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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第13章  戦に轟く交響曲~シンフォニア~
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第215話  ~ラエルカン城の決戦② 勝利の女神~



 襲い掛かる魔将軍エルドルの巨体は、向き合う者をすくませる。百戦錬磨の勇騎士ベルセリウス、かつて魔王を討伐した勇者の一人である彼でさえ、その迫力には肌がひりついたものだ。


 岩盤をも砕く怪力で爪を振り下ろすエルドルの攻撃を、ベルセリウスが騎士剣ではじき返すのもまた、彼がそうした魔法を行使しているからに過ぎない。封魔聖剣(エクスカリバー)と名付けられた、勇者ベルセリウスの最も得意とする魔法は、我が身ならびに後ろに立つ人々を守るという、術者の精神が具現化した秘術。その剣に触れた、人の力を超えた破壊力、あるいは魔力を封じ、どんな圧倒的な力にも抗える剣を顕現させるのだ。獄獣ディルエラのような、どう足掻いても人間の力では抗えないようなパワーを持つ存在と、ベルセリウスが剣で以って抗戦出来る所以はここにある。


紅蓮地獄(インフェルノ)……!」


 そう遠くもない距離から、エルドルが翼をはためかせた瞬間、魔将軍から放たれる灼熱の炎。目の前が一瞬で炎でいっぱいになる光景にも、ベルセリウスは恐れもせず、真っ直ぐに突き進む。


 封魔聖剣(エクスカリバー)の力でエルドルの魔力を断ち、炎を剣で切り裂いたベルセリウスは、そのまま魔将軍の喉元へ剣を振りかぶる。自分自身の前方を炎で満たしたエルドルに、炎熱の壁を破って特攻してくる人間は、まさに光から突然現れた敢然なる勇者。エルドルほどの反射神経がなければこの一手で終わっていただろうし、その爪を振り上げる速度はベルセリウスの剣をはじき上げ、その身を天井に向けて吹き飛ばす。敵に攻撃をはじかれたベルセリウスが、宙を蹴る浮遊歩行(レヴィアース)の魔法で、危険地帯から自ら逃れたという部分も大きい。


 エルドルの炎は、謁見の間の絨毯を大半焼き尽くして床を走り、ベルセリウスの後方にいた騎士や魔導士にも容赦なく襲い掛かる。ここまで辿り着いた魔導帝国の有能なる大魔導士達でも、抑え込むのに歯を食いしばらねばならぬほど、魔将軍エルドルの炎の勢いは強い。友軍を襲う炎を、魔法障壁で阻む魔導士の助力を受け、ベルセリウスの部下である聖騎士も地を駆ける。


 槍を持つ聖騎士がエルドルの膝を薙ぐ一撃を振るうも、跳躍したエルドルは、高き謁見の間の天井に自ら背中をぶつけ、その瞬間に下方の炎を吐く。一瞬で目の前を炎で覆われる聖騎士だが、自らとエルドルの間に、後方魔導士による魔法障壁が展開され、炎は遮られている。それでも聖騎士が死の予感に、その身を大きく前進させたのは、長年の勘による賜物だ。


 落下してきたエルドルが、一瞬前に聖騎士が立っていた場所に、その掌を叩きつけたからだ。エルドルの手に打ち砕かれた床は、溶ける寸前の熱を帯びた瓦礫となって飛び散る。溶炉腕(ラヴルブラ)と呼ばれるエルドルの力は、その全身に常に灼熱を帯びている。仮にこの魔物に怪力がなかろうとも、触れた者をその熱で焼き、崩壊させるだけの力がある。


 自らの後方に逃れた聖騎士に、足の蹄で後ろ蹴りを放つようにして、石造りの床を砕いて瓦礫を飛ばすエルドルの動きも速い。それら瓦礫も、エルドルの溶熱の魔力を受け、溶岩の弾丸に近い状態。かすっただけで大ダメージの弾丸を、聖騎士も振り返り様に槍の端ではじくが、数発ははじききれぬと途中で見定め、横っ跳びで回避に移る。この柔軟な機転を利かせられるほどでなければ、魔将軍エルドルとは交戦する資格もない。


