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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第13章  戦に轟く交響曲~シンフォニア~
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第204話  ~開戦2日前 魂を呼び覚ますもの~



 かつて皇国ラエルカンの魔導研究所であった建物は、現在百獣皇アーヴェルが腰を据えたねぐらになっている。魔物陣営の大将格であるアーヴェルの居城とも言えるこの場所は、誰も許可無く立ち入ることが許されておらず、その奥の一室にて邪魔者なく、日がな一日アーヴェルは魔法の研究に明け暮れている。建物の外で吠えたける魔物達の騒音公害にいらつきながらも、近くにそいつらがいないだけでもまだ随分集中しやすい場所だと言えよう。


 開戦が近付くにつれ、生存欲の高いアーヴェルがぴりぴりしてくるのは普段どおりのこと。それでもここ数日間の、アーヴェルが抱く焦燥感と苛立ちは半端なものではなかった。壁を爪で傷つけた目印を何度も見返しながら、自身の中に渦巻く魔力の調節、発動、制御を繰り返す毎日。無風のはずの密室内でゆるやかに風が吹くが、今手なずけようとしているこの魔法は、果たして実戦でも自らが望むほどの風を生じさせてくれるだろうか。


「失礼します」


 人間にとっての部屋の入り口では、この魔物にとっては狭い門だ。窮屈げに扉を開け、敷居を跨いで入ってくる側近に振り返ると、興奮しきった真っ赤な瞳でアーヴェルは詰め寄る。


「てめーに当たっても仕方ねーのは重々承知ニャ……! だが、殴らせろ……!」


「どうぞ」


 ひざまずいて頭を垂れる側近、ノエルの前まで歩み寄ると、アーヴェルは握りしめた杖でノエルの側頭部を殴りつけた。小さな体でも、その肉体の強さは見た目に似合わない。人間が頭にくらえば、首の骨を折られてしまうような一撃だが、ノエルはふんと鼻息ひとつ吐いて、動じぬ姿勢を保つ。


「随分と普段以上に不機嫌ですね」


「最終兵器が間に合うかどうかわかんねーんだよ……焦るのも当然ニャ……!」


「ウルアグワ様に頼まれていた?」


「あんなもんとっくに片付けとるニャ! 舐めんじゃねえっ!」


 一番肝心である秘法の解決など、一週間以上前に済ませてある。それに時間を割かれたからこそ、戦場で自分を守るための切り札、とっておきの大魔法の開発が遅れているというのに、今さらそれを蒸し返すなとアーヴェルは杖でノエルの頭を殴りつける。頭蓋まで響く理不尽な暴力にも、ノエルは顔色ひとつ変えずに耐えている。


 鼻息荒く、自分よりも遥かに大柄な魔物を目の前にして、怒りに染まった真っ赤な目の色を鎮めていくアーヴェル。主の怒りが収まっていくことを意味する光景に、ひざまずいていたノエルは立ち上がる。獅子面の屈強な怪物の前、コウモリの羽を背負った子猫の魔物、どちらが上の主従関係なのだか、見た目からだけでは絶対に正しい答えが推測できない。


「……ノエル。(それがし)がこのクソ忙しい中、どうしててめえを呼んだかわかるか」


「近き決戦にまつわる話だとしかわかりませんね」


「そうニャ。黙って最後まで聞けよ」


 座れ、と言うアーヴェルに促され、ノエルはその場にあぐらをかく。ノエルの前に立つアーヴェルは、それでもノエルより目線が低い。だが、少し見上げる形でノエルの瞳を貫く、アーヴェルの眼差しは非常に鋭い。


「てめぇと出会ってからもう何年経つ? 初めて某がマーディスの軍門に下った時、某はマーディスの言葉に従うまま、百獣王ノエルの配下となった。てめぇが率いる百獣軍、大将ノエルと参謀魔導士アーヴェルの猛威により、数々の人間を葬ってきたのは覚えているな」


