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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第13章  戦に轟く交響曲~シンフォニア~
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第203話  ~開戦3日前 クロムとルーネ~



 大きな戦が近付くと、各国の首都は非常に慌しくなる。兵糧や武具、魔法の行使を支える親和性物質の供給源たる商人達の仕事も、一層に増えるからだ。ここ魔法都市ダニームにおいても、朝から晩まで毎日商人達が街を駆け回り、戦役参戦魔法使いという顧客を相手に、品と口を目まぐるしく披露している。


 街の一角で馬車を店代わりにして宝石を売る、とある年若い行商人もその一人。宝石は親和性の高いものが多く、魔法使いが所持すれば、霊魂が精神から魔力を具現化する大きな支えとなる。だから戦争を目前にしたこの時期は、宝石が日頃の相場よりも割高で売れたりもするのだ。不謹慎な物言いを誰も敢えて口にはしないが、大きな戦争というものは宝石商にとって、稼ぎ時と言っても過言ではない。武具を扱うような商人にも、同じことが言えるだろう。


「いらっしゃ……あら?」


「よぉ、久々だな」


 宝石商を営む女性の行商人の前に現れたのは、がたいのいい大男。綺麗で清潔な魔法都市ダニームの街をくわえ煙草で歩く彼の姿には、迎える行商人も少し驚きだ。彼は少し前、組織内で小隊揃って不手際をやらかし、仲間達ともども謹慎をくらっていたはずではなかったのか。


「4ヶ月の謹慎じゃなかったっけ? 解けたの?」


「いんや、まだ謹慎中だよ。上司にもちゃんと許可を貰って、ここに来てる」


 堂々と言い切った騎士クロムナードに、彼と付き合いの長い行商人ジーナも、そうなんだと一言返す。謹慎中に勝手な単独行動を取って、小隊の仲間達にまで責任追及が及ぶ可能性のある道を選ぶような人物ではないから、話を纏めてちゃんと来たと言うのであれば、そうなんだろう。信用は出来そうだ。


「ま、それならいいけど、何か買ってってくれるの?」


「悪いな、冷やかしだ。お前がどうしてるかだけ見に寄っただけだよ」


「言葉や態度のお気遣いより、目に見える形で気持ちを見せて欲しいわねぇ?」


 親指と人差し指で輪を作り、これが欲しいのよとジーナは笑って見せ示す。万国共通、商人が貰って一番喜ぶものなんて、カネ以外にない。


「お前から宝石買って、お前にプレゼントでもしてやればいいのか? 何重で俺から搾り取るんだよ」


「愛をちょうだい? ねっ? ねっ?」


「寄るな、がめつさが伝染る」


 にまにましながらずいずい顔と胸を近づけてくるジーナに、クロムは後ずさって逃れる。この大男を力も使わずに後退させるとは、ある意味たいした技であると言えるのではなかろうか。


 冗談いっぱいの語らいを済ませ、ジーナの横を素通りしたクロムは、馬車前に並べられた宝石の数々に目線を落とす。宝石商と手を結んだと話は前々から聞いていたが、なかなかいい相棒に巡り会えたようで、揃えられた宝石も良質なものであるとよくわかる。こう見えてクロムも大商人の息子、物に対する目は利く方だ。


「もう少し値を上げてもさばける質だと思うがな」


「こんな時期だからこその大盤振る舞いよ。宝石商様ともかなり相談したんだけどね」


 戦争が近付くと、戦いのために必要なものは値を上げても話が通じやすい。だから戦前は、親和性物質ならびに武具を売る商人にとっては稼げる時期なのだが、ジーナはそうせず、日頃どおりの値段で売っている。宝石の価格が高騰している周囲と比較すれば、経済状況に対して割安であるとも言えるかもしれない。


「相棒様はそれで納得してくれてんのか?」


「そりゃ渋られたわよ~。まあ、妥協策持ってって何とか呑んで貰えたけどさ」


 仕組みは単純で、ジーナの相棒である宝石商が、彼女に宝石を預けるからダニームで売ってきて、その売り上げを山分けしようという話。ここで価値観の相違が派生するのだが、ジーナはやがてこのダニームで店を開きたいと思っている立場なので、戦前の魔法使いの足元を見た値上げをしたくない。がめつい商人だと顔を覚えられたら、後の商人生活に響くかもしれないからだ。


