第195話 ~エクネイス防衛戦④ 姿を現した敵将~
「またお嬢ちゃんか……! 無理はするなよ!」
「はい……!」
エクネイス城近くの一角、補給部隊が集う場所で、跨る馬の脇に結びつけた特大の矢筒に、大量の矢を補充する少女がいる。人類の拠点で戦うこの戦況、実弾の補充は要所に至れば思うがまま。普段の戦場では魔力の矢で数を補うことの多いキャルだが、今日は補填する限り無尽蔵の矢を武器に、補給箇所から馬を駆けさせ、戦場へと舞い戻る。
この日の戦役により、無名から一躍名を馳せた第一人者がいるとするならば、キャルはまさしくそれに該当する。遊撃射手として戦場を駆け回り、空と地上問わず無数の魔物をその手で撃ち、何人もの戦士の危機を回避させてきた彼女の姿は、人類にとってはまるで戦場に舞い降りた勝利の女神のようなものだ。長い萌黄色の髪をはためかせた、幼い少女そのままの風体の彼女は、戦人の集まる戦場内では極めて浮いた存在であり、それが余計に友軍の記憶に強く残っていく。
「ストロス様、どちらに行けば……!?」
(その先――第5区画――)
キャルの頭の中に響く声。単身、流鏑馬の遊撃手として戦場をかき回す彼女に着目した魔導士が、一度目の実弾補給に補給部隊を訪れたキャルに声をかけ、相方となるように頼んできた。当の魔導士の本職は、哨戒専門の魔法使いだ。自分自身で戦う力には乏しく、今日の仕事はと言えば、南からの魔物達の進軍を始めに魔法で察知し、敵の進軍方向を本軍に報告したぐらいのもの。あとは魔法で近隣の戦況を把握し、友軍の指揮官に伝えるだけの仕事に務めていた。
彼にとってキャルを発見したことは僥倖だ。敵の位置を把握することが出来る自分は、射手たるキャルの駆けるべき道を教え、ナビゲートする者として適役である。一人でも状況判断が充分に出来るキャルが、そんな広い視野を得ることが出来れば、その力は何倍にもなる。キャルにストロス様と呼ばれた彼は、新米魔導士の自分がこうして友軍の支えになれることを誇りに、未熟な魔力を振り絞って空からキャルを導いている。
(3つ目――交差――左、すぐ――)
まだ年若き彼にとって、念話魔法は敷居の高すぎる魔法だ。流暢な言葉をキャルに届けることは出来ず、片言でキャルに単語の数々が届けられる。その言葉の羅列から、キャルは支援魔導士の指示を読み取らねばならない。この先3つ目の交路地、そこから左へすぐの場所に、撃つべき敵がいるという、最低限の情報を受け取り、キャルは手綱を操って馬を駆けさせる。
指定の交路地に差し当たるまであと5秒。
4、馬の首をぽんと叩いて手綱を放す。
3、背負った矢筒から矢を素早く抜く。
2、弓の弦と矢を握り、一瞬で矢を放てる形を作り上げる。
1、矢先を撃つべき方向に向け、全神経を集中する。
跨る馬が交路地に差し掛かった瞬間、弦から指を離したキャルの手元から、遠方のワータイガーの側頭部を目指した矢が放たれる。一切予想だにしない方角からの突然の矢は、為す統べなくワータイガーの頭を撃ち抜き、苦戦していた若い騎士の目の前でぐらついたワータイガーが、唐突に脱力して倒れる形となる。人類側からしても、何が起こったか一瞬わからなかったほどだ。
(的中――二つ先、角――右、進め――)
狙撃成功、続いて二つ先の角を右に曲がれ、その指示を受け取ったキャルは再び手綱を握り締め、馬を意のままに走らせる。エクネイスの優馬の中でも荒々しい方であり、がたいもいいこの馬が、初めて背中に乗せるキャルの言うことをよく聞くのは、動物に好かれやすいキャルの気質の為せる業だろうか。
戦場に辿り着くや否や、何の考えもなしに選んだ馬が、体力と馬力に溢れた頼もしい一頭であったことは、一人で戦場を駆け回るキャルにとっての最大の支えだった。そして今は、パートナーとなってくれた魔導士もいる。案じてやまなかったアルミナのことも、少し前にすれ違ったユースに伝えることが出来た。神様はきっと味方をしてくれていると信じるキャルは、生来臆病な心を奮い立たせ、真剣な眼差しに広い視野を宿して駆け抜ける。
その視界の外から、キャルの意識に差し込んだ強烈な意志。相棒ストロスの魔法声明でもなく、友軍の呼び声でもなく、後方からの漠然とした殺気に、思わずキャルも振り返る。跨る馬もその悪寒を自分で感じ取っているのか、急に足が早くなる。
