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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第13章  戦に轟く交響曲~シンフォニア~
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第201話  ~開戦5日前 シリカとユースの一騎打ち~



 皇国ラエルカン。魔王マーディスに一度滅ぼされながら、かの魔王の撃退と討伐後、再び息を吹き返すことに成功した都である。不滅の人類の精神の象徴として、誇らしくたたずんでいたその都は、この時代再び魔王マーディスの遺産達に襲撃を受け、二度目の壊滅を歴史に刻んだ。長く人類を苦しめてきた魔王が残した負の遺産は、今もなお人類を蝕もうとする毒として現存している。


 奪われたラエルカンの地を魔物達から取り返すことは、人類の威信を取り戻すことに等しき意義がある。理不尽な魔物達の暴虐により、奪われるばかりの人類であると、歴史に刻んではならないのだ。淘汰されず生き残る存在として、人類がこの世に残存し続けるためには、悪逆に屈せずその誇りを守り通す力を、この世界に証明して見せなければならない。


 開戦を5日後に控えたこの日の昼、戦はまだ先だというのに自室で武装を整え、居間へと降りてきた若き騎士がいる。腰を守る草摺を携え、金属製の小手とブーツを身に付け、愛用のミスリル製の盾を装備しての彼を、謹慎期間中で暇を持て余していた仲間達が迎える。戦場で並ぶたびに目にする、騎士たる彼の姿に一切の相違はないが、一大決戦を前にした男の姿はやはり逞しい。平静に見えて瞳の奥に炎を宿しているであろう目も、引き絞られた口も、数分後の大一番を前にした決意に満ちているとわかる。


「頑張っといで。シリカさんには悪いけど、私はあんたのかっこいいとこも期待してるから」


「俺はシリカに賭けてんだが、心情的にはお前を応援してっからな~」


「……がんばって」


 複雑そうな表情で見送るアルミナ、無責任で胡散臭いエールを明るい笑顔で送るマグニス、目の前の彼のことだけを一念に案じた一言を贈ってくれるキャル。無言で、行ってこいと小さくうなずいて送り出してくれるクロムに一礼すると、ユースは居間を後にしていった。


 昨日のこと。ラエルカン奪還作戦という時代の節目を前にして、シリカは作戦当日まで、これまでのような習慣的に行ってきた戦闘訓練を、しばらく打ち切ると言ってきた。謹慎期間中の第14小隊ではあるが、恐らく後世まで語られることになるであろう、人類の未来を懸けた大一番に、エレム王国騎士団も戦力の出し惜しみなどしない。シリカ達もその先陣に加わることは、すでに上層部からも伝えられていることだ。そんな歴史的大一番を目の前にして、身内同士の訓練で過度の疲弊や怪我を負うわけにもいかぬという判断なのだろう。


 今朝のこと。シリカがユースに、真剣勝負の一騎打ちをしないかと持ちかけてきた。昨日の前言とは全く相反する主張だが、捉えようによっては、大戦を5日前に控えたこの日のうちに、一度だけ全身全霊を注いだ対決をしてみないか、という主張にも聞こえる。


「……ユースの方から言うならまだわかるんだけど」


「シリカさんから……だったよね……?」


 全力で武器を交わらせることなんて、普段の訓練時からいつだってそうだ。シリカに立ち向かうユースは常に全力全開だったし、迎え撃つシリカだって容赦なく同様である。二人にしてみて、ぶつかり合う時に真剣勝負であることなんて当たり前のことであり、わざわざ言葉にして表す意味のあることではない。


 そうした間柄であるはずの両者間、しかも上の立場であるシリカの方から、真剣勝負をユースに持ちかける行動というのは、普通の彼女の行動ではない。ユースの前では単に彼を案じていただけのアルミナやキャルも、ユースが去った後には目線を机に落として考え込む。ちょっとシリカがわからない。


