第190話 ~勇者の芽生え④ 運命力学~
「ディルエラ。アーヴェルはどこに消えた?」
「あん? あいつなら遠征準備に忙しいっつって、ここ最近駆け回ってるぜ」
「そうか。積極的に働いてくれているなら結構だ」
荒廃したラエルカンの都、廃墟の一角にて語らう魔物の親玉二つ。黒騎士ウルアグワが鉄仮面の下で悪辣な笑みを浮かべていると、悪意に満ちたその声に誰もが嫌な顔をするものだ。人間は勿論、配下の魔物達や、百獣皇アーヴェルでさえもである。意にも返さない肝を持つのは、ウルアグワが何を企んでいようがどうでもいいと感じる、獄獣ディルエラぐらいのものだろう。
「それより葉巻は?」
「サイクロプスに運ばせている。そのうち届くだろう。一つは私が持ってきてやったがな」
「おう、くれくれ」
人の腕より少し細いぐらいの、太い葉巻だ。黒騎士ウルアグワも、指ではなく掌で包むような大きな葉巻を、ディルエラは受け取ってくわえて火をつける。煙を含んで満足げに吐き出す表情は、至福の一服に腹いっぱいという顔だ。
「美味ぇな。毎度お前の葉巻にゃ舌を巻くぜ」
「気に入ってくれたなら何よりだ」
黒騎士ウルアグワが栽培する植物は、葉を一枚摩り下ろして口にしただけで、人間ならば体組織を破壊されて死に至る猛毒の植物。それを葉巻にして吸い、美味いと満喫するディルエラというのは、体内まで規格外の生命力に満ち溢れている。麻薬にも近い依存性を持つ極悪の葉巻を吸ってもなお、精神に傷を負う兆しすら見せない姿には、ウルアグワですら関心している。
「アーヴェルの奴、ここ最近はぼやきっぱなしだぜ。"誓い"が無ければとっくに逃げてるのに、ってな」
「お前達は口ぶりは悪いが、義理堅い性格で助かっているよ」
「あん? 口ぶりは悪いって、俺もか?」
「すべてが軽率だな」
げらげら笑うディルエラと、小声で笑うウルアグワ。魔物達からさえも忌み嫌われるウルアグワだが、ここ二人の関係は非常に親密だ。あくまで、表面上は。双方、互いの存在がいかなる利害を生むかをよく理解しているだけ。
「人間どものラエルカン奪還作戦はそう遠くねえぞ。勝算はあるか?」
「最後に笑うのは私だ」
「配下の連中は生存と勝利を望んでいるようだが?」
知らんな、と冷徹に言い捨てるウルアグワ。黒騎士ウルアグワも、獄獣ディルエラも、百獣皇アーヴェルも、人類が勝利を目指してラエルカンに乗り込んで来た日、魔物陣営に完勝が無いことをはっきり確信している。人類は強いのだ。魔王マーディスを討伐した人類の底力を、未だに侮っている配下の魔物達と、魔王マーディスの遺産の観点は全く違う。
大局的に運命の日を、勝利で終えようが敗北で終えようが、魔王マーディスの遺産達にとってはどうでもいいことなのだ。ディルエラはディルエラの目的を、ウルアグワはウルアグワの目的を叶えられればそれでいい。アーヴェルも同様だ。もはや魔王マーディスの遺産達の目的は、自陣営の単純なる勝利とは別の所にある。
「お前とのお別れも間もなくだな。長い付き合いだったが、楽しかったぜ」
「私との付き合いを楽しかったと言えるその性格には、私も驚きだよ」
ウルアグワに提供される葉巻の味は、獄獣と黒騎士を繋ぐ絆のようなものなのかもしれない。利害のみで手を結んだ両者だが、互いのことを今後も忘れぬほどの関係ではあった。相手がいなくなって悲しむような間柄では全くないが、良き思い出が出来たものだと、煙を吐いてディルエラは回想する。
「まァ、応援してやる。俺は自分のことは自分でやるから、お前は大願に向けて支度を整えてきな」
「そうさせて貰うとしよう」
立ち去るウルアグワは、きっとこの後人類から奪い取った、ラエルカン城に向かうのだろう。そこには人間どもの死体を焼き溶かし、凝縮して作られた、禍々しい玉座に居座る魔将軍エルドルがいる。かの大将格と目的を共有し、恐るべき野望の実現に向けてウルアグワは策を練るのだろう。
