第151話 ~8分の7でも足りないから~
真昼時に魔法都市ダニームを出発しても、明るいうちに大森林アルボルに到着することは出来ない。それだけ遠いのだ。金を惜しまず、馬車ではなく馬4頭を借り、7人が全員馬に乗る形でアルボルの方面まで最速の足を作った第14小隊だが、それでも夕暮れ過ぎに、ルオス地方のアルボル近しき町に到着するので精一杯だった。
道中では乗馬の不得意なユースが、馬の加速に手間をかけ、後ろに座るアルミナにぶーぶー言われながらへこんでいたものだ。テネメールの村に向かう際、必死な想い一心に手綱を操っていた時は上手くいっていたのに、平常時に戻ればこうなってしまう。無心になれば下手を打たない経験則を充分に積んでいるのに、考えすぎると上手くいかない典型である。
月も見えてきた頃、ルオス領内南部に位置し、西すぐに大森林アルボルを構えるゼリオーニの町に到着した第14小隊は、ここで一晩の床を過ごすことにした。夜の森林は真っ暗で、不安も多いため、アルボルへ向かうのは翌朝でいい。
異例の若年法騎士という立場ゆえ、シリカのことは他国の軍部にもそこそこ知れ渡っている。哨戒任務でこの町に配属されたルオスの駐在帝国兵にも、変な意味で注目されたものだ。この町の防衛にはエレムの騎士団が関わっていないのに、なぜこんな時期こんな場所に法騎士様がいらっしゃるのだろうと。思いっきり、本国の防衛責務を放棄してここまで来たシリカにとって、この好奇の視線は胸にざくざく刺さったものだ。
実際、駐在帝国兵の最上位官がシリカを見かけた際には、ご挨拶を交わす機会があった。どうされたのですか、という問いに対し、半端なくばつの悪い顔で返したシリカの無言には、年経た練兵も苦笑いして深く詮索してこなかった。宿に着いてからのシリカというものの、改めて思い返すに職務を放棄した自分に対して、今さら頭を抱えていた。
「わかっててその道選んだくせに、何を今になってヘコんでんだよ」
「はは……いや、別に後悔してないよ。これは本当だ」
ぱんぱんと肩を叩きながら笑いかけるクロムに、自分に言い聞かせるように渇いた笑いを返すシリカ。職務放棄した自分に、やがてこの後下される処分が、今になって怖くなってきたのだろう。シリカは過去に一度、ルオス皇帝に対して部下チータの名を伏せたまま語らうという無礼をはたらいた際、聖騎士ナトームに釘を刺されている。騎士として許しがたい行為をシリカが踏み、処分に値すると判断した際には、降格に留まらず除隊も厭わないと。
聖騎士ナトームは、やる。騎士団にとって法騎士シリカが、未来の若き騎士達に夢を抱かせる偶像として作られたものであったとしてもだ。彼の決断力は、政治的な思想などで遮られるものではない。
「ひひひ、クビかな?」
「やめてくれ。本当にやめてくれ」
横から悪い笑いを浮かべて死刑宣告を投げてくるマグニスに、シリカは顔を背けてとことこ逃げていく。なあなあ、と、子供のようにからかう声とともに追いかけていくマグニスに、シリカは耳を両手で塞ぎ、いやいやと首を振る始末。これが二十歳超えた大人二人の光景かと。
「あんまりイジめてやんなよ。こいつ騎士として以外の自分の道、想像できやしねえんだから」
「第14小隊を作った時、生涯を騎士団に捧げる、ってマジで宣言してたもんなぁ。いつまでその決意が厳しい世の中でもつかなって思ってたけど、まだ続いてたとはな」
クロムといいマグニスといい、善人一色ではないものだ。二人ともシリカとの関係は強固であり、彼女が死に瀕することあれば命さえ懸けられる間柄だというのに、弱ったシリカをこうしていじるのは大好きという。ひどい話である。
「とりあえずシリカ、町医者んとこ行って来い。脚の傷も跡が残るとよくねえし、ルオスの医者は魔導士と繋がりのある奴が多いから、一日しっかり世話になってくるこった」
「そうそう。いつか旦那さん相手に裸晒す時、傷があると恥かくぞ」