高圧炎(バーンフラッド)……!」


 エルドルの僅か前、その上空の空気が歪めば、そこから滝のように膨大な炎が降り注ぐ。その圧倒的な力を持つ炎は、エルドルの前方から放たれていた、魔導士達の水と風の合成魔法の砲撃を押し潰す。水克火、水は炎を打ち消すという基本的な法則でさえ、自らの風の魔力によって炎を肥大させるエルドルの術の前では、魔将軍の圧倒的基本能力も相まって通用しない。


 超圧力の炎で目の前が塞がっても、エルドルは自らの炎を突っ切って、その先にいる人類へと猛進。魔導士の前を固める、大斧を握った法騎士に迫った瞬間、巨腕を振りかぶって襲い掛かる。大斧を扱うパワーを持つ人間でも、エルドルの怪力の前には不足、爪先をはじき上げる形でなんとかそれをいなす法騎士だが、エルドルが続けざまに放つ蹴りは、無情にも法騎士を的確に捉えてしまう。


 溶岩熱にも劣らない灼熱の蹴りを、岩をも砕くパワーで直撃を受けた人間がどうなるかなど知れている。何十年も騎士団に仕え、幾多の戦果を為してきた男とて、死の訪れる時は一瞬だ。直撃した瞬間にその身を粉砕された法騎士は、炎熱の塊となって後方の魔導士を巻き込んで吹っ飛ばされる。それは巻き込まれた魔導士の肉体をも焼くものであり、一命は取り留めたその魔導士も、エルドルが唾を吐くように放った火球によって、法騎士ごと丸焼きにされてしまう。


 上空からエルドルの延髄めがけて迫るベルセリウスが、その首筋に剣を向かわせたその瞬間には、気配を察知したエルドルが裏の拳を振るっている。攻撃から一転、騎士剣を盾のように前に構えたベルセリウスは、エルドルの裏拳を受け止め、後方に吹き飛ばされていく。封魔聖剣(エクスカリバー)の魔力を得た剣は、いわば剣の形をした盾としての役割も果たしてくれる。


凍氷破(フリーズブラスト)……!」


 ベルセリウスの攻撃とほぼ同時、別角度からエルドルに氷術を放っていた魔導士の魔法は、エルドルの胸元目がけて飛来する。凍結の魔力を一転放射、大気さえ凍らせて宙を駆ける魔力は、空気を歪めて魔将軍に迫る太い魔力の砲撃だ。直撃すれば対象を凍らせ、当たり所次第では体内の機能まで氷付けにし、不全あるいは崩壊を促す魔法に、ベルセリウスを凌ぐと同時にエルドルは掌を向けている。エルドルの激熱の魔力が、人類の中でも有数の魔導士の魔力に拮抗する。


 咄嗟の防御を取ったエルドルの魔力を僅かに突き抜け、魔導士の魔力はエルドルの掌を凍らせたのだ。肌を刺した痛みに、エルドルが怒りを強めたのは言うまでもないこと。睨み返されただけで、魔導士も寿命が縮まる確信をしたほどだが、それでも魔法の放射を決して緩めない。敵が怯んだその隙に、地を駆けエルドルの足元目がけて剣を振るう聖騎士の姿が見えたからだ。


「小賢しいわ……!」


 もう片方の手に火力を宿したエルドルが、接近する法騎士目がけて手元の火球を投げつければ、それが眼前の床にぶつかって大爆発を起こしたことに、法騎士も接近を断念するしかない。法騎士が爆風によって後方に我が身を吹き飛ばされる一方、エルドルは掌を貫いていた凍氷破(フリーズブラスト)を握り潰し、魔導士めがけて火炎を吹いている。


 魔力障壁でそれを防ぐと同時、追撃の猛進から逃れるために、高い天井付近まで飛翔する魔導士。広い謁見の間で、各方向から実力者達がエルドルを取り囲む図式が出来上がっている。この状況の危うさを素早く察知したエルドルが取る手段は一つしかない。


