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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第1章  若き勇者の序奏~イントロダクション~
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第1話  ~第14小隊の一日~



「……嫌な夢、見ちゃったな」


 まさか隊長と初めて出会ったあの日のことを、今さらになって、それも夢で見返してしまうなんて。


 顔を洗って気持ちを切り替えたい一方で、少年はどうしたものかと頭を抱える。あの日の思い出は自分にとってもターニングポイントだったし、積極的に忘れたい思い出なんかじゃないけれど、わざわざ思い出したくない、という気持ちが強い。


 あの後、自分に何が欠けているかを懇切丁寧に教えてくれた。あの日の後も何度も顔を合わせて、秘密の特訓をつけて貰った。あれからゆっくりと状況が変わっていって、少しなりとも自信がついてきて、胸を張って騎士として生きていく踏ん切りがついたのだ。その日々を順を追って思い出せば、彼女の優しい、眩しい笑顔が頭に浮かんでくる。


 そう、優しかったのだ。人生の袋小路に捕まっていた自分を救い出してくれた彼女の優しい笑顔は、まさしく運命の女神様と言ってもいい。幼い頃から何度も読んだ騎士道物語で喩えるなら、苦難を前に挫けそうになった勇者のそばにいる、その言葉で以って勇者を励まし、物語をハッピーエンドへと導いてくれるお姫様のような存在。あの日々の彼女は、自分にとってまさにそんな人だった。


 今ではすっかり、当時のイメージが、もう。


「……いつまでもこんなこと考えてる場合じゃないな。早く行かなきゃ、そろそろ怒られる」


 癖のある黒髪も、整えなくてはただの寝ぐせだ。少年は叱られる種を増やすまいと、毛量に伴い形の整いにくいその髪を、やや強引にかき上げる。いつもどおり、一部がつんと尖って立つような髪型になってしまったが、先ほどまでのばさばさの頭よりは余程ましだろう。


 肌によく吸いつき、流れる汗を受け止めてくれる黒いシャツに着替え、少年は意気込んで、あの人が待つであろう居間に歩いて行く。衣服に覆われない肩と腕は、幼い頃から毎日剣を振るってきた少年の努力に見合ってたくましい。それは、遠目から見れば細くとも、掌で触れば柔らかさと力強さを併せ持つ、騎士たる少年にとっての最大の財産だ。この頼もしい両腕を携えていてもなお、少年にとって上官様への畏怖の念は拭えないものだった。











「……まだ目が覚めていない顔つきだな」


 朝食を挟んで充分に目をはっきりさせるだけの時間はあるはずだった。しかし、今朝の夢のせいか寝起きのよくなかった少年の表情は、訓練場に到ってもなお、決して万全の顔色ではなかったのだ。それを目の前の彼女に指摘され、少年は心中やってしまったと深く後悔する。


 険しい顔つきで今の彼女が自分を睨みつけている。この表情がもう、かつてのあの恩人と同一人物だというのが信じられない。まさに過去の女神様と今の祟り神様。


 美しい思い出は正直、美しい思い出のままであって欲しいというものだ。このギャップをいちいち感じたくないから、光溢れるあの日の思い出はあまり思い出さないようにしてたのに。

 

「アルミナ、しばらく待って貰うぞ。少々、眠気覚ましにユースに活を入れるからな」


「あ、ええ……はい……」


 アルミナと呼ばれた少女が、気の毒そうにユースと名指された少年騎士に目線を送り、逸らす。目線を送られた少年も、知らんぷりしたってどうせ次はお前の番だろ、という思いを胸に秘めて、目の前で自分を見据える女騎士に向けて木剣を構える。


「ユース、行くぞ! 昨晩教えたことはしっかり頭に入ってるだろうな!」


「はい……!」


 私情はここまで。雑念を捨てて全力で立ち向かわなければ、骨を何本折られるかわからない。たかだか日頃の訓練で、骨の心配を真剣にしなきゃいけないという時点で色々お察しな話である。






 少年騎士ユーステットが、法騎士シリカが隊長を務める、エレム王国騎士団第14小隊に所属するようになってから、もう2年経つ。彼女に初めて出会ったのは4年前で、あの頃には自分よりもずっと強くて、優しくて、頼もしい彼女に対する憧れで胸がいっぱいだった。


