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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第9章  ひしめく悪意の行進曲~マーチ~
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第150話  ~ただ一人を守るための旅路へ~



「……どうですか?」


「とりあえず、手ほどきはさせて頂きました。最悪の事態はもう免れていると思いますよ」


「そうですか……こんな時間に押しかけて、本当に申し訳ありません。ありがとうございました」


「いいえ、お役に立てて光栄です」


 魔法都市ダニームのアカデミーに駆け込んだ第14小隊の頭、法騎士シリカが頭を深々と下げているあ相手は、ダニームの賢者ルーネである。彼女の自室の前にて、何度も何度も礼と謝罪を繰り返すシリカに対し、ルーネはほっとしたような表情で柔らかく笑うだけだ。




 城砦都市レナリックの攻防戦が完全に終わったと見られたのは、あの日のすっかり月が昇った頃だった。医療所に駆け込んで、未だ目を覚まさないガンマを心配するシリカ達に、クロムとユースが合流したのは日付が変わる前後。ことの状況を見届けたクロムの判断と、シリカやマグニスが考えていたことは一致しており、レナリック防衛戦線の上官にあらかじめシリカが申し出ていたとおり、第14小隊は本国王都への帰還の道を辿ることとなる。


 どのみち激戦を抜けたばかりの騎士や帝国兵の数多くは、本国への帰還とともに、入れ替わりの兵を補充して守りを強固にする段取りだった。第14小隊には負傷者が少ないが、マグニスが動ける程度に手ひどくやられたのと、ガンマの昏睡状態に伴い、撤退組の中に含まれたのだ。そもそも先の戦いを経てなおも残留組とされるのはかなり数が限られており、東のイーロック山地での激戦区を抑え続けた精鋭達と、レナリックの死闘を無傷で切り抜けた練兵ぐらいのものである。


 真夜中にレナリックを出立したシリカ達は、王都に戻って一睡もせずに北上だ。まだ朝の早すぎる時間帯ゆえに航路は目を覚ましていなかったため、明朝のタイリップ山道を急ぎ馬車と共に抜け、魔法都市ダニームのを朝方にくぐることになった。野盗団を一度駆逐したとはいえ、魔物や野盗の潜伏箇所としては有力に変わり無いその場所を、リスクを加味してなお最短距離で選んだのも、すべてガンマを案じるゆえ。


 魔法都市ダニームの学者の一人、ガンマの生みの親である賢者は、テネメールの村やその近辺の魔物達を掃伐してきた翌朝にも限らず、アカデミーに帰り着いていた。馬よりも速く駆ける彼女の足は、人里に帰り着く手段に欠いていない。シリカ達がアカデミーに辿り着く数時間前、戦いの疲れを癒すべく自室に帰ったルーネが瞑想していたところ、その部屋の戸を叩いたのがシリカだった。


 ガンマの生みの親であるルーネだけが、彼特有の発作を起こしたガンマの異常を鎮めることが出来る。朝方に自室へ担ぎ込まれたガンマを、人払いの末に治療を施したルーネは、数時間経ったのち、部屋の前で待っていたシリカに朗報を伝えた。最悪の出来事は回避できたことに、シリカはルーネに礼を言うが、どこかルーネの表情が晴れなかったのもここだけの話である。


 ガンマの生い立ちは極めて特別なものだ。ルーネ自身、ずっとそれは気にかけていたことである。











「マグニスさんは知ってたんですか?」


「俺と旦那、シリカの3人はな。……最近はもう、敢えて黙ってたってわけでもないんだが」


 魔法都市ダニームの宿で、朝方からの時間を過ごしていた第14小隊。シリカとガンマを除けば、唯一この場をはずしているクロムは、身体能力強化の魔法を行使した反動なのか、宿に着いて以来ずっと眠っている。一方マグニスは、アルミナの問いかけにいくらか気まずそうな声を返していた。


「ほら、ガンマが第14小隊に入ったのはユースの少し後だっただろ。あの時、俺やシリカ、旦那にはルーネ姐さんから説明があったんだが、まだ小隊入りして間もないユースには、話すのが少し憚られる事情だったから伏せていた。それはカンベンして欲しいんだが」