「お前らが難しく考える必要はねえよ。あの二人の問題だ」


「何かが変わろうとしてんだぞ。楽しめ楽しめ」


 普段起こらないことが意図的に起こされる時というのは、しばしば激動の前触れである。アルミナやキャルは不安も感じているようだが、期待すべき変革の可能性が見えたクロムやマグニスは、彼女らに反して非常にご機嫌だ。


「これはもしかすると、一発逆転ありますかね?」


「それはまだ気が早い。だが、ゼロじゃなくなった」


 シリカとユースの二人が並んだ姿を、誰よりも長く近く見続けてきたのはこの二人だ。アルミナ達でさえ思い描けずにいた未来予想図を共有する二人は、煙草を片手に顔を見合わせ、先が楽しみでならないという表情を交換していた。











 広い訓練場。初めてこの訓練場に足を踏み入れたあの頃は、出来て間もなく使い込まれていない訓練場も、今よりずいぶん小奇麗だったように思える。ここから法騎士シリカ様の下で戦える日々が始まるんだ、という高揚感を胸に第14分隊入りし、その日と翌日と明後日でめっためたに打ちのめされたことは、ユースにとっても懐かしい思い出だ。浮かれてる場合じゃない、もしかしたら殺されるんじゃないか、と冗談抜きで考えたあの頃のことは、並大抵のことで忘れられる薄い記憶ではない。


 そんなことをふと想い馳せてしまったのも、ユースも長い年月の末に迎えた今日が、一つの節目である気がしているからだろう。シリカに木剣を渡され、互いに適度な距離を取り合って向き合う中、彼女の方からわざわざ"真剣勝負"を銘打たれ、ここに招かれたことの意味を考える。戦いが始まればそれは雑念、吹っ切る前に考えずにいられないのも当然だ。


「準備運動ぐらいはしようか?」


「……いえ、大丈夫です」


 戦場において、体をほぐす時間など与えられるものではない。開戦と同時に100%の力を引き出せる自己管理方法など、騎士生活も長くなってきたユースにとっては、体に沁みついたものだ。シリカとの真剣勝負、緊張する想いは確かにあるが、だからと言って軽くシリカと打ち込み合っての準備運動だとか、時間を割くたるみ(・・・)をユースは受け入れられない。


「…………」


「…………?」


 ユースの返事から、シリカが何かを考えて動かない。何か言いたそうに口をもごもごさせているように見える。表情に動きはないけれど、長年シリカのことを一番近くで見てきたユースには、口ほどにものを言う目の動きがそれを教えてくれる。思考の奥まで読み取りきれるわけじゃないけれど、感情や思索が顔に出やすい人なのは間違いないのだから。


「――じゃあ、始めようか」


 ぱちりと一度のまばたきを境に、シリカは心中の想いを取っ払ったかのように目を鋭くさせ、握った木剣を構える。普段彼女が用いる騎士剣と同じ尺の木剣は、丸められた切っ先でさえもぎらりと牙を光らせているように見える。彼女の体から溢れ始めた闘気は、そうした錯覚を起こさせるに足るものだ。


「……あの、シリカさん。いいですか」


 剣を構えようとしたユースが途中で手を降ろし、向かい合うシリカに言葉を放つ。一戦に志を向けたシリカは木剣を降ろさず、鋭い眼差しをユースに向けたままだ。だが、無言であっても動く気配がないその態度は、ユースの声に耳を傾けている表れでもある。


「シリカさん言ってましたよね。自分が負けたら、第14小隊の隊長からは身を引くかもしれないって」


 それは今朝の話。ユースに真剣勝負を求めたシリカに対し、マグニスが、ユースに負けたら隊長としてどうなんだろうなと、冗談めかした声で語りかけた時のことだ。一考したのちシリカは、確かに隊長が部下に負けているようでは示しがつかないな、と、どこまで本気かわからないような笑顔で返答していた。ユースが言っているのはそのことだ。


「あれ、取り消して貰っていいですか」


「……何故」


 ユースの主張に心当たりのあるシリカは、構えたままにして最短の答えを返す。強い彼女の眼差しに突き刺されながら、真っ直ぐ強い瞳で見返すユースからも、強い意志がその声に込めていることが明白。


