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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第10章  深き緑の鎮魂歌~レクイエム~
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第154話  ~大森林アルボル③ 綿の雨との再会~



「落ち着いてよ。私は人間に対して危害を加えるつもりはないの」


「火の玉投げられてヘラヘラしてるツラは信用ならねえな」


 あっけらかんとした笑顔を返すベラドンナの表情は、敵意なきものであると表面的によくわかる。マグニスの価値観からすれば、逆に信用できなくなる。本当に害意ないのであれば、あらぬ疑いで攻撃された側が、あんな上機嫌な顔を見せるのはおかしい。作り笑顔か、余程の余裕があるのか、どちらかだ。


 表情を切り替え、困った顔を浮かべるベラドンナ。前かがみになり、大きな蒼い花の花弁に頬杖をついて、どう説得したものかしら、という言葉が顔に書いてある。


「わかった、わかったわ、離れる。私も人間と敵対することは望んでないし、あまり関わらないようにするから。それでいい?」


「おう、消えてくれ。次に俺達の前に顔を出したら、次は追ってでも仕留めにいくぞ」


 から手の掌をごきごき慣らして、同時に魔力をそこに集めて恫喝するマグニス。炎を顕現させることはしなかったが、魔力の流動に敏感な者、すなわちベラドンナに対してはこれだけでも充分伝わる。


 むぅ、と頬を膨らませたベラドンナを、大きな蒼い花の花弁がばさりと包み込み、ベラドンナの全身が蒼いつぼみに包まれたような形となる。数秒後、その蒼い花がばさりと散り、大きな花びらの数々となって落ちた時、そこにあったはずのベラドンナの肉体は忽然と消えていた。


 去ったベラドンナを見届けて、マグニスは小さく舌打ちを残す。自分とマグニスの間に挟まれていたクロムの腕をどけて、マグニスに歩み寄るシリカは、複雑な表情だった。


「……そんなに信用ならなかったか?」


「俺の感性ではな。旦那はどう思いました?」


 ベラドンナは得体の知れない存在だが、そこまできつく疑ってはいなかったシリカ。ユースやチータ、アルミナやキャルも、程度の差はあれ同じような観点だろう。比較的、ああした境界の引きにくいものに対して見方を読みにくいのが、マグニスから見たクロムである。


「……敵意はなかったように見えたがな」


 煙草をくわえだしたクロムに、こらと肘を叩いて注意するシリカ。考え事をする時の手癖であるのはわかるが、やはり森の中でのことなので。


「なんつーかな。好意持ってくれてるのは本当だとは思えたんだが、近寄りたくはなかったな」


「でしょ?」


「だからってお前も、あんなに牙研ぐことなかろうにとは思うがね。昔みてえに作らなくてもいい敵を作りかねねえぞ」


 ちょっと笑いながら言っているので、強くマグニスを咎める意図はクロムも無いようだ。敢えて口に表しているのは意思表明であり、半分は本気でもあるとも捉えられるが。


「旦那は反対っすか? 俺のやり方」


「確定するまで殴らない俺のスタンスとは相反するってだけよ」


「もういいだろ、先に進むぞ。だらだらしていると夜になってしまう」


 クロムとマグニスは気の合う間柄ながら、やはり別人にて考え方の異なる部分も多い。こうした局面で意見を交換しだすと話が長くなることを知っているシリカは、近い両者の間に入って隔たる。魔物が襲い掛かってきてもおかしくない区域に入ったことで、警戒心も強めずにはいられず、先を急ぎたい気持ちも強まっているのだ。


「アルミナ、キャル。あいつに口付けされてから、何か違和感とかねえか?」


「あ……いや、特には……」


 真剣な表情で尋ねかけてくるマグニスに、おでこをさすりながら答えるアルミナ。キャルは無言だが、同じところをさすってうなずく態度は、アルミナと同じ答えだと推察できる。


「心配してし過ぎることはないが、少し考え過ぎじゃないか?」


「俺がゼロから信用するって決めてるのは、第14小隊の奴らとルーネ姐さんだけなんでね」


 嬉しいことを言ってくれるのはありがたいが、マグニスの尖り具合にはシリカも少し困り顔。苦笑するクロムも、こうしたマグニスの姿勢が、敵対する予定のなかったベラドンナまで敵に回しかねないリスクを孕んでいたことを意識してのことだ。きつく咎めないのは、マグニスが揺るがずそういう奴であり、言っても絶対に聞かないことを知っているからである。


