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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第13章  戦に轟く交響曲~シンフォニア~
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第205話  ~開戦前夜 私達は立ち止まらない~



「……寝れそう?」


「上手く寝られるわけないだろ。心臓の音めちゃくちゃ聞こえててさ」


 ラエルカンの北西に位置する小さな村。騎士団と帝国軍、魔法都市の魔法使い師団の連合軍が一同に集まったこの村で、第14小隊は決戦前夜を迎えていた。月明かりの差し込む一室にて、眠れない夜を過ごしていたユースに話しかけるのは、同じ想いで夜長を迎えていたアルミナだ。


 宿の一室、3人泊まりの小さな部屋で、小さな隔たりを経て並ぶ2つのベッドに身を預ける二人。ユースから見てアルミナを挟んだ向こう側にはもう一つのベッドがあるのだが、そこで寝ることが決まった法騎士様は、同じ村に宿営する騎士や傭兵と、明日の作戦について細やかに語らいに出て行った。日もとっぷり暮れた頃だというのに、最後の最後まで時間を使いたがる人だ。そういう人がいるからこそ、ユースやアルミナも明日に向けて早くに床につけるのだが。


「なんか久しぶりだね。私とあんた、シリカさんの3人で動くってのも」


「昔クロムさん達がラルセローミ……だったっけ、に行ってた頃以来じゃないかな」


 名目上は謹慎中ということもあり、第14小隊はやや分解された兵個体として扱われた結果、人員はほぼばらばらになっている。ラエルカン西から突入するのがクロムとガンマ、加えてマグニスとチータ、ここ北西から進軍するのがシリカとユースとアルミナだ。シリカの統制下、揃って動くことで今まではたらきを為してきた第14小隊だが、個々の能力もそれなりに評価されているので、いっそ8人を切り離して遊撃手として使うという、上層部の判断である。急遽参戦したエクネイス防衛戦において、各自ばらけて動いても結果を出していた第14小隊だから、そういう起用方法も有用とされたのだ。


「なんかここ一年で一気に忙しくなったよね、私達。きつい戦役多くなかった?」


「そうだなぁ……思い返せば、平和に近付いたと思ってた今も、全然そんなことはなかったんだなって思うよ」


 魔王マーディスが討伐されたのが今から11年前。当時のユースとアルミナは9歳で、毎日が魔王軍の侵略におびえなくてはならなかった9年間の終わりを、その日高らかな勇者様の宣言によって実感した。平和な時代が来るんだと心から嬉しかったし、魔物達の侵略に怯えなくてよくなった1年間の歳月は、それまでの半生に比べれば本当に何もかもが輝いて見えた。


 魔王マーディスの遺産達が存命とは言っても、仮初めの平和は目の前に常にあったのだ。戦人でなかった二人にとっては、平和な時代の側面しか見えなかった。その裏で、戦いに身を投じる者達が、己や仲間の死を乗り越えて人類の脅威と戦い続けてきた事実なんて、今こうして戦線に並ぶようになってからじゃないと、想像も出来ないことだった。


「えーっと……タイリップ山地、プラタ鉱山、フィート教会、サーブル遺跡、アルム廃坑……レナリックやエクネイスも含めるんだったら、1年前から相当やってるよね私達」


「エトロレンク荒原やゼーレの街だってきつかったよ。なんかもう、よく今まで生きてこられたなって気もしてくる」


「あはは、そうね。私も一回、死亡確定シーンあったし」


 チータが第14小隊に加入したのが去年の夏のことだ。あれから少し後、去年の秋にタイリップ山地に乗り込んだのが、今からちょうど1年ほど前になる。約1年間の間で、アルミナが挙げたような騎士団の大仕事に携わる中で、何度二人も死の危機に瀕してきただろう。それだけ危険な仕事が山積みであったという事象は、平安に見えていた昨今の時代が、本質はそうでなかったという裏打ちだ。少騎士と見習いの傭兵であった頃の二人でさえ、小さな仕事を繰り返してきたばかりで、この本質には気付いてこられなかった。危険な戦線の最前線に立つようになって、ようやく実感できるようになってきたことだ。


