表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第12章  来たるその日への助奏~オブリガート~
198/300

第186話  ~召使い生活④ 英雄の卵~



「あなたもここに来て随分になるわね。そろそろお休み、一日ぐらいあげましょうか」


 召使い生活が始まって10日目のユースだが、日々のサイクルはだいたい決まっている。起床して身支度を整えると、朝から夕頃前まで、エルアーティに言われた仕事の数々をこなす。夕頃になるとアカデミーの裏庭にて、ルーネとのお手合わせ。食後しばらくの間で貰える暇を使って、アカデミーの中庭で木剣片手に、自主鍛錬。夜はエルアーティと同室にて多少のお喋り相手をして、あとはおやすみ。これはだいたい固定されている。


 騎士団暮らしで休日が不規則であったユースには、週に一度の安息日に休むという習慣がない。だから何日続けで働いても文句を言うような性分はしていないのだが、この日はエルアーティの気まぐれなのか、そんな言葉が平常運転に穴を開けた。朝から昼までのエルアーティから預けられる仕事に向け、身支度を整えていたところに、それは思わぬ提案だ。


「ちょうど今日は、ルーネも仕事が片付いていて暇しているみたいよ。ここ長らくお世話になってるあなたなんだし、たまにはこちらからお喋りの相手になってあげればどう?」


 日々の仕事で魔法都市ダニームを巡り歩いて、ある程度この地に明るくなりつつあったユースだが、急に休みを貰えても何をしていいのかすぐにはわからない。そこに授けられたエルアーティの提案は、ユースにとって道に迷わず済むものだった。その言葉に従うまま、ユースはルーネが待つという、アカデミー前の公園に歩いていく。


 まあ、ユースとルーネの間で待ち合わせを決めたわけでもないのに、そういうふうに話が進んでいる時点で、初めからエルアーティの中で青写真は出来上がっていたのだろうけど。待ち合わせ場所まで向かう途中、ユースもそれに気付いてしまったけど、別にいいやという気分。とりあえずあの魔女様から離れられて、お優しい賢者様にお会い出来るというだけで、かなり気が楽になるんだから。






「――あ、ユース君!」


 公園のベンチに座っていた彼女は、ユースを視界に入れると立ち上がって、大きく手を振ってくれた。ぱたぱた駆け寄ってくる姿も、幼い風貌が手伝って可愛らしい。日々エルアーティにからかわれ、いたずらされてばかりの記憶が濃いユースにとって、ともかく心安らぐ光景だ。


「今日はいっぱい遊びましょうね。せっかくのお休みなんですから、いっぱい楽しまなきゃ損ですよ」


 なんだか張り切ってくれているらしい。そう言えばここ数日、お手合わせが終わるたびの僅かな時間の世間話で、機会があればこの街を案内したいとルーネは言ってくれていたような。ふんすと鼻を鳴らすルーネの仕草は、まるで兄の苦手な寡黙の勉強を教える立場の妹のようだ。


 見た目が幼い少女でも、仮にも相手は賢者様。ユースも初めは粗相があってはいけないな、と僅かに緊張感を持っていたのだが、ルーネに連れられて魔法都市ダニームを歩くうち、次第に肩に入る不要な力も抜けて行く。ユースは口が達者な方ではないが、歩きながらユースに話しかけてくるルーネに対して普通程度に相槌を打つだけで、ルーネはずっと上機嫌な笑顔でいてくれる。妙な遠慮に思索を割くより、今のこの時間を楽しんだ方がいいんだろうな、と、自然に考えが移っていく。


