表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第1章  若き勇者の序奏~イントロダクション~
16/300

第15話  ~魔法使いの少年④ 彼方よりの逃亡者~



「なるほど。なかなか、癖のある少年だったわけだ」


 シリカからチータの行動の報告を受けたダイアンは、曲者であることへの韻を踏んでそう言った。言葉の端々にそうした皮肉を込めてくるあたり、食えない人だとシリカは再認識する。


「君としてはどうかな。彼の見解は、決して頭ごなしに否定できる価値観とは言えないが」


「私には、彼の言い分すべてを肯定することは出来ません」


 立場を危うくする発言だった。それを自覚して放つシリカに、ダイアンは小さく頷く。


「君の管理下で、君の正義に反する行動を部下がとり、罪人とはいえ重傷者が発生している。騎士団の一部の人間にとっては、君を批難する格好の材料になるが、前言撤回は――」


「ありません。私の管轄能力の不足です」


 ダイアンは表情を崩し、いつもの笑顔に戻った。悪意のない平穏な笑顔で、特に何かを懸念する様子もない、極めて柔らかい笑みだ。


「わかった。君がそう言うならば、僕からこれ以上言うことはなさそうだ。それで、今後はどうする? 魔導士の少年の監査を続けるかい?」


「……それは、私が決めていいことなのでしょうか?」


 何はともあれ、シリカの部下として動く者が騒動を起こしたことは事実なのだ。責任がかかるのは自分の位置だと思っていたシリカは、思わずそう問い返した。


「君に彼の監査役を求めたのは僕だ。その僕が望んでいるのは、君に決定権を与えること。君の正直な気持ちを聞かせて欲しいな」


 シリカが何と答えるかをある程度見透かした上で尋ねるダイアンは、シリカの表情の機微に対しその観察眼を鋭く向けている。温和な目つきながら、その強い視線をシリカが感じるのはそれ故だ。


 数秒迷ったのち、シリカはダイアンの予想どおりの答えを導く。


「続けさせて下さい。場合によっては、第14小隊への彼の加入も視野に入れていますので」


「うん、わかった。それじゃあ、上層部にはそれも含めて報告しておくよ」


 ダイアンは明朗な声で応じ、この話を締め括った。シリカの立場からしても、この後に訪れる可能性のある波紋はさておき、波が立たずに今の話がまとまったことには正直ほっとしていた。


 とはいえ、言葉にされないこれから為すべき課題に関しての意識があるため、シリカとしてもまだ気の抜ける状況ではなかった。表立ってそれを態度には出さないものの、どうしたものかと先のことを想うシリカの胸中を見抜いたかのように、ダイアンが次の言葉を紡いだ。


「さて、シリカ。僕も預かっている仕事が多くてね。君の小隊に任せたい仕事がまたあるんだ。訓練を踏む日に不足するのは不本意かもしれないが、頼まれてくれないかな」


「いいえ、そんな。何でもお申しつけ下さい」


 何でも、という言葉を聞いてダイアンの目が少し輝いたのを見て、やってしまったかなと一瞬シリカは思ったが、どうせ断る選択肢を設けることもあるまいと思ったシリカは、気を取り直してダイアンの言葉を待つことにする。






「…………」


「状況が状況だから、拒否権は与えるよ。他の任務を預けてもいい」


 ダイアンから次なる任務の内容を聞いたシリカの表情が、よく知る間柄の者同士でのみわかる程度に曇った。内容を鑑みるに、非常に大きな懸念材料を抱えた任務だからだ。


「――かしこまりました。お受けさせて頂きます」


 それでもシリカは、その案件を呑んだ。場合によっては前回以上の波紋を呼ぶことになるが、捉えようによっては――そう考えた上での決断だ。


「頑張っておいで。最善の結果になることを願っているよ」


「はい」


 妹を見守るような目で優しい言葉へと繋げるダイアンに、凛とした表情でシリカは応えた。











 速く平原を駆ける3頭の馬に乗った第14小隊の4人が向かう先は、エレム王国の東に位置する村、レットアムだ。今、この村に一人の犯罪者が潜伏しているとされている。


 事の発端は、彼方の帝国ルオスで起こった強盗事件であった。富豪の家にとある者が潜入し、金品を奪って逃走しようとしたところ、警備の者に見つかって抵抗し、何人かの重軽傷者を出して逃走したという顛末だ。盗み出されたのはいくつかの金品と、一部の人間にとっては非常に価値のある小さなレプリカ。事件が表沙汰になるよりも早く、素早く関所を抜けて亡命したその人物を追うべく、帝国ルオスは世界中に発信する指名手配犯の顔ぶれの中にその人物を連ねたのだった。


