第208話 ~ラエルカン空中戦① 魔法使い達の狂宴~
「ガーゴイルどもの編隊を殲滅確認! 第21部隊、攻め込め!」
「了解、北部第7区画の掃伐任務は第40部隊に引き継ぐ」
「北部第21区画に援軍を回せ! 恐らく敵の突破口がそこになる!」
ラエルカン北部は、亡国奪還軍が最初に突入した区画だけあって、戦火の拡大が圧倒的に早い。魔導帝国ルオスの魔導士と帝国兵を主軸にした、ラエルカンを北から攻める人類の軍は、北西や西から攻め込む陣営よりも猛襲性に富む。飛び道具や機動性に秀で、魔法都市ダニームの魔法使い達によるサポートで全体を固め、一部の騎士団員が地上を制圧していく尖兵として駆ける。三方向からラエルカンを攻め落とす中でも最も攻め気が強い一方で、柔軟性も兼ねたバランスの良い集まりだ。
魔力による連絡の交換もしきりに行なわれ、口調も戦場よろしく荒々しいものもあれば、落ち着き払った熟達の魔導士の声もある。すべてが合理的かつ計画的に戦場を支配するための動きであり、一部の指揮官に指図されて動く魔物達の動きを先読みした動きも多い。帝国ルオスの戦いの歴史に積み重ねられてきた、戦人の英知と手腕は間違いなく活きている。戦況は悪くない。
「来るぞ! 全空軍、構えろ!」
「黄銀の太陽……!」
北部進撃部隊の声が飛び交う中、低空建物の影から飛び出した小さな影は、空の魔導士達の群集空域へと輝く球体を投げつける。人類陣営の誰もが初めて見る魔法、鉄のような鈍色の魔法球体が人類の中へと切り込んでいく光景は、その数瞬後に何が起こるのかを誰も知り得ない。だが、何十年も人類と戦い続けてきてなお、ここ晩年でさらに新魔法を生み出した百獣皇の魔法など、激しい破壊の予感しかしないものだ。
人類の集合地の中心で、それははじけた。銀色の魔法球体を中心に、空中を駆ける凄まじき電磁波の拡散は、人も魔物も問わず空の命を射抜き、強烈なダメージを振り撒く。球体の炸裂地点に近かった者ほどそのダメージは顕著であり、防御用の魔力を纏ってなお意識が飛ぶような痛みが全身を貫くものだ。もしも防御が為されていなければ、稲妻の着雷地点のすぐそばにいたかのように、体じゅうを黒焦げにでもされていたかもしれない。
それによって動きが一瞬鈍った魔導士、魔法使い達を射抜かんとする、アーヴェルの放つ真空の刃の数々。熟達の魔導士とて、手負い直後に的確かつ素早いその追撃に対応するのは難しい。それでもなんとか我が身を逃す者もいれば、やむなしと防御の魔力で障壁を作る者もいる。そうした未熟な判断をする後者に限って、アーヴェルの濃密な魔力の刃は障壁を貫通し、首の深くを切断されてしまう。
「絶対に逃がすな! 奴を自由に動かせては被害は拡散する!」
「フォーメーション2の構えを取れ! すぐにでも5に移行する心構えを忘れるな!」
百獣皇アーヴェルたった一匹いるだけで、人類優勢だった図式は瞬時に緊迫状況に変わる。他のどんな魔導士相当の魔物達より、素早く多芸なこの存在は厄介極まりないからだ。無限かと思えるような豊富な魔力を礎に、広範囲破壊魔法も支援魔法も自由自在の魔導士なんて、放っておく方が下の下策。
「よってたかって子猫虐めか……! 噴煙弾幕!」
敵軍が自らの存在を認知したその瞬間、こちらの動きを封じるための陣形を組み始める光景は、アーヴェルにとって想定済みながら実に疎ましいものだ。自らを発射点として、四方八方に粉塵を伴う灰色の熱風を振り撒くアーヴェルは、各敵の目をくらますと同時に自らの高度を下げて姿を隠そうとする。まるで熱風とともに火山灰を吹き付けられる魔導士や魔法使いは、直撃は魔法障壁で防ぎおおすものの、目の前を灰色一色にされてアーヴェルどころか周囲を見渡す視界すら遮られる。
魔物陣営、空の役者はアーヴェルだけではない。建物の屋根を跳び移るようにして戦場高所を駆けるマンティコア、空をはばたくワイバーン、翼を広げて魔法を放つガーゴイルやネビロスの軍勢は、アーヴェルにリズムを乱された空の人類を狙撃する。マンティコアの開口が放つ破壊光線、ワイバーンの吐き出す炎、ガーゴイルやネビロスの放つ火球や旋風砲撃が、広い空を狭めるほどに駆け巡る。これにより撃ち落とされる者も少なくない。