 黙って聞けと言われたノエルは、小さくうなずいてその言葉に応じる。アーヴェルの語り口は、その反応を捉えているのかどうかもわからぬほど、止まらずそのまま引き続く。


「やがてマーディスの命令により、某が百獣軍の長となり、同時にてめぇは大軍の指揮官の座を追われた。魔王マーディス、支配欲の権現とも言える存在が創造したてめぇにとって、支配者の立場から小さな猫の右腕へと凋落したことは、耐え難い屈辱だったはず。そうだよな?」


 ノエルにとっての絶対的君主、それは魔王マーディス唯一であり、魔王軍最古参の魔将軍エルドルでさえも、ノエルにとっては恐れる対象ではなかった。仮に主君たるマーディスが許すなら、不遜なエルドルなどいつでも殺してやると毎日のように思っていたものだ。驕りではなく、それが出来るだけの力もあったからだ。


「一軍の長であったお前がそうでなくなった時、エルドルに鼻で笑われたのを覚えてよな? 見下してくる向こうの目線に耐えられず、奥歯すら噛み砕いたよな? そんな結果を自分にもたらした、百獣皇アーヴェルのことが許し難かったよな?」


 何度ノエルも、アーヴェルを背後から握り潰したい衝動に駆られたかわからない。アーヴェルだって知っていたことだし、百獣皇が当時最も警戒していたのは、敵である人類以上に側近であるノエルの反逆行為だった。


「それでもお前は、某の優秀な右腕であり続けた。メラノスのように稚拙な頭で某の参謀職に口出ししてくることもなく、シェラゴのような生意気な態度を某に見せることもなく、ただ従順に、以って生まれた力を振るい、戦場を支配し続けた。某の名が人類どもに知れ渡ってなお、百獣王の名を忘れ去られてもなお、ノエルの名は人間どもの心に根付く、恐ろしき文字列として残っただろうよ」


 造反する可能性のない、優秀な駒というのは、主にとって非常に心強いものだ。己の絶対性を妄信する魔王マーディスのような存在には、配下の頼もしさを意識する思想は初めからないだろうが、駒を使って地力以上の大事を為すことの大切さを知るアーヴェルは違う。魔王軍に刃向い続けられた人類、その強さの本質が結束力であると、魔物達の中で最初に気付いたのもアーヴェルだ。


「てめぇはそれで満足なのか。支配欲にまみれた魔王マーディス、その存在が生み出したてめぇは、支配こそ己の当然であると、血と魂にその精神が沁み付いているはず。某のような、見た目にも卑小な存在の下につき、従順な飼い猫であることは、てめぇの魂が満足できる生き方か?」


 ただでさえ鋭い眼差しが、目線だけで相手の心を深く突き刺し、痛みを覚えさせるほどまでに尖り始めるアーヴェル。向き合うのがノエルでなく、そこらの一般的な魔物でなかったら、この突き刺す視線だけで一歩後ろにたじろがずにいられないだろう。


「"支配こそ全て"。それがてめぇとエルドル、魔王マーディスに共通した魂の声だろうが。某に理不尽に殴られて何を感じた? 小生意気な鼠のような小さな主に当たられ、何も言わずにその後の言葉に従う、そんな生き様のどこが支配者? かつて百獣王と恐れられた、怪物ノエルの今がそれでいいのか?」


 アーヴェルが杖の先でかつんと床を鳴らした音は、静かな一室で残響を残す。激情に任せて怒鳴り声を撒き散らすことが毎日のようだった百獣皇が、抑えた声で魂まで貫く言葉を放ち続ける。ノエルの胸にふつふつと沸いてくるのは、かつてこのアーヴェルの配下とされたあの日に並ぶ、上から言い放題にされる凋落者の怒り。


「支配の象徴、魔王マーディスの遺産である某らは、再びこの地ラエルカンを支配した……! これが我らのあるべき姿! 刃向かう人間どもの言い分など聞かず、こちらの要求を強いるのみ! 逆らう者など皆殺しにし、従順な者だけを意のままに従えさせる! それが"支配"というものだよな!?」


