第212話 ~ラエルカン市街戦③ 炎の戦旗~
生まれた時から孤独であったことなど大した問題ではなかった。どんな魔物とも共通しない、醜い自らの頭を水面に映して見れば、それも当然のことだと思っていたから。生物は、異種を容易に認めて縄張りへと受け入れたりしないのだ。魔物の巣窟の中にあって、同種の魔物達が集う区画や縄張りは勝手にそのうち決まっていくのだが、アジダハーカは他種の魔物の集落が出来るにつれ、常に群れからはずれた場所で安息や就寝を取るのが、当たり前になっていた。
完全なる孤独でなかったのは、主と生みの親がそうさせてはくれなかったから。酒や煙草を勧めることをきっかけに、闇の中にいた自分によく長話を振ってくれた獄獣ディルエラ。乱暴な口調で短気な物言いが目立ちながらも、普通とは違う自分の体を気遣ってくれてなのか、時々招いて体の調子を看てくれた百獣皇アーヴェル。魔物の輪の中にあって、人であり人でないという特殊な自分に、居場所なんてなかった毎日。そんな中で、完全なる独りぼっちでいずにいられたのは、間違いなくディルエラとアーヴェルのおかげだ。アーヴェルに体調を看てもらった後、ディルエラを交えて酒を酌み交わした時間は、一つ残らずいい思い出だった。
主君はディルエラ、自らの創造主であり背いてはならない存在とはアーヴェル。アジダハーカから見た無感情な主従関係とはそれであり、彼はそれを超えた感情を両者にはっきりと抱いていた。ディルエラを本当の父のようだと言った時には、悪くない響きだとディルエラも笑い、乱暴に頭を撫でてくれた。アーヴェルを母のようだと言った時には、無言で頭をかりかりかいて目を逸らした百獣皇の姿が印象的だった。受け入れて貰えたのかはわからなかったが、拒絶されず、それを伝えられただけでも嬉しかった。
生まれて長らく、自分は周りとは違うんだから、孤独であって当たり前だと思っていたのだ。それを歳月と共に改め、そばにいてくれる二人がいるからこそ、自分はここまで来られたのだと考えるようになった。たった独りで生きていける者、大きくなれる者などいないという持論を、アジダハーカは揺るがない信念として抱くようになった。人の言葉で、それを心の成長というのだ。それも実に、人間的なものだ。
見返りはいらない。ディルエラの目指す目的を叶え、アーヴェルの望む生存への道を少しでも拡げることを、己が肉体で果たせるなら、それがアジダハーカにとっての戦う理由だ。魔物達の中に生まれ、育てられた一人の人間は、一つの生き方を見つけた男として、胸を張れる生涯を生きてきた。
巨漢の肉体アジダハーカ、年の割には子供のような体格のガンマ。手足の長さがまず有利不利を確定させてしまう接近戦は、本来ガンマにとって上策ではない。せめて武器を握り、相手と同じぐらいかそれ以上のリーチを確保してから戦った方が、ガンマにとって良い戦いが出来そうなものだ。
だが、そんな本来ガンマの持つはずのハンデが無になるほど、今のガンマの持つスピードは武器になる。日頃当たり前のように使っていたあの斧は、容易に振り回す持ち主のせいで軽く見られがちだが、相当に重いのだ。それを手放した今のガンマの速度は凄まじく、アジダハーカの拳の脇をすり抜け、懐に飛び込んで短足の蹴りを放つガンマの攻撃に、アジダハーカも肝が冷える想いで腕を差込み壁を作る。
アジダハーカはその身に魔力を纏い、身体を硬化させる能力、魔法を持つ。そうして鋼鉄にも勝る硬度を叶えた腕が、ガンマの蹴りによってひび割れそうになるほど、その攻撃の威力は凄まじい。鋼鉄の塊を生足で蹴ったようなものであるはずなのに、ガンマの脚が砕けていないというのも恐ろしい話だ。
