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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第10章  深き緑の鎮魂歌~レクイエム~
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第156話  ~大森林アルボル⑤ 最重要警戒対象との再会~



「っ、英雄の双腕(アルスヴィズ)!」


 ギガントスの剛腕の一撃を、魔力なしで受けるようなことあれば即死ものである。素早く盾を構えてギガントスの素拳の一撃を受ける形を作ったユースは、同時に展開した防御の魔力で盾を包み込む。


 スフィンクスの棒術の一撃さえも食い止めるユースの英雄の双腕(アルスヴィズ)でも、ギガントスの怪力が繰り出すパワーは到底抑えきれない。後方に吹き飛ばされたユースが、後ろにいたアルミナを巻き込んで吹き飛ばされ、遠方の地面に二人重なって転がらされる。


 すぐそばにいたキャルの脳天を蹴り飛ばすべく回し蹴りを放つギガントスの猛攻に、キャルは全く反応すら出来ていない。気付いた時には目の前から迫る、巨木のような何かが、自分の頭を粉々に粉砕する未来に、時間が止まったような心地になっていたものだ。


 それを食い止めたのが、ギガントスの回し蹴りを下から蹴り上げたクロムの脚だ。軌道を逸らされるどころか、地面と水平に滑空していた脚を上向きに跳ね上げられたギガントスだが、その動きに合わせて軸脚で地面を蹴り、後方回転して遠き地面に着地する。


「殺す気で来てるなら、殺されても文句言うんじゃねえぞ」


 未だ大きく揺れる地面ゆえ、前に踏み出さず身体能力の魔力を高めるために一瞬の間を置くクロム。体勢を整えたギガントスに対し、地面の揺れが収まり始めたと同時に地を蹴って接近するクロムは、一瞬でその槍の射程内にギガントスを捕える。


 ギガントスの脳天目がけて突きを繰り出し、左に首を逃がして回避したギガントスの動きを読み、そこへ即座引いた突きを繰り出すクロム。これを駆けながら。一瞬の間に繰り出された二連突きはチータには視認できるものですらなかったが、戦況は既に次の局面。槍の石突を回転させたクロムがギガントスの懐近くに踏み込んだ末に、ギガントスの顎元目がけて横に薙がれる。


 最低限の後退を踏んだギガントスが、カウンターの正拳突きをクロムに放つが、片足軸に回転したクロムの背中すぐそばをギガントスの拳が空振り、さらなるクロムの肘によるカウンターが、ギガントスの肘に突き刺さる。筋骨隆々のギガントスの肉体にさえ深く食い込むクロムの一撃は、身体能力強化魔法の末に凄まじい筋力を携えたものだ。


 右腕に凄まじいダメージを受けつつも、表情を僅か歪めるだけでその腕を振るってクロムを横薙ぎに払い飛ばそうとする、ギガントスの執念が凄まじい。クロムにとっては前方へ加速するだけで回避できる攻撃だが、結果として追撃できずに距離を取らされる形となる。


 そしてギガントスが狙う対象とはクロムではない。真っ向から戦うべき相手ではないとクロムを見限ったギガントスは、シリカに向かって急接近だ。巨人の突進は凄まじい迫力だが、何度もこんな局面を踏んできたシリカは、最大限の緊張感のみを胸に最善の心持ちで応戦する。長いギガントスのリーチを踏まえても騎士剣を握るシリカの射程距離の方が長く、魔物を範囲円の中に捕えた瞬間、シリカの騎士剣がギガントスの腰元目がけて振るわれる。


 万物を切り裂く魔力が刃に込められていることなど知るはずもないギガントスが、直感でその刃の脅威を察知し、シリカの頭上に飛び込むようにして回避する。上体を地面に水平近くして、シリカの頭上を越えていくギガントスは、シリカを射程距離に捕えたその瞬間、その剛腕を振るって上からシリカの側頭部を殴り飛ばそうとしてくるのだ。


 ぞっとしたシリカが大きく身を沈めて回避した後方、前方回転の受身を取ったギガントスは素早く立ち上がり、立ち上がろうとするユースとアルミナの二人に狙いを見定める。その狙いをいち早く察知したマグニスが、ギガントスの空中後方から、靴裏の火球を全力回転させて差し迫る。ナイフを引き抜き、ありったけの殺気を放ちながらだ。