「いや、それは別に。秘密って、必要だと思って伏せてることですしね」


 常日頃から胡散臭さを身に纏うマグニスではあるが、総合的にはユースも彼のことを信用している。話すべきだと思った事は話してくれるし、黙っていることには意図あって秘密を作るのだ。それが正しいかどうかを委ねられる程度には、第14小隊の先人3人は、ユースにとって信じられる人物である。自分に隠された事実が何かあったとしたって、それで拗ねるような感性は持ち合わせていない。


 ガンマよりも後に小隊入りしたアルミナやキャル、チータにもわざわざ語られてこなかったガンマの生い立ち。傍目から見てもその豪腕ぶりで、普通の育ちではないことは誰の目にも薄々感じられていた事だが、誰もそれに追及しようとしなかったあたり、第14小隊は他者への詮索を入れない奴らの集まりだ。おかげでずっとガンマの生い立ちについては長年表沙汰になる機会が訪れなかったが、きっかけを得た今、ようやくそれは第14小隊の全員に共有される形となる。




「旧ラエルカンで、"渦巻く血潮"っていう研究がされていたのは知ってるな? ルーネ姐さんはそこの生き残りで、ガンマは当時、ラエルカンの研究施設で、人間の種と魔物の血を掛け合わせ、人間と魔物の混血種として生み出されるはずの存在だったんだ」


 それは結局、旧ラエルカンがこの世にあったうちには日の目を見なかった研究成果である。なぜなら、ラエルカンの学者達がその研究にいよいよ乗り出した時、旧ラエルカンは魔王の進軍によって滅ぼされてしまったからだ。


 それまでは、すでに生きた人間に、魔物の血を流す研究しか確立されていなかった。生まれる前の人間の命に、魔物の血を流した上で誕生させる技術は、行使される前に旧ラエルカンが滅びてしまう形となったという話である。


「旧ラエルカン崩落の時、ルーネ姐さんは研究施設から、カプセル詰めの一つの研究素体を抱えて逃れた。それが数年の時を経て、人の子として生み出されたのがガンマだ。確か、人間の種と、魔物エルダーゴアの細胞を融合させた存在だって聞かされたな」


 エルダーゴアとは、ヒルギガースの上位種、グラシャラボラスのさらに上の上級魔物である。生まれる前の人間の細胞にその血を融合させ、人外級の力を持つ人間を誕生させようとした旧ラエルカンの成果は、皇国崩壊の数年後、ルーネの手によって叶えられたことになる。


「ガンマの体に、魔物の血が流れているのはわかりました。それは、暴走の危険を孕むような、不完全なものだったんですか?」


「ああ、ルーネ姐さんも時間をかけて最善を尽くしたんだろうが、完全とはいかなかったらしい。やっぱり未完成の技術には違いなかったんだろうな」


 やや淡々とした声で話に割って入るチータの態度は、マグニスにとってはありがたい。彼自身も、話が大きくてどこから話せばいいのか悩ましい部分があり、問われて答えるならば言葉が迷わず出るからだ。


「ルーネ姐さんいわく、己の心を抑えきれないほどの激情、怒りを抱いてしまった際には、その自我を超えて内なる魔物の血が騒ぐ、という仮説が有力だったそうだ。魔物達も、怒りを得れば目が赤くなるのは、特に獄獣軍の魔物に多い特徴だしな。エルダーゴアの血を引くガンマもその例に漏れず、強い怒りが内なる血に呼びかけてしまうんだろう」


 肉体と精神は、霊魂を(つがい)にして密接な関係にある。渦巻く血潮の研究概念には魔法学も少なからず関わっており、肉体と精神、霊魂の相互作用は、ガンマに対しても適用される学問だ。