「俺、本気でシリカさんに勝ちにいきたいんです。俺が勝ったらどうとかなんて、考えたくないです」


 二つの言葉で表せる態度だ。一つは臆病。第14小隊はシリカという軸あってこそだと知るユースは、今の形が変わってしまうことを望んでいない。たとえシリカが隊長をやめたとしたって、第14小隊まで彼女が抜けてしまうわけでもなかろうが、それでも大きく隊は姿を変えてしまうかもしれない。彼女の背を追いかけ続けてここまで来たユースにとって、それはあまり考えたくないことである。


 もう一つは蛮勇。自らが勝つことを前提としたその言葉は、追いかけるばかりの日々を一新し、いつかは彼女の前に立ちたいと想い続けてきたユースの心根を象徴している。そうでなかったら、今こんな時に、自分が勝ったらどうだとか言い出せる度胸を、上官に対して発揮できるはずがない。


 生意気なことを言うようになったものだ、とでも笑ってやればいい場面なのだろうか。少なくとも、シリカにそんなことはする気になれなかった。ユースの心根は知っている。意識してなのかせずなのかは知らないけど、これまで何度もユースからそうした発信があったのは全部覚えている。


「……私は今でも、お前より強いつもりでいるよ。お前は今日、私を超えられると思うか」


「わかりません」


 一度木剣を降ろし、鋭さを潜めた、しかし確たる意志の秘められた瞳でシリカが問いかける。それに対するユースの答えは早く、それが素直一色の返答であることがすぐわかる。


「でも、いつか超えていかなきゃいけないんです」


 うん、知っている。ユースが自分を慕ってくれている気持ちに、嘘がないことはわかっている一方で、自分をを確たる目標としてユースが掲げていることなんて、今まで何度だって明確な形で表されてきた。サーブル遺跡で獄獣に打ちのめされ、立ち上がることが出来なかった自分の元を訪れ、ユースが言ったあの言葉は、今でも胸に焼き付いている。


 もっと強くなってみせる、と、あの時のユースは言った。シリカよりも、ではない。シリカのことを守れるぐらいまで、と言ったのだ。未熟な後輩だとずっと思っていたユースを見る目が変わったのが、まさしくあの日だったのから、シリカにとって忘れられようはずがない。


 シリカが表情を変えず、離れた位置からユースに歩み寄ってくる。少しユースの顔が強張ったのは、口が過ぎただろうかと、先輩の前で萎縮してしまうゆえだろう。それは別に、相手が厳しい法騎士様でなくても、立場を思えば自然に考え得ることである。


「わかった、取り消すよ」


 穏やかな声で、シリカはそう答えた。それでユースの気が済んで、雑念なく真剣勝負に臨んでくれるなら。言うまでもなく、負けた時のことを真に考えての発言ではない。それはユースの目の前、柔らかい笑顔に確かな自信を孕む、シリカの表情ひとつでユースにも伝わることである。


「ただ、仮にも私も法騎士の身。部下であり、後輩であるお前に負けたとあっては、そう簡単に自分を許せそうにないから、なぁ……」


 指先で額をかりかりかいて、ちょっと困った顔を見せるシリカ。深刻に悩んだ顔ではなく、ユースもそこまで重く捉えたくなるような表情ではない。緊張感を一時緩和させた上で、今ひとつ納得いかない心持ちを表すシリカは、ユースの前で小さく息をつく。


「……うん、それじゃあ、こういうのはどうだ。お前がもしも勝ったら、私はお前の言うことを何でも一つ聞いてやる。それぐらいのルールは、設けさせて貰えないかな」


「俺は別に……」


「私は絶対、お前にはまだ負けないぞ?」


 これぐらいは受け入れないと、自分の方が納得できないよという顔で、シリカが突き返してくる。一方で、そんなに難しく考えなくてもいいよという柔和な表情でもあり、この顔で提案してくるシリカに対しては、ユースも堅い思考を捨てて向き合える心地になる。