 後方から迫る敵の気配に当然敏感なギガントスは、その場で地面に手をついて、逆立ちに近い形を瞬時に取り、マグニス目がけてその二本脚を槍のように突き出してくる。敵の意識をこちらに引きつけ、ユース達を救うことを目的としていたマグニスは即座に進行軌道を曲げ、ギガントスの脚突きを回避、同時についで代わり、ギガントスとユース達の間に火柱巻き上げる火球を放ってだ。


「開門、岩石魔法(ロックグレイブ)……!」


 逆立ち姿勢で自らの方に腹を向けたギガントスの隙を、チータは見逃さない。ギガントスの腹の前に召喚した土色の亀裂から突き出した石の槍は、急加速度を得てギガントスのみぞおちを的確に貫いた。ギガントスの目が僅か見開かれたことからもダメージはあったのだろうが、その攻撃を受けながらもギガントスは体勢を崩さず、脚を引いて正しい形に着地する。


 立ち上がり様に手に魔力を集めたギガントスが、腕を後方に振るって、チータの足元にその魔力の塊を投げつける。戦慄を感じたチータは後方に飛び退くが、着弾した瞬間に岩石と多量の土を伴う爆発を起こすギガントスの魔法は、跳んで逃れた以上にチータの体を吹き飛ばす。近くにいたキャルまでもが、岩石を伴うように込められた魔法の散弾岩石を受け、庇い手を傷つけられて地面に倒される。


 火柱が小さくなった拍子に、立ち上がったアルミナの放つ銃弾がギガントスのこめかみ目がけて宙を駆け抜けた。ユースの下敷きにされたにも関わらず、素早く臨戦態勢を整えた初動は見事だったが、ギガントスは風より速い銃弾をかがんで回避し、直後脚目がけて横から放たれる銃弾さえも、前方に僅か跳ね進むことでかわしてみせる。


 手練7人相手で4人の戦士を地面に倒す暴れぶりを見せるギガントスの実力は、まさしく騎士団が語っていたゼルザールの恐ろしさ、あるいはそれ以上だ。その昔、勇騎士ベルセリウスと対峙した獄獣ディルエラが、主を持った魔物は腑抜けて使い物にならないと愚痴ったという逸話があるそうだが、純粋なる大自然で生きるギガントスという魔物がこれほど恐ろしいものであるとは、騎士団の中でも経験則として語れる者は少ないだろう。歴史上数少ない経験者も、間違いなく多くが屍になっている。


 そのギガントスに、恐れどころか怒りのみを露にして直進するクロムは、そんなギガントスでさえも気を引き締めてかかる。胸元目がけて突き出される槍を、腰を下げて下から殴り上げるギガントスに、回された槍を即座に持ち替えて石突による突きに切り替えるクロム。その一撃はギガントスの大腿筋に深く突き刺さるが、痛みを奥歯に封じ込めたギガントスはその槍を左手で掴み、槍を握ったクロムごと自分に引き寄せる。


 余った右拳による巨大な正拳突きを繰り出されたクロムは、槍を手放さずその拳と距離が詰まったその瞬間、強化した脚で勢い良くその拳を蹴り上げた。右拳を上空にはじき返されたギガントスの胸元に腰からぶつかったクロムは、頭を下にした状態から裏拳をギガントスの腹部に激突させる。チータが放った石の槍よりも更に重い一撃に、握っていた槍も手放して後ずさるギガントスと、殴った勢いを利用して体を回転させ、脚を下にして着地するクロム。武器は手元にある。


 すかさず追撃の前進を為すクロムに対し、高く跳躍したギガントスはクロムの視界から一度消える。その目指す着地点が、足裏で自分を踏み潰すためのものだと察したチータは、ポーカーフェイスも一瞬戦慄いっぱいに染めて魔力を練り上げる。


跳壁召(リペルリープ)……!」


 開門の基本詠唱も省いて、足元が放つ反発力を生じさせたチータは、後方高くに跳んで逃れる。直後先ほどまでチータが立っていた地点を踏み抜くギガントスが、足先に集めていた魔力が、チータの魔力に上塗りするようにギガントスの魔法を発動させる。


