第189話 ~勇者の芽生え③ 恒星ふたつ~
ここ数日、チータとの時間を作り始めたエルアーティは、さほどユースに仕事を与えてこない。接点が減ったので意地悪されることも少なくなったので、ユースも気が楽なものである。午前中から午後にかけて与えられる仕事の数々も、ダニームを数週間歩き続けて地に明るくなったこともあり、手際よく終わって時間も余りやすい。
時間が浮かせてルーネに会いに行けば、いつでもルーネは快く手合わせを引き受けてくれる。ガンマの手術も終わって、渦巻く血潮の全容を示唆するようなものも全て処分済みのルーネは、ここ最近の日々をゆるやかに過ごしていた。ユースがエルアーティに与えられる仕事をこなす時間帯のうちに、賢者としての仕事もすべて片付け、子供達に先生として物事を教える役目も、昼食前後ですべて済ませている。おやつ時から夕過ぎにかけて、ルーネがユースに白兵戦の心得を肌で教えるのが、ここ最近の決まった時間の使い方として固定されている。
「疲れましたか?」
「っ、ぐ……! いいえ……!」
付き合いが長くなってくれば、ルーネもユースの扱い方がわかってきている。2時間近くルーネと戦いっぱなしのユースは、当然の疲労から動きが落ちてきていたが、意地っ張りなものだからそれを言葉で指摘してやると、躍起になって気力を持ち直す。もっとも、それだけ動いて尚、気持ちさえあれば体をついてこさせる基礎体力が備わっているのが大きな武器でもあるのだが。
汗こそ流しても、ルーネはユースとの交戦で、一度たりとも息を切らしたことがない。それは単に格の違いを表したものであるし、現状の力量差から致し方ないことなのだが、それでも相手をへばらせることも出来ずに叩きのめされる一方のユースは、今より前に進みたくて仕方がない。超えたい相手を疲れさせることも出来ないままでは、目標に近付くことさえ出来やしないから。
「では、参ります」
「はい……!」
地を蹴った瞬間には、あっという間にユースに差し迫ったルーネの姿が現れる。子供のような体躯の彼女は、離れた所にいる時は小さなものだが、急速接近したその瞬間には、悪鬼にも勝る巨大さと迫力を感じさせる。強き賢者様と謳われつつも、風貌からその程が想像されにくいルーネだが、面と向かって戦った者にはその一瞬だけで見くびる想いが一瞬で吹き飛ぶ。
ルーネの第一撃はユースの手首への手刀。体ごとひねってその一撃をいなしたユースが一歩下がり、木剣を振り抜くが、ルーネは大きく身を沈めて回避する。小さな体の胸元を狙う低いスイングを回避する動きは、ユースの射程範囲外の低さまでルーネの体を沈める。そこから弾丸のように突撃してくるルーネに、今日まで何度叩きのめされてきただろう。わかっていても、回避あるいは迎撃する妙手が無い。
敗北必至の局面でも手探りに一手を導き出したユースが身を逃そうとするものの、その動きを見てから地を蹴るルーネの突進は、的確にユースの懐に真正面から襲い掛かる。接近の瞬間にユースの胸に掌を当て、力を込めたルーネがユースを突き飛ばしたのが直後のこと。これでとどめ一発。遠方に倒れたユースが、げはっと息を吐いてなお立ち上がれば、その様を追撃するルーネの残影が地を駆ける。
小距離戦のエキスパートであるルーネだからこそ、これに懐への侵入を許せばその時点で、ユースは為すすべなく打ちのめされることしか出来なくなる。それを未然に防ぐことが勝利への正着手だとわかっていても、それが出来ないからユースも数週間、何度も膝をついてきた。変革の時は未だに訪れていない。休む暇もなく襲い掛かるルーネに、歯を食いしばって構えるユースだが、また今までと同じように抵抗するだけして、結局殴り落とされる予感が拭えない。