火焔潮流(ディーネプロークス)!」


 魔将軍エルドルの放つ魔法の中でも、最も恐ろしきものの一つ。両手を広げたエルドルを中心に発生する炎の竜巻は、真上の天井を一気に吹き飛ばす。その破壊力は城の最上部にあたるここから、ラエルカン城の屋上まで突き抜けるに至り、城外で戦う人類や魔物達の多くでさえが、城の頂上が炎の風で吹き飛ばされたことに意識を奪われかけた。


 そして城内の地獄は、外部から見た比ではない。エルドルを中心として生じた炎の渦は、エルドルの魔力の操作によって一気に径を拡げ、謁見の間いっぱいを炎で満たすのだ。魔導士は瞬時に友軍の前にその身を向かわせ、灼熱の風に圧殺されそうな騎士を守る魔法障壁を展開、ベルセリウスは熱風をその剣で切り裂き、危機を乗り切る。勇騎士ベルセリウスと、練達の魔導士達による実力ゆえに凌げただけであり、相応の力がなければこの一撃で全滅も当然であったと、粉々に粉砕された内壁と、炎に包まれた空間が物語っている。


「ダニどもが……! 絶望をくれてやる!」


 翼を広げ、一気に跳躍したエルドルは、穴を開けて空を見せたラエルカンの天井を越えていく。城外にその身を移したのだ。それはベルセリウスにとって避けたかった展開ではあったが、どのみちそれを封じきれる相手でなかったこともわかっている。取るべき手段は一つしかない。


 逃がすな、の一言を大声で発し、ベルセリウスは宙を駆ける魔力でエルドルの道を追っていく。空を舞う力を持つ魔導士も同じことだ。飛空能力を持たない騎士達も、仲間の亡骸を悼みたい想いを封じて、城外への道を駆けていく。魔将軍エルドルの破壊的な力は、閉鎖空間内ではその本領を発揮しない。炎と風の魔力を司るエルドルは、その力で広範囲を焼き尽くす猛襲性にこそ真髄がある。


 玉座を離れて広大なる戦場に我が身を放ったエルドルが、ラエルカン広くを地獄に染めることは想像に難くない。さらに広がる戦火という、確約した未来を前に、勇者ベルセリウスは最速で空を蹴っていた。











「空は帝国軍に一任しろ! 遊撃射手も地上敵軍の殲滅にかかれ! 最大効率を優先!」


 前からも上からも魔物達が襲いかかる状況は、若き戦士にとってはそれだけでどうすればいいのかわからなくなるもので、指揮官の一声がかかるだけで大きく隊全体の動きが変わってくる。ラエルカン北西部で苦しむエレム王国第37中隊も、指揮官であった高騎士の落命によって混乱のさなかにあったところを、駆けつけた法騎士シリカの指揮により、なんとか形を保って抗戦を続けている。


「南からの急襲に備えて構え! 必ず来る!」


 率いた布陣の弱点をも的確に理解し、魔物に知恵があるならそこから攻め込んでくる、という角度も部下に唱えて教えながら、シリカは先陣の最前列を駆け抜ける。金棒を振り下ろすオーガキングに素早く迫った瞬間、敵の攻撃をかわして騎士剣を振るったシリカの一撃は、シリカの一倍半はある体格の怪物を、腰から肩にかけて真っ二つにする。


 万物を切り裂く魔力を騎士剣に纏う勇断の太刀(ドレッドノート)の魔法は、本来シリカにとっては連発しやすいものではない。魔力の過剰な消費は霊魂の疲弊につながり、精神と肉体を連結させる霊魂の疲労は、シリカの体に並々ならぬ悪影響を及ぼすからだ。だが今のシリカには、太古の森アルボルにあった無数の魂の集合体、精霊バーダントがついている。霊魂とはそれそのものが魔力を生み出す支えとなれる存在、つまりバーダントは究極的親和性物質と言えよう。その加護を御身に宿した今のシリカは、魔力の抽出が半無限的に行なえると言ってもいい。勇断の太刀(ドレッドノート)も、本来の限界を超えて使い放題だ。