「アーヴェルはどこだ!? 探査小隊、連絡を寄越せ!」
「固執するな! こちら第31部隊がアーヴェルを抑える! 他の魔物の頭数を削れ!」
「陸軍は北部14区画へ走れ! 地上に引きずり降ろしたマンティコアを仕留めろ!」
豊富な兵力、機敏な動き、ラエルカン北部を適切な戦略に基づいて攻め落とす人類の動きは柔軟だ。一人で戦場の大局を変化させる手腕を持つアーヴェルも、逃れた空域先で自らに向けて放たれる、空から地上からの連続魔法砲撃の数々に、回避を強いられ攻勢に移れない。厄介者認定された自分が敵兵力の多くを誘導するのは折り込み済だが、人類側の動きに停滞が見られないため、やはり部下任せでは厳しい現実に、舌打ちせずにはいられない。
さらにアーヴェルには、都合の悪いことがもう一つある。ラエルカン北部侵攻軍から離れようと、空を南下しようとした矢先、とある大嫌いな色をした魔力の気配を察知する。それを目前にしただけで、魔導士達に追われる危険地帯から逃れることも出来ず、旋回して別方向に逃げるしかなくなるのだ。
「聖戦域がここまで……! 手が広過ぎだろ、あのクソ魔女め……!」
追撃してくる魔法使い達に、杖の一振りとともに強風で迎え撃つアーヴェル。一人一人は自らに遥か劣る人間達、それが徒党を組んで大いなる力となり、自らを圧縮しようとしてくる陣形は確かに怖い。だが、幾千の兵よりも恐ろしい存在が、このラエルカンに侵入していることをアーヴェルは知っている。出来れば二度と会いたくない奴で、顔を合わせただけでその強さにうんざりする相手だ。
自由に動けない状況というのはそれだけでいらいらする。無数の人類を敵に回す一方で、ここより遠くで暗躍する大魔法使いの存在の示唆こそ、アーヴェルにとっては最大の脅威だった。
騎士団員を主軸とし、ダニームの魔法使いとルオスの魔導士を補佐役ほどに据え置いた、西からラエルカンを攻め落とす一団は安定している。地上戦においては、三国の中でもエレム王国騎士団の強さが一歩前を進んでおり、やや不安が残る空からの襲撃を、魔法使い達がカバーする構成だ。
魔物達の中にも空襲者が多い中、北部や北西部からラエルカンに突入する他陣営に比べ、西から進んだこの陣営は犠牲者が少ない。非常に兵力を温存したままここまで来られた。迎え撃つ、市街戦を任せられた魔物達も、これを凌ぎ切ることには上手くいっていないようだ。
「快進撃とはまさにこのことっすねぇ」
「どこもそこらも頼もしい奴だらけだから、よっ」
一薙ぎの槍でヒルギガースの首を落としたクロムの刃は、その先で自らに迫ろうとしていたジャッカルの頭も同時に切り裂いている。彼の近くで戦うマグニスも、建物の壁を蹴るなり魔物の死体を踏み台にするなど軽快な動きで、魔法も使わずして高低前後問わない自由な動きだ。跳躍過程に存在する鳥の魔物はそのナイフで切り裂き、目についた空のガーゴイル目がけて火球を投げつける動きまで、全て無駄がない。
安心して自由に動けるのも、友軍の騎士団に属する法騎士など、熟練の線士達の安定した強さのおかげ。特に先陣の一番前を駆ける聖騎士クロードのはたらきは凄まじく、先端に鉄球の備えられた棒を振り回し、次々と魔物達を薙ぎ倒していく。今は亡き国ラエルカンにて、渦巻く血潮により人外なる力を得た彼のパワーは並外れており、敵対位置に立つ巨人グラシャラボラスが握る、大きな錨と武器をぶつけても、単純な力負けをしていない。そのパワーに武器を押し返され、体勢をよろめかせたグラシャラボラスに、空の魔導士が風の刃を放った時点で勝負は決まっている。
魔法狙撃そのものはなんとか回避できたって、練達の破壊者クロードに隙を見せたら終わりなのだ。鉄球棒を振るったクロードの一撃はグラシャラボラスの膝を一撃で粉砕し、倒れかけた巨人の頭めがけてすかさず第二撃を振り下ろす一撃が、決定打となって魔物を打ち砕く。頭蓋を鉄の塊で砕かれては、いくら生命力に富んだ魔物とはいえ、継戦能力を失って力なく地面に崩れ落ちるだけだ。