 当該の強盗犯も逃亡に関しての意識は当然あり、町を避け、獣道を駆けて逃亡しただろう。しかし食糧が底を尽いたその時に、小さな村が目に入ればそれに対して浮気心も立つというものだ。世界中に指名手配をされているとはいえ、誰もがそんな顔をすべて覚えているわけでもなければ、ある程度顔の見えない服装で歩いている旅人もそう少なくないこのご時世、小さな村に潜入しても自らの居場所を悟られない可能性は充分見越して賭けられる。ルオスからこのエレム王国の管轄地方までには相当な距離があるし、そうした過去もいくつかあったのではなかろうか。


 レットアムは小さな村だ。魔物から村を守る外壁もさほど高くなく、恐らく強盗犯はその壁を乗り超えて潜入したのだろう。町にさえ入ってしまえば人混みに紛れられるし、森の中に隠れる木のように過ごすのはぐっと簡単になる。この村に半日滞在して、欲しいものだけ買って村を去ればそれだけで用は済む。長旅疲れを人里の宿で癒したい想いを堪えて、逃亡を優先する算段だったと推測するのはさほど難しいことではない。


 しかし、ルオスから遙か離れた地から長旅を続けてきた逃亡犯には誤算があった。遙か遠方の国ルオスに生まれたであろうその逃亡者は、そちらの地理関係には自ずと詳しくなるだろうが、遠きエレム王国の地理関係まではっきりとは把握していなかったのだろう。ましてやろくに町や村を渡らず、獣道をあてもなく歩いてきた逃亡者にとって、今いる場所が世界のどこであるのかをしっかりと把握するのは難しいことだ。地図を持たずに百里も歩けば、しっかりした土地勘、確かな指針と地図がなければ己の位置は把握しきれない。


 長旅で疲れ果てた逃亡者の目の前に現れた小さな村は、さぞかし潜入しやすそうなオアシスに見えたことだろう。それはあながち間違っていなかったのだが、逃亡者の最大の誤算は、ここがいよいよ大国の首都たるエレム王都に近い村であることを認識していなかったことだ。かなりの頻度で騎士団に属する者が巡回してくるこの村に潜入してしまったというのは、指名手配犯にとって致命的なミスだったと言える。


 村の真ん中で、一人の騎士が当該の人物に声をかけた。振り返った逃亡者の目に、騎士を意味する腰元に下がった騎士剣が映った時の恐怖は、言葉では言い表せなかっただろう。そして逃亡者にとって最悪なことに、この騎士は逃亡者の顔を見て強い疑念を抱いていた。仕事の出来る男だったのだ。それを察した逃亡者は、話を詰められるより早く、不意を突いてその騎士を攻撃し、レットアムの村を駆けて逃亡を図ろうとした。


 だが、声をかけるよりも先に村を囲っていた包囲網は逃亡者を逃がさなかった。関所の完全封鎖は勿論のこと、逃亡者の逃走ルートを塞ぎつつの追い立てにより、指名手配犯を村のとある一角に追い詰めることに成功している。それが、今日の昼頃の出来事らしい。ちょうどチータが、王都の真ん中でひったくりを火だるまにした頃の話だ。


 夕暮れの草原を駆ける馬に乗ったシリカ達が預かった任務は、その逃亡者の確保。レットアムの自警団と、村に居合わせた騎士達の連携のもと、退路を塞がれた逃亡者を、戦力のある者が先陣に立って確保する役目を背負わねばならない。ルオスからの報告内容や、遙か遠い地から魔物や野盗の潜む道中を切り抜けてきた事実からも察するに、追い詰められた逃亡者に決定打を与えるには、居合わせの戦力だけでは不安が残ると言えよう。決して侮ってはいけない相手なのだ。


 夕焼けが赤々と照らすレットアムの村に辿り着いたシリカ達の胸中に抱かれた懸念は二つ。ひとつはまだ見ぬ敵への不安、もうひとつは、一人の味方の狂気の矛先だ。






「……大丈夫ですかね」


 ユースは今日2度目の問いをシリカに尋ねた。シリカの性格上、同じことを何度も――と言いたいところだったが、敢えて邪見には扱わず、何とかするよと示唆する小さな頷きで返した。