「魔物の血が過剰に騒ぐと、どうなってしまうんですか?」


「何が起こるのかは計り知れねえさ。エルダーゴアのような怪力を為す肉体だぜ。体の中の大事な部分を筋肉が縛りつけちまって、死に至るっていう可能性もある」


 自分の心臓、左胸と親指でとんとんと叩き、チータに危険を示唆するマグニス。実際問題、魔物の血を肉体に流して生まれた人間、その血が暴走した末のことは、誰にもよくわからない。前例がないのだから。ルーネですら、過去の渦巻く血潮の"失敗例"を見てきた記憶から、仮説を立てることしか出来ない。はっきりしているのは、人の血に流れる魔物の血が暴走すれば、当人の命を危ぶめるということぐらいだ。


 魔物ネビロスの血を肉体に流した、兄ライフェンの無残な末路を目にしたチータには、特にそれが脳裏に鮮明に蘇る。黙ってマグニスの話を聞くだけのユースやアルミナ、キャルと違い、チータが口数多くしてガンマを案じるのは、そうした経験則からも響いている。


「昔フィート教会で、チータの前でもガンマは"暴走"しかけたことがあるそうだな。あれ以来、任務の際には、俺かシリカ、旦那のうち誰かが常に、ガンマのそばにいたはずだ。俺達3人は、ガンマの血が暴走した際に、それを沈静する抗体を預かっていたからな」


「それがあの赤い針ですか?」


「そうだ。あれも、ルーネ姐さんが作ったものなんだがな」


 レナリックでアジダハーカを撃退した後、倒れて動けなくなったガンマにマグニスが打った赤い針。あれは、暴走したガンマの血を抑制するための魔力抗体であり、預けられて以来数年間、使うことがない一方で、シリカもクロムもマグニスも、一時たりとも手放さなかったものである。


「あれはあれで相当精密なもんなんだが、まあそれは今はいいだろう。ともかく、ガンマの体の構造を知ってるのはルーネ姐さんしかいねえから、今回のようなことが起こった場合は、応急処置の後、速やかに姐さんの元に担ぎ込む手筈になってたんだよ」


 お前や旦那を待つぐらいの時間はあったんだけどな、とユースに顔を向け、マグニスは言う。それだけの効果を持続させるあたり、ルーネの処方してあった抗体は出来がよかったのかもしれない。ただ、それでもガンマの肉体を完治させられるほどのものではなかった。


「暴走した血の抑制を兼ねたガンマの治療は、ルーネ姐さんにしか出来ねえ。渦巻く血潮の本質をしっかり把握してるのは、今や世界中でも姐さんだけだし、姐さんはその技術を誰にも公開してねえからな」


「ということは、隊長にも?」


「だろうな。大方姐さんも、自室にガンマと二人でこもって、シリカは部屋に入れてねえと思うぜ。それでも帰ってこねえ辺り、シリカは部屋の前で待ってんだろうな」


 心配だから、という事情はあるにせよ、生真面目さが目立つ行動だけに、マグニスは少し溜め息顔。テネメールの村の魔物達を撃退し、周囲の魔物も駆逐した後、ようやく今の住まいにその足で返ってきたルーネに、休む暇もなくガンマの治療を依頼しているので、申し訳なく感じるのはまあわかる。


 だからってそこまでしなくても、というのがマグニスの考え方だ。シリカだって一睡もしておらず、休むだけの時間は必要な体のはずなのに。そういう面では、看病にも行かずに体を休めるクロムの姿勢の方が正しいと、マグニスは考える。


「まあ……捉えようによっちゃ、ガンマは人外に属するとも言える話だよ。こっちから話すのも気が引けて、今までお前らには黙ったままになっちまってた。それは詫びる」


 首を振りたそうな目を浮かべたアルミナの言いたいことは、マグニスにもよくわかる。長年仲良く過ごしてきたガンマを、今更これを知ったところで、人外と呼んで距離をおく奴なんて、第14小隊には一人もいない。ユースも、キャルも、チータもそうである。


 それが前々からわかっていただけに、しばらく秘密を通してきたことを、マグニスもばつの悪い想いに駆られるのだ。今の話を聞いてガンマを差別視するような連中だったら、話さない方がよかったと迷わず結論を出している。世の中何でも明け透けに情報公開することが正義とは限らない。現実はそうだ。