人差し指と中指の間に親指を挟んだ拳を握るマグニスの態度は下劣なものだが、ちゃんと心配してそう提案しているのは事実である。城砦都市レナリックでカティロスに受けた太ももの傷は、ユース達を待つ間にレナリックの魔導士達に応急処置を受け、今は包帯に包まれている。傷が小さいから普通に戦えるほどまでには早急に治癒されているが、やはり100%の動きが出来る状態かと言われれば、違う。
そうするよ……と、ふらりと宿から出てくるシリカの背中の丸いこと丸いこと。ガンマの将来のためにここまで来た決断に一切の悔いはないが、騎士としての自分の人生が死ぬかもしれないという問題とは、やっぱりどうしても別問題。もしも本国に帰った時、本当に除隊を宣告されたら、これからどうやって生きていこうかと、ずっしり重たい溜め息とともにシリカは町へと歩いていった。
「あんな気重に捉えるこたぁねえのにな。騎士団クビになったとしても、世の中働き口はいくらでもあるっつーのに」
「容姿端麗、仕事にゃ真面目、戦の心得も手に職ついたレベル。傭兵稼業なら引く手あまたっしょ」
まるで他人事のように、友人が真剣に悩んでいることをけらけら笑うクロムとマグニス。一見すると下種い態度だが、彼らとシリカの繋がりの強さを知る第14小隊にとっては、差し当たって不愉快に感じるものではない。
「あんまり縁起でもない話やめましょうよ~。もしも本当にシリカさんが、今回の件で除隊なんてされることになったら、私だって騎士団やめちゃいますよ」
「お、言い切ったな。やっぱお前も、シリカの下でしか働きたくねえクチか?」
「というより、ガンマを救うために動いたシリカさんのことを理解しようともせず、冷たく任務放棄だって切り捨てて処分するような騎士団だったら、私ついていきたくないですもん」
アルミナはこういうスタンスである。シリカへの愛着も確かに強いが、情のない組織にはついていけないタイプだ。意外とそういう意味のみでは、世渡りが不得意なタイプかもしれない。
「つーても騎士団もお役所みたいなもんだからなぁ。アルミナの気持ちはわからんでもないが、任務放棄したシリカに騎士団が罰則与えるのは、道理で言えば正当なもんだしよ」
「いーえ、認めません。家族を助けるために動くことに理解示せない価値観なんて、私とは絶対に相容れませんね」
マグニスですら肯定する公的機関の冷徹さを、それでもアルミナは切って捨てる。気持ちに正直で、駄目と感じたものにはとことん頑固なアルミナの性格は、時に自身が損を被る要因にもなるだろう。20年も生きていればそれも経験則としてわかっているだろうに、頑としてそういう自分を貫き通すアルミナのことは、クロムもマグニスも無言で微笑ましく見守るのみ。手のかかるタイプの後輩だが、自分に素直な奴のことが嫌いではない二人にとっては、支えてやっていい心地になれる。
「たらればの話になるが、アルミナは騎士団をやめることになったら、どうやって生きていく?」
とりあえず、話を次の方向に持っていくクロム。あまり今の話題を引っ張ってもアルミナが熱くなる一方なので、どうせだったらそれをきっかけに話を広げた方が面白い。せっかくなので、日頃は考えないようなことを考える方向に、頭を使わせる。
「というか私、そもそも生涯傭兵続けるつもりはないんですよ。チータにはこういう話、一回したと思うけど」
「え、そうなのか?」
「一度聞いたよ。アルミナも、これからのことをよく考えてるんだなって思った」
初公開する自分の中にある迷いを皮切りに、アルミナがずっと抱いていた想いを、あの日に続いて復唱する。戦う自分に胸を張ってはいるが、時々怖くなってしまう日もあること。よくお世話になる武器職人の元に弟子入りし、そんな人生を歩んでいくことも視野に入れていること。それとあの日は話さなかったことだが、やっぱりいつかは戦いの日々から足を洗い、素敵な旦那様を探して婚後の人生を夢見てもいること。初めて聞いたアルミナの本音には、第14小隊一同も新鮮な心地になる。
