第168話 ~29年前 生きてこそ~
「シア、計器はどう?」
「特に以上ありません。このまま進めましょう」
魔導研究所のベッドに横たわる、少年のような体躯の戦士。幼子のような体つきのルーネといい勝負の体格だ。これでも彼も、20代半ばで立派な戦士として、戦場で名を馳せる勇士の一人なのだが。
彼の体に所々、点滴のように刺された針に通した管から、彼の肉体に少量の液体と魔力が注がれる。異物感を覚えるだろうかとルーネが心配する手前、彼は安らいだような表情で目を閉じている。
「――はい、終わりましたよ。体の具合はどうですか?」
「うむ、実に心地よいですぞ。あなたにはいつも、世話になります」
体から針を抜かれて解放された彼は、ベッドから降りると三つ指と額を地面につけてルーネに感謝の意を述べる。旧ラエルカンにおいては、目上の人物への礼儀としてこれが当然だ。
「"血"もすっかり体に馴染み、特に手を尽くす必要もないかと思えますが、やはり無理をしすぎると何が起こるかわかりません。くれぐれも、無茶はしないで下さいね」
「おお、勿論ですとも。ルーネ様にここまでして頂いた手前、そう簡単には……」
我が身は捨てぬ、と言いかけたところで、ひざまずいたままの彼の手をルーネが握り締める。あっけらとした彼の表情も、ルーネの瞳が真っ直ぐに眼差しを突き刺してくる姿には、一瞬動揺する想い。
「クロード様。あなたはいつも、戦場で己の命を大切にしなさ過ぎます。渦巻く血潮の力によって、傷の癒えが早いのは事実です。ですが、生に向けてその血を酷使することあらば、どのような副次効果を及ぼし、その命が危機に晒されてもおかしくないのです」
「う、うむ……それは重々……」
「祖国を守るあなたの志は、私も敬ってなりません。ですが、ラエルカンという国は、そこに住まう人々があってこそ成り立つもの。あなたが守ろうとしている祖国を形作る一つに、あなたという人も含まれていることを決して忘れないで下さい」
渦巻く血潮の被験者となり、人間離れした力を得る前から、彼は己の身を捨ててでも魔物達に立ち向かう勇猛なる戦士だった。力を得てからはそれがより顕著になり、戦場から帰還するたび、普通の体ならばしばらく休戦しなければいけないような生傷を負ってくる。彼が体を張って、魔物と同士の間に割って入り、誰かが受けるはずだった痛みを肩代わりしたという話も何度も聞いている。
「ご自愛下さい。あなたという素晴らしい人物は、私達にとっての掛け替えなき誇りです」
「――約束しますとも。わしも女房に巡り会えぬまま、世を去りたくはないですからの!」
快活な笑みをにかっと浮かべ、ルーネに応えて研究室を去っていく。数十年後、聖騎士クロードと広く名を知られるようになる彼の性分は、この時から変わっていない。三十路に至る前から妙に年寄りめいた語り口も、若い頃からこうだったのだ。
優しい笑顔でクロードを見送ったルーネだが、やっぱり少し心配でもあった。今は多分ちゃんとわかってくれたと思うけど、戦場に立てばどうなのやら。あの人は、すぐに熱くなるから。
「ルーネ様、ご高説は結構ですけどね」
「ん、シア……ひゃひっ!?」
振り向いたルーネのほっぺたを、両手でつねってぐりぐり引っ張る助手。ご自愛下さいと人には言うくせに、自分はどうなんだと100時間問い詰めてやりたい気分である。
「あなたが言いますかね、あれ。自分のことわかってます?」
「いひゃひゃ……いひゃいよぅ~、シア……!」
涙目で訴えてくるルーネを見て、助手としてルーネを長く見てきたシアも溜め息が出そうだった。激務続きのあなたをどれだけ自分が心配しているか、伝わっていようが伝わっていまいが、この人は全然苦行生活を改めてくれないのだから。
「むーん、エレム王国騎士団の方々はでっかいのう」