いつまでも、そんな自分でいたくない。懐に入られるよりも早く、ユースの振りかぶる木剣が、ルーネの即頭部を狙い撃つ。それはユースの攻撃性を伸ばしたいルーネにとっては、望ましい傾向だ。だが、この程度の一発屋の反撃ぐらいなら、今日まで何度もあしらってねじ伏せてきた。これ単体では所詮悪あがきだ。
木剣を下から裏拳で叩きはじいたルーネが、逆の拳でユースの下腹部へと突きを繰り出す。これで一撃必殺にて終了、それが今日までの、こうした流れに入った時のお決まりパターンだ。だが、ユースが体をひねって前に踏み込むことで、ルーネの拳がユースの半身近くをかすめる形になる。終わらない。
ユースからの追撃を読んで、一手素早く身を沈めるルーネが足を払い、ユースのアキレス腱に襲い掛かろうとする。たかだか一度の攻撃をかわされた程度で流れを変えられるような戦い方で、戦乙女の名は名乗れない。だが、盾を構えるユースの振り払う腕が、身を沈めようとしたルーネの頭に激突しようとしたのが僅か早い。
足払いを瞬時に取りやめ、ユースから離れる方向へ地を蹴って回避するルーネ。離れる距離も最小限、開戦の瞬間よりも遥かにユースに近く、この距離なら一瞬でユースに迫り、とどめの一撃をくらわせられる最善の距離感を、瞬時に作り上げるルーネの妙技である。盾で殴りつける攻撃をはずしたユースが、一瞬でも次の行動をどうするか迷うなら、その直後一瞬にてルーネの速攻が勝負を決めていたはず。
迷わなかったのだ。今まで何度も猛襲されていたように、ユースの方からルーネに切り込んできた。密かなる、大いなるユースの変化を見届けつつも、ルーネは的確な拳でユースの木剣を殴ってはじく。
ルーネから見て右にはじいた木剣が、直後ユースの片足を軸にした回転軌道に沿い、逆の左から横薙ぎに襲い掛かってくる光景は、ルーネの心を間違いなく躍らせた。これだ。この日が訪れるのをずっと待っていた。
師であり超攻撃型である戦士、法騎士シリカの回転剣技に何度も触れてきたユースが、それを限りなく本家に近い形で模倣した事実の大きさに、ルーネは興奮を禁じ得ない。戦いのさなかに揺さぶられる心を抑え、その剣をも手刀で地面に叩き落としたルーネは、次のユースを見届けるべく反撃の蹴りをユースに突き出してくる。
盾を構えて防いだユース、そして超人的破壊力を孕むルーネの猛撃を防いではじいたその盾には、確かに英雄の双腕の魔力が込められている。攻撃、追撃、そこに返されたカウンターに反応した上で、ほぼ反射的にその魔法を実現させられたユースとは、攻防いずれも形に出来ている。
まだ続ける。はじかれた足をすぐに地面に引き寄せたルーネが、地を蹴って一気に勝負を決めるべく動き始めたその瞬間だ。真っ向からルーネの額めがけて木剣を突くユースの追撃は、攻勢に移ろうとしたルーネの意志を見事に阻害する。攻撃が最大の防御になっている。
攻めのなんたるかを教え説くルーネは、容易に退き攻撃を中断する態度など見せない。眼前に迫った木剣の切っ先を、掌で挟み込むようにして白刃取りの形にした瞬間、それを自らの頭の横に引き、ユースの攻撃軌道を逸らせた上で引っ込めさせない。得物を手放せないユースの体が引き寄せられる。
前のめりのユースの腹部に蹴りを叩き込めばルーネの一勝はほぼ確定。それが出来なかったのは、盾を前に構えたユースが、ルーネの引く力から逃れようとするどころか、自ら踏み出して体当たりに近い形でルーネに差し迫ったからだ。ルーネにはわかる。あらゆる攻撃を防ぐための魔力を盾に込めた、ユースの英雄の双腕の魔力が、今は激突によって自分への攻撃を形にするために発せられていることが。
ユースの木剣を手放したルーネは、半身の体から肘を振り返し、盾を構えたユースの突進を受け止めた。身体能力強化の極みを携えたルーネの肘は、鉄より頑強なミスリル製の盾とぶつかっても砕けない。だが、岩石をも砕くルーネの肘による一撃で、ユースが返り討ちに遭わぬほどの守備力を体現した英雄の双腕の魔力は、相応の重みをルーネに伝えた。