「……何でもですか?」


「何でもだ」


 確かめるように問うユース。自信満々に胸を張るシリカ。


「……約束ですよ?」


「ん……勿論だ」


 急に強い目で確かめるようにしてきたユースに、一瞬シリカも怯みかけたが、力強くうなずいて答えた。シリカも顔に出やすいタイプだが、ユースだって大概だ。今の顔は、勝ったらシリカに何を言おうかと、具体的に何か閃いた顔である。


 負けたら何でも言うことを聞く。それって実は、相手次第で相当負けられない。マグニスやチータのような、悪意満点の相手なら勿論のことでもあるが、軽いつもりで言ってみた一方、何でもよしと知ったユースが何を言ってくるかは逆にわからない。わがままも言わずにずっとシリカの後ろについてきたユースだが、その数年間で積み上げてシリカに求めたいことといえば、皆目予想もつかないことである。


 案外まずいことを言ってしまったかな、と少し考えながら、まあ良しとしてシリカは数歩下がってユースと距離を取る。どうせ負けるつもりなんてさらさら無い。負けたらどうだとか、勝てば関係ない話である。明確に定めた褒賞を脳裏の隅によけ、シリカは改めて木剣を構える。


 向かい合うユースも、ここにきて木剣を構えた。その目に宿るのは、高みの上官に心酔した部下の魂ではない。相手が法騎士様であろうが、あるいはシリカだからこそなのか、真剣勝負と銘打たれたこの勝負に、必勝の想いを懸けて臨もうという眼差しである。勝てば何でも、の言葉はもしかしたら、案外ユースみたいなストイックな奴にでも、かなり効き目があったのかもしれない。


「……超えてみろ。私はまだまだ、お前に先を譲るつもりはないぞ」


 やれるものなら。省かれたその言葉は、びりっとユースの全身を刺した、シリカの闘志が伝えてくる。


「……やってみせます!」


 それは今日。静かに、しかし強く張られたその声は、揺るがぬ想いの成就をこの日とせん、強い決意をほとばしらせた。


 ユースが地を蹴り踏み出した瞬間、シリカの覇気が何十倍にも濃く染まる。シリカを射程距離に入れた瞬間に木剣を振り上げるユース、はじいて即座に鋭い反撃をユースの胴元に迫らせるシリカ。返す刃でそれを防いだユースの瞳が、間近で法騎士の突き刺すような眼差しと衝突した。











「ちなみに旦那、どっちに賭けます?」


「俺? ユースに決まってんじゃねえか」


「大穴ぶち込みますねぇ。そんじゃ俺はシリカに賭けときますが」


「オッズどっこいなんて言わねえよなお前。俺の取り分はお前の倍な」


 さっそくギャンブルの種にしだしたおっさんどもに、アルミナは呆れてものも言えないという顔だ。アルミナから見ても、シリカとユースの間に、何らか特別な意志が込められていることは明白であるのに、もっとシリカやユースに詳しいはずのこの二人ときたら、あるであろう想いなど知らん顔で博打遊び。踏み込まず、傍観者の立場を決め込むスタンスとしてはある意味一貫されているが、時々この人達は非常に無神経なふうに見えることがある。


「……クロムさんは、ユースが勝つこともあるって考えるんですか?」


「4割ほどはな」


 そんな想いに駆られつつも、聞き捨てならない言葉があったりするから、アルミナもその輪に入ってしまう。ユースが勝つに賭けると"決まっている"とまで言い切ったクロムが提示した数字は、ユースとシリカの勝敗の可能性を五分五分とはしないまでも、5未満最大の整数でユースの勝利を肯定している。


