第177話 ~11年前 魔王マーディスの最期~
コズニック山脈の最奥地。前人未到のその場所に、この世のものとは思えぬ城がある。外壁は白金、城壁は黄金、中に入れば大理石や銀で美しく構築されたその城は、たとえばこの城を人里に持ち帰れば、いくらの値打ちがつくのか想像もつかない。金銀銅、白銀といった、人類が価値高きとする貴金属ばかりで彩られたその城は、悪く言えば成金趣味で悪趣味なものであると言えるかもしれない。
錆のひとつもないその城の奥、玉座に腰掛けてそれはいた。人類を長年に渡って苦しめてきた魔王マーディスは、謁見の間の入り口から玉座に向かって真っ直ぐ伸びる、赤い絨毯の上を歩いてくる人間を、頬杖ついて見下ろしている。玉座の位置は勿論入り口よりも階段数段ぶん高い場所であり、上からの目線で見下してくるその眼差しは、ひどく人間を侮って見える。
勇騎士ドミトリー、魔法戦士ジャービル、大魔導士アルケミス、聖騎士ベルセリウス。コズニック山脈の長旅を経て、ここまで辿り着いた人類の勇者達だ。賢者エルアーティの推察どおり、死に絶えてなどいなかった魔王を討伐するためここに来た。コズニック山脈にて現れた無数の魔物達を葬り、最終決戦の地まで辿り着き、各々はすでに武器を構えていた。
「……人間とは、愚かだな」
玉座から立ち上がった魔王マーディスの風貌は、漆黒のローブに身を纏い、白金の兜と白金の鎌を持つ、悪魔じみた紫色の肌をした人間のようだ。平均的な男性の身長とさほど変わらないベルセリウスと同じぐらいの背丈であり、その顔も魔王の印象を受けるにふさわしく、尖った骨格に真っ赤な目。額には、縦に開いた第三の眼を伴っており、人型でありながら人とは一線を画した特徴が多い。
「魔王マーディスか」
「いかにも。ラエルカンでは、私の影を討ち果たしてくれたようだな」
勇騎士ドミトリーの声に、魔王が応じた。言わずもがな魔王の全身から漂う、邪悪な思念は強烈な殺気は、対峙する4人が凡人ならば、恐怖でその場で腰を抜かしてしまうほどのもの。怯まぬ強さを携えた勇者達を目の前に、魔王は階段の上からゆっくりと降りてくる。一歩近付いてくるごとにこちらの全身を痺れさせる、魔王の威圧感が強まってくる。昔から気の強かったドミトリー、不動の精神を鍛え上げたジャービル、普段から他者に意図して感情を見せない冷徹な仮面のアルケミス。いずれもその威圧感を全身に受けながらも、構えたままにして表情一つ動かさない。魔王もそれを眺めて、人間達が自分を見る目を観察する。
過去には臆病で、戦場から逃げ出したこともある聖騎士ベルセリウス。このような舞台に己が立つことなど、若き頃には想像もしていなかった勇者は、魔王の威圧感に一瞬目を伏せてしまう。だが、怖じた己をすぐさま振り払い、眼差しを引き上げて魔王を見据え直す。魔王マーディスは勿論それも見逃さない。
4人の人間の中で、誰が魔王にとっての難敵か。それをはっきりと確信した魔王マーディスは、勇者達が立つその場所より一段高い階段の地点で立ち止まる。同時に、ここまで来た人類の勇者達を迎え撃つべく、全身に魔力を練り上げ始めた。
空気が血走る。大地が震える。ラエルカンで魔王マーディスの影とやらと戦ったドミトリーも、認識が一瞬で正される。これが本物の魔王であると。
「死よりも恐ろしい最期……覚悟はできたかな?」
「行くぞ!! 魔王マーディス!!」
鎌を携えた魔王に勇騎士ドミトリーが駆け寄り、得物の大剣を振るった。人類と魔王の最終決戦の始まりだ。
「……エルア、いつまでそうしているつもり?」
「すべてが終わるまで」
エレム王国代表指揮官ドミトリー、魔導士帝国ルオス代表指揮官ジャービル。その二人が率いる、エレム、ルオス、ダニームの連合軍がコズニック山脈に向けて旅立ったのはもう36時間も前だ。それ以来、一睡もせずに魔法都市ダニームの自室にて、水晶玉を眺めている賢者がいる。水晶玉には何も映ってなどいないのに、じっとそれを眺めているエルアーティの行動の真意は、親友のルーネにしかわからない。
