第166話 ~騎士ユーステット危うし~
「チェックですが」
「ふーむ、勝負手が好きだねぇ。そういうのは嫌いじゃねえが」
シリカが騎士館に赴いている間、第14小隊の他のメンバーはのん気に自宅で過ごしていた。朝一番の船で、ダニームからこの王都に帰ってきて、シリカがナトームにどんな処断を下されるのか待機である。
帰ってきたばかりで任務もないし、じたばたしてもどうにもならないので、クロムとチータは居間で盤上の対戦駒遊び、盤棋を嗜んでいた。チータはマグニスやダイアンと盤棋で遊ぶことが日頃多かったが、せっかくの暇なので、今日はクロムに相手をして貰っていた。予想はしていたが、この人もけっこう強い。
「あいつら何してんだ? お話は昨夜済ませたんだろ?」
「レイプしてるらしいですよ、マグニスさんいわく」
アルミナとキャルが、二人で部屋に籠もって長いこと出てこないらしく、それをどうしたんだと尋ねたクロムに対し、チータの返した答えがそれ。アルミナは何事も、一度洗いざらい想いをぶつけたら、日を跨いでまでそれを引っ張るようなことをしないタイプだ。今、キャルとアルミナの二人で自室にこもっているようだが、昨日話を済ませたのなら、今日もお説教なんて展開はアルミナに限って、無い。
「昨日キャルが、"何でもするから嫌わないで"ってアルミナに言っちゃったらしいんで」
「あぁ、そりゃキャルのミスだな。いくら気負いしてても、それだけは言っちゃいかんわ」
そんなこと言ったら何を強いられるかわからないのに、そういうことは軽率に口にしてはいけないのである。ましてアルミナ相手に。シリカやキャルをモデルにした小説を書こうとするような奴に。日頃っからキャルのことを、可愛い可愛いって言ってるような奴に。
「仲いいな~、あいつら」
「いやいや、明らかにキャルは嫌がってるでしょ」
邪魔をするとアルミナに怒られそうなので、部屋の扉をちょっとだけ開けて、隙間から中の様子を覗くユースとマグニス。片やドン引き、片や悪い笑いが止まらない。中の光景がひど過ぎる。
「も、もういいでしょ……? 何が楽しいの……」
「えー、もうちょっと、もうちょっとだけ……ああんもう、幸せ……♪」
ベッドに座り、自分の膝の上にキャルを乗せ、延々頭を撫でているアルミナ。確かに女の子は、動物やぬいぐるみをもふ撫でるのが好きだというのをユースも聞いたことがあるが、あれはぬいぐるみじゃない。こういう場合、人間を動物のカテゴリにカウントするのも違うと思う。
さんざんアルミナに冗談で同性愛疑惑をかけてきたマグニスだが、そりゃあ勿論、アルミナが性的な意味でキャルを愛しているわけではないのはわかっている。が、愛玩対象として体の小さなキャルを、思う存分なで繰り回したいという潜在的願望には、薄々感づいていた。そんなことされるのは勿論キャルも嫌がるし、アルミナもそういうことはしてこなかったのだが、何でもしますの言質を取ってしまったが最後、欲望が爆裂したらしい。まあ、好きにすればいいんじゃね、と、マグニスも見て楽しむ。
片手でキャルの頭を撫でつつ、もう片方の腕をキャルの胴に回し、きゅっと抱きしめるアルミナ。敏感肌のキャルが、それにびくりと肩を小さく跳ねた後、我慢するように震えだす。アルミナ目線ではこの反応がたまらなく可愛いらしく、ふんすふんすと鼻息が荒くなってくる。キャルからは見えない角度だが、今のアルミナの顔はキャルに見せるべきではない。ユース達の位置からはアルミナの表情も見えているのだが、なんか目つきが危ない。近くで見たら多分すごく怖い。
「んーっ、可愛いっ! ね、ね、もっと強く抱きしめていい?」
「やっ、ちょ……! む、胸だけはやめて……!」
思わず後ろから両腕を回したアルミナだが、腕が胸の先の一番敏感なところに擦れたらしく、キャルが慌ててもがきだす。誰にも触られたことのない場所に、服の上からとはいえ触れられたキャルは、顔だけでなく耳まで真っ赤である。で、そんな顔してるとまたアルミナのテンションが上がる。