「それって希望込みでしょ? 旦那って案外、手堅いように見えてロマン追いますからね」


「望まん結末で小銭拾ってもギャンブルはつまらん」


 幾度にも渡ったユースの騎士昇格試験で、何度ユースが試験に落ちても、毎回ユースの合格に賭け続けていたのがクロム。頑張るだろうけど多分今回も、と慈悲無くユースの不合格に賭け続け、試験のたびに私腹を肥やしてきたのがマグニスである。人が人生の岐路を懸けて必死で試験に臨んでいるという時に、所詮どっちもどっちだが、賭け方のスタンスは確かに真逆だと言えよう。マグニスなんて、金が懸かったら勝つことが最優先事項である。


「私、複雑だなぁ。ユースに勝って欲しいなとは思うけど、シリカさんにも負けて欲しくないっていうか」


 しみじみとそう言うアルミナの隣、小さくうなずくキャルも、似たような心持ちなのだろう。ユースは応援したいけれど、尊敬してやまないシリカが、後輩に遅れを取る姿というのも、望んで見たくはないものである。わからぬでもないクロムは、煙草でとんとんと灰皿を叩くと、吸い込んでいたままにしていた煙を鼻から吐く。


「あいつら二人だけの問題なんだから、周りがその結果如何によって何を思うかってのは二の次なんだよ。二人の間で起こることだけに焦点を当てれば、どっちが勝った方が良く転ぶかは明白だ」


 "希望込み"でユースの勝利を推すクロムのその言葉は、ユースの勝利が両者にとって良き未来に繋がる最たるものであると、少し遠回しに明言したものである。それ自体には、マグニスも煙草を吸いながら、一度大きくうなずいている。口が煙草で忙しくなかったら、そうっすね、と迷い無く言っていただろう。


「もっとも勝敗そのものより、ユースを見るシリカの目が改められることが一番大事なんだがな。ユースが勝てば、それが確実に形になるってだけの話であって」


「シリカを見るユースの目も、ちったあ変わらなきゃいけないんすけどね」


「お前はユースに厳しいな。つーか表向きはああでも、お前シリカには甘いよな」


「旦那は思いっきり逆っすよ。ユースに甘くてシリカに厳しすぎ」


 確かに、と声をあげて笑うクロム。何が面白いのかアルミナやキャルにわからないのは、クロムが自覚する自分自身の偏りに対し、彼女らはそこまで見えていなかったからだ。人はいいタイミングでカウンターの図星をぶち抜かれると、笑わずにいられないことがある。


「まーそういう意味では、シリカが真っ向からユースと向き合うように乗り出した今回の件は、少なくともシリカ側からの目線が変わる可能性激高っすからねぇ。こっちは」


「心配せんでも変わるよ。今のユースは、真っ向から向き合ったシリカの心打たねえほど弱くねえよ」


「それは剣の腕の話っすか?」


 かっ、と呆れたような笑いをクロムは返す。わかっていて聞いているんだろうとは思うが、わかっておらず天然で聞いてきているなら、そんな低レベルな次元に話を持っていくなと言ってやりたい。


「ユースは俺と同じで、時々"ここ"が100%じゃない。だが、"ここ"は常に100%だろ」


 クロムが自分の頭を親指でこつこつ叩いて、一つ目の言葉を放った。二つ目の言葉を放った時、親指で叩いていたのは自分の胸だ。感情が先立って思考が行き詰まることが多く、しかし心だけは常に折れずに真っ直ぐ前を向いてきたユースの生き様を、ずっと見てきたクロムの回答だ。そして、そんなユースが、彼と真正面から向き合うことを決めたシリカの眼前に立ち、彼女の胸に何も響かせないことは、絶対にあり得ないとクロムは言っている。


 シリカは鈍感だが薄情ではないのだ。気高き志が見逃せない位置に立ちそびえた時、絶対にそれを無視しない。惜しむらくは自分のことで手一杯で、それに気付ける視野の広さを持ち合わせていないこと。だから、自分からそれを探し始めたこの日の出来事が、クロムとマグニスにとっては前進の予感に感ぜられてならない。ユースの心意気に気付くなら、必ずシリカに変化が訪れるはずなんだから。