「もちろん、ある日いきなりやめちゃうことなんて考えてないんですけどね。でも、いつかはちゃんと好きな人探して、穏やかなその後を歩きたいなって思ったりもするんです」
「要するにあれだな、寿退職が理想的って感じか」
「あーもう、その響き本当憧れます。それまでにお金も貯めて、結婚式だってしっかりやりたいんですよー」
誰の前でも背筋を伸ばし、二十歳相応に大人び始めた背中の裏側、子供らしく夢見がちな理想を未だに手放さないアルミナの表情は、向き合って初めてわかる二面性があるものだとユースも感じるものだ。だけどその本質はありふれたもので、大人の年齢になってからでも、子供の時から変わらない想いを抱き続ける人は少なくもない。大人の色香が漂い始めた顔立ちのアルミナが、夢見る十代の若々しい笑顔を見せるから、たまたまそれが顕著に現れているだけだ。
「ユースとかは、生涯騎士人生ってイメージだろ? シリカもそうだが」
「まあ、そうですねえ……他の道なんか、最近は考えたこともなかったですし」
一度挫けて里帰りを考えた数年前のあの時、シリカに出会って迷いから巣立てたことをきっかけに、それ以来ユースは騎士として生きる道を真っ直ぐ駆けてきた。今となっては、他の仕事に就き直す自分の姿なんて、想像しようとしてもイメージできやしない。
「チータはどうなの? あの時は、今は傭兵生活が肌に合ってるって言ってたけど、他になんにも考えたりしなかった?」
アルミナからチータへのパスだ。どんな答えが返ってきたとしても良しのアルミナと同じく、周囲も日頃口数の少ないチータからの回答を待つ。仲間達に囲まれて注目されることは少ないチータゆえ、このシチュエーションには、本人も少々不思議な気分に陥る。
「……そうだな。傭兵稼業である程度お金を稼ぎつつ、それ以外の人生を探してみてもいいかもしれないな」
「チータって要領いいし、探せばいっぱい上手くいくお仕事が見つかるよ、きっと。一緒に戦っててすごく頼もしいけど、私はそうして自分の夢を追いかけるチータも見てみたいな」
後衛で戦うアルミナは、中衛のチータに守られることが非常に多い。前衛除いた第14小隊の布陣において、アルミナとチータの繋がりは非常に強いものであるし、頼もしいと形容したことは間違いなく本音だろう。そんなチータがいつか小隊を抜けることがあろうとも、それがチータ自身の選んだ道で、その先に自分の幸せを追うのであれば、アルミナはそれを支持したいと言っている。
「別に今、こうして第14小隊にいることだって、縛られているつもりはないよ。今でだって、充分に僕は満たされている」
だからチータも、普段と変わらない平坦な声ながら、応えるように今の繋がりを口にして肯定する。はにかむように無言で笑うアルミナからは、そうした言葉を聞けることに対する喜びが溢れている。
「チータも今日は口が弾むな。それならせっかくだから、その感じで色々話してくれよ。たとえば今から行く大森林アルボルのこととか、ルオス生まれのお前は詳しいだろ」
「あっ、それいいですね! 私達はアルボルについては知ってることも少ないですし」
「クロムさんもアルミナも、遠足気分だな……」
「シリカみたいなこと言うな。お前もあいつに最近よく似てきたぞ」
広げるクロムに乗るアルミナ、微笑ましく溜め息つくユースを、マグニスがこつんと肘をつついてからかって。温まった場の空気では、誰もの口が軽く弾むものだ。
「……まあ、せっかく行くんですし、ちょっとぐらいはお勉強会しましょうか」
「お、案外ノリがいいなチータ先生」
「やっぱり知識を公開することに気が乗るのは、魔導士の性ってやつなのかね?」
マグニスが囃し立て、クロムがからかうような言葉を乗せる。学者帽を正す学者のように、何も乗っていない頭を片手でくいくいとこねるチータも、意外に乗り気であることを態度に示している。口数が少ない一方、そのぶんジェスチャーで感情を表現する手段には、当初の印象よりもチータは秀でている。
