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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第13章  戦に轟く交響曲~シンフォニア~
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第214話  ~ラエルカン城の決戦① 魔将軍発つ~



「ネビロス6体、東へ向かえ! 砲撃で人間どもの群集を引き裂け!」


「冗談じゃない! 俺達に死ねとでも言うのか!」


「ウルアグワ様の指示だ! 私とて他人事ではない! 早く行け!」


 上位種バルログの口から示された特攻命令には、下位種のネビロス達ですら反意を示さずにはいられない。その区画は、多数の人間がひしめく激戦区で、明らかに人間が優勢を保っている場所。法騎士や聖騎士、帝国佐官級の魔導士も山ほどいるだろうに、そこへ僅かな兵力で突っ込んでこいなど、死んで来いという命令に他ならないからだ。


 それでもネビロス達は、参謀の勅命であることを耳にした瞬間、苦々しい顔で死出の飛空に駆けていく。たとえ人間達に殺されることなんかより、黒騎士ウルアグワの命令に背くことの方が余程恐ろしいのだ。残忍極まりないウルアグワが、命令に背いた魔物を"見せしめ"に葬ってきた光景を、魔物達の殆どが一度は目にしている。無残に殺されることはおろか、死してなおその魂を残虐なウルアグワに掌握されてしまうことに比べれば、憎き人間を一人でも殺して自分も果てた方が余程ましだと思えてしまう。


 地上の魔物達を殲滅しかけた、千人超の人類の連隊。そこに無謀に飛び込んでいく6体のネビロスは、迎え撃つ人類の魔法や飛び道具で、ことごとく撃ち抜かれていく。いくつかの銃弾や矢をはじきながらも、額を、脊髄を、心臓を撃ち抜かれたネビロス達は、さらに重ねられる魔法の砲撃を受けて絶命寸前だ。


(いいぞ、やれ)


 ネビロス達の脳裏に響く、恐怖の象徴である魔王軍参謀の声。ぎり、と歯を食いしばったネビロス達は、主の意図を叶えるままに魔力を集中させ、憎き人類を睨みつける。


「貴様らも道連れだ……! 爆炎魔法(エクスプロード)!!」


 人類の輪の中に、使い物にならなくなった体を飛び込ませたネビロスの巨体が、膨張したかのように膨れ上がった。その一瞬の間を挟み、ネビロス達の体内に集積された、火炎と爆風を司る魔力のすべてが解放される。自らの命も顧みない爆炎の魔法により、人類の集合地点のど真ん中で、ネビロスの肉体が膨大な炎と風を伴う自爆を行使したのだ。それが、4体同時。魔法の発動に至れず絶命に至ってしまったネビロスは、爆弾として機能しなかった。


 立ち呆けていればその自爆に巻き込まれ、総勢100人以上の人間が負傷、もしくは死亡していただろう。だが、自爆特攻戦略は、配下の命を命と思わぬウルアグワにとっては何ら珍しくない戦術。何十年もの魔王軍との戦いで、非道なる参謀の戦い方を熟知する人類は、一部の魔導士が自爆するネビロスの周囲、あるいは自分の周りの友軍を囲う魔法障壁を展開し、爆風による被害を最小限に抑えている。それでもいくらかの兵が負傷したが、人類も完璧ではない。


(さて、屍兵ども。次はお前達だ)


 そうして乱れた人類の話が、粉塵と砂埃に満ちる中へ、四方八方からウルアグワの配下達が突入する。それは骨だけになった大鷲や巨大なコウモリの魔物を率いる、ネビロス達の上位種バルログによる空からの襲撃。あるいは、地上を突き進むソードダンサーを先頭に、その後方から鉄分銅による援護射撃を可能とする、グラシャラボラス達の突撃。統制の乱れかけた人類に、一斉に多数の魔物が雪崩れ込んだ展開に、対応しきれずに討ち果たされる戦士達も多い。


「第17部隊は地上の魔物を迎撃しろ! 空の魔物は第6部隊に委ねてだ!」


「第26中隊、このまま迎え撃て! 第32大隊との連携を断つなよ!」


 急変した事態にも冷静に対処法を導く、人類の指揮官の手腕も光っている。だが、完全に正しく敵の狙いを阻害することは、先手を向こうに取られた以上、難しいことだ。先ほどまで制圧完了に近かったこの戦域が、ネビロス達の自爆をきっかけに風向きが悪くなり、人類の強い結束が線を切られていく。