 一方その宝石商は、本来ラエルカン地方ないしその南の砂漠を主戦場とする身。遠き地のダニームで、自分の看板が多少がめついと覚えられたところで、馴染みの地でいくらでもやっていける立場である。向こうも商人、相棒であり若いジーナの想いはわからぬでもないが、実益という現実的なものが絡んでくれば、そう簡単には譲ってなどくれない。せっかくいい宝石を仕入れて預けているんだから、出来る限りのいい値段で売ってきてくれよという話だ。


 そこでジーナが出した妥協案と言うのは、価格設定は自分に委ねて欲しいという一方で、山分け比率を相当に相手方に大きく傾けるというもの。まあ早い話、売り上げの3割をジーナが貰うという話だったのを、ジーナの取り分を18%にして、宝石商の取り分を82%にしたということらしい。この話には、流石にクロムも爆笑。


「お前それで儲け出るのかよ?」


「か、完売してなんとか少し……っていうか、前にあんたと話した時もそんな感じだったような……」


「いいように使われてんな~」


「うるさあいっ。しょうがないのよ、駆け出しの商人って奴は」


 相棒と言うより、格安の歩合制で雇われる売子のようなものである。向こうの宝石商からすれば、実に安く雇える足が手に入ったという形だろう。宝石の仕入れは全部あっちの手腕でこなしてくれているのだから、売り手でしかないジーナの立場が弱いのは当たり前。若くて顔の広くない商人なんて、そうやって熟練者にいい具合に使われるのが普通である。


 もっとも、ジーナにとってのメリットも少なくはないのだ。宝石を売る立場となれば、客もそれなりに富裕層。金を持っている客に顔を覚えてもらうというのは、そんなに悪い話ではない。ツテらしいツテも持たない、商団に属するだけのいち行商人であった頃よりは、いいパイプに巡り会える可能性も高くなっているということだ。今の相棒にいいように使われている立場と思うなら聞こえは悪いが、収入の確保は昔よりも安定しているし、あてもなく行商人暮らしをしていた頃よりは金も貯めやすくなっている。


「それにしても宝石が親和性物質、なぁ。理屈は知ってるんだが」


「ブランド理論だからねぇ。それでも人はそれに群がる」


 宝石なんて、所詮はただの鉱物、極論ただの綺麗な石ころだ。魔法学理論に基づいて、親和性ありと合理的に証明されている武鉱石、ミスリル鉱やオリハルコンと呼ばれる物質とは異なり、宝石は体系立てて親和性物質であることを証明されていない。数多くの宝石が親和性物質であると信じられているのは、魔法学が成立していない古来、宝石がそういう物質であると言い伝えられていたから、という"だけ"。


 希少な物質は、それだけで価値がある。古き王族は、希少なものを集めて自らの地位を示そうとする。さらには宝石の数々にも、魔力を高める力があるとうそぶいて、更なる価値を与えようとした。魔法学が成立していない時期には、これだけで本当に効果があり、親和性物質として高純度魔力を生み出す力を宝石が持っていたのだ。なぜなら、多くの人が、宝石はそういうものだと信じたから。魔力とは精神を具現化した者であり、術者の思想に依存する。嘘も信じればその者にとっては真実、宝石を身につけることで多く者が、より強い魔力を生み出すことに成功してきたのだ。苦労して手に入れた高価な宝石、そしてようやく高い魔力を生み出せる、という達成感は、信じる者を本当に救ってきたのである。


 今では宝石に対する、親和性物質としての価値は、魔法学のおかげ様でそこまで高くない。ただ、誰だって、安くも無い代償を払って手に入れたものが、着飾りだけでなく魔法の行使の支えにもなる、という方が嬉しいんだから、歴史が証明してきた"親和性"を信じる。その持ち主の精神が、親和性を現実にする。昔と違って"人による"宝石による親和性の高低差だが、魔法とは術者の考え方に依存するのは事実だから、それもまた魔法学理論によって肯定されるのだ。