何かが我慢できなくなったらしく、キャルを抱いたままごろんと横になり、彼女と一緒に横たわる形を取るアルミナ。柔らかいキャルの髪に鼻をくすぐられてもお構いなしで、後ろから首筋に頬ずりしたり、手先でふにふに色んなところを揉んだりして、キャルをお腹いっぱい味わうアルミナ。うなじを柔らかなアルミナの頬で撫でられるだけでも相当に刺激を受けるようで、嬌声を漏らして足掻こうとするキャルだが、アルミナの腕はキャルを捕えて離さない。
「んゃっ……! ちょっ、もう……離し……」
「えー、何でもしてくれるって言ったじゃーん。もうちょっと、もうちょっとだけ……」
「いっ、言ったけど……! でも……っ……!?」
それを言われると弱いというところ、キャルの抵抗が弱まったところで、アルミナの鼻息がキャルの耳たぶをくすぐって、キャルが息を詰まらせる。火が出るように顔を真っ赤にして、両手で口を押さえるキャルの動きが、なぜかアルミナを興奮させ、その攻め手をきつくさせる。
「んふふー、キャルって耳弱いんだ? うりうりっ」
「んん、っ……! や、やめ……助け……んやぁっ!?」
弱点みーつけた、という小悪魔の顔で、キャルの耳たぶを指で挟んでこねくりまわすアルミナ。なんとか逃れようとするキャルだったが、羽交い絞めにされたまま、手先で敏感な耳をいじくられる刺激に体の力が抜けていく。唯一動かせそうな頭でさえ、後頭部にアルミナが額を押し付けて逃げ道を塞ぐから、抵抗どころか身動きもろくに出来ない状況だ。
両脚でキャルの胴を後ろから締め付け、もう離さないとばかりに獲物を捕えたアルミナは、抵抗力を失ったキャルを後ろから徹底的に蹂躙する。言葉での抵抗を諦めたキャルは、口から押さえた手の端から、隠し切れない裏返った声をしばしば漏らしている。ちょっと涙目になってきているが、どうにもアルミナが容赦する気配がない。まさかとは思うが、そろそろ耳を甘噛みでもするんじゃなかろうか。
「すごい絵だなぁ」
「ド変態ですよ……」
昔々マグニスが言っていたことだが、世の中には敵に回してはいけない存在が3つあるらしい。一つは魔物、一つは賢者、もう一つは変態。確かに今のアルミナは、敵に回すどころか近寄りたくもないと、眺めるユースもしみじみ思っていた。
鼻息の荒いアルミナの攻めがどんどん過激になってくる。首筋を撫でられ、脇の下を腕で擦られ、後ろから頬ずりされた時の鳥肌たるや、もはや言葉で言い表せない恐怖である。どこまでやられてしまうのか想像つかないキャルは、何でもしますと言った過去を激しく後悔しながら、喘ぎ声を抑えて我慢し続ける以外に道がなかった。
昨日の時点では、キャルのアルミナに対する尊敬心たるや、うなぎ登りだったというのに。どうにもこのお姉ちゃんはくせが強く、自分自身を上げたままではいられないようだ。まあ、アルミナに対してすっかり頭の上がらなくなってしまったキャルが、今日のセクハラを経て少々気が紛れるなら、それもいいのかもしれないけど。
「よくもまあ、のこのこと帰ってきたものだな」
騎士館に足を運んだシリカは、はじめから心臓がばくばくだった。聖騎士ナトームが待つこの部屋の戸を叩き、入れの一言を聞いた途端、記憶の片隅に行っていた怖いこの人の記憶が、一気にフラッシュバックしたものだ。
恐る恐る近付いたシリカが何か言うより早く、聖騎士ナトームの第一声があれである。謝る前から痛烈な一撃を受けたシリカは、己の中にある非への罪悪感と、真正面から襲い掛かる凄まじい威圧感に挟まれ、言葉だけでなく息も詰まりそうだ。