 人間と魔物。単体で比較すれば、一部の優秀な人間を除き、個々の能力で言えば魔物の方が上に立つのが殆どだ。それを補ってきたのが人類の結束力であり、たとえば百人の人類と百匹の魔物が戦って、しかも人類個々の能力が魔物個々に劣っていてなお、大番狂わせを起こしてきた実績も数多い。それこそが人類の最大の武器と知るウルアグワが敷いた作戦とは、ここにきて、人類を分断させることが最大の目的だ。ラエルカン城も近き魔物の本陣、法騎士と一対一で戦ってもいい勝負が出来るような怪物がひしめくこの場所だからこそ、敵の分断を叶えられれば抜群に利く。ミノタウロス、ヒルギガース、ガーゴイル、それらの上位種や最上位種など、そうした大駒にはここにきて事欠く心配もない。


 人類の目的地が近付き、人の流れが狭まってきたからこそ有効な手段だ。数秒まであったはずの連結を、僅か数十秒断ってやるだけでも、人類の勢いは鎮圧出来得る。足並みを乱した人類へ、ここぞとばかりに反撃の狼煙を上げて突撃する魔物達の歯牙に、多くの戦士が葬られていく。


 勿論、人類の決死の反撃によって、撃退されていく魔物達も少なくない。双方の被害比率はともかく、戦場には加速度的に死体の山が積み重なっていく。ここまで来る事が出来た人類の優秀な戦士達、魔将軍の居城への侵入を防ぐ、魔物達の中でも最強格にあたる魔物達。それらが真っ向からぶつかり合う戦場は、剣と爪牙、魔法と殺意が飛び交う激戦区。


 誰もが死に瀕する中で必死の攻防を繰り広げる中、広きラエルカンのいずこかに潜む黒騎士は、各地の戦況を感知して笑っている。人類の多くは苦しんでいるが、それでも人類の方がまだ優勢。魔物達の全滅は予想に堅くない逆境だ。それでいい。少なくとも、黒騎士一人にとっては。


 すべて、死に絶えればいい。それが自らの宿願をより確かに叶えるための手段だと、ウルアグワは正しく知っている。











 犠牲を厭わない黒騎士の戦術が行き届いているのは、ラエルカンの一部だけではない。亡国各地にて、ラエルカン城に接近しつつある人類は、誰もがその憂き目に遭わされている。北西から進軍していた、ユース達含む連合軍も、同じようにして千人超の部隊が、分断と犠牲によって分散させられている。


「第8小隊、応答なし……! 第37中隊もほぼ壊滅状態です!」


「こちら第31小隊……! 指揮官喪失に伴い第3中隊に合流します……!」


 前向きな情報もあまり交換されなくなってきた。魔物達の数は確かに減らせている。だが、それ以上にこちらの犠牲が大き過ぎる。十の魔物を討伐する前進より、三の兵を失う痛手の方が重い。ここにまで辿り着いた頼もしき人材をひとつ失うだけで、全体にどれほどその悪影響が響くか。1+1が2でない結束力が武器である軍勢にとって、その1が失われるダメージもそれだけ大きいのだ。


「地獄へは、貴様らだけで行け!!」


 隣に立つ仲間が絶命した事実により精神を蝕まれ、疲労の蓄積された体で、心身ともに傷だらけの人類を牽引する指揮官からは、鬼気迫る気迫が溢れている。エレム王国第11大隊指揮官、かつて聖騎士ナトームの副官であった法騎士エミュー。薙刀の連続攻撃でワーウルフを一方的に押し、仕舞いには一瞬の隙を突いて、反射神経に秀でるワーウルフの首を跳ね飛ばす姿は、見事としか言いようがない。


 魔物達も、これを潰せば人類の勢いを断つ事が出来ると確信している。だから魔物達の多くが、人類の指揮官法騎士エミューに、集中砲火を浴びせようと群がってくる。周囲の兵も自分達周りのことで手一杯、それに対して支援狙撃を叶えられる者は、その場にいる頭数ほどにはいないのが現状だ。