 明日に向けての想いを巡らせた方がよほど生産的であろうに、こうして昔のことを回顧してしまうのは、今度こそは今までのようにいかないかもしれない、という不安が先立つからなのだろう。危機が訪れれば、恐怖心よりも現状を打開したいという想いが先立ち、無茶をすることの多い二人ではあるが、やっぱり死ぬことは怖いに決まっている。今までだってずっとそうだが、怖さを感じる想いが一番強まるのは、大きな戦いが近付いた前夜なのだ。


「無理しちゃダメよ、って言いたいけど……ユースは聞かないだろうなぁ」


「お前その言葉、そっくり返してやりたい」


「私はいいの。後衛だからあんたほど危険じゃないもーん」


 お互いの性分はわかりきっているし、釘を刺すように見える口ぶりもお互い諦めムードだ。自分だけじゃなく、戦友にだって死んで欲しくない想いがあるだけに、いくらか互いに本気でもあるのだが、相手がそういう奴じゃないんだから諦めるしかないのである。


「……孤児院の人達、悲しむぞ」


「……何よ、けっこうマジな顔しちゃって」


 それでもこの日ばかりは、ユースも強く推さずにはいられなかった。アルミナが昔お世話になったという孤児院には、ユースも何度か行っている。アルミナのことを慕う年下の子供たちや、巣立ったアルミナを今でも気がける大人でいっぱいだった。アルミナだけに限ったことではないが、彼女が世を去ることになれば悲しむ人が多いことを、ユースは目で見て実感してきた。知り合ってきたプロンやルザニアも、きっとアルミナがいなくなれば悲しいどころの騒ぎじゃないだろう。勿論ユースだってアルミナが悪い未来に取り込まれれば悲しいが、そうした現実が付加されると余計に、アルミナに最悪の結果が訪れることを忌避する気持ちが強くなる。


 おうむ返しに同じことを言ってやってもいいのだが、アルミナは張り合わなかった。自分のことを心から案じてくれている相手に対して、笑って冗談を返せるほどアルミナも今、気が楽なものではない。素直にその言葉を受け取った方がまだやりやすい。


「心配されたわよ、孤児院の子にも、リアラさんにも。そんな危ない戦いに行くのはもうやめて、って、小さい子に言われた時なんて、嬉しかったしすごく困った。……ちょっと泣きそうになっちゃった」


 舌をぺろっと出して笑うアルミナを見ていると、本当にいい笑顔を魅せられる奴なんだってユースも感じてしまう。今の言葉には共感できるだけに、それでも来てくれた彼女の強さも同時に実感する。


「でもさ、誰かがやらなきゃいけないじゃない。リアラさんや子供達は、私を心配してくれるけど、それだけでいいじゃない。あの人達、あの子達が、自分の命の心配をしなきゃいけない時代になんか、絶対させちゃいけないんだからさ」


「……そうだな」


 戦人でない者にはわからない、先陣を駆ける者が実感できる、より厳しい時勢。それでいいのだ。愛する人が戦場に赴くことに、心配でならない人々の心労は確かにわかる。でも、アルミナにとって大切であるその人々は、自分の命の心配をしなくていい。厳しい現実が想像できやすい世界になれば、戦場に立たない者達まで恐怖に包まれる日々が訪れる。それを阻むものが何かと言えば、人類を脅かす脅威が人里を侵略することを未然に防ぐ、戦う者達の生き様に他ならない。


 勇騎士ベルセリウスに憧れて騎士を志した幼少のユースも、法騎士シリカを追いかけて傭兵となった若きアルミナも、幼心にそうした生き方を選べる強き想いが根底に脈づいている。きつい現実を目の前にしてもなお、折れずに前進してこられたのは、自らが戦うことによって為せる何かを、漠然とでも追い求めてきたからだ。そして今、魔王マーディスの遺産達との決戦という、歴史にさえ名を刻むであろう大戦役に並ぶ今、貫くべきは己の生き様だ。築き上げた芯を揺るがせば、結果を残すどころか何も為せぬままにして落命するのが戦場だと、幾度もの戦いで魂に刻み付けてきたこと。


