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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第11章  三十年間の叙事詩~オデッセイ~
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第172話  ~22年前 魔法学発展形~



「――アーヴェル様」


 元人里の図書館で、耳を爪先でほじくりながら座って読書に耽る百獣皇に、後方から近付いた大柄な魔物が語りかける。よほど目の前の書物に興味があるのか、しっぽをぶんぶん振って話しかけるなと背中で語るアーヴェルには、さしもの屈強な魔物もどうしたものかと悩む。大事な話があるのだが、邪魔をすれば気難しい百獣皇はすぐへそを曲げてしまうから。


 獅子面の大柄な魔物は、あぐらをかいた百獣皇の前にまで回り、そこで腰を降ろした。実際問題、自分達の大将がここまで人間の作ったものに興味を示す姿というのは興味深い。


「何をお読みに?」


「ん、ノエルか。人間どもの書いた魔法書ニャ。どれもこれも(それがし)にとっては屁みたいな魔法ばっかだけどニャ」


「それにしては熱心に目を通されているのですね」


「人間どもが魔法を行使するにあたっての根幹にある、魔法学ニャるものは興味ぶけーからニャ。某も新しい魔法は開発していきてーし、知識パクっといて損はねーだろ」


 人の言葉を理解する魔物は少なくもないが、識字する魔物となれば相当に珍しい。人里を制圧するたび、人間の蔵書に目を通すことの多かった百獣皇アーヴェルの姿勢というのは、側近たる獅子面の獣人ノエルも変わり種だと思っていたものだ。事実として、百獣皇アーヴェルが占拠した人里で、書物に目を通す習慣を持っていることなど、この後数年に渡っても人類の想像に及べたものではなかった。


「さすが人間どもの大きな都だっただけあって、ここラエルカンの魔法書はしっかりしとるニャ。小難しい単語が多くて敷居は人間どもにも高そうだけど、下知識さえしっかりしてるなら、流石学者向けの蔵書だけあって学べることも多いニャ」


 この日より4年前の侵攻によって、魔王マーディスが居を構える魔境となってしまった亡国。魔物達が山岳や洞窟と同じように、廃墟となった城下町を闊歩する姿に、かつての光溢れる皇国の名残はどこにもない。コズニック山脈よりもより人里に近しい場所に魔王が拠点を構え、兵力を放って人里を侵攻していた暗黒時代は、長い歴史の中でも人類にとって最も苦しかった時期の一つだ。


 皇国ラエルカンの首都は、渦巻く血潮の技術を施行していた魔導研究所が存在していたように、学問書に不自由しない地だ。ここを占拠し、高度な魔法書に目を通せる日々は、知識欲の強いアーヴェルにとっては垂涎ものである。人間の若い学者では意味を理解することも難儀するような魔法書をも読み解き、そこから魔法の行使、発現に活かしていく百獣皇の生き様は、人類も顔負けの頭を持っていると言えるだろう。


「命の三大元素である肉体と精神を繋ぐ、もう一つのものが霊魂。その霊魂にはたらきかけ、精神を具現化したものが魔力。その魔力で為す、本来の世界の(ことわり)に反したことを発現させたものが魔法、と定義されるニャ。この話は前もしたっけニャ?」


「その理論が随分とお気に入りのようですね。何度も聞きました」


 ノエルとしては、それが何だという気分である。自身も魔法は使えるが、その行使に対するメカニズムなど興味も無い。使えればそれでいいだろう、という考え方はごく普通のものだ。だが、蔵書を読みふけってアーヴェルが辿り着いた新しい結論は、人間の語る魔法学の真骨頂にさらに近付いたものへ更新されていく。


「要するに魔法っつーのは、術者の精神に強く依存するものということニャ。たとえばノエル、お前は攻撃的な性格をしているよニャ? お前の得意とする魔法――お前は技だって言ってるあれニャ?」


「まあ、広義で言えば魔法でしょうね」


 百獣王ノエルと呼ばれたその魔物の爪は、離れた場所に立つ敵をも鋭く切り裂くことが出来る。ノエルはそれを魔法と認識したことはなかったが、百獣皇の言うとおり、触れずして敵を切り刻むあの技は、魔法と定義して差し支えないだろうとも思う。