 逃亡者の罪科と未知数の実力から導き出される、この任務における暗黙の了解。今回の犯人の確保において、生死はまず問われない。


 アルミナがちらりと見た先で、チータの目に静かな炎が宿っている。間違いなく、この少年はこの案件に対して確固たる信念を持っている。ひったくり犯に対してあの判断を下した彼が、強盗犯に対してどのような仕打ちを与えるつもりであるかなど、想像つかない方がおかしいぐらいだ。強いて言うなら、どこまでやるつもりか、に計り知れない部分があるぐらいのもので。


「――法騎士シリカ様!?」


「ご苦労様です。状況を説明してくれますか」


 逃亡者を包囲する陣の一人の騎士、一度顔を見たことのある上騎士に対してシリカは尋ねた。他に上騎士や高騎士がいないなら、きっとここを指揮しているのは彼だと身立てたからだ。


 事実それは正しかったようで、その上騎士は状況をこと細かに説明してくれた。要訳すれば、建物が4つほどある目の前の区画まで逃亡者を追い詰めたことに成功しているようだ。高台から状況を見守っている、村の自警団の射手がいることからも、入念に詰めてくれたようだ。


「恐らく、その時計塔の中に潜んでいると思われます。可能性としては窓を介して別の建物に移ったことも考えられますが、見張りからその報告がない以上、それも無いでしょう」


「わかりました」


 やるべきことはそう難しくなく決まった。目の前にある時計塔の中に逃亡者は追い詰められており、誰かがその中に入って犯人を確保すべき状況、ということだ。居合わせた騎士は包囲に全力を傾けたいところであり、その上騎士も動きづらかったことだろう。時計塔に乗り込み逃亡者を確保できず逃がしてしまえば、包囲網と逃亡者の正面衝突になる。それは避けたい。


「シリカ様、くれぐれれもご注意を。何せ相手は……」


「魔導士でしょう。わかっていますよ」


 騎士達の包囲網と逃亡者の衝突が起これば、結果的に犯人を確保できる可能性は低くない。生死は問わないのだから、いよいよとなれば容赦は要らないからだ。だが、捨て鉢になった逃亡者がその魔力を暴力的に振るえば、どんな被害が起こるかわからない。村に住まう民の安全さえも危ぶまれる。だから包囲網を崩してでも兵力を突入に割くことは、この状況下では望ましくなかった。


 そこに包囲網の誰より戦力で勝るシリカが来たのであれば、突入すべき者は自ずと定まってくる。シリカは時計塔の入口を見据えて、アルミナに小声で何かを囁くと、アルミナが小さくうなずいた。意志の疎通を済ませた後、シリカは出陣の声を放つ。


「ユース、チータ、行くぞ」


 主たる3人での、突入。咎人がいるとわかっている場所にチータを導くことが、何を意味するのか。答えの知れているユースは、予測を超えた修羅場を覚悟することになる。






 階層の中心でがたがたと震える人影が一つ。誰がどう見ても退路のない状況に逃亡者が思うことは、絶望以外の何者でもない。騎士達はまだ見ぬ魔導士の実力を恐れはするものの、戦う力に長けた多数の王国騎士に包囲された逃亡者の抱く恐怖は、騎士達の比ではない。


 帝国ルオスの法の厳しさは知っている。強盗傷害を起こした自分に課せられる刑罰の重さは、何もかも後ろ向きな今の頭では、死罪さえも想像してしまうほどだ。日の光差さぬ牢獄で想像もしたくないような苦痛を長く味わうか、冷たい土の下に眠ることになるか、可能性があってせいぜい二つに一つ。どちらも明日があると思えない未来、捕まれば終わりなのだ。


 どうしてあの時、罪を犯してしまったのか。これ以上抵抗して怪我人を出し、エレム王国まで敵に回してしまったら極刑はより固く約束されるのではないか。人質の一人でも捕まえることが出来れば逃亡を果たせる可能性は上がるのではないか――巡っては消えていく、意味のない思惑の数々。逃亡者の精神は恐怖と絶望に犯され、汗ばむ全身が吹く風で冷え、心臓まで凍りつくような想いだ。


 そして、逃亡者の思考の迷路を一瞬で破壊する、かつかつと階段を昇って来る足音。1階、2階に敵がいないことを確信したシリカ達が、ここ3階に向かってくる足音だ。死神の足音と形容して何ら違和感のないその音に、逃亡者の心は闇へと吸い込まれるように堕ちていく。


