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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第12章  来たるその日への助奏~オブリガート~
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第185話  ~召使い生活③ 賢者様は手厳しい~



「おはよう」


「嫌です」


「ちょっと、まだ何も言ってないでしょ」


「嫌です」


「あなたには、私の言うことを拒絶する権利はないのよ?」


「嫌です」


 昨夜好き放題やった後、エルアーティはユースをこの部屋に放置して、自分本来の居住地であるアカデミーの大図書館の一角、私有区画に帰っていった。部屋の入り口の扉にも、外から厳重な鍵をかけ、ユースをこの密室に閉じ込めて、である。


 さんざんエルアーティに体を玩具にされた末、エルアーティが帰った後もしばらく痺れ薬のせいで動けなかったユースだったが、体の自由が利くようになると、ちょっともう本気でダニームから逃げ出してエレムに帰ろうとしたぐらいである。上半身裸にされて、幼女のような風体のエルアーティに、色んな玩具で全身をぐりぐりされるわ、首筋に口付けされるわ、脇腹を撫でられるわ、太ももを揉まれるわ。何かされるたびにおぞましさで全身がびくびく跳ねるし、歯を食いしばる筋力も薬のせいで全力ではないから、変な息が口から漏れるし。足の裏を筆でくすぐられた時、短かったが裏返った悲鳴を一瞬漏らしてしまった時のことは、もう二度と思い出したくない。


 あれだけの想いをさせられて、もう付き合ってられるかと逃げ出そうとしても、部屋は外から鍵がかけられており脱出手段はなし。窓もなし。牢獄かここはと。朝風呂にでも入ってきたのか、シャンプーと石鹸の香りをふんわり漂わせながら上機嫌で入室してきたエルアーティだが、それに振り撒く愛想など、今のユースは持ち合わせていない。


「今日はあなたに……」


「嫌です」


「何を拗ねてるのよ、子供じゃあるまいし」


「嫌です」


 掛け布団にくるまって、みの虫のように引きこもったユースに、エルアーティが呆れたようなため息をつく。ユースから言わせれば、誰のせいでこんな気分にされたと思っているんだと。高名な魔法使いとはいえ、幼女のような姿をした相手に、全身微動だにできない状況にまで持っていかれ、剥かれ、いたぶるように全身をまさぐられて。終始妖艶な笑みを浮かべたエルアーティの手中、、人に見せたくない顔や聞かせたくない声まで引きずり出された昨日のことは、ユースの人生の中でも最大級の恥辱である。


 召使い条約あろうがなかろうが、もうこの人の言うことには従いたくない。今日はベッドに篭城戦で決定である。偉大なる大魔法使いの怒りに触れたりしたら、もしかしたら昨日以上にひどい目に遭わされるかもしれないけど、もうそれでもいいからレジスタンスからのボイコットしてしまいたい気分なのだ。


「そうしていたいなら勝手にすればいいけど、今日は夕頃からルーネとのお手合わせも約束してるでしょ。まさかその時だけ起きてきて、ルーネとお戯れなんて考えてないでしょうね」


 無言返答。しばらくの静寂。


「あなたがそんな態度なら、ルーネにも断りを入れに行くわ。多忙の中で時間を作ってくれているのに、あなたはその心遣いを踏みにじってもいいというのね?」


 無言。ちょっと迷っているオーラが漂ってきている。そりゃ勿論、ルーネ様とのお手合わせという魅力的なお話にだけ擦り寄る神経は持ち合わせていないが、せっかく時間を作ってまで鍛錬に付き合ってくれるという賢者様の好意は、ユースだって無碍にはしたくない。あっちはいい人なんだし。


 とりあえず沈黙を貫いて、防御の構えを解かないユース。鉄壁である。心が閉じている。


「やれやれ、いつまでもつことやら」


 ふっとユースの要塞に向けて息を吹いたエルアーティに伴い、急にむわっと室内の気温が上がる。まるで真夏日、炎天下の下で炭を焚いたかのように、急激にだ。


 厳密にはエルアーティの魔法が、ユース周辺の気温だけを爆上げした形である。それはもう、蒸し風呂を思わせるほど、肌をじりじり焼くような温度にまで。さっきまでユースの体温と等しい熱を共有していた掛け布団も、直射日光に晒された石壁のように熱くなる。