「滑稽だと思いますかね、ジーナさんや」


「ありがたい話ですわよ、クロムさんや」


 商人にとってはそんなのどうでもいいのだ。売れるんだから。客が喜ぶものを売り、自分の懐が膨らめばそれでオッケー。頭の堅い魔法学者に言わせれば、今時宝石が親和性物質なんて時代遅れな、という話であったりもするのだが、売り物に付加価値を見出してもらえるなら、ジーナにとっては嬉しいだけの話。


 そんな理屈をわかっているからこそ、ジーナも魔法学の権威であるこの街で、宝石を割高で売るようなことはしたくなかった。考え方は人それぞれだが、宝石に親和性物質を見出さない人々の目に触れ、戦争が近付いたからと言って、迷信武具を高値で売るような奴だと覚えられたくはない。高く売っても買った客には恨まれないだろうが、それ以外に白い目で見られたくはないのである。


「まあ苦労は絶えんだろうが頑張れや。ある程度銭が貯まったら、店を開くんだろ?」


「うん、見えてきてるんだ。まだまだ遠いけど、昔より前に歩いていけてるから」


 仕事も増えたし、歩く距離も増えた。儲けもそれに伴って、昔よりも増えている。働けど働けど稼ぎは増えず、なんて苦しい時期も長く経験してきたジーナにとってすれば、労力に比例した稼ぎが生じるというのは、それだけで幸せだ。一日じゅう歩き続けて儲けゼロ、という日さえ経験したあの日に比べれば、へとへとになるほど働くほどに稼げる最近は、本当に前向きに頑張れる。


「あんたこそ、ラエルカン戦役には参加するんでしょ? 戦果を欲張って、くたばったりしないように気をつけなさいよ」


「傭兵時代じゃあるめえし、稼ぎに直結しねえ武功なんかに興味ねえよ」


 約ひと月ぶりに再会し、積もる話もあったであろうが、二人は手短な会話をいくつか交わしてお別れだ。時間にして5分にも満たない、短い再会だった。後の戦役次第では、これが最後の邂逅となることだって充分に考えられるのに、実に淡白にさえ感じる時間の共有だ。


 時の流るるまま、いつものように。そんな互いを良しとして受け入れ合う二人の関係は、時代のうねりや激動の流れに遮られず、ただ普段と変わらぬ付き合いを今日も交わすだけだった。











「あら、エルア。それどうしたの?」


「ふふふ、買っちゃった。ご利益あるかしら?」


 魔法都市ダニームの大図書館、7階の賢者私有区画。星型のラピスラズリをナイトキャップに取り付けて、珍しく着飾る姿のエルアーティを見ると、ルーネもちょっと驚きだ。非常に理論を重視するエルアーティにとって、宝石は親和性物質になり得ない。お洒落することもさほど多くない彼女だけに、この行動はあまり普段の彼女らしくない。


「ラピスラズリの石言葉は、聖業・健康・愛和・永遠の誓い。わかるかしら?」


「……エルアでも、そうした迷信に依ることがあるのね」


「何言ってるの、私こういうの結構好きなのよ?」


 いいもの買っちゃった、と自慢げにラピスラズリを指先で撫でるエルアーティは、非常に機嫌がよさそうだ。おねだりしていた玩具を買ってもらえた子供みたいな笑顔であり、なかなかここまで機嫌の良さそうなエルアーティは見られない。


「久しぶりですもの、攻城戦への参列なんて。お守りぐらいは買わなきゃね」


 守備力に特化したエルアーティが、魔物達の本拠地に乗り込む攻撃勢に混ざることなんて、今まで数えるほどしかなかったことだ。その時ですら、ルーネのサポートに専念していただけであって、普段の彼女は魔物達に攻め込まれる町や村の防衛にのみ参加するぐらいのもの。本来ならば今回の戦争でも、魔物達が隙を突いた反撃をしてきた場合に備え、魔法都市ダニームの最終防衛線となるのが自然の身だ。


 そういうエルアーティをよく知っているからこそ、ルーネもエルアーティのことが心配でたまらない。賢者エルアーティの十八番、聖戦域(ジハド)と呼ばれる大魔法は、発動すれば途轍もない戦場支配力を持つが、敵地で真価を発揮する魔法ではない。普段とは全く違う環境下で戦わねばならぬ親友の3日後に対し、ルーネの不安はどうしたって抑えられない。エルアーティは確かに強いが、敵対陣営の大将格4体の強さも、ルーネは嫌というほど知っているのだから。