アジダハーカの手首にしがみつき、素早く身を回したガンマが、後ろ蹴りでアジダハーカの足を払い上げる。同時に敵の腕を勢いよく巻き込めば、小さなガンマがアジダハーカを一本背負いの形に投げおおす。投げられるなんて初めてのこと、それでもアジダハーカの戦闘勘は瞬時に返し手を導き、背中から地面に叩きつけられる直前、自由な左手でガンマの髪を掴んだ。
アジダハーカが地面に叩きつけられるとほぼ同時、その勢いに任せて髪ごと頭を地面に引き付けられるガンマ。アジダハーカの腕を離さなくては、首の骨がやられる。間一髪で手を離したガンマは、髪を掴んだアジダハーカの拳に頭から引き寄せられる。つまり拳を鋼鉄のように硬化させたアジダハーカの拳に、額から勢いよくぶつかる形だ。
敵を一本背負いした勢いで、鋼鉄のような拳に頭から落ちたらどうなるだろう。いくらガンマでも首の骨の保障はされない。間一髪でアジダハーカの腕を手放し、地面に両手を叩きつけたガンマは、頭から鋼鉄の拳に落ちながらも、その衝撃を一瞬の三点倒立の形で逃がしている。そのまま突き出す手の動きで、跳ねて前方に一回転して立つガンマだが、振り返る眼差しは首へのダメージで苦悶一色だ。素早く立ち上がったアジダハーカも、クロードに粉砕されたボディを背中から地面に叩きつけられた衝撃に、表情を歪めている。
一瞬の硬直から、先に突進したのはアジダハーカ。距離が詰まった瞬間に拳を突き降ろし、ガンマを粉砕するための一撃だ。それを単にかわすだけでなく、前に飛び込みカウンターの突撃を計る、ガンマの度胸が型破り。右膝に拳を突き出してくるガンマの攻撃を、片足軸にして回転、回避したアジダハーカは、その勢いで極小の回転運動から、低いガンマを背後から膝蹴りで叩き飛ばす攻撃に移る。
殺気に敏感に反応、素早く180度回転して両腕を交差させるガンマだが、重いアジダハーカの一撃はガンマを遠方に吹き飛ばす。頑丈な肉体のガンマはそれでも壊れなかったが、軽い自重はその攻撃を踏み堪えることに向いていない。勢いよく地面に叩きつけられ、3回地面を跳ねて横たわったガンマへ、アジダハーカの間髪入れない突進が迫ってくる。
ガンマが取った行動とは、すぐ脇で斜めになっていた十字架型の墓石を引っ張って、我が身体を素早く立たせる動き。そしてアジダハーカが目前に迫った瞬間、地面を蹴ると同時に両手で墓石を引っ張り、腕の力と脚の力で、弾丸のようにアジダハーカの方向へ飛来する。目測を狂わせるガンマの急加速は、アジダハーカも咄嗟に両腕で盾を作るが、ガンマが突き出した矢のような蹴りが、その両腕に突き刺さる。卓越した速度同士の正面衝突、硬化させたアジダハーカの腕も、ガンマの頑強な脚も、この激突でいくつ血管が切れたかわからない。
堪えたアジダハーカ、壁に衝突した反動のように後ろに跳ね返るガンマだが、着地の瞬間に脇にあった墓石を、ガンマは素早い回し蹴りで根元からへし折る。そして大きな十字架型の墓石を両腕で握ると、なんとそれを武器代わりにしてアジダハーカに猛突進だ。驚くべき破天荒にアジダハーカも後方に回避するしかなく、アジダハーカを頭から粉砕しようとした、ガンマの振り下ろす墓石が、地面に叩きつけられて粉々になる。
アジダハーカが離れた位置に着地したことを見受け、新たな武器を掴もうとするガンマ。目当ては自分のすぐ横にある、もう一つの十字架型の墓石だ。
「それに触るな!!」
その墓石をガンマの横目が捉えた瞬間に響く、アジダハーカの怒号に近い叫び声。墓石に蹴りを放ちかけていたガンマも、思わず蹴りを止めてしまう気迫だ。同時にガンマの視界に一瞬入った、墓石に刻まれし、その下で眠る者の名。その意味を頭が理解するより早く、津波のような速度でガンマに猪突猛進するアジダハーカが迫る。