「クロードどの、あくまでクールにな。戦場で冷静さを失っては死ぬぞ」
「血が昇ろうが冷えようが、戦争は勝った奴の天下じゃ! ラエルカンを奴らなどに預けっぱなしにしてなるか!」
激情のままに武器を振るい、駆けるクロードに、近しい空域からルオスの佐官魔導士が声をかけても、その熱は一向に冷める気配がない。祖国を二度も奪われて、自由気ままに故郷を踏みにじるように闊歩する魔物達を、ラエルカンに生まれたクロードが許せるはずがないのだ。一方で、周りから見れば心配になるほどの眼差しと殺気で駆けるクロードだが、戦人としての思考回路は感情による阻害を受け付けない。何十年も戦いの中に身を置いてきた無二の聖騎士、私情に捕われ動きを乱すような精神模様はしていない。
「全隊、突き進め! 西第10区画の制圧こそが勝利の鍵となる! ぬかるなよ!」
かつてこの地に生まれ育った身だからこそわかる、ラエルカンの都の地相。高低差、路面構成、各地の広さ、どこを抑えれば戦いを有利に進められるかも熟知しており、そうしたキーポイントのうちでどこが最も今から攻めやすいか、現地判断最速で見極められる目が、友軍を一気に優勢に導いていく。西からラエルカンを攻め込む部隊は、クロードのを指示こそ最も聞けと伝えられていたが、まさしく的を得た指摘であろう。
かつて知った頃よりその地が変わり果てても、故郷はかつての愛国者を裏切らない。制圧地点に向けて走りだすクロードの前に現れたのは、この場所を落とされてはまずいとして配属されたギガントス。トロル達の最上位種だ。そうした大駒が据え置かれている時点で、ここが敵にとっての急所であることを物語るものであり、友軍をそこへ導いたクロードの正しさを証明している。駆け出したクロードに対し、見るからに破壊力抜群の鉄球棒を前にして怯まず構えるギガントスは、言うまでもなく強敵だ。
だが、クロードでさえも失念していたことがある。魔物達にとってここが主要防衛地点であるのに、なぜギガントスを残して他の魔物も少なく、ここがこんなに手薄なのか。答えは明白であり、騎士団に属する一人の傭兵が、クロードがここに辿り着くより早くに飛び込んで、魔物達の殆どを掃伐してしまっていたからだ。
振りかぶられたクロードの鉄球を蹴り上げ、カウンターの蹴り出しを放ってくるギガントスの動きは非常に素早い。迅速に地を蹴って身を逃したクロードが見上げた先には、高きギガントスの巨体の背後、高い跳躍を経て空から落ちてくる小さな影が見えた。太陽を背に舞い降りるその影は、激戦であろうはずであったこの一戦を、一幕降ろしにしてくれるもの。
ギガントスの目を引くために鉄球棒を引いて構えたクロードに、魔物は追撃を恐れて回避の動きを取ろうとする。注意は前向きだ。だが、それによって背後から迫る巨大な大斧を持つ何者かからは、完全に意識が逸れている。結果として、気付く間もなく背後から巨大な斧により、頭から真っ二つに体を割られるギガントスの姿が実現してしまう。
「相変わらずの馬鹿力じゃのう……!」
「怪我ありませんですかっ!?」
「おう、お主のおかげでな!」
拙い敬語で聖騎士様を案じるガンマの姿は、難敵ギガントスの亡骸の向こうで小さく輝いている。人類を恐れおののかせてきたこの怪物を、ここまで容易に討ち果たせた経験はそうそう無い。未だ人類史には深く名を刻んでなどいない少年のような彼だが、その実力はかつて戦場で並んだ時から、クロードも認めてきたほどのものだ。
歴史に名を残す聖騎士様と、まるで昔から戦列を共にしてきたかの如く、当たり前のように並んで駆け出す少年。ラエルカン制圧の大いなる武器となり、戦場を駆け回るガンマの存在は、祖国を何としても取り戻したい激情家を支える柱の一つですらある。広き人間社会においては名も無き一兵に過ぎなくとも、立ち並ぶ戦士達にとってのガンマはもはやそうではなく、欠かせぬ強き大駒の一つと言えよう。
