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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第11章  三十年間の叙事詩~オデッセイ~
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第176話  ~12年前② 九分九厘の終戦~



 ラエルカン城の上空を舞い、空中戦を繰り広げる剣士が二人。緩急自在、軌道も自由、子供が落書きを描く筆先のように、空中座標を飛びまわる黒騎士は、敵対する聖騎士と何度も剣を鳴らす。


 聖騎士ベルセリウスは翼を背負う魔法を使えない。空を蹴り、空中を走り、跳ぶことが出来る魔法を対空戦用に習得しただけであり、決して自由自在に空を舞えるわけではない。空中姿勢のアドバンテージは圧倒的に黒騎士ウルアグワが握っているこの対決で、まったくの互角で戦うベルセリウスは、地上で対等な剣技を競うなら間違いなく競り勝っている。


「私なんかに構っている暇があるのかね?」


「それが僕の使命だ!」


 ベルセリウスの横薙ぎの剣を急下降で回避したウルアグワは、振り上げた剣でベルセリウスの(すね)を狩る一閃を放つ。しかし一手早く、空中を蹴る魔力によって上昇したベルセリウスはそれを回避。跳び幅も最小であり、すぐに地上へと吸い込まれる体は、最速でウルアグワに迫る形を為し、一気に首を引いたベルセリウスは頭を下にして手を伸ばし、真上からウルアグワに斬りかかる。


 横に我が身をずらしたウルアグワが、ベルセリウス目がけて突きを放つのも速い。空を蹴ってウルアグワから離れる方向に離れて回避したのち、体を回して足を下に、跳び上がったベルセリウスはすぐにウルアグワと高度を等しくする。そして地上を駆けるかの如く空を突っ切り、僅か身を引く方向に退いたウルアグワと、騎士剣を衝突させて火花を散らす。


 鉄仮面の奥、ウルアグワの表情は見えない。もしかしたら聖騎士ベルセリウスを、その手で足止め出来ていることに、内心喜んでいるかもしれない。それでも迷わず、足場をその空中に固定して連続の剣技を放ち、ウルアグワを攻め立てる。ウルアグワが後方に逃れるなら、一秒も迷わずに詰め寄って、とどめを放つための剣を振るう。


「私が不死であることは知っていように、無駄な足掻きだな」


 ベルセリウスの剣が黒騎士ウルアグワの側頭部に直撃した瞬間、その鉄仮面が首から離れて飛んでいく。頭を失った騎士鎧は怯みもせず、握った剣を突き出してくる。構えた剣の側面でそれを受けるという、針の穴を通すような防御を為すベルセリウスは、その力に押されて後方に飛ばされるが、すぐに飛ばされた方向に足裏を向け、空を蹴って体勢を整える。


 ウルアグワの首から離れた鉄仮面は空中を舞い、甲冑のすぐ横に浮遊している。ベルセリウスだってよく知っている。ウルアグワの鎧や仮面の中は空洞で、あれは肉体を持たない存在であると。討伐方法さえ解き明かされていないウルアグワの足止めに、聖騎士ベルセリウスという大駒を割いて行うことは、人類にとっての大きなロスだと言えるかもしれない。討てねば意味が無い。


 それでもベルセリウスは我が道を信じた。師と共通する、黒騎士ウルアグワの本質に対する見解。たとえこの場で討てずとも、黒騎士ウルアグワを引き止めることは、人類にとっての大きな救いになるはず。迷わない聖騎士は、頭と体が分かれた漆黒の悪魔に向かって猛然たる突撃。ラエルカンに突入してから数時間、黒騎士ウルアグワと対面してからのずっと、執拗にこの魔物を逃がさないベルセリウスは、再び永遠とも思えるような戦いに踏み出していく。


 感情を見せないウルアグワ。だが、その内心では密かに、正しき戦いを誤らずに遂行するベルセリウスに対する認識を改めていた。この人物こそが、我が陣営にとっての最大の天敵であるのだと。