「あれは、お前の精神に依存する魔法ということニャ。逆らう奴らを切り裂くことを望むお前の攻撃性、同時にお前の、危機に接近せず、安全なところから脅威を切り捨てたいという、臆病さをも表したものであると言えるニャ」


「……アーヴェル様と同じですね」


「そうだニャ。某も、離れた所にいる敵を撃つ魔法ばっかだしニャ」


 臆病と言われたのが面白くなかったか、ノエルが軽く皮肉を返してしまったが、アーヴェルは特に意に介した様子もない。アーヴェルは元々、死にたがらずの自分の性格を、公言するほど自覚している。


「言い換えれば、魔法の在り方を見れば、術者の精神模様や性格が透けるということニャ。某は昔から、魔導士相手の戦いには自信があるけど、それは相手の魔法を見れば術者の性格を絞り込めるから、先の動きが読めることに由来するニャ」


「理屈はわかりますが……」


「まあ、それを体系立てて説明できるほど某も対魔導士の戦術論をひとつに括れるもんじゃねーニャ。言ってても、感覚的なもんで掴んでるだけだからニャ」


 魔法学を深く嗜む人間の魔導士でも、魔法から敵の手筋を読める魔法使いなど極めて稀なことである。それは決して書物にセオリーを纏められるような学問ではないし、その時々によって変わる敵の像を、一般式にまとめるような戦術論で括れるはずがない。


「戦場は基本的に一期一会、敵が死ぬか自分が死ぬか。基本的にこの手の学問が、ひとつの敵に対して深く掘り下げられる必要性は薄いニャ。だが、某やお前、ディル公やウル公やエル公は違うニャろ。人類と何度も交戦し、こちらの手筋を研究されていくと同時に、連中も某らのような息の長い敵には研究を欠かさない。そして某の癖が、性格に基づき、魔法の在り方にまで紐解かれることあらば、それは某の魔導士としての命に関わる危機となる」


 敵に手の内が割れたまま戦場に参加することは極めて危険なことである。特に百獣皇アーヴェルのように、名高く、討伐が急がれるような者にとって、それはいずれ致命的な結末を招きかねない。


「だから魔法を行使する者は、"虚偽(フェイク)"を魔法に組み込んでいかねばならんニャ。愚直に魔法を行使することは精神の露呈を招き、内面と戦い方を敵前に晒し続ける引き金。ゆえにこそ魔法にいくつもの虚偽(フェイク)を織り交ぜることが、己の本質を隠す不可欠の手法となるニャ」


「アーヴェル様も虚偽(フェイク)を?」


「勿論ニャ。速度と効率、危険の回避を何よりも優先する某が、己の心に素直にして凶兆月(バッドムーン)のような接近戦用の魔法を使うと思うか? 鮮血空間(エルスカーレット)のような、敵に近付かなきゃいけないリスクを伴う魔法を好むと思うか?」


 本音を言えばアーヴェルは、敵に一切近付くことなく戦いたいのだ。それでも敢えて自らを死地に飛び込ませるような魔法を行使することが、百獣皇アーヴェルはそうした戦い方も出来るという面を人間達に見せつけ、対処のしように幅を持たざるを得なくさせる。それはあくまで表面上の狙いであり、本質は己の魔法が体現する自らの精神を、魔法の真髄を煙にまくことが目的でもあるという。


「人間どもの中でも、これを実践している者は極めて少ない。短命の人間どもは、限られた時間の中で、得た魔法を極めることに躍起になりがちニャ。特にこうした、魔王様が闊歩する時代においては、力こそが最も求められ、求めたいもの。人間達が本質隠しに虚偽(フェイク)を積む余裕がなく、愚直な魔導士ばかりが生まれるのは、某らにとっては幸運なこととも言える」


 もっともその幸運を実感するのは、百獣皇アーヴェルのようにその本質を知れている者だけだ。だからこの魔法学を教え広め、配下を強化したいと日々思っているアーヴェルなのだが、人類を舐めくさっている魔物達はなかなかこれを覚えてくれない。身体能力や魔力で勝っているからといって、人間どもを見下していればいつか足を掬われるぞと言いたいのだが、元帥たる魔王マーディスさえもが人間のことは侮っているようだし、悪い予感を抱きながらももうアーヴェルはそれを諦めている。