「さあ、地図を塗り替えるぞ! 魔物色から人類模様にな!」
「合点です!」
要所の一つを攻め落とした西軍。その勢いは止まらない。制圧地点を次々広げ、亡国中央のラエルカン城まで真っ直ぐだ。
「まずいのう……! ギガントスまで落とされるとは……!」
百獣軍の佐官格、コウモリと人間を掛け合わせたような姿の獣魔、シェラゴは焦っていた。地上の人類の侵攻模様は明らかに素早く、この地を任せられた自分の使命は上手く果たされていない。ラエルカン西部の魔物空軍の指揮官職を預かり、空から人類の地上軍を鎮圧しなければいけないのだが、そもそも空軍そのものが上手く機能していないのだ。
たとえば地上の一角、とある騎士目がけて一体のガーゴイルが、空から火球を放つとしよう。死角から放たれた火球は、未熟な騎士にその攻撃を気付かせていない。普通ならば背後から直撃した火球により、その騎士は火だるまにされて絶命するだけのワンシーンなのだ。
その騎士の背後に突然生じる、術者不明の大きな魔法障壁。それは火球をあっさりはじき返し、しかも地上のジャッカルに向けて跳弾のように飛来すると、魔物を滅ぼす火炎となってしまう。さらには、地上の射手が空のガーゴイルに向けて矢を放てば、ガーゴイルとて容易にやられず、その身を逃して矢による負傷を回避する。問題はここから。
「ご愁傷様」
当のガーゴイルも、その一瞬にだけは感じ取れたはずだ。空に置き去りにされた、何者かが配置した謎めいた不可視の魔力に触れてしまった実感を。そして知った時には既に時遅し、ガーゴイルの背中を中心に発生する、巨大な空中における大爆発は、魔物の肉体を一気に火で包み、悶え苦しむガーゴイルが地面に落下して、やがて絶命する。
「ええい、忌まわしい……! これが聖戦域か……!」
さっきからこんな光景が、空と地上で何度繰り返されてきたか。空中戦真っ只中のヴァルチャーの首が突然飛ぶわ、前触れもなく発生した風が魔物達の動きを乱すわ、こちらの攻撃がどこからともなく発生する魔法障壁ではじき返されるわで、ともかく自由に戦えない。大将アーヴェルから聞き及んでいた話が事実なら、これまでこの戦場で何十回も繰り返されてきたその光景が、たった一人の大魔導士によるものであるというのだから、洒落になっていない。
地上の建物の間をすり抜け、魔力をばら撒きながら滑空する紫色の影は、確かにシェラゴも何度か目にしている。あれが人類陣営の切り札魔女であり、アーヴェルが最も警戒している存在だ。あれを落とさねば、魔物達にとって悪夢とも言える謎の不運が、いつまでも続くというのだから恐ろしい。
シェラゴが周囲の魔物達に魔力と音波で指示を出し、空軍を小さな魔女に差し向ける。敵の殺意が自らに集められたと気付いた魔女は、ならばこの首どうぞと言わんばかりに、目立つ上空に小さな影をふんわり浮き上がらせる。箒に腰掛けた幼い少女のような姿は、まるで高名なる大魔法使いには見えないものなのに。
「旋風砲撃!」
「遅延」
一体のネビロスが紫の魔女に向けて、渦巻く風の砲撃を放つ。軽い声で詠唱ひとつ挟んだ魔女は、目の前に魔力の壁を作りだすが、その壁にネビロスの砲撃が触れた瞬間、魔女の魔力は風の砲撃を包み込むようにして押さえ込む。まるでじゃんけんの理屈で、紙が石を包み込んでしまうようにだ。
「剥奪……捕捉……」
魔物達の前、空域を不規則に飛びまわる魔女だが、決して目で追いきれない動きではない。その動きを捉えるように、火球を放つガーゴイル、稲妻を落とすグレムリン、炎を吐くブレイザー。左から迫る炎を、振った片手で振り払うようにして、しかもその炎を空中一点に大きな火の玉として残す魔女の所業は、あまりにも魔物達にとって不気味なもの。自らを頭上から撃ち抜かんとしていた稲妻も、魔女は加速し自らの脇をすり抜けようとしていた電撃を、空中に留まる電撃球体に変えてしまうではないか。