「やるしか、ない……やるしか……」


 不正解しかない選択肢。逃亡者が選んだ道は、真っ暗な時計塔をやがて戦場に変える。






「――ご同行願う」


 時計塔の3階に辿り着いたシリカの目の前の光景。それは広く開けた3階の中心に立ちすくむ、足の震えた女性の姿。おそらくシリカとさほど年の変わらないその人物は、長い逃亡生活の中で砂埃にまみれた服装であり、整えれば綺麗に流れるであろうブロンドのかかった茶色の髪が、身だしなみに気を遣う暇もなかったかのように乱れきっている。


 そしてその右手には、オカリナのような形をした小さなレプリカが握られている。それを見た3人の心に芽生えた警戒心は極めて強かった。富豪の家から強盗によって盗み出されたレプリカ、それは飛竜の角で作られた芸術品。問題は、その飛竜の角という物質が、非常に高い親和性を持つということだ。


 親和性が高い物質は、それを握る者の精神から魔力を抽出することへの大きな助けとなる。飛竜の角を手にした魔導士は、本人の実力以上の魔力を絞り出せる。魔法使いにとって親和性の高い物質を得るということは、戦士にとって優秀な武器を得るのと同じことだ。


 そしてそれは目で見てわかる事実。もう一つ忘れてはいけないのは、魔力とは精神から抽出されるものであり、今の逃亡者の精神状況が如何なるものであるかという状況。


「お断りよ……!」


 死地に飛び込む覚悟を決めた逃亡者の女がシリカにそう答えた瞬間、風の吹かぬはずの時計塔内に、突如風が渦巻いた。渦巻く風は逃亡者の長い髪を吹き上げ、次の瞬間牙を剥く。


 追い詰められた魔導士の精神が、決死の想いで絞り出す濃厚な魔力。さらに親和性の高い物質に支えられた霊魂が、全力で稼働して魔力の抽出を行うのだ。発現される魔法の威力は自ずと――


風刃魔法(ウインドカッター)!」


 巨大な風の刃がシリカに向けて放たれる。無抵抗で受けていれば胸元を境に、上半身を真っ二つにされていたであろう殺意ある風を、シリカは魔力を纏った騎士剣で斬り受けた。


 シリカの腕に伝わる、想定していた最大限の重み。強い魔力で固定された凶器の風は一瞬では斬り裂けず、シリカは歯を食いしばって剣をもうひと押しする。それでようやく風の刃は割れ、シリカを追い抜いていく風の刃が背後の煉瓦作りの壁に深い傷を刻んだ。


「開門」


 相手がどういう態度であろうと容赦するつもりなどなかった人物が唱えると、逃亡者の頭上に光り輝く亀裂が開く。数多くのランドタートル撃退してきたその魔法に、一瞬遅れて逃亡者が気付く。


落雷魔法(ライトニング)


耐魔結界(レジスト)……!」


 亀裂から稲妻が走り、逃亡者の肉体を激しい雷撃が包み込む。巨大なランドタートルさえも姿勢を崩すほどの強烈な稲妻を受けているにも関わらず、逃亡者の女は膝をつくこともなく、ぎらりとチータの方を睨み返した。


 シリカがその剣に魔力に抗う魔力を纏わせるように、逃亡者が自身の肉体に魔力を纏っているのだ。丸腰で受けては致命傷となる魔法を、自身の魔力で反発し、防御する。魔導士にとって、魔法に対する守備方法として最たるものだ。


 その対応に対してのチータの反応は冷ややかで、鼻で笑うような仕草とともに次の詠唱に向けて息を吸う。それよりも、その隙を見たユースの方が早く、逃亡者に向けて駆けていた。


火炎障壁(フレイムウォール)!」


 突如、逃亡者の周囲から業火の壁が立ち上る。逃亡者の周囲を広く円形に囲む炎の壁は、可燃物を薪とすることもなく燃え上がり、逃亡者に向かっていたユースが思わず怯んで速度を落とした。


「まずい……!」


雷撃槍(スパークランサー)!」


 赤々と炎の壁に照らされた時計塔内に逃亡者の声が響き渡ったのと同時、炎の壁を突き抜けて光り輝くいかずちの槍が放たれた。それは炎の壁に戸惑い動きを緩めたユースに向かって、一直線に発射されている。


 ユースがそれに気付くよりも更に速く、シリカが逃亡者とユースの間に割って入り、その剣でいかずちの槍を受け止めた。魔力を纏った剣でその槍を食い止めたシリカだったが、光輝く槍は剣に当たって振るえるとともに、炎の壁にも勝る強い光を放って火花をまき散らす。