「っ、ジャービル様……!?」


「……すまない。取り逃がした」


 決して誰も近付いてはならぬと、指揮官ジャービルが命じていたラエルカンの一角。魔将軍エルドルと魔法剣士ジャービルが交戦するバトルフィールドは、まさしく部外者不在の聖戦域だった。その区画から、よろめく体を飛翔させ、逃亡の飛空を為すエルドルの姿を見受け、ようやくここへと駆けつけた帝国兵達。燃え盛る廃墟に立っていたルオスの英雄の姿は、今まで彼らが一度も見たことのなかったような、魔法剣士ジャービルの姿だった。


 いかなる魔法も受け付けない魔力を纏うはずの彼が、焦げてぼろぼろになった軍服の下に、焼けただれた肌をいくつも露呈させている。戦うための魔力を、我が命を繋ぐために注ぐジャービルは、いつ力尽きてもおかしくない体を、その両脚で支えていた。この戦争が終わったわけでもないのに、サーベルを鞘に収め、これ以上戦う力はないと無言で主張するジャービルに、ルオス軍の佐官であるジャービルの部下が駆け寄る。


「エルドルは……?」


「……奴はまだ余力を残している。全軍に、あれを追わぬように令をかけろ」


 ジャービルの溶熱サーベルの一撃を何度も受け、全身を切り刻まれたエルドルは、憎く生意気な人間に見切りをつけ、口惜しげに逃亡の翼を開いた。追撃したジャービルも、最後の最後まで諦めなかった。だが、エルドルの反撃魔法、生存への意志をその精神から搾り出したエルドルの魔力は、ついにジャービルの守りを貫き、彼の膝を地上に落とさせた。活路を得たエルドルは復讐をその胸に深く誓い、ラエルカンの空を駆ける逃亡兵となる。


 追撃してあれを討伐できる戦力が、この大戦争の末にどれほど残っているだろう。最後の逃亡のために魔力を残したエルドルを追っても、犠牲者が増えるだけだ。人類陣営は確かに圧倒的優勢だが、魔将軍エルドルのような怪物を、確実に討てるほどの余力はない。正しく分析しようとすればするほど、今のエルドルを追撃し、最善の結果を実現させられる可能性は、確実なリスクに対してあまりに小さすぎる。


「……制圧軍を除き、撤退命令を出せ。あとはエレムやダニームの方々に任せよう」


「――了解!」


 大局は決した。魔法戦士ジャービルの確信するとおり、あとは残った人類陣営が、魔物達の親玉を討伐してくれるはずだ。疲れを忘れて戦い続けた兵を、生存への道へと導き、魔法戦士ジャービルは撤退の道を歩いていく。


 討伐こそ果たせなかったものの、魔将軍エルドルという魔王軍の大駒を落としたことは、間違いなくこの戦における人類の優勢を確固たるものにした。欲を望まなくていい。充分な結果だった。











死火山の霧(クリメイションミスト)


土属性結界(アースサラウンド)……!」


 火術と水術の複合魔法、その極みをアルケミスが発動させた瞬間、空の百獣皇アーヴェルを襲う熱蒸気の嵐。自らを中心に、それらに抗う土属性の魔力を勢いよく拡散させたアーヴェルは、土克水の理に則ってアルケミスの水の魔力を打ち消し、熱の魔力を受け取ったアーヴェルの魔力が無数の岩石を生み、結果として無数の岩石がアーヴェルから各方向へ放たれる魔法を顕現する。


 炎の魔力は土の魔力を高める触媒となり、土の魔力は水の魔力にせき止め、強く抗える力を持つ。魔法属性が持つ特性を網羅し、敵の魔法を次々に防ぐアーヴェルの手腕は、大魔導士アルケミスの目線にも大した魔導士だと映る。生存目指すことに頭がいっぱいのアーヴェルに対し、敵の動向をしっかり見張るアルケミス。両者の余裕の差はかなり大きい。