ディルエラにとっては何でもいい。やがて訪れる最終戦争で、配下達の多くが死のうが、魔物陣営が敗北しようが、己が生き残り望むものを掴み取られればそれでいい。流れ者としてこの地に辿り着き、魔王マーディスの片腕となったあの日から、求めたものの多くは勝ち得てきた。じきに訪れる歴史的決戦の舞台は、ディルエラにとっての総仕上げのようなものだ。
ディルエラの懐には、大事に取ってある葉巻が一本ある。やがて迎える聖戦にて、その日の運勢を占うための、取っておきの一本だ。
チータが一週間の魔法都市滞在期間を終え、エレム王都に帰った夜、エルアーティは一人、アカデミーの大図書館の私有区画に座っていた。ユースと同じ、例の部屋で寝ないのは、今日は二人きりで話したい友人がいるからである。
「エルア?」
「ああ、やっと来てくれたのね。待ちわびたわ」
「ごめんなさい、論文を纏めるのに時間がかかっちゃって」
大図書館の賢者私有区画は、エルアーティが誰にも邪魔をされずに書物を読みふけることが出来る聖域だ。招かれざる客が来れば嫌な顔をするエルアーティが、上機嫌で客人に椅子を差し出す相手は、親友のルーネを除いて他には一人もいない。
「あなたが時間をかけるなんて珍しいわね。算術? 閃き?」
「ヒュプノスの幻想推算の否定証明。多分、証明しきれると思う」
「背理法? 帰納法?」
「帰納法。あとは水術と木術における反例を一つ挙げれば、五行属性においては証明完了よ」
「ふふ、かかるわけだわ」
一つの机に向かって二人並んで座り、学者としての本分を語らう二人。隙のない理論構成を得意とするルーネの学術と、誤算なき徹底性を得意とするエルアーティは、人間離れした頭脳を持つ者同士ながら、互いの導き出す魔法学理論に強く興味を持ち合う。並の学者ならば、数分かけての解説がないとついていけないような高度な会話を、短い言葉の交換で意志を共有できる二人の世界は、賢人集いしダニームの都においても特別な空間であると言える。
朝まで話しても飽き足りない親友同士の学問交換だが、今日びにおいては二人の興味の中心ではない。紙とペンに向き合い、掌から生まれる魔法を深めることも楽しいが、やはり二人が今手がける未来の大器こそ、両者にとって何よりも興味深いものである。話題は次第に、自ずとそちらに移っていく。
「チータ君に何を教えたの?」
「ただの魔導線よ。一週間の指導でマスターさせられるような魔法なんて、それぐらいしか無かったからね」
エルアーティがこの一週間でチータに教えた魔法は、本当に何の変哲も無い単純なものだ。習得自体はさほど難しいものではなく、それを扱える魔導士も非常に数多い。無数ある魔法の中で、チータもたまたま習得の目につけてこなかった魔法、というだけの話。
「うふふ、的確ね。今のチータ君に最も必要な魔法といえば、それだと私も思っていたわ」
「開門魔法の前提精神に目をつければ、普通誰だってそういう結論になるわ。もっとも、それに目をつけられない、魔法学基礎を見落とした輩が多いから、この世は良き指導者に欠くのだけど」
そんな簡単な魔法をチータに手ほどきしたエルアーティに対する、ルーネの評価はすこぶる高い。決して親友びいきで、そんなお世辞を言うような性格では無い。
「それにね、あの子実は爆弾を一つ持ってるのよ。今まで一度も正しく発現してこられなかったらしいけど、上手くいけばとんでもない兵器に相当する大魔法をね」
「チータ君が? どんな魔法?」
「ふふ、笑えるわよ。あの子ああ見えて、とんでもない野心家だわ」
一枚の紙を取り出し、魔法構造式や描画をさらさらと筆先で作っていくエルアーティ。その途中にして、だいたいの全容が見えてきた時点で、ルーネも目を見張らずにいられなかった。確かにこれは凄い。
「ね、面白いでしょ?」
「……あの子が魔導線を習得すれば」