「ここのパスタ、すごく美味しいんですよ。クリームソースがいい具合に絡んでて、とろけるような甘さがよく利いてるんです」


「パールテイストクリームでしたっけ?」


「そうですそうです、魔法都市ダニームの名産品なんですよ。やっぱり有名なんだなぁ」


 今やその味わい深さも各国に知れ渡り、エレムでもルオスでも愛されているそのクリームソースだが、発祥地はここダニーム。エレムでは海産物を、ルオスでは香辛料が添えられ、その風土に合ったアレンジが加えられるものだが、本家本元のダニームでは山菜をメインに隠し味が盛られるらしく、喉を通る時の深みが本家の凄みであると、ルーネも教えてくれた。そういう話を事前に聞くと、料理が出てくるまでの時間も、ユースにとっては楽しみなものである。


「この味付け、真似できないんですよ~。練習しても、なんだか細かいところが合わなくて」


「難しそうですね、これは……料理のことは俺よくわかんないけど、真似できそうにない美味しさです」


 いざ料理が運ばれ、食べながらでもルーネはよく喋る。作法が整っていて手つきも完璧、口の周りも殆ど汚さずに綺麗な食べ方だが、お喋りしながらの食事は別に結構だそうだ。その口から出てくるのは料理への賞賛が殆どで、ユースもそれに迷いなく同調できるのは、本当に美味しいからである。飲み込む直前、鼻を内側から通るしつこさのない甘みは、さすがに料理上手の賢者様が絶賛するだけのことはある。


 お腹を膨らませてから店の外に出れば、今度は繁華街に繰り出して物見歩き。出店の数々が立ち並ぶ昼過ぎの活況はどこの街でも同じだが、魔法都市ダニームは元より視覚的に色とりどりの風土がある。建物や町の設備の数々が、様々な色で塗装されている上に、日替わりで出店に並べられる商品もよく変わるから、訪れる日によって大きく色彩が変わるのがダニーム中央繁華街の特徴だ。それでいて、多色の光景に目がちかちかしない程度に色相が整えられているのは、繁華街を飾る彩色が主張の強くない色を主軸に整えられているから。商人達は周りを気にせず好きなものを並べただけで、光景がぎらぎらしないように作られた繁華街の調和は見事なものである。


「……あれ? オズニーグさん?」


「おう、ユースか。久しぶりだな」


 ふと出店の中に、同郷の商人も混ざっているではないか。1年ほど前だったか、第14小隊がユースの故郷テネメールの村からこの町へ護送し、絹を売り込みに来た商人が、今日は繁華街で出店を構えている。


「今はこっちで店を構えてるんじゃないんですか?」


「店は女房に任せてるよ。時々こっちに出張して、宣伝も兼ねて絹を売ってるんだ」


 オズニーグいわく、店を構えたはいいが人の動線には恵まれにくい立地条件ではないらしく、魔法都市ダニームで商売を始めてから1年経たない今のうちは、そうして人目に触れる機会を作っていく努力が欠かせないらしい。繁華街の出店は日替わりであり、抽選や商人間の談合によって順番が変えられるらしく、そうした機会をオズニーグは活用しているということだ。


「ミューイの絹は評判ですよ。ユース君も久しぶりに触ってみましょうよ。この手触りと軽さ、他のものでは味わえないものですよ」


「お、どうぞどうぞ。こちらがお試し用の絹です」


 オズニーグから受け取った絹を撫で、かわいい猫の頭を撫でたかのように幸せそうな顔をするルーネ。ほらほら、とルーネに差し出された絹を受け取ったユースも、故郷の自慢である絹の感触には懐かしくなる。母さんはこの絹のカーテンが好きだったな、なんて思い出したりして。


「そういえば先日、テネメールの村が襲われたそうですなぁ。事なきを得たと聞いた時にはほっとしましたが、故郷を失っていたかと思うとぞっとする話ですよ」


「騎士団の皆様が必死で戦ってくれたそうですよ。お礼の手紙を寄せて差し上げれば、きっとかの方々にも誇らしい思い出になるんじゃないでしょうか」


「ふむ、それはいい。それでは今日帰ったら、早速その手紙を書くことにしますよ」


 テネメールの村を襲った魔物達を撃退した中に、ルーネもその名を連ねているが、彼女はその事をわざわざここで口にしない。ユースがそれを言おうと一歩出かけた時、ルーネはさりげなくユースの服のすそを引っ張って制止する。