「だが、たまにいるんだよニャ。この戦乱の時代マイペースに、そうした戦う魔導士としての欠かせぬ心得を実践してやがる物好きが。昔ダニームに乗り込んだ時、そんな奴がいたニャ」


「紫の?」


「確か人間どもにはエルアーティって呼ばれてたニャ。あの名前はもう忘れんニャ」


 ノエルも心当たりを感じられたのは、魔法都市ダニームへの襲撃を試みたアーヴェルが、とある魔法使いとの戦いの末、二度とあれとは戦いたくないと強く主張したからだ。確かに地上から見ている限りでも有力な魔法使いだとは見えたが、危機的な状況に追い込まれた瞬間があったわけでもないのに、アーヴェルがそう主張していたことは、ノエルにとっても意外な想いだった。


「奴は敵の魔法を打ち消す秘術を行使していたニャ。敵の魔法を打ち消すことは、理屈は単純でも極めて難しいことニャ。某も、今は慣れた手つきで雲散霧消(ディシュペイション)の魔法を使うけど、あれって結構複雑なもんなんだぞ?」


 敵の魔法を打ち消す魔法を得意とするアーヴェルだが、そのためには、敵が放つ魔法の術式や構造を即座に判断し、それに対する対抗魔力を瞬時に練る必要がある。魔力を練る技術には不自由していないが、敵の魔法を瞬時に読み取るのが難しい。口で言うほど簡単な話ではない。


「エルアーティは、魔法が術者の精神に依存しているものであることを知っているんだろうニャ。短い戦いの中で、某の精神の本核に手をかけ、某の魔法の中枢を読み解いたからこそ、某の魔法を打ち消した。某が魔法に虚偽(フェイク)を織り交ぜることの重要性を確信したのは、それがあったからニャ」


 エルアーティを狙撃した魔法のみならず、地上の白兵どもを撃った魔法さえ、一つとしてエルアーティは通さなかった。やがては"要塞のエルアーティ"と呼ばれるその守備力の片鱗は、この頃すでに形になっており、それに手を焼いた記憶をアーヴェルは決して手放さない。


「同時に某の目線から見ても、奴の魔法は奴自身の本質を形にして見せなかった。魔法から自らの精神を露にしない、魔法から敵の精神模様を読み解く目。これを併せ持つ魔導士は短命の人間の中では極めて稀有であり、同時に非常に危険な存在ニャ。某があれを警戒する所以はそこにあるニャ」


「ふむ……覚えておきましょう」


「魔法とは術者の心を映し出す象徴とも言える。お前も魔導士と戦うことがあるならば、多少はその辺に気を配って相手を観察してみることニャ。上手く相手の精神模様を掴めれば、戦いがぐっとラクになるからよ」


 一朝一夕で出来るようなことではないのだが。小さな体の百獣皇だが、それを実践した上でそう言い放つ姿には、流石こう見えて魔王軍の中枢を担う大将格だということだろう。アーヴェルの下に着けと魔王に命じられた時には、なぜこんな子猫のような奴に従わねばならぬと感じたノエルだったが、今となっては自分が仕えるに値する存在だと素直に認められるようになった。


「――んで、お前さん何の用ニャ?」


 好き放題喋って満足したのか、ようやく話を聞いてくれる気になったようだ。ノエルもやっとかと、短い用件を伝える。


「マーディス様がお呼びです」


 直後、立ち上がったアーヴェルが杖でノエルの頭をがつんと殴った。ノエルにとってはたいした痛みではなかったが、けっこうな威力である。


「アホか!! はよう先にそれ言えニャ!! あの方がヘソ曲げたら某だってあぶねーんだぞ!!」


 怒鳴りつけてラエルカンの城、人間達から奪い取った玉座の魔王のもとへと駆けていくアーヴェル。どうにも相変わらず、あれだけの力を持っていながら魔王にだけは頭の上がらないアーヴェルを目で追った末、ノエルはその場でごろりと寝転がった。蔵書に溢れるこの空間に居座っても特に楽しくはないが、人間どもから奪い取った場所で羽を伸ばせるこの心地は悪くない。