 紆余曲折あって、彼女が隊長を務めるこの小隊に移籍できる機会に巡り会えた時には、胸が躍った。出会ったあの頃にも彼女の厳しい一面は垣間見えていたから、同じ小隊で部下として働くとなれば、あの日々ほど甘くはないだろうとも覚悟していた。それでも憧れのあの人の背中を、これからは一番近い場所で追いかけられるんだと思ったら、その話を断る選択肢は一切なかったというものだ。


 蓋を開けてみれば、ここまでとは思わなかったと3日で考えを改めた。この小隊に来た初日は、歓迎も兼ねて挨拶と軽い手合わせ。2日目は本格的に隊長と対人戦闘訓練をしたのだが、もう早速その日から、彼女の頭の上に鬼の角が2本見えた気がしていた。それでも訓練初日ということで、彼女視点ではけっこう甘く稽古をつけていてくれていたみたいで、3日目には本性見たりである。






「何をしている。誰が膝をついていいと言った」


 膝に痛烈な木剣の一撃を受けてひざまずくユースの二の腕に、シリカは追い打ちをかけるかのように一太刀入れて、低い声でそう言った。腕の痛みに呻くユースの声を聞いて、距離をおいてアルミナが震えて縮こまっている。数分後には自分が同じ境遇に置かれるのだから、まあ当然の反応だ。


 痛みに耐えてユースが立ち上がって木剣を構えるが、その姿を見たシリカは眼差しを鋭くさせ、片手で木剣を振りかぶって横薙ぎにユースのこめかみをしばき飛ばした。一瞬焦点の定まらぬ目をしてよろめくユースを見て、今はまだ傍観者のアルミナが小さく悲鳴をあげる。


「形だけの構えなど取るな! そんな隙を見逃してくれるような甘い敵がいると思うのか!」


 その声に、頭の痛みからくる敵愾心に近い感情を上官に向けて、改めて構えを取る。ダメージから、完璧な構えを取れたかと言えば少々疑問の残るところだが、今の意識を全力で注いでの構えだ。


「今さら遅い!」


 それを見たシリカが素早く踏み込み、ユースの右肩目がけて木剣を振り下ろしてくる。回避しきれず咄嗟に自身の木剣でそれを捌いたユースだったが、はじいたはずのシリカの木剣が、右足を軸に一回転する彼女の動きに合わせ、直後ユースの右脇腹に深い一撃として食らいつく。


 これが真剣だったら致命傷の一撃、されど木剣とはいえ急所への重い一撃に、ユースは声にならない悲鳴をあげて崩れ落ちる。片膝をついていた先ほどとは違い、両膝とも地につけてうずくまるユースに、シリカは無言で近付いてくる。


「今、私がお前に剣を振り下ろしていればお前は死ぬんだぞ。わかっているのか」


 立て、という意味だ。それも、自分がこうして近付くよりも早く立って構えを貫いてこそようやく及第点、という要求。ひどい無茶を仰るが、言ってることは間違ってないのが恐ろしい。


 立ち上がろうにも、肺の奥まで貫く苦痛に歪んだ顔を上げるだけで精いっぱいのユースに、シリカはユースの髪を掴んで引き上げる。強引に立たされたユースは、痛みからくる前傾姿勢を解けず、構えをとるのが遅れる。


「構えはどうした……!」


 弧を描くシリカの木剣の払い上げが、前のめりになったユースの胸元を叩き上げる。ほとんど吹き飛ばされるように後方に倒れたユースは、勢い任せに後頭部を訓練場の床に打ちつけ、全身をよじって痛みと苦しみに耐えることで頭がいっぱいになった。


 一丁あがりである。もはやしばらく戦闘訓練続行不可能になったユースを見届けると、その目線が次の獲物に向けて注がれる。目が合った少女は思わずびくりと肩を跳ねさせ、全身の毛が逆立つ実感を覚えた。


「アルミナ、次はお前の番だ。早くこっちに来い」


 ひと運動して心地よく体の温まった上官が手招きする。地獄に来いと。


「……はい」


 やるしかない、という言葉は、追い詰められた時に好まれて使われる文字列だ。毎日そんな想いとともに上官との訓練に臨む少年少女の境遇は、毎日が苛烈そのものだった。






 ユースと同じく第14小隊に名を連ねるアルミナは、少女の身でありながら"傭兵"の立場にある。エレム王国の平和のために戦う騎士団に兵士として力を与し、報酬を受け取る身分だ。訓練を受ける義務は騎士と違って本来ないのだが、第14小隊では隊長であるシリカの意向により、戦闘訓練を義務付けられている。所属する以上は避けられない。