「まあともかく、ガンマのことは心配するな。ルーネ姐さんに任せておけば……」


 話がひとしお済みかけたところで、宿に休むマグニス達の集う部屋の扉が叩かれる。時間的にも、その主が誰であるかも想像つくだけに、キャルがぱたぱたと駆けて内から扉を開きにいく。


「お、シリカ。どうだった?」


「なんとか山は越えたそうだ。ひとまず心配はないだろうと言われたが」


 部屋に踏み入ったシリカに対し、尋ねるのも怖いような問いを率先して振るマグニス。そして彼が数秒前に宣言したとおり、ルーネの手がけたガンマは快方に向かっているようだ。シリカの表情も作り物でなく好色であり、ユース達も胸を撫で下ろす想い。


 アルミナに、旦那を呼んできてくれと呼びかける一方で、マグニスは少しだけ表情を張る。恐らくは敏感なアルミナのことだから、シリカの気になる言葉尻には気付いているはず。だから一度、アルミナには席をはずさせる仕事を与えた。


「言われた"が"、ってのは?」


「帰り道にな……いや、当面ガンマについては何も問題はないんだが――」











「お疲れ様、法騎士シリカさん」


「あ……エルアーティ様、これは……」


 ダニームのアカデミーを出たシリカを待っていたのは、箒を片手にした小さな魔法使いだった。見た目の丈に合わぬ風格を持つ賢者に頭を下げようとしたシリカに、エルアーティは掌を前に出して近付く。礼は不要、という仕草である。


「あの子、ガンマと言ったかしら。事情は私も聞き及んでいるから、詳しい説明は不要だけど」


 シリカの近くまで近付き、見上げるようにしてシリカを見つめるエルアーティ。ユースほど如実に態度に表さないシリカだが、この人の無感情な瞳は不思議な威圧感があり、シリカも得意でない。


「ルーネの手腕は確かよ。発作を抑えることは彼女の腕なら可能でしょうし、数日後には彼もまた、今までのように歩け、戦える体になるでしょうね」


「それは……」


 何よりですが、と言おうとしたシリカの言葉が遮られたのは、エルアーティが目を伏せて、ゆらりと一歩下がる仕草ゆえだ。行動ひとつで社交辞令に近い言葉を封殺するエルアーティは、つくづく対面する人物の口を、己の掌に乗せる手腕に長けている。


「そうして日常を得た彼は、再び戦場に赴くの? 同じことが何度でも繰り返され得るのに?」


 シリカにとって、最も気にしていたことを突きつけるエルアーティ。ここに来るまでの間でも、シリカはずっと考えていたことである。


 確かに健常な肉体に戻るなら、ガンマの戦線復帰は望ましい。戦力としても歓迎すべきことだし、恐らくは本人さえもがそう希望するだろう。だが、今回と同じ発作が再び起これば、その時ガンマはどうなるだろう。今回の場合はガンマが動けなくなる直前、アジダハーカが退いてくれたからよかったものの、そうでなければ身動き取れない彼がどうなっていたかなど、想像で容易に補える。無双のパワーを持つ一方で、ガンマが体内に爆弾を抱えるような身であることは、今回のことでシリカも強く再認識していた。


 世相は決して良くないのだ。どこで魔物達と抗戦することになろうとも、死闘の可能性は常にある。頼もしいガンマだが、いわば大病を患っていると強く表れたばかりの彼を酷使し続けることなんて、シリカも気楽には選べない。部下を駒と見るには、24歳のシリカはあまりにも若過ぎる。


「……彼が望むのであれば、そうしますよ」


 本音では戦線復帰をガンマに控えさせたい想い、一方で上官として有益な駒を起用することを潔しとする言葉をシリカは返す。その一存をガンマに委ねることが、上官としては逃げであることも自覚している。


「あなたらしい回答ね。出来れば二度と、彼が発作を起こさない体となれば望ましいのだけど」


 叶えてこられなかった夢妄想を言葉に体現するエルアーティの態度が、今のシリカには面白くなくて仕方ない。それがそう出来てこなかったから、今まで常に心の隅に不安が付きまとっていたというのに。