「心配しなくたって、私は死んだりなんかしないもの。あなたを弄べる楽しい毎日を捨てて、まだこの世を去りたくはないわ」


「いや、もう、そういう冗談じゃなくってね」


「お風呂行く? たまには久しぶりに……」


「心配なの」


 上品でない冗談で流しにかかろうとするエルアーティに対し、ルーネは言葉を遮ってまで強い主張を訴える。かつて祖国を失って、一度何もかもが空っぽになった彼女は、失うことに臆病だ。寄る辺もなかったあの頃に巡り会えた、今なお親しき親友と二度と会えなくなることなんて、ルーネにとっては想像するだけで恐ろしいこと。そして、いかにエルアーティが高名なる魔法使いであれど、魔王マーディスの遺産達がひしめく戦場というのは、賢者とて命の保証などされていない魔窟である。


 我が身を案じる想いを眼差しいっぱいに乗せ、瞳を合わせてくるルーネに、エルアーティはふぅと息をついて見つめ返す。本当に、最近解雇したあの召使い騎士と一緒で、心が真っ直ぐで揺らがない親友だ。目力ひとつで心奥底まで訴えかけにくる親友の姿には、こんな子だからこそ自分は彼女を愛せたのだろうと、エルアーティも再認識する。


「永遠の誓いよ。あなたが私を拒絶しない限り、私は決してあなたのそばを離れない。あなたは弱い子。愛する人がそばにいなければ、生きていけない子だって知ってるもの」


 一人で生きていけないことなど、別にルーネに限ったことではない。ルーネはその自覚が人一倍強いだけの話だ。そんなルーネをよく知っているからこそ、自分が彼女のそばにい続けることが、いかに重要であることかも、エルアーティはわかっている。


「あなたを捨ててこの世を去ったりするものですか。必ず私はここへ帰ってくる。あなたが待つ地が、私にとっては戦を終えて帰るべき故郷よ」


 自分とあまり背丈の変わらない、ちょっと背の高いルーネの頭を撫でて、エルアーティは誓って見せた。すべては運命の導くままに、という信条を胸に掲げるエルアーティが、先も見えぬ運命の流れも無視して誓うこととは、果たしてその思想に準じたものと言えるだろうか。それだけエルアーティにとっても、ルーネとは特別な対象であるということだ。


「それよりあなたは、"彼"の心配をすれば? ほら、来てるわよ」


「え?」


 エルアーティに頭を撫でられ、片目を閉じていたルーネは、エルアーティの目線が自分の背後遠くに向いていることに気付いく。振り返ったルーネの後ろで、エルアーティは目を細めて、自らの私有区画に足を踏み入れた大男を歓迎していた。


「どうも、賢者エルアーティ様。聖騎士ナトーム様より、密書を預かってきました」


「あらあら、ご苦労様。受け取るわ」


 ごく普通の足取りでエルアーティに近付いた彼は、片膝ついてエルアーティに大きめの封筒を渡す。立場の差から跪いたと言うよりは、身長差が大きすぎて、普通に立って渡したら、あまりに見下した位置から向き合うことになるからだろう。なにやら満足げに封筒を受け取るエルアーティの態度も、機嫌はともかく普通どおりの態度である。


 この状況下において、何が起こったのかわからないかのように固まっていたのがルーネ。自分のすぐ横、エルアーティに書類を渡す大男に、向き直ったはいいが何も言えずに硬直。それだけ彼女にとって、ここダニームの地で彼に会うのは予想外のことだったのだ。


「お疲れ様、騎士クロムナード。この後は?」


「寄り道して帰ろうかとは思ってたんですがね」


 ふうと息をついてクロムは立ち上がり、すぐ横にいたルーネを見下ろす。ルーネはまるで、死人でも蘇ったのを目撃したかのように、驚愕いっぱいの目をクロムから離せない。


「手間は省けたようなんで」


「うふふ、そう。それじゃ私は、席をはずそうかしらね」


「お気遣いどうも」


 この場所はエルアーティの私有区画。つまり彼女の自宅とも言える空間であり、家主のエルアーティの方が客人と親友のために、わざわざ家から出ようという形である。二人の関係を知るからこその計らいだ。


