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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第12章  来たるその日への助奏~オブリガート~
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第191話  ~鷹狩り~



 ある日の真昼時前。今日もエルアーティに仕事を言い渡され、ユースは巡り馬車を活用し、魔法都市ダニームを巡行していた。昼食後には今日もルーネとの特訓を控える身であり、それまでのイメージを脳裏に描きつつ、今の仕事から集中力を失うまいと意識を改めたり、普段どおりの生活サイクルだ。


 仕事を終えて、アカデミーの図書館にて待つエルアーティの元へ帰るまで、ユースも羽を伸ばしやすい。いたずら好きの魔女様と顔を合わせることが無いからだ。かと言って、監視役がいないからってさぼったりしないのは、真面目な性分がよく利いている証拠だろう。馬車に乗っての移動中は、後に控える修行向けに雑感を抱いたりもするが、馬車を降りて行く先に近付けば、しっかり頭を切り替えている。


「ユース」


 エルアーティの召使いとして働くようになってから一ヶ月近く経ち、すっかり恒常化したその日常に、この日は一つの声が割り込んだ。振り返ったユースの後ろ上空から、箒にちょこんと座った幼い少女が近付いてくる。ここ最近では毎日目にしている顔だが、仕事中に彼女がユースに声をかけに来ることなんて初めてで、ユースも少し驚いた。


「エルアーティ様?」


「面白いことを思いついたの。ちょっと来て頂戴」


 ユースの目の前、宙に浮く箒をふよふよと漂わせながら、箒の後ろの方をちょんちょんと指差すエルアーティ。乗れ、ということだろうか。確かに箒の柄はそれなりの長さを持っているし、エルアーティとユースが二人乗りするだけのスペースはあるが。


 賢者様の空飛ぶ箒に乗せて貰うのは畏れ多いという気持ちはあるし、ユースはちょっと遠慮気味。だが、早く乗りなさいとにこにこ語りかけてくるエルアーティに推されて、ユースも箒の後ろに乗る。跨ってだ。なんだかこう、箒に女の子らしくちょこんと座るのも嫌で。でも、これはこれでどうなんだろう。


「それじゃあ、私につかまってなさいね。空を飛ぶから、落ちちゃったら大怪我するわよ?」


 エルアーティの両肩を両手で掴んだユースの動きに伴い、エルアーティの箒が真昼前の空を駆ける。賢者エルアーティの市中への参上は衆目の目を惹き、視線を感じるユースは正直気が気でなかった。自分より小さな少女の姿、エルアーティの肩にしがみついて背中を丸める自分の姿を客観的に意識すると、そりゃあ格好のいいものだとは思えない。


 天然なのか意地悪なのか、日頃安定した軌道で飛ぶエルアーティが、危なっかしく蛇行するように飛ぶ。慣れぬ空の旅にユースも落ち着かず、びくびくしながら小さな女の子の背中に身を預ける前、エルアーティはそれを小声で笑っていた。やっぱりいちいち、この人は悪意なしとは思えない。






 鷹狩りに行きましょう、と言われて、ユースは武装するように言いつけられた。ダニーム生活における自室には、愛用の騎士剣も盾もあるから、ひとまず装備はそれだけで事足りる。鷹狩りに行く程度のことで、日々魔物達との死闘を共にしてきた完全武装というのも変な気分だったが、元から鎧なんか特に身につけるでもないユースは、愛用の剣と盾を装備しただけでそんなものである。そこまでいけば腰を守る草摺だけ置き去りにするのも変な気がして、戦場仕様の騎士ユーステットの出来上がり。


 魔法都市ダニームのアカデミーにも馬車小屋があり、賢者様特権なのかちゃんと払うもの払ってなのか、立派な一頭の馬を貸して貰うに至る。騎士団の相方として育てられた屈強な馬にも負けず、しかし葦毛の綺麗な、見栄えにも実感にも優秀そうな馬だ。帝国ルオスや旧ラエルカンにも言えることだが、やはり大国の馬は有事の際に備え、立派に育てられているものである。まあ、ダニームはいち都市に過ぎないが、周囲の地方町村を束ねるだけあって、一国の首都に近しい側面を持っているということか。