 冷静な表情の裏、今の自分をシリカが拒絶したいこともエルアーティにはわかっている。一方で、そんな話を切り出したのは、ただの意地悪で法騎士をからかうためではない。


「作らせてあげましょうか? 彼、ガンマが発作を起こさなくなる秘薬」


 上目遣いにシリカを見上げる魔女の目が光った瞬間だ。夢のような言葉を、嘘の匂いひとつ漂わせない説得力とともに言い放つエルアーティには、シリカも思わず息を呑んだ。











「あのチビ魔女、胡散臭ぇけど人を騙す口じゃねえんだよな。どんな話聞かされた?」


 エルアーティが語るには、ルーネの英知にかかれば、永続的にガンマの肉体を発作から免れるほどの、安定した肉体に治癒することが出来るという。そのためには一度大掛かりな治療、言い換えれば大手術に近いものが必要となるそうだが、彼女ならやってのけるだけの手腕があると、エルアーティは強調した。賢者同士の信頼関係は強固なもので、ルーネもよくエルアーティを立てるような発言を繰り返しているが、エルアーティ視点からのルーネも同様のようだ。


「それを今までやってこなかったのは何故か、あのチビ魔女は説明してくれたのか?」


「僭越承知で尋ねたよ。エルアーティ様は、『今までは研究が進みきっていなかったのと、触媒が決定的に不足していたから』と説明されていた」


 ガンマを生み出して20年弱、ルーネは自身の研究の傍ら、渦巻く血潮の研究を続行していた。二度と現代に蘇らせるつもりのない学問でも、ガンマという一人の命を握る学問となれば、ルーネは手間を惜しむことなく打ち込むだろう。確かに彼女はそういう人間だ。


 その20年弱の間で、ガンマを生み出した当時より発展させた血潮の真髄、特に混血児ガンマの命を繋ぐために特化した研究は、花開く直前まで至っていたという話だ。まずこれが、答えの前半。


「触媒ってのは?」


「魔法学を活用して秘薬を作る、ないし、肉体を人の手で作り変えるには、いくつかの親和性の高い物質が必要、ということらしい。チータならわかるか?」


「そうですね。ルオスの魔導医療施設でも、治癒魔法を行使する際は、大森林アルボルの泉で汲んできた水で怪我人の体を洗うと治療が捗るとされていました。少々お高くつく、金持ち向けの手段ですが」


 エレム王国の医療所でさえも、治癒魔法を扱う術師達の間ではそうした理論を用いている。ここまでは流石にシリカも詳しくないが、こういう時に魔導士であるチータの知識はいい補足になる。


 魔法の行使に、親和性の高い物質の存在は大きな助けになる。渦巻く血潮もまた、魔法学を駆使した学問には違いなく、魔法の行使の大きな助けとなる親和性の高い物質は、技術行使の支えになるということだ。


「つまり?」


「触媒を集めて来られるなら、ガンマを再び発作を起こすことのない体にすることも可能だ、と、エルアーティ様は仰っていたよ」


「……ふうん」


 裏路地で人買いを生業とする闇商人と対面することもあるマグニスは、今ここにいないエルアーティの表情を想像で補い、相手の真意を読み取ろうとする。旨い話には間違いなく裏がある。少なくともエルアーティが、見返りなしで人に美味しい話を持ってくる慈善家とは思えない。


「どうしてエルアーティが、そんなことを知ってるんだろうな」


 沈黙して考え込むマグニスが振り返ると、小休止から目を覚ましたクロムがそこにいた。寝起きには違いないだろうが、そうは思わせぬ眼差しを携えているあたり、寝起きのいい人だと感じるものだ。


「クロム?」


「渦巻く血潮の真髄は、賢者ルーネのみに秘められた最秘匿情報だろう。エルアーティが、ガンマの体のことを知っているのはよしとしても、その体をどうにか出来るということを語れること自体、エルアーティが秘匿されてきた渦巻く血潮に対する情報を持っているということじゃねえか」