御伽噺などでは、魔女は水晶玉を覗き込むことで、遠方の光景や未来を覗き込んだりするものであると書き綴られやすい。エルアーティが覗き込む水晶玉には、何も映ってなどいないのだ。周りから見ればそう見えるだけで、エルアーティにだけは何かが見えているのかとも思えば、違う。嘘をつくことをしないエルアーティは、何も映っているわけではないと、過去に親友のルーネに断言している。
「見える?」
「見えてきそうな気がする」
賢者エルアーティが考え事をする時の癖なのだ。世の理の真理を知ることを追い求めるエルアーティは、童話の魔女よろしく水晶玉を覗き込む。そうして自らの頭に、眼に、未だ知りえぬ真実が見えることを望んだ"魔法"をかけるのだ。魔法とは精神と霊魂の織り成す、不可能を可能にするための力。魔力で水晶玉に何かを映す魔法ではなく、形から入るかのようにして真実を知る己を願うのである。
子供じみたおまじないに過ぎないようなその行為に、どれほどの意味があるのかはわからない。だが、真実を求めて過去の己の知識を全回転させ、無数の仮説と反証を数時間に渡って繰り返し続けるエルアーティは、水晶玉に取り付かれたかのような集中力。語りかけたルーネとの会話と、己の思考を並行して成立させながらも、賢者は思考の道を閉ざさない。
「何を考えているの?」
「魔王マーディスの本質」
水晶玉から眼を逸らさない、エルアーティの返答。ひとつの場所を何十時間にも渡って見つめ続けるその姿勢を、一切崩さない姿勢には、ルーネでさえもがエルアーティの特異性を感じずいられない。
「ねえルーネ。魔王とは何だと思う?」
「……人類を苦しめる、強大なる力を持つ存在」
辞書どおりの解答。それ以外に魔王を形容するべき言葉があるだろうか。エルアーティがルーネの口に求めた答えはそれであり、真理の中から導き出したい答えとはまた違う。
「人が定めた定義は、言霊によってその存在を縛り付ける。それ以外の言葉で魔王の本質を語る言葉が必ずあるはずにも関わらず、やがて人はそれを追いかけなくなる」
定められた言葉の意味は、単語が意味するその存在をそれ以外でなくするのだ。なぜなら、それが人類にとって有用だからである。数枚の紙を束ねて背表紙を綴じ、一冊の情報媒介として纏めたものを、人は"書物"と呼び、それ以外の存在ではなくなる。人外なる姿をした存在であり、魔王の手駒として人類に害意を為す存在を魔物と呼び、人はそれを一括に恐れる。そうした定義の無数により、人類の周囲を取り巻く世界は定められてきた。そしてそれらは、全て人が勝手に決めてきたことだ。
「レフリコスと魔王自身が呼ぶ、魔王マーディスのお膝元。そこにある魔王マーディスの城は、空からいくら眺めても見つからない。かつて私がレフリコスへ赴いた時には確かに見つけられたのに、空からでは全く見つけられなかったのはなぜ?」
「……魔界」
「そう。超状的な力を持つ存在が居を構えるその地には、きっと私達が未だに知らない本質がある」
"魔王"とは果たして何なのか。人が恐れる魔物達の親玉、それを魔王と呼ぶのならば、それは大多数の人間が定めた魔王の定義として正しいのだろう。だが、人以外の目線から見た、この世界そのものにおいての、魔王と呼ばれてきたマーディスの本質が何なのか、エルアーティは追い求めている。
「仮説から確信に――魔王マーディスが討ち果たされ、世界が一新されたその時こそ、何か新しく見えてくるものがあるかもしれない。私はそれを望んでいる」
魔王マーディス生存の中、答えに近付く新たな要素は、長年経っても生まれてこなかった。世界が変わることで、何かが生まれるだろうか。エルアーティにも今はわからぬことだ。推測でもなく展望でもなく、単なる期待に過ぎない。
「私も魔王マーディスの討伐に赴くべきだったのかもしれないわね」
「エルア……」
「ふふふ、冗談よ。私が行っても死ぬだけだわ」
知った真実を世に広める使命を、エルアーティは己の信念とともに強く抱いている。人類に知られていなかった新たな発見をしても、誰にも伝えぬまま墓の下に行くことは出来ない。エルアーティが追究のための行動に赴く時には、必ず己の生存が前提にある。
「世界は未知で溢れている。いくつもの秘境が存在している。すべての答えが交わったその時、新たな真実が人類の前に晒されるはず」