「だから私達、きっといつもどおりでいいんだよ。今回だって、多分……ほら、きっと、何とかなって、また今までのように勝って帰れるはずだからさ」


「……うん」


 それしか在り方を知らないんだから、そうするしかない。自覚があるから他の選択肢を作ることが出来ず、今の希望にすがるしかない。若さとはそういうものだ。そうした己の胸のうちを無理にでも妄信し、迷わず突き進めるのもまた、若さが生み出す最大の武器でもある。


 楽観的な運勢まで心から信じて、何とかなるだろうなんて本気で思えるはずもない。それでも架空の幸運を信じて、今日は体を休めることこそ先決。二人が万全の状態で明日に向かえるため、騎士団員としての仕事を一手に背負ってくれた隊長の想いを汲み、今はただ体を休めることが最善なのだろう。


 真っ暗な部屋の天井が妙に遠く感じるのは、気持ちが沈んで闇が広く見えるからだろうか。ごしごしと目をこすっても、目の前の光景がそう変わったりするわけじゃない。眠れない夜は体を動かさずにいるのが妙に難しくて、アルミナも頭の下にある枕を握り締めたりしている。いつ眠れるだろう。


「……頑張ろうな、アルミナ」


「うん」


 この日の最後の会話は、極めて単純な言葉の交換で締め括られた。静寂の広がる宿の一室で、死線を前にした若き戦士達は、じんわり、ゆっくり、深い眠りに落ちていくのだった。











「――ディルエラ」


「おう、ノエル……様、かね。今は」


 花の咲き乱れていたラエルカンの公園も、侵略の火と毒にまみれ、月夜に似合った灰色の荒原と化している。そこで気ままにあぐらをかき、葉巻を吸っていた獄獣ディルエラは、語りかけた百獣王ノエルに会釈を返して挨拶する。


「貴様は長らく、俺のことは呼び捨てだったはずだがな」


「今のお前は王の名に相応しい目をしてるよ」


 元々ディルエラは意外と世渡り上手、逆に言えば組織の調和を乱さぬための配慮は出来る方であり、状況に応じて相手を立てる口が使える。魔王マーディス存命であった時代も、言わば雇い主のマーディスとも上手くやっていたようで、敬語を使わず魔王と話せたのはディルエラぐらいのものだ。アーヴェルとの主従関係を断ち切り、百獣の王として君臨する今のノエルに対して、敬称を添えて返答したディルエラの態度には、その柔軟性がよく現れていると言えよう。


 ノエルはディルエラの前に立て膝で座り、相手との目線を等しいものに持っていく。支配者の頂点にあれという精神を取り戻した今のノエルは、相手を高き場所から見下ろして語るのが本来の姿。敢えて腰を降ろして相手を見下さない形を作ったのは、ディルエラの態度に対する無言の返答でもある。自らを軽視する者は決して許さないが、貴様ならば対等に話すことも良し、という示唆だ。


「貴様は次の戦いを最後に、我らの元を去るのだな」


「生きて終われればな」


 葉巻を吸って煙を吐くディルエラだが、顔はちゃんと相手から逸らしてある。相手の顔に煙を吹きかけない配慮は、当たり前のように習慣づいているのだ。


「貴様が自らの死を意識するとは珍しいな。人間どもに遅れを取る己を想うのか」


「さあ」


 今吸っている葉巻を半ばにして握り潰したディルエラは、懐から新しい葉巻を取り出して火をつける。勢いよくそれを吸うディルエラだが、先端の灰はすぐにぽとりと地面に落ちてしまう。それを見てディルエラは、葉巻を口から離して苦笑いだ。


「何度当日の運勢を占っても大凶なんだわ」


 ひと吸いでどれぐらい吸えるか、それがディルエラにとっての運勢占い。一気に殆どを吸えるなら吉、すぐに灰が落ちたら凶。この日その占いを試すのは3度目のようだが、いずれも凶兆を意味するような結果にしかなっていないらしい。