宿の一室でベッドに腰掛けたチータに、周囲の視線が注がれる。各々の位置、座る場所は床だったり椅子だったりでばらばらだが、並びが散開でも中心にいるのがチータだとわかる図式だ。チータはこほんと敢えて咳払いし、話を始めることを敢えて示唆して見せた。
「大森林アルボルが信奉される理由は、一度滅びたはずの大森林が、一本の聖樹をはじまりに、長年の時を経て再び同じ大きさに育まれた奇跡に由来します。今でこそ大森林と再び呼ばれるアルボルですが、数百年前には一度あの地は、焦土と化してしまった歴史を持ちます」
「お、それは俺も知ってるぞ。ラハブ火山の魔王と、帝国ルオスの抗争に巻き込まれてだな?」
「やっぱりマグニスさんは詳しいですね」
遥か昔、魔導士帝国ルオスの南に位置するラハブ火山には、魔物達を統率する魔王が棲んでいた。絶大なる炎の魔力を扱うその存在は、数年前エレム王国の南コズニック山脈に拠を構えた魔王マーディスと同じく、その時代において長くルオスを苦しめていたという。当時もエレム王国の騎士団や、魔法都市ダニームの魔法使い達、皇国ラエルカンの精鋭達がラハブ火山の魔王討伐に深く協力したこともあり、長い歳月の果てにその魔王は打ち倒されている。そうした歴史があるからこそ、今も4つの国の関係は良好であり、昨今には魔王マーディスという大きな脅威に対し、遠きルオスもよく協力してくれたのである。
その魔王とルオスの抗争の中で、当時一度、大森林アルボルは焼き払われてしまう。暴走した魔王の配下達は、当時アルボルに住まっていた人類陣営ごと、その地を焦土と変えてしまった。今で言う魔将軍エルドルのような、炎の魔力に特化した魔法を扱う魔物達の将の集いに、木々溢れるアルボルは為すすべなく滅ぼされてしまったのだ。
「マグニスさんが詳しいっていうのは、どういうこと?」
「当時の大森林アルボルを侵攻した魔物達の中には、イフリート族も混じっていたからな。当時のイフリート族は、人間でありながら人類を裏切った民族だったんだよ」
マグニスが火術を得意とした民族、イフリート族の末裔であることは、第14小隊では周知の事実である。だが、太古のイフリート族にそんな歴史があったことは、アルミナ達も知らなかった。エレム王国とイフリート族は関わりが殆どないし、ルオス生まれのチータでさえも、それなりに勉強していなければ知らないようなことである。
「まあ、今それはどっちでもいいな。チータ、続けてくれ」
「焼け野原になった跡地に、ある日小さな芽が芽吹いたそうです。それは半年にして大樹へと育ち、これが今で言う、"アルボルの樹"と呼ばれる聖なる樹。ルオスでは特に、"聖樹ユグドラシル"と呼ばれて神格化されていますね」
遠路はるばるアルボルまで赴き、第14小隊が手にしようとしているのは、その聖なる樹の朝露。改めてこう聞くと、思っていた以上に神秘なるものを求める旅であることを実感するものだ。
「"アルボルの樹"を中心に、かつて焼け野原だった荒原に、次々と緑が芽生えて広がっていきました。長い歳月をかけてそれは森へと再び育ち、今のような大森林の姿を取り戻したと言われているんですよ」
史実をそのまま絵本にした話が、ルオスでは数百年もの間、筆者は変われど愛され続けている。まさに奇跡のような大森林アルボルの復活には、魔導帝国ルオスの人々も神秘を感じずにはいられなかったのだろう。チータの話を聞いたユースも、それには深く共感する。
「チータって、人に何かを教えてる時に目の色変わるよね」
「ん、そうかな?」
ひととおりの話を終えたと見えたチータに、すかさずアルミナが次の話を展開しにかかる。ひとつの話題をきっかけに新たな種をまくこの広げ方は、会話を絶やさないアルミナの秘訣の一つだ。
「上手く言えないけど、なんだか楽しそうなのがよく伝わってくるよ。いつもはほら、嬉しいことや面白くないことがあっても、チータはあんまり目にそれを出したりしないじゃん」