「……わかった。ともかく行こう」


「はいよ」


 話を区切って歩き出すシリカに、マグニスが続いて歩く。その形を見受けて、しんがりを歩くのがクロムとなり、若い4人は練達の3人に挟まれて歩く形になる。


 言葉なく自然と、安定の陣形を取れるのは、ここが危険地帯であることを意識してのことだ。今の話で思考を一度霧にまかれても、現状を正しく判断できないほど、第14小隊の警戒心は気楽ではない。











 精霊バーダントの残していった桃色のヒナギクを追っていけば、やがて聖樹ユグドラシル、つまりバーダントの待つ庭へと辿り着くことが出来る。道には迷わない。それに不安を感じる心配がないぶん、7人の意識は周囲をうろつく外敵に注がれる。


 アルボルに足を踏み入れし7人の人間を、遠方の木々の隙間から睨みつけているサイコウルフがいる。上空にちらりと目を送れば、木陰から人間を様子見しているキングコブラが枝に巻きついている。最後尾を歩くクロムは気が付いているが、後方離れた木の枝を移り飛び、第14小隊を追いかけてくるコカトリスもいる。まるで、獲物が弱るか隙を見せるのを待っているかのように。


 大森林アルボルの入り口付近、人に優しい区画と明確に異なるのは、それらの魔物の目に宿る意志が、隙あらばの狩人の目色であることだ。つかず離れず、攻めてくるでもなく、人間の集団に視線を注いで様子見する魔物達の動向には、ユースもアルミナも正直気が気でない。


「うぜぇ……ここ一帯焼き払っていいっすかね」


「怒るぞ」


 広く火を放てば大火事になるし、目印のヒナギクまで燃やして失ってしまうかもしれない。また、大森林を深く傷つけるようなことをすれば、大精霊も敵に回しかねないだろう。マグニスも本気で言っているとは思えないが、そう口にしたくなるぐらい、つかず離れず第14小隊を睨んでいる魔物達の数は多い。


 確かにこの状況はストレスだ。いっそ一網打尽にして、息をつけるぐらいの空気にしてしまいたい。


「でも実際のとこ、あれは気になるだろ。自分の命を優先するなら、本当にこの森一帯焼き払って、まっさらにしてみてえ気持ちはあるんだが」


「……わかるけどな」


 マグニスが前方遠くを見据えて言った言葉には、シリカも同感である。目の前にあるのは、魔物の気配やその姿ではない。捉えようによっては、そんなものよりも遥かに恐ろしく、対処の仕方にさえも困るような代物だ。


 タンポポの種のように、綿を携えた種子の数々はふわつく光景は、大森林アルボルを発祥地とする大災害を彷彿とさせる。人里にある日、タンポポの種のような綿が無数に降り注ぎ、凄まじいスピードで成長するそれらによって町ひとつが滅ぶ大災害は、世界的にも有名なもの。"アルボルの火"と呼ばれるそれに対する畏怖は、ルオス生まれのチータが最も切に感じるものである。


 木々の間に垣間見える、遠方に綿つきの種が舞う光景。地面にぽとりと落ちたそれが、突然芽吹いて成長しだすことはないが、あれが人体に付着したらどうなるだろうとは、考えずにいられない。


「チータ、あの綿の数々に魔力は感じられるか」


「……かなり強い魔力を感じますよ。近付かない方がいい」


 ただの種子なら警戒しなくていいが、魔力を大量に孕んだ種子の飛び交う場所なんて、危険地帯もいいところだ。あれに触れればどうなるか、予想がつかないのだから。腕にそれがひっついた瞬間、種が突然腕に根を張るおぞましい光景だって、想像がつく。


「参ったねぇ。このまま花を追えば、あそこを突っ切らなきゃいけねえんだが」


「……別の道を探したいところだがな」


「やめておけ。こんな森で目印もなく、目的地に辿り着けるはずがねえ」


 聖樹へと続く、桃色のヒナギクを追いかけようとすれば、あの綿が飛び交う場所を横切る必要がある。そのリスクを避けるなら、花を頼らず道を探さねばならないが、右も左も同じ光景の大森林において、しるべなく歩けばほぼ間違いなく道に迷う。そんな安直な道を辿るなと、強く強調するクロムの指摘は的確だ。