「北風ではなく太陽。せいぜい頑張りなさい」


 なにくそ負けるかと意固地になって、こもる熱気の中でも布団から出てこないユース。エルアーティは机の前の椅子に腰掛け、暇潰し用に持ってきた本をぱらぱらとめくりはじめた。


 方や夏の温暖気候の中、日差しも当たらず適温で過ごしやすい一室で優雅に読書。方や限定空間内での温度操作魔法に晒され、猛暑の中で篭城戦を強いられる身。暇潰しの本をあらかじめ用意してきたことからも、エルアーティがこういう展開も視野に入れていたことが明らかだ。その攻略術が、召使いのボイコットを最効率の手段で潰しにかかっている。


 ユースもたいしたもので、30分近くそのままこらえて城門を開かなかった。それでも無限時間、召使いをボイルし続けるエルアーティの拷問術には耐え切れず、とうとうずるりと崩れ落ちるようにベッドから転がり落ちてきた。汗だくびしょびしょ、目を回して茹でダコのように真っ赤な顔をしたユースは、そろそろ本気で命が危ないという本能の警鐘に負けたご様子。やっと諦めた? と、涼しげかつ無表情で席を立ち、ユースへと歩み寄ってくるエルアーティ。


「はい、あなたの負け。情けない格好ね」


 悪魔だこの人は。頭くらっくらでぼやけた視界の向こう、しゃがみこんでユースの顔を覗きこみ、にやにや笑うエルアーティを見ると、ユースもそうとしか思えない。それでも、むきになって睨み返すような目を返してしまうのは、どうしても屈服したくない想いがまだ残っているからだ。


「うふふ、可愛い子。またいじめたくなっちゃう」


 エルアーティの掌が、ぬうっとユースの首元に伸びてきた瞬間、昨日の悪夢が脳裏に蘇り、ユースはびくりと体を逃がしてしまう。その反応だけで、エルアーティからすれば、もはやこの子は掌の上という証明でしかない。


「あなたは私から逃げられない。謹慎期間とやらが終わるまで、従順な召使いとして使い潰してあげるわ」


 それが私に逆らおうとしたあなたへの罰、と、立ち上がって見下すように言い放つのだ。抗おうとも力ずくで上下関係を思い知らせてくる魔女を見上げる形で、ユースは砕かれそうな心を保つことで精一杯だった。




 結果的に寝汗でべとべとのユースは、この後エルアーティに言いつけられて朝風呂に赴くことになる。昨日までと同じく、エルアーティ愛用の石鹸とシャンプーを渡されたが、今の気分であまり使いたいものではなく、浴場に入ったユースは本来置いてあるはずの石鹸とシャンプーを探した。


 が、無かった。隠されたのかもしれない。共用の風呂場で理不尽勝手してまで、体を洗う薬を指定してくるあの魔女には、ユースもげんなりせずにはいられない。湯だけで体を洗うのみに済ませてやろうかとさえ、一度思ったけれど、流石にそれは人として。野宿暮らしの遠征中でもあるまいし、人里で暮らしている時は、人前に晒して恥ずかしい体を作れない。


 エルアーティと同じ匂いを体に纏い、鼻をくすぐるいい香りとは裏腹、ユースは沈んだ足取りで浴室から出てくる。待っていたエルアーティに、さて行くわよ、と率いられ、今日もユースは沈痛な想いで、本日のお勤めに踏み出す形である。











 君主制による政を行使していない魔法都市ダニームではあるが、都市の動きの概ねは、アカデミーの要人達の指針に左右されるため、実質的にアカデミーが魔法都市の政館にあたると考えてもいい。一方、ダニームの賢者様という立場は、魔法都市の権威であるアカデミーにおいて、アカデミー学長を除いて最高峰に位置する者を指す。つまり実質ダニームのナンバー2に当たる立ち位置であり、発言力は大きい一方、抱える仕事の数も半端なものではない。それはルーネも同様である。