後方から飛来する、氷のつぶての数々が、キャルの乗る馬の足元目がけて飛来した。一瞬早くそれらを目で視認できていたキャルは、慌てて手綱を操って馬の走る軌道を僅か横に逸らす。この命令があと一瞬遅れていたら、馬の足を撃ち抜かれて相方を失っていただろう。だが、そんな危機感よりも遥かに勝る、眼前遠くから迫る存在にキャルは顔面を蒼白にする。
獅子の胴体、その背に鷹のような巨大な翼、そして獅子の頭があるべき場所からは、人間の裸体の腹から上が生えている。魔物ケンタウルスの上位種、スフィンクスの話は聞いたことがあるが、それに加えて鷹の翼を得、さらに人の頭部にあたるはずの場所にも、くちばしらしきものが生えている始末。見たことも聞いたこともないその怪物は、大きな足音で地を鳴らしながら、馬に乗って駆けるキャルを追いかけてくる。その速度も、命の危機に全力疾走する馬の速さに劣らぬものだ。まだ距離はあるものの、遠いのに巨体だとわかるその存在感は、かえってキャルの心に戦慄と焦燥感を落とし込む。
「あれが目障りな射手か」
「そうでっさぁ……! あいつに何匹も配下をやられちまって……!」
巨大な魔物は自身の背中に乗る、使い魔のような小さな悪魔の姿をした魔物に問う。エクネイス攻城作戦に踏み込んだ魔物達を、あらゆる位置で狙撃し続けたキャルは、友軍だけでなく魔物達にさえその存在感を示す結果になってしまった。馬を上手に操って、狙い撃つのも難儀する射手となれば、魔物達にとっては極めて厄介な存在だ。そんな射手を葬り去るため、魔物達が頼った相手というのは、よりにもよって魔物達の御大将の一角である。
その名はワーグリフォン。エクネイス進軍にあたり百獣皇アーヴェルに指揮官を任された、身体能力も魔力も他の魔物とは比較にならぬ怪物は、エクネイス城周辺を侵攻している魔物達のボス格だ。後方で配下を操ることに専念していた化け物を、戦場まで引きずり出してしまったのは、キャルの活躍が生み出した功罪である。
キャルに立ち向かえる相手ではない。なんとか逃れ、魔物達の侵攻の手が届いていない、エクネイス城周辺の本陣へ逃げ込むことこそ、この魔物から逃げ延びる唯一の方法だ。だが、今走る方角はそこから離れる向きであり、遠のく活路と迫る死の危険に、唇を噛み締めて手綱を握り締める。
「調子に乗るなよ、人間風情が」
遠方でぼそりとつぶやいた、殺気に満ちた声も聞こえた気がする。抗戦力を持たぬ射手は、一心に逃げる足を馬に命じることしか出来なかった。
首都西部で暴れまわる魔物達は、一見すると統制が取れていないようにも思える。民家を破壊することに傾倒する魔物もいれば、首都中央のエクネイス城への侵攻へと前向きな魔物もいる。共通しているのは、自分に向かってくる人間に対して容赦なく反撃してくるぐらいのもので、それ以外の動きはてんでばらばらだ。ある意味、一体ないし複数の指揮官の指示を受けて、統合された意志のもとに動いているようには見えない。
だが、そもそも百獣皇アーヴェルの率いる軍勢の目的は、民間人か戦人かなど問わず、一人でも多くの人間を葬ることが第一だ。逃げ場を失い、我が家の隅で震える人々にとって、こんな魔物達がどれほど恐ろしいだろう。そして人里で大暴れすれば、魔物の大将が討ち果たしたい人類の兵達も、勝手にそれを止めるために集まってくる。目的はそれで充分達成できるのだ。
だからむしろ、本来で言えば首都中央部に団結して進軍しようとする、軍事的な百獣軍の方が異色の口だと言える。その"異色"が作られているのは、単純にアーヴェルが掲げたエクネイス城の攻略を目指す意味合いも強かろうが、それはきっと一番の意図ではない。
「チータ、どうだ?」
「魔物達の動きが散漫すぎて……恐らく指揮官は、そうして自分の居場所を煙にまいているのでしょう」
統合された動きを兵に任せると、戦場を交錯する人類の目に指揮官の位置が割れやすい。陣の動きから大将の動きを占う、推理要素が発生するからだ。無規則な動きを魔物達にとらせる采配であるからこそ、エクネイス西部の魔物を操る指揮官の位置が、人類側に長らく察知されずにいるのも確かである。そうした散漫な動きを配下に強いていたとしても、要所要所ではキャルを導く魔導士ストロスのように、部下が戦場を有利に駆けられるような指示を下しているはず。それだけで向こうは、充分な仕事ができる。
「ボスの居場所は割り出せねえのか?」
「いえ、もう少しで……これが上手くいけば……」