「大きくて力持ち! いい響きだろ!」
「体格などたいした問題ではないさ。貴殿のような勇士を見ていると、そう思う」
長身かつ逞しい騎士達を前にして、ちびっこいクロードは見上げるようにして拗ね口を漏らしている。この日はラエルカンの勇士達と、エレム王国騎士団の連合軍で、コズニック山脈西部へと進軍する作戦だ。既に武功も数多く挙げているクロードは、ラエルカン側の佐官級にあたり、彼と隣に並んで歩く騎士もまた、騎士団においてそれなりの地位に立つ者である。
後年、勇騎士の地位まで上り詰める、ゲイル=ルイ=テッサルナークは、この時既に法騎士の地位にあった。クロードのぼやきに大きな声で応えるその陽気な態度は、勇騎士という地位になってからは落ち着いた彼と比べると、随分とはっちゃけていた過去にさえ思えるものだ。隻眼の老兵となってからの彼しか知らない、未来の若い騎士には、こんな彼の姿なんて想像できないのではなかろうか。
後年聖騎士となる、グラファス=イーチファーグもまた、この時は高騎士の立ち位置だ。袴姿に着物、長尺の刀という得物は生涯を通して変わっていないようだが、つやのある長い黒髪を後ろでくくった姿は実に若々しい。年老いてからでは想像しにくいかもしれないが、当時から落ち着いた態度に加えて男前な顔立ちは、エレム王国でも女性の目をよく惹いていた。
「こんなデカブツばっか先頭に揃えた隊も騎士団じゃ珍しいけどな」
その二人の前を歩く男は、長身かつ細く整った筋肉を持つグラファス、背は高くないががっしりした筋肉で槍を握るゲイル、その二人よりも高くてぶっとい体格を持つ上騎士だ。後年もその階級を変えず、生涯上騎士の名でエレム王国に名を刻んでいく、上騎士ラヴォアスの笑い声は豪快に空まで届きそうなものだった。30代ちょうど半ば、働き盛りの豪傑の、張りのある顔立ちだ。
「隊長の俺が一番背ぇちっせぇんだけどな。お前らデケえくせに出世おせぇんだよ」
「ふふ、ゲイルはいつも手厳しいな」
「体格差別とは頂けねえなぁ。おらっ、訂正しろ」
「馬鹿っ、離せ! 上官になんつう態度だお前!」
ゲイルの首に腕を回し、ぎりぎり締め付けようとするラヴォアス。力持ちのラヴォアスだが、ゲイルも自慢の筋力でぐいっとラヴォアスの腕を押し広げると、抜け出してラヴォアスの尻をキックする。この頃のゲイルは、いらっとするとすぐ手が出ることで有名だった。
「前々から思ってましたが、ラヴォアスどのは上官であるゲイルどのにもタメ口なんじゃなぁ」
「ん? まあ付き合いも長いしな。ゲイルは俺の部下だった時期もあるし」
尻をさすってクロードに応えるラヴォアス。けっこうなパワーで蹴られたようだが、別に怒ってもいないらしい。上官下官抜きにして、この程度のやりとりは日常茶飯事のようだ。
「少騎士時代のこいつは手がかかったんだぜ? 誰彼かまわず、すぐ喧嘩するからよ」
「私が上騎士に上がった頃はさらにひどかったな。どれだけゲイルの街喧嘩を止める役目を買ってきたか」
「グラファスはいいけど、ラヴォアスは来てからいっつも一緒に喧嘩に参加してたじゃねーか! お前には言われたくねーよ!」
がすがすとラヴォアスの二の腕を殴りつけるゲイルから、わかったわかった痛い痛いとラヴォアスも逃げていく。あの大男が痛がって逃げるとか、どれだけのパワーで殴っているんだろう。周囲の騎士やクロードの部下達も、軽くゲイルにびびっている。
やがて魔王マーディスを討伐する勇者となるベルセリウスも、この頃は二十歳になったばかりで、騎士団の卵として下積みを積んでいた時期。騎士団を引っ張っていく中間世代として、一番戦場に立つ機会が最も多いのは、だいたいの時代、三十代かそれを過ぎた頃の騎士だ。やや近い時期に騎士団入りし、酒の席も同じくすることが多く仲の良かったこの騎士三名は、年長者の名を冠してラヴォアス団なんて呼ばれており、当時の騎士団では名が知れた組み合わせだった。