 声を張るアーヴェルの気迫に応えるが如く、ノエルの全身から、たてがみもざわつくかのほど覇気が溢れ始める。長らく百獣皇アーヴェルの下につき、百獣王の名を捨ててきた怪物の精神が、かつてのものへと近付いてくる。


「人間どもは、やがてこのラエルカンに訪れる。魔王の遺志たる、我らの支配を退けて、奴らの自由を勝ち取るために戦いを仕掛けてくる。お前がそれを迎え撃つのは何のため? 細々と主の支配下で身狭に暮らす土地を守るため? 自らの命を守るため? それとも己の命を守ってくれる、強き主の命だけでも逃がそうという義侠心のため?」


 目覚めつつあるノエルの魂は、それらの回答選択肢すべてにばつをつける。己の内なる声が騒ぎ立てる。支配者たる我らに逆らう人間達は、それだけで許すまじき対象であるとするに適正。過去には考える間もなく導き出されていたはずのその答えが、今再びノエルの胸に蘇る。


「目を覚ませ! 百獣王! 上からの口を叩く某が憎いか!? 自らを恐れず平然と口を利いてくる、獄獣や黒騎士、魔将軍が疎ましいか!? 支配者に逆らう人間どもが許せるか!? なぜ全てを見過ごし、頂点を失った虚しい日々を貪っている! それがかつて"王"の名で畏れられたノエルの今の姿か!?」


 口うるさく自らに説教するアーヴェルに対するノエルの怒り、それがゆっくりと目の色に舞い戻り始めたのを見計らい、アーヴェルが憎らしき対象の数々を一気に列挙する。かつて当然のようにあった、意のままにならぬ者をそれだけで許し難かった日々の想いを、アーヴェルの言葉が蘇らせる。自らに向けられる、殺気にも近いノエルの覇気を受け止めながら、百獣皇も一切引き下がらない。


「今を以って、某の百獣軍からてめぇを解任する。主を失え、全てが自由だ。従う相手を新たに探すもよし、従わせる相手を捕らえるもよし。人間どもの強襲に対し、尻尾巻いて逃げるも自由。てめぇはもう、支配される側じゃねえってことだ」


 そう言い残して、アーヴェルはノエルの横を素通りしていく。解任、それは今の主従関係を解消し、自らの手駒として極めて有能であったノエルが、自らのことに従う筋合いを無くさせる言葉。それも、自分に従ってきた今までのノエルを、すべて否定した上でだ。これらの言葉が叶えるのは、もはや今後二度とノエルは、アーヴェルの意のままにはならないという現実である。


 それが必要なのだ。どのみちアーヴェルは次の戦役を最後に、魔物達の軍勢から去る。長きに渡る、魔王マーディスの配下であった魔物達との付き合いも、終わりを迎えようとしているのだ。自らの支配により、支配者たる強さを失いつつあったノエルなど、人類を迎え撃つ最後の戦いに求めていない。


「この研究所内で読み書きした知識は全て頭に詰め込んだニャ。このねぐらも、てめぇの仮初めの城としてくれてやる。百獣王ノエル、後はてめぇの好きなようにするといいニャ」


 短い足でゆっくり歩き、杖先の鈴を鳴らして去りゆく百獣皇。共闘の機会を数日後にただ一つだけ残し、袂を分かった百獣軍の将二つは、離れていく背中と共に縁の切れ目を実感する。


 一室からアーヴェルが足を踏み出そうとした、その瞬間のこと。


「……貴様には感謝する」


 一度立ち止まったアーヴェルは、振り返らずに無表情。普段ならば、口の利き方に気をつけろと一喝してきたはずの場面、シャンと杖先の鈴を鳴らす後姿は、背を向けたノエルに手向ける別れの音だろうか。