思念の渦(サイコストーム)……!」


 熱蒸気が飛び交う空中において、魔力の風は密度の高い水蒸気に遮られて正しく吹きすさばない。それを打破すべくアーヴェルが放った風は、熱蒸気の壁に次々と風穴を開け、空域内の風通しを一気に良くする。そうして制空権を取り戻さなければ、後々が苦しい。


 空域にて飛び回るアーヴェルに向け、追撃するアルケミスの魔法砲撃の数々。炎、水、風、稲妻。他種の魔法を使いこなし、あらゆる角度から直撃が死に直結する破壊力の魔法を撃ち込んでくるアルケミスに、アーヴェルも焦りが止まらない。自身もこの空域に、無数の風を詠唱なく召喚し、迫りくるアルケミスの空中軌道を不安定にさせるが、アルケミスの猛撃は止まらない。しつこ過ぎる。


「高き空……! 浮世に降り立ち、力を顕せ……!」


 それでもようやく両者の距離は開いてきた。勝負を賭けたアーヴェルは、ずっと背を向けて逃げ続けてきたしばらくを一新して振り返る。前詠唱を用いてまで唱える百獣皇の大魔法は、すでに上空に居座る巨大な雲を渦巻かせ、アルケミスも危機感をその胸に抱かずいられない。


積乱雲爆弾(ウェザーブレイク)!!」


 直後、空の上にある巨大な雲の一部がはじけ飛び、無数の水の集合体となって地上に勢いよく落ちてくる。水の集合体は落下の勢いによっても発散せず、百獣皇の魔力によって凝縮体となった水の塊が、次々と地上に降り注ぐ。"一粒"がまるで大岩石のような巨大さ、そして凄まじい質量を持つ水の塊は、地面にぶつかった瞬間に、隕石が地を砕くようなクレーターを残していく。まるで悪夢の流星雨のように、地上へと降り注ぐ水の爆弾は、アルケミスの進行経路を遮り、大地を次々傷つけていく。


 身を翻したアーヴェルが、今こそ最後の好機とばかりに加速して、アルケミスから離れていく。この世の終わりの光景のごとく、天から無数の水爆弾の弾幕が降り注ぐ中、大魔導士アルケミスは防御結界を自らの周囲に張って追おうとする。だが、結界に衝突した水爆弾の威力は凄まじく、結界が軋んだ実感にアルケミスも追撃をやめ、回避と防御に専念して追跡を中断する。百獣皇は南の空へと消えていく。


 十数秒にも渡る、水の爆弾が降り注ぐ地上の地獄。それがようやく勢いを弱め、アルケミスの眼前から百獣皇が逃げおおしたその時、真上の空は真っ青に晴れて雲を失っていた。天候一つさえも描き換えてしまうアーヴェルの大魔法は、ようやくもって百獣皇をアルケミスから逃亡させることに成功したのだ。


 遠き空で、百獣皇は今頃胸を撫で下ろしかけ、最後まで油断はするまいと警戒心を研ぎ澄ませているだろう。大魔導士アルケミスは追いかけることの無意味さを悟り、ふっと小さく笑う。目的は果たした。ラエルカンの空から消えた百獣皇を尻目に、アルケミスはラエルカン城へとその身を翻した。






列砕陣(れっさいじん)!!」


地雷針(じらいしん)……!」


 両者は技も、戦い方もよく似通っている。距離を取った両者の魔力が地面に触れた瞬間、それを起点に地面を走り始めた衝撃波は、双方の中間点で激突する。地表をめくり上げながら爆進する衝撃波の衝突は、その場の地面を火薬で爆ぜさせたように天高くまで吹き飛ばす。