 言わなくていいですよ、と、柔らかい目で訴えてくるルーネの手前、ユースも故郷を救ってくれた人の名を明かせず、少し悶としたものだ。いくらかオズニーグとの世間話を終えたのち、出店を離れて歩きだす二人だが、あれでよかったんですかとユースも聞かずにいられない。


「感謝して頂けるだけならば、謹んで受け賜らせて頂きます。ですが、それが本当の功者様を知らしめる妨げになるのであれば、私はそれを潔しとは出来ません」


 あの日、テネメールの村が滅びずに済んだのは、間違いなくルーネが駆けつけたからだ。実際のところ、村を侵攻していた魔物の軍勢は、駐在騎士軍の勢力を上回るもので、ルーネがいなければ今頃あの村は地図から名前を消していただろう。それは確かな事実。しかしルーネが駆けつけるまでの間、村を壊滅させまいと持ち堪えた騎士がいなければ、テネメールが無くなっていたのもまた事実である。そうでなければ、ルーネが駆けつけた時点で村はもう無かったのだから。


 人は歴史を語る時、知れた名や結末にばかり目が行きがちで、日陰に焦点を当てにくい。賢者ルーネが、一般に縁のないと思われるテネメールの村の救出に駆け出し、単身で村を救う決め手になったことは、知った者ならそれを最も記憶に強く残すだろう。だからと言って、村を守るために戦った騎士達のことまで失念されるということもなかろうが、語られ伝えられるのは、どうしたってルーネのことばかりになる。語り手はやはり、センセーショナルな出来事を口にした方が気分がいいし、たった一人で村を救った賢者様という逸話を残したがる。そうなれば結果として、村を守るために戦った戦士達のことは、功績に対して強く語られることもなくなってしまう。知られる歴史の現実というのはそういうものだ。


 別にルーネも、自らの善行を秘匿することに美徳を感じるような性格はしていない。長年の経験から、自分の為した功を世に知らしめることが、いかなる弊害を生むかを知っているだけだ。


「魔王マーディスを討伐した4人の勇者の名は広く語られますが、その勇者達の道を拓くために戦い抜いた無数の勇士達の名を、あなたは知らされる機会も得ていないでしょう? それと同じことなんです」


 誇るべき勇ましさを馳せた者には当然の名誉を。テネメールの村を守るために、殉死した騎士だっている。自らへの名誉など欲しないルーネは、テネメールの村を守るために戦った無数の勇士達にこそ、あるべき栄誉を捧げたいのだ。誰が何と解釈しようとしたって、彼らがいたからあの村が守られたのは、紛うことなき事実なのだから。


「記憶が許す限り、テネメールの村を救った方々のことを決して忘れないで下さい。忘れぬだけでもその姿は、あなたの心に生き続ける栄誉として残るのですから」


「でも、ルーネ様だって……」


 村を救ってくれたルーネのことを、感謝の想いから広く語りたいユースの心は間違っているのだろうか。釈然としないユースに対し、ルーネはふるふると首を振り、見る者の心を溶かすような笑顔を返すだけ。


「私はあなたに、そう記憶して頂けるだけでも満たされていますよ」










 二人で魔法都市ダニームを巡り歩く楽しい時間は、あっという間に過ぎ去って夕暮れを迎える。楽しい時間ほど早く過ぎ去るものであるが、目上の賢者様と過ごす時間は本来緊張するはずのものであるのに、それがこうも早く過ぎ去るというのはユースにとって新鮮な経験だ。


 夕頃になれば、ここ最近のいつものように、ルーネとユースのお手合わせ。やはりルーネは強くって、日中のあどけない笑顔を見せていた姿とはがらりと変わり、ユースをきつく攻め立てる。それも、日を追うごとにルーネの攻め手は厳しくなっている。一日一日、ちょっとずつ身体能力強化の魔法を濃く纏い、昨日よりも速く、強くの攻防を繰り出すルーネには、日が進むにつれてユースも苦しさを痛感する。