「……まあ、楽しそうじゃが戦場に行ったらもうちょい引き締めておくれよな。そろそろコズニック山脈、兵達も緊張感を増していい頃合いじゃろ」
「ガハハ、わかってらわかってら! 俺達だってまだまだ死にたくねーもんよ!」
「わかってたらまずその馬鹿笑いをやめろ! 部下のお前がはしゃいでると俺の面目も立たねーんだよ!」
やがて、山岳を上り詰めたところで、魔物の影がいくつも見下ろせる状況になる。盆地となっているその場所に巣食うのは、獄獣ディルエラが使役する大柄な怪物ばかりだ。ミノタウロスを尖兵とし、すでにこの位置からその上位種のビーストロードや、ヒルギガースも数匹いる。巨人魔物だらけの巣窟であるその光景は、それなりに戦慣れした若きクロードでさえ、緊張感を禁じ得ない。部下達はもっとだろう。
「参りますかな」
騎士団代表の一角、グラファスは刀の柄を握って、きゅっきゅっと掌をこすらせる。汗で滑らないかと気にしている仕草だが、何気なく街を歩くように一番前を歩いていく姿は、この怪物を前にしても全く物怖じしない、既に完成されつつある猛将の姿そのものだ。
「さぁて、怪物狩りだ」
背中に背負った大剣を極太の鞘から抜いたラヴォアスのシルエットは、後ろから見ればなんと頼もしい存在だろう。遠目に見える巨人や化け物を見て怯みかけた戦士達も、自分たちにはこれがついていると思えただけで、失いかけた士気を強く取り返せる。
「――皆の者、行くぞ! 勝利は我ら……」
「命を粗末にする奴は俺がブッ殺してやる!! 死にたくねえと思ったら俺の後ろに隠れろ!! 全部まとめて法騎士ゲイルが、生きて帰れる勝利を約束してやる!!」
ラエルカンの勇士達に出撃の号令をかけようとしたクロードを遮って、騎士団の将ゲイルの怒号が響き渡る。遠方の怪物達も振り返る、大地いっぱいに響き渡る大声だ。
「行くぞガキども!! 一匹残らずぶちのめし、一人欠けずに勝ち帰る!! 忘れるな!!」
「――ラエルカン一同、出撃じゃ!!」
盟軍の将の気迫に呑まれかけつつも、佐官クロードも負けじと咆哮を轟かせる。頼もしき練達の声を受け、若き騎士が、ラエルカンの勇士が、コズニック山脈に雄叫びを響かせたのが、ほんの少し間をおいて遅れてのこと。
交戦を思うだけで肩が震えそうな想いになる、獄獣率いる怪物達。それらに対する恐怖よりも、味方の上官の方が怖いと思えてしまったのだから、そんな間も一瞬起こるのだ。
「あいよ、改めて乾杯。みんなお疲れさん」
「……んむ」
結局この日の戦役は、終わってみればエレムとラエルカンの連合軍の圧勝だった。死者を出さず、どころか、負傷者らしき負傷者も出ず、山脈に潜んでいた魔物の数多くを殲滅することが出来た。一体でも相当な戦場支配力を持つ化け物達を、多数葬り去れたことは、敵軍の戦力を大幅に削り取ることであり、この勝利は人類にとって大きな前進だったと言えるだろう。
進撃部隊全員での祝勝会は先ほど終え、ここは騎士団の柱であったラヴォアスとゲイルとグラファス、ラエルカンの佐官であったクロードの4人だけで集う二次会だ。多人数で勝利の美酒に酔いしれ、馬鹿騒ぎと共に成功と生還を実感した一次会とは異なって、落ち着いた場である。
「ラエルカンの方々はやはり頼りになりますな。手を組んだ時の制圧力が違う」
「うちの部下達もあれぐらい頑張ってくれりゃあなぁ。まあ、若い奴らに無理言うのも気の毒か」
グラファスならびにゲイルが讃えるのは、同盟国家の精鋭達の優秀さだ。先の一次会では、祝いの席ながら、未熟な部下に説教することもあった厳しいゲイルだが、こと当人達の前を離れては言葉遣いも柔らかくなる。自分だって至らなかった時期があったのは自覚しているし、まだまだ伸び盛りの後輩達。厳しい上官であり続ける一方で、見守ってやりたい想いも少なからずある。