突進速度を乗せたアジダハーカの拳の一突きを、両手を前に突き出して受け止めるガンマ。砲弾よりも重く速い、凄まじいエネルギーを持つ鉄拳だ。ガンマの両腕も悲鳴を上げるし、アジダハーカの拳に繋がる腕にも、反動の衝撃が貫かれている。その衝突が生み出した衝撃が、朽ち果てた周囲の草木を揺らしただけでも、いかに凄まじい激突であったかは傍からも知れよう。
常に冷静であったアジダハーカが、我を失ったかのような表情でガンマを睨みつける目。ガンマのすぐ横、墓場のやや中心、シア=シェルレーカーと刻まれた墓石にその答えがある。きっとその墓石の下に遺体そのものは無いのであろうが、聞いたばかりのアジダハーカの姓と墓石の文字が一致するのは、今の現状を招いたことに無関係ではないはず。
「負け……っ、るかあっ!!」
片腕のみ引き、アジダハーカの止まった拳を、凄まじいパワーで殴りつけるガンマ。ぶつかり合った両者の拳は相殺の文字通り、互いの骨を粉砕し合う。硬化させた左拳が中まで砕かれたアジダハーカが退がり、右拳が握れなくなったガンマが歯を食いしばる。わずか距離を置いて睨み合う二人だが、どちらも背筋を正して立てる状態ではなく、背中を丸めて息を荒げている。
旧ラエルカンの魔道研究所裏の墓場。それは過去には"渦巻く血潮"の被験者となった末、成功せずに死んでいった者達の墓場だった。復興したラエルカンにおいて、その地はかつての魔導研究所に携わった人々の魂を沈める霊園となっており、今はそのための墓石が並んでいる。旧ラエルカンにてアジダハーカの胎身を作り上げ、魔王軍襲撃によって命を落とした学者の魂も、この霊園で鎮められる形となっていた。亡骸は見つからなくとも、名を刻んだ墓石を作ることが、ラエルカンにおける追悼の意だったのだ。
ガンマのすぐ横にある、アジダハーカと同じ姓を持つ者の墓石が、アジダハーカにとってどういった存在なのかはガンマにもわからない。ただ一つ想像で補えたのは、人でも魔物でもない存在として生まれたアジダハーカが、人としての親が実在したことに対し、ガンマにも知り得ぬ感情を抱いていたこと。言葉で表現できなくても、そうした感情の存在をガンマは想像せずにはいられなかった。
人外なる力を持つとはいえ、人として人間社会に生きていける体を授かったことを、ガンマだって幸福なことだと自覚していたから。生みの親がルーネでなければ、自分はどんな姿で生まれていたのだろう。自分は人間だと、仮にも言い張れることすら難しい生涯を免れた幸運の一方で、そうした運命には恵まれなかったアジダハーカの胸中は、ガンマにだって想像に及べない。戦いの真っ只中にあって、一瞬アジダハーカを見る目が憂いに染まってしまったのも、不思議な感情だ。あれだけ友人の後輩を悲しませたこいつのことが、許せなくて仕方なかったのに。
「……俺をそんな目で見てくれた奴は、貴様が初めてだったよ」
アジダハーカのが一瞬儚げに笑ったのもまた、本心だったのだろう。魔王に立ち向かうために、自らの意志で渦巻く血潮を身に宿した過去の戦士達とは違う。選択肢すら与えられず、人とも魔物とも断言されない存在として生まれさせられた二人。真の意味で互いの立場に共感することが出来、わかり合えるかもしれない相手と、今は殺し合うしかないのだ。敵対する陣営同士ではなく、共に並んで歩いていける世界に生まれたかったと一瞬思ってしまったのは、アジダハーカもガンマも同じである。