「うふふ、さあ行きましょう? 楽しみな鷹狩りの時間よ」


 馬に乗るユースの前方低空に、箒に座った自らを浮かべて、エルアーティはいやに機嫌がいい。人が人だから、また何か妙なことを企んでいるんだろうなと嫌な予感がするけれど、ユースは滑空して前進し始めたエルアーティを追うようにして、手綱を操った。


 仲間うちでは乗馬が不得意なことで有名なユースだが、ダニームの名馬は、初めて乗せる主の言うこともよく聞いてくれた。エルアーティはいったい何を企んでいるのだろうと気になるユースだが、結果的にいつも力みすぎて手綱繰りをしくじる習慣がなりを潜め、やんごとなく馬を進めることが出来た。


 街中を馬で速く駆けることは危険なことなのだが、ずいずい前を行くエルアーティの動きが速くてユースも困ってしまう。あっちは人を轢く恐れがないから好き放題全身できるだろうが、人通りのある街を馬でひょいひょい進むのは危なすぎる。道角から子供でも飛び出してきて、馬に蹴らせてしまっては洒落にならない。


「早く来なさいよ。私がわざわざ道を作ってあげてるのよ?」


 まあ、それもわからなくはないけど。馬の手綱を引くユースの方に体を向けたまま、背を向けた後方に前進するエルアーティの動きは、傍目にも賢者が一頭の馬を率いている動きを連想させるものだ。だからエルアーティが通った後に人通りは裂け、馬の歩きやすいように道が出来ている。それでも大事を取って急がない足取りを馬に命じるユースに、エルアーティはちょっと不満顔。そんな顔されても、という気分のユースは、機嫌を損ねたエルアーティに後で何かされやしないかと胃が痛い。


 何とか魔法都市の南の関所から、街の外に出たユースの目の前には、広い平原が広がっている。ここからは自由に走れそうだ。ぐいぐい抑えるようにユースが手綱を引いていただけあって、我慢を強いられていた側の馬も、なんだか目の前の光景に興奮しているように感じる。動物の気持ちは完全にはわからないけど、なんとなくユースは馬の頭を撫でてやった。ここまでよく言うことを聞いてくれてお疲れ様、という表明だ。


「じゃ、出発進行。ちゃんとついて来なさいよ」


 そう言ってエルアーティは、馬の顔の位置より少し高いぐらいの高度で、南に向かって一気に滑空する。速い。なかなかの速度で、手綱を緩めて馬の腹をかかとで軽く叩いてやると、馬もエルアーティを追って勢いよく駆け出す。馬は本能的に、前を走る素早い者を追い抜こうとする習性があるとかないとかユースも聞いたことがあるが、その加速はまるで前方に舞う速いエルアーティに追い迫るような速度だ。


 身に受ける風でユースが実感するとおり、この名馬もやはり速い。間もなくしてエルアーティに追いつくが、追いつかれたことを振り返って目に留めたエルアーティは、さらにちょっと加速する。馬より速い。ユースの跨る名馬も、負けじと加速する。草原におけるちょっとした、馬と魔女のレースのようになっている。


 特に馬に指示することなんてないな、とユースもすぐに意識する。エルアーティは時々速度を落とし、馬に並ぶ形を作ったり、ひゅっと前に抜けたりして、馬速をそちらで上手いこと調整してくれている。エルアーティの速さについていく馬が、ずっと速いエルアーティを全力で追いかけていたら、それなりに疲れてしまうだろう。馬にとって無理のない速度をもたらし、目的地まで馬を減速させず、最短時間で辿り着けるための調節は、騎手のユースに代わってエルアーティがやってくれている。


 というか、ユースにその仕事は出来ないのだが。そもそも目的地も知らされておらず、行く先が遠いのか近いのかわからないのに、馬のスタミナも加味した速度を、最善に調節しようもない。とりあえずエルアーティが導くままに、馬上にて馬の意識の妨げにならないよう体勢を安定させ、鷹狩りとやらをどこでやるんだろうかと想像していたりした。


 魔法都市ダニームからひたすら南下していくと、一つの有名な地に辿り着く。これは走る方向をわかるユースなら、ここまま行けばここに着くと、あらかじめわかっていた場所だ。地平線から頭をひょこっと見せていたその山に近付くにつれ、山麓の姿も徐々にはっきりとしてくる。エレム王都住まいのユースは、この山にこちらの方向から近付くのは初めてのことである。