 支配欲にまみれた魔王マーディスによって生み出された魔物、ノエル。征服の末に得たこの地は、この魔物にとっても住み心地のよい居場所だった。











「ソーディアムの町が落とされたみたいね」


「……そう」


 今は友人となったルーネに対し、新聞を片手にエルアーティが中身の見出しを読み上げる。エレム王国領土内にある、大きくないソーディアムの町。魔物達に乗っ取られたラエルカンに比較的近く、それなりに兵力を揃えた防衛線でもあったのだが、魔将軍エルドルという親玉の出陣も伴った襲撃にはさしもの騎士団も持ち堪えられなかったという。またひとつ町が地図から名前を消す悲劇も、ここ数年ではそう珍しいものではなかった。過酷さがよく形に表れた時代と言えるだろう。


 知らせを聞いたルーネの心に、奪われたラエルカンがフラッシュバックしたのは自然なことである。それでも表情ひとつ変えず、ダニームの教会に足を向けようとしたルーネの動きには、エルアーティも相変わらずだと思う。


「いつまでそうしているつもり?」


 ただ、この日は問いたくなった。別に他者のあり方になど干渉する趣味のないエルアーティにとって、これは珍しい対応だ。


 立ち止まったルーネに歩み寄り、背後すぐそばに立つエルアーティ。彼女の挙動を感じ取ったルーネは振り返り、小さな二人が目を合わせる。ルーネの瞳の中にある、命を落とした人々を悼む想いは実にわかりやすい。ルーネは感情を、精神を、隠せる性格と仮面を持ち合わせていない。


「戦人として名高いあなたのことは、かねてより聞き及んでいたわ。あなたが再び戦場に舞い戻ることが出来れば、あなたの望むとおり犠牲者の数は減らせるでしょう。何故、あなたは戦おうとしない?」


 4年前、ラエルカンから逃げ延びたルーネとラエルカン北西の地で出会い、彼女を保護して箒に乗せ、魔法都市ダニームへ導いたあの後は、それも致し方なかっただろう。魔法都市ダニームに受け入れられ、数年の時が経った今、もうルーネの体調も充分に整ったはず。彼女が望むなら、明日にでも、言えば去年にでも戦えたはずなのだ。だが、ルーネはここ数年に渡って、戦場に足を踏み入れることをしなかった。


 故郷を失った傷心が、彼女の戦う力を奪ってしまったのだと周囲はよく言っていた。それもある意味では間違っていなかっただろう。だが、その本質にある彼女の精神で何が起こっているのかを、魔法使いの精神の揺らぎに敏感なエルアーティは見誤らない。


「あなたは憎しみを原動力に戦うことが出来ない。戦うことの空しさ、痛み、憎み合うことが生み出す悲劇の連鎖を知っている。故郷を滅ぼした魔物達を憎む想いを抱く自らを肯定することが出来ず、その魔力を戦うために練り上げることが出来ない。違うかしら?」


 当時ダニームのアカデミーに一室を得て過ごしていたエルアーティは、ルーネを受け入れることをアカデミーに提唱した者の代表として、彼女と自室で過ごすことを選んでいた。そうして4年間、誰より彼女のそばで過ごしてきたエルアーティには、ルーネがどういった人物であるのかがよくわかる。周りが彼女の柔らかな人柄をわかりやすく知るその表面性だけでなく、その深くまで。


 数年前、魔法都市の管轄する、ダニーム南西にあるリリューの砦跡に魔物達が進軍してきた時には、ルーネもお世話になった魔法都市に恩を返すべく出陣した。エルアーティもこの日ばかりは、日頃は魔法都市の守りにだけ傾倒していた重い腰を上げ、出陣した。付き合いの中で、ルーネの中に眠る潜在的な高い魔力には興味があったし、それを一度目にしてみたかったから。


 エルアーティにとって、それはある意味で期待はずれだった。ルーネは確かに強かったし、ダニームの要人達もルーネの活躍は諸手を挙げて賞賛した。だが、ルーネを見てきたエルアーティの予想は遥かに下回り、ルーネは本来の力を出し切れていなかった。スプリガンやビーストロードを腕っ節ひとつでなぎ倒す活躍は、表面的には快進撃の一言だったが、エルアーティの見込んでいたルーネならば、そんな程度で活躍を収められる器でなかったはずなのだ。事実として、その日自らの戦う力が失われていることを自覚したルーネは、これ以降戦陣に並ぶことに前向きになっていない。