 ユーステット――彼を知る間柄の者からはユースと呼ばれる少年は、エレム王国騎士団に属する騎士のうち、最下級の称号"少騎士"を持っている。この称号が意味するところは、単に彼が二十歳に満たない少年だからというわけではなく、騎士団に属する騎士の最下級の称号がこれだというだけだ。たとえば齢40にして騎士団に入ったとしても、得られる称号は少騎士となり得る。


 そしてこの二人が属する第14小隊の隊長を務めるシリカは、ユースと同じく王国騎士団に属する騎士の一人ではあるが、肩書きの重さはユースの比ではない。彼女が持つ"法騎士"の称号は、最下級の少騎士から数えれば4つ上の階級だ。


 それは一般に、未成年の頃から騎士団に属した成人男性が、与えられる任務を毎日きちんとこなし、武勲を上げ続け、やんごとなく30歳を迎えた頃にようやく辿り着けるような立場である。その立場に立てば、500人にも届こうかという騎士の集団を率いる指揮官を任せられることも少なくない。騎士団においては重要かつ重大な責任を背負い得る、そんな立場である。


 シリカは、23歳でその称号を得たという異例の立場であった。その事実は同世代の中では比類なき実力を彼女が持つことを物語り、そんなスピード出世を国が認めるほどに、功績を重ねてきた裏打ちでもある。


 本来ならば、こんな小隊の隊長を務めているような立場であること自体が不思議なぐらいではある。有事の際には第14小隊を一時的に離れて、他の大隊や中隊の指揮官を務めることもあるのだが、基本はこの小隊の隊長だ。何かしらの事情があることは明白だったが、それは公にはあまり語られていなかった。少なくとも、ユースもアルミナもその裏は知らないことだ。


 ともあれユースとアルミナは、任務が無い日は、そういう人に毎日しごかれているというわけだ。この上なく師に恵まれた環境と言えば聞こえはいいが、それは所詮あくまで聞こえがいいだけ。何事も、良く言えばそれでいいというものではないという、いい例だ。







「……時間だな。今日はここまでとする」


 シリカ隊長の落ち付いた声が訓練場に通った頃には、ユースは倒れてもう身動きする気力も無かった。アルミナに関してはユースよりもタフネスで劣るぶん、床に倒れ伏せて虚ろな目で、かすれた呼吸を繰り返すだけとなっていた。


「ユースもアルミナも御苦労だった。じきに昼食を作るから、それまで休んでおけ」


 返事がない。ただのボロ雑巾のようだ。


 二人の死にかけをほったらかして、訓練場から出ていく上官の後ろ姿を、二人は目で追えなかった。足音が聞こえなくなったことで隊長がいなくなったことを初めて理解し、二人揃って深すぎる溜め息をつく。


 今なら、隊長の前で口に出来ない弱音も吐き放題。倒れた二人は首だけを動かし、傷だらけの同僚と目を合わせる。二人とも涙目なのは、今さら語るまでもあるまい。


「死ぬ……」


「あと二週間これとか、マジで無理……」


 両者の口から漏れた自由な第一声は、絶望色まっしぐらだった。






 シリカ隊長の強いてくる訓練の厳しさはいつものことだ。ただ、今日から二週間は事情が違う。この小隊に属している、シリカ、ユース、アルミナ以外の4人が、別件の任務によりとある地方に出張している。二週間、帰ってこないのだ。だから今日から二週間は、3人だけでこの小隊――厳密に言えば分隊――は成り立つわけだが、それがまずい。


 戦闘訓練を6人で受ければ、それだけ隊長のしごきが分散される。ところが今は隊長目線、部下が2人しかいない。というわけで、朝から正午前までの長時間のしごきがこの2人に集中する。休憩時間もなく、先程のようなやり取りが、朝から昼まで長々と繰り返されるのだ。唯一休憩時間に近いものがあるとすれば、ユースにとってはアルミナがしごかれ苦しんでいる時間、アルミナにとってはユースが叩きのめされている時間ぐらいのものだ。ただ、そのスケープゴート様がお互い長持ちしないので、体が回復に向かうより先に自分の番が回ってくるのである。