「邪魔だ……!」


 そして、抽出できる魔力の強さも、彼女本来が為せる力とは比較にならない。一体のケンタウルスが横の路地角から、一体のガーゴイルが上空から襲い掛かるという、屈強なる魔物二体による多角攻撃。聖騎士の階級を持つ者でも、この手の急襲には一歩退き、冷静に一体ずつ対処しなくてはならないような状況下、シリカの騎士剣が纏う魔力が最大限にまで高められる。


 シリカの振るった騎士剣の一閃。それは剣身の長さよりも遥かに伸びる、長槍よりも遠き位置まで伸びた切断の魔力を残影に、シリカに迫ろうとしたケンタウルスとガーゴイルを一太刀で薙ぎ払う。翡翠色の巨大なる魔剣が、魔物二体を一振りで切断した光景は、後方の騎士の遠目からでもよく見えるほどに豪快。魔剣が残した緑の残影は、闇の中で人類の勝利を照らす三日月のようにさえ見えた。


 シリカ本来の地力を超越した膨大な魔力は、翡翠色の勇断閃ネフリティス・ドレッドノートと名付けられた大技として、ここまででも何度か火を吹いている。あまりにも攻撃範囲が広すぎて混戦では使えないが、最前列を張る今であれば容赦なくその力を発揮し、不用意に近付いた魔物達はおろか、敵の魔法を斬り落とした上で近くの魔物を葬ることさえ可能である。シリカが救援の形で加担することになった第37中隊も、信頼する隊長という要を失った今でも、彼女の後ろで抗戦を続けられている。高い指揮力と戦闘能力を持つ者が一人いれば、それだけ違うのだ。


 まだ何とかなる、と、第37中隊の騎士や傭兵が決死行に踏み出す中、シリカの胸を焼く焦燥感は彼らの比ではない。ユース達が共闘している第11大隊に、一刻も早く合流したくて仕方ない。ラエルカン各地、明らかにどこもが熾烈を極めるこの状況、二人のことが心配で仕方ないのだ。だが、だからと言って身内を守るために好き勝手に奔走、近くで苦戦する騎士団の仲間を放って駆け出すことは、法騎士として出来ることではない。今日ほどシリカにとって、数多くの騎士を導くことを使命に課せられた法騎士の名が、苦悩の種になったことはない。


 騎士昇格試験、エレム王国騎士団5つの難題、第二問。100人の民と1人の上官、片方しか護れないとしたらどちらを護るか述べよ。"その1人が友人で100人が他人なら、自分が守るのは1人"と答えたクロムなら、周囲の友軍などお構いなしで、ユースやアルミナの元へと真っ直ぐ駆けるだろう。あの日"どちらも護る道を捨てたくない"と答えたシリカの信念とは、今そう遠くない場所で、身内が命を落とすかもしれない危機に置かれ得るのに、友軍のために到着を遅らせている結果に繋がっている。人の上に立つ者が、当人の苦悩を下々に理解されず、非情だ冷徹だと言われるいい例である。


 祖国や家族、友人を守るために力を培い、この日まで血へど吐くような努力を積み重ねてきた戦士とは、ユースやアルミナ達だけではないのだ。だから、ここまで来られた。法騎士シリカという助力あって、今もなんとか持ち堪えている立場とはいえ、苦しい状況下でミノタウロスやヒルギガースのような怪物を、力を合わせて討伐できる第37中隊。単体では戦況全体に及ぼす力が小さくとも、それら全体規模の合動力が、勝利を手繰り寄せるのが真実。十数年前における一度目のラエルカン奪還も、一部の勇者や英雄の力だけではなく、それらが守りながら戦った、有象無象の名も無き戦士達との結束力の賜物だったのだから。


 遠方で戦うユースやアルミナを案じたい私情を、きっと乗り切ってくれるであろうという信じる想い、あるいは祈りに近い切望で封じ込め、シリカは戦場を駆け抜ける。もしも駆けつけた時既に遅し、なんて最悪が頭によぎっても、頭から締め出して戦い続けるしかない。それが法騎士の使命というものだ。