人と魔物、それらは殲滅し合うしかない陣営だ。そのどちらもの血を我が身に流す二人は、明確に立場を分かち、いずれかが絶命するまで続く戦いに身を置いた。最後の最後、真正面から心を一瞬でも通わせることが出来たことは、やがて訪れる喪失感と引き換えにもたらされる、ほんの僅かな幸運だったのかもしれない。
「さあ、続けよう……! 俺は主と同胞のため、貴様を殺さねばならない!」
「ああ、やってやる……! 俺の友達を悲しませたお前を、俺は絶対に許せない!」
吹っ切るガンマを促すアジダハーカの宣戦布告は、世界で唯一己と同じ命運を持つ者への、最初で最後の手向けだったのだろう。やるしかないのだ。与えられた運命の下に築き上げてきた、戦う意味と目的、信念。それを叶えるために為すべきこととは、今ここで戦い敵を討つこと以外に無いのだから。
大地を蹴り出し激突に向かう両者。古きラエルカンが生み出した罪深き奇縁は、この日を以ってやがて断ち切られる。
彼の戦いぶりは、騎士団の歴史に華々しく名を刻んだ英雄達とは異なり、華やかさや派手さには極めて欠けるものだ。敵の攻撃を騎士剣ではじき、いなし、生じた敵の隙を突いてとどめの斬撃を放つ、ただそれだけ。大きな大剣で巨人をも豪快に断ち切る近衛騎士ドミトリーや、自由自在に空を舞い敵陣を流麗に切り拓く勇騎士ゲイルといった、現役の英傑と比較しても地味なものだと言える。
それでも、とにかく強い。ラエルカン西部から突入して、ひたすら最前線を駆け、魔物達の陣をことごとく突破する第一の矢であり続けている。ラエルカン城が近付くにつれ、地の利も魔物達に傾き、敵の強さもどんどん増していくというのに、その脚は全く留まることを知らない。このまま行けるなら、間違いなくラエルカン城に一番乗りするのは彼になる。
「バルログども、狙撃しろ! 何としてもあの化け物を止めろ!」
「わかってい……」
地上のギガントスに促された空の大悪魔、バルログが地上の勇者を魔法で狙撃しようとした瞬間、はためく翼が突然引きちぎれた。ある勇者をラエルカン城まで導こうと、この空域を駆けていた大魔法使いの聖戦域の包囲網は、既に空の魔物達を掌の上に収めている。
「流石ねぇ、ベルは。私が何もしなくても、城への到達は時間の問題でしょうけど」
ラエルカンの西から攻め込む人類の師団は、先頭の勇騎士ベルセリウスの快進撃に導かれるようにして、極めてスムーズに進軍できている。死者が無いわけではない。それでも空のエルアーティの手広いサポートの甲斐あって、死地に似合わぬほど犠牲は最小限だ。こちらからの人類を抑えることを命じられた魔物達は、正直一番損な役回りを預かってしまったと言えるだろう。
北や北西からラエルカン城へと突き進む他陣とは裏腹、すでに敵本拠地の城門まで辿り着いているベルセリウスの前には、無数の化け物が陣取っている。魔将軍エルドルが王座を構えるラエルカン城、最後の守りを司るのは、魔物達の中でも最上種にあたる怪物のオンパレードだ。それを目の前にして怯まないベルセリウスのすぐ後ろ、最高の勇者様を味方に持つ人類もまた、恐れより勇気がみなぎっている。これが勇騎士の、勇者のもたらす最高の士気。
「さあ、あと少しだ! 僕達の誇りに懸け、ラエルカンを取り戻せ!」
簡素でシンプルな勇者の掛け声とともに、ラエルカン城の前で幕を開ける最終決戦への序章。空からその様子を見届けていたエルアーティも、あとは放っておいても何とかなるだろうと容易に確信できる。ベルセリウスの脇を固める騎士や魔導士も、歴戦の猛者揃い。それが勇者の存在を身近に最高のモチベーションで戦えるとなれば、敵軍の淘汰は時間の問題である。僅かその戦域に張り巡らせた聖戦域で多少の力添えをして、保険一つかければ充分だろうとすぐわかる。