机を挟んで、頬杖をついて座るナトームと立ちすくむシリカ。いったい何から言えばいいのやら。まずはすみませんで間違いないはずなのだが、頭が真っ白なシリカはその当然すらスムーズに出てこない。だが、ナトームが何も言わずに沈黙を作るため、シリカも遅れながらようやく、深く頭を下げることが出来た。
「……申し訳ありませんでした」
「何がすまなかったのか言ってみろ」
「……騎士としての責務を放棄し、身勝手な行動で本国を離れたことです」
シリカの答えに、ナトームは何も言わない。ずーっと黙っている。頭を下げた姿勢のまま、床だけが視界にあるシリカは、顔を上げることも出来ずに動けない。今、鬼上官がどんな顔をしているのかを見るのも怖すぎるし、何よりこの頭を上げられる心境ではない。
「わかっているなら、貴様に下される処分がどんなものであっても、受け入れる覚悟はしているだろうな」
「……はい」
ゆっくりと顔を上げたシリカの表情は、覚悟を決めたことを毅然と顔に貼り付けたように見えて、心の奥では最悪を避けたい想いが、瞳の色に漏れている。許しを請う目ではないものの、ナトームほどの人物の前にあっては、そんな想いも筒抜けお見通しである。
「私は貴様に、以前言ったはずだな? 貴様を処分する際には、降格などという中途半端な処分はせず、するならば退役命令を下すと」
「……はい」
「今回の貴様の失態は、ルオス皇帝様への無礼をはたらいたあの件など、比較にもならないものであると自覚しているな」
「……はい」
駄目だ、終わった。シリカの脳裏に走馬灯の如く、騎士団に入ってからの思い出が駆け抜けていく。ラヴォアス上騎士の小隊での騎士見習い時代。騎士団入隊試験で上騎士になり、ラヴォアスに祝って貰えて気恥ずかしかったこと。当時高騎士であったダイアンの中隊に入った時からの思い出。クロムやマグニスと出会った時のいざこざ。第14小隊の結成。ユースという初めての直近の後輩。8人の小隊になって以来の日々。疲れることもあったけど、過ぎた今となっては全てが良い思い出だ。
短かったような長かったような、自分の騎士人生もここでおしまい。正直ここに来る前には、何かの間違いで奇跡でも起こってくれないかと夢を祈ったりもしたのだが、ナトームに懲戒免職を言い渡される数秒後を明確にイメージし、一気にシリカの魂から希望が抜けていく。
「法騎士シリカ」
「……はい」
その名で呼ばれるのも今日で最後。せめて自分と同じように、ユースやクロムにまで責任の追及が来るのなら、なんとしてもそれだけには抗おうという覚悟を固める。それがなければ、喪失感だけでその場にへたり込んでいただろう。
「貴様ら第14小隊には、本日今より謹慎命令を課す。ならびに自宅以外での行動制限、その内容、減給などの処分をこの後通達する。これより帰宅した後、一切の外出を慎み、詳細の連絡を待て」
きんしん。解雇処分でも懲戒免職でも退役命令でもなく、謹慎。初めて聞く言葉だ。
「……謹慎?」
「謹慎期間中にさらなる失態を積むようなら、退役はすぐ目の前にあると思え。処分は以上だ」
どうやらクビではないらしい。目が点になったシリカは、とりあえず首の皮が繋がった事実を耳には受け止めつつ、頭ではそれを理解しきれていない。自分のやったこと、聖騎士ナトームの厳しさ、文脈、それらを加味すれば、終了の未来しか見えていなかったのに、この展開はあまりにも予想外である。
「あの……」
戸惑うシリカの目の前で、ナトームは突然握り拳を机に叩き付け、静かな一室に凄まじい轟音を響かせた。マナガルムやギガントスを目の前にしても怯まない法騎士が、無言の一喝にびくりとして、息も止まるかのように固まってしまう。
「本来ならば即刻懲戒処分であったはずであることを決して忘れるなよ……魔王マーディスの遺産どもがラエルカンに陣取り、一兵でも欠かしたくない現状でなければ、法騎士だろうが守るべき人々に背くような不忠者など首を飛ばしているんだぞ……世相を鑑みた苦肉の決断であることを自覚していないなら、私が貴様をくびり殺してやってもいいくらいなんだ……」