神の息吹(ヴァーユブレス)……!」


取消(キャンセル)




 上天遥か彼方から響いた、魔物陣営の大魔導士の詠唱は、地上にまで聞こえるものではない。超高空からシリカ含めし、広範囲を押し潰そうとした風の巨大な爆撃には、嫌な気配に空を見上げたシリカにも、雲の形が陽炎のように歪んで見えた。その正体が凄まじき圧力を持つ大気の塊、下向きの風の爆弾であるとシリカが認識しかけた瞬間、その魔法はシリカ達上空を駆け抜けた一人の大魔法使いによって、突然にして無風として打ち消される。


 結果としてシリカ達が立つ戦場には何一つ影響なかったが、空の激戦をシリカに認識させるには充分な出来事だった。ラエルカン各地の人類を爆撃するために飛び回る百獣皇アーヴェル、その影響力を封じ込めるためにアーヴェルをマークする賢者エルアーティ。地上軍同士が熾烈な戦いを繰り広げる中、空も敵軍を挫き、友軍を有利にするための攻防を繰り返しているのだ。


「やるわねぇ、エルアーティ。えげつないわ」


 シリカの身に宿る大精霊バーダントには、通りがかりにエルアーティがばら撒いていった、不可視の魔力の爆弾が見えている。空に浮く地雷のようにしかけられた魔力の塊は、滑空する魔物が触れた瞬間に起爆して、血の色混じりの花火を空に描く。いくつもだ。シリカが今率いる、第37中隊を攻め込む空中戦力の多くが、エルアーティが通過したその一事だけを皮切りに、爆ぜて無力化、絶えていく。


「空戦部隊を一部呼び降ろせ! 敵の陣営を一気に切り崩す!」


 空の敵が減り、制空権を確保するために必要な戦力が低下したことに、シリカは空の戦力を地上に傾けさせる。状況が変わり、敵陣を突き崩し得る状況が整えば、すかさず一気に突破する好機。そうした転機を見逃さないシリカが、第37中隊の優勢をさらに確固たるものとする。


 救援をもたらしてくれたエルアーティへの感謝も、今は後回しだ。一秒でも早く、この中隊をどこか安定状況の友軍に合流させ、自由に動ける形を取り戻す。気がかりでならないユースやアルミナの元へと駆けつけるための、最小限の遠回り。今日ほどシリカにとって、結果が形になることを焦りたい日はなかった。











「状況イーブンってとこか……! 見た目ほど悪い状況ではねーが……!」


 風のように空を舞うアーヴェルと、それにぴったりマークしてついてくるエルアーティ。地上の人類へ爆撃をまき散らす百獣皇の魔法を、いずれも賢者が封殺し、地上に干渉を許さない。最も柔軟かつ非情に破壊力のある爆撃手を、エルアーティが抑えていることは、人類にとって並々ならぬ加護である。


 だがその一方で、エルアーティもアーヴェルから目を離せないため、彼女の地上への影響力も著しく落ちる。好き放題できない状況はアーヴェルにとってもやきもきするが、その存在ひとつでエルアーティという人類の大駒を縛れるなら、価値のある等価交換だ。アーヴェルか、エルアーティか、片方が一つ戦場から追放されようものなら、残った方が一気に戦場を制圧する武器になる力を持つ。


「……消極的過ぎる」


 それでもエルアーティには、今の状況が不審でならなかった。生存欲の塊であるアーヴェルが、自衛と逃亡に傾倒する姿勢自体には納得できる。だが、戦闘とは逃げてばかりで生き延びられるというものではないし、自らを討とうとする敵を撃退し、結果として敵の攻撃力を削ぐことも必要なのだ。そんな基本的なことを、アーヴェルがわかっていないはずがない。