「どうした、クロード。今日は得意の自慢げなツラが足りねえぞ」
部下ないし自国を褒められると、そうじゃろうそうじゃろうと我が国を自慢する愛国者であるはずのクロードが、二人の言葉にあまり反応しない。ラヴォアスの指摘どおり、いつもの彼らしくはなく、二次会に入ってからもあまり酒が進んでいない。
「いや、まあ……今日はちょっと、な」
「肝臓イカれたか? その年で飲めませんなんて言ってちゃしょっぺえぞ」
クロードが何かしら悩ましい顔を浮かべているが、ラヴォアスは敢えて気さくな言葉で空気を沈ませない。明るい話に切り替えたいか、重い話にしたいか、クロードから選択肢を奪わないためだ。どちらに転んでも話が進められるよう、今の空気を保つのだ。
「……なあ。我が国を、愛する人達を守るために命を張ることは、間違っておると思うか?」
十年以上戦場を駆けてきた者が、今さらするような質問ではない。若い頃からどんな戦士も、命を張らねばならない現実を、その手で実感してきたはず。未熟な騎士が問うような語りかけに、ラヴォアス達も怪訝顔だ。
「ゲイル、おぬしは言ったな。命を粗末にする奴は自分が許さぬと。わしは、いつこの身が滅びようとも、それまでにひとつでも多くの、人々の安寧を脅かす存在を殲滅できればいいと思っておる。おぬしにとって、わしの考え方は好かぬものか?」
それは短く言い換えるならば、自分の命などどうだっていいから、敵を討てればいいという考え方。それがきっと戦人の正しい心がけだと若い頃から考え、経験を積むとともにその覚悟を精神に根付かせ、今を駆けるクロードの信念だ。クロードは、部下にもそういう教えを説いてきた。
ゲイルは一時考える。否定したくなるような価値観ではないからだ。死をも恐れず魔物達に立ち向かう者達がいるからこそ、人類は戦場での勝利を勝ち取り、人々の未来を築いてきた。屈強な魔物達相手に、常に死の危険のない戦いを組むことなど理想論で、そんなことが出来るならいつの時代も暗くはならない。そんな歴史の大海で、死を恐れて尻尾を巻く戦士しかいない国家など、滅びるに決まっている。
「……俺は好きじゃねえよ、そういう考え方は。だって、戦士達だって国を形作る国民だろ」
「じゃが、おぬしも戦場では死への恐怖も拭い去って戦うじゃろう」
「まあな」
「隊が危機に陥った時、おぬしならどうする? 未来ある部下達を救うため、撤退命令を促しつつもしんがりを務めるのではないのか?」
僅かな間をおいて、ゲイルは小さく頷いた。確かにそう。いよいよとなった時、愛する後輩を守るため、命を捨てる覚悟をする自分は想像できる。そうでなければ法騎士なんて責務を背負うべきではないとまで、ゲイルの中では答えが出ている。
「命を粗末にすることと、張るべき時に命を張ることは違うぞ」
「わかっておるわい、そんなことぐらい」
「本当にそうか? 俺はラエルカンの連中を見てて、そうは思えない」
長らく考えていたことを、ゲイルはこの日とうとう口にした。思ったことはきっぱり言うタイプのゲイルだったが、よそ様のスタンスにまで口出しするなんてこと、今までやってこなかったことである。どういうことじゃ、と、少し据わった目でクロードが問うたところ、ゲイルもスイッチが入ったのか、その口に信念を持って次の言葉を紡ぐ。
「あんた達は、戦死を美化し過ぎだ。確かに命を懸け、人々の安寧を守るために駆ける戦士は美しいさ。俺もそんな騎士様に憧れて騎士団入りしたんだから、その気持ちはすげえよくわかる」
「だったら……」
「でもな、俺にも去年、女房が出来たんだよ。俗っぽく俺を、立派な法騎士様だと持て囃すような女じゃなく、戦場に俺が赴くたび、行かないで欲しいと引き止めようとしてくれた奴だ」