 地震魔法(アースクエイク)と酷似した、地面を長く大きく揺らす大魔法を、詠唱一つ挟まずに容易に実現させる実力はあまりに凄まじい。跳ねるように踊る地面に足を取られたクロムを無視して、立ち上がりかけた体をさらに崩されたキャル目がけ、ギガントスが直進する。魔物の狙いは森に仇為す人間の駆逐、強敵クロムを葬る必要などないのだ。


 足を取られつつも決死の想いで地を蹴ったクロムが、キャルとギガントスの間に割って入るのは間に合った。しかしぎりぎりの割り込みに、迎撃の動きを伴えなかったクロムは防御の形を組むのが精一杯で、眼前に交差したクロムの腕に、ギガントスの右の正拳突きが激突した。


 身体能力強化の魔法を全開にしてなお、巨木をもへし折るギガントスのパワーは重過ぎる。みしみしと最大限強化した腕が軋む痛みは、絶対的肉体に自負を持つクロムにも珍しい経験だ。しかし後ろで青ざめた表情を隠せないキャルに反し、クロムはにやりと笑ってギガントスの右手首に左腕を巻きつける。


「ディルエラと比べりゃあ、軽いもんよ……!」


 全力全開でギガントスの右腕を押さえつけるクロムの怪力により、腕を引き抜けないギガントスの動きが食い止められる。間違いなく作られたこの隙を、そばにいたシリカが見逃すはずがない。揺れる地面を強引に踏みしめて、歩幅大きくギガントスに側面から駆け出した法騎士が差し迫る。


 言い知れぬ危機感を感じたギガントスは、右脚を振り上げ、シリカに砂を蹴りまく動きに移る。ただの目くらましではない、足先に集めた魔力で地面を蹴り上げることで、その方向に津波のような土と岩石を放つギガントスの魔法、地覆大波(マッドウエーブ)だ。真正面から襲い掛かる、自分の背丈より倍もある大地の襲撃は、一瞬どこに逃れればいいのか戸惑った末、そのまま押し潰されてしまう戦士が殆どの大技である。


 万物斬り裂きし魔力を剣先に纏ったシリカに迷いはない。正面から襲い来る土の波を、振り上げた騎士剣で割ったシリカは、視界の先にギガントスを捉えた瞬間、その喉元めがけて砲弾のように跳びかかる。既にもう一度騎士剣に纏った勇断の太刀(ドレッドノート)の魔法の名が示すとおり、一瞬目の合ったギガントスの方が、恐れ知らずの法騎士に対して怯んだほどだ。


 身を捻ろうとよじろうと、その刃が敵を捕えるほどにまで距離を詰めたシリカの騎士剣は、ギガントスの首元目がけて勢い良く振るわれた。それでも高速で身をかがめたギガントスが、首を切断されることを免れたのは見事だが、目に見えてギガントスの頭が自らに向かって下がってきた動きを下にいるクロムが見逃すはずがない。一瞬クロムとギガントスの目が合い、その瞬間にも小さな駆け引きがあったが、必中の攻撃としてクロムは素早く短く持ち替え、横薙ぎの槍先でギガントスの喉元を切り裂く。ギガントス頭上を通過するシリカが、空中で身を翻してギガントスの方を向き直る中、首元から鮮血を吹き出すギガントスが僅か重心を後ろにぐらつかせる。


 傷を押さえるより先にギガントスが取った行動とは、自由な左手に魔力を集める行動。まずいと見たクロムはギガントスの右腕を解放し、後方のキャルを素早く抱きかかえて跳躍する。直後自分の足元地面に左拳をぶつけたギガントスの魔力が、ディルエラの爆閃弾(ばくせんだん)によく似た爆発を生じさせる。咄嗟の判断で離れていなければ、クロムもキャルも、土と岩石を伴うあの爆発に巻き込まれダメージを負っていただろう。