「貴様が初めてベルセリウスに敗れた日も大凶だったか?」


「その日はここまでじゃねえ、ただの凶。案外この占い、当たるからよ」


 ノエルがどう思っているのかは知らないが、ディルエラも当日の戦役で魔物陣営が劣勢であることを、今から既に悟りきっているのだ。今まで一度のはずれを知らない占いの示す凶兆には、自らの終わりさえ意識せずにはいられないのだろう。賢者ルーネや勇騎士ベルセリウスに敗戦した時とて、巡りが違えば手負いの身を追撃され果たし、命を失っていたであろうことも事実だと認識しているからだ。


 黒騎士ウルアグワや魔王マーディスとの義理があるから、最後の戦いには加担すると約束しているだけ。それが終われば、エレムやルオスの手強い人間どもに追われる暮らしからもおさらばだ。ノエルもそれを知っているからこそ、最後に一度ご挨拶に訪れたという部分もある。


「まあ、あまり期待せんでくれ。自分の命のためにも、全力は尽くすがな」


「貴様はそれでいい。いい働きを期待している」


 ディルエラを従える立場ではないノエルだが、相手を配下と認識したような言葉遣いが自ずと表れるのも、今の精神模様の表れなのだろう。立ち上がり去っていくノエルを見送るディルエラも、かつて出会った頃のノエルが帰ってきた姿には、感慨に近い感情を抱いていた。


「おーい、俺の"飼ってる"連中には手を出さんでくれよ? 当日は収穫の時なんだからよ」


 呼びかけるディルエラだが、ノエルは答えることなく去っていった。聞こえていないはずはないので、要求を呑んでくれるかは相手の機嫌次第だろう。やれやれというふうに、ディルエラは改めて葉巻をくわえると、黒騎士に提供された味を嗜み始める。


 人類にとっては常に死と隣り合わせであろう、ラエルカンを舞台にした大戦争。その実ディルエラにとってもそれは例外ではなく、強き人間どもの集う戦場においては、己の命すら危機に晒されるであろうことも、獄獣は強く認識している。それでも楽しみだ、という一念を胸に上機嫌な笑みを浮かべると、ディルエラは肺いっぱいに吸い込んだ煙を吐き出した。




 ディルエラとノエルが短く語らった位置から僅か離れ、建物に背中を預けて腕を組む者がいる。大将格達の会話を立ち聞きしていたその存在は、まるでその内容をあざ笑うかのように、鉄仮面の奥から笑い声を殺しきれずに漏らしている。


「ウルアグワ様?」


「気にするな。話してもわからん可笑しさだ」


 すべてが上手く運んでいる。獄獣ディルエラや百獣皇アーヴェルが去らずにいてくれたことも、百獣王ノエルがかつての精神を取り戻したことも、ラエルカン城の玉座にふんぞり返っている魔将軍エルドルのことも。目的を達成するにあたって、最高の形で戦役を迎えられるであろうことに、黒騎士ウルアグワはこの上なく機嫌がいい。


 出撃準備を固める人類陣営の動向も、番犬アジダハーカを主導者とする配下達の諜報により、細やかな報告として受け取っている。ウルアグワ自身の頭脳に加え、元騎士団員である凍てついた風カティロスの知識が重なれば、いつ人類側がラエルカンに乗り込んでくるかも概ね割り出せている。単なる元人間の知識ならあてにもならないが、法騎士の地位まで一度上り詰めたカティロスから得られる情報なら、騎士団の戦術を読みきるための大きな指針になる。カティロスが魔物陣営に寝返ったことに、騎士団も計略の漏洩を恐れて作戦を組み替えるだろうが、それでも向こう側の根底戦略を念頭に置いた上で策を組めるというのは大きい。


 そして何より、カティロスは絶対に裏切らない。一度こちらに寝返った者など本来、いつ向こうに翻り直すか本来わからぬものだが、カティロスに関しては違う。元人類陣営の有力な存在であり、向こうの内情を知るというアドバンテージを持ちながら、永遠に自らの手を離れない存在だ。かつては人類最悪の敵とまで言われた自分のそばにつくことを選んだカティロスのことを思えば、それこそウルアグワにとっては一番笑えてならないことだ。