法騎士様は、王国内では見上げられる存在だ。大衆にはその活躍が広く伝わり、その戦果を周りがよく賞賛する。頑張って下さいね、次も魔物達を打ち倒して下さいねと、期待を込めて寄せられる声は、ゲイルならびに騎士達が奮起する触媒にもなる。何も間違っていない。
ゲイルを愛した彼女はそうではなかった。彼が戦場で生傷を負って帰ってくるたび、彼がいつか戦場で命を散らすことを怖がり、騎士団をやめて平穏に暮らすことを提案してくれるような人物だった。俺には俺の生き方があると、乱暴な言葉で突っぱねたことも一度や二度ではない。だけど、自分をそこまで案じ続けてくれた彼女を、ゲイルは生涯の伴侶として選ぶことを決めたのが昨年のことだ。
「俺は死にたくねえ。あいつが悲しむ顔をあの世から見下ろしたくねえ。お前はこんな俺のことを、根性なしのへたれた騎士だと思うか」
「……死にたくないと思うことは、何も間違ってはおらんじゃろう」
「違うぞ。お前は命を捨ててでも勝利を掴むことが戦人の正義と言うが、残された者の気持ちを少しでも考えたことがあるか?」
ゲイルは自分が幸運だったと思っている。学も少なく、がむしゃらに戦うことが騎士の正義だと思っていた自分の観点を偏らせなかったのは、我が身を案じてくれた今の妻がいるからだ。死にたくないとか言いだす戦士は戦人失格、そういう価値観も過去には持っていたゲイルも、そうした目線を今は捨て、生を望む戦士の気持ちを否定しない目を持ち合わせられた。
いつだったか、ラヴォアスの率いる小隊の若者、ベルセリウスとかいう奴が、死ぬのが怖くなって戦場から逃げ出したという話を聞いたことがあった。7年前にそれを聞いていたら、そんな奴クビにしろとラヴォアスに言っていたかもしれない。今はそれどころか、臆病ながら騎士団入りしたそいつの根性に、期待を持って見守ってやろうと思えるぐらいである。銭稼ぎを目的に騎士団入りする舐めた奴らは今も昔も嫌いだが、凄まじく厳しいラヴォアスの小隊で、彼に揉まれて残っている若者なら、そんな輩ではないともわかっている。
「わしの人生はわしのものじゃ。この命をわしがどう使おうと、わしの勝手じゃろう」
「お前は今まで独りで生きてきたわけじゃない」
「……道徳や倫理を説くのはお断りじゃぞ。渦巻く血潮への批判で、それは辟易としておる」
人としての体を捨て、祖国を守るために力を得た同士達を批評する声は、昔から絶えない。人道的にどうだとか、周りが悲しむのにとか、当人達の決意も知らないくせに外から駄目を出してくるような連中にはクロードもうんざりなのだ。百歩譲って自分はいいとしても、茨の道を歩む覚悟と残った哀しき生涯を背負って歩く者達を批判された時、クロードの腹の底には耐え難い怒りが沸いてくる。
「……ゲイルはそんな話をしたいわけではないだろう」
「落ち着け、クロード。ゲイルはお前の観点すべてを批判してえわけじゃねえんだ」
グラファスやラヴォアスが、クロードを静かに窘める。熱くなりやすい二人の性分は知っている。どちらも確たる信念があり、それが感情に煮立てられて交換できぬまま終わるのは寂しすぎる。
「ん、む……いや、熱くなり過ぎたな。すまぬ、ゲイル」
「踏み込みすぎたなら俺だって謝るさ。でも、俺の言いたいことが伝わるまでは、俺だって黙りたくない」
自分の言う生き方をクロードに倣えとは思わない。でも、そうした目線を一切持たないのではなく、知って道を選ぶクロードであって欲しいと、ゲイルは切に願っている。それはゲイルも、祖国のために身を粉にしてきた末、その肉体に渦巻く血潮を流すほどの決意を抱いたクロードを尊敬しているからだ。敬う人物に長生きして欲しいと思うのは、身勝手な考えだろうか。