 頭から流れる血に片目を塗り潰されたルーネ。粉々に砕かれた全身の骨を筋肉で縛りつけ、壊れかけた肉体を酷使して構えるディルエラ。ルーネを支える援護射撃を繰り返してきたエルアーティのみが無傷のこの戦場で、彼女も一切の予断を見せない。決着は近付いている。両者の限界は見て取れる。


 拳に魔力を集わせた両者が、ほぼ同時に地を蹴った。我が身滅ぼうとも未来を。この一撃にしてすべてを奪い尽くさんと。


華絶滅砕掌(かぜつめっさいしょう)!!」


撃滅裂衝破(げきめつれっしょうは)!!」


 戦乙女と獄獣の距離が詰まったその瞬間、二つの掌底が激突した。両者の最終奥義、その掌に宿る魔力はいずれも、今の互いに決定打を与えるものだ。そしてその魔力は相殺せず、両者の肉体に勢いよく突き刺さる。


 ああ、終わった。獄獣ディルエラの片腕を、己が奥義が完全に使い物にならなくした実感。同時に獄獣の凄まじい魔力が、我が身を破壊する一瞬前を実感する。勝利と引き換えに、最強たる獄獣の撃破。成し遂げたルーネは、修羅のような眼差しだったその瞳に、最後の最後、聖母のような柔らかさを抱いた。


遅延(ディレイ)……!」


 ルーネとディルエラが接触したその瞬間、まさにコンマ1秒の差異もない絶妙なタイミングで、真横からルーネの肉体を突き飛ばした者がいる。箒に座り、最高速度で滑空していたエルアーティが、我が身を自らルーネに激突させ、ともに地面へと転がり込む。その瞬間に発動した魔法は、ルーネの肉体を貫き滅却させようとしていた獄獣の魔力を縛り付ける。結果としてルーネは、獄獣の魔力に我が身を貫かれずして、地面に倒れる形となる。


大地炎熱(マグマクエイク)……!」


 華奢な肉体を地面に打ちつけながら、エルアーティの眼差しはしっかりと獄獣に向いている。直後唱えたルーネの魔力は、ルーネの一撃で右腕すべてを粉々に粉砕された獄獣の足元の地面を、突如にしてひび割れさせる。ぐらついた獄獣の足元、地面の割れ目から吹き出す灼熱の溶岩は、あっという間にディルエラの全身に襲い掛かる。


「ッ……爆閃(ばくせん)(だん)……!」


 瞬時に両脚の力を抜いた瞬間、一瞬獄獣の体が地を離れる。瞬時に両脚に力を込めたディルエラは、跳ばずして地面を蹴り砕く一撃を演じ、同時に発動した獄獣の足裏が、大爆発を実現させる。それはエルアーティの魔力と溶岩をも吹き飛ばし、ルーネとエルアーティをも爆風で吹っ飛ばす。


 体の強さはまったく自慢にならないエルアーティだが、吹き飛ばされた先に魔力で招いた箒が、ぴったり彼女の腰と尻に添えられる形に収まり、衝突の瞬間に衝撃を和らげる魔力とともにエルアーティを守る。即座に箒の上に座った正姿勢を取り戻したエルアーティの一方、ルーネは地面を転がって、叩き付けられ、獄獣から離れた場所でようやく止まる。


列砕陣(れっさいじん)……!」


 だらりと落ちた右腕の逆、活きた左腕で地面を殴りつけたディルエラが、ルーネの方角へと衝撃波を走らせる。瞬時に両者の間に舞い込んだエルアーティが展開した魔力は、ルーネを襲う衝撃波と相殺し、彼女を生命の危機から守り通す。後ろのルーネは、今ようやく立ち上がったところだ。


「負けだ……! てめえのことは、生涯忘れねえ……!」


 後方上空に跳躍した獄獣は、崩落しかけた廃墟の屋上に着地する。みしりと廃墟が軋んだ直後、それが崩れるよりも早く地面を蹴ってさらに後方へと跳ぶディルエラ。2度目の着地の瞬間にはすでにルーネに背を向けて、そのまま駆け出し逃亡する流れの始まり。重低音を響かせるディルエラの逃走音は、だんだんと遠く離れてやがては聞こえなくなってしまった。