 首の傷を押さえたギガントスは、後方に大きく跳躍し、第14小隊から距離を取る。着地の瞬間、背を向けてシリカ達から逃走するギガントスは、あの深手を負ってなお絶命しないだけの生命力を持つ怪物だということだ。一方でその後ろ姿が語るのは死闘の幕降ろしであり、ギガントスという脅威を退けた第14小隊は、ひとまず危機の一つを逸したと言えるだろう。


「まずくなってきたな……キャル、走れるか?」


 抱えられた状態から地面に降ろされたキャルは、両の足で地面を踏みしめてこくこくとうなずく。クロムと同じく、今の彼女も次の危機がすぐそばまで迫っていることを感じ取っているのだ。そして同じ危機感を、シリカも等しく感じ取っている。


 ギガントスの逃げていった先から感じられる殺気の数々は、恐らく個々は些細ながらも、敵の数ゆえにその濃さを感じるのであろうものだ。木々少なく、悪い意味で見晴らしのいいこの場所に立つ外敵へ、無数の魔物達が排斥の軍勢を差し向けていることが、遠方から響く数多の足音から予感できてならない。音がこちらへ近付いていることが、予感を確信に変える決定打。


 後方のプレシオ、前方の未知なる魔物達。ほとぼり冷めるまでこちらに身を逃した決断は、状況を悪化させてしまったのか。プレシオが仲間を呼ぶ動きを、計らずして間接的に促してしまったシリカも、悔いを胸中から締め出して次の決断を強いられる。時間が無い。




「こっちこっち! バーダント様への道は、ここを真っ直ぐ行けば見つかるわ!」




 思考を遮る大声が、シリカの右方遠くから響いた。一度聞いた声だと思って振り返った先には、腰元を蒼い花で包んだ妖精の姿がある。


 ベラドンナだ。露骨にマグニスが眉をひそめたが、視線を無視してベラドンナが放つ言葉は、第14小隊の焦燥感を煽るもの。


「早く! 森の番人達はあなた達でも退けきれない! 私が話をつけるから!」


 こちらに飛来し、自分が先ほどまでいた場所を指差して、行けと示唆するベラドンナ。戸惑いから一瞬シリカの思考が止まりかけてしまうが、一刻一秒を争うこの状況下、シリカの決断は早い。前方から、今のギガントスに匹敵するような魔物が2匹以上現れたら、仲間ともどもただでは済まない。


「――行くぞ!」


 ベラドンナに問いかける暇もない。彼女が指差す方向に向け、シリカが駆け出すと、第14小隊はそれに続く。その場に居残りシリカ達を見送るベラドンナに対し、上空からマグニスは彼女を一瞥する。警戒心いっぱいの視線を受けたベラドンナはマグニスを見返すが、ふいと目を切ってマグニスも、シリカ達の後ろを空から追っていく。


 ベラドンナの表情は、さしたる感情を抱いたものではなかった。やがてこの場所に集まってくるであろう、人間を狩るために集う魔物達を相手に、どのように話を言いくるめようか考えていた程度のものである。











 木々の少なく空の開けた場所を経て、再び密林の間を駆けることになったシリカ達の不安は大きかった。だが、ベラドンナに言われたとおり真っ直ぐ駆け抜けた先にあったのは、確かに小さなヒナギクの花。桃色に咲く、季節柄に合わないその一輪が、精霊バーダントの示す道しるべの一つであるのはわかりやすく、辿り着いた瞬間に第14小隊の胸を撫で下ろす想いは計り知れない。


 そんな想いが確かに胸中に降臨する中、7人全員の目から緊張感が消えないのは何故か。周囲一帯、荒げた呼吸が耳で聞けるほど、近く潜む魔物の気配が多数ある。木々の後ろ、樹上、草葉の陰、一人の人間が視野に入れきることが出来ない場所など、周囲一帯無数にある。近く背を合わせて陣を取る第14小隊の周囲は、既に魔物達の群集地帯だ。


「……誘い込まれたような気しかしねえ」


「かもな。今はどうでもいいことだ」


 ベラドンナの指し示す方向に進んだ結果、こうなっていることに、マグニスの猜疑心は最大限まで高まる。だが、クロムの言うとおり、今は周囲の魔物達に対して集中力を高めるべきだ。無言のまま、クロムの箴言を受け止めたマグニスは、指先に火の魔力を集める。敵のみ撃ち抜き、山火事を起こさない精密なる火術を放つのも、集中力さえ伴えばマグニスには容易いこと。