 学者畑の二人は、政治家のような仕事量を抱えつつ、魔法学を究明し続けようとする学者の本分を絶対に放棄しない。時間がいくらあっても足りない立場なのが実際のところである。ユースを引き連れ、アカデミーの大図書館に辿り着いたエルアーティは、昨日のようにユースに大図書館の整理でも言いつけるのかと思えば、図書館内の私有区画に向かっていく。道中の本棚から、いくつか本を拾い集めてだ。多量の書物であるそれらを運ぶ役目を、ユースに押し付けてはきたが。


 私有区画の椅子に腰掛けたエルアーティがユースに渡してきたものは、5枚のメモと、大理石で作られた印鑑。メモに書き記してあるのは、今日ユースが夕暮れまでの間に、行かねばならない場所のリストである。魔法都市の玄関である関所、都市南方町村に対する交易商、アカデミー北西の毛皮売りの事務所など、数箇所を巡り、書類を受け取って来いということらしい。どういう行き方を、どういう順番で踏めば時間がかからないかも、メモには細かく書いてある。


「書類など、その印鑑を使って集めてきて頂戴。その印鑑ひとつで、私の使者である証明にはなるわ」


 ユースは正直、もうこの人の言うことなんて聞きたいと思える心地ではなかったが、エルアーティのそばを離れて働けるなら、ある程度は気が楽である。与えられる仕事に対して精力的なのが元々のユースは、さして渋らずエルアーティからメモと印鑑を受け取り、仕事を引き受ける。


「途中でお腹が空いたら、好きな所で勝手に食べなさい。支払いはあなたの持ち合わせ、ただし領収書をちゃんと持って帰ってくるなら、経費はアカデミーから落としてあげる。

 夕頃までに仕事を完遂できなかったら、ルーネとのお手合わせは無しよ? 無理なスケジュールは組んでいないから、油を売り過ぎなければ大丈夫なはず。

 なお、その印鑑を紛失した場合、相当な弁償をして貰わなきゃいけないから、無くさないように注意なさいね」


 有事の際における罰則は釘刺しされたものの、待遇はさほど悪くない。エルアーティに見送られ、アカデミーの外に出たユースは、ふぅと一息ついて気持ちを切り替える。さあ仕事だと、渡されたメモに改めて目を通す。


 魔法都市ダニームは大きく、恐らくメモに書かれた巡り先を歩いて回れば、一日かけても捗りきらない。都市内を歩く巡り馬車なども活用しないと疲れるし、時間もかかりすぎてしまうだろう。アカデミーのそばにある、巡り馬車の停留所に向かうユースだが、いいタイミングで馬車が巡ってきてくれたおかげで、滑り出しはなんとなく好調という気分だ。明るいこの時間帯、各停留所には1時間に10回以上馬車が巡ってくるため、待つ時間は長くなりにくいが、停留所に着いて馬車がすぐに来てくれると、やっぱり得をした気分になれる。


 3,4個の停留所を経て馬車から降りたユースは、まずそこから徒歩数分の、毛皮売りの商人が構える事務所に向かっていく。着いたユースを厳格な顔をした門番が迎えたが、事情を説明してエルアーティの印鑑を見せると、門を開いてくれた。さすが賢者様の威光を封じた証明道具、話がスムーズに進む。


「お待ちしておりました、エルアーティ様の使者様ですね。書類はこちらです」


 事務所の最奥、恐らくこの事務所で商売を営む者達のトップが、丁寧な表情と言葉で、二十歳のユースを迎え入れてくれた。物腰も言葉遣いも柔らかいが、既に五十歳を回っていそうなその顔立ちや、純金の首飾りをちらつかせたその男は、ユースの眼から見ても歴戦の商人だとわかる。いくら相手が丁寧な言葉で接してきても、その貫禄にはユースもより低く頭を下げてご挨拶してしまう。


 ユースの目の前、1枚目の書類に自分の名前と書類受け渡しの時刻を書き、自身の印鑑で証を押した商人は、もう1枚の書類をユースに渡してくる。こちらにエルアーティの印鑑を押せば、商人側から賢者様へ、書類の譲渡が行われた証明になるようだ。ユースがその書類に印鑑を押せば、代わりに商人の手から、毛皮売りの今月の商売内容などを纏めた書類が渡される。この交換を持って、お使いは終了だ。