 シリカとマグニスが無言を返すのは、それが的を射ているからだ。ルーネはエルアーティのことを、最も信頼している人物であると公言しているが、だからと言って渦巻く血潮の学問まで彼女に対して公開しているだろうか。あり得ない話ではないが、旧ラエルカン崩落以降、頑なにその秘密を死守してきたルーネが、エルアーティだけには特別に、というのは流石にどうだろう。


「……エルアーティ様にだけは話しているかもしれないんじゃないか?」


「ねえよ、絶対ねえ。あの賢者様の口の堅さを甘く見るなっての。それぐらい芯の強い奴じゃなきゃ賢者務まらねえよ」


 どこからそんな自信が出るのかと言うぐらい、クロムは断言した。ルーネが渦巻く血潮の本質を、エルアーティに話しているはずがない、ということをだ。


「……まあ、あのチビ魔女と頭脳を考えたら、聞き及んだ話からだけでも、ルーネ姐さんから渦巻く血潮の技術、パクっててもおかしくないですけどね」


「あってそんなもんだろ。ついでに言えば、今回のことで俺達を使って、ガンマの治療と引き換えに、さらなる知識を深めることを狙ってる、って可能性も視野に入る」


「あのだな、クロムもマグニスも……」


「仮説だ、あくまで。井戸端会議みたいなもんだろ」


 邪推飛び交う光景には、シリカも正直気が気でない。二人とも歴戦くぐりの猛者で、シリカにはない視点をいくつも持っているが、声高に賢者様に対する邪推を容認するのはシリカの立場からでは苦しい。別に二人とも、今話している態度を賢者当人の前で晒すようなことはしないだろうが、やはりそわそわする。


「まあ、そんなことよりもだ。シリカはどうするつもりなんだ」


 クロムが問いかけたのは、エルアーティの話を聞いて何をしたいかという話。エルアーティは、ガンマを助けるための親和性物質を持ってくることを示唆している。乗るのか、逸るのか。


「エルアーティ様は、必要な触媒をいくつか挙げて下さった。私がそのうち一つを取ってくるなら、他の触媒はこちらで集めると言って下さったよ」


「引き受けたのか」


「……引き受けてきた」


 流石にこの回答には、シリカも僅かに間を開けた。エルアーティの持ちかけを呑むということは、少なからず騎士としてのシリカの名に傷を負うことでもある。それがわかっているだけに、クロムも僅かに苦笑したものだ。マグニスなんて、また勇み足踏みやがってと言わんばかりに、溜め息を隠さずに吐いていた。


「まあ、わかった。お前が求められた触媒とやらは何だ?」


「大森林アルボルの最奥地にあるという、"アルボルの樹の朝露"だと言われた」


「よし、それじゃ行くとしようか」


 軽くそう言い放つクロムに対し、シリカの顔の気まずそうなこと気まずそうなこと。こんな顔をするこいつが何を考えているかなんて、クロムやマグニスにしてみれば一目瞭然だ。


「全員で行くに決まってんだろ。わかってねえわけじゃねえだろ、お前なら」


 今は大変なご時勢である。エレム王国を守る法騎士たるシリカが、職務を放棄して遥か遠い地、大森林アルボルまで私事情で赴くなんて、騎士団上層部に何を言われても文句が言えない。人里が危機に晒されているのに何を遊びに行っているんだ、と言われても、何一つ返せる言葉はないだろう。


 せめて第14小隊の一部が赴き、残りは人里の守りに回るというのなら、最低限の体面も保てよう。だが、ガンマの体、あるいは命を救うための行動に、ユースやアルミナ、キャルやチータが同行せずにお留守番だなんて、面白い話であるはずがない。クロムですら、マグニスですら嫌だ。


 シリカが行くと決めた時点で、全員を連れて行くことはほぼ決定事項である。法騎士としての責より、家族同然の部下の向こう10年を追うことを決めたシリカだからこそ、わからないとは言わせない。クロムが突きつけているのはそこである。