「魅せろよ、百獣王」


 百獣軍大将の言葉を最後にして、長く魔王軍が一角を頂点から支えてきた最強の魔物達の縁は断ち切られた。自らの背後から遠のいていく、小さな体の大魔導士の足音を、獣魔と呼ばれて久しいノエルは、動きもせず最後まで聞き届けていた。




 この日の夜のことだ。百獣軍の一角、数多くのグリズリーやアウルベアーが生息する区画に、獅子面の怪物が現れる。長く百獣軍の二番手でありながらも、百獣皇アーヴェルの側近として戦場に並ばなくなって久しい怪物の力を、けだものの集いである魔物達の集団は忘れていた。


 何気なく近付いた一体のグリズリーの頭を、その怪物はまるで果実をもぐように引きちぎる。頭蓋を貫く鋭い牙で、もいだ魔物の頭を噛み砕く怪物の姿に、屈強な魔物達も度肝を抜かれたものだ。たまたま空を飛んでいた鳥の魔物達も、ぞっとする光景から離れるように散っていく。


 その区画の魔物達を統べていた1体のグレイマーダーも、将の乱心に駆けつけた。もしもその暴れぶりが目に余るようならば、同胞達を守るためにも総出で抑え付けなければならない。そう覚悟して怪物の前に現れたグレイマーダーですら、目の前の獅子面の怪物の姿には、新たな確信を得る。


 支配者が帰ってきたのだ。怪物を目にした時、本能の底から蘇ってきたその想いは、かつて魔王を崇め奉っていたあの日と変わらぬもの。逆らう者には容赦はしない、我が道に従う者にこそ、最強の味方を持つ優越感を味合わせん。風格だけでそれを示す獅子面の怪物の横顔は、広き魔王軍残党の中でも強者に属するはずのグレイマーダーもが、恐れとともに畏れを抱くもの。


 巨大な体躯のグレイマーダーも、王の眼差しに睨まれただけで平伏の姿をとる。それが我を見えた者の当然の姿であると、魂の呼び声が示すとおり当然のように認識した怪物は、ラエルカンの夜に響き渡る凄まじい雄叫びをあげる。魔王マーディスの遺産と呼ばれる4体を除き、その咆哮には魔物達の誰もが鳥肌を立てた。獄獣ディルエラは気にも留めず、黒騎士ウルアグワは笑い、魔将軍エルドルは煩わしいと舌打ちし。空でその咆哮を耳にしたアーヴェルは、それで良いと小さくうなずいた。


 百獣王が帰ってきた。百獣皇アーヴェルが魔王の軍門に下る前には、黒騎士ウルアグワや魔将軍エルドルと並び、魔王軍最強の三本柱と言われた怪物がだ。











 歴史的大戦を2日前にも控えれば、嫌でも自らの近き死を意識してしまうものだ。何十年にも渡って死線をくぐり続け、それに慣れてしまった練兵ならまだしも、若き戦士ならば尚更である。更に絞れば、大切なものが多い者であればあるほど、そうした想いは顕著になる。


 開戦前夜たる明日には、王都を出発し、作戦に準じた持ち場への移動が始まってしまう。今宵が戦前に王都で過ごせる最後の夜であり、それぞれが今日で最後かもしれぬエレム王都の暮らしを噛み締める。アルミナはお世話になった孤児院へ、キャルは祖父母のように自分を愛してくれた元商人の二人の家へ、ガンマは久しぶりに一緒になれた兄貴分、クロムと一緒に懐かしいエレム王都の街巡り。ユースだって、故郷が今は安全に過ごせない状況を鑑みて、ここ王都にしばらく住まいを借りている母のもとを訪れ、決戦前夜にその過去を伝えている。感慨もくそもなく、訓練場で騎士剣を一人で振るっているシリカの方が、やや特殊なぐらいだろう。