これはやばい。ここまでぶち切れているこの人を、シリカはその目で見たことがない。若くして現役の騎士であった時は、きつい口様に反して責任感が強く、悪を挫き人々を守る正義の心に満ちた激情家だとシリカも聞いたことがある。今でもその心根は変わっていないだろうし、参謀職になってからは冷徹な判断で部下に疎まれることはあっても、その根底にあるのは人々を守る騎士としての志。だからシリカも、きつく当たられたって、聖騎士ナトームのことは今でも敬い続けている。
だからこそ、今のナトームの怒りが尋常でないことも存分に伝わってくる。本当ならば、現役の騎士として戦場を、世界を駆け、その手で戦う力のない人々を守る聖騎士として歩きたいはずの人物。魔将軍エルドルとの死闘の末に負った、後遺症のせいで戦陣を退き、その意志を若き騎士達に託したナトームにとって、無責任に職務を果たさない者への失望と憤慨は凄まじい。向き合うナトームの憤慨の瞳からだけでも、自分に対するマグマのように煮えたぎる怒りは、シリカの魂を焼くんじゃないかというぐらいに肌をちりつかせてくる。
「今すぐ私の前から消えろ……自宅で謹慎し、通達を待て……」
言葉も返せず、借りてきた猫のように縮こまった全身で、こくこくうなずいて後ずさるシリカ。職を心配するより、本気で命の心配をした方がいいんじゃないかとさえ思えてきた。エルアーティに渡されて、聖騎士ナトームに届けるように言われていた書類のことも忘れて、シリカは背中を向けたドアノブに後ろ手をかける。
書類の入った大きな封筒を持った方の手で、だ。それでようやく我に返り、預かり物をしていた自分を思い出す。で、どうしよう。これを渡すためにあの人にまた近付かなくてはならないのだろうか。
いやいや、仕事はちゃんと果たさなくては。シリカは足早にナトームへと近付くと、檻の中の獅子に餌でも与えるかのように、恐る恐る書類の入った封筒を差し出す。自分を睨みつけて離さなかった目線を一瞬だけ封筒に落としたナトームだが、すぐに目線を上げて、眼力だけで人を殺せそうな眼差しを突き刺してくる。
「……何だこれは」
「え、エルアーティ様から……聖騎士ナトーム様へ、と……」
駄目だもう限界だ。封筒をナトームの机に置いて、かさかさかさっとシリカは素早く退がる。これ以上あの視線に晒されたままでは心臓がもたない。はっきり言って上官に対する態度としては下の下、失態の上塗りになるのはわかっているが、もう無理だ。心がへし折れている。
「も、申し訳ありません……! 何から何まで、本当に……」
「もういい! とっとと私の前から消え失せろ!」
怒号に口から心臓が飛び出そうになりながら、シリカはナトームから逃げるように部屋の扉を開け、出てすぐその扉を勢いよく閉めた。心臓が高鳴って止まらない。別に何かされたわけでもないのに、九死に一生を得た気分というのはどういう心地だろう。いや、騎士としては九死に一生を得ているけど。
扉に背を押し付けて、その場でへなへなと座り込むシリカ。誰かに見られてたら死ぬほど格好悪い姿であったが、幸いにも周囲には誰もいなかった。というか、見られていたとしても今のメンタルでは、体裁を繕う気力もなかった。肉体ここにあり、魂だけどこかに飛んだかと思えるほど放心状態である。
まあでも、まだ騎士でいても良いらしい。最悪の結果は免れた。
「それにしても隊長、大丈夫ですかね」
「厳重処罰では免れないだろうが、まあ職は大丈夫だろ……あ、チェックな」
「流石に今回の件、言い訳利かないと思うんですが、免れる可能性ってあるんですか?」
「シリカをクビにしたって騎士団に何の得もねえからな」
「そういうもんです?」
「そういうもんです」