「……やっぱりさっきのベラドンナっていう妖精の道案内、頼ってた方がよかったんじゃ?」


「むー、確かにそう言いたい気持ちもわからなくはねえが」


 言っても仕方のないことだが、不安になればしばらく前の決断岐路にも悔いを感じるものだ。ユースが言うのは、ベラドンナをあんなふうに突っぱねずに動向して貰っていれば、綿の飛び交うあの区域を避けた道のりも教えて貰えていたのでは、という仮定である。マグニスも、それを言われると腕を組む。


 マグニスが折れきらないのは、彼が今もベラドンナを信用していないから。思想の対立から、些細な身内割れも起こり得るため、それを避けたいシリカは二人に向き直り、今さらそう言うなと両方に向けて首を振る。まあ、今の状況に至っては、気持ちを切り替えてそうすべきだろう。


「このまま進もうぜ。綿の雨は俺が器用に焼いてやるよ。勿論、火事は起こさねえようにな」


「すまないな、マグニス」


 マグニスがシリカに出て、最前列を歩き始める。桃色のヒナギクを触る傍ら、上空からふわふわと落ちてくる綿の雨を見据えると、親指の腹と人差し指の爪を合わせ、人差し指の先に集めた魔力をぴんとはじく。


 極小の火の粉のように飛んだそれは、降り注ぐ綿の数々に的確に当たり、火に包んで焼き尽くす。どうだ、と言って後ろを振り返るマグニスの態度は、手腕を見せ付けた得意顔ではなく、魔力の流動に敏感なチータに意見を求めるためのもの。


「火に包まれた種子から魔力が失われていきます。火の魔力は木の魔力を取り込む傾向にありますから、この方法で綿の数々は無力化できそうですね」


「そうか。なら先には進めそうだな」


 ひとまず周囲に舞い降りる綿の数々をマグニスが処理したことで、視界に多くあった綿の数々は取り払えた。少し先を見据えれば、まだまだ綿が舞っているが、それらもマグニスの力で処理しながら前進できそうである。


 桃色のヒナギクを追って、アルボルを進む第14小隊。最前を歩くマグニスが、次々と飛び交う綿を火の粉で処分していく一方、最後尾の役目はチータに変わっている。マグニスの過ぎ去ったあと、中衛ないし後方めがけて降る綿があった場合、それを処理する役目がチータだからだ。一番前と一番後ろに、綿を処理する役目を置き、挟まれた5人が周囲の魔物達を警戒する役目を担う形だ。


「……多いな。ユースもなるべく、上にも視野を広げてくれよ」


「わかった」


 マグニスが目の前の綿を処理する一方、彼の後ろ、つまりアルミナやユースに触れそうな落ち方をしてくる綿もある。詠唱なく、指先から放つ極小の火の玉でそれを焼くチータだが、気の抜けない状況だと意識せざるを得ない。


 遠くはクロムの広い視野、射手のアルミナとキャルが目を光らせている。ユースとシリカは、概ね目を配る先がなく、視野を広く持って各状況に柔軟に立ち回ることが求められる立場だ。シリカはまあ、司令塔としての役割があるからいいが、ユースは少し目先の向けるべき方向に迷う。チータが言ってユースに促すのは、そうした方向も見て欲しいという意思表示。


「なーんかすげぇのあるなぁ。ぜってー自然の産物じゃねえ」


 マグニスが苦笑いと共に、卵ほどの火球を放って焼いたのは、人の頭ほどの大きさもある、巨大な綿の塊である。その先に付着した、柿の種ほどの大きな種子も、火球が綿を炎で包んだ勢いを利用して灰にするマグニスだが、この森が外界とは隔てて普通の環境ではないことを再認識するばかりだ。


「こっちにもけっこう増えてきましたよ、そういうのが……」


 足を止めない第14小隊だが、進むに連れて綿の大きさはまちまちになってくる。はじめは本当にタンポポの種についた綿のように小さなものばかりだったのが、最大で人の頭の大きさほど、あるいはそれより小さくとも、拳大の綿もよく散見するようになった。処理には困らないが、いちいち視界に入って面倒臭い。これに紛れて小さな綿を見逃さないよう、神経を使う。


「……キャル、大丈夫?」


「ん……平気……」


 故郷を綿の雨に滅ぼされたキャルにとって、この光景はトラウマを蘇らせるものであり得る。気遣うアルミナに対し、小さく笑って返すキャルも、決して顔色よくはない。アマゾネス族の生き残りであるキャルの過去を聞いた時から、それを知るアルミナにとって、どうしても気を回さずにはいられない。


 チータもふっと、キャルの方に視線を集めてしまった時のことだ。狼の頭のような大きさの、真っ白な何かがユースのそばまで落ちてきた。ユースも、綿に触れては危ないと思って、ひょいっと身を横に逃がす。