 夕食時にもなって、第14小隊全員王都に揃っているというのに、一人しか家にいないなんていうのはなかなか珍しいことだ。独りで居間にいてもつまらないし、自室で一枚の紙を開き、明後日の戦役に向けての立ち回り方を考察するマグニスの姿は、仕事に前向きという意味では恐ろしく珍しい。もっとも、戦場において生存するため、想定を広く持ちたがるマグニスの理念としては、特におかしなことでもなく普段どおりのものなのだが。


 ラエルカンの地図と睨めっこしながら、当日どのようにして立ち回るべきかと、マグニスは思索を巡らせる。人が住まっていた頃の町の地図、魔王軍残党に滅ぼされた今はもう、地図どおりの様相は保っていないだろうが、当日の動線のしるべぐらいにはなるものだ。空を駆けられるマグニスにとっては進撃ルートの選択肢も広く、だからこそ考えることが増える。邪魔者なしで、静かな一室にて集中力を研ぎ澄ました思考をはたらかせられるのは、ある意味で都合がよかった。


 ふと、そんな中に割り込んできたノイズ。自室のドアをノックされた瞬間に、一人の世界に入り込んでいたマグニスの精神が、現実世界に呼び戻される。


「入っていいぞー」


 考えも煮詰まってきた頃合いで、椅子に腰掛けたまま背伸びするマグニス。扉の向こうから現れたのは、この第14小隊での暮らしが一番短い後輩だ。


「お、チータ。お前は里帰りしねえのか?」


「ルオスは遠いですからね」


 育ての親との再会へ向かったユースやアルミナ、キャル。チータは同じ事をしなかった。開戦前の最後の自由に動ける日ぐらい、傭兵の一人が祖国に顔見せに行くぐらい、騎士団は許可してくれるのだが。祖国に帰っても父や兄はもうこの世にすらいないチータだが、彼の性格の中核を知るマグニスは、この機会ぐらいチータも里帰りするんじゃないかと踏んでいた。


「やっぱりひと悶着あった家族には愛着も沸かねえか?」


「そんなことはありませんよ。姉さんのことは今でも尊敬していますし、出来ることなら開戦前に一度ぐらい、顔を見たかったですけどね」


 春の終わりに父の最期を定める裁判を終え、今はもう夏も過ぎ去り秋の空。複雑な想いも時間が解きほぐしてくれて、疎遠になった姉への尊敬心も素直に思い出せる頃合いだ。サルファード家を飛び出した当時も、兄や父には良くない感情も多く抱いていたが、長女のミュラーに対してはそもそも悪い感情はさほど無かったのだし。


 だったら一度ぐらい里帰りしても良かったのでは、と思うマグニスに対する、チータの答えは決まっていて。


「みんなとの時間の方が大事ですから」


「そうか」


 戦役当日の第14小隊は、恐らく適正に応じて散分する形になる。チータだけ、ラエルカン北のルオス方面から参戦するという形も充分ありなのだ。今日あたりに祖国を訪れ、当日はマグニス達と別方面からの突入、という布陣でも合理的なのである。ルオスにはチータの見知った魔導士も数多いのだし、あちらと連携を取った方が、チータも発揮できるものがあるかもしれないのだから。


 それでもチータは、第14小隊と共にエレム王都で過ごし、当日を仲間達と共に踏み出すことを選んだ。結局戦いが始まれば、立ち位置もばらばらになってしまうことを知っていてだ。何が彼にそう思わせたのかは、チータにしかわからないことだ。


「マグニスさんは、あまりそうした望郷の念は?」


「無いな。俺イフリート族だし」


 あまり誰も触れてこなかったマグニスの過去に、これを機会にと踏み込んでみるチータ。第14小隊は身内の過去に触れようとする者が少なすぎて、特にマグニスなんて昔何をやっていたのかなんて、殆ど誰も知らないことだ。話したくないことなら話さないだろうなという前提で、ちょっとチータも聞いてみる。


「イフリート族は噂どおりの民族だぜ? 火は闘争と侵略の象徴と掲げ、山賊まがいに他者の住まうねぐらを襲い、財産や棲み処を奪っていく。俺はそんな一族に嫌気刺して飛び出した口だから、今さら家族だの何だのに思い入れもねえよ」