 それでもエミューは孤立していない。法騎士の首を取るべく差し向けられる強き魔物達に、徒党を組んで4体で猛進してくるドラゴンナイト達というのは、同数のリザードマン達とは比較にならない危険な集団だ。それらが剣を振り上げて、エミューに差しかかろうという時に、横入りするように矢の如く真横から突き進んだ騎士が、一体のリザードマンの側頭部を剣で貫こうとする。それ自体は敏感なドラゴンナイトの剣によって防がれるが、それによって4体のうちの半数は、横入りしてきた騎士に矛先を変える。


 邪魔者となった騎士ユースの首を立つべく剣を振るうドラゴンナイトだが、素早くかがんだユースの頭の上を、竜戦士の剣はかすめていくだけ。その隙だ、とユースが安直に攻めないのは、真横から剣を振り下ろしてくる、もう一体のドラゴンナイトの気配を感じ取っているからだ。その方向から離れるように最小限の後ろ跳びを果たしたユースは、前のめりになったドラゴンナイトの側部に素早く立ち回り、首元目がけて騎士剣を振るっている。


 断頭一閃、ドラゴンナイト討伐直後のユースに、残ったもう一匹が猛然と剣を振り下ろしてくる。盾でその攻撃を横に流しながら、返す刃で剣を振り上げたユースが、ドラゴンナイトの喉元から顎にかけてを真っ二つに割る。人が相手なら致命傷、だが生命力に富む魔物は、体をのけ反らせかけてなお、体を前に傾け直して襲い掛かろうとしてくる。ユースの体を真っ二つにしようとした、素早い剣の一閃には、重き一撃を予想したユースも退がって逃れるしかない。


 ユースに対する憎しみを一気に高めたドラゴンナイトを、その意識の外から横殴りに青竜刀を振るったのが一人の傭兵。ラエルカン野外戦からずっと、ユース達のそばで戦ってきた傭兵ケルガーは、親しき傭兵連中の多くがここまでで命を落としてきた中、まだ生き残っている。第14小隊の仲間達とは離れ、孤独気味の遊撃手として戦う二人にとって、顔を覚えた頼もしき仲間の存在は心強い。ケルガーの青竜刀の一撃はドラゴンナイトの首を刎ね、ユースを力強く助ける刃となった。


「すみません、恐れ入ります……!」


 年上の傭兵に一礼の言葉を向け、エミューに向かおうとするワータイガーの道を塞ぎ、真っ向から立ち向かうユース。ケルガーも自らに襲い掛かろうとする新たなドラゴンナイトに向き合うと、振るわれる怪力の刃に向けて青竜刀を返し、はじけた火花とともに魔物と目線をぶつけ合う。


「恐れ入る、か……! どっちの台詞なんだか……!」


 ドラゴンナイトは強い。人間の中でもかなりの力自慢であるケルガーが、真っ向から重い青竜刀をぶつけて、押し返せない人間なんてほとんどいなかったのだ。手が痺れるほどの衝撃とともに、武器と武器を拮抗させてくるドラゴンナイトの怪力は凄まじく、その太刀筋も訓練された騎士の如く無駄がない。こんな怪物二体を同時に相手取り、あっという間に一体片付けてみせていたユースを一瞬思い返せば、ケルガーこそあの若き勇士に恐れ入ると言いたくなる。


 強引にドラゴンナイトを押し返したケルガーに対し、ドラゴンナイトはすぐさま返す刃。打ち払い、かわし、ドラゴンナイトが連続で放つ斬撃に押され、ケルガーは後ずさる。7歩ほど下がったところで、そろそろ終わりだとケルガーを頭上から真っ二つにすべく、剣を振り上げてくるドラゴンナイト。だが、その手首より先が突然切り落とされ、剣ごとドラゴンナイトの手が吹き飛んでいく異変。


 既に二体のドラゴンナイトを単身殲滅した法騎士エミューが、その薙刀の先でドラゴンナイトの手首を断ったのだ。突然の出来事にドラゴンナイトが当惑した瞬間には、ケルガーの返していた青竜刀の一閃が、ドラゴンナイトの首を断っている。法騎士様の救援によって命を救われたと知るには数瞬かかったが、それを頭で認識する頃には、既にエミューは次なる戦場に脚を向けている。