「あなた煙草吸うでしょ。灰皿ぐらい作ってあげましょうか?」


「いや、こいつが嫌煙家なのは知ってるんで」


「そう。それじゃ水入らず、ごゆっくり」


 誰が目の前で煙草を吸っても、喫煙家の自由を尊重して嫌な顔ひとつ見せないルーネ。彼女が実は嫌煙家であることなど、殆ど知られていない事実である。そんなことまで知っているクロムに、魔法で灰皿代わりの容器を作ってあげることを断られたエルアーティは、気を悪くするどころか良くして去っていった。




 残されたのは二人。クロムは近場にあった椅子を引っ張り出して座るが、ルーネは立ちすくんだまま動こうとしない。ずっとクロムを見つめたまま、頭を真っ白にしている。


「座れよ」


 近くにあった椅子を片手で握り、ぐいっとルーネの前に動かしてくるクロム。ようやくその言葉と行動にルーネが反応し、おずおずとして椅子に腰掛ける。向かい合う二人は、本来あるはずの大きな身長差が座高の差に変わるため、目線の高さが立ち合うより近い。


 どちらとも、口を開こうとするでもなく、目線を向けたり逸らしたりするだけだ。しばらくルーネに視線を送っていたクロムも、ルーネが全然口を開かないので、頭をかいて図書館を見回したり。一方、ルーネはどこを見たらいいのかわかないかのように、ずっと目を泳がせて身を縮ませている。上目遣いでクロムを時々見たりもするが、それに対してクロムが目を合わせてくると、すぐに逃げるように目線を逸らしてしまう。動揺ぶりが、普段の彼女の比ではない。


 どちらも口を開かない。両者無言の沈黙が長すぎる。小さな砂時計がそばにあったら、砂が一度は全部落ちきっていただろう。


「……まあ、なんというか」


 もういい加減しびれが切れてきたのか、クロムがとうとう話を切り出した。本当なら、向こうの方から第一声を聞きたかったのだが、このまま待っていたら日が暮れそうな気もした。せっかく聖騎士ナトームに、長らく誰にも話してこなかった、自分とルーネの関係について明かしてまで来たのだから、無言数時間だけ過ごして帰るのでは勿体ない。ナトームも気を回してくれて、賢者エルアーティに密書を渡すという任務をクロムに授け、仕事だから外出してよしという体裁を繕ってくれたのに。


「今度の戦は、俺も正直生きて帰って来れるかわからん。死ぬにしたって、一度ぐらいはあんたとしっかり話がしてみたいと思って、な」


 もう、会えないかもしれないから。クロムだって、死の覚悟をかつて以上に抱いて臨む戦いなのだ。誰もがそうして意識してやまない、ラエルカン奪還戦争を前にして、その現実を突きつけられたルーネは、伏せていた目をクロムに対して持ち上げる。今日初めて、1秒以上ルーネとクロムの目が合った。


「……クロムナードは」


 やっとルーネが口を開いたと想えば、この間柄でえらく他人行儀な呼び方。クロムも溜め息を我慢する。一度そこでルーネの言葉が途切れたが、クロムはその言葉の続きを待ち続ける。


「……私のことを、恨んではいないの?」


 言葉通りの問いかけがしたいのか、想定する中で最悪のものを敢えて最初に持ってきたのか、クロムにもその真意は計り知れない。ただ、そんなことを言われるとは思っていなかった一方で、それに対する回答は一つしかなく、すぐに適切な言葉を導きだせる。


「あんたが俺をラエルカンから逃がしてくれたから、俺は今でも生きている。感謝こそすれ、恨む理由はねえと思うがなぁ」


 事情を知れば、それが一般論だろうと自信を持ち、クロムはそう答えた。恨んでなどいない、という明確な答えを受け止めたルーネは、自分自身の心に解決を見出せないのか、再び目線を落としてしまう。