 火花が素肌に触れる痛みと、いかずちの槍が持つ電流が剣の魔力をかいくぐり、シリカの腕へと伝わる強烈な刺激。守られる立場になったユースがこの状況に青ざめた瞬間、剣の魔力を絶やさず堪えるシリカが言葉を紡ぐ。


「退がって、いろ……!」


 思わずユースが2歩3歩引き下がった直後、シリカはユースへの言葉を最後に歯を食いしばり、その剣でいかずちの槍を上空に向けて叩き上げた。進行方向に対するベクトルと、新しく加えられた力の合成で光り輝く槍はシリカの斜め後方に向けて突き進み、壁にぶつかり火花とともに爆発する。


「開門、岩石魔法(ロックグレイブ)


耐魔結界(レジスト)!」


 逃亡者は、チータの小声での詠唱とともに足元に現れた土色の亀裂を見逃さない。そこに向けて魔力を纏った掌を向けると、直後そこから勢いよく突き上げてきた岩石の槍を、女の細腕でがしりと食い止めてみせた。本来存在しないはずのものを生じさせる魔法によって生み出された岩石の槍を、抗う魔力で槍の持つ硬度や速度を抑え込んでいるのだ。


「――開門」


 炎の壁に阻まれて向こうの様子は見えないが、逃亡者の位置を悟っているチータは再びつぶやき、逃亡者の上空に3つの光り輝く亀裂を召喚した。それは先ほどまで雷撃を放って見せていた稲妻の亀裂によく似たもので、3つの亀裂を結んで出来る正三角形は、地面と平行にして重心がちょうど逃亡者の真上にある。


雷撃錐(プラズマデルタ)


 3つの亀裂から同時に放たれた雷撃が、ほぼ同時に逃亡者に向けて襲いかかる。小声で耐魔結界(レジスト)と唱えた逃亡者は炎の壁の向こうで耐えているものの、先程の雷撃よりも強力な魔力による攻撃に、今までで最も多量の魔力を用いての防御を強いられた形だ。精神から大量の魔力を抽出させ、霊魂に著しい負荷がかかる実感が、肉体を通じて逃亡者を追い詰めていく。


「え……っ、爆炎(エクス)魔法(プロード)……!」


 レプリカを握りしめた逃亡者が、喉の奥底から唱えた瞬間、炎の壁となっていた魔力が一気に逃亡者に向けて収束する。次の瞬間、収束した魔力の矛先がシリカとチータに向かって牙を剥き、それを感じたシリカとチータの全身の鳥肌が立つ。


「く……!」


「開門、封魔障壁(マジックシールド)……!」


 逃亡者を砲台とした魔力の塊が、シリカとチータの立ち位置を攻撃範囲に含めた巨大な砲撃となって発射された。焦熱の豪風と化した魔力の爆撃は、対象を押し潰すかのように襲いかかる。


 チータの詠唱とともに眼前に現れた大きな亀裂が、自身に襲いかかるはずだった熱風を呑み込む。さながら自らを守る盾のような役割を果たす空間の亀裂が、チータを襲うはずだった魔力の波動を呑み込み、術者を守る形だ。


 シリカはありったけの魔力を注いだその剣で以って、襲いかかる炎の風を切り裂いた。鉄砲水のようにシリカに襲いかかっていた魔力の塊は大きく割れ、シリカを避けるように後方に向かって流れる。シリカの後方にいたユースも、熱風を避ける形になることが出来た。


 しかし後追いの熱風がシリカに襲いかかる。腕を目の前に交差させて顔を下げたシリカを襲った火の風が、魔力を全身に纏ったシリカを容赦なく焼き払いにかかった。同時にその全身を後方に押す強い風に吹き飛ばされそうになったシリカが、石畳を踏みしめてこらえる。


 直後シリカやチータの後方の壁に激突した魔力の炎風が、煉瓦作りの壁を吹き飛ばした。外観から見た時計塔は、3階の壁の一部が突然爆裂したように見えたことだろう。そしてその開いた穴から、密閉されていた時計塔内から出口を求めた熱風が逃げていく。


「ひっ……はひ、っ……」


 若い外見からは似つかわしくない、枯れた息切れを逃亡者が漏らす。魔力によって防御したとはいえ熱風を受けたシリカはぐらりと2歩下がり、魔力によって難を逃れたチータは、作り上げた亀裂を消して逃亡者を見定める。


「開門、落雷魔法(ライトニング)