「星を違えられるなら、お前は同じ組織で毎日肩を並べて戦いたい奴だ。だからこそ確信してるんだよ。お前のことを尊敬して、お前に死んで欲しくないって思ってる奴が、どこかに必ずいるはずだってな」
ルーネの顔が脳裏をよぎるクロードは、あの真剣な眼差しを今の話のために忘れようと酒を口に運ぶ。不味い。自分にとって、一番の好みである酒のはずなのに。
「命を懸けて戦う姿は、戦士にとってこの上ない美徳だとも思うさ。でも、お前の生還を常に望む人のために、命を大事にするお前でもあって欲しいっていうのが、俺の本音だよ」
騎士団入隊試験、エレム王国騎士団5つの難題、第三問。騎士として最も必要なものは何か。
"死を恐れず、守るべきもののために戦う覚悟"と、若き日に回答したゲイルは、今となってその価値観を改めている。幼少の頃から絶対的に正しいと思ってきたことを捨てたのだ。だからこそ今は、今の答えに強い自信が持てるし、そうした生き方もあると訴えたい。
クロードのことを案じる、顔も知らない奴の気持ちなんか、ゲイルにとっては知ったことではない。自分がその一人だから強く唱えるのだ。そんなゲイルの熱意は、今のクロードには届いているだろうか。
ゲイルは知らない、クロードの中にだけある思い出の数々。渦巻く血潮の被験者になると決めた時、哀しそうな顔をした両親。その血を我が身に流した末、生きて戦線復帰することが出来た自分のことを、心から嬉しそうに迎え入れてくれた先輩、後輩。渦巻く血潮は決して完成された技術ではなく、被験者の中には手術が成功せず、死への道を歩んだ者も多いのだ。
ご自愛下さいの言葉をルーネに言われた時、貴女がそれを言うかという想いは、密かにクロードにもあった。だから聞く耳も持てなかった。でも、今になってゲイルに話を聞いた末、彼女の顔を思い出すと、切実な彼女の想いが遅れて伝わってくる。自分のことに無自覚なあの人への不満は途絶えないが、自分を案じてくれた想いまで切り捨てるのは、人としてきっと正しくない。
「……考えてみる」
どんな生き方が周囲に一番の幸せをもたらし、自らの望みを叶えられるかなど、生涯かけても答えが見つからない難題だ。この場で答えなんて出せるはずもなく、短くそうとだけ締め括るクロード。決してはぐらかし、この場を凌ぐためだけの答えではない。意志の堅い彼のことだから、納得いかないのならば腹を割って反発してくるだろう。ゲイルと口喧嘩したことなんて過去に何度もあるし、そうしたクロードの性分は、この輪においては周知のことである。
「単細胞のクロードには難し過ぎる問題じゃねえのかなぁ」
ひっひっと笑うラヴォアス。見え透いた煽りだ。重い表情から力を抜き、ふんと鼻を鳴らして笑うクロードには、人をけなす真意でその言葉が紡がれていないことも見えている。
「よう言いよるわ。今日の戦役で前を突っ走り過ぎて、ミノタウロスとヒルギガースに挟み撃ちされとった単細胞は誰じゃ?」
「あんな状況、俺にとっちゃあ慣れっこよ。結果も出したろ?」
「おかげ様でお前が中衛を守る役目を果たさず、私が苦労させられたがな」
「お前は昔っからどこでも立ち回れる器用さ持ってるくせに前にばっか進み過ぎなんだよ! 俺の隊の柔軟な陣形もお前が全部台無しにしてんだぞ!」
ぐりぐりと拳をラヴォアスの二の腕に押し付けるゲイル。彼に並んで客観的な弁舌で、相変わらずの猪武者のラヴォアスを酷評するグラファス。だからそれだけの腕があるのに昇格せんのじゃなあ、と、非常に的を射た指摘を突き刺すクロード。集中砲火に、首を各方面に忙しく回して反論するラヴォアス。
「ゲイルの作戦はいちいちこまけぇんだよ! もっと俺にもわかるよう作戦組んでくれや!」
「アホかお前は! 法騎士に作戦変更を要求する上騎士がどこにいるんだよ!」
「嘘はいかんぞ、ラヴォアス? 理解していても、その場で良かれと思って柔軟に動いているんだろう?」