 守備力に特化したエルアーティですら、防衛力向上のために攻撃魔法を駆使するというのに、今のアーヴェルはあまりにも攻撃性に欠ける。いや、実際のところは追撃しようとする魔法使い達に、反撃の魔法を放ってくる場面もある。魔法使い達は、自分よりレベルの高い魔導士の迎撃に冷や汗ものだろうが、エルアーティの知るアーヴェルが攻撃性をあらわにすれば、あの程度の魔法で済ませるはずがない。自分を討ち取ろうとする人間を、何としても消し飛ばしてやるという精神力に欠けていることが、魔法を見れば賢者の目には一目瞭然だ。


 どこか、全力ではない。生き延びるために必死なのはわかる。それにしては手を尽くしきっていないアーヴェルが不気味なのだ。魔力を温存しているのだろうかという推測は、ほぼ魔力無尽蔵の精神力と霊魂力を持つアーヴェル相手に、通用する仮説ではない。


「火力が弱いわよ、もっと全力で炙りなさい」


 自身が能動的な攻撃力に欠ける方であるエルアーティは、周囲の魔法使い達を指揮して、アーヴェルへの魔法攻撃の強化を促す。もっと防御を捨てて攻撃的になれ、という過酷に聞こえる命令も、広い空域に守備魔力を展開してみせるエルアーティが言えば無茶ではない。魔法使い達は、自分の力で自分を守らなくても、エルアーティがその魔法で守ってくれるのだから。


 自らに差し向けられる魔法の数々、火、氷、風、稲妻。単発弾の魔法から、広範囲を巻き込む魔法も含め、アーヴェルを撃ち抜こうとする魔法が猛襲性を増してくることに、百獣皇も舌打ちだ。器用な軌道で空を舞い、攻撃をかわし、我が道を塞ごうとする気流を生み出す魔法には、その魔力の起動点に自ら飛び込み、雲散霧消(ディシュペイション)によって根幹から魔法を打ち消す。邪魔者を消し、空を舞い、ひたすら危機から逃れつつ、後方に風の刃を飛ばして応戦。ずっとこれの繰り返し。


「……いつまでこんなことを繰り返すつもり?」


 地上の制圧が完了すれば、騎士団空軍の大将格である勇騎士ゲイルや、魔王マーディスを討伐した勇者の一人、魔法戦士ジャービルも空へと参戦するだろう。それまで引っ張れば、いかにアーヴェルとてどうだ。エルアーティの加護を得た彼らが、容易にアーヴェルを逃がしてくれるだろうか。


「くっそー!! エルドルマジで頼むニャー!!」


 演技でも何でもない、悲痛な叫び声と共に空を逃げ続けるアーヴェル。向こうが上手くいっていない事は現状歓迎すべきことだが、その思惑の底にあるものは不明のまま。楽観的観測で獲物を追い詰めることが出来ない、エルアーティの懸念はそこにある。


 今は上手くいっていなくても、状況が変わったら一体どうなるのか。駄々をこねるように逃げ回る百獣皇の、見えるようで底の見えない躍動に、周囲が抱く以上の危機感を賢者が抱いている。











 進軍からもはや防衛戦へ。総力も危ぶまれるほどの戦死者が積まれた第11大隊は、無限とも思える魔物達の波状攻撃に後退すらし始めている。この大隊に向けてそれだけの魔物の兵力が注がれるということは、他の部隊はそのぶん楽をできているということであろうが、この部隊からすればひどい貧乏くじだ。


 法騎士エミュー率いる第11大隊が猛襲性のある攻撃的な部隊であり、魔物に抗えている現状を踏まえると、他がこうなるよりはまだましだったかもしれない。だが、どうしても突破口が見えない。この短時間でエミュー率いる最前列が討伐した魔物の総数は、そろそろ五十にも届こうかというのに、まだまだ魔物は襲ってくる。だからエミューも、並んで戦うユース含めた戦士達も、後方の味方を案じる暇が無い。指揮官として後列にまで指令を回す、エミューの口が後方を支えているのも事実だが、最有力戦力を前に割いた上で、横からの波状攻撃を受ける中衛や後衛も厳しいのだ。敵を討てばうつほどに、こちらからも犠牲者が出るのだから、終わるまでどれだけかかるかがこの部隊の命運を握っている。そして状況から察するに、終わりはきっとまだ先だ。