「シリカの心配なんかしなくていいよ、ユースが勝手に証明するだろ」


「んじゃ、あとはユースですけど。こっちはどうっすか?」


「あれはシリカを見てどう感じるかっつーより、自分の気持ちにちゃんと気付けるかどうかだからなぁ。あいつ自分のことが一番よくわかってないタイプだし」


 アルミナの耳がぴくんと跳ねた。たいへん興味深い。


「えっ、待って下さい。シリカさんに対する、ユース自身も気付いてない気持ちとか、あるんですか?」


「お前なんか卑猥なこと考えてないか?」


「卑猥かどうかは知りませんけど、なんか凄いわくわくしてきました」


 アルミナのテンションがここまで格段に上がる時というのは一つしかない。女の子だから仕方ないのかもしれないが、食いつきがよすぎるアルミナにマグニスも渇いた笑いを返してしまう。


「それはもしかしてアレですか。ユースがシリカさんのことを、"そういう"目で見てるってことですか」


「直球過ぎるぞ微エロ小説家。中途半端に伏せてんのが余計ヤラしいわ」


「全年齢オッケーな話題ですっ! で、どうなんですかクロムさん」


 茶々を入れるマグニスを、黙って下さいとばかりに振り払ってクロムに詰め寄るアルミナ。どれだけ先が知りたいんだと、クロムも焦らしてやりたい気分に駆られるが、しつこく引っ張っても仕方ないので一服して答えを思い描く。


「それに近い」


「マジですかっ! ユースってば、そんな目でシリカさんのことをっ!」


「アルミナ、アルミナ……クロムさんすごく、人を騙す時の顔してる……」


 冷静さを吹っ飛ばしたアルミナの腕をくいくい引っ張って、キャルが極めて冷静なコメント。はっとしてクロムの顔を見れば、確かにこれは駄目な顔だ。弄んだ相手を、にやにやして観察する目に近い。


「クロムさん騙したんですかっ!? この手の話題で嘘を言いふらすことは許しませんよっ!」


「言いふらすって、俺お前らにしか話してねーんだが」


「私にそんな話喋ったら千里まで広がることを想定して下さい! そんな話黙ってられるかわかりませんよ!」


 口の軽さを熱弁されても困るのだが、ある意味己をよく知っているとも言える。人様の秘密を黙秘することは勿論大事だとわかっているアルミナだが、恋バナとなるとちょっと。プロンやルザニアのような女友達と一緒になってしまったら、つい口走ってしまいそうな自分から目を逸らせないのだ。


 それはそれで面白そう――じゃなくて、後が大変そうなので、クロムも腕を組んで少し考える。これはアクセスを誤れば、もしかしたら遠隔的につまづきを生み出すかもしれない。


「まあ、ユースがシリカのことを、女性として好いているとかじゃねえんだわ。多分ユースの潜在的な意識の中にも、そういう感情があるわけでもないだろうな。ただ……」


 一本目が無くなってしまったので二本目の煙草にバトンタッチ。興味津々で、次の言葉を早く早くと待つアルミナを、ちょっとぐらい焦らしてやってもバチは当たるまい。


「そのユースの感情がしっかり表に出るなら、二人の関係は大きく前に進むだろうなって話」


「それは師弟関係でって意味ですか!? それとも男女関係でって意味ですか!?」


「どっちか片方」


 明確な答えを求めるアルミナ。はぐらかせてたまるかという、恋愛小説執筆者の貪欲な尋問だ。でもはぐらかされた。


「誤魔化さないで下さいっ! そこ死ぬほど重要な部分じゃないですか!」


「先のことなんか俺にだってわかんねえよ。二人の心中についてはある程度考察できたって、それによって今後がどうなるかなんて答え出るかっつの」


「もーっ! そこまで盛り上げといてそんなの無いですよー!」


 乗り出していた身を椅子にもたれさせ、天井を見上げて落胆の叫びを放つアルミナ。小説のネタが聞き出せなくて残念なのかなぁ、と、キャルはちょっと引き気味にアルミナを見上げていた。