「ええ、巡り合わせ次第で実現の目は充分にある。あとは運命が味方してくれるかどうかよ」
一人の魔法使いとして、ルーネも興奮を禁じ得ない大魔法だ。途轍もない効果を生み出し、使い方を誤れば大いなる破滅を招くような魔法ではあるが、きっとチータは使い道を誤らないだろう。ああ見えて確かな正義感を胸に抱く彼であることは、ルーネも正しく知っている。
「あの子が名付けたこの魔法の名は、"リトリビューション"。皮肉が利いてて面白いと思わない?」
「そこは笑っちゃ駄目でしょ? あの子の正義が名付けた、いい名前じゃない」
「いや、だって……くふふ、駄目だわ。我慢できない」
親友の底意地の悪さに苦笑いを浮かべるルーネの手前、声を殺して笑うエルアーティ。チータが名付けた究極の大魔法の名は、エルアーティにとってそこまで笑えるものであるらしい。どうしてエルアーティが笑ってしまうのかも理解できなくはないが、幼少の頃に名付けた魔法なんだから、そんな風に笑ってやるのはやめなさい、と、ルーネはエルアーティのおでこを叩く。
「いたっ……もう、あなたは本当に若い子には甘すぎるわ」
「たとえ若き日の己の未熟さを恥じる時が来ても、そうした日々がやがていつか、未来の正しき行いを作り上げるのよ。価値ある若き過ちをあざ笑うことは、褒めてあげられることじゃないわ」
「いいじゃないの。私が小奇麗な魔法使いでないことぐらいわかってるでしょ?」
「開き直らないのっ」
椅子に腰掛けたまま体をこちらに向け、腰に両手を当ててずいっと顔を近づけるルーネ。エルアーティもこれにはやれやれと言った表情で、両手を挙げてわかりましたよと降伏する。悪しき人間の側面も腐るほど見てきてなお、己を曲げず純真な精神を抱き続けるルーネの姿には、エルアーティも時々呆れそうになる。まあ、それだけの芯を持つ友人であるからこそ、敬意を失わないのも本音だけど。
「まあ、それはともかく、あなたの方はどうなの? 可愛い新弟子さん、間に合いそう?」
ユースのことを問うエルアーティには、行間にいくつもの含みがある。近いうち、人類総軍によるラエルカンへの突入作戦があるのは確定事項であり、その戦役でユースが歴史的大戦に耐え得るだけの力を、その日までに養えるか。それに間に合うかどうかを尋ねている。
「……間に合いそう、なのよね」
朗報を口にするルーネの表情は、何故かその言葉に反して明るくない。やがて迎える巨大な戦の中、未熟だった騎士が有能なる一兵として参戦することに間に合うというのは、全観点から見て人類には望ましいことだ。ユースという一人の人間に対しての愛着を持つルーネにしてみたって、ユースが当の戦役で生存する可能性が上がるなら、それは何よりのはず。
ルーネの顔が固いのは、間に合う"かもしれない"こと自体に驚きを隠せないからだ。近すぎる死闘を目の前にして、その戦場に耐え得る戦士を短期間で育て上げることなんて、実現可能なものだなんて最初から考えていたわけではない。魔王マーディスの遺産と呼ばれた、魔物の大将格4体を筆頭に、最上位種の魔物達ひしめく怪物の巣窟、それが今のラエルカン。並の戦士がその戦場に並べば、生き残れる見込みを見出すことすら難しい死闘の地となるのは、初めから誰もがわかっている。
ユースは素養も豊富で、成長も早く、ルーネも化ける可能性を見出していたのは事実。半年か、あるいは三ヶ月も指導し続けられたならば、今の上限最大まで力を引き出して、周囲を驚かせられるほどの立派な騎士に育つだろうと思っていた。その見込みを遥かに追い越し、僅か数週間でユースは今の上限地点まで駆け上がろうとしている。賢者でさえも見誤るほどの、成長速度だ。
「ねえ、エルア。一つだけ聞いてもいい?」
「なに?」
「あなたは一体、あの子の何に目を惹かれたの?」