「第5小隊、もう持ちません……! 空への対処も限界です!」


「……前列に合流しろ! 全隊も纏めて前に圧縮!」


 後衛や中衛の一部が機能しなくなれば、それより前の部隊に混ぜて継戦能力を取り戻させるしかない。苦しい報告を受けてもなお、なんとか第11大隊を死に体にさえまいとする隊長エミューだが、このままでは埒があかないの一言に尽きる。そろそろ敵陣を突破して、この膨大な魔物達の指揮を担う魔物の佐官を討ち取らねば、延々とこの状況が続く予感しかしない。


「お嬢、行くぞ! ここはもう駄目だ!」


「わかってます……! わかってますけど……!」


 優雅の翼(スパィリア)の魔法によって、蒼い花弁のような翼を背負うアルミナは、この大隊において後衛の低空域で戦ってきた。ここの布陣が崩れ、後衛が前列に混ざるというのは、全体の継戦能力を維持する目的では必要なことだが、それは同時に前衛が追い詰められるということ。後衛や中衛が耐えているから、前衛は後ろからの攻撃を気にせず、最も危険な戦いに身を投じられるのだ。中衛が崩れて前衛に混ざらねばならないということは、前衛を後方から守る壁が失われるということを意味する。


 地上の友軍後衛が前進を始めた動きを見てなお、低空域で魔物達を狙撃するアルミナは抗戦を諦めていない。だが、ほぼ孤立状態に近付くアルミナを、地上からヒルギガースが鉄分銅を投げて狙撃してくる。ぞっとする想いとともに回避したアルミナは、この場所を死守したい想いとは裏腹、前に向かって逃げていくしかなくなる。


 あと、どれぐらい凌げばこの苦境は終わるのか。ここまででもよく保った方だと言えるぐらい、長く耐えてきた第11大隊だが、兵の犠牲とともに限界は確実に近付いている。砂時計のように消えていく隊の寿命をその身で実感する想いは、絶望という言葉の一歩手前。諦めてなるものかという想いさえ侵食してくるのが、現実の重みというものだ。


 かつて故郷が滅ぼされた時のような、逃げ道を失った中で周りが滅ぼされていくあの感覚が、アルミナの胸に蘇って締め付ける。誰でもいい、何でもいい、この状況を打破してくれる何かが欲しい。戦場の真っ只中で心から祈ってしまったアルミナの思考が、僅かな空白を生む。そんな彼女の隙を見出したか、一体のガーゴイルが斜め上空から、アルミナを火球魔法で狙撃する。


「アルミナ、上! 危ない!!」


「っ、く……!」


 殺気を感じ取った胸元のベラドンナの声を受け、何とか旋回飛行で火球をかわしたアルミナ。だが、大きな火球は肘元をかすめ、アルミナの顔を苦痛いっぱいに染め上げる。火傷痕が残るほどのダメージではなかったが、生身の肉体を炎がかすめていった痛みは、集中力を要する繊細な飛行を阻害する。滑空軌道を乱し、廃墟の壁にぶつかりそうになったところで、ぎりぎり急上昇して激突を避けるアルミナだが、一度リズムが崩れるとつくづく危ない。死が常にそばにある。


 視界端々に映る魔物の数々、増えずに減る味方、果ての見えない戦場。すべてがアルミナの心に、諦めろと悪魔の囁きを届けてくる。痛みと恐怖に片目を閉じながら、歯をくいしばって活路を見出そうと空を舞う彼女に、未だ救いは訪れない。


 だが、仮に救いが訪れるのであれば、その時まで耐えねば決して奇跡は起きないのだ。だから救いを求めるなら、どこまでも死を受け入れず、最後まで足掻き続けねばならない。そんな当たり前のことを忘れず、抗い続けた者にこそ、時を経て訪れる好機は救いをもたらしてくれるもの。