「噂どおりということは、マグニスさんも昔は?」


「ガキの頃から侵略活動には参加してたよ。その中で抗う連中に一度……」


「いや、そうじゃなくて、血」


「ああ、そっち? そりゃ勿論、俺も"血に注がれた"身だよ」


 イフリート族と呼ばれる民族には、戦いに踏み出す同族の力を高めるための儀式があるという。"花崗岩の融水"と呼ばれる、イフリート族に伝わる特殊な液が存在するのだが、それは火術の魔力を生み出すにあたって、強い親和性を生じさせるものだ。かの民族は、それを生まれ育ってしばらくの子供の体に流し、人間の肉体と血に馴染ませるのだ。マグニスもその例に漏れず、幼少の頃、その血に花崗岩の融水を流され、長い苦しみを経た末に今の肉体を獲得している。


 その融水というのも、当然人体にとっては有害な異物。幼少の肉体が融水を体内に流すことに耐えられず、病を発して死んでいく子供が殆どである。生き残って大人になれるだけでも、イフリート族の中では選ばれた存在なのだ。マグニスの両親も数多くの子を生んでいたのだが、多数いたはずの兄弟達の殆ども、大人になることも出来ずにこの世を去っている。4歳の時、血を蝕まれた妹が病に侵されて命を失ったのが、マグニスにとって初めて"死"を目の当たりにした時だった。


「納得しましたよ。だからマグニスさんは好色家なんですね」


「そうそう、イフリート族は子供の殆どが生存しねえから性欲旺盛なんだよ。産めや作れやの民族だからな」


 その傾向は実際の所強いのだが、それをここで冗談に使えるチータというのもたいしたものだろう。もっともそれは、自らの過去を知ってなお腫れ物のように扱われるとかえって鬱陶しがる、マグニスの性格を知ってのこと。一年以上親しく付き合ってくれば、こうして冗談で流してやるのがベストだと、チータもわかっているのだ。


「俺は一族の裏切り者さ。死の危険を冒して侵略を繰り返す毎日が嫌になって、親父をぶちのめした夜に宿営地を飛び出した。結局俺が属してた一団も、どっかの国に喧嘩売って滅びたっつー話だし、俺の決断は間違っていなかったわけだが」


 チータが来てから吸っていなかった、灰皿に置いていて短くなった煙草を吸うと、感慨なき回顧を表情と口で語るマグニス。それなりに波乱万丈の人生を送ってきた彼ではあるが、自らの歩んできた人生に対し、悔いや間違いはなかったと信じる想いが溢れている。


「粗暴で嫌われ者のイフリート族、それを知ってなお構いもせず、受け入れてくれたシリカや旦那には感謝もしてんだぜ? 後から第14小隊に入ってきたお前らも、それを知ったって俺との付き合いを改めたりはしなかっただろ」


 現実を知るマグニスにとって、特に血縁者さえも裏切った過去を自認するマグニスの視点では、誰かに受け入れられて人と共に生きる人生なんて、はじめから期待すらしていなかったことなのだ。培ってきた力で傭兵稼業を営み、稼いだ金をその日に使って遊び、いつか死ぬまでのその日暮らし。二十歳を迎える前から、そうした人生を歩む覚悟を決めていた彼にとって、第14小隊の仲間達との出会いは、かつては想像だにしていなかった授かりものだ。


 まだそばにいたいと思う相手達と、ともに生きていくために戦う力を振り回す。それがマグニスの言う、戦場における自分の在り方だ。キャルを失いそうになったアルボルにて、激昂した彼の姿こそ、今にして思えばマグニスの本質をよく表したものだと言えよう。


