吹っ飛ばす。
ユースの剣先がドラゴンナイトの喉元をかっさばき、後方魔導士の火球が魔物にとどめを刺したことを身受け、さらにユースも前進する。指揮官エミューは僅か前でグラシャラボラスと一騎打ちの真っ只中。優雅の翼をはためかせ、駆けながら地を蹴ったアルミナの体は宙を舞い、ユースに続いて低空を滑っていく。
喉元狙って振るわれる法騎士エミューの薙刀を、手首の腕輪ではじいた直後、接近してくる空中のアルミナに鉄分銅を投げてくる、グラシャラボラスの視野の広さが恐ろしい。咄嗟に旋回飛行してかわすアルミナだが、石壁をも砕く鉄分銅が風を切るのを肌で感じた瞬間には、全身から汗がぶわっと噴き出す。
そうしたグラシャラボラスの気の逸れを見逃さないエミューの薙刀が、グラシャラボラスの腕を断つ軌道を描く。素早く後方に跳んでかわしたグラシャラボラスだが、エミューを追い抜きグラシャラボラスに急接近する騎士がいる。ほぼ虚を突いた加速で迫るユースに対しても、グラシャラボラスは地表近くから急上昇する回し蹴りを、まるで相手の体を殴り上げるかのように放ってくる。
「英雄の双腕!」
直撃寸前、急ブレーキとほぼ同時に身をかがめるユース。まだ当たる。正面から鐘突きのように迫るグラシャラボラスの足裏を、盾で上へと一気に叩き上げるのだ。自身の想定よりも足を跳ね上げられたことに、明らかに体勢を崩しかけたグラシャラボラスだが、歴戦の魔物の平衡感覚は直ちに迎撃体勢を整える。迫る法騎士エミューの姿もしっかり視界に入れている。
エミューの顔面目がけて鉄分銅を投げるグラシャラボラスと、真横盲点から銃弾を放つアルミナがほぼ同時。エミューの回避した鉄分銅が地面を打ち砕いたのと、アルミナの銃弾がグラシャラボラスの首元に突き刺さったのもほぼ同時だ。エミューないしユースに対する反撃が一手遅れたグラシャラボラスの手を、エミューの薙刀の切っ先が、手首から下を一太刀に切り落とす。屈強な怪物の筋肉を断ち切りやすい武器でもなかろうに、流石に法騎士の腕は武器の力をも最大限引き出すものだ。
そうして意識がエミューに傾いた瞬間には、すでにユースがグラシャラボラスの頭部へと跳躍している。魔物の額に斜め横から騎士剣を降り抜き、目の上からの頭をこそぎ落とす一閃は間違いなく致命傷。それでもユースの接近に気付きかけていたグラシャラボラスの片腕は、騎士への反撃行動をぎりぎり実現させようとしている。それすらも、グラシャラボラスの後方低空へ回ったアルミナが、後頭部を銃弾で一手早く撃ち抜くことによって阻害している。
ユースがグラシャラボラスの体を蹴って着地する頃、よろめきながらも倒れずいたグラシャラボラスであったが、エミューの薙刀が喉元を突き刺して押し通す一撃で、一気に後ろに倒れた。致命傷を負ってなお背中に地面をつけてしまえば、もう立ち上がることは出来ないだろう。人外なる生命力ゆえ絶命までには至っていないが、完全なる無力化には成功だ。それでいい。
「この先だ! 敵の動きは……」
グラシャラボラスのような大怪物が壁のようにそびえ、その周囲はワーウルフやダークメイジによって固められた、魔物にとっては城の内壁のような布陣。エミュー率いる歴戦の戦士達によって、それらも今や死体の数々となって横に転がっているが、ここが魔物の指揮官を守る最後の壁であることは想像がつく。
それを説こうとしたエミューの側面から飛来する、太き破壊の怪光線。ユースとエミューをともども貫こうとした光線は、敏感な二人の回避によって着弾はしなかったものの、近くの廃墟に着弾して大爆発を起こす。
敵軍大部隊を率いる指揮官まで近付いていようのに、ここに来て、大鷲の翼と蠍の尾を持つ獅子の怪物、マンティコアの推参だ。その大口から放つ破壊光線の威力を知るエミューも、歯ぎしりしたい想いを封じてマンティコアに向き直るが、その口から放たれる指令はユース達の予想と真逆。
「行け! この先だ! こいつは私が抑える!!」
薙刀の先で進むべき道を指し示すと、マンティコアに向けて単身駆け出すエミュー。ユースやアルミナは勿論、周囲の兵もその危険な旅路には不安がよぎるものだ。だが、いの一番に駆け出したユースに続き、第11大隊最前列を張っていた兵の数々が、エミューを置き去りに亡国の大通りを駆けていく。
マンティコアのような化け物に対抗出来るのはエミューしかおらず、これの討伐に総力を挙げて時間をかければ、敵の布陣も柔軟に形を変える時間が生じてしまう。敵軍の無力化が急がれる第11大隊最前陣の動きとして、最強の兵であるエミューがマンティコアが相手取り、他精鋭で敵の頭を討つのも妙手である。敵次第では相当な賭けになるが、その決断を踏み出したエミューの決断力は素早かった。
その背を押したのも、ここまで生き延びた強き部下達の存在だ。敵将を討つのが指揮官である必要は全くなく、力を合わせればそれが出来るだけの力がある部下達だと、エミューも肌で感じてきた。マンティコアの鼻先を薙刀でかすめ、機敏なマンティコアの前脚を避け、自在なる鞭のように襲い掛かる毒針つきの尻尾を打ち返すエミューは、今完全にマンティコアとの一戦に集中する。
「空軍からこの先に魔物の集いがあるとの報告! 第52区画に向けて突き進むぞ!」
「空は我々に任せろ! 地上の砦を打ち破れ!」
指揮官なし。第11大隊とそれに与する、法騎士を失った兵の数々が、ラエルカンの大地を駆け抜ける。僅かに残った高騎士や上騎士、ルオスの尉官に当たる魔導士達の力強い声が、指揮を振るえない者達を引っ張り、あるいは背を押す形で結束する。明確に一人指揮官を定めたわけでもないのに、船頭多くして船山に登るように情報が混乱しないのも、ここまでの長き戦いで息を合わせてきた賜物だろうか。
誰かが前で手を引いてくれているわけでもないのに、低空飛行するアルミナと並んで一番前を駆けるユース。法騎士シリカの一番弟子、もはやその後ろで導かれていただけの一兵ではない。何かが道を阻むなら、仲間達と共にこの手で活路を拓いてやるという、無言の奥に固められた決意が、迷い無き前進を促してくれる。
長時間に渡って耐え忍んできた第11大隊。ここまで生き残った者達に、勝利し生きて故郷に帰れる未来を。長かった闇に差し込む光は、もう目の前にある。