「……ごめんなさい」


「恨んでねえっつってんのに」


「違うの……今まで、ずっと……」


 ああそのことか、とクロムは、隠し切れない溜め息を吐き出した。確かに自分がエレムに移り住んでからの数年間は、色んな意味でやりづらかった。


「あのな、俺を捨てたような気がして後ろめたいのか知らねぇが、つかず離れずで付き纏うのは本当勘弁してくれ。こっちまで調子狂って、どうして欲しいのかわかんなくなっちまう」


 クロムも育ての親である父、ジュスターブから、事実のほどは聞いているのだ。ルーネが自分に会いたいと願い続けていることも、一度自分を捨てた罪悪感から合わせる顔も無いと苦しんでいることも。それでも向こうから会いに来るなら拒絶するつもりはなかったし、一方で向こうが絶縁を決め込むなら、それもルーネの選んだことだとクロムは考えていた。


 これがまた中途半端なもので、事あるごとに妙に手を込んで接点を作ろうとし、時々遠くから見守ろうとしてくるルーネだから、クロムも微妙な距離感に長年やきもきしたものである。真にどうしたいのかは察せぬでもないが、せめて自分の気持ちに決着をつけてから来てくれないと、いざ顔を合わせてもやりづらいだけじゃないかと。


「俺が獄獣に叩きのめされて療養生活に入った時も、エレムの教会まで来て無事を祈ってくれてたんだろ。そこであんたが会ったキャルは事情を知らねえから、その真意にまでは気付かなかったみたいだがな」


 ルオスに住まうアルケミスのもとへ向かう際、政治的護送任務でルーネを囲う役目に、第14小隊を名指しで指名したのだって、ルーネが一目クロムに会いたかったからだ。かと言って話しかけてくるでもないから、クロムだって自分から話しかけてやるきっかけも作りづらい。御者を待たせて煙草を吸うふりでもしてやれば、声の一つでもかけてくるかと思ったら、それもなかった。やりづらいったらありゃしない。


「テネメールの村で会ったのも、狙ってたのか?」


「あっ、いや……あれは違う違う……エレム北部の防衛陣に加わってたら、たまたま……」


 ユースの故郷で顔を合わせたのは、どうやら本当に偶然だったようで、そこだけはルーネも慌てふためいて否認する。顔を見れば嘘をついてないのがわかるのだが、本当かぁ? という目線を注いで、ちょっと揺さぶってみるクロム。


「ほ、本当なの……っ、信じてもらえないかも、しれないけど……」


「あーもうわかったわかった。疑って悪かったよ」


 自分に懐疑の目を向けられたことが余程つらかったのか、あっという間に涙目になってきたルーネ。クロムも呆れ、お手上げの格好で話を打ち切った。繊細な人だとは聞いていたが、こと自分があれこれと意地悪をしていい相手ではなさそうだ。洒落にならない泣かせ方をさせてしまいかねない。


 ジュスターブに聞いていたとおり、今でもルーネはクロムのことを強く愛している。きっと、世界一。これでもしも自分がラエルカン奪還戦争の中、命でも落とそうものならルーネはどうなってしまうのだろうと、クロムだって考えてしまう。夫に先立たれ、故郷の家族や友人もすべて失い、ラエルカンの財産の殆どを手元に亡きものとしたルーネ。世界でたった一人、彼女にとっては血の分けた存在である自分がこの世から消えてしまったら、今度こそ心を粉々にして立ち直れなくなるルーネの姿が、容易に想像できて仕方ない。


 彼女の心を救うには、結局生きて帰るしかないではないか。シリカやユースのような愛すべき仲間のためにも、元より命を捨てるような真似をするつもりはなかったが、世界一誰よりも己を案じてくれている人物を目の前にしては、絶対に死ねないという覚悟をより強固にしなくてはならなくなる。魔王マーディスの遺産達が一同に揃う戦場から、生きて帰れる保証なんて絶対に出来ないというのに。


 当初は母を気遣って、ここでの喫煙を控えていたクロムだったが、吸いたくてしょうがなくなってきた。守るべきものを守り抜いた上で勝利し、自らの生還を果たすことがいかに難しいことなのか、知っていればいるほどに先が思いやられるというものだ。叩き上げの武人肌であるクロムとて、この重責は意識してなお気楽な心地でいられるものではない。