 ワータイガーを短時間で討伐した直後のユースは、襲い掛かるオーガキングを相手に苦戦していた。巨大すぎる肉体に、射程範囲の広い金棒による攻撃を持つ怪物には、ユースも一人では攻め手をなかなか見つけられずにいる。金棒による攻撃の数々を回避し、敵の攻撃をくぐり抜けて懐に入ろうとしても、蹴飛ばし返そうとするオーガキングの脚に阻まれて近づけない。


 そんな劣勢に一気に穴を開けたのが、法騎士エミューの存在だ。ユースを蹴飛ばそうとしたオーガキング、横っ跳びでかわしたユース、そして脚を振り上げた直後のオーガキングに急接近したエミューが、長い薙刀を最大限伸ばし、オーガキングのアキレス腱を一振りに断裁したのだ。足の要を断たれたオーガキングが、その足で地面を踏みしめようとすれば、当然自重を支えきれずに体勢が崩れる。今のユースがかつてと大きく違うのは、好機と見た瞬間に強大な魔物にも敢然と立ち向かい、体を低くしてしまったオーガキングの頭めがけ、地を蹴り進む積極性だ。数ヶ月前のユースにはなかった攻撃性が、エミューが間もなくに討つはずであったオーガキングの首を、若き騎士が討ち取る結果に繋げていく。


 オーガキングの頭を刎ね飛ばしたユースも、地に足を着けた瞬間には肩を沈め、はあっと大息をついて胸を整える。ラエルカンに入陣してからずっと戦いっぱなし、疲れていないはずがない。汗だくの額を腕でぐいっと拭うユースの隣に、彼より少し背の高い法騎士が立ち並ぶ。


「ナトーム様からお前のことは聞いている。期待はさせて貰うからな」


 突然声をかけられたことや、聖騎士ナトームのような人物が、法騎士エミューにわざわざ自分のような駆け出し者のことを話していたことなど、驚きたいことが山ほどあったユース。しかしユースは、短くはいと答えてすぐに戦場に目を向け直す。それでいいと、エミューにとっても期待通りの反応だ。


「行くぞ、騎士ユーステット!」


「はい……!」


 自らの率いた第11大隊、副官であった高騎士も既に落命し、危機的状況を迎えた第11大隊に生還と勝利を掴ませるため、法騎士エミューは魔物達を迎え撃つ。その隣に立ち並ぶのは、昨日までは彼と面識もなかった、一介の若い騎士。だが、エミューと本来最も息の合う高騎士に代わり、法騎士様の隣に立って先陣最前線を張るユースの姿には、仲間達と共に一体のヒルギガースを討った直後のケルガーも、年相応にない勇士の姿に目を奪われそうになる。


 法騎士シリカと常に息を合わせてきた騎士ユース。単身突き進む積極性を手に入れた今となっても、彼が積み重ねてきた戦い方の真髄は、誰かと力を合わせて勝利を掴むことにある。シリカと離れ離れになった今、彼女に代わって法騎士エミューという強き先人と共に戦うユースは、本来貫いてきた戦い様に現在の攻撃性を上乗せし、極めて雲行きの悪い戦場の中で燦然と輝いている。


「ケルガー、どうした! 余所見してる暇なんかねえぞ!」


 親しき傭兵仲間の、怒鳴り声に近い声を受け、ケルガーはユースに向けていた目を魔物達に向け直す。その瞬間に真正面から切りかかってきた一体のリザードマンの攻撃を、目をぎらりと光らせたケルガーが青竜刀ではじき上げる。鎧に覆われたリザードマンの腹を回し蹴りで蹴飛ばすケルガーが、魔物を後方によろめかせた瞬間、ユースより3つぐらい年上の騎士がその首を騎士剣で刎ねてくれた。


 ユースほどには実力を得ていないながら、何年も騎士団で揉まれて、実力を養ってきた若き騎士だ。息も絶え絶えという表情で、必死に戦い抜こうとする彼に近付き、軽く背中を叩くケルガー。顔色を悪くしてケルガーを見上げる若い騎士に、戦場真っ只中で、ケルガーは小さく笑ってみせる。


「さあ、これからだ。生きて帰ろうぜ」


 若い頃から悪党に囲まれて育ち、粗暴者の悪漢としてエレム王国騎士団に捕らえられ、前科持ちとしての再出発を計った過去を持つケルガー。傭兵稼業で食い扶持を稼いでいく人生を選んだ彼にとって、戦うことは金を稼ぐ手段でしかなかった。いつだって少しでも多くの魔物達を倒して戦果を挙げ、それを報告してくれる騎士様を保護し、稼ぎに変える生活を十年以上続けてきた。