「運命の日は明日になるだろうな。その時には貴様にも、存分に働いてもらうぞ」


「わかっています」


 かつて騎士団に忠誠を誓っていた法騎士スズ。その時と変わらぬ眼差しと声で、主の望みを叶えるために死力を尽くす精神を表すカティロス。ウルアグワの計算は、悪い方にもより良い方にも傾かず、想定と一切変わらぬ形で現実のものとなっている。明日も恐らく、想定外の事態を込みにしてなお、ウルアグワ最大の狙いは確実に叶えられるだろうと、漆黒の鎧の大将格はほくそ笑んでいた。


「さあ、行け。明日に控えるといい」


「かしこまりました」


 今さら特に、カティロスに細かい命令を下す必要などないのだ。彼女の精神に身を任せることを促し、思うがままに戦場を駆けさせるだけでいい。それだけで存分のアドバンテージが稼げるのだから。それだけウルアグワは、カティロスのすべてを支配したことに自信を持っている。


 黒騎士ウルアグワにとっては、戦争の勝敗さえもがどうでもいいことだ。魔物陣営にとっても苦闘は間違いなしという日が明日に迫っていてなお、仮面の奥で笑う悪魔の笑みは途絶えなかった。











 朝を迎えて宿営地を旅立った戦士達は、勢いに任せる形ではなく、じんわりとラエルカンに接近する。空の遥か高くからラエルカン地方を見下ろせば、人類の塊が地図上をゆっくりと歩く黒点に見えるほどであり、それが各方面から朝日を受けながら、魔物達に乗っ取られた亡国に向かっている。


 地平線しか目の前にない光景を、多数の戦士が集う軍勢と共に歩くというのは、それだけで戦いの前であることを実感するものである。騎兵混じりの連隊の中にあり、かつ隊の最前列を歩くユースは、いつ目の前に敵が現れるだろうと思うと、集中力を途切れさせることが出来ない。


「ねぇねぇアルミナ。私の出番っていつ?」


「しっ、黙ってて。みんなぴりぴりしてるんだから」


 自分の胸元からひょこっと顔を出した小さな妖精を、アルミナは指先できゅっと押し込む。胸に直接触れてもぞもぞ動かれるとくすぐったくて仕方ないが、いよいよとなるまでは我慢するしかない。


「……いつでも言ってよ?」


「わかってるって。忙しくなるから覚悟しててよね?」


 周囲が緊張感を増す中で、独り言のようにぼそぼそと語るアルミナ。すぐ隣を歩くシリカやユースには、アルミナが誰と、何と話しているのかもわかっている。


「私語はほどほどにな」


 笑いながら頭を撫でてくるシリカだが、とりあえず形式的にでも注意しておく癖が抜けきらないのだろう。別に強く怒られたわけでもないのだが、とりあえずアルミナは自分の胸元に隠れている妖精を指先でぐりぐりしておく。あんたのせいよ、という、冗談混じりの抗議である。


 進軍作戦は極めてシンプル。ラエルカンの北部、西部、北西部から、騎士団と帝国軍と魔法使い師団の連合軍が波状攻撃を仕掛けるだけ。一陣、二陣、三陣と覆いかぶせるように次々と加勢し、一気にラエルカン本国まで雪崩れ込むという算段だ。そんなことをしなくても各方面から3陣営固めて一気に突っ込めば、という発想もあるにはあるが、相手にも術士が数多いため、あまり密集させた兵力で一度に押しかけることは推奨されない。アーヴェルやエルドルのような怪物が最たる例だが、一発の魔法で広範囲を一気に焼き払うような術士も、相手陣営にはいるのだから。


 シリカ達が配属された連隊とは、ラエルカン北西部から敵本拠地へと進軍する第一陣だ。すなわちこの方角から攻める部隊としては、最初に魔物達と遭遇する位置取りであり、危険もそれなりに大きい。聖騎士3名と法騎士7名を揃えた磐石ぶりとは言っても、いわば仕事としては鉄砲玉に近いとさえ言える。敵の前衛を突き崩したら、戦える数名を残して撤退、やれる者だけでラエルカンの攻略をせよという部隊なので、最初の山場さえ越えてしまえば安全を選んでいい部隊でもあるのだが。