ゼロ距離で動きが止まればルーネの独壇場だ。盾を携えたユースの腕に瞬時に組み付いたと思えば、直後には一本背負いでユースを投げ倒すルーネの姿がすぐに為る。背中から地面に叩きつけられた直後のユース、その顔のすぐ横に、土を踏み抜く凄まじい威力の、ルーネの足が突き刺さったのが直後のこと。頭を踏みつけ頭蓋を砕こうと思えば出来た、という、ルーネからの勝負ありの表明である。
肺を貫く苦しみと、負けた悔しさに表情を歪ませながらも、ユースは息を詰まらせながら立ち上がる。一度距離を取り直し、次の始まりに向けて構えるルーネと、満身創痍のユースが向き合った。
「……続けますよ。今のを忘れぬうちに」
それはここ数日の特訓の中で、初めてルーネがユースに対して使った言葉だった。今のやりとりの、何がルーネにそう言わしめたのかも、ユースにはわからない。一瞬頭に浮かぶ疑問符は確かにありつつも、すぐにそれを締め出して、木剣を構えるユースの切り替えの早さは、ルーネもずっと評価している。
「見せて下さい、高みに近付いたあなたを……!」
今までにない気迫を、ルーネが自分に向けた気がした。怯みかけた想いを瞬時にして闘争心へと塗り替えたユースは、疲弊も忘れて自らに差し迫るルーネに、無心でその木剣を振るった。
法騎士シリカによる、騎士ユーステットへの育成方針は決して間違っていない。強襲を形にしたようなシリカの猛撃は、何度もユースを戦闘不能になるまで叩きのめしてきた。その猛襲に晒され続けてきたユースの盾捌き、身のこなしは相応に洗練され、今ではそのシリカからも容易に一本を取らせぬ守備力と機敏さを習得するに至っている。それがユースの命を守るための力となり、幾度となく戦場でユースの瀕した危機を退け、今日まで彼を生き永らえさせてきたのだから、結果が正しさを物語っている。
だが、それだけでは足りないのだ。結果としてユースは、自分よりも力量が上だと感じた敵と遭遇した時、まずは守りから入り、敵の隙を作ってそれを突く戦い方を固めてきた。生存率を高める目的でならそれで最も正しいが、シリカを超える攻撃性をはっきり形にする相手、それも隙を作らぬ攻め方を真に知る敵を前にした時、決定打を与えられない。いつまでも敵の攻撃を耐え忍ぶことしか出来ない中で、どうして単身の勝利を掴めようものか。
これまでそれで何とかなってきたのは、常にそばにシリカやクロム、あるいはガンマのような、決定打を放てる仲間がそばにいたから。あるいは攻撃性に乏しいユースでも隙を突けるような相手しか敵に回ってこなかったからだ。だからこそ実際のところ、ユースはシリカに勝てない。いくら耐え忍んで敵の隙を待ち伏せても、その好機が作れない相手ではどうにもならない。
敵が攻めてくるから、自分は防御を作らなくてはならなかった。自分が攻めれば、敵も守りの形を作らねばならないはずなのだ。防御型の戦い方であるクロムなどは、敵の隙を"待つ"だけではなく、間隙に敵を攻め込むことで、敵の隙を"作る"のだが、ユースには同じ事が今まで出来なかった。敵の守りを崩し、それによって敵の攻めをも狂わせ、隙を敵に生じさせる攻め方を完成させてこられなかったから。
だが、完成されてこなかっただけで、素養は確かに脈づいている。今のユースが追いかけてきた人物とは誰なのか。果敢に踏み込みその猛襲性で敵を突き崩す、勇猛なる法騎士様をずっと目で追い続けてきた。未完成ながら、敵を攻め込むことがどういった形で敵の足並みを崩せるかも、意識の奥ではわかっているはず。形にならないのは、作り上げた守備型の戦い方がそれを阻害しているからに過ぎない。