知とは共有されるべきものと主張してやまないエルアーティ。大森林アルボルの奥地、魔界アルボルに辿り着いて見聞きしたものを、広く他者に語らないエルアーティ。その眼差しの先に見据えたものが何であるのかは、親友たるルーネにすらわからない。ただ一つわかることがあるとすれば、真実を求めようとする彼女の姿に、嘘や偽りはないという確信だけだ。
「……知ることそのものが目的のあなたは、得た知識を人類に伝えて何を目指すの?」
「あら、それは今までに何度も言ってきたことじゃない?」
その問いに対するエルアーティの言葉は決まっている。ルーネもその答えを知っていて、敢えてそれを今問うたのは、魔王という本質に触れようとするエルアーティが、今も変わらず自分がよく知る親友のままでいてくれているのか、確かめたかったからかもしれない。
魔王とは何ぞや。その答えを知った人間は、かつてのままでいられるのか。知を得た人間は、それによって変わってしまう可能性を常に秘めている。人間とはそういうものだ。
「それは私でなく、私以外の人類が決めることよ」
変わっていない、今はまだ。唯一無二の親友が水晶玉を眺める姿を見て、ルーネは彼女の未来が案じられてならなかった。
数百時間にさえ渡る死闘にも、短い間についた決着にも感じられた、人類の勇者達と魔王の戦いの末路。勇騎士ドミトリーが魔王マーディスの心臓を、肩口から両断したその瞬間、己の崩壊を逃れられなくなった魔王が後方によろめく。それが、魔王マーディスの最期を定めた一撃となった。
「……やはり人類は愚かだな。私を討てばすべてが終わりだと思っている」
蒸発するように、全身を黒い霧に変えていく魔王マーディス。それは魔王が、形を変えるだけの姿であるのか、あるいは雲散霧消してこの世から消える様なのか。魔王を討つための剣を下したドミトリーは、いずれが正しいのかわかっている。そう望むのではなく、確信なのだ。
魔王マーディスは死ぬ。この世から、消えるのだ。絶対に間違いない。大魔導士アルケミスも、魔法剣士ジャービルも、卓越した魔力を感知する力でそれをわかっている。終わるはずだ。
「束の間の平穏……それで満足だと言うのなら、せいぜいそれを嗜んでいろ。やがて貴様らにもわかるかもしれぬがな……貴様らの本当の敵は、私などではないと」
鎌を握っていたその手が消え去り、肉体を失ったことによって漆黒のローブも地面に崩れ落ちる。白金の兜がぐらりと後方に傾いたのは、首の下から消えていく魔王の頭が質量を失いつつある表れだ。
「……また会おう。愛すべき人間達よ」
その言葉を最後に、魔王マーディスはこの世から消え失せた。構えた傷だらけの勇者達は、それでもしばらく動くことが出来なかったが、勇騎士ドミトリーが大剣を背中の巨大な鞘に納めた時、ようやく人類の時が動き出す。
限界まで体を酷使し続けていたベルセリウスが、その場で膝をついて崩れた。ふうと息をつくアルケミスとジャービルを尻目に、振り返ったドミトリーがベルセリウスに近付き、手を差し伸べる。
「勝ったぞ」
「……はい」
長い旅が終わった。自分達が生まれる前から、魔王マーディスに立ち向かってきた騎士団や帝国兵、魔法使い達。それを果たせず長年の時が経て、過去から背負ってきた使命を果たした勇者達は、この日歴史の大願を叶えたのだ。誇らしく笑顔を見せるドミトリーに、やり遂げた想いに胸がいっぱいのベルセリウスの眼が、少し潤んでいたのが仲間達には印象的だ。
「お前はやはり泣き虫だな」
「う、うるさいぞ……今まで色々あったんだっ」
数十年来の付き合いだった、後輩の殉死を見送ったこともある。叔父を魔王の配下達に殺されたこともあれば、恋人の母親を守りきれなかったことだってあった。我が身がここまで残った事実以外、いくつも心を引き裂かれるような悲しみとともに辿り着いたこの旅の果て。その手で至った勇者の胸中に溢れる想いは、今ここにいる4人以外に共有できるものではない。だからこそ通じ合う。