 十歳以上年下の騎士が、正義を胸に戦場に飛び込み、死に物狂いで戦いに挑む姿を見ていると、先輩風を吹かせるわけじゃないけれど、力になってやりたいとも考えるようになってきたりするのだ。若い奴らは生意気だ。それだけ"出来る自分"を信じたくなる気持ちも、四十を回りかけた年になればわかるから。自分だって昔はそうだったんだから。今でも傭兵稼業は自分にとって、金を稼ぐ手段には変わりないが、必死で頑張る若い奴のことを、出来る限り支えてやりたいと思うようにも、いつしかなっていった。


 窮地極まりないこの戦場に至れば、歴戦のケルガーも今日、何度死を覚悟したかわからない。生還などとうに諦め、だったら死ぬまでに一体でも多くの魔物を蹴散らし、若い奴らの生存率を上げてやろうだなんて、柄にもない考え方で戦っていたものだと思う。それがどうだろう。若くして法騎士様の隣に並び、次々と襲い掛かる魔物達を蹴散らしてくれるあいつの姿を見ていると、守って貰っているのはどっちだか。


 希望の糸は断ち切られてなどいない。繋いでいるのは、苦境の中でも脅威を退ける、力強き勇士の背中。ああした勇者の姿を戦場で何度も見てきたからこそ、荒んだ世界で生きてきたケルガーの男の魂が、若きを導く彼を作り上げてきたのだ。勇者や勇騎士の勇の字とは、その者が持つ勇気のみを表した文字ではなく、その後ろ姿で仲間達に勇気をもたらす者にこそ与えられる称号。人は一人では勇者にはなり得ない。


 厳しい戦況には何一つ変わりない。それでも折れない心なくして、人の手で奇跡は起こせない。その心を支える強き味方の存在が、友軍を手引く最大の綱であり、今のユースが法騎士に並び、その役目を背負っている。


 未来の勇者ではない、もう立派な勇者だ。今はまだ歴史にその名を刻むほどではないにせよ、今この時代に生きた勇者の存在は、共に戦場に並んだ者の心にしっかり刻まれている。











 ラエルカン城の間取りは知っている。魔王マーディスを討伐した勇者の一人である彼は、ラエルカンの皇族に招かれて城に来ることも多く、城の中を自由に歩かせて貰えたこともある。その記憶は今でもちゃんと頭に入っているし、そもそも突入前の作戦白書に目を通す中、それぐらいの基本情報は頭に詰め直している。


 城門を破り、部下や同盟の魔導士達とともにラエルカン城に乗り込んだ勇騎士ベルセリウスは、立ちはだかる魔物達を薙ぎ倒し、謁見の間の玉座に向かって一直線だ。迷わない。華やかだったラエルカン城の内装が、今となっては魔物に踏み荒らされてぼろぼろに成り果てていることにも、今は振り返ってなどいられない。


 城内は天井があり、空の下で戦うよりも限られた空間だ。配置されている魔物の数も多くはない。そもそも強力な魔物達は、城内であぐらをかくより城の外へと狩り出される大戦争だ。少数の強力な魔物達を切り捨て、ベルセリウスを先頭とした小隊が突き進む。頭数にして僅か7人、ただしどれもが、各国で大きな舞台の指揮官を担えるほどの地位と実力を兼ね備えた顔ぶれだ。


 そして辿り着いた、ラエルカン城の謁見の間。大きな扉を蹴破って入ったベルセリウスの正面、遠き玉座の位置には巨大な魔物が腰掛けている。人間の王が座る玉座は、あの魔物には小さすぎる。人間の灼熱の炎で溶かし、再び固めて玉座の形にしたようなおぞましき玉座は、ラエルカン城に陣取った魔物の大将格の尻の下、焦げた血の色で犠牲になった人々の魂を捕えている。


「エルドル……!」


 玉座の上で足を組み、手の甲で頬杖をついた山羊(やぎ)頭の怪物は、我が名を呼んだベルセリウス目がけて唾を吐く。その唾はまるで弾丸のようにベルセリウスへと飛来し、エルドルとベルセリウスの中間点で発火し、途端に人を呑み込むほどの大火球となる。