ならば自分はどうすべきか。さっきから空を渦巻いている、他者の魔力を阻害する風が厄介だ。こんな高度な魔法を扱えるのはアーヴェルしかおらず、補佐に徹する術者だけにその影響力も大きい。だが、攻めも守りも自由自在のアーヴェルが、ここまで補佐一辺倒に努めているのは、エルアーティも気になっている。
「……本人に聞いてみましょうか」
冷静な分析力で見れば、はじめから人類の優勢がほぼ決まった戦いなのだ。魔物陣営が勝利を本気で目指すなら、アーヴェルももっと積極的に攻め気に移り、決定力の一つとならねば火力に不足するはず。獄獣や黒騎士がどこぞで暴れている気配もないし、明らかに魔物陣営の将に積極性が足りていない。不審そのもの。
各地で戦う友軍を、国土いっぱいに張り巡らせた聖戦域でサポートしながら、エルアーティは空を舞う。目指すは百獣皇アーヴェルとの直接的な対面。貪欲に勝利を求める姿とは似つかわない、魔物陣営の真意を明らかにするために。
元法騎士カティロス。弱いはずがない。高騎士までならまだしも、法騎士の名を一度冠した者が、そこいらの有象無象の魔物に劣る実力であるはずがないのだ。両手に握るナイフを目にも止まらぬ速さで操り、すべてが的確に敵の急所を狙った連続攻撃を放つカティロスには、マグニスも後ずさりながら攻撃をはじき続けることしか出来ない。
賭け事でもそうだが、熱くなり過ぎれば自分を追い詰める結果に繋がりやすいものだ。元法騎士という化け物との一対一を作ったことで、今や死と隣り合わせの状況まで追い込まれたマグニス。もっと楽して確実に生還し、報酬だけをちゃっかり受け取る傭兵暮らしが自分のスタンスだったはずなのに、まったく何をやっているんだか。数時間前の自分が今の自分を見たら、馬鹿なことすんなよと笑っているだろう。
すべて承知の上でのことだ。叶えたい何かがある時、虎穴に入らずんばそれを勝ち取れないこともある。カティロスの一撃を、握るナイフでかち上げたマグニスは、後方に跳んだ勢いのまま左手で腰の鞭を握り、一振りで前方広範囲を薙ぎ払う。あらゆるものを焼き切る、マグマのような焦熱を宿した刃のような鞭だ。
自らの胴を斬り裂かん鞭を、一気に体を沈めて回避したカティロスは、そのまま地を勢いよく蹴ってマグニスに接近。ナイフを握った指先を立てて手を振るう、マグニスの指から火球のつぶてが飛来しても、その間隙をすり抜けるかのように、減速しない巧みな接近だ。法騎士シリカも同じようなことをするが、フットワークに秀でる騎士というやつは、どこまでも人間離れした奴ばかりだとマグニスも思う。
眼前近くに迫ったカティロスを見受け、地面を靴先でかつんと鳴らしたマグニスの動きが、目の前に爆音と共に昇る火柱を噴き出させる。炎の壁となりしその横を、直角軌道で素早く迂回したカティロスの脚捌きも特筆点。凍てついた風のナイフがマグニスの首をかき切る動きを演じるが、しゃがんで回避したマグニスの首を、もう片方のナイフで突き刺さんとするカティロスの攻撃が迫る。
マグニスの額目がけて真っ直ぐにナイフを突き出したカティロスと、マグニスの視線が重なり合う。次の瞬間、口に含んだ水を毒霧のように吹くマグニスの攻撃が、カティロスの視界に映っていたマグニスを炎で覆い隠してしまう。マグニスが口から吹くのは、霧吹きのように拡散発射される炎だったからだ。
ナイフの切っ先がマグニスに届くより先に、炎に飲み込まれて我が身さえ包むことを確信したカティロスは、的確な判断力で以って後方に跳び退く。だが、炎でいっぱいになった目の前の光景を突き破るように、自ら猛進してきたマグニスの動きには、最速の反撃を叶えることが出来ない。