「……そうだよな。みんな、一緒に来てくれるか?」


「勿論です」


「当たり前じゃないですかっ!」


「……行かせて下さい」


「あまり見損なわないで欲しいですね」


 ユースが、アルミナが、キャルが、チータが、それぞれの言葉で同じ意味を放つ。わかりきっていた反応は、シリカにとっては参ったものである一方、やはりガンマを心の中心に置いた家族の温かさは、第14小隊の輪の厚さに喜ばずにいられない。


「チータ、お前も来んの? お前ならシリカ立てるために、残るって言いそうなもんだったけど」


「個人的に行きたいですしね。それに僕一人残っても、他全員行くんじゃ意味ないでしょう」


「まあチータが残るっつーんなら、俺は残ってもいいけどなぁ~」


 さらっと人のせいにして、遠出を避けるような発言をするマグニス。アルミナでさえもこれにはむっとしないのは、どうせ来てくれる人だとわかっているからだ。


「俺は行くぞ? チータとお前だけで留守番しても、体裁繕いきれねえっつの」


「ハイハイ、そうですか。行けばいいんでしょ、行けば」


 クロムが手短にとどめを刺して終了である。日頃の体を振る舞いつつ、結論は皆思うところに。ひねくれたやりとりを遊び心と共に挟むのは、今の決断を後ろ向きに捉えさせないよう、煙にまくための緩衝霧だ。


「……それじゃあ、さっそく行こうか。早く帰ってこなきゃいけないしな」


「おい待て、シリカ。今すぐか?」


 そうだが? と剣の鞘を正すシリカに、アホかお前はという顔でマグニスが引き止める。これは先刻までほど、問題視することでもないのだが。


「いや、お前寝てねえだろ。怪我もしてるしちっと休んでからでも……」


「今のガンマと比べればどうということもないだろう。東に向かうぶんぐらいの体力も残ってるよ」


「鉄人か、お前は……」


 今回ばかりは、マグニスも小休止目的で引き止めたわけではない。本気で心配してやってるのに、そんな平然とした顔で返されては言葉もない。決めた行動に対して足が速いのはいつものことだが、その際に彼女の体の溢れるバイタリティには、マグニスも時たま言葉を失ってしまう。


「アルボルのそば、ルオス領内で一晩過ごせば大丈夫さ。夜頃にアルボル近くの宿に入るのが一番いいし、だったら今すぐの方が……」


「あーハイハイ、わかりました。何でもいいです、あなたに従います」


 もういいから黙ってくれ、というマグニスの態度にシリカがむっとして、クロムはマグニスの想いがよくわかるせいか、悪い笑いが止まらない。周囲4人も、相変わらずのシリカとマグニスの、噛み合わないようで深くでは繋がっている会話に、笑いを漏らす者が多い。顔に出さないのはチータだけだ。


 表情を緩められるのは、ガンマの重症という状況から、次は何をするべきかという道が開けたからだ。行き先は決まった。第14小隊は、騎士団に背くことも恐れず大森林アルボルに向かうのだ。






 こんな言い伝えがある。大森林アルボルの奥深くに立ち入った者は、その多くが帰ってこない。


 偉大なる精霊様の住まう大森林は、人と森が共存できる楽園と言われてやまない。だが、それは森林浅き部分の話であり、精霊の庭と呼ばれるアルボル最奥地に踏み込んだ者は、帰らぬ人となるばかり。なぜなら、アルボルの最奥地で見てきたものを語る者が、これまでの歴史上でも殆どいなかったからだ。


 大森林の奥にあるとされる"アルボルの樹"とは、もはや神話の中に出てくるような存在と化してきている。近年でそれに触れた者は、その樹から枝を土産に持ち帰った、賢者エルアーティだけとされている。そして、知識とは広く知れ渡られるべきであると日頃から主張し、ごくごく一部の情報以外は論文として広く公開する彼女が、アルボルの最奥地で見聞きしたことについては殆ど語らない。彼女のスタンスとして、これは異質なことだ。


 "いくつかの秘境が世界には必要である"


 賢者エルアーティの言葉が指し示した、大精霊住まうアルボルの本質。それにやがて触れることとなる第14小隊の運命は、光も闇も表さない、白い霧に包まれていた。

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