「れ……っ、耐魔結界(レジスト)……!」


 間髪入れずに次の魔法を放つチータの涼しい表情とは裏腹に、稲妻を魔力で防ぐ逃亡者の顔色は真っ青だった。先ほどの爆撃で大量の魔力を消費し、すり減らされた霊魂で防御のための魔力を絞り出すことが、肉体に対して相当な負担となっている。親和性の高い物質に助けられていると言っても、無尽蔵に魔力を生み出せるかと言えば話が違うのだ。


 そして、その直後のことだ。シリカ以外、誰も予想しない方向から飛び出した一つの銃弾。


「ひが……っ!?」


 銃弾が、飛竜の角のレプリカを握っていた逃亡者の腕を貫いた。それはシリカ達の後を追いかけて時計塔の3階まで駆け上がってきた、アルミナの銃弾。シリカ達が立つ階層の、常にひとつ下の階層で待機していたアルミナは、機を見てこの階まで登り、敵を見定めた瞬間に引き金を引いたのだ。


 元より魔導士に対して抗うすべを持たないアルミナ、それが敵の攻撃に晒される危機を最後まで抑えるため、敵の前に姿を現さない作戦だったのだ。あとはアルミナ自身の判断で、一発の銃弾を敵に浴びせてくれればよかった。敵に銃弾を着弾させたことを見届けると、その作戦の理念に従い、アルミナはそそくさと階段を降りていく。


 腕を襲った衝撃に逃亡者がレプリカを取り落とした瞬間、その全身から血色が失われていく。先程まで親和性の高い物質に支えられて膨大な魔力を抽出していた霊魂が、その柱を失ってなお雷撃を防ぐための魔力を生み出すために無理な稼働を続けているのだ。力尽きる寸前の魔導士の霊魂が、肉体を健全に保つためのはたらきを果たしきれない。


 鼻で笑うような仕草とともに、チータが指をパチンと鳴らした。逃亡者を包み込む雷撃はさらに勢いを増し、今ある魔力でも支えきれない逃亡者の肉体を押し潰しにかかる。


 次の瞬間、精神から抽出される魔力に限界を迎えた逃亡者の肉体が、防御手段である魔力を失い、雷撃が逃亡者に直撃する。時計塔の破られた壁穴から外まで響くような悲鳴とともに、逃亡者の全身が稲妻によって焼かれ、やがてその体が、熱くなった石畳の上に倒れた。


 それを見受けたシリカの動きは早かった。熱風に晒されて所々が軋む全身に鞭を打ち、逃亡者に向かって直進する。そしてチータが、その剣で以って逃亡者の首でも刎ねるのだろうと推察した次の瞬間、シリカは逃亡者のそばに転がっていた飛竜の角のレプリカを蹴飛ばした。


 次の行動は、なかった。そこでシリカはふぅと息をつき、剣を鞘に収めて、逃亡者を見下ろした。そして、逃亡者を憐れむような目で見届けるとともに、その顔を上げてユースを見返す。


「連れ出せ。お前にも、それぐらいのことは出来るだろう」


 自らに注がれる冷え切った視線にユースは畏縮したが、指令に従いシリカに駆け寄る。その目線の意味する、シリカがユースに抱いているであろう心情が予想できるだけに、ユースは顔を上げてシリカの顔を見ることができなかった。


「開門」


 次の瞬間、チータが口元を動かして亀裂を召喚する。稲妻を放つ、光輝く空間の裂け目を、逃亡者の上空に作りだしたのだ。


 それを見受けたシリカは瞬時に剣を抜き、倒れた逃亡者にさらに近付いたすぐそばに立つ。そのまま目線をチータに移すシリカと、制止を強く促す視線に次の詠唱を断絶するチータ。


「――チータ、話は後で聞いてやる。ここは抑えてくれないか」


 しばらくの沈黙を返したチータだったが、やがてシリカの、逃亡者の頭上にある亀裂が消えていく。あれがチータの意思によって自由自在に出し消し出来るものならば、態度で返答したと見えるだろう。


 そう見せかけての、地面からの岩石の槍、という危惧をしたユースは、取り急いで逃亡者を背負い、保護する。狸寝入りからの首かきの恐れもあるため迂闊めな行動ではあったものの、これにはシリカの方も、特に咎めるような姿勢も見せなかった。


 さりげなく、ユースとチータが目を合わせる。互いに言いたいことがあるであろう眼差しを両者が察するものの、今の状況にその主張が大きな意味を持たぬことも知る二人は、すぐに目線を下層へと降りる階段に向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