 立ち上がりはしたものの、終局に力尽きたルーネは体を傾け、半身に地面に倒れてしまう。まるで突然、立ったまま生命が断ち切られたような倒れ方に、エルアーティも思わず振り向いて近付く。身体能力強化の魔力で己が生命を支えられるルーネに対し、同色の魔力を注ぎ込むエルアーティが、間接的にルーネの命を繋ごうとする。箒を降りて、仰向けに寝させたルーネの胸に掌を当て、エルアーティは全力の魔力を流し込む。


 呼吸しているのかどうかさえ、耳では聞き取れないルーネの吐息。上下する胸の動きだけが、唯一彼女の生命活動を肌で感じ取れる要素だ。だが、確かに生きている。我が身をずたずたにされながら、魔王軍最強の獄獣に立ち向かったルーネは、それを退け確かな勝利を勝ち取った。この戦場にルーネが訪れなかったら、いくつの命が獄獣ディルエラに奪われていただろう。


 失ったものは何もなく、勝利への道だけを開いたその結果。お疲れ様、とエルアーティが微笑んで言い述べた姿に対し、虚ろな瞳をルーネは向け返し、確かに小さく笑ってくれた。


 ここは戦場。獄獣去れども魔物は闊歩しているのだ。二人の小さな人間が地面に伏した影を見据え、遠方から一体のケンタウルスが突進してくる。たとえ魔王軍の劣勢色濃きこの状況でも、敵を討ち取らんとする魔物達の殺意は絶えない。


 あと十歩ぶんも駆ければ二人を踏み潰せたであろうというところで、突然それは起こった。ケンタウルスの首が突然に切断され、頭を失ったケンタウルスの体が地面に崩れ落ちる。そこで一体何が起こったかなど、第三者が傍から見ていてもわからなかっただろう。だが、それは確かに起こったことだ。


「ゆっくりお休みなさい、ルーネ。あなたが立ち上がれるようになるまでは、私が守ってみせるから」


 "要塞のエルアーティ"と呼ばれた大魔導士の真骨頂は、敵陣ど真ん中のここで動かずとも、決してあらゆる殺意を近寄せない。エルアーティから魔力を受け取り、我が身の崩壊を阻んで命を繋ぐルーネは、頼もしくも優しい笑顔を向ける親友と目を合わせる。


「エルア……私、やったよ……」


「ええ」


 崩れ果てた廃墟の中心の安らぎ。14年来の果てにようやく辿り着いた答えだ。憎しみを忘れ、望む平安を目指す意志の力のみで、あの日敗れた怪物を破り、泰平への道を確かに拓いた。踏み出したこの道は、きっと間違っていなかったのだ。滅びた祖国の真ん中で、かつて失った日々が一瞬脳裏に蘇ったルーネは、空の下にて一滴の雨をその瞳から流した。











「――ドミトリー様!」


 ラエルカン城の内装をよく知る法騎士クロードは、勢いよく玉座があった謁見の間に駆け込んだ。無数の魔物を仲間達とともに撃破し、魔王の居座るその死地へと参入した形だ。


 目の前に飛び込んできたのは、いくつもの騎士達の亡骸。そしてその真ん中で、肩で息をする勇騎士ドミトリーの背中。魔王を討つべく突入してきた騎士達を、迎え撃つであろうはずだった魔王マーディスの姿が見えない。


 クロードの目の前で、背負った巨大な鞘に大剣を収めるドミトリー。それは騎士なる者が、戦いの終わりを意味する所作に他ならない。目を瞠ってしまいながらも、ドミトリーに駆け寄ったクロードの前、勇騎士の体で隠れていた新たな光景が目に映る。