斜め上方から魔女の頭を食い千切ろうと、その大口を開けて迫るワイバーンがいる。それがスイッチだ。くすりと無邪気に笑った魔女は、ワイバーンと目を合わせると、パチンと指を鳴らす。
「はい、おやすみ」
突如ワイバーンの首元で大爆発が起き、肉体から千切られたワイバーンの頭部が地面に落ちていく。さらには剥奪の魔法で押さえ込んでいた炎と稲妻の魔力を、捕捉の魔法で補足していた魔物の数々に投げつけ、一様にして3体の魔物を撃ち落とす。さらには遅延の魔法で抑えていたネビロスの砲撃が、今さらにして突然先ほどまでの砲撃軌道を取り戻して発射。その射程空域に身を置いていたブレイザーとグレムリン二体を引き千切っていく。
「地上は大変ねぇ。混雑しすぎて手を焼くわ」
見えない真空の刃に頭から突っ込んだヘルハウンドの肉体を真っ二つにすることに始まり、サイコウルフの投げつける風の刃に狙われていた騎士の前に魔法障壁を作って保護、懲りずに自分の方に飛来する一匹のブレイザーは、魔女に届くよりも遥か遠くの時点で突然氷付けになり、動けぬまま高所から地面に落下して絶命する。口ぶりとは裏腹、余裕綽々の無表情が、友軍さえもが見ていて恐ろしくなる姿である。
"要塞のエルアーティ"と呼ばれるその名の由来は、単に自分自身を守る力に特化したゆえのものではない。戦場に張り巡らせた魔力を武器に、友軍の危機さえも救い、同時に敵を据え置いた魔力の罠に嵌めて削り落としていくその戦術は、味方を減らさず敵を落とす理想的な戦い方。それが賢者エルアーティの十八番とも言える大魔法、聖戦域の本質であり、すでにラエルカン広くを駆け抜けた彼女がばら撒いた魔力の数々は、人類陣営が有利に戦える戦闘区域を大きく展開している。ラエルカン西部はすでに、十中八九がエルアーティの支配下にあると形容してもいい状況だ。
本拠地である魔法都市ダニームが舞台なら、それこそ兎一匹通さぬほどに密なる聖戦域を張り巡らせられるエルアーティだが、攻め込む立場でゼロから聖戦域を綿密に張るのは忙しい。守りきれていない友軍の兵もいるし、まだ魔物が自由に動ける空域も少なくはない。とはいえそもそも、彼女が西軍の最前列に並び、進軍部隊への被害を殆ど最小限に抑えてきたからこそ、迎え撃つ魔物達も敵の兵力の多さに苦しんでいる。この時点で充分すぎるぐらい、結果は形になっている。
魔導士としては魔物陣営の中でも上位に属するシェラゴとて、だからこそエルアーティに自ら喧嘩を売りにいくことの無為さがわかってしまうのだ。よって、なんとかエルアーティの支配領域外で、人間達の数を削って落としていくしかない。そうして僅か北へと我が身をずらそうとするシェラゴだが、ふっと空中領域に姿を現した人間が、シェラゴの行く手を阻もうとしている。
「どかぬか、人間……! 岩石弾丸!」
「開門、封魔障壁」
目の前に、敵の魔法を防ぐための空間の亀裂を展開した瞬間、シェラゴから放たれる無数の岩石のつぶてが飛来してくる。一部をその亀裂で飲み込むと、シェラゴを阻んだ人間側も空の立ち位置を正し、真正面から敵の魔導士を見据える形を整える。
「……どこかで見たような顔じゃな」
「ついこの間会ったばかりでしょう? 呆けました?」
「取るに足らん人間など、いちいち覚えておらんでな」
エクネイス侵攻作戦の時にも一度顔を合わせた人間なのだから、流石にシェラゴも覚えてはいる。生意気な口を叩く若い人間に、翼と一体化した腕をシェラゴが振りかぶった瞬間、生じた岩石の弾丸が詠唱なき魔法として魔導士に襲いかかる。足の裏に飛行の魔力を貼り付けた魔導士は、流麗な動きで弾丸を回避するまでだ。挨拶代わりの一撃なら、かわすことも容易である。
「取るに足らないと思っていた人間が貴方を討ち果たしたら、どう思います?」
「はっ、その冗談のセンスだけは認めてやるわ!」
空中戦に明け暮れる魔導士達の一陣に加わり、とうとう指揮官シェラゴの元まで辿り着いたチータ。敵陣突破を叶えた人間を迎え撃つ獣魔シェラゴは、侮りを捨てた目をぎらつかせ、翼を大きく広げて魔力を練り上げた。