無表情が常であり、ルオス皇帝以外に心を許したような態度を見せたことのなかったアルケミスまでが、悪意無き小さな笑みと共にベルセリウスをからかう姿。ベルセリウスのみが唯一の親友であると公言していたアルケミスが、周囲に見える形でそれを表したのも初めてのことだ。ドミトリーに手を握られ、座り込んだ姿勢から立ち上がらせて貰ったベルセリウスは、長年の恩師でもある勇騎士に一礼した後、ジャービルにも頭を下げる。最後に顔を向けた親友には、ちゃんと近付いて顔を合わせる。
「――ありがとう。君がそばにいてくれたことは、ずっと僕を支えてくれた」
「勿体ないことを言うな。私こそ、お前にその言葉を手向けたいほどだ」
ひと回り近く違う年の差の二人。拳を突き出したベルセリウスの行為は、叩き上げの騎士が見せる、大願を果たした時の仕草だ。自分にそんなのは柄に合わぬとわかっているアルケミスだが、ふっと笑って拳を突き出し、ベルセリウスの拳とこつんと鳴らし合わせた。
「似合わないことをするものだ。お前らしくもない」
「今日だけですよ」
朗らかに笑うジャービルに、アルケミスは柔らかな表情でそう応えた。敵地レフリコスにあってなお、そうした緩和が踏めることもまた、大いなる人類の希望を果たした達成感が、そうさせてくれるもの。それだけ魔王マーディスの討伐は、人類にとって夢見てやまぬことだったのだ。
「さあ、帰ろう。国へ、家族へ、俺達の大切な人たちへ、この知らせを届けるんだ」
勇騎士ドミトリーの言葉をきっかけに、勇者達は凱旋への道を歩きだす。魔王の居城ありしレフリコスを人類が去り、山脈を越え、やがて人里に吉報が届けられるのもすぐのこと。
魔王が最期に残した不気味な言葉も、今の人類にとっては些細なこと。遥か昔から続く、魔王と人類の因縁に、この日ひとつの終わりが訪れたのは確かだったのだから。
魔王マーディスの完全なる征伐に、各国が盛大なる宴に溢れたのは言うまでも無い。ラエルカンの奪還を果たしたあの頃は、長きに渡ってさんざん煮え湯を飲まされた魔王に一泡吹かせ、奪われた亡国を取り戻したことだけで、あれだけの騒ぎになったのだ。魔王が完全に討伐され、その脅威が世界から消え失せたことによって得られた歓喜とは、それさえも比較にならずに大きなものだった。
勇騎士ドミトリーは、大いなるその功績を以って衛騎士に昇格。それは騎士団において上から3番目の階級であり、エレム王国の政権を握る王室に足を踏み入れることを許される階級だ。それは政治家でもない戦士が、国の中枢を担う政治のそばに立つことを意味し、それはたとえようもなく誉れ高いことだ。
魔法剣士ジャービルは、この功績を以ってルオス皇帝の側近へ。大魔導士アルケミスもまた、同じくしてルオス皇帝の顧問魔導士となる。帝政にて行われるルオスにおいて、その隣に立つことが公に許されるというのは、絶対的なほどに大きな力を持つことに等しい。ルオス三大名家と呼ばれた、ジャービル属するソルティシア家と、アルケミス属するズイゥバーク家は、世界的にもその名を轟かせる形となり、二人はまさしく家名に錦を飾れたと言えるだろう。
40にも満たぬ年で勇騎士の名を冠した者は、長いエレム王国騎士団の中でも初めての存在だ。その栄誉を授かったベルセリウスも初めは恐縮の至りで、親友のアルケミスに泣き言を言いに行ったことがあるらしい。極めて冷徹、客観的な目線で、人々に敬われる存在となったお前にそんな情けない姿は似合わないと咎めつつ、お前はその地位に恥ずかしくない人間だとベルセリウスに言葉を授けたアルケミス。その一押しもあり、ようやくベルセリウスは勇騎士の名を授かる戴冠式に顔を出したのだが、勇騎士昇格が決まってから何日経ってのことだったやら。
周囲もそろそろ腹を括れよとげらげら笑っていたものだが、勇騎士という称号とはそれだけ重いのだ。騎士団で長らく生きてきて、その歴史を知れば知るほど、歴代の勇騎士という方々はつくづく偉大だから。ドミトリーだって勇騎士の称号を頂いた時には、もう年季の入った年齢であるにも関わらず緊張したし、今は王騎士や近衛騎士、衛騎士の称号を得た騎士団の最上層騎士達も昔はそうだった。ベルセリウスの昇格は確定事項であっても、ベルセリウスの腹が決まるまで戴冠式を延ばしてくれたのは、そういった過去を先人も経てきたからである。