我が身を守るための盾を攻撃のために用いてでも踏み出す邪道は、確かにルーネのリズムを一瞬狂わせることに成功した。それが妙手か悪手かなどは別問題、それに踏み出すことに意味がある。攻め気に移ったユースの行動は、数秒早く叩き潰されていたはずのユースを、先の一戦において遥かに長く生き永らえさせた。それが結果であり、今のユースに求められたものでもある。
法騎士シリカと武器を交えた数年間で、ユースの守備力はキャリア不相応なほどにまで高められている。これを失わぬままにして、攻めに移って敵の足並みを崩すことを形に出来るなら、それこそどんな戦士が出来上がるだろう。それは決して絵に描いた餅ではなく、実現できるだけの要素が、現段階で揃えられた上での未来予想図だ。
ルーネが容易に、攻撃を覚えよと単純な教えをユースに説かない所以もそこにある。攻め一辺倒にして、これまでに培った騎士ユーステットの美点まで失ってしまっては、劣化した法騎士シリカが出来上がるだけに過ぎない。それでも充分な戦士には違いなかろうが、そんな形に留めてしまうのは、黒ずんだ土まみれのダイヤモンドを貴金属だと言い張るぐらいに勿体ない。純然たる完璧な金剛石を生み出せる可能性が目の前にあるのに、目先だけを追うことでスポイルするなど愚の骨頂だ。
ユースは今までも、良き師に巡り会ってきたし、だからこそ今の彼がある。そうした日々の中で積み重ねてきたものを失わず、今の師として引き継いで、欠けたものだけを埋める指導。ルーネが今の使命として掲げるそれは、一人の騎士の今後生涯さえも左右しかねないことだ。正しく導けないならば、恒星の原石を、ただの綺麗な石止まりにしてしまうかもしれない。
正しく導き果たせるならば、一等星が作れるはずなのだ。旧ラエルカンにて戦乙女と呼ばれ、数多くの若者を導いてきたルーネとて、ここまで胸が高鳴る想いで戦の心得を教えるのは初めてかもしれない。誇張を抜きにして未来の勇者の予感させる者を導く日々は、学者としての本分をこよなく愛するはずのルーネに、それよりも遥かに心躍らせる夢として映っていた。
一閃、二撃目、三発目のユースの攻撃が、ルーネの拳によって打ち返される。決してユースの攻撃が、ルーネを攻めきっているわけではない。だが、ユースの攻撃を処理するために、ルーネの攻撃がその間遮断されている。ユースの目線から見て表面化しづらいことではあるけれど、攻撃は最大の防御という形が正しく体現されているのだ。
ふとした瞬間に一歩踏み込み、拳や蹴りを放つルーネの反撃にも、しっかりユースは反応して回避の動きを実現させたり、盾を正しい位置に構えることに成功している。ユースの攻撃によって、ルーネの繰り出す攻撃も制限されるからだ。交戦始まれば、間もなくして決定打を受けて屈していたここ数日、それと異なり今日のこの日、ユースの長持ちする一戦が増えてきた。
それの所以はすぐにはユースにもわからないし、今は考えるゆとりもない。ただ前に、いつの間にか心に宿った攻撃性を胸に攻め込む。そして培い体に沁み込ませてきた、敵の放つ脅威的な一撃に対応して体と盾を捌く動きの両立が、今ようやく形になってきた。だからルーネという、シリカよりも遥か高みにいる練達の闘士を前に、未だユースは倒れず戦い続けられている。
だが、踏み込み過ぎたユースに対してはルーネも容赦しない。手の届く範囲にユースの手首は入ったその瞬間、鎌鼬のような速度で手刀を振ったルーネが、ユースの武器を鈍らせる。手首に走る鋭い痛みにも木剣を落とさなかったユースの姿勢はいいが、怯んで一瞬動きが止まったその刹那には、既にルーネがユースの懐に潜りこんでいる。ユースの胸にひたりと掌を当てたルーネが、力を込めた直後、ユースの体が後方に吹き飛ばされている。