解雇に限らず職場判断というのはそもそも、それによって発生するメリットがあるか、それをしないことによってデメリットがあるかどうかで、行使するか否かが決められる。クロムの観点では、それらを総合して考えると、シリカが懲戒免職される可能性は低いと見立てられる。
まずシリカを騎士団が切ることによって発生するメリットがあるとすれば、一人の騎士に支払う給金が浮くというのが最もだ。仕事も果たせぬ者に払う金はない、という理由での解雇というやつだが、これは絶対にないとクロムも確信を持って言える。
法騎士たるシリカは本来それなりの高給取りのはずだが、尚早の法騎士ということで、他の法騎士達と比べて手取りはかなり少ない。しかもシリカは、自分がその階級に吊り合う人物であると思っていないため、文句言わないどころかそうであって下さいという口だ。その性分や態度からも明らかだが、シリカは超がつくほどの生真面目で、仕事に対してはとことん真摯に取り組むし、手腕もその辺りの高騎士や上騎士よりも遥かに高い。安月給で文句一つ言わずに馬車馬のように働き、結果もしっかり出してくれるシリカを手放すというのは、彼女から計算される仕事率から換算すると、経済的にはどう考えても損である。
もう一つの要素としては、シリカを免職しないという判断をすれば、騎士団に寄せられる批難が発生するかもしれないという点。この大事なご時勢に、職務も放棄して本国を離れるような法騎士なんて辞めさせるべきではないのか、という世論が高まれば、ひいては騎士団の名がささやかに落ちかねない。確たる信用を掲げて存在するだけで、民の安心を示唆できるのが騎士団の理想形というものなのだが、そういう風潮が発生するのは騎士団としても望ましくないところである。だから不手際のシリカに、わかりやすい形で責任を取らせる、という判断もある。
「こういうのは組織の方針次第ではあるが、エレムの騎士団は多分そういう考え方をしてねえからなぁ。幸いにも上層部の連中が叩き上げばっかりで、下の奴らに失敗にけっこう寛容なんだよ」
「あぁ、言われてみればルオスの軍部もそんな感じですね」
騎士団を運営する人物、参謀職含めた上層部は、若き頃は騎士として戦場を駆け回ってきた者ばかりである。そして誰もが、今の誉れ高き地位に立つまでの数十年の中で、今では忘れてしまいたいような、失敗の経験を踏んでいる。
たとえば魔王マーディスを討伐した勇者として名高い、勇騎士ベルセリウスや近衛騎士ドミトリーだってそうである。ベルセリウスは少騎士時代、魔王マーディスの部下が率いる軍勢に立ち向かわねばならない時、死ぬのが怖くなって、町を守る責務を放り出して逃げ出した過去がある。ドミトリーも、法騎士という尊敬されるべき立場にもなって、酒場で酔って大暴れするという、言い訳利かない大失態をかましている。今となっては王国が誇る誉れ高い騎士の二人だが、若い頃にはそんなみっともない失態を踏んでいたりもするのである。
誰もが一つぐらい、掘り返して欲しくない汚点を持っていたりするのだ。そんな上層部達だから、若い騎士の純真な過ちには、強く叱責を下しつつも最後の最後では寛大なのだ。勿論悪意あっての汚職や裏切りに対しては、逆に慈悲のかけらもないぐらい激烈な処罰を下しにかかるが、今回のシリカの行動の真意を掘り下げれば、部下を救うために仕事に手がつかなくなった、程度の認識に至るはず。解雇とは仕事をする者にとって死刑に等しいものであり、シリカをそうすべきか否かを判断する時、騎士団は必ずそうした裏に対しての調査を入れてくれるはず。そこに至れば、必ず慈悲を見せてくれるはずだ。
過ちを犯したシリカは、確かにお咎めなしとするわけにはいかない。だが、解雇までいかずとも厳重処分で済ませておいてよかろうと騎士団が判断し、それを世論が批難するようなことがあっても、その罵声に胸を張って、法騎士シリカを残すことを潔しと主張できる魂が騎士団にはあるはず。そういう組織だと知っているから、昔騎士団といざこざあって、騎士団入りするのを渋っていたクロムでさえもが、今は騎士階級を掲げて働いているのだから。