エルアーティが召使いとしてユースを招き入れた本懐なんて、初めからルーネにはわかりきっている。ルーネにユースを預けて、育てさせようとしただけの話だ。確かにルーネも手を合わせてみれば、ユースに大いなる見込みがあることはすぐにわかった。だが、エルアーティはどこでそれを見抜き、そうした形を取ろうとしたのかと、ルーネは言外にて問うている。
くすりと笑ったエルアーティは、席を立って窓へと近付いていく。夜空に輝く無数の星を見上げたエルアーティの仕草は、ルーネにだけわかる一つの単語を示唆している。この行動ひとつだけで、エルアーティはルーネに心を伝えることが出来る間柄だ。
「衛騎士ドミトリーは魔王マーディスを討伐した。彼よりも強い騎士は、かつての歴史の中でいくらでもいたはず。だが、魔王を討ち果たす役目を運命が預けたのは彼だった」
人の歴史は実に長く、百代の流れの中で無数の偉人が生まれ、世を去っていった。今でこそ勇者と呼ばれるドミトリーにも、尊敬してやまなかった、彼よりも強い騎士達が確かにいた。魔王マーディスが存命の時代にあってもだ。だが、その騎士は魔王を討つ役目を運命に託されぬまま、戦陣を去るかこの世を去っていったのだ。彼らの背を追うばかりだった若き日のドミトリーは、やがて魔王を討つ手となる運命に導かれ、英雄となった。
巡り会わせとは不可思議なもので、世界一の強者が必ずしも世界一の栄光を手にするとは限らない。勇騎士ベルセリウスだって、彼自身が語るように、彼と一対一で戦えば勝ることの出来る者が世界に一人もいないわけではない。だが、彼は英雄となった。魔王を討伐したあの当時で言えば、きっと勇騎士ゲイルや聖騎士グラファスの方が、ベルセリウスより強かったであろうにだ。
「すべては運命の定めるままに。その大いなる力の前には、人も、精霊も、魔王でさえも決して抗えない。人を遥かに超えた力を持つ魔王マーディスが敗れた相手とは、ただの人類ではなく、運命を味方につけた人類であると私は形容する」
「運命とは?」
「4人の勇者を最高の形で交わらせた、類まれなる巡り会わせ」
ルーネの問いに小気味よく応えるエルアーティは、親友に背を向けたまま夜空を見上げている。星空とは、名も無き星と、人類に名を与えられた星座が同時に並び立つ広大なキャンパスだ。強い光を放つ星の隣に、周期を同じくして近しく並ぶ星は、一等星ともども星座としての名を与えられ、仲間に恵まれなかった弱き光の星は名も与えられない。
エルアーティに言わせれば、星空はまさしく人と天体、その運命の巡り合わせの象徴だ。夜空を見上げるエルアーティの行動とは、運命について語る時に最も現れる所作である。
「運命を味方につけ、長く魔王に支配されてきた人類の歴史を塗り替えた勇者達。彼らが持つ数奇なり不可視の力を、私は運命力と名付けた。歴史に名を残した無数の偉人達もまた、運命力を持つがゆえに人類史に岐路を作り上げたものだと私は仮説を立てている」
エルアーティは振り返り、再びルーネの元へ歩み寄る。席に座らずルーネの前で立ち止まったエルアーティの表情は、最大の持論を披露することを楽しむ学者の表情だ。
「人は誰しも大なり小なり、運命力を持っている。あなたが私の半生を変えたように、あなたはそうした運命力を持っている。法騎士シリカが騎士ユーステットの人生を一新したのも、彼女が持つ運命力。勇騎士ベルセリウスが後続の騎士達多くに、彼を追う夢を与えるのも、彼の持つ運命力と言えるでしょう」
影響を与える先が大きかろうと小さかろうと、誰もが世界をわずかに変える力を持っている。そうした"運命力"が複雑に絡み合い、世界は変えることと変えられることを繰り返され、諸行無常の世界がここにある。いかなる物体も万有引力を持つように、すべての存在は磁場のように、世界に対して運命力を発信しているとエルアーティは語り続けてきた。
大きな運命力というものがこの世に存在するなら、それは世界をどう変えていくだろう。響かせる先は限りなく大きく、世界を変えるだけの力がそれだけ大きいなら?