「故郷を滅ぼされたことで、ようやく憎しみの感情を覚えた」


「……やめて」


「魔物を憎んでいた、隣人を奪われた戦士達の想いをようやく知ることが出来た」


「やめて……!」


「魔物達の姿を再び見た時、己の中に生じる憎しみを抑えられなくな……」


「お願い、やめて……! 聞かせないで……!」


 エルアーティの両肩に手を置いて、伏せた顔をふるふると振り乱すルーネ。目を逸らしてきたつもりはなかったけれど、言葉にすると胸が張り裂けそうになる。容赦のないエルアーティの言葉の数々は、ルーネの胸に血が流れるほどの傷を深く刻み付ける。


 守るべき人を守るため。その人々への愛する想いだけを胸に、ルーネはずっと戦ってきた。それが己の魔法の礎だと知っていたから、ラエルカンの戦乙女として戦う日々の中、戦場で命を失ったラエルカンの同胞を悼む葬儀でも、心を殺してきた。憎し合うことが悲劇の連鎖を生むと、かねてから揺るがない信念として持っていたルーネにとって、憎しみは力にはなり得ない。むしろ憎しみを胸に拳を振るい、敵の命を振るう魔法は、ルーネ本来の力強い魔法を発現する阻害要素でさえある。


 ずっと己が魔法のため、目を逸らしてきた感情だった。だが、大切なものを奪われた者にとって、憎しみとは不可避の感情であり否定できるものではないのだ。戦友であったラエルカンの戦士達を殺されても、必死で押し殺してきた憎しみ。故郷をまるまるすべて奪われるという出来事は、重く心の壷を押さえつけていた蓋を粉々に崩し、今までのように魔物達に対する恨みを封じられなくさせてしまった。


 リリューの砦跡で魔物達と再び顔を合わせたその日、ルーネは内なる新たな自分を抑えられず、今後も抑えられないであろうことを知る。戦うために力を振るうための、正しい自らの精神の在り方。それを失い取り戻せないルーネにとって、戦うための身体能力強化の魔法は、真髄深く実践することが出来ない。


 憎しみを否定することは同時に、それを原動力に戦っていた戦士達の数々をも否定することであるとルーネには感じられてならない。かつて憎しみは悲しみを連鎖させるものであると、ラエルカンの子供達に語っていた日々の中には、少なからず憎悪を武器に戦う人々への反発もあったと自覚している。そんな自分が今はどうだ。失う痛みを知った今になってようやく、力を失うほどにまで魔物達を恨み、かつて違うと想っていた戦士達と同じ有り様ではないか。何も知らなかった無知な自分が、苦しみながら戦っていた人々の価値観に反目していた事実が、今のルーネには罪深く感じられてならない。それを真正面から突きつけるエルアーティの指摘に、ルーネの心は打ちのめされる。


「"賢きとは愚かなることなり"。何度も私はあなたに教えてきたつもりだけど」


 人は往々にして考え過ぎる生き物だ。知識と経験が重なれば重なるほどに。たとえ過去ほどの力を発揮できずとも、ルーネは人類にとって充分な戦力であり、彼女の戦線復帰を望む声は絶えていない。それに応える形で、新しい生き方を見つけていくのが近道であるはずなのに、それを選べないルーネの姿は、エルアーティの目線から見て"愚かなる"生き方でしかない。そうした袋小路に彼女が迷い込み、そばにある光に手を伸ばせないのは、彼女がそれを思えるだけの"賢き"を持つからだとも知っている。


 伏せたルーネの目が涙を浮かべかけていることは、ルーネより背の低いエルアーティには見えている。未だ立ち直れない友人の胸中が読み取れないほど、エルアーティも人の心は捨てていない。ただ、それに対して友人として、一切の容赦を見せないだけだ。


「"賢い"生き方を選ばない、"愚かなる"生き様を貫き続けるあなたの事は嫌いじゃない。ただ、それで心を粉々に砕くような無様な末路だけは、あなたに見せて欲しくないものだわ」