実戦を想定した訓練とは、守備浅き捨て身の攻勢には容赦なくとどめの一撃を放つ師によって、偏った攻撃性には否の答えをつきつけるもの。攻撃性を身につけることが目的とは言っても、戦場で我が身を滅ぼしかけない隙を生じた攻撃性には、ルーネも容認しない。すでに息を切らした中で、またも胸を打たれた痛みと背中を地面に叩きつけた苦しみは、ユースの立ち上がる速さを遅らせる。
「やれますね?」
「っ、ぎ……勿論です……!」
目の焦点がはっきりとルーネに定まっている。背中から地面に落とされれば首を持っていかれて、後頭部を地面に叩きつけやすいものだが、しっかり首を引いてそうさせなかった証拠だ。頭を打っていれば視点がとうに定まっていないはずだから。打たれ強さの裏にある、体捌きの基礎が完成されたユースの本質もまた、ルーネが彼に輝きを見出した最大の根拠だ。
理由なき、希望的観測などではない。未完の大器であった一人の騎士、その覚醒を近き未来に見据えるルーネは、修練の時間を惜しむように素早くユースに差し迫った。
「魔法とは、術者の精神をこの世に体現したもの。魔法を見れば、その術者の精神模様もそれに伴って見えるものであるというのが諸説」
アカデミーの屋上という、誰も訪れないはずのその場所で、魔法学の基礎を枕にエルアーティが若き魔導士に教えを説いている。空に浮く箒に腰掛けた賢者のそばに立つチータは、現在伝授されつつある新たな魔法を実現すべく、魔力を体内で練り合わせている。
「"開門"を常に伴うのがあなたの魔法の最大の特徴。それが何を意味するものであれ、あなたにとってそれは用途のみにあらず、精神模様を形にしたものであると結論づけられる」
チータが目の前に空間の亀裂を生じさせ、そこから少し離れた所にもう一つの亀裂を生み出した。傍目から見ただけでは、それによって何をしているのかはわからないが、開いた二つの亀裂を間を駆ける、チータの魔力が一本の線を描いている。その行為そのものに意味がある。
「まああなたの生い立ちから想像するに、魔法を使っている時だけが己の価値を感じられた、という幼少からの想いが形になったものだと思っているけど」
エルアーティの的を射た発言にチータが動揺しないのは、すでに自覚があるからだ。サルファード家において、父は自分のことを必要だと認識せず、師であるティルマが教えてくれた魔法の数々だけが、チータにとって自己の存在意義を感じさせてくれるものだった。閉塞したあの日々の中において、魔法を使っている時だけが、活きた実感を得られる時間だったのは、今でもはっきり覚えている。
開門という形で自分の魔法が常に発現してきたのは、意識づけてそうしてきたのではない。きっと、魔法を使っている時だけが、自分がこの世にいる実感を得られたあの日の精神模様が、門を開きこの世に顕現する自分の魔法を、自ずと形にしたものなのだ。他者を見るより己を知ることこそ、魔導士にとっての最大の課題であると知るチータは、そうした結論をすでに導いている。自分のことでもないのに言い当ててくるエルアーティの賢しさには、流石とも思ったが。
「その仮定が真であるとするならば、あなたの開門魔法は、魔法でしか己の存在意義を感じられない意志の名残が残っているとも言える。私が教えた新魔法は、そうした心持ちでは決して実現しない」
二つの開門空間に魔力の線を描くチータだが、上手くいっていない実感は確かにある。魔力が僅かに乱れ、100パーセントの魔力疎通が為されていない。その原因がチータの精神模様そのものにあると指摘するエルアーティに、チータは内心で答えの数々を巡らせる。
「魔導士の存在価値は、魔法を使えることそのもののみにあらず。その認識をはっきりと持つことが、あなたにとっての第一歩であるはずよ」