「それよりチータ、次どうすんだ? お前の番なんだが
「んー……いや、もういいでしょう。多分詰んでます」
「ふむ、潔いな。嫌いじゃないぞ、そういうのは」
話を目の前に戻したクロムの手前、ふぅと息をついて盤上の駒をがしゃりと崩すチータ。数十手先まで読んでみたが、自分がクロムの立場なら、もうここからの勝ち筋を見逃さないと思える盤面だった。時間を無駄にはしたくないし、チータとクロムの盤棋勝負は、チータの投了で幕を閉じた。
「クロムさん、強いですね。流石マグニスさんをして、遊びの鉄人と言われるだけのことはありますよ」
「育ちが悪いからな、俺は」
賭け金をチータから受け取り、煙草を吹かして上機嫌のクロム。ちょっとぐらい騎士館に赴いたシリカを案じているかと思ったが、特にそんな気配もなくあっけらかんとした態度には、チータもその豪胆さに軽く嘆息が出そうだった。
アルボルへの向かう道、行く末に不安げなシリカに、騎士団をクビになったら傭兵団でも作ろうか、と冗談めかして持ちかけていたクロム。流石に気休めだろうと思っていたけれど、本当にシリカが騎士団をやめさせられることになったら、この人なら本気でそうするんじゃないかと、出来るんじゃないかと、今思えた。
さて、時も過ぎ去って夕暮れ時。妹をしゃぶりつくしてお肌つるつるのアルミナ。もうお嫁に行けないと真っ暗なお顔のキャル。休日気分で自宅でべらべらくつろいでいたクロムとマグニス。その二人に自宅遊びを持ちかけられたら、とりあえず付き合ってそこそこ楽しんでいたチータ。
訓練場で一人自主鍛錬してひと汗かいた後のユースぐらいだ、今のシリカにとって良心だと思えるのは。別に責めやしないが、死ぬほど怖い想いをしてきた自分に反し、一日じゅう遊び呆けていた男三人とおてんば娘の身分は、ちょっと羨ましく感じる心地である。まあ、キャルは気の毒だと思うが。
「えー……騎士団から通達が来たので発表するぞ。みんな、心して聞くように」
騎士団が、第14小隊に下す処分が決定したらしい。赤紙に近いお手紙を受け取り、その内容を唯一把握しているシリカに、各々ちょっとだけ緊張して耳を傾ける。とは言っても、あんまりみんな不安な顔はしていない。シリカがいなくなるとか、この小隊が解散とかそういうことでもないのなら、別にだいたいのことは平気ですよという気分なんだろう。
「ガンマを除き、全員向こう4ヶ月、50%の減給だそうだ……なんと言えばいいのか……」
「……マジっすか、シリカ姐さん」
「みんな、本当にすまない……申し訳ない……」
この世の終わりのような顔で顔面から血の気を引かせるマグニス。自身の決断をきっかけにこの結果を招いたと自認するシリカは、部下一同に、万死に値する想いの顔で謝ってくる。ここまでしおらしいシリカも珍し過ぎて、久しぶりに騎士の仮面をはずした、素のシリカの顔が見れた気がする。
「いや、別に俺らも自分の意志で行ったことだし」
「減給って言っても、暮らしに困るわけじゃないですしね」
「シリカさんがそんな顔することはないと思いますよ?」
ちなみに、殆ど誰も気にしていない。そもそも第14小隊の面々は、揃いも揃ってシリカの影響なのか倹約家ばかりで、ユースもアルミナもキャルも結構な貯金を積んでいる。元から資金繰りがしっかりしているクロムやチータも同じようなもので、向こう4ヶ月の減給なんて屁とも思っていないような奴らばっかり集まっているのが第14小隊なのだ。それは小隊の長たるシリカも同じことであり、これで痛手を負っているのは、遊びで散財癖の強いマグニスだけ。
「まぁ、賭場でなんとか増やすしかねえかなぁ……旦那と組めばまあ……」