「これは……!?」


「……終わったんだ。魔王マーディスは、この手で討ち取った」


 魔王が身につけていたと思しき、黄金の兜。巨人が頭にかぶるためのものではないかと思えるほど、巨大な兜のその脇に、これもまた黄金の鎌が落ちている。血に染まって鈍い光沢を放つその鎌は、今しがたまで魔王の手の中で、騎士達を葬る武器として使われていたのだろう。


 魔王の姿はここにはなく、黄金の兜と鎌、ずたずたに引き裂かれた漆黒の衣だけが床に落ちている。それは魔王の巨大な姿を思わせるものであったが、その肉体は忽然と消えていた。ドミトリーが後に語るには、魔王マーディスの心臓を切り裂いたその瞬間から、魔王の肉体は黒い霧に変わっていくかのように、消えてしまったという。


「さあ、帰ろう……! 魔王マーディスは討伐した! 俺達の勝利だ!」


 数多くの同士たちの屍の真ん中で、悼む心を抑えてクロードに力強い声を放つドミトリー。そう、彼が口にしたとおり、第二次ラエルカン戦役は終わりを告げたのだ。人類の勝利と、魔王の討伐を以って。そして未だにラエルカンの各地で戦っていた魔物達が、主を失ったその瞬間、踵を返してラエルカンから次々に逃亡していく様を以って。


 生き残った兵達はみな、勝利の雄叫びをあげる体力も残っていなかった。総力戦の末に幕を閉じた死闘は、終えてすぐにその実感に拳を握れるものではなかったのだ。それだけ、苦しい戦いだった。
















 この日のひと月後、エレム王国でも、魔法都市ダニームでも、魔導帝国ルオスでも、国を挙げての盛大な祝宴が上げられたものだ。のちに魔王マーディスの遺産と呼ばれる、4体の魔物達は未だに世のどこかに逃げ延びているであろうし、油断はできなかったから、傷の癒えた戦士達は酒宴にも参加できずに哨戒任務だったりと、世知辛い光景もちらほら。それでも、一度ラエルカンを奪われた人類が、魔王を撃退した末にかの国を取り戻した事実には、三国ともども天まで届くような歓喜に包まれていた。


 勝利した末の凱旋時、祖国を奪い返した法騎士クロードが大泣きしていたことも、この日の宴会では散々ネタにされ、からかわれる種になった。あのひよっこがよくここまで、と、先輩のドミトリーに賛辞を貰ったベルセリウスは、年甲斐もなく無邪気に喜んでいた。妻と生きて再会した聖騎士ゲイルは、宴会には参加せず妻子とともにその日を過ごしていた。戦役当日には、祖国で上官の帰りを待っていた騎士達、ダイアンやスズも、生きて帰った隊長と再び平穏の席に並べることを喜び、ナトームもこの日ばかりは柄にもなく、部下を喜ばせるために戦場での成果を誇らしく語って演じる口を見せた。


 人付き合いの広い上騎士ラヴォアスは、ルオスに赴き魔法剣士ジャービルへの敬礼に始まり、部下ともども酒場に繰り出して大騒ぎだったという。なかなかジャービルもいける口を持っているらしく、豪傑酒場の親分のラヴォアスと、平然と多量の酒を並び呑んでいた。生まれた国が異なっていたのは勿体ない縁だったとか、それでも出会えた巡りは幸運だったとか、さぞかし両者お互いのことが気に入ったらしい言葉を交換し、実に気の合う酒の席だったらしい。


 そんなめでたい国の騒ぎも意に関せず、帝国城の自室にて一人で研究に没頭していたアルケミスもまあ、相変わらずだと周囲に言われていた。ただ、アルケミスの部屋の扉を叩き、優しい父のような笑顔で彼の活躍を褒めに参じた、ルオス皇帝ドラージュの姿には、そんなアルケミスも柔らかな笑みを返したらしい。