「エルアーティ様にもお伝え下さい。出来れば今度、一度でいいから会食でもしませんか、と」


「あ、はい……」


 貫禄いっぱいの商人様に緊張気味、いくらか話を挟んで事務所から退出したユース。巡り馬車の停留所まで戻ると、今度も具合よく馬車が来てくれた。馬車に乗り込んだユースは、次の場所に馬車が辿り着くまでの間、事務所の商人がエルアーティに伝えて欲しいと言った言葉を、メモの裏側に書き留めておく。言伝を暗記するに留めず、こうした確実性を丁寧に踏襲するあたりが実に彼らしい。


 都市の北東部の関所近くで馬車を降り、そこでもさっきと同じようなやり取りを関所番相手に踏む。受け取った書類を手土産に停留所に戻ると、今度は数分待つことになったりも。やがて巡ってきた馬車に乗り込み、次の場所、食肉管理の職人の事務所でも同じやり取りだ。受け取る書類の内容が様々に変わるだけで、目的地に着けば、やることはあまり変わらない。真夏の炎天下、広い都市をこうして巡る仕事は汗をかくけれど、そう難しい仕事ではなくてユースも少し安心する。


 おやつ時前に目的地の一つ、弁護士業を営む男の営業所を訪ねた際、書類の交換を完遂したのち、ユースはその弁護士に、メモの通り巡ればあとどれぐらい時間がかかるかを尋ねてみた。残された時間であと2箇所を回ると、時間内に仕事を完遂した後にエルアーティの場所まで帰るのに、どれぐらい時間がかかるかの確認だ。そろそろお腹がすいてきて、昼食を取りたかったから。ユースは魔法都市ダニームの地理に詳しくないから、今からの行動によって、後でどれぐらい時間が余るか逆算しづらい。


 弁護士いわく、1時間は余る見込みがあるとのこと。一礼してその場を離れたユースは、営業所近くの出店で軽食を挟み、合わせて30分ほど休憩してお腹をふくらませる。ひと休みした後、また巡り馬車の停留所に行って次の目的地へ向かい始める。エルアーティの監視下でもない中、時間を無駄にしようとせずに適度な休みを取って働くその姿勢は、ユース本人は自覚がないが、周囲にはよく信頼される部分だ。明朝にはエルアーティから逃げ出して、エレムまで勝手に帰ろうとしていたユースだったのに、仕事になればそんなことも忘れてちゃんと働くのだから、根が真面目なものである。こういう部分をしっかり読み取っているからこそ、エルアーティも監視役をつけたりせず、放任でユースに仕事を託したのだろう。


 巡り馬車を活用した末、都市南方郊外町村に対する交易商、傭兵魔法使いの通い場所であるギルドを回り、各所で仕事を果たしたユースは、やがてアカデミーに帰ってくる。エルアーティに指定されていた、帰ってくるべき時間まで、あと40分ほど余った。休憩や昼食を挟んで尚こうなのだから、彼女の宣言どおり無茶なスケジュールではなかったようだ。もしかしたらその辺りで意地悪をされるかなとか、あるいはダニームの地に明るくないゆえ不測の時間の無駄遣いをしてしまうかなとか、出発前には色々不安のあったユースだったが、無用の心配だったようだ。


 時間がいっぱい余ったので、アカデミー前の公園の前で一休み。預かった書類を確認し、不備や忘れ物がないかを確かめたり、自分が書き留めたメモに目を通したりするも、この、ついでにだ。慣れない土地を歩く数時間は不安も多かったが、新鮮な光景を歩く中で、あるいは巡り馬車から眺められた記憶の数々は、さして悪いものではない。仕事には違いないが、終わってみれば見聞一人旅のような思い出が残った。


「あら、おかえりなさい。思ったよりも早かったわね」


 時間を20分余らせて、あまり長時間一緒にいたくないはずのエルアーティの元へ帰ったりと、仕事が絡めばユースも私情を棚に上げるものである。読書にいそしんでいたエルアーティも、その姿勢は及第点に届いているわよと言わんばかり、いい頷き方を見せてくれた。