 そうはならないと思うけどね、と一言付け加え、エルアーティは両肩に置かれたルーネの手をどける。力なくうなだれたルーネは、放っておけば数分そこにそうしていたかもしれない。エルアーティが、ルーネの額を指先でつんと突き、顔を上げさせたのは単なる気まぐれだろうか。


「しっかりなさいな。私のような偏屈者が、自ら友人に迎え入れたくなったのはあなただけなんだから」


 お人よしのルーネだからこそ想像で補って感じ取れる程度のものでしかないが、確かにエルアーティはルーネを気がけてくれているのだ。厳しさばかりが前に出る友人なのは確かだが、ルーネだって誰かと接する時、厳しい言葉を差し向ける相手は選んできた。試練とは、それを乗り越えられる者にしか与えるべきではない。エルアーティは、自分目線で見込みの無い若者に対しては、適当に褒めて気分をよくして後は放っておくタイプだと、ルーネだって数年の付き合いで察してきている。


 特別、よくしてくれていることは、驕りでもなく客観的にわかることなのだ。駄々をこねる自分を背に、ルーネに出陣を望む者達を門前払いし続けてくれたエルアーティに対する信頼は、ルーネの中では不動のものである。


「ただ、いつまでもそんなあなたのままではがっかりよ? やがては前に進む姿のひとつぐらい、ちゃんと見せて貰えないものかしら」


「……努力します」


 すべてを失い、持たざる者として新たな人生を歩むしかなかったルーネ。あの日から4年経ち、魔法都市ダニームにも、大切だと思える人達が沢山いるようになった。その始まりの道を作ってくれたのは、目の前にいる自分と同じ幼い風貌の大魔法使いが招き入れてくれた過去であり、今なおそばにいてくれるその友人の存在こそ、脆いルーネの今の心にとっての太陽だ。


 厳しさも優しさの裏返し、と美化できないぐらいには、きつい友人だと思う。それもルーネにとっては大きな問題ではないのだ。器用でわかりやすくなくても、心を通わせてそばにいてくれる人がいるだけで、人は孤独でなく立っていられるのだから。それもまた、独りでは生きていけない人間の業である。











 この年、後の騎士団の歴史に深く名を刻む、二人の男が騎士団入りする。




 皇国ラエルカンから落ち延びたクロードは、ラエルカン北のルオス領土まで生き延びていた。戦い続けることを選び、滅び行く祖国と運命を殉じた上官や同僚、帝を差し置いて生きる道を選んだクロードの胸中は、誰にも想像できるものではない。一度拾った命とはいえ、自刃が脳裏によぎったことも、一度や二度ではなかったはずだ。


 この日までの4年間、クロードはルオスにおいて傭兵を生計を立てていた。その活躍は目覚ましく、帝国兵としてこの地に暮らすことを望まれたこともあった。だが、ラエルカンに生きたクロードは、ルオスにて新たな君主を持つことを潔しとしなかった。彼が身を置くと決める主の膝元とは、ルオスではなく他にあったからだ。


 傭兵稼業でようやく暮らしもまとまったクロードは、丁重にルオスの人々に礼を述べた後、自らの第二の人生に向けて歩き出す。彼が向かった先は、かつて何度も手を結び、あの日ラエルカンを逃れて生き延びる決断の背を押してくれた友人の住む都。


 騎士団入隊試験、エレム王国騎士団5つの難題、第四問。騎士としてではなくあなた個人が、人として最も大切にすべきだと思うことは何か。


 "今ある生から決して逃げず、為すべきことを為していく信念"。命を捨ててでも祖国を守ることを信条としていたクロードが、祖国から逃れることを選び、再び戦う者として生きる道を選んだことは、死を美化するなと叱責してくれた人生の先輩の言葉があったからだと、後年のクロードは語る。


「……久しぶりだな」


 入隊試験の時点で、すでに一騎当千の実力を証明したクロードは、入隊したその時から上騎士の称号を与えられ、法騎士ゲイル率いる大隊に招き入れられた。元よりラエルカンでの士官としての実力は知れ渡っていたことだし、指揮能力も充分にあるのだから、上騎士への飛び級も妥当な判断である。