 ルオスのセレモニー会場にて、功労者の一人として演説台に昇ったアルケミス。"父のように私を見守り、迎え入れてくれた皇帝様に報いられたことは、我が人生で最大の誉れである"。たった一文述べただけで演説台を降りてしまったアルケミスだったが、日頃寡黙で知られる彼が、誇らしい表情でそれを述べた非日常は、英雄の長い言葉を期待していた民衆の心をも掴んでみせた。それだけアルケミスの姿は気高さに満ちたものであり、人間離れした天才もやはり人なのだと感じられるだけの心を見せたのだ。


 獄獣との戦いの末、長く寝たきりの状態で体の傷を癒していたルーネも、喜びに満ち溢れるダニームの華やかな街を無理して歩き、平穏なる世界の貴さで胸を満たしていた。そんな彼女の手を引いて、全快したわけじゃないんだから、とルーネの体を支えるエルアーティの姿もまた、日頃人を寄せ付けない賢者様の普段のそれではなかった。まあ、これを好機にと近付こうとした学者達は、ルーネとの時間を邪魔されたくないエルアーティの冷たい瞳に切り捨てられていたが。


 亡国ラエルカンの再建の段取りもその裏では進められ、明るい未来はすぐ目の前にあるとされていた。完全なる、永遠の平和など、決して容易に叶えられるものではない。だけど今目の前にある幸せは、まるでこれが永遠に続いてくれるのではないかと思えるほど輝かしく、終わらない眩しい夢の世界のようだった。


 14年の、苛烈な時代を乗り越えて勝ち得た平穏。それは人々の心を、どんな酒にも勝って酔わせ、干ばつの末の慈雨にも勝って心を潤した。






 ただ、完全に終わったわけではなかったのだ。確かに平和は勝ち取られ、長く続いていく平穏が目の前に広々と敷かれている。しかしそれを確たるものにするため、あと一つ大きな仕事が残っていたことは、長らく安寧に酔う人々に伏せられていたことだ。


「わかるわね? 私の言いたいことは」


「存じています。魔王マーディスは完全に死を迎えたわけではない」


 ラエルカン奪還のあの日から半年も過ぎたこの頃、極めて極秘に魔法都市ダニームのアカデミーに招かれた聖騎士ベルセリウスは、賢者エルアーティの自室にてその預言を授かっていた。突きつけられる真実は、エレムでも、ダニームでも、ルオスでも、ごくごく一部の上層戦士や参謀格だけが意識していた、最後の難問だ。


 あの日ラエルカンにてベルセリウスと戦い続けていた黒騎士ウルアグワ。魔王討伐のその瞬間、鎧ごとバラバラになって地面に落ちてしまった、不死と呼ばれていた怪物だ。動かなくなった空っぽの甲冑と兜、騎士剣が地面にたたずむ光景は、勝利の実感とともに何か嫌な胸騒ぎをベルセリウスにかき立てた。賢者の言葉に耳を傾ける今、あの粘りつくような予感は、それが正体だったのだろうと思わずにいられない。


「コズニック山脈の最奥地、かつて魔王マーディスの居城ありし場所。魔王の本質は恐らくそこにある。ラエルカンで討伐した魔王マーディスは、魔王でありながらもそれそのものではない」


 魔王とは何なのか。それを深く究明し続けてきたエルアーティは、この日すでに一つの結論を導き出していた。死に絶えたように見えて、未だ魔王そのものはこの世から消えてなどいないことを、ここまではっきり確信していたのは、世界じゅうでも彼女だけだ。


「魔王の真を滅却し、マーディスの影がちらつくこの世界に光をもたらす。付き合って貰えるかしら?」


「勿論です」


 本当の終わりに向けて。魔王マーディスと人類の、長い戦いの歴史に終止符が打たれる日は、ラエルカンの奪還を皮切りにいよいよ近付いていた。

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