「どうだった? 魔法都市ダニーム巡り、そんなに悪いものじゃなかったでしょう」


「あんまり楽しむ余裕はなかったですけど……思い出すと、楽しかった気がします」


「それは何より。エレムと同じく、住まう人々に愛され、より良くしていくことを目指された魔法都市の今が、そう認識して貰えるならば嬉しいことだわ」


 魔法都市ダニームの行政や立法、司法にも関わるエルアーティだから、彼女の言う"人々"には、彼女自身も含まれているのだろう。エルアーティはルーネと異なりダニームの生まれであるし、この地に対する思い入れもそれなりに強いのかなとユースも感じる。彼女は感情や感慨が全然顔に表れないから、実際のところはどうなのかわからないが。


 ユースから受け取った書類の数々に目を通しながら、何気ない会話をユースと交換し、やがて書類らに不備無しと見たエルアーティは、膝元で書類をとんとん整えて、手近に置いてあった筒にそれを入れる。その際、ユースは商人や弁護士達に言われていた、エルアーティへの言伝も伝えたが、その辺りはあまりエルアーティも興味を示した素振りなし。ふーん、の一言だけ返ってきた。


「さて、ちょっと早いけどルーネに会いに行きましょうか。あの子は要領がいいから、先にお仕事終えてもう待ってくれているかもしれないし」


 思ったよりも時間を潰さず、ユースにとって今日一番のお楽しみの時間に連れていってくれるエルアーティ。ユースにとっては嬉しいことだが、それを彼女の単純な善意だと受け止めるのは危険な気がして、はいと返事しつつユースはどこかたどたどしい。そりゃあ、甘い声で痺れ薬を盛られた昨夜のことを思えば、いちいちエルアーティの嬉しい行動に、手放しに喜べないのも当たり前。何か裏でもあるんじゃないかと、騙され慣れていないから不要な疑念に駆られる。


 それでも、約束どおりルーネとの手合わせに導いてくれる態度は、悪意を感じさせないユースにとっての朗報だ。今朝は言うことに逆らってすみませんでした、と、やや一応めの口調ながら、今のエルアーティにならばと詫びる言葉を作るユースは、結局人がいいということなのだろう。


 よろしい、と言って、振り返らずにユースを導き歩くエルアーティ。そもそも気にしていなかった、という彼女の本懐が、その声には充分含まれていた。











 ルーネはエルアーティの推測どおり、約束の時間よりも30分早く来たユース達を、すでに待っていた。ユースとルーネがお手合わせする、本来の予定時間が約1時間。予定より2分の3倍、ルーネと手合わせ出来るこの流れには、ユースも意気込んで臨んだ。ルーネから手渡された木剣を握り、素手ながら全身を身体能力強化の魔法で包み込んだ彼女を相手に、一心不乱に武器を振るう。


 昨日と違うのは、ルーネも反撃を試みてくるという点。彼女の手足は幼い風貌に見合って短く、木剣を握ったユースの射程距離よりも遥かに短い自陣を持つ。しかしルーネの素早さは、ユースの攻撃を滑らかに回避し、あっという間に懐に潜りこんで的確な一撃を当ててくる。拳一つで岩石をも砕けるパワーを発揮できるルーネだが、こと手合わせに関しては加減もよく利いている。


「っ、ぐ……」


「下段への配慮が欠けています。あなたの実力でしたら、必ず捌けたはずの攻撃です。意識をもっと研ぎ澄まして下さい」


 勿論、それでも相応の威力はある。ユースの攻撃を潜りこんで回避したのち、ユースの横を駆け抜けると同時、脇腹に拳の裏を当てて離れるルーネ。子供の全力で殴りつけたような威力に抑えられているものの、当たり所が当たり所だけにユースも表情を歪めずいられない。戦い続けられるようにユースの体を打つルーネの配慮だが、やはり痛みがなければ覚えられないことも多いと、歴戦の戦乙女は知っている。