「い゛……っ!?」


 綿ではない。真っ白な何かは、ユースのすぐそばの空中で止まり、突然にしてユースへ襲いかかってきた。それと目の合ったユースは、思わず盾を引き上げて自分とそれの間に挟んだが、その何かが持つ牙は盾を透過し、ユースの腕に凄まじい痛みを残して噛み付いた。


「ユース!?」


「マグニス! 焼け!」


 その直前には既に、長槍の先で、ユースに襲い掛かった何かを切り裂いていたクロム。手応えは全く無かった。樹上から落ちてきた得体の知れない何かは、クロムの攻撃を受け付けず、ユースの盾を障害とせず、今もユースの盾を携えたはずの腕に噛み付いている。


 クロムの声を聞いて振り返ったマグニスが、得体の知れないそれへと火球を放った。慌ててユースを振り返って後ずさるアルミナの目に映ったのは、真っ白な狼の生首のようなものが、ユースの腕に噛み付いている光景。それがマグニスの炎を受け、炎に包まれていった。


 飛び散る火の粉に顔を歪ませながら、腕に噛み付いたそれの牙が緩んだ瞬間、後方に飛び退いて離れるユース。目の前には、炎に包まれた狼の頭がある。何が起こったのか一番把握できていないのは、不測の事態に胸を高鳴らすユースこそだ。


「……エブルートか」


「上空に気を配れ! 地上の脅威は、私とクロムが退ける!」


 敵の正体を察したクロムと、状況に対する正しい対応を唱える騎士剣抜きしシリカ。痛む腕を押さえて片膝を低くするユースだが、ここも剣を握っている。


「大丈夫か?」


「き、傷にはなってないみたいだけど……」


「……だろうな」


 互いに目を合わせずに言葉を交換するチータとユース。クロムが口走った一つの単語が、答えとして正しいのであれば、噛み付かれたユースの腕に傷がつかないのも当たり前だ。同時に、上空に目線を送るマグニスとチータの視界に、木々の枝から落ちてくる無数の白い塊が現れる。


「アルミナ、キャル、撃つなよ! こいつらには銃弾も矢も効かねえ!」


「――開門、風刃魔法(ウインドカッター)


 上空から降り注ぐのは、動物の生首が色を失った真っ白なもの。異質な光景に怯まず、火球でそれらを撃ち抜くマグニスと、目の前に開いた緑の亀裂から風の刃を放つチータ。犬、猫、兎、狼、さまざまな動物の生首の数々は牙を剥いて落ちてくるが、いずれも二人の術士の魔力により、第14小隊に近付けないまま燃え、斬られ、消えていく。


 そして7人の人間が、上空からの刺客に惑う姿を見て、周囲一帯の魔物達も一気に襲い掛かってきた。はじめに第14小隊に接近したのは、遠方からサイコウルフが放った風の刃であり、その一撃はキャルの喉元を的確に狙っていた。その間に立ちはだかったクロムが、魔力を纏い鋼のような硬度を持つ腕で、風の刃を打ち払ったのが直後のこと。


 サイコウルフめがけて銃弾の反撃を放つアルミナがその額を貫くと同時、高い枝からアルミナへと飛びかかっていた一匹のキングコブラを、ユースがつぶさに反応して切り捨てる。その後方からユースの後頭部に急降下していた一羽のコカトリスを、シリカの騎士剣が一太刀に切り落としたのがすぐ後だ。


 樹上から降り注ぐ、動物の生首の数々は勢いを止めない。次々と落ちてくる、狐や猿などの生首はいずれも人間に対して牙を剥いて襲い掛かってくるが、チータとマグニスの狙撃が的確に撃ち落とす。さりげなくその間に紛れた綿つきの種子も、二人の術士は見逃さずに焼き払っているあたり、頼もしい。


「ちょっと移動しねえか……! 敵の数が多すぎんだが……!」


「前に進むぞ! しるべの花はあっちにある!」


 草陰から飛びかかる蛇の魔物、ヴァイパーを切り落としたシリカが先陣をきって駆けだす。ついて走ることを示されたユース達もその後を追い、シリカの横に並ぶマグニスは、前方上空に綿が現れないかよく観察している。抜かりはない。


 数秒前までシリカ達が立っていた場所を、樹上から落ちてきた生首の数々が埋め尽くす。シリカ達の切り捨てた魔物の亡骸にそれらは群がると、獣の牙を剥いてそれらをかじり始めた。