 5日前からは盾を構えての交戦。武器が木剣であることを除けば、戦場でのユースの戦い方が存分に表される形での特訓になっている。当初はルーネの蹴りや拳を盾で防ぐことが出来れば、なんとかダメージも小さく抑えられていた。あの頃から数日経った今、ミスリルの盾でルーネの回し蹴りを防げても、腕までびりびりと痺れが伝わってくる。今や、英雄の双腕(アルスヴィズ)を発動させてルーネの攻撃を防がなければ、盾でもルーネの重い攻撃を防ぎ果たしきれない。


 ルーネの裏拳を盾で防いだユースは、そのままルーネの拳を上空にはね上げて体勢を崩しにかかる。体捌きに無二の器用さを誇るルーネは、そんな力の流れさえも受け流し、盾にぶつかった拳を上に持っていかれながらも、急角度の弧を描く軌道ですぐに手元に引き寄せる。その勢いで沈むルーネの肉体は、ユースによる反撃の木剣の薙ぎ払いを低くくぐり、攻撃を空振ったユースの足元に深くルーネは潜りこむ。


 ユースの下半身に組み付いて、タックルそのままにユースを押し倒したルーネにより、背中から地面に倒されるユース。受け身を取って次の体勢に移ろうとしたその頃には、すでにユースの胸元にまたがったルーネが拳を振り下ろし、ユースの眼前で寸止めしている。


「数日のお付き合いであなたの行動パターンはある程度覚えられたとはいえ、今の動きは知らなくても充分に対応しきれるものです。敵が自らよりも高い身体能力を持つ者であると想定するならば、それは生死を賭けた一手であると覚えて下さい」


「は、い……!」


 咳き込むユースの胸の上から立ち上がり、くるりと後方に翻って離れるルーネ。もう一つ大きめの咳を吐いたのち、素早く立ち上がってユースは木剣を構える。だが、閃く攻め手は無い。これまでに自分が身につけてきた攻めの型は、この一週間余りのルーネとの交戦で、すべて使い果たした。どれも通じなかったのだ。培ってきた戦術全てが打ち返された現在において、ユースの戦闘思考は袋小路に陥っている。


 それでも前へ。ならば新たな型を見つければいい。あるいは既存の型を複合して敵を翻弄すればいい。今のままで敵わないならば、新たな自分を作り上げて相手を超えていかねばならないのだ。前進とは、それを満たすための必要条件そのものである。


 痛い目に遭うとわかっていながら、果敢に立ち向かってくる若き騎士。その志に応えるように、ルーネはユースの攻撃の数々をかわし、いなし、打ち払い、一瞬しか見せぬほどの僅かなユースの隙を見逃すことなく、鋭い反撃を打ち返してくる。まるで弾幕のような、戦乙女による無数の肉体の弾丸の雨に晒され、全身を叩きのめされるユース。痛みが、筋肉の軋みが、骨まで痺れるような感覚が、ずっとユースの表情を苦痛に歪めている。


 1時間の間に、300以上の素拳と200以上の蹴りで袋叩きにされる経験など、ルーネとの特訓以外で味わえるものだろうか。その苦しみを超えた先にあるはずの、新たな自分を求めてユースは駆け抜ける。倒れそうな足を引きずってでも、のけ反りそうな体を前に倒してでも、決して倒れない若き勇士の姿は、かつて人類最強の魔法使いとまで言わしめた賢者の魂をも奮い立たせる。


 時間はかかったけれど、ようやくルーネにも見えてきた。これから次第で白くも黒くもなるであろうと見えた、ユースという人物をどう導くべきなのか。そしてその先にある、大成した彼の未来予想図まで、賢者の瞳ははっきりと見据えていた。