4人の勇者達に与えられた、多大なる栄誉。人類にもたらされた大いなる平安。人の歴史にようやく訪れた時代の節目。エレム、ダニーム、ルオス、そしてやがて蘇るラエルカンの歴史に、深く深く刻まれるこの年の出来事は、人がこの世にある限りいつまでも語り継がれていくだろう。
「ひとまず終わったわね」
「ええ」
歓喜に溢れる魔法都市ダニームにおいて、二人の賢者も柔らかく笑顔を交換していた。先に向けて課題は尽きないものの、今はこの宴をアカデミーから見下ろし、そんな顔をしていてもいい頃だ。
魔王マーディス討伐に向けてのコズニック山脈進軍、その中でさえ姿を現さなかった、魔王マーディスの側近とされた4体の魔物達。後に魔王マーディスの遺産と呼ばれるそれらは、魔王討伐のために動く人間の足止めにも現れず、ラエルカン奪還の日から姿を見せていない。それらの討伐は勿論やがては為されるべきことであるし、宴の中でも各国の頭はそうした未来へと目を向けているだろう。
完全に一度滅ぼされて廃墟となったラエルカンも、やがて復興していかねばならない。かつての崩壊で、無数の無念の魂がさまようことになったあの地を浄化することに始め、人を再び集わせて一つの国としての形を整えることは大変だ。時間もかかるし、金もかかってくる。アユイ商団などのラエルカンを主戦場にしてきた財団の協力要請もすでに始められているし、そこから具体的にどのような政策を組んでいくのかも話を纏めていかなければならない。何事も常にそうだが、何かを果たした後に、その過程で失ったものが大きければ大きいほど、息をつく暇もなくその後が忙しい。
「まだまだ苦労は絶えないでしょうけど、何とかなるでしょう。一人でやるわけじゃないんだから」
「ふふふ、そうね」
途方もない未大願を叶えていくために、一人の人間が出来ることなど限られている。だから人類は、力を合わせて大きなことを為そうとするのだ。無数の人々が安寧のもと暮らせる、国家というものの存在自体が、過去を含めて多数の人々が、人の世の平定を望み叶えてきた結晶であったように。魔王マーディスという、どうしようもなく強大な存在を、受け継がれてきた遺志と今を生きる人々の力が討ち果たしたように。
人類が力を合わせれば、一人では叶えられないような大きなことも叶えられる。歴史がそれを証明してきたのだ。魔王マーディスの討伐という夢を果たしたばかりの人類にとって、叶えられない未来などないと信じ、希望を胸に歩いていくことなど容易いものである。
「あなたはひとまず、ラエルカンの復興に?」
「……良くないかな、もしかしたら」
「馬鹿なことを気にしなくていいわ。あなた以上にそれに適した者はいないんだから」
今や魔法都市ダニームの賢者という名を預かったルーネは、公にも認められた魔法都市の要人だ。政にも携わるようになった彼女は、己の行動に公平性が必要なのではと考えてしまうこともあるが、エルアーティの言うとおり、ラエルカン復興の先導者に相応しい者など他にいない。かの地に生まれ、今やダニームの人々を率いる敬意を集めた彼女がやらずして、誰がそれを導くべきというのやら。
「よく思い出して努めなさい。あなたが生まれたかの国を、あるべき形に取り戻していく道へとね」
「――うん! ありがとう、エルア!」
親友の後押しで迷いの晴れたルーネは、任せてとばかりに胸を拳で叩いた。身体能力強化の勢い余ってかなりの力が入ったらしく、自爆のダメージに咳き込むルーネには、エルアーティも吹き出してしまう。本当に、学者ないし戦乙女としての姿以外では、見た目どおりに頼りない親友だなと。
「大工仕事を手伝う際、力んで柱を折ったりしないようにね?」
「あ、あはは……頑張る……」
無表情使いの偉大な魔女も、祖国を一度滅ぼされた哀しき過去を持つ賢者も、同じ明るさを見据えて忌憚無き笑顔を綺麗に共有できたこの日。魔王マーディスに苦しめられ続けてきた人類が、溢れる希望に前を向けたこの年。そして、無念の元に世を去った無数の魂が、人知れず報われて救いを得たこの時代の変わり目。
人類は生まれ変わることを許された。理不尽な魔王の支配から逃れ、その足で自由を歩き始めたのだ。