ノーヒントでこの広い首都のどこかに潜む魔物の指揮官を探すだとか、無策めいた捜索に時間を費やすほどチータも単細胞ではない。策はちゃんと敷いている。時間も労力も魔力もかなり費やしたが、探す対象の場所を絞り込むだけの情報は少しずつ集まっている。
魔導線という魔法がある。その魔法は本来、ある一点と自分を繋ぐ一本の魔力の糸を張り、魔力の伝達を補助するための魔法だ。それで何が出来るかと言えば、例えば望む対象に魔力を注ぎ込むことを容易にし、治癒魔法の成功率を高めたり、ある一点を燃焼させ続ける魔力を継続的に注ぐことをやりやすくしたりと、用途の幅は非常に広い。ただ、熟達の魔導士になってくると、わざわざこの魔法に頼らなくても、この魔法で出来たことはだいたいまかなえるようになってくる。だからこの魔法は、未熟な魔導士が不慣れの魔法を実現する時の、補助として使うものとされているものだ。
チータは元々、こんな魔法に頼らなくたって、叶えたい魔法を直接生み出すだけの才覚があった。だからあまりこうした魔法に手をつけてこなかったが、エルアーティに勧められてこの魔法を究明してみれば、なるほど確かに奥深い。いくつも、この魔法で出来ることがある。索敵の魔法は今現在さほど得意でないチータだが、この魔法を応用すれば特定の魔物を探すことも出来そうだ。
エクネイスの空を駆けるチータは、空の一点から地上の一点を繋ぐ糸、それを無数に張り巡らせ、まるでいびつな鳥かごのような魔力の"網"を張っている。この魔力の糸は、触れた魔力に反応し、その魔力がどの方向から飛んでいるのかをチータに教えてくれる。これが何を意味するかと言えば、どこかに潜む魔物達の指揮官が、魔力で配下に指令を下しているならば、その魔力の飛来方向を特定できるということ。案の定、姿を見せないどこぞの敵将は、魔力で部下に指示を出しているということが、魔力の網からの反応でわかっている。
相手は移動するし、網目の広いチータの包囲網をくぐる指令魔力もある。この手段で敵の位置を絞るのはかなり効率が悪い。それに、膨大な網を張ってそれを一人で管轄して情報をキャッチしなければいけないから、戦闘しながらの他の魔導士にはそれが出来ない。チータは、マグニスという非常に頼れる猛者がそばにいるから、そういう仕事に専念できるのだ。
無数の魔物達に指示を下す敵将、その所在は移ろうものなれど、さっきまではきっとそこにいた、今はあちらの方にいる、そうした情報標本が積み重なれば、敵の動く傾向が掴めてくる。そして、地上や空の、人類と魔物の抗戦状況ないし戦況の有利不利を見れば、敵が行きたがらないであろう場所もだいたい絞り込める。今探している敵将が、わざわざ魔物陣営の不利な位置、危険な場所に行きたがることは考えにくい。そうでなくて果敢な奴だったなら、探さなくてもとっくに見つけられているはず。
エクネイス西部の魔物達の指揮官は隠遁者だ。魔物達がまだ優勢を保っている区画に潜んでいるであろうこと、少し前までいた場所、動き方の傾向、それらを総合して推理した先に、求める親玉がいる。そうした計算を嫌わず、正しい答えに徐々に近付くチータは、軍師向き魔導士なのかもしれない。
「マグニスさん、あの辺りに牽制を仕掛けて貰えますか」
「先輩遣いの荒い後輩だねぇ……!」
いい加減休みたいマグニスは、チータが指し示した地上の一角に向け、特大の火球を放つ。それは地表に激突すると、あっという間に地表を駆ける炎を生み出し、燃えないはずの石畳を火の海にする。それだけの炎を生み出していながら、民家に炎が燃え移らないようにする器用さは流石。休みたくなっていると言っても、性格が怠けたがっているだけで、別に疲弊しているわけではない。
燃え盛る地上は目で追っても、その周辺ないし地上で動く存在を認識しづらい。すかさずその地点周囲に魔導線を展開し、触れた者がいればそれを認識する網を張るチータ。間に合った。炎の中を駆けてでもいるのか、魔力を纏いし何かがチータの魔力の糸に触れた実感があった。
「いました。あそこですね」
「やーっと見つかったか……!」
奴を倒せばお仕事完了、その言葉は早くサボりたいマグニスのモチベーションを一気に駆り立てる。チータが差し示す方向に、マグニスが火炎の砲撃を発射すると、それは石畳に激突して大爆発を起こす。今度は若干民家も巻き込んでいるが、その辺りは牽制と攻撃の違いなのだろうか。
「ええい、見つかったか……! 致し方あるまい!」