「……あと、今日からしばらく、第14小隊には自宅を除いての行動制限がかかる。王都からの外出は禁止され、王都内も立ち寄っても良い場所、許されない場所に分かれることになる。後でそれをまとめた地図を貼っておくから、目を通しておいてくれ……」
まさか。
「おいちょっと待てシリカ。その行ってもいい場所に色街や賭場は……」
「含まれてるわけないだろ……謹慎期間中だぞ……」
マグニスの今年が終わった。これからしばらく、金も入らなければ遊びに行くことも出来ない。それって遊び人に対してどんな拷問だろう。
「あの、旦那。融資を……」
「ん~? 俺に金借りると利子高ぇぞ」
「チータ?」
「足元見ますよ、僕は。お困りなのは見るも明らかですし」
「ゆ、ユース?」
「……踏み倒されそうな気がするんで、ちょっと遠慮したいかなって……」
「アルミナ……」
「ヤです」
キャルにも声をかけようとしていたマグニスだったが、アルミナに睨まれて封殺。マグニスは灰になった。日頃の行い、何とやらである。
「……ひとまず、第14小隊に対する処分は以上だ。あとは、個人に対しての話だが……」
マグニスなんかほっといて、手元の手紙をちらりと見て、シリカがユースに顔を向ける。え、俺? と目を丸くするユースだが、それに対する憂いたシリカの目が揺るがないので、恐らく話をする相手というのはユースなのだろう。
手紙とユースの顔を交互に見比べ、何かすごく言いにくそうな顔をしているシリカ。何だろうあれは。ちょっと怖くなってきた。
「……あのな、ユース。落ち着いて聞いてくれよ」
ふと、城砦都市レナリックの守りを放棄して、故郷へと駆けた数日前の自分が脳裏をよぎる。まさかあの件で、追徴処分でも自分に下されるのだろうかと、ユースは胸の辺りが高く鳴り始める。母を助けることが出来た達成感で忘れていたが、今にして思えば、自分だって大概なことをやっているではないか。
えらく長い沈黙をシリカが作るので、よほど悪い知らせが自分に告げられるのではないかと、ユースはどんどん不安になってくる。降格? 移隊? それともク……そこまで考えたところで、大慌てで最悪の仮説を頭から締め出す。まさかとは思うが、いや、本当にまさか、そんな。
小さく息をついて、シリカが答えを口にする決意を態度に出す。ごくりと息を呑んで、ユースは自分に知らせられる凶報に、即席の覚悟を固めるのだった。
「……賢者エルアーティ様が、お前をしばらく召使いに雇いたいと仰っている。謹慎期間中であることに幸いとし、騎士団もそれを認めたようだ」
何の話をしているんでしょうか、うちの隊長は。
「あの、シリカさん。それって新しい冗談ですか?」
「いや……気の毒だとは思うんだが、事実なんだ……」
ユースがエルアーティについて知っている主なこと。
懲戒免職を恐れるシリカを、言葉責めするような性格の悪さ。
ユースと顔を合わせるたび、妖艶な瞳と言葉でいじめてくる嗜虐性。
かつて百獣皇アーヴェルと、一対一で渡り合ったと言う大魔法使い。
ゆえに何をされても恐らく逆らえないであろう、自分と相手の明確な実力差。
「拒否権、ないからな……明日から、頑張ってきてくれ……」
昔シリカに第26中隊への短期移籍を言い渡された時も、こんなふうに頭が真っ白になった気がする。だが、厳密には違う。鞭を握った小悪魔の前に、縛り付けられたまま放り出されるような未来を明確にイメージしてしまった今のユースは、自覚するぐらいぶわっと冷や汗が吹き出す実感があった。
遥か北の魔法都市から、魔女のうすら笑いが聞こえてきた気がした。まるで出荷される家畜を哀れむような瞳のシリカだが、それがなおいっそうユースに、首輪をつけられ地べたを這わされるような、恐ろしい未来を予感させてくる。だからそんな目で見ないで下さい。
一寸先は闇。どうしてこうなってしまったのか、ユース自身が一番よくわからなかった。