「エルアーティ様、エルアーティ様」


「なに?」


「鷹狩りって、ここでやるんですか?」


 過去にユースも騎士団の任務で進軍したこともある、タイリップ山地。野盗団退治を目的に進撃し、潜伏していた魔王マーディスの遺産率いる魔物の軍勢をも相手取り、ここで激戦を繰り広げた去年のことはよく覚えている。ガンマと一緒に、手負いのミノタウロスを討伐した当時のことも、今より未熟だったあの頃の自分がよく生き残れたものだと、いやに思い出深いものだ。


 エレム王国と魔法都市ダニーム統制地方の境界に位置するこの山地は、ちょうど両国の中間点にあたる。以前の進撃で野盗団を駆逐してのち、山地に潜む魔物達もその後駆除され、ひとまず極端に危険な地ではないとされている近況だ。かと言って、エレムとダニーム間を繋ぐ道には便利な海路が既にあるから、昔のようにここ山道が賑わうということもない。海路が完成する前の時代に愛された山道は、相変わらずの獣道っぷりである。


 ユースの問いには何も答えず、くすっと笑うだけの仕草を見せたエルアーティは、ここに至るまでの草原道と同じように、ユースの馬を率いている。答えない、ということは、現地に着いてからのお楽しみ、という表れなのだろうか。明確な答えは得られなかったが、詮索好きでもないユースは気にせず、ついて行く。到着すればわかることだ。


 獣道とはいえ一度は整えられた山道だから、馬に無理の無い山登りをさせられる、緩やかな登り坂が長く続いている。古くは商人達が、馬車馬を率いてよく通った道だから、道の表面はともかく傾斜自体は馬の脚に優しい。馬は脚の骨を折ると、大げさではなく命の危険に関わる。重い体を細い4本の脚で支える馬という生物は、一本の脚が折れると走れないだけでなく、簡単に言えば他の脚にも血行の悪循環を及ぼし、仕舞いには蹄が腐っていくような事態に至ってしまうのだ。速やかな魔法と医療技術を兼ねた治療を施さねば、そのまま衰弱死してしまうのが殆ど。それが馬という生き物の生態だ。


 さすがにその辺りはユースもエルアーティもわかっていて、荒れた山道を駆ける馬の速度はゆったりとしたものである。いずれにせよ駆け上がることが多い道であり、飛ばせば馬もたいへん疲れる。馬が軽く息を上げ始めていることを感じ取ったユースが、独断で手綱を引いて、ゆっくり走ればいいよと指示を出すのは、つい出た人の良さだろう。後方の気配を感じ取ったエルアーティが、ユースの行動に合わせて速度を落としたり、向こうもこちらの意図は読み取ってくれている模様。


「その子もお疲れかしら? 少し休憩した方がいいかしらね」


 ユースと並走する形で滑空するエルアーティは、馬をゆっくり減速させ、止まらせる動きを促してくる。夏場の炎天下、ユースも馬の脇に備えた水を飲み、そうしている間にエルアーティが馬を近くの湖に導く。


 湖のそばでエルアーティが魔法を行使すると、彼女の魔力が地面を隆起させ、土で作った大きなバケツのような形を構成し、湖水が生き物のようにざばりと立ち上がり、一部をその土の容器に流し込む。魔法で簡単に飲み水を馬に与える形を実現させたエルアーティに、喉が渇いていた馬も満足げに、水を口にする。まるで息をするように、詠唱も手振りもなくそんな魔法を叶えるエルアーティの姿には、ユースもわかりやすく偉大な魔法使いの力の片鱗を見た気分だ。


「ふふ、いい子ね。もうちょっと、頑張って頂戴」


 そう言ってエルアーティは、水を飲む馬に近付くと、その頬にちゅっと口付けをした。意外な行動に目を瞠るユースの目の前、エルアーティがちらりとユースを向いて、にんまり笑っている。


「あなたもして欲しい?」


 妖艶な瞳で、柔らかそうな自分の唇を指差してそう言ってくるエルアーティの言動は、いりませんよ、という当たり前の答えを、ユースの喉の奥に封じ込めてしまう。手をひらひら振って、言葉を作れず、やめて下さいと意思表明することしか出来ないユースに、ふよふよと箒に腰掛けたエルアーティが近付く。