 シリカほど厳しく痛めつけてはこないものの、言い換えれば痛みに耐えられる限り、ユースは動く力を奪われないということだ。つまりユースが動かなくなるのなら、それは体のせいではなく心が戦うのをやめたということ。開始数分で全身をルーネの拳にがつがつ殴られながらも、痛みを乗り越えてルーネに突進するユースだが、最低限それぐらいの気概がなければ、ルーネとの手合わせは務まらない。


「捨て身には早過ぎます」


 ユースの横薙ぎの木剣を跳躍して回避しながら、額に足のつま先をがつんとぶつけてくるルーネ。これもたいした威力の蹴りではないが、その場所に固い靴先を当てられて頭が後ろに反ると、ユースの体に伝わるダメージは大きい。痛む額を手で押さえたくなる痛みだが、ユースは木剣を握り締めたまま、前方に着地するルーネを睨みつける。


「臆病と無謀の狭間にある攻防を正しく見極めて下さい。それを覚えるまで、私は何度でもあなたの体を傷つけるでしょう」


「望むところです……!」


 痛みを得るから、それは未熟な自分が戦場において死を意味していた学習になる。騎士団の先輩がユースを木の武器で叩きのめす痛みは、敵の真剣ならば肉体を貫くか真っ二つにされていた、という攻撃。ルーネの打撃は、仮に本当の死合であれば即死に繋がるダメージを象徴する的確さ。痛みでそれを実感し、本当の戦場でその最悪を避ける戦い方を学ぶことこそが目的なのだ。白兵戦の心得を掴むための修練において、痛みを賜ることなど、ユースにとっては覚悟の上。


 戦士には珍しくない覚悟ではあれど、それを意識せずに抱いて修練に臨めてこそ、初めて戦人の一人だと言えよう。だが、それは加点対象ではない。ユースの攻撃を、不規則に舞う木の葉のように数度回避し、靴ひとつぶん前に踏み込みすぎたユースの隙を見逃さず、ルーネは大きく前に踏み出した。それが、カウンターへのユースの布石だということも読んでいる。


 ユースの腹目がけて拳を突き出したルーネ、それを身をよじって回避すると同時、一歩退いて距離を作ったユースがルーネ後頭部目がけて木剣を振るう。視界外からの攻撃として、的確な反撃だ。しかし素早く頭を下げて地面に両手をついたルーネが、逆立ちすると同時に足を伸ばし、木剣のスイングを上空に蹴り上げる。得物に引っ張られるように姿勢の上ずったユースの胴体へ、木剣を蹴った反動で足を地面に引き寄せたルーネは、そのままユースの腹部に突進する。直撃寸前、身をひねってユースに背を向けたルーネの二の腕が、どすりと鈍い音を立ててユースの腹にぶつけられる。


 小さな体でも重さはあり、いわばその体当たりを腹にくらえば、ユースだって息を詰まらせて後ろによろめく。だが、その程度に済んでいるのも、肘を突き刺せたはずのルーネがそうしなかったからに過ぎない。一瞬集中力を途絶えさせられかけたユースに、ルーネは勢い良く接近する。遅れて意識をルーネに集める頃には手遅れで、素早いルーネの足払いがユースの両脚を後ろから薙いでいた。


 背中から地面に叩きつけられたユースは受け身を取りつつも、がはっと肺の中から殆どを吐き出す。すぐに体を横に転がし、立ち上がろうとしたユースだが、ルーネが先手を譲らない。ユースが動くより早く、低く跳んだルーネは、ユースに頭の上に着地した瞬間には身をこちらに向けている。着地とほぼ同時、拳をユースの顔面目がけて突き降ろし、まさに目と鼻の先でルーネは拳を寸止めする。


「続けられそうですか?」


「っ……!」


 完全敗北を一度突きつけられたって、すぐにユースは横に転がり、立ち上がって木剣を構える。一回完全に死んだが、対人訓練ではよくあることだ。同じことがもう起こらないため、死に方をいくつも覚えるため、時間を無駄になどしたくない。