 霊体のこれらの牙は、噛み付いた対象に傷を残さない。代わりに、まだ血色の濃い魔物の死体の数々が、生首にかじられるとともに、急激に血の巡らない肌色に染まっていくだけだった。











「な、なんだったんです……? アレ……」


「森に潜むと言われる悪霊、エブルートだな。木々の根元で死んだ魔物や動物の魂を、妖木が吸い上げ、枝からつるべ落としのように悪霊として落とすと言われている」


 ひとまず、綿も生首も周囲にない場所まで辿り着いて足を止めた第14小隊。戸惑いが抜けきらないアルミナの問いには、クロムが答えた。博識にマイナーな魔物に対する知識を読み上げるクロムだが、彼もあのような魔物をその目で見るのは初めてだ。


「じゃああれは、この森で死んだ動物や、魔物達の……?」


「怨念みたいなものだ。そうした動物の霊体を、妖木が精力を吸い取るための牙として利用し、噛み付いた対象の霊魂を傷つけると言われているよ」


 樹上の枝から落ちてきた生首の数々は、実体を持たない霊体であり、物理的な攻撃は一切受け付けない。魔力を纏わねば、盾さえも通過して噛み付きたいものに牙を立てる。そして食らいついた対象の霊魂――言うなれば、生命力そのものに被害を与えてくる。ユースの問いに、チータが言うのはそういう意味だ。


 狼の姿をしたエブルートに噛み付かれた腕を二度見するユースだが、傷がないのがかえって恐ろしい。物理的ではない霊体の牙に噛み付かれたのに、確かに痛みを感じたことが、不可思議に対する恐怖をいっそう駆り立ててくる。


「霊魂と肉体は密接な関係にあるからな。霊魂を傷つけられると、霊魂が肉体にも警鐘を鳴らす。痛みとしてそれを実感するのも、不思議なことじゃない」


「霊魂を傷つけられるとどうなるの……?」


「体を動かす霊魂のはたらきが阻害され、肉体が意のままに動かなくなる。要するに、過度に霊魂を傷つけられることは、死にも直結することだよ」


 杖を握らない方の手で、心臓のある自分の左胸をぽんぽん叩くチータ。アルミナに対する返答どおり、エブルートに噛み付かれることで霊魂をすり減らされると、肉体が正しく動かなくなる。心臓が止まることだってあり得るのだ。そもそも、こんな魔物の群生地で体が動かなくなってしまったら、それこそ死の遠因になることは想像に難くない。


「魔物や綿の雨の襲撃は想定してたが、霊体魔物まで潜んでるとはなぁ」


「おい、マグニス」


「いいだろ少しぐらい。火事にゃしねえよ」


 危機去りし今、煙草を取り出して一服するマグニスをシリカが強く制さないのは、目の前に大きな河が流れているからだ。マグニスは吸った煙草を所構わず捨てる癖がひどいため、森林内での彼の喫煙には大反対のシリカだが、この状況ならさして強く咎めない。


「森にポイ捨てすると大精霊様も怒るかもしんねえぞ。吸殻はこっちによこせよ」


「あー助かります、旦那」


 とっくに後ろで一服していたクロムは、携帯の灰皿をいつでも持ち歩いている。年長組二人の気楽な会話にはシリカも溜め息が出るが、緊張感で不安いっぱいのユースやアルミナ、キャルにとっては、この二人の柔らかさは少し肩の力が抜けていい。それがわかるから、シリカもまあよしとした。


「にしても精霊様、ルート選択がサディストすぎやしねえか」


「悪意すら感じますよねぇ、これ」


 クロムとマグニスが言うとおり、第14小隊の目の前にある河は、そうそう容易に跨げる幅ではない。人の背丈ほどもあるクロムの長槍を、3本つなげても河幅よりも短く、おそらく河の中央はそれなりに深くなっているだろう。


 その河に隔たれた先に、桃色のヒナギクがぽつんと咲いている。要するに、まっすぐ花を追うのならここを渡れと。


「……僕やマグニスさんは、空を移動できますので困りませんが」


「シリカや旦那なら、頑張れば跳び越えられるんじゃ?」


「いや、流石にちょっとこれは難しそうだな……」


「難しい、じゃなくて無理だって断言しろよ。俺は身体能力強化の魔法があるから、跳び越えることも出来るだろうが」


「うるさいな。これでもちゃんと鍛えてるんだぞ」


 大柄な大人3人を縦に並べたような距離よりも長い河幅なんて、普通跳び越えられるだろうか。クロムはともかく、それに対して可不可迷う時点で、ユースもシリカに対してちょっと引いている。大巨人ゴグマゴグに抗戦する際、けっこうな跳躍力を見せていたシリカの姿が蘇るが、やっぱりこの人はどこか少し能力面で桁をはずしていると思う。むきになってクロムに言い返す辺り、本当に跳ばせたら越えかねなくて怖い。