そう、チータもわかっている。騎士は剣を振るえなければ存在価値のない騎士なのか。そうではない。法騎士ダイアンは、武器を捨ててなお、チータに良き師として数々のことを教えてくれたはずだ。
クロムを欠いただけで、アルム廃坑への大遠征は少なからず不安を抱いた。キャルがいなくなりそうになったあの日、それをなんとしても拒みたくなったのは、射手を一人失うからという理由では断じてない。マグニスがよく休む戦場で、人一倍頑張るアルミナがすぐ後ろにいて、あの騒がしい同僚に元気を分けてもらえたことは少なくない。シリカという人物がそもそもいなければ、自分は第14小隊の仲間達と巡り会うきっかけも得られなかったかもしれない。
騎士団という組織に入り、第14小隊の中衛を任された当初のチータは、初めての団体戦争において自らの為すべき役割を手探りで探していかねばならなかった。中衛の何たるかを教えてくれたのは、間違いなくユースの背中だった。魔法を使えて広範囲に影響力を持てる自分と異なり、剣と盾と脚だけで、前も横も後ろまでも守り通すユースの仕事ぶりに、いかに中衛に仕事が多いかを知らしめられたものだ。そんなユースの生き様そのものが、第14小隊における自分の最善の立ち回りをよく教えてくれた。第14小隊には敵を討てる矢、シリカやクロムがいる。自分が焦って功を為す必要はない。仲間達を支え、無血を目指す戦い方を身につけるべきだと、チータはユースを通じて学んでこられた。
そんなあいつが、目に見えて躍進している今、チータだって負けていられる心地ではない。人は、その存在感そのものだけで、誰かに影響をもたらすことが出来る存在なのだ。その人物がそれまでに積み上げてきた過去が今それを形にするのであり、今においての行動がおなじはたらきをするのは、また未来の話。今の自分の何たるかが、世界における自らの全てではない。過去にも未来にも意味がある。
ユースが騎士である前に一人の人間であるように、チータもまた魔導士である前に一人の人間だ。たとえ明日ユースがいなくなっても、チータの心の中には必ずユースは残り続ける。彼が騎士であったかどうか以上に、それが人同士として付き合い続けてきた二人の間に残された確実な財産。魔法がなければ自分がこの世に生きた実感を得られなかった過去と、今のチータは違うのだ。
どうして違えてこれたのか。一人じゃなくなったからだ。ティルマを失った孤独を乗り越え、第14小隊という仲間を得、チータが周りを必要とすることと同じく、仲間達もチータを必要としている。たとえ傲慢だと言われようが、それを確信できるほどまでに仲間達を信用できるようになったのだ。人は一人では生きていけないという、師であったティルマの言葉は、つくづく重かったと感じてならない。
「過去のあなたには決して使えなかったであろう魔法、今のあなたならばきっと辿り着けるであろう大魔法。それが完成した時、あなたの新世界は必ず拓かれるでしょう。残り僅かな時間でそれを形に出来るよう、努めてご精進しなさいな」
「はい」
賢者と呼ばれ、預言者と呼ばれたエルアーティの教えに倣い、二つの亀裂間を駆け巡る魔力を操るチータ。この魔法の完成は、必ず大きな力となる。それこそまさに、賢者ルーネに導かれる形で躍進したあいつにも負けないぐらい、大いなる力を手にすることが出来るはず。
ラエルカンを乗っ取った魔物達との全面戦争は決して遠くない。それを見据えた幼き姿の賢者は、魔法都市ダニームにて芽吹きかけた二人の若者を見て、密かに胸を躍らせる。きっと、間に合う。完成は遠い未来の話ではなく、すぐ目の前に見えている。
一等星はいくつあっても困らない。人類の夜闇を照らす強い光が、近く二つは確実に出来上がる。それを見越した賢者の目は、世論に背いて人類の明るい未来を強く確信していた。