 クロムがマグニスに、こいつがもっと攻めて来たらお前もフォローしろと目配せする。どうっすかねぇ、こいつしつこいっすよ、と、マグニスも諦観に近い眼差しを返している。そんな二人がここからどうやって時間を稼ごうかと考え始めた頃、がちゃりと居間のドアノブが小さく騒いだ。


 ドアの向こうから現れたのは、シリカとユースだ。クロムとマグニスも、これで話がいい具合に流れそうなので一安心である。


「何を騒いでるんだ、お前ら」


「カップル!!」


 話題の中心であった男女を目にした瞬間、意味もなくそう叫んだアルミナの後頭部を、ぺしんとキャルがはたき倒した。四つ葉のクローバーより珍しい、キャルの暴力である。


 あの優しくておとなしい親友が、恐らく初めてしばいた相手が自分であることが余程ショックなのか、アルミナは戸惑いと哀しみに満ちた目でキャルを見つめる。何その反応、ちょっと怖いよ、と、キャルはすすっと体を傾け、アルミナから少し距離を取っている。それによってアルミナに更なる精神的ダメージ。


「よぉ、シリカ。どっちが勝ったんだ?」


 あんな変態お姉ちゃんはまあどうでもいいやとばかりに、開口一番にマグニスは興味最大の話題をシリカに問う。それに対してシリカが見せた反応とは、ふっと後ろのユースを振り返る行動。さらに、何かを示し合わせたかように、ユースもうなずく。


「シリカ?」


「秘密だ」


「秘密です」


 なぜ。


「マグニスさん達、どうせ俺達の勝敗で賭けてたでしょ。教えません」


「そういうわけだから、もう追及しないでくれよ」


 何か知らないけど、シリカの機嫌が妙に良い。マグニスを冷たくあしらった後、鼻歌なんて歌いながらシリカは浴室にすたすた歩いていく。シリカが上機嫌ということはこっちが勝ったのか、とも推察できそうな光景だが、一方でユースも、まるで胸の奥につっかえたものが取り払われたかのように、妙に風通しの良い表情だ。シリカを見送った後、軽く身を伸ばした後、普通な足取りで自室に帰っていく。


 居間にぽつんと残された4人。ぽつんと、というか、4人もいるのだが、なんだろうこの取り残された感は。


「えーっと……シリカさんやユースの分析に詳しいクロムさん。二人の顔から結果は読み取れそうですか」


「無茶言うなアホかお前」


 ユースが勝ったのなら、多分ユースは複雑な顔で、かつシリカもあんなに平気な顔はしていないだろう。だったらシリカが勝ったのかな、というのが自然な発想だが、それにしてはユースが飄々としすぎ。一世一代、シリカとの真剣勝負という舞台で負けたりしたユースが、その気配も顔に出さないというのはちょっと納得いかない。


 もしかしたら本当は引き分けというか、決着つかずだったのではないかとも思った。だが、あの二人があれだけ気合入れて臨んだ一騎打ちで、決着もつけずに帰ってくる性格をしているだろうか。恐らくそれが一番ない。白黒つけて帰ってきているはずだ。


「マグニス、お前から見てどうだ?」


「いや、全然わかんねーっす……あいつらあんなポーカーフェイスできたっけ?」


「じゃ、迷宮入りっつーことで」


 煙草をぐりぐり灰皿に押し付けて、クロムはこの席を締め括って席を立つ。さっきの話をアルミナが蒸し返し、変な追及をしてくる前に、煙草でも買いに行くかと言って逃げるために。




 誰にも語られることのなかった、二人だけが知る明確な勝敗。それは二人に明確な道を指し示す、ひとつのしるべとして確かに生まれた。勝敗よりも大切なものがあることが、その戦いを通じて二人の胸にはっきり刻まれたことも、この日生まれた大きな財産だ。


 歴史的大戦まで残り5日。この日二人が二人で踏み出した一歩は、たとえようもなく大きな前進を密かに形に表していた。

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