「今日は、ここまでにしましょうか」


 早く過ぎ去った昼間の数時間よりも、遥かに長く感じる1時間程度のお手合わせ。苦闘とはそういうものだ。濃密な1時間の末、消耗したユースがその場にへたり込めば、また優しい顔に戻ったルーネが近付いて背中をさすってくれる。武器を交わらせている間と、そうでない時の落差が本当に激しい人だ。


「……前々から思っていたんですけど、ユース君の戦い方は、ベルセリウス様に似ていますね」


 息を切らして肩を上下させていたユースが、その言葉にどきりとして、一瞬体の動きが止まる。長年数人の目の前に自分の戦う姿を晒してきたが、それを口にしてくれた者は今まで一人もいなかった。そしてユースにも、心当たりがある。


「万物を防ぐ守りを目指す、あなたの盾に込められた魔法も、ベルセリウス様の魔法とよく似ています。やっぱり、あなたの目指した騎士としての姿はあの方なんですね」


「……そうなのかもしれません」


 今のユースが最も敬愛する騎士と言えば、法騎士シリカで絶対に揺るがない。だが、幼少の頃に立派な騎士様を夢見たユースにとって、憧れの最たる対象といえば、やはり魔王マーディスを討伐した勇者の一人、勇騎士ベルセリウスだった。同じ年頃の男の子の中でも、近衛騎士ドミトリーの勇猛さを讃える子供が多かった中でも、ドミトリーではなくベルセリウスを目指したユースも珍しい方だったが、ともかく心根に宿るその想いは、今でも深くに眠っているのだろう。


 憧れとは、その人物に近付きたいという想いの裏返しだ。そしてユースにとって、背中を追う今の最たる先人は、法騎士シリカに変わっている。その事実が、今のユースを形作っているのだとすれば、ルーネにもユースをどう導けばいいのかが見えてくる。


 だが、それを形にするとしてもまだ先だ。戦闘スタイルを紐解いて、体系立てた説明を述べたところで、体に沁みついた戦士としての在り方は、そう簡単には変わらない。今のルーネがユースに伝えるべき事は、もっと別のところにある。


「ねえ、ユース君。ベルセリウス様の、どんなお姿に憧れましたか?」


 地べたに座ったユースの正面にルーネが座り、真っ直ぐにユースの瞳を見据えてくる。人に何かを説く真剣さを瞳の表面で包み、優しい眼差しで相手に問いかける目。魔法都市で子供達に多くを教える、先生としてのルーネの眼がここにある。


「……みんなのために戦って、勝利を掴み取る姿がかっこいいと思ったからです」


 近衛騎士ドミトリーは、常に戦場の最前線に立ち続け、並居る怪物達を次々に討ち果たし、魔王軍を無力化に近づけることで人類を導いた。この生き様は実に華がある。だから幼い男の子達は、勇者の逸話を聞くにつけ、ドミトリーのような騎士に憧れる傾向にある。


 勇騎士ベルセリウスの逸話は、それに比べて華が無い。戦場でも立つことが多いのは中衛で、得意の魔法や剣術を以って戦うことはあれど、戦場での決定打を放ったことがさほど多くない。ただ、前衛を支え、後衛を守り続けたその手腕はまさしく見事なものであり、出来た仕事も多かった。騎士団においては高く評価されていた実力でありながら、彼を讃えるのはまさしく騎士(ナイト)の如く周囲を守る姿に見惚れる女の子達に偏りがあったのだ。


 騎士を目指すような男の子というのは、やはり活躍したいものである。ベルセリウスのように、中衛でいい仕事をすることに美学を感じるような子供は、それなりに年を重ねてからだろう。幼い頃から、そうしたベルセリウスに憧れたユースというのは、だからこそやや周りよりは浮いた思想の持ち主だ。