「遠慮しなくたっていいのよ? 誰も見ていないんだし、素敵な思い出作りだと思って」


「やっ、あの……け、結構です……!」


 ユースの喉元を指でなぞり、顎を撫ぜてくるエルアーティの唇が、ユースの口元にひっつくんじゃないかというところで、ユースは顔を背けて強く拒絶した。あのままじっとしていたら、答えうんぬん関係なく、本当に唇を奪われていた気がする。


「あらあら、残念。あなた案外、ファーストキスは大事にするのね」


 まるで女の子みたい、と、くすくす笑いながら言ってくるエルアーティに、ユースも隠し切れない不服顔である。ほっといてくれという無言の主張は、流石にエルアーティにも伝わっているだろう。


「ま、いいわ。そろそろ参りましょうか」


 山頂に向けて低空を進み始めたエルアーティの動きは、ついて来なさいという動きとしてわかりやすい。馬もろくに休んでいないのに大丈夫だろうか、と感じるユースだが、来いと言われれば行くしかない。手綱を操ってエルアーティを追わせる方向に馬を導くと、躾のよく届いたこの馬は走りだす。


 心なしか、魔法都市を出発した時と同じぐらい、元気になっている気がする。ほんの少し休んで、水を飲んだだけで、ここまで回復したりするものだろうか。えらく活気を得た馬の背中の上で、思わぬ跳ね馬にユースも軽く戸惑っている。まさかとは思うが、エルアーティの口付けで元気になったのだとしたら、こいつこう見えて結構なエロ馬ではなかろうか。


「ちなみにその子は牝馬だからね」


 言葉は違えどそんな仮説に辿り着きかけたユースの思考を、読心どころか先読みまでしたかのように、前のエルアーティが否定要素を投げつけてくる。嫌になるぐらい、人の心の中を透かした言動を今日も見せる賢者を前に、ユースは沈痛な溜め息を耐えられなかった。ここ最近、昔ほど壁を作らなくて済む程度にはエルアーティと話せるようになってきたユースだったが、向こう何年一緒にいてもこの人には敵いそうにないと実感してしまうからだ。それでいて、召使い期間はまだ続いているのだし。


 口付けを介して魔力を馬に注ぎ込み、体力回復の魔法を叶えたエルアーティは、その真実をわざわざ口にしてユースに教えたりしてくれない。教えない真実に惑うユースの様相を振り返らずに読み取って、くすくす笑う楽しみをわざわざ捨てたりはしないのだ。






 タイリップ山地の最高点まで辿り着き、下り、時にまた昇り、長い山道の末に、とうとうユースを乗せた馬は、タイリップ山地を越してしまった。この山で鷹狩りをするのかというユースの問いかけは、自ずと否の答えを得た形になる。


 山のふもとに辿り着いたその時、水を飲んだあの時のようにエルアーティは、馬に口付けをして見せた。二度も同じ光景を見れば、その後馬が活力を得る事実から、それがエルアーティの唇を介した魔法の賜物であることが、ユースにも察しつく。実感したユースに対しては、特にエルアーティも絡んでこない。タイリップ山地の南端から、さらに南に向けて馬を走らせる。


 草原を走るユースの乗った馬、それを導くエルアーティ。ユースもいよいよ、いったいどこへ向かっているのだろうという疑問が大きくなってきた。南下しているのは明らかだが、このまま進めば辿り着くのはエレム王都ではないのか。というか、既にここはエレム王国領土内なのだが。


 流石にユースも道中にて、少し真剣な声で、どこに向かってるんですかとエルアーティに問うてみた。その時にはエルアーティもはっきり振り返り、着いてからのお楽しみ、と明確な答えを返してきた。こう言われてしまうと、ユースも返す言葉が無い。疑問符を頭の上に浮かべたまま、ユースは馬の手綱を操ることを余儀なくされる。


 エレム王国領土内、特に王都北部の地にはユースも明るい。第14小隊にとってはこの辺りで活動した過去が多く、チータが仲間に入る前は主にここがユースの主戦場だった。護送任務から魔物の討伐まで、この平原や荒原は何度も訪れたことがある。もう少し進めば盆地があるな、なんていう予備知識も、考えずして、風景から脳裏に結論が流れ込む。