「止まるなよ……! あれは私が駆逐する!」


 先頭を走るシリカが一気に加速するその眼前には、熊のような巨体を持つ魔物が目をぎらつかせている。ミノタウロスのような大鬼の魔物には力で劣るも、その機敏性が恐れられるグリズリーは、森における怪力のハンターだ。後方の脅威から逃れることと前進を兼ねた今の動きを止めたくないシリカが、一気にグリズリーに差し迫り、首をもぎ取ろうとするグリズリーの爪先を、駆けながら身を沈めて回避。直後、前方に跳ねた動きに伴い、グリズリーの首の横を通過すると同時、騎士剣でその頭を真っ二つにする。


 走り続けが足にき始めていたキャルは、駆け続ける仲間達に遅れてはならないと、その足を加速させた。その一瞬、草陰で自分のそばを駆けた人間に対し、牙を研ぎ澄ませていた魔物の存在に、キャルはまったく気が付いていない。


 一番最初にそれに気付いたユースが、キャルの後ろから彼女を追い抜くように急加速。キャルの右から彼女を狙う牙の前に身を挟み、自らが壁となり盾を構える。そのユースに向け、大きな牙を開いて襲い掛かる植物の魔物に対し、ユースより一瞬遅れて気付いていたクロムが長槍を振るった。


「ぎ、っ……!」


「…………!?」


 キャルの横から響いた、くぐもった悲鳴。二枚貝のような形の大花に無数の牙、まるで巨大なハエトリソウのようなおぞましい植物が、ユースの盾を飲み込むように彼の左腕に噛み付いていた。その巨大植物を横から貫くクロムの槍が、あわやユースの腕を食い千切るところだった、怪植物の動きを抑止していたと見える。


 この魔物はユース達も初めて見る。マンイーターと呼ばれる、まるで怪物の大口を思わせる花を持つこの魔物は、獲物を食い千切ったあと、牙先から噴出する酸で溶かし、亡骸から養分を頂く怪物である。その巨大植物の噛み付く力は、さながら狼にも勝ると言われており、噛み付いた瞬間にこの怪物をクロムが貫いていなかったら、ユースの腕はさらにえげつない負傷を負っていただろう。


「マグニス、焼け! 強引に引き剥がすとユースの腕が千切れる!」


「承知してますともよ!」


 マグニスの放つ火球が、ユースの腕に食らいついた巨大植物を火に包んだ。その牙に込められた力がゆるんだ隙に、ユースが慌ててその腕を引き抜く。怪植物の首近くを器用に焼くマグニスの調整火力によって、腕が炎に包まれることはなかったものの、炎近しくして焼けるような痛みと、牙の食い込んだ傷跡の痛みは凄まじい。ユースはうずくまりそうにさえなって歯をくいしばる。


 周囲全体の目が負傷したユースに注がれ、小隊全体が足を止める。自分を庇うために彼が痛手を負ったことに、キャルの顔面は蒼白だ。言葉も見つけられずユースの横で立ちすくむキャルの目の前、クロムがユースの肩をぽんと叩く。大丈夫か、という無言のメッセージに対し、ユースは顔を上げ、傷ついた腕の先にある手を軽く振り、無事を伝えようとする。


 健康的な色の肌を、流れる血の筋が染めていく光景は痛々しい。シリカも心配な想いを思わず目に表したものだが、行きましょうというユースの力強い声に押され、振り返った頭を再び進行方向に向ける。クロムもマグニスも小さくうなずいたのは、男の戦人のあるべき姿を後輩が綺麗に体現したことへ、二重の意味で安心したからだ。


 その安堵もほんの一瞬のみ。前に駆け出そうとしたシリカの足も思わず止まるのは、眼前木々の間からこちらに向かってくる魔物の影ゆえだ。大蛇のような魔物が、高い位置にその首を構えたままこちらへ這いよってくる光景。それも、蛇の頭は5つある。近しい位置にだ。