牙の端から舌打ちを鳴らし、魔物達の指揮官が炎の海から飛び出した。燃え盛る炎の塊とも言える、地上の一角から炎をはじけさせて飛翔したそれの姿を見て、チータはその魔物が持つ魔力の強さに警戒心を強める。一目見ただけでわかる。魔物ネビロスの血をその身に流した兄、ライフェンも相当な潜在魔力を持っていたが、この魔物はそれよりも数段上の境地に立つ魔力の持ち主だ。そもそも、あの炎の海の中を隠れて低空飛行していたのだとしたら、それだけ身を守る魔力を容易に纏えるのは間違いない。
漠然と初見の相手を分析するチータとは異なり、敵の姿を見たマグニスの表情は違う。魔物達のボス格を相手取る以上、ある程度の強敵であることは覚悟していたが、この魔物については、風の噂に聞く限りでかすかな心当たりがある。
「お前、シェラゴって名前じゃねえだろうな」
「ほほう、お主らのような若造でも、わしのことを知っておるか」
その姿はやや人間的でもあり、魔物的であるとも言える。腰の曲がった老人のような小さな体だが、長くない手足がちゃんとあり、一方で体はもこもことした体毛に覆われている。体毛や肌の色は全体的に紫色に近いものであり、背中から生えた大きな羽は、鳥のそれではなくコウモリのそれだ。
顔の作りも、口の端から牙が生えていることを除けばほぼ人間に近く、悪魔的なガーゴイルやネビロスとは印象が違う。年老いたコウモリ人間、という表現が最も似合うだろうか。そして、この風貌にして百獣軍を率いる指揮官を務められる魔物といえば、まさしくこいつのことである。魔王マーディス存命の時代から、長らく百獣皇アーヴェルのそばに仕えてきた古株、獣魔導士シェラゴの名は、歴戦の戦士ならば一度は耳にしたことがあるだろう。
「飛んで火に入る夏の虫、とはまさしくお主らじゃな」
「火から逃げてきたお前なら、火の怖さは知ってるよな?」
自信をうかがわせるシェラゴと、掌に大きな火球を載せて威嚇するマグニス。ずっと人目を避け、指揮に徹してきた魔物だからといって、それがいざ戦えば弱い存在である根拠には全くならない。隠れて戦う奴は真っ向勝負したら弱いから、という安直な俗説など、過去の凡例からすでに否定された生兵法である。自分で何でも出来る大魔導士のくせに、危険を徹底的に避けたがるアーヴェルのような魔物が、実際にいるんだから。
空を飛べる魔物達が、シェラゴの発信する魔力に呼び寄せられて集まってくる。これによって手薄になる戦闘空域もあるだろうが、代わりに危険に晒されるのはチータとマグニスだ。群がってくるヴァルチャーやコカトリスぐらいは大した障害ではないが、数匹のブレイザーとワイバーンは比較的厄介だ。そして何より、それらに的確な指示を下せるシェラゴも、強力な大駒として目の前にいる。この状況下、シェラゴの方こそ自信に満ちていて当たり前。
「おーい、チータ。こっちも増援呼べねーの?」
「頑張ればそのうち、多分。まあ、そうはさせないように向こうも陣を作ってるでしょうけど」
「ですよねー! ひどい話ですわ!」
自分の存在に気付いたチータとマグニスを素早く駆逐して、シェラゴは再び隠れ潜む指揮官に戻りたい。もたもたしていたら、人類の空中遊撃兵も、シェラゴの存在に勘付いて集まってくるだろう。短期決戦を狙うシェラゴが集わせた魔物の群れは、あっという間にマグニス達を取り囲む。
エレム王国から出張してきて、いざ強力な敵と向き合えば、守ってやってるエクネイスの兵力の助けもなく、二人だけで対処。最近の俺ってホントついていないなと、謹慎&減給処分中のマグニスはげんなり一杯の表情だった。にやついたように見えるシェラゴ、しかしそれは挑発のための笑みであり、自分を見つけた人間どもを侮ってなどおらず警戒心も強い、そんな難敵を目の前にして、面倒くささも顔から隠し切れない。
「さぁて、始めようか。お主らに付き合ってる時間はないのでな」
「時間が惜しいならお前が早く死んでくれ」
マグニスが火球をシェラゴに投げつけると、シェラゴは大きな翼で前身を包み込む。その翼の守備力は魔力によって相当に高められているらしく、大きな火球の直撃と爆発に焼かれながらも、わずかな焦げ目を残した程度で、ダメージが肉体へ届いた印象がない。
ここへ群がった魔物達が、一斉にマグニス達へ襲い掛かる。魔導線で張った魔力の糸などすでに消し、戦闘用の魔力に意識を傾けたチータ。エクネイスの西部の戦況を大きく左右する戦いに、若き魔導士の精神力は特濃の魔力を溢れさせた。