「……エルアは、ユース君に」
「ええ、ただならぬ運命力を感じた。やがて彼は、世界を変えるだけの"何か"を持っている」
その根拠を知りたがるルーネの眼差しを、エルアーティも見て感じ取っている。無言のままのルーネに対し、さらに言葉を紡ぐのは、それを説くのが目的だ。
「運命は、彼の開花を待っている。彼が息絶えず、今日まで生きてきたこともその根拠。やがて訪れる歴史の節目を前にして、彼をあなたに巡り合わせられる条件が具合よく揃っていたことも、運命の操る糸が彼を導いたように私には思えてならない」
開花せぬまま今日まで至り、故郷テネメールから去る道でも、スフィンクスという難敵を単身破り、生存したユース。ガンマを救うために彼らがアルボルに赴き、謹慎処分を受けたことも、エルアーティがユースを招き入れ、ルーネという指導者に巡り合わせることに都合が良かった。そもそもユースという人物に、エルアーティが早期に顔を合わせていたことも、今にして思えば運命の導いた結果であるとエルアーティは結論づけている。
「無数の偶然がひしめくこの世界は人間には意地悪で、運命的な事象を人々の前から隠し、容易には運命の道筋を悟らせまいとする。私達は、偶然の中に隠された運命を見逃さず、世を統べる絶対的な力に沿う形で、世界を変えていく選択肢を与えられている」
素数と同じよ、とエルアーティは言う。数列式で決して表せない、不規則な法則で連ねられる永遠の素数は、分布を描けばまるで出現場所がいたずらで偶然的だ。その中に隠された法則性を見つけることは、偶然に見えていたものを定められていた運命と捉えることに等しいと、学者エルアーティは日々よく語っている。
「……証明式も作らずに、そこまで自信満々なエルアは本当に久しぶりね」
「運命力を見定める勘がうずくのよ。ここまで勘が騒ぐのは、弟子を取ったあの日以来なの。たとえ証明不可能な最終定理であったとしても、それを真と過信して前に進むのも、今の私は厭わない」
かつてエルアーティが"運命力"を感じ、弟子に招いた二人の人物がいた。その両者は、確かに世界を大きく変える役目を果たし、人類の未来を一新させた"運命力"を持つ者達だ。その日と同じ胸騒ぎを、エルアーティはユースに感じている。もっと言えば、一週間だけ招いたチータに対しても、それに近いものを感じ取っていたのだろう。そうでなければ二十歳そこらの無名の魔導士を、騎士団に無理を言ってまで、エルアーティが膝元に招くはずがない。
エルアーティが言うとおりに、ユースにそうした不可思議な運命が乗っているのかは、それこそ大いなる運命のみぞ知るところだ。その真偽は未来が訪れるまで、決して答えを見出せない。エルアーティとて間違った仮説を立て、自分で反証することは多々ある。正解だけを触れることが出来る天才は絶対にいない。
「もしも、ユース君がエルアの言うように、類まれなる運命力を持つのだとしたら――」
一転、真剣な眼差しでエルアーティの瞳を真っ直ぐに見据えるルーネ。エルアーティもルーネの眼差しを見て、これから口にする言葉が軽いものでないことはわかっている。
「……まるで運命とは、エルア自身であるかのような話よね」
「うふふ、そうだったらいいのにね」
世界を変える大いなる運命を、エルアーティはかつて二人の弟子を取ったあの日に言い当てた。此度も運命力を持つユースやチータを正しく見出したのであれば、それはまるで運命の何たるかを知っている、大いなる運命そのものの所業に近いとルーネは例える。答えを知っているならば、誰だって簡単に模範解答を作ることが出来よう。