 だから、微妙なエルアーティの滑空コースからも、目的地の方向ぐらいは割り出せる。王都に向かっている道筋ではない。どちらかと言えば、エレム王都の南東に位置するトネムの都寄りである。ただ、トネムの都に向かっているにしては、曲がりがちょっと足りないような気もする。ここからどうエルアーティがカーブするかわからないので、結論は急げそうにないが。


 太陽の位置を確かめれば、もうおやつ時を過ぎて夕暮れ前ではないか。魔法都市ダニームから鷹狩りをするとか言われて、えらく長旅の末にここまで来たものだ。馬を口付けの魔法で回復させたりまでして、わざわざユースをこんな場所まで招いた、エルアーティの意図が読み取れない。


 エレム王国とトネムの都は、エレム河を通じて水運にて繋がっている。その半ば地点にも、大河を渡る大きな橋がいくつか掛けられているのだが、ユースがやがてエルアーティに導かれて辿り着いたのもそこだ。大きな橋――西に王都、東にトネムの都を見据えるエレム河の橋を、馬に乗って駆け抜けたユースに、ふとエルアーティが近付いてくる。近くもなく、遠くもなく、馬の速度に合わせて滑空する形でユースの隣に並ぶ。


「あなたも戦士なら、準備運動なんかしなくたってすぐに戦えるわよね?」


 いきなり何を言い出すのかと思って言葉に迷うユースだが、行間を読んで選んだ答えは(うなず)きだ。というより、ここまでの長旅ずっと馬上で体を揺られ、体勢を崩さないように無意識の筋力を使い続けているから、体もそんなに冷えていない。現地に着いたらすぐ鷹狩り、とエルアーティに言われたとしても、悪くないコンディションで初速を得られる気はしている。


 そして、ここまで来れば流石にユースだって、エルアーティが鷹狩りと称して自分をここまで連れて来た真意に、僅かながら手が届きかけている。若くたって、これでも何年も戦場を駆けてきた戦士の卵だ。武装して、わざわざ鷹狩り遊びのためだけに、遠いダニームの地からエレム王都より河を越え、さらに南下していくのは考えにくくて仕方ない。


 これよりさらに南に進めば、この先に見えてくるのは恐らく、エレム王国と同盟国であるエクネイス。そしてコズニック山脈に点在する鉱山や廃坑を一手に仕切るこの国からさらに南下すれば、統治対象のコズニック山脈も間もなくである。しかも、ここに来てエルアーティはさらにスピードを上げている。まるで、何かを急ぐかのようなその加速には、ユースだって意味を感じずにはいられない。


 狩る鷹とは、果たしてただの動物なのだろうか。そんな簡単な話ではあるまいという予感が、ここしばらく戦場を離れていたユースの血を、ふつふつと滾らせる。


「謹慎期間中でしょうけど、気にせず好きなように動きなさい。騎士団への言い訳は、全て私が済ませておいてあげるから」




 ここ最近の魔物の動向は、各国を繋ぐ連絡手段により、エレム、ダニーム、ルオスの三国にて共有された情報だ。魔物達に占拠されたラエルカンから、西へとエレム方面への魔物の進軍、北へのルオスへの進軍、北西のダニーム方面への進軍など、魔物達の侵攻経過は伝えられている。


 ラエルカンが墜ちてから一ヶ月近く経つ昨今だが、ここ最近、魔物達の侵攻軍勢の中に、魔王マーディスの遺産の姿が無い。魔物の巨大組織内における、遺産連中ほどではないにせよ名を馳せた怪物が指揮官となることはあっても、大将格が姿を見せていない。撃退自体はそのおかげもあってか、今日まで何とか果たしてこられている。だが、遺産どもが本気で軍勢を率いて指揮を執れば、人類側への被害が今日までの比でなくなるのは明らかだ。いつ来るのか、そしてどこに来るのか。人類の警戒体勢は非常に強かった。


 監視塔の活用、魔法による魔物の同行の察知、それを遠方の仲間に知らせる迅速な連絡。殆どの魔物達が今のラエルカンに集ったとは言っても、コズニック山脈にも魔物達は多数潜んだままであり、そちらも人類にとっては警戒対象だ。その地から魔物達が侵攻して来ようものなら、エクネイスの監視人材がつぶさにそれを読み取り、本国に素早くその情報を届ける。もしも魔物が南から進軍して来ようとも、エクネイスの国はそれを短時間で迎え撃つ準備を完遂させられる。今はそれだけ、どこの国の軍部も臨戦態勢を解けない時期である。