「ベルセリウス様に、今でも憧れますか?」


「……そうですね」


「その生き様にですか? それとも、英雄としての彼にですか?」


「……………………」


 答えに詰まる。前者だと思っていても、自分の胸に問いかければ、自らの真意はどこにあるのだろう。そう悩む時点で、一つ答えが確実に存在するのだ。勇騎士ベルセリウスの騎士としての戦い方に憧れる一方、英雄となった彼の背中を追いたい自分のことだって、否定できはしない。


 愛読した騎士物語の主役を、生きたまま現実に持ってきたような英雄(ヒーロー)ベルセリウスのようになりたいという想いを、自分が全く持っていなかっただなんて言えないのだ。幼少から騎士を目指してきた男の子で、立派な騎士様になる自分の未来を想像しなかった子供なんていない。二十歳にもなった今になって、英雄になりたいだなんてわざわざ考えないし、そんなことを考える暇もない毎日だったけど、きっとどこかに今でもそうした想いは残っている。改めて問われれば、無意識下のそれも浮かび上がってくる。


 言葉に迷うユースの目の前、僅かに目線を落として小さく首を振るルーネ。それは、答えそのものに迷うユースに対し、大切なのはそれじゃないと示す態度。その真意は、首を振る仕草からだけでは察し得るものではなかったが、それを伝えるために賢者は言葉を紡ぐのだ。


「世に広く知られる英雄達の陰、それを支えた人達というのは必ず存在します。気高き志を持った人々でありながら、名も知られず歴史に埋もれていった人々は、星の数にも勝り溢れているものです。テネメールの村を守り抜いた、まだ名を広く知られぬ人達のように」


 勝利を導く救世主としてかの村に辿り着いたルーネが在る一方、彼女に言わせれば、村を守り抜くために戦い抜いた騎士がいたからこそ、村は今でも地図にある。昼にルーネが話してくれたことが、ユースの脳裏に蘇る。


「努力すれば、望んだ栄誉を必ず手が届くと、世界は約束してくれません。名を馳せる夢を見て、それに値するだけの力を身につけた方々でさえ、その名誉に手をかけることがなかった例も山ほどあります。それはもはや、運命の気まぐれとしか呼べないものです」


 どこの世界でも、偉大なる先人の後を追う者は絶えない。だが、かつての偉人と同じ場所に並べる者は、実際のところ一握り。誰もが大人になればそれを知り、自ら相応の世界に腰を落ち着けるものである。


「それでもあなたは、前に進むことをやめないで下さい。目指した自分に辿り着くことが出来るかは、あなた自身の努力に関わらず、運命に依るものでさえあるのです。その現実に悲観して、自分はここまでであると賢しい大人になってしまうと、そこまでの人間であることしか出来ません」


 剣を握り続けてまめだらけになったユースの手を握り、ルーネは揺るがぬ眼差しで訴えかけてくる。強い瞳からは目を逸らしたくなるのが本来の衝動だが、かえって逸らせぬ強い意志がこもった瞳には、ユースもまばたきせずに見入ってしまう。


「一人の人間に、大きなことは決して出来ません。それを真実と知って尚、私達がすべきこととは、大いなる志を持って小さなことを為すことです。そうした志が集った行く末には、運命にさえも遮ることの出来ない、世界を変えるほどの大いなる力が宿ります」


 それは決して理想論ではなく、歴史が実証してきた真理なのだ。魔王の討伐、滅ぼされた町の復興、無限の知識が織り成してきた良き現代社会の構築。一人の人間、あるいは限られた数の英雄や指導者の力だけで為せてきたことだろうか。名も知られぬ数多くの人々の力が無数に集い、今の世を実現させていることは、ただそこで安寧を授かるだけの間はつい忘れがちなこと。


「あなた自身の洗練は、やがてあなたのそばに立つ人達の力と交わり、必ず大いなる力となるはずです。力を求めるあなたの姿は、この上なく美しいものであると断言します。しかし、あなたの力によって大きなことを為すことを目指すのではなく、培ったあなたの力が大いなる成果のごく一部を為すためのものであることを、決して忘れないで下さい」