切り払う動きで斜め下から、カティロスの首をかき切るナイフを繰り出すマグニスには、カティロスとてナイフを間に挟んで食い止めるしかない。そうするしかない動きを誘うのだ。今はマグニスが攻め手、王手の連続で一気に切り崩す。そうでなければ上座の元法騎士を討ち取る局面は作れない。
ナイフがぶつかり合った瞬間、火花の代わりに刃の衝突点から発生する炎の塊。手首の至近距離で突然に生じた炎は、ただちにカティロスの握り手を侵食した。素早く手を引くカティロスだが、火の手から逃れることには間に合いきっていない。さらにマグニスは鞭を振るい、少し離れたカティロスを焼き切る一手をすぐ放つ。低く膝元を焼き切る鞭は、当たれば決定打。跳躍してかわしたカティロスの柔軟さは、それだけでも賞賛に値する。
真上に飛ばずにマグニスを跳び越えるように跳躍した動きは、本来ならばマグニスの視界から一瞬でも姿を消せる動きだったはずだ。その一瞬の惑いの隙にマグニス後方に着地すれば、すぐに状況を立て直せる実力が、カティロスには備わっている。そうされることが一番困ることを知っているマグニスだから、敵の動きを確認しないまま後方を向き直っており、厄介な敵の動きを目ではっきり追えている。
振り返り様に火球を投げつけたマグニスの攻撃は、カティロスそのものではなく彼女の着地点に着弾し、彼女が地に足を着けるとほぼ同時に爆発を起こした。足の一本でも持っていけるはずだった爆撃が、それを叶えきれなかったのは、着地と同時にマグニスの方向へ、鋭角にターンするカティロスの速度が爆発の速攻性を上回ったからだ。地を蹴った足を炎に焼かれかけながらも、矢のように迫り来るカティロスの素早さは、つくづく予断を許さない。
爆発を背景に背負うカティロスに向けてマグニスが放つのは、苦し紛れにも見えるナイフの一投。カティロスは難なくそれをはじいた。はじいた瞬間に出火する爆裂の魔力も、ナイフをはじいた瞬間に一気に身を沈めたカティロスがくぐる形になる。読み合いではこちらも負けていない。数瞬ののちには、すでにマグニスを射程距離内に捉えたカティロスの姿がある。
「俺の勝ちだ、クソ法騎士」
マグニスが後方に大きく飛び退き、首を裂こうとするカティロスのナイフを鼻差でかわした直後、カティロスがはじいたばかりのマグニスのナイフが、空中である一点に向けて火球を放った。行き先はカティロスの後方、マグニスの火球が爆発を起こして小さなクレーターを作った場所。そこに新たに着弾したナイフ発の火球は、鏡に当たった光のように反射して、背後からカティロスを襲う。
魔導線とは厳密には違うものの、マグニスは自身の魔力の動線を緻密に知っている。投げたナイフ、火球、そして自分自身。それらを繋ぐ魔力の線は、いかなる形でも活かして戦えるように繋いである。空に舞うナイフに込められた炎の魔力は、カティロス後方の地面を爆発させた火球の魔力が残留する地面に引き寄せられ、火球をその方向に放ったのだ。そしてその地点とマグニスを繋ぐ魔力のリンクは、地点に宿された新たな炎の魔力をマグニスへと招き寄せ、その間にいたカティロスに背後から襲いかかる形になった。
拳ほどの火球とはいえ、生身の背中に火球がぶつかり、さらには爆発を起こしたのだ。著しいダメージを受けたカティロスは一瞬動きが止まる。その硬直よりもさらに一瞬早く、後方に跳び退きながら火球を投げつけていたマグニスの先手は、カティロスの顔面を容赦なく捉えた。カティロスからすれば、背後からの火球に怯んだその隙、真正面からの火球をかわしきれずに直撃を受ける形である。