 それが5つの大蛇が連なった一匹の魔物、アースヒドラであると気付くまで、シリカも時間はかからない。さらに左右から、邪魔な低い草木を、大斧のように振りかぶった熊手で薙ぎ払い、こちらへ歩み寄ってくる巨体がある。あれは、先ほど討伐したグリズリーよりも遥かに高い身体能力を持つ、くちばしとぎょろついた夜行性の目を携えた、大熊の肉体を持つ怪物。真夜中の狩猟者と名高いアウルベアーは、ミノタウロスよりも更に素早い動きと強大なパワーを持つ魔物である。それが、挟み撃ちで2匹だ。


 樹上から第14小隊を見下ろす、人間の大人ほどの巨体を持つコウモリのような魔物、デビルフライヤーの気配も多数ある。さらには駄目押しのように、周囲に目を配れば、今しがたユースに噛み付いた人食い植物、マンイーターによく似た植物が、草葉の陰に身を潜めているのがわかる。


「……陣を取れ。いつものとおりにだ」


 前衛シリカとユース、後衛つまり後方に対しては前衛となる位置にクロム、挟まれてアルミナとキャル、遊撃手マグニスとチータ。包囲された時の第14小隊の陣形は決まっており、短いシリカの一言だけで全員があるべき立ち位置に並ぶ。危機に心臓がばくつきながらも、鋭い眼差しを魔物達に返すユースもアルミナも、覚悟はすでに決まったと言えるだろう。


 一人の命を失うことなく、この局面を切り抜けられるのか。シリカは不安いっぱいの胸を法騎士の魂で塗り潰し、巨大なアースヒドラへとその足を漕ぎ出した。











(だからあれは、スペルパピーが森を燃やしたのがきっかけであって、人間達はそれに応戦しただけ。あれらには、森を焼き払う意図はないわ)


 シリカ達に差し迫ろうとしていた巨大な魔物に対し、ベラドンナが通じる言葉を介して事情を説明している。ギガントスという、森を守る同胞を傷つけられたその巨大な狼の姿をした魔物も、怒りを一度矛に収め、ベラドンナの話に耳を傾けていた。


(だからお願い、もうあの人間達は襲わないで。あなたの恩人さんも、あそこにいるんでしょ?)


(……まあな)


 小さなベラドンナの前に鼻を近づけ、静かな吐息を吐くマナガルムは、極めて落ち着いた声でベラドンナの言葉に応じた。プレシオのいななきを聞いて、森を傷つける人間を狩りに来たマナガルムの誤解は、ひとまずベラドンナの説明によって解けたようだ。


(ひとまず、プレシオの奴には私が説明しておいてやる。だが、他の連中は知らんぞ)


(仕方ないけどね。みんな、人間の肉が食いたいのはわかるし)


 はぁと溜め息をついて、森に逃れたシリカ達を案じる目を浮かべるベラドンナ。その眼差しには全く嘘の色がなく、シリカ達人間が生き延びてくれることを心から願う色をしている。


(きっと、あと少しで"救える"のよ。せめてそれまでは、人として(・・・・)生き延びてくれないとさ)


(貴様は人間に肩入れし過ぎだ。同胞達に恨まれても知らんぞ)


(私はロートスの子よ。あなた達とは考え方が違うの)


 マナガルムはベラドンナの横を素通りして、ゆっくりと歩きだす。河でいななくプレシオの方まで駆けて、怒れる同胞に事情を話しに行くのだろう。


(……まあ、我が子を保護してくれたあの少女に関しては、私も思い入れが無いではないがな。ひとまず見守ることにはするから、有事の際には声をかけてくれても構わん)


(ありがとう、心強いわ)


 アルボルに住まう魔物達の中でも随一の実力を持つ、マナガルムにそう言ってもらえたことで、ベラドンナは機嫌をよくしてシリカ達の方へと飛んでいく。河へ向かって駆け出したマナガルムをちらりと見送るが、視線はすぐに人間達向きへと戻る。


 ベラドンナの眼差しは、ここまでシリカ達に見せた表情のどれとも異なり、真剣そのものだった。彼女の目的は今、叶えられるか否かの岐路にある。自分には手を出せない中、願う未来がやがて訪れることを祈る目は、人間が浮かべるものと同じく強い意志が滲み出たものだった。

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