 ルーネはユースの手を離し、正座した膝の上にその両手を置く。人を導くことに慣れた賢者だが、今のユースに想いの丈を伝えようとする表情は、教え手として未熟だった頃の彼女と変わらず、心すべてをその瞳に内包して眼差しに乗せて放っている。だから、声が耳を打つだけでなく、まるで言葉が魂をまっすぐ貫くように、ユースの心にルーネの言葉が届くのだ。


「それがかつてあなたの目指した、勇騎士ベルセリウス様の気高き想いの真髄です」


 自分自身が英雄となることを目指すのではなく、周囲を支え、支えられ、力を合わせて大願を叶えることを目指していく。不思議なもので、そうした志を持って戦い続けたベルセリウスが、今の時代において英雄となっているのだ。世の中とはそんなもので、運命のいたずらとはまさに、それを言い表すのに便利な言葉である。


 大切なのは歴史の表面上で語られる、輝く星の栄光ではなく、その光る星の下で無数に集った意志の大いなる結束。偉業の本質とはそこにあるのだ。遥か高みを目指し続ける眼差しは美徳であるが、それによって見失ってはいけないものは、常に最もそばにある。そして、どんな時もそばにいる仲間と勝利を掴んできたユースだったから、その言葉の意味もよくわかる。


 自分一人で勝利を掴んだと思える戦なんて、ただの一つもなかった。それを忘れていないならば、大願の成就に必要なものが、一人の英雄の存在だけではないという答えもすぐそこだ。


「人々の安寧を守る無数の勇者達、あなたもその一人です。そんな自分に出来るはずのことが、必ず常にあるんです。それを探すことを目的として歩くためには、まず自らがそうした存在であることを確かに認識することが必要です。よく、覚えておいて下さい」


 ずっと自分は、平凡で英雄とは程遠い存在だと思っていた。だから、平凡な騎士であっても、出来ることをしっかりやっていこうと、ずっと思っていた。騎士団に入ってから触れる先人達は、みんな雲の上の人達ばかりで、自分が卑小に見えてしまうことも多かったから、そういった思想に至れただけでも充分前向きだったと言える。でも、やっぱり目指した自分、つまりは立派な騎士像に近づけないと思ってしまう苦しみは、心のどこかに残っていた。周囲の"立派な人達"は、凄い人ばかりで追いつけるのだろうかと思える人ばかりだったから。


 そんなユースにとって、今の自分にも出来ることがあると諭されたこと。また、その答えを導き出す根拠を説かれたことは、雲の残る自らの胸に光を差し込んでくれるものでもあった。英雄なんかになれなくたって、自分は大好きな人たちのために戦える自分でいることが出来る。それを後ろから押してくれただけでも、ユースにとっては間違いなく救いである。


「……はい」


 戦乙女とのお手合わせを経て、疲れ果てた顔。だけどその眼差しには、はっきりと光ある未来を見据えた炎が宿っている。若き志の象徴を間近に見たルーネは、頑張る息子を見守る母のような微笑みで、ユースの未来を肯定した。言葉などなくとも、その想い溢れる表情だけで、充分なほどに。






 騎士ユーステット=クロニクスという人物と真正面から向き合い、拳と剣を交え続け、彼の本質をはっきりと見据えた賢者の手引きは、この日より一気に加速する。この世界にありふれた、ひたむきなだけで周りより頭ひとつ抜けていた程度の強き騎士が、その殻を破って一気に羽化する日に向けて。


 将来有望な者というのは、十年先が楽しみだとよく言われる。明日からも毎日ユースと触れ合う立場のルーネは、明日の、明後日の、一週間後のユースが楽しみで仕方が無い。賢者が抱く、騎士ユーステットに対する今の印象は、天高くを目前にした日の出のようなものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