仮に苦痛に闘志を奪われない不屈さがあったって、前と後ろから炎に襲われてすぐ、次の行動に移れるはずがない。カティロスは特別な体を持たない、人としての肉体を持つ者なのだから。炸裂した二つの火球はあっという間にカティロスの全身を包んだが、言うことを聞かない体のカティロスにさらなる火球をぶつけるマグニスの姿は、徹底した無慈悲さを体現したものだと言える。
三発目の火球がカティロスの胸元に直撃した瞬間、その火球は大爆発を起こし、カティロスの肉体を爆散させるに至る。炎に包まれたまま飛び散った、元法騎士スズの肉体は、一部は周囲を取り囲む炎の壁に飛び込んで灰になり、そうならなかったものも地面に転がって、焦熱の炎に包まれて焦げていく。
瞬時に靴裏に火球を宿らせ、空へと駆け上がったマグニスの目指す先。爆発によって上空へと叩き上げられたカティロスの胸より上が、炎に包まれたまま最高点に達し、地面に向かって落ちてくる。弧を描く軌道でそれに接近したマグニスが、炎を宿した手を振るうと、彼の目の前にカーテンをたなびかせたかのような広い炎が仰がれ、カティロスの体を焼き尽くす。一瞬でカティロスの亡骸を真っ黒焦げに変え、地面へと解放したマグニスの行為は、後にシリカがその亡骸を見て胸を痛める可能性をゼロにするためのものだ。
マグニスは止まらない。近く、ラエルカンの平和を祈った賢者の作りし、石碑の頂上までその足を向ける。頂上は三階建ての建物の屋上の高さに匹敵し、人が一人立てるほどの面積を持つ大きな石碑だ。頂点に立ったマグニスは、地上でカティロスとの交戦の証であった炎の壁を消すと共に、我が手に魔力を集める。
「凍てついた風は討ち取った! 平和の石碑も俺達のものだ! 魔物どもなんか恐れることはねえぞ!」
マグニスの両手の握り拳から伸びる、赤々とした炎の棒。その先端に添えられた大きな炎と併せ、マグニスの手中の炎はまさしく旗。赤と黄色と青の炎で織り成したマグニスの戦旗は、滅ぼされたラエルカンの国旗の模様に酷似している。炎の魔力で作り上げた即席の戦旗を振るマグニスの姿は、地上の炎の壁が消えたことによって一戦が終えられたことを認識した友軍に、高みから取り戻すべき誇りの象徴を見せ示す。
戦いも佳境に入りつつあるこの激戦区、士気を失わないことがいかに大きいか、マグニスはよく知っている。だからこそ勝利を勝ち得たことを、近くの友軍に高らかに伝えて鼓舞するのだ。
平和の石碑の頂上という高所から、さらに高く昇るラエルカン国旗模様の炎。魔物達の目にも留まる。空の魔物達がマグニスに目をつけ、殺気がこちらに注がれたとしても、今のマグニスは全く悔いない。これと同じ事を出来る能力があるとしたら、シリカだって必ず同じようなことをやって、仲間達の心を照らす光となっていただろうから。危険を避けたい自らの性分に反してなお、親しき友人の志に似たものを体現する自分の行動に、迷いなどが生じるはずもない。
「シリカ、頑張れよ……! お前は堕ちた騎士くずれなんかに劣っちゃいなかったぞ!」
既に遠く離れた場所で戦いに明け暮れているであろう親友に、届かない声を一人小さく漏らすマグニス。嫌々ながらもシリカの戦闘訓練に付き合わされた過去もあったが、マグニスだってシリカから一本を取ったことは一度も無かったのだ。だが、マグニスはカティロスを破った。誰にも誇れる親友が、人類を裏切った元法騎士より強い奴であると、今日からマグニスは断言できる証人となった。それがこの日マグニスの勝ち取った、もう一つの掛け替えなき戦利品だ。
粗暴なるイフリート族に生まれ、その一族さえも裏切った男。そんな彼が人類の未来を照らす勇士としてここに在れることは、築き上げてきた彼の強さが形にする、人は変わることが出来るということの証明だ。