「人間一人の手は広くねえし、俺に出来ることなんか初めから限られてる。俺が守ろうとするのは7人で充分だ。それぐらいなら、概ねやり通せる自信はあるからよ」


 騎士団の同志とか、人類の希望を守るための勇者達だとか、つくづくマグニスはそんな奴らの安否に興味が無い。そばにいる7人さて守り通せるならそれで充分、逆に言えばその7人を守るためにのみ、全力を尽くし果たすという宣言だ。女、それも美人限定で無条件に愛護対象、男は知るか勝手にやれ、を常日頃口にしてきたマグニスが守ろうとする対象には、男が何人含まれていることか。


「まーお前らガキ共は、心配せずに好き放題遊んでこいや。死ぬほどめんどくせえことこの上ねえが、お前らの尻拭いやら後始末は、お兄さん慣れっこだからよ」


 チータの頭を乱暴に撫でられるのなんか、きっとマグニスだけだ。チータはそうやって馴れ馴れしく触られるのを明らかに嫌うから。やめましょう、とその手をはたき飛ばすチータではあったが、頼もしい先輩が案じてくれた様には、チータも満更でない眼差しだ。子供のように頭を撫でられる行為そのものは好かないけど。


 親元を離れ、独りで生きていくことを決意したはずの二人は、いつしか近しい繋がりの中で、夢見てすらいなかった温かい絆の中で生きていく権利を得た。手放したくない想いなんて、意地を張らずにとうの昔に自覚しきったことである。それが術士たる二人の魂に火をつけて、かつて以上の大いなる力を、その精神から生み出してきた。孤独であったあの頃には、決して宿らなかった力である。


 だからこそ、二人は誰より通じ合える。騎士としての心で通じ合ったユースとシリカのように、兄弟のように互いを想い合うクロムとガンマのように、本当の姉妹以上の絆で結ばれたアルミナとキャルのように。世界に数えるほどしかいないであろう、心と魂を繋ぎ合わせる縁に巡り会えたことは、何にも代え難い財産であり、それを実感する二人の表情は実に柔らかい。これが二日後には死闘を迎えると、自覚した魔導士達の顔だとは思えぬほどにだ。




 遠くの玄関から、ただいまー、という高い声が聞こえてきた。出陣前夜にして、お世話になっていた孤児院で過ごす時間もやや削り気味、王都最後の夜になるかもしれない今を、この家で過ごそうとしたアルミナの声だ。場合によっては、こんな日ぐらいは孤児院に泊まってきてもいいんだぞ、と、シリカにも言われていたのに。


「行くか」


「ええ、おかえりぐらいは言ってあげたいですからね」


 二人はその言葉の重みを知っているから。帰るべき家があることというのは、孤独な長旅を続けてきた二人にとってあまりにも貴いことであり、おかえりの言葉はそれを何より象徴し、実感させてくれる言葉だから。


 居間まで降りてきたところでアルミナに出くわせば、彼女の後方でまた、玄関の扉の開いた気配がする。アルミナにおかえりを告げた直後ぐらいに、彼女の後ろから顔を出したのはユース。母を訪れたユースもまた、最後かもしれぬ夜を過ごす場所を、この家に選んだのだ。


 夕食の時間、台所の管理人シリカが居間に帰ってきた頃には、7人の家族が既に揃っている。出陣前最後の晩餐を、親族や育ての親とではなく、苦楽を共にしてきた仲間達とを選ぶ第14小隊は、当たり前のように毎日あった光景を蘇らせる。当然になっていたその光景でさえ、改めてこの小隊に巡り会った縁の貴さを想うマグニスやチータにとって、眩しくさえ見える光景だ。


 夕食を囲んで、何も日頃と変わらない団欒。普段のように軽口を弾ませるマグニスと、いつもどおり無口めなチータ。そんな二人の胸中で、巡り会えた大切な人達を守るための決意がいっそう強固なものとなっていたことは、表向きには見えなかったことである。


 改めて実感する、今の暮らしが本当に楽しくて。魔導士の魂は、こんな貴き日々を守るため、開戦を目の前にして大きく奮い立っていた。

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