 シリカの部下が6人ともここに揃っていて、それらが交代交代にシリカの相手をするならばユースやアルミナにとっても充分体を休めるだけの時間がある。それにそういう状況ならば、シリカの体力も後半になるにつれてスタミナを尽かしてくるので、無意識レベルでまだ楽なのだ。シリカを除けば隊の年長者である、実力者の2人がここにいてくれればそれだけで相当話が変わってくるのだが、今日のようにシリカの相手が未熟なユースとアルミナのみでは、シリカが殆ど疲労を表に出さない。必然、常にほぼ全力を出せるコンディションの彼女にしごかれるのだ。


 こんな日々が、あと二週間続くのだ。光が見えない。






 戦闘訓練を終えたあとは、ゆったりした昼食の時間。全身痛むが、先ほどの激しい運動で消費した栄養分をしっかり補充しなくては、午後に空腹で何もできなくなってしまう。


 この小隊での食事は、隊長であるシリカの意向で、必ず全員揃って卓を囲んで食べる形を取る。もっとも今は4人の仲間が出張中であるため、朝食ならびにいつもより寂しい食卓にはなってしまっているが。


「ああそうだ、アルミナ。すまないが、私は午後に騎士館に用がある。夕食の具材はお前に買い出しを頼んでもいいか?」


「えー……ユースに任せてもいいですか? 私、午後は孤児院に行く予定があって……」


「ふむ、ユースはどうだ?」


「いいですよ。特に予定はありませんから」


「そうか、悪いな。夕食は、腕によりをかけるからな」


 申し訳なさそうに一言挟んでから、シリカはユースに微笑んだ。


 こうした平常時の表情を見ていると、訓練時のあの恐ろしさも一瞬忘れそうなぐらい綺麗な人だとユースは思っている。それはいい年頃を迎えているユースにとっては異性を見る目も含まれているが、少女であるアルミナでも似たようなことは思っていた。あの透き通った瞳も、凛とした顔立ちも、さらさらの絹糸のような金色の髪も、清楚な口元の動きや、自信に満ちていて頼りになるその声も、彼女のもとで働く二人にとっては魅力的なものと映っている。


 怒らせさえしなければ魅力的なのだ。怒らせさえしなければ。


「今日もよく食べるな、二人とも。おかわりを持ってこようか?」


「ああいえ、自分で行きます。隊長に持ってこさせるなんて」


「シリカさんもおかわりするでしょ? 持ってきましょうか?」


「ふふ、ありがとう。そんなに気にしなくてもいいのに」


 こうした気軽な会話や呼称を許されているのも、二人にとっては有難かった。シリカ様、ないし隊長と呼ぶのはやっぱり他人行儀な気がするし、同じ家に暮らしている以上、シリカさんと呼ぶぐらいの方が、二人からすれば近しく感じられた。


 頭では雲の上の人だとわかっていても、尊敬する人のそばにいる以上は近しくなりたいものだ。最低限の敬語さえ使っていればいいという付き合いは、堅苦しい騎士団員暮らしから一時的に開放されるという意味でも、肩の力は抜ける。


 シリカの作る料理は、極端に上手くもなく下手でもなく、普通だ。安く仕入れて栄養価が高く量のある料理を得意とするのは、軍に属する上官の業というべきか、一般に女性らしいと言われるような料理ではなかったが、戦闘訓練後の二人にはこれ以上の贅沢を思えない充実度。シリカの求めた、小隊みんなで囲む食卓の空気も、故郷を離れて王国に暮らすユースや、遙か昔に両親を失ったアルミナにとっては、家庭的で温かいものだった。






「夕頃からは訓練を再開するからな。二人とも昼のうちに、さっき教えたことを憶え直しておけよ」


 おかわりをついでいた二人の手が一瞬止まった。


 今ぐらいは、そういうことを忘れさせておいて欲しかったのに。


「……アルミナ、おかわりしすぎじゃないか? 太るぞ」


「……食べなきゃ、耐えられない気がするんだもの」


 夕頃から、夕食の時間まではまたみっちりと今と同じ訓練の時間だ。ただし、寝起きが近かった先程とは違い、夕方の訓練は朝の比ではない厳しさになることが目に見えている。シリカは基本的に寝付きも寝起きも良いので、朝は不機嫌どころか非常に機嫌がいい方だ。むしろ今朝の訓練で二人に対して抱いた不満を、夕方の訓練では形にして襲いかかってくるので、はっきり言って夕方の訓練の方が、ユースとアルミナにとっては朝以上の試練となるのだ。


 第14小隊、鬼の上官と暮らす二人の凄惨な日々は、始まったばかりである。

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