 騎士剣を振り上げたベルセリウスは、危なげもなく大火球を天井へはじき飛ばす。火球は天井にぶつかって大爆発を起こすが、ぱらぱらと上から降ってくる天井の破片を目の前にしても、ベルセリウスは魔将軍から目を逸らさない。意識を逸らせる相手ではない。


「呼び捨てにするな」


「お前に払う敬意を僕は持ち合わせていない」


 広き謁見の間を縦断し、玉座に腰掛けたエルドルに歩み寄るベルセリウス。近付くにつれ、遠目でも巨大であるとわかるエルドルが、その威圧感を増していく。鋭い藍色の毛に包まれた下半身、大犬をも片手でわし掴みに出来そうな大きな手、怪物的な筋肉に包まれた鮮血色の上半身。大悪魔という形容がまさにしっくりくる魔将軍が、今は畳んである背中の翼を広げれば、どれほどそのシルエットは大きく、見るものを威圧できる風格を放つだろう。


「お前達の仮初めの支配もここまでだ。その王座を明け渡して貰おうか」


 王座を離れるということは、権威の失墜と陥落の象徴だ。ラエルカンを死に絶えさせ、人々の世界の一部を乗っ取ったエルドルを追放し、人の済むべき世界を取り戻すという意志が、ベルセリウスの放つ言葉には含まれている。支配者への宣戦布告を耳にしたエルドルは、頬杖をついたまま動かない。


「支配こそ、我ら魔物の本質。貴様らに与えられた選択肢は、我らに従うことで生き永らえるか、支配者に逆らい死に絶えるかのいずれかだ」


 魔王マーディスによく似て、話が通じない相手だと、ベルセリウスも痛感する。そこからどくのか拒否するのかという問いに対し、逆に上から目線の選択肢を提示してくるのだから、常に自分達こそ優位であると揺るがない、例の魔王にそっくりだ。


「もっとも、貴様らにはそんな選択肢も残されてはいないがな」


「初めから無い。僕達には、お前を討ち果たし、この大地を取り戻す未来しか見えない」


 我が王室にまで土足で足を踏み入れた不届き者は、降伏する権利すら与えず抹殺するのみ。エルドルの言葉が意味するところは、そんなものだろう。語らう価値無き傍観に、ベルセリウスも意志の疎通より、己が明確な主張を優先した言葉を投げつける。


「人間どもは学ばんな」


 足を組んでいたエルドルが、両の足で床を踏みしめる。ゆっくりと、両手を膝に置き、玉座から腰を上げる仕草ひとつとっても、魔将軍が放つ圧倒感は凄まじい。立ち上がるにつれて、その巨体が大きな像を形にしていくことが、間もなく始まる死闘を強く予感させる。


 ベルセリウスにとって、初めて戦う相手だ。獄獣ディルエラ、黒騎士ウルアグワ、百獣皇アーヴェル、百獣王ノエル。魔王軍に属する他の最強格の魔物達とは、すべて戦い、退けてきた。巡り合わせなのか、過去にベルセリウスは、この魔将軍エルドルと交戦したことが一度もない。だが、聞き及ぶ限りで、エルドルがどのような力を持っているかは知っている。そしてエルドルもまた、ディルエラを一度破った勇騎士がどのような力を持つのかぐらい、配下やアーヴェルから聞き及んでいる。


 魔物は怒ると目が赤く染まると言うが、エルドルの眼は瞳の位置もわからぬほどに、はじめからずっと血のように真っ赤だ。人間を目の前にして上機嫌であったことなどないエルドルは、自らに刃向かう人間どもを目の前にして、その怒りを精神に刻んで魔力を生み出していく。エルドルの右手に宿った炎の魔力は、既に大気が歪むほどの熱を、魔法発動の前から溢れさせている。


「来るがいい……! 生かしては帰さぬ!!」


「行くぞ! 魔将軍エルドル!!」


 エルドルが魔力を握った手を振るった瞬間、魔将軍の眼前を、炎の津波が走りだす。高き壁のように迫り来る炎を、ベルセリウスの剣が割って突き抜け、最大の試練へと駆け出していく。


 ベルセリウスの剣とエルドルの爪が、岩盤事故のような衝撃波とともにぶつかり合う。その瞬間に接点から飛び散った火花は、燃え盛る謁見の間の中でなお、一際凄まじい熱を放っていた。

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