 そうした時勢をはっきり知るユースの耳に、エルアーティの言葉はどう聞こえただろうか。やがてはエクネイスに辿り着くはずだ。コブレ廃坑調査、プラタ鉱山進軍、アルム廃坑攻略という、コズニック山脈に携わる任務に関わった時、必ず通った国であり、ユースもそれなりに思い入れを得ている国。胸騒ぎが止まらないが、現実を見据えて立ち向かう騎士の血を奮い立たせ、前を向いたユースは眼差しの光を確固たるものとする。


「一度、止まりなさい」


 エルアーティに言われ、ユースは手綱を引いて馬を減速させ始める。急く気持ちを察され、前進を一度止めることで、冷静さを取り戻せという命令にも聞こえた。そういう意味もあったのかもしれないが、それはあくまでユースの想像内でのこと。そう思い至ってしまうほどには、ユースも嫌な予感に気持ちが急いていた自覚がある。


 エルアーティは、馬の頬に今日3度目の口付けをした。目を閉じて、右手で優しく馬の鼻を撫で、甘く優しい魔力を強く携えた口付け。日中走り続けていた馬の、疲れた瞳が目に見えて光を取り戻し、ばふんと荒い鼻息を吹いたものである。満足げに微笑んだエルアーティは、一度馬上のユースの隣に並ぶ高さに位置を合わせ、ユースに体ごと向いて目線を注いでくる。


「守るべきものを守るための剣。戒律や法規など忘れ、思うがままに振るいなさい。雑念は不要よ」


「……はい」


 遠目にエクネイスの国が見えてきたその場で向けられた言葉の真意は、ユースの魂に刻み付けられる。そしてこの時、エルアーティがユースに見せた笑顔とは、少なくともユースは一度も見たことのない、優しさと強気に満ち、冷徹な魔女とは異なった、強き人間の笑顔である。


「よろしい。あなたの内に脈づく魂が叶える、騎士剣と盾に込められた"魔法"、見届けさせて貰うわ」


 魔法とは魔力を行使して、あらゆる事を叶えるだけのものを言うのだろうか。少なくともエルアーティは、魔法という言葉をそんな狭義に捉えない。人の心、精神が生み出す、魂の願う想いを力に変えて世界に影響を及ぼす奇跡、それもまた魔法である。無数の人々が望み願った、魔王の討伐を果たしたあの日の出来事も、エルアーティは"歴史的大挙"ではなく"魔法"と言い表せる。


「私は一足先に行って同窓会を楽しんでくるわ。覚悟が決まったらあなたも遊びにいらっしゃい」


 そう言ってエルアーティは、徐々に前方、エクネイスに向けて加速する。その急加速度は途轍もなく、あっという間に馬の速度を遥かに超えるものへと変わっていき、風のように平原を駆け抜けていく。目の前の者を追おうとする、馬の本能を刺激しないほど、桁外れのスピードでだ。


 覚悟が決まったら来い。それは時間が必要なことだろうか。迷いなく、ユースは馬の腹を靴のかかとで叩いた。今日一番強く叩いたのは、急く想いからではなく、この先に待つ死線の存在を、付き合いは短いが今の相棒である愛馬と意識共有するためだ。


 まるでユースの想いに応えるように、いなないて前身を跳ね上げる動き。戦士の想いを受け止めなお、危険な戦場と直感する地へと駆け出すその姿は、名馬のそれに他ならない。エルアーティがユースに勧めた美しきこの馬は、実にひと月近くぶりに戦場に赴く騎士に、心細さどころか心強さをもたらす存在だ。


 力強く走る馬、馬上から遠方のエクネイスを視界の真ん中に捉えるユース。そして、かの国の上空に浮かぶ噴煙のはしくれのような曇り空は、下の大地が戦火に襲われていることの表れだ。急いで欲しいと言葉にせずとも、手綱を介して騎士の願いを受け取った馬が、さらなる加速を得た全速力で、エクネイスの地へと駆け抜けた。


 時は満ちた。命を懸けた鷹狩りが始まる。

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[一言] 鷹とは……(゜Д゜)
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