「つまり上官の命令に従わない厄介部下ということじゃな?」
「ふむ、そうとも言う」
あれこれ言い訳するラヴォアスを、上官の絶対的な弁で圧迫し返すゲイルと、その横から擁護してるのか追い討ちをかけているのかわからないグラファスの弁が飛ぶ。クロードは佐官としての気苦労を思い出し、皮肉って笑っているだけでいい。
昔からこいつは、誰にも勝ってでっかい体をしているくせに、進んで道化になりたがる。卑屈なわけでもないくせに、いよいよとなればいつだって、体を張ってはけ口を作ろうとしてくれる。悩み、鬱屈しかけた心さえ、快活な男が一人そばにいるだけで紛れ、笑う顔を作れるというものだ。
「とりあえず騎士団報告書にはお前のことは太字で書いておくからな。命令に従わねえバカ上騎士がいるってよ」
「お前それは職権濫用だろ! 命令違反罰則で減給にでもなったらどうすんだ!」
「減給くらうならいい禁酒のきっかけになるだろが! お前この間また後輩連れて酒場に行って酔い潰したらしいな! あいつは酒が苦手だって何度も言っておいただろ!」
やぶへび。たじろぐラヴォアスに詰め寄るゲイル。空気を紛らわせるために批難の的となることを厭わなかったラヴォアスとて、ここまでの展開はノーセンキュー。でも自業自得。こういう役回りを自ら買って出るなら、想定外の痛手ぐらいは覚悟しなくてはいけないのである。
「ま、待て待てゲイル。今度いい女紹介するから、それだけは……」
「既婚者相手に寝ぼけた交渉してんじゃねえっ! 思い出したぞ、そういえばお前この間も――」
次から次へとボロがざくざく。勝利の宴の一次会を経て、辿り着いた二次会の末路はゲイルによるラヴォアスへの説教祭。厳しい厳しい法騎士様は、年上相手だろうがとことん容赦がない。酒に逃げようとしたラヴォアスの手も、飲むな! とゲイルが怒鳴って制止するところまで様式美。
またやってるよ、という気分である。戦場を一歩外に出ればつくづくだらしない上騎士に、感情的で口が止まらない子供のような法騎士。だけどこの場で優等生の高騎士と同じく、戦に並べば身内にも負けないぐらい頼もしい奴らなのだ。地位を欲する感覚は持ち合わせていないクロードだが、こんな奴らと肩を並べて酒を酌み交わす機会に巡り会えたなら、佐官の地位まで上がれたことも縁の助けだったように思う。
「貴殿の部下にも、こんな面倒な部下はおりませんかな?」
「おう、いるぞいるぞ。心意気は立派なのじゃが、前のめりな奴がおってのう――」
愚痴の一つでも聞きますよ、と語りかけてくれるグラファスに、日頃の気苦労を思い出して語りだすクロード。可愛い後輩達とは言っても、ちょっとこいつどうにかならんかな、という感情を抱くこともある。身内同士で語りたいことでもないし、外に吐き出せるなら一番いい。
気遣いの利く友人、厳格で乱暴だが人の上に立つに相応しい器を持つ友人、だらしないけれどその笑顔がこちらの気も和らげてくれる友人。己のあり方、戦士としての生き様、戦人としての悩みは尽きない中、それを分かち合える頼もしい仲間に、国の外でまで出会えた幸せは、酒を口にするたび実感する。
氷がすっかり溶けて薄味になった酒を一気に飲み干し、おかわりを注文する。美味かったからだ。苦い酒も長い目で見れば悪くないが、やはり陽気な酒こそが、骨身に沁みて最も酔える。
この日から29年経った未来でも、年老いた4人は酒を酌み交わす仲である。共に命を懸けて戦う者同士、繋いだ絆は何にも勝る財産だ。一人欠けてこの世を去るだけで、身を裂くような悲しみが彼らを襲うだろう。
大切な人を失うというのはそういうことだ。それをよく知る戦士達だからこそ、理不尽な魔物の悪意に命を奪われる人々が、一人でも減るべく戦い続ける。