 気概に対して何らかの返答を見せるでもなく、果敢に攻め込み木剣を振るうユースの攻撃を、木剣の側面を殴ることでいなし、回避と同時に手足による反撃でユースの体を叩きのめしてくるルーネ。一発一発は崩れ落ちるほどのダメージではないが、蓄積する痛みはユースの精神力を蝕んでくる。


「やけになっていませんか」


 それなりに洗練されたはずのユースの太刀筋の中、ルーネの脳天目がけて木剣を振り下ろす、極めて単調な一撃を彼女は見逃さない。両手で木剣を挟むように、白刃取りの形でユースの攻撃を完全に止めたルーネは、静止した両者の間で眼差しをユースと交わし合う。武器を引こうとユースが力を込めても、ルーネはそれをびくともさせない。


 木剣をひねりながら引っ張り、ユースを前のめりに引き寄せ、同時に強引に武器を奪い取って地面に捨てるルーネ。さらに、前のめりによろめいたユースの胸元を拳の裏で叩き上げ、ふくらはぎに横から蹴りを叩き込み、片膝をつきそうになったユースの腹部へ、拳を突き刺す一連の攻撃へ。半ば崩れ落ち、跪く形で地面を握り、片腕で腹を抱えこむユースだが、地面に向いた目線の先、ざり、とルーネが踏み出した靴の先が映る。すぐそばで自分を見下ろす背の低い賢者様に気付いたユースは、苦しみを闘志で上塗りし、苦痛に歪んだ顔を上げる。


「立ち上がって下さい。揺るがぬ強さは、必ずその先にあります」


 厳しく真剣な眼差しながら、確かな愛を強く孕んだこの瞳を、他の誰に真似が出来るだろう。己の成長を促すために、この時間を作ったルーネの心意気は、彼女が意図的に発さなくてもその目が自ずと語っている。これに応えずして、ユースもその想いには報えない。


 げほっ、と大きく咳き込んですぐ、ユースは立ち上がって素早く木剣に駆け寄って拾う。急く想いゆえふらつくような足取りに近かったが、それが彼なりの必死さゆえのものだとは、ルーネにもよくわかる。そんなふうに、必死で先人に追いつこうとがむしゃらだった過去が、ルーネにもあるからだ。


「今が一番、伸びる時期です。続けられますね?」


「はい……!」


 返答とともにユースが木剣を構えた瞬間、ルーネは地を蹴りユースに差し迫る。無数の拳、脚の薙ぎ筋がユースを襲い、彼の必死の防御を次々とそれらがかいくぐる。ユースの全身を、賢者の猛攻が叩きのめす時間が始まっていく。


 二の腕に、太ももに、腹部に、肩に、手首に、ふくらはぎに、脇腹に、ルーネが次々と攻撃を叩き込む。歯を食いしばりながらそれらのいくつかは打ち返し、間隙を縫って必死の反撃を試みるユースだが、どの一撃も賢者の拳と足先以外に触れることはない。図式は完全に、上手が下手をいたぶるようにしか見えない構図だ。それも、二十歳の成人を十歳の子供が弄ぶような、傍から見れば片側の屈辱的光景にさえ映る光景である。


 さらなる強さを目指して師に遮二無二立ち向かう騎士、その想いを叶えるべく、一心不乱に他者を育てる"魔法"をかける賢者。雑念が、雑音が無い。息を切らすユースの吐息と、彼の体が打ちのめされる鈍い音、拳や足と木剣がぶつかる激突音に、両者が地面を踏みしめる砂音。それ以外に音の存在しないこの空間は、真の武神に上り詰めた戦乙女と、若き戦人の卵が向き合う、武人達の聖域だ。それは、結界魔法が得意なエルアーティにさえ意図して作り出すことが出来ない、士魂織り成す境地である。


 木陰で座って両者を見守るエルアーティは、書物と二人に交互に眺め、今の時間を満喫する。学者としてではなく戦人として、あんなにもわくわくした瞳のルーネを見るのは久しぶり。それだけでも、ユースをルーネに向き合わせたことは成功だったとエルアーティは思っている。


「間に合うかも、ね」


 期待を独り言で漏らすのは、先行きを明るく感じている何よりの証拠。無表情の賢者が密かに口にした期待は、誰の耳に届くこともなく風に消えていった。

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