運命とは、誰にも読めないから運命なのだ。それでいて世界の流れる行く末を一手に握るそれだから、人は運命を信奉したり、嫌ったり、否定したりする。良き出会いを運命的なものだと賛美したり、運命は自分たちの手で変えられるものだと強がったり、そんなものは無く世界は自分達で切り拓いていくものだと謳ったり、運命という言葉との付き合いはそれぞれだ。そしてエルアーティにとっての"運命"とは、世界のすべてを定める絶大な力を讃え、それを知ることが出来る人類の可能性を信頼し、それによって人の手で世界を変えていける野心とともに付き合う相手である。
学者が新学説を作る目的の一つに、未来の予見がある。何と何を掛け合わせれば何が生まれるか、その法則性を化学式に表すことは、人の手で起こした行動によって何が生じるかの未来図を描くためのこと。そうして未来を予見する知恵の集大成が"発明"を生み、"文明"を築き、"人類史"を明るく彩っていく。それは対象が科学や魔法である学問の話であるが、そのために用いる道具を物質や魔法ではなく、"運命"で以ってして未来図を描こうとするエルアーティの学説も、確かに一つの学問だ。誰もその先に明確な答えを導き出せぬと思うから手をつけぬだけで、エルアーティだけが孤高にして運命力学に立ち向かっている。それが現代の運命学の現実である。
仮にそれが明確な指針を勝ち得た時、エルアーティはいかなる世界に辿り着くのだろう。運命に固執する親友の姿には、ルーネも時々言い知れぬ不安を感じることがある。たとえ世界を変え得る絶大なる力を手にしたとしても、エルアーティはその力を悪用するような人物ではないと知っているから、不安の本質はそうしたところにはない。
世の中には、開けてはいけない箱というものが、いくつか確かに存在する。渦巻く血潮は今の世界において、その真髄を知らしめては大いなる混沌を招く要素だ。触れてはいけない箱のひとつを具体的に知るルーネにとって、エルアーティが追い求める運命というものは、人の手に触れていいものなのかと、懸念せずにはいられない。
「ああ、本当に楽しみだわ。彼らの運命力は、私の期待に応えてくれるのかしら」
くすくすと笑みを浮かべるエルアーティの表情には、無邪気な親友の姿にルーネの表情も綻ぶ。内心に抱える僅かな不安も、その顔一つで、何も起こらぬ今に強く懸念しすぎても仕方ないものだと結論をつけられる。専行する最大の学問を追い求める時の楽しみは、同じ学者たるルーネには強く共感できる心持ちであるし、その至福を妨げることはルーネもしたくない。
願わくば、本当に運命なるものが存在するならば、慈しみ深き慮りを人類に。常に、常磐に、常しえに、人々の未来に倖い多かれ。幼き頃から願ってやまぬ、親友含んだ人類にもたらされる平穏を、運命が後押ししてくれることを祈ることしか、今のルーネには出来ない。それもまた、運命との付き合い方の一つだ。
不可視の力を前にして、人はその手をはたらきかけることが出来ない。だから未来を勝ち取ろうとする人々は、見える世界を足掻いて前進しようとする。誰かを守れる力を手にするため、遮二無二駆けるユースのように。彼が戦場で我が身や隣人を守れる力を得られるよう、誠心を尽くして導くルーネのように。今もラエルカンを乗っ取った魔物達の侵攻から、守るべきものを守るために戦う人々のように。
個々の力が、無数の意志が、世界を今日も一新させ続けていく。それもまた、拡大世界の運命力だ。