「……過去のように、存分に迷惑をかけると思います。何卒、厳しく見守って頂きたく存じます」


 騎士団入隊試験、エレム王国騎士団5つの難題、第一問。あなたが最も尊敬する騎士は誰で、その人物の何が魅力的であるか述べよ。


 胸を張って生きたいと唱える戦人の生き方があると教えてくれた、法騎士ゲイル=ルイ=テッサルナークの名をそこに書いたクロードの想いは汲み取られたのだ。ラエルカン崩落の日から、もうすでにこの世にはいなくなったと思っていた戦友が、ルオスで上手くやっていると聞いた時にはゲイルも、ラヴォアスも、グラファスも嬉しかった。彼らの隊に自らを編入させてくれた騎士団の計らいには、クロードも頭が上がらなかっただろう。


「よし、お前はとりあえず髪伸ばせ! その短髪を伸ばせば、その堅っ苦しい性格も直るだろ!」


「クロードどの、よく生きていてくれた。そなたと再び肩を並べられるなど、諦めたはずの夢だったぞ」


「お前上騎士っつーても俺の後輩だからな! 先輩の言うことには逆らうんじゃねーぞっ!」


 もみくちゃにされて手荒な歓迎を受けるクロードの、第二の人生が始まったのがこの年だ。籍をエレム王国に移し、今度こそは二度と自分の立つ国を滅ぼさせはしない。決意新たに歩き出した一人の小さな姿の男は、やがて偉大なる聖騎士の地位まで上り詰める英雄となる。




 魔将軍エルドルに滅ぼされた、ソーディアムの町の生き残り。その町の自警団として生きていた彼は、生まれ育ったその町を魔将軍エルドルの軍勢に、故郷を奪われた人物だ。


 戦いを放棄し、燃え盛る我が家の奥に駆け込んだ彼を迎え入れたのは、火を携えた柱に押し潰されて事切れた父。全身を火だるまにされて動かなくなった母。そして生きたまま全身を炎に焼かれて、もがき苦しんだ末に倒れて動かなくなった妹。町でも評判の、5年先が楽しみだと言われていた愛しい妹の顔も、炎に焼かれて見る影もなく無残な有り様で、その時彼は現実を前にして一歩も動くことが出来なくなったものだ。


 やがてどのようにして滅び行く故郷から逃げ延びたかも、今となっては思い出せない。魔物に対する憎しみは当時の彼の心を支配し、それ以外の雑念を一切寄せ付けなかった。彼が騎士団の門を叩いた時の血走った眼は、騎士団の若い者には近寄りがたいと思えるほどのものだった。


 故郷を魔将軍エルドルに奪われた、ナトーム=ネヴェリー。自警団で育んだその腕前を証明し、二十歳過ぎの少騎士として騎士団入りしたその男は、当時の法騎士ハンフリーが率いていた、エレム王国第11大隊に入隊し、やがて頭角を表していく。それこそ後年、魔将軍エルドルの首を取る一端を担い、聖騎士という地位まで上り詰めるほどにだ。




 故郷を奪われ、騎士団入りした二人の心に、魔物に対する憎しみがなかっただろうか。それは間違いなく彼らの行動原理であり、それが彼らを前に進ませ、力を養い、騎士団にとって無くてはならない人物へと変えていく。それはやがて歴史が証明する、疑いようのない真実なのだ。


 心が思い描いた新たな自分を作り出すことを、夢を叶えると形容するならば、それは精神を礎に、為せぬことを為す"魔法"と大きく異なることだろうか。何事も、願わなければ叶わない。精神が心ある者を突き動かし、新たな未来を作り上げていくこととは、言うなればそれもまた、人を変えていく魔法そのものである。憎しみを原動力に戦えない後年の賢者、魔物達への憎悪を胸に戦い続けた末、確たる実力と結果を生み出してきた後年の聖騎士二人。魔法はすべての精神に対して寛容であり、揺るがぬ想いはやがてその者の拓く未来を約束する。それが本人にとって、望む道であろうがなかろうが、新しい未来を生み出すのは人の心が原点にある。


 人の心が生み出す無限の可能性。魔法学の真髄に触れた者達はすべからく、それそのものが魔法であると口にする。

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