「……絶対に生きて帰る、なんて約束はしてやれねえが」


 ジーナのような、戦人でない者には絶対に言わない言葉だ。戦場の厳しさ、恐ろしさを知るであろうルーネならば、その言葉の意味が通じるだろう。席を立ってルーネの手を握り、立ち上がらせて真っ直ぐな眼差しを彼女に向けるクロムの想いは、言葉半ばにしてルーネにも伝わっているはず。


「あんたには、強く生きていけるだけの力があるはずだ。何が起こっても倒れるんじゃねえぞ。今の俺があんたに伝えたい言葉があるとするならば、これが全てだ」


 祖国を滅ぼされ、再び立ち上がり、獄獣を破り、魔王討伐への道を切り拓いた賢者の強さは、何より歴史が明確に証明していることなのだ。確かに繊細で、脆く、壊れやすい彼女の心だが、想像を絶する苦しみを乗り越えて今を生きてきた彼女なら、きっと何が起こっても立ち上がれるだけの強さがある。世界でただ一人の、血の繋がった息子までもを失うことになろうと、きっと。


 多くの人々の敬意を集めてきたクロムとて、賢者ルーネが導いてきた人々の数、今なお彼女を慕う人々の数に届くほど、多くの人々を救えない。だからルーネは、崩れてはいけないのだ。今となっては生きた英雄の一人に数えられる者、それに背負わされた業。その残酷さが自らの想像を超えているであろうことを自覚しつつも、誰かがそれを伝えねばならない。ルーネならば、それを強さに変えていける精神力を持っているのだから。


 彼女に並び立つほどの敬意を集め、同じ責務を背負った者でなければ踏み込めない聖域。不遜にもその世界に土足で足を踏み入れる度胸を持てるのは、今や世界でただ一人、彼女と血を分けた存在であることが最大の要因なのかもしれない。そうでなければ、クロムだってこんな残酷なことを人に迫れない。


「ずっと強く生きられる自分であると約束して見せてくれ。俺が背負って戦うには、あんたの心は重すぎる。旅立つ前の俺の目の前、不屈のあんたを誓ってくれよ」


 それはこれまでの生涯で唯一の――あるいは今後もあるかどうかわからない、独り立ちしたはずの男が母に訴えたわがままだ。自分の死がルーネの心の崩壊、ひいては人類の多くの挫折に繋がるという重みを背負って戦うことは、いかにクロムとて身がやつれそうな重責。たとえ自分に何が起こっても、人々を導く強き賢者様であって欲しい。クロムが求めているのはそれである。


 ああ、やっぱりこの子は、あの人と私の子供なんだとルーネは強く感じた。かつて失ったあの人の目を思い出さずにいられない。頼もしいほどに強き眼差しの向こう側、守るべき人のことばかりを案じ、その重さを意識してやまない目。その目に見惚れて選んだあの人の魂は、今もきっとこの子の胸のどこかで生きていてくれている気がしてならない。


 過去を乗り越え、生きてきた。同じ事が、二度出来るかどうかはわからない。だけど目の前に確かにあるのは、失った二十年以上前より時を超え、世界一愛したあの人が蘇った奇跡のような光景だ。学び明かした霊魂学とは相反する、実に理念を超えた不思議な魂の交錯は、仮初めでもルーネの胸に、ほのかな勇気をもたらしてくれる。


「……約束、する」


 しばしの沈黙を破り、唇を絞ってようやく放ったルーネの言葉。それを聞けただけでも充分だと感じたクロムの目の前、賢者が取った行動とは、ルーネの手を離そうとしたクロムの手を、握ったままにして離さない行為。


 子供のような手で、なんと力強いことか。クロムの顔を見上げ、少し潤んだ瞳の奥に宿る強者の魂は、一瞬にしてクロムの魂を貫き通す。何があっても不屈でいられる、強き賢者の心根の確かさは、この眼差しの交錯だけではっきりと伝わった。


「約束するわ」


 柔らかな笑顔で、もう一度放たれたルーネの言葉。その姿ならびに力強いメッセージは、やがて戦場に赴く戦士の背中を押し出すには、あまりにも充分なものだった。

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