「まー、一応実験しますかね」


 ここまでの道中で、魔物を切り裂いて血のついた槍先を河の中央に伸ばし、じゃぶじゃぶと洗いだすクロム。魔物の血が河に溶けて流れていくが、クロムが槍を引いたその直後、血の匂いを嗅ぎつけた魚が、水面付近にばしゃばしゃ集まってきた。


 どいつもこいつもぎょろりとした目で、がじがじ開くその口には鋭い牙が垣間見える。掌の大きさには収まりきらない大きさのものばかりで、血に群がって興奮したのか、そばにいる同属の魚に食らいつく奴までいる模様。たいへん獰猛な肉食魚が集まる河であるとわかり、泳いで渡るとかいう選択肢は絶対ないと判断できる。


「一人一人、マグニスが背負って向こう岸に渡るってのが一番妥当だろ」


「えー」


「えー」


 クロムの提案に不満いっぱい、その一人は勿論マグニス、もう一人はアルミナだ。セクハラ常習犯のマグニスに背負われるというのは、まあ自分は我慢してもいいのだが。


「……マグニスさん、キャルに変なことしたらマジでぶっ飛ばしますよ」


「さりげなく決定事項にしてんじゃねーよ。……まあやりますけど、旦那は自分で

渡って下さいよ」


「おう、わかった」


 足の裏に回転する火球を生み出したマグニスは、ひょいとキャルの脇に後ろから差し込んで、持ち上げる。キャルが小柄で比較的軽いのもあるが、優男に見えてけっこうたくましい筋力を持っているようだ。


 そのまま空中を移動し、マグニスは向こう岸までキャルを届ける。マグニスはそのままこちらに帰ってくるが、短い間でも一人ぼっちになってしまうキャルの横に、身体能力を強化したクロムが着地する。この広い河幅を、助走もなしに跳躍のみで跳び越えてしまうのは流石である。


 チータは単独で向こう岸に渡り、マグニスがアルミナを、次にユースを河の向こう側に背負って届ける。アルミナ重くなったか? という冗談を空中で、河の上空でアルミナに語りかけたマグニスが、髪を引っ張られて怒られていたのが印象的だ。その後ユースを背負う時、男を背負うことにマグニスが存分に嫌な顔をしたことも。


 さて、最後はシリカだが。なぜマグニスが迎えに来てくれるというのに、河岸から距離を取って、助走の準備をしているのだろうか。


「おい、あいつまさかチャレンジするつもりじゃねえだろうな」


「旦那が煽るからでしょ」


 まあ、ああ見えて男と肌を合わせるなんてみだりにしたくない、純情法騎士様だから、信頼しているとはいえマグニスに背負われたくないのはわかる。だからってその勇断はどうだろう。一応マグニスも、届かずシリカが河ボチャした場合には、すぐに助けに行けるように空中に身を置いているが。


 まさか、いや流石に……と、訝しげに遠方のシリカを見据えるユースの目の前、河岸に向かって駆けだすシリカの姿。そして河のへりで勢いよく地を蹴ったシリカは、かつて空中の魔物達に差し迫った時の如く、高く跳躍した。蹴り出す方向が仰角50度未満なので、高さは普段ほど出ていない。代わりに、放たれた砲弾のように凄い勢いで、こちらの岸まで飛来してくる。


 がさっ、と草むら茂る対岸に着地して、ふぅと息をつくシリカ。なんとか上手くいった、と安堵するシリカだが、すぐにクロムに向き直って胸を張る。どうだ、と見返した表情を見せるシリカには、クロムも苦笑い以外の返事が出来ない。


「悪かった、悪かったよ。無理なんて言っちまってすまなかった」


「ふふん、わかればいいんだ」


 時々こうして無邪気な面を見せるシリカの姿は、クロムやマグニスから見れば可愛らしいものだが、後輩達から見たらどうだろう。少なくともユースとチータは、軽く並外れたシリカの身体能力を目の当たりにして、やっぱりこの人にはあまり逆らってはいけないな、と顔を見合わせていた。

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