 シリカもユースもアルミナも、体が突き動かせる限りはどこまでも突っ走るだろう。それは彼女らの周囲にいる騎士や傭兵達も同じこと。ここが人類の命運を左右する、歴史の帰路だと誰もがわかっている。それをわかっていて戦列に並ぶことから逃げなかった者など、歴史の流れに酔ってでも、愚直に戦える精神を持つ者しかいない。容易に逃げ出す者ならば、初めから魔王マーディスの遺産達が集う亡国への進軍などに参加しないだろう。


 地平の彼方に、黒い何かがうごめいている姿が見えてなお、誰一人として怯まない。ラエルカン本国を前にした平原、ゆっくりとその姿を見せたそれが、魔物の集合体であることなど誰もがわかっている。魔物達の軍勢の上空には、巨竜と思しき影が翼をはためかせている姿だって確認できる。この距離で姿が見えるということは、近付けばどれほどの巨大さであるというのだろうか。


「空はお任せ致しましたぞ」


「ええ。騎士団の方々には、地上をお願い申し上げます」


 連隊総指揮官、聖騎士グラファスの隣で低い声を放つのは、この連隊に属する魔法使いを統べる、魔道帝国ルオスの佐官魔導士だ。ルオスの魔導士とダニームの魔法使いをも擁するこの連隊は、騎士団の侵攻力を補佐する最大の飛び道具を得て、前方から迫り来る魔物の群れを迎え撃つ。あるいは迎えるのではなく、こちらから踏み潰さん勢いで突き崩すのだ。


 この連隊だけで魔物達の第一陣を破れるなら、後続の第二陣にも相当な余力を残すことが出来る。開戦の滑り出しを占う第一陣の重みは計り知れなく、得物を握ったシリカとユースの眼差しにも強い光が宿る。銃を握り締めたアルミナも、胸元に潜んだ妖精のくすぐったさを、とうに意識しない集中力。


「やるわよ、ユース。私達が、一番槍」


「ああ」


 漠然とした魔物の集合体だったそれが、ミノタウロスやオーガのような力自慢の怪物を筆頭とした、魔王軍残党の鉄砲玉だとわかるまで時間はかからない。最前列がそれなのだから、その後ろにはもっと凶悪な魔物の指揮官格が控えているのだろう。一年前のユースなら、あんな光景見ただけで腰が引けそうなものであろうに、たじろぎもせずに前進していけるのは今の姿は成長の証だろう。


 恐れてなどいない。恐れるべき何かがあるとするならば、雑念に取り付かれて剣を鈍らせる己の未熟さ以外にない。時は来たのだ。積み重ねてきた己のすべてを信じ、ただ全力を投じ続けることだけが、唯一にして最大の使命である。


 10秒後の激突を前にして、人類陣営の最前を歩いていた聖騎士グラファスがほんの少しだけ歩速を上げた。衝突までの時間が2秒縮まる。それを追うようにして、後続の騎士達も一気に加速する。さらに1秒縮まる。


 敵の奮起を目にした魔物達が、ゆっくりと進めていた足を急加速させた。3秒縮まる。グラファスを追い抜いた高騎士が、魔物達の一番前を走ったミノタウロスの射程範囲に入る1秒前。それはすなわち、歴史的大戦の始まりを告げる最初の衝突だ。


「行くぞ!! ユース、アルミナ!!」


 戦士達と魔物達の怒号と雄叫びに呑まれ、シリカの耳には届かなかったかもしれない二人の声。それでも確かに通じ合う、人類の行く末を占う戦いに懸けた決意はシリカに届いたはず。第14小隊が尖兵達は、生存と勝利をその誓うとともに、死闘の開戦へとその身を勢いよく投じる。


 エレム王国、魔導帝国ルオスの戦旗が掲げられた人類の軍勢の中、失われたラエルカンの戦旗が並んではためく。失われた誇りを取り戻す決戦の火蓋は、今ここに切って落とされた。

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