「……来たっ! 来た来た来た、やっと来たよアルミナ!!」


 真っ暗な現実に押し潰されそうなアルミナの胸元、突然明るい声を放ってはしゃぎだしたベラドンナの真意とは何か。その答えはすぐ、その目に映った。廃墟をすり抜け、すごいスピードでこちらに駆け抜ける一つの影がある。それはその身の後方に、取り戻すべきラエルカンの軍旗を構えた、友軍の象徴だ。


 まさか、この局面で。あまりにも嬉しい最高の援軍の接近には、アルミナも感激する想いすら忘れ、奇跡でも見ているかのような心地で思考が停止しかけた。そんな彼女を狙い撃とうとしている、ヒルギガースの殺意が、アルミナを一瞬で現実世界に引き戻す。


 そして、そのヒルギガースが鉄分銅をアルミナに投げつけようとした時のことだ。遠方から駆けつけたその何かは、廃屋の天井にまで一気に跳躍し、屋上を蹴りつけてさらに高く跳ぶ。第11大隊の包囲網であった魔物達、今しがたアルミナを狙撃しようとしていたヒルギガースさえもが、突然のその姿に目を奪われる。西の空に落ち始めた太陽を背にしたそれは、大きな影の正体を、一部の魔物に逆光で認識させない。


 アルミナにとってもその位置取りだ。光を背負って現れた、獅子のような巨大な体躯を持つ狼の姿は、まさに窮地に駆けつけた神々しい存在。そしてその狼は地上へと舞い降りると同時、落下点にいたヒルギガースの頭を勢いよく噛み砕き、絶命前のヒルギガースが足掻くよりも早く、その肉体を空に投げて一体のガーゴイルにぶつけてしまう。


 同時にその狼の背中に跨る一人の射手が、先程アルミナを狙撃しようとしたガーゴイルの脳天を矢で射抜いた。その的確さ、手の速さ、それに釣り合わぬ可愛らしい外見。救いを待ち焦がれていたアルミナにとって、その射手は世界中の誰よりも頼もしい味方である。


(恩人、ここでいいのだな?)


「ありがとう……!」


 矢筒から新たな矢を抜き、弓に番える少女は、アルボルで見知り合ったマナガルムを相棒に得て、戦場に現れた。チータと交戦していたシェラゴを撃ち抜くにとどまらず、戦場各地で無数の魔物を撃破してきた彼女の元へ、涙さえ出そうな想いでアルミナが舞い寄る。マナガルムの腰に縛られた一本のポールの先、人類の味方であることの証明であるラエルカンの戦旗は、これ以上ないほど誇らしくはためいている。


「アルミナ、大丈夫だった……!?」


「キャル……!」


 戸惑うジェスターに矢を放って喉元を貫いたキャルは、近づいてきたアルミナの掌に手をかざし、半ばハイタッチのような形で音を鳴らした。妹のように愛してきた彼女が、苦しいこの状況に駆けつけてくれた感銘には、アルミナだって抱きつきたいぐらいだっただろう。だが、今は一瞬触れ合って、感謝の想いを伝えるだけで充分だ。


(失せろ! 我が恩人に手出しはさせぬ!!)


 突然現れたマナガルムを敵と断定し、風の砲撃を放って狙撃するネビロスがいる。素早くその方向に首を向け、大地も震えるような咆哮とともに口から強風を放つマナガルム。その激風はネビロスの魔法を退け、その風に紛れた無数の真空の刃が、ネビロスの全身をばしばしと切り刻んでいく。


 怯んだネビロスの喉元を、キャルの放つ矢が貫いたのが直後のことだ。やがて落命するネビロスになど目もくれず、ぎらりと光る眼光で周囲の魔物を威嚇するマナガルムは、その気迫だけで屈強な魔物達をも怯ませる威圧感を放っている。


(行くぞ! このような兎ども、我らの敵ではない!)


「うん……!」


 思念を直接キャルに伝えるマナガルムと、強き意志を抱いた声を返すキャル。次の瞬間、マナガルムが放った大いなる咆哮は、劣勢にあった第11大隊の、反撃の狼煙を上げる一声に近いものであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 魔物は恐ろしいもんだが味方にいるならめっちゃ心強いw
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