「俺に魔法を教えてくれた時もそんな感じだったな。なんかこう、目が弾んでるっていうか」
英雄の双腕の習得のため、チータに魔法を習った時、ユースは一足先に見ていたことでもある。当時はあまり意識していなかったが、アルミナがこうして言葉にしてくれたことで、今にして思えばの記憶が蘇ってくる。
「……まあ、僕は人に何かを教えるのは好きだよ。僕は今まで学んできたことの積み重ねで、今の自分があると思ってるからな。それを誰かに有益な形で還元したいっていう想いは、少なからずある」
「じゃあさ。チータはいつか、魔法都市ダニームとかに行って、魔法の先生を目指してみるとかいいんじゃない?」
露骨に目を丸くしたチータの表情は、比較的珍しいもの。自然な発想からそれを口にしたアルミナの観点とは違い、チータの中ではそうした自分を、今まで想像してこられなかったからだ。
「そうだな。俺でもわかるように魔法教えてくれたし、きっといい先生になれるんじゃないか?」
「ね、いいでしょ。真剣にそういう勉強していけば、そういう道も見えてくると思うよ」
「まずはそのちょっと無愛想な面を柔らかくする努力も必要だろうけどなぁ~」
「ああもう、マグニスさんも水を差さないで。確かにそういうとこもあるけど」
ユースとアルミナが背中を押す言葉を向け、マグニスが茶々を入れ、アルミナがなじりつつも笑う。無言で酒と煙草を嗜むクロムが、目の前の語らいをそれだけで肴に出来るほど、この輪が作りだす空気は何気ない温かみに溢れている。
「……僕が、先生か。重いよ、その夢は」
「えー、なんで? マグニスさんの言うことなんて本気にしちゃ……」
「違うよ。僕には昔から、尊敬してやまなかった恩師がいる。あの人の生き様が本当に立派だったから、僕が先生を目指すならば、あの人を目標にすることになる」
サルファード家にいた頃、チータ専属の先生だったあの人。罪なき罪を被らされ、一度ルオスを追放されたあの人と会えなくなって長いが、チータにとっては生涯忘れられない人だ。ユースにとってのシリカと同じく、今もあの人の教えが自分を支えてくれていると、信じてやまない恩師である。
「ティルマさんっていう人のこと?」
「そうだ。目指す先があの人だと、どうしても大きすぎる夢を追いかけている心地になるよ」
ティルマに対する強い敬意転じて、人にものを教える立場というものに、少し見方が偏っていることはチータもわかっているだろう。そこまで意識してしまうほどには、恩師ティルマがチータにとって特別な人であるということだ。
「ティルマさんのこと、好きだったんだね」
「今にして思えば、あれが初恋だったようにさえ思うよ。年の差はあるけどな」
アルミナの期待以上の反応を、意図して口にするチータ。色恋話に目のないアルミナが、わぁ、と目を輝かせて食いつく姿をよしとしたのも、チータなりの計らいである。
「ねえねえチータ、その話もっと聞かせてよ! ティルマさんってどんな人だったの?」
「うーん、詳しく話すとあの人も結構抜けたところがあって、冴えない話も多そうなんだが……参ったな、どこから話そうか」
過去を詮索されることを好まないチータが、満更でもない顔で考え込む。今となっては罪を洗われ、謂れなき罪科からあの人も開放されたからこそ、思い出話をするのも胸が乗る。かつてあの人が陥れられたままの日々の中では、語りたくもなかったようなことを、今では気持ちよく語れるのだ。
「そうだな、初めてあの人と買い物に行った時の話でもしようか。元々小銭数えが不得意な人ではあったんだけど――」
チータの口から溢れだす、思い出の数々。そそっかしく財布を落とし、お金を散らばしたティルマのこと。店主が幼いチータのことを、可愛らしい(貴族の)お方だと言ったのを、自分が褒められたと思ってふにゃふにゃ喜び、真相を知った瞬間赤っ恥の煙を顔から噴き出したこと。大笑いする店主の手前、教え子に恥ずかしい姿を見せたことにがっくりうなだれた、あの人の可愛い仕草。
サルファード家の家紋を晒せば、力ある名家に属する者として、どこに行っても大きな顔を出来るというのに、決してそんなことをしなかった誇り高いティルマのこと。町を走る子供にぶつかられ、その子が持っていた氷菓子でスカートを汚されても、怒らずに転んだ子供を気遣っていた優しさ。ティルマの姿に見入っていたチータに対し、お待たせしてごめんなさいとはにかんだ笑顔を返してくれた時が、初恋のはじまりだったように感じると、チータは回想する。
口調は彼らしく、わかりやすく弾んだものではなかったが、金色の思い出の数々を語るチータは、やはりどことなく楽しそうだ。ねえねえもっと詳しく、と、目を輝かせて迫るアルミナに、気をよくしたチータがさらなる思い出の数々を明かす姿に、マグニスもクロムも質問を乗っけて、話を一気に花開かせていく。
暗い過去に茜差し、良き思い出を良き思い出として語れるチータの表情は、感情を表に出していないはずなのに晴れやかに見えたものだ。囲む第14小隊の仲間達も微笑ましい想いでいっぱいだった。
数時間後、町医者に世話になったシリカが返ってきたのは夜遅くのこと。明日も早いというのに、日付も変わる直前まで楽しく語らう6人の姿には、まだ起きていたのかとまずシリカも驚く。次には勿論、明日も早いんだからそろそろ――と、酒を呑み始めたクロムとマグニスに呼びかける。流石はこんな時でも生真面目な法騎士様である。
まあまあ、と、逆にシリカを今の話題に引っ張り込もうとするマグニスや、まだまだ夜話を楽しみたいアルミナの目に押され、折れたようにシリカも輪に加わる。あと1時間ぐらいだぞ、と、おやすみの時間に釘を刺しつつも乗ってくれたシリカには、語り頭のアルミナも嬉しそうだった。やはり第14小隊は、頭が揃ってみんなで話した方が楽しい。シリカ一人が戻ってきただけでも、アルミナやユースの口の軽やかさが違う。
今ここにガンマがいないことは、やはり寂しい。だからここまで来たのだ。特別な生まれのガンマは、普通の人々には無い大きな力と引き換えに、今は病床に伏せている。そんな彼を闇から救い、今までのように8人揃って笑える日々を夢見てここまできた。その意義深さを誰よりも意識していたからこそ、シリカも騎士団の責務に背いてでも救いたいと思えるのだ。
二十歳を超えた6人が絶え間なく談笑する姿を、口数少なく見守る少女がいる。いつだってそうだ。彼女は進んで口を回すことはなく、ただそこにいられるだけで幸せを実感している。孤独も経験した半生の果て、新しい家族と共に過ごす時間は何にも代えがたく、彼ら彼女らを眺めているだけで、なんて今の日々は幸せなんだろうと思わずにはいられない。
「ほらキャル、入ってきなよ! マグニスさんに日頃の恨み晴らすなら今だよ!」
「ちくしょー! こいつ、シリカが帰ってきてから急に攻撃的になりやがって!」
下品な単語を連発していたマグニスに、シリカがいい加減にしなさいと叱り始めてから、アルミナがキャルの援護を求めてくる。名を呼ばれ、この眩しい輪の中に自分も含まれていることを実感する幸福は、彼女にとってはそれだけで胸を満たすものだ。
「マグニスさん、この間ね……」
「だーっ、やめろキャル! 告発すんなって、俺が叱られる種が増えるだろ!」
囃し立てるアルミナ、引き止めるマグニス、聞き耳を立てるシリカ、困るキャル。後の修羅場ににやにやするクロムに、相変わらずだなこの人は、とマグニスを指差して目を合わせるユースとチータ。他愛もない話だって、日々を彩る大事な1ページだ。明日にはどうなっているかわからない、戦人の暮らしだからこそ、こうした日々は強く思い出に残してしまうのだろうか。
7人の喜怒哀楽が織り成す、87.5%の第14小隊。この旅が上手くいけば、数日後には100%の家族達で笑い合える日々が、また帰ってくる。
この時はまだ、誰もがそう信じていたのだった。




