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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第1章  若き勇者の序奏~イントロダクション~
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第14話  ~魔法使いの少年③ 人災の炎~



 今朝の時点では、まさかこんな事態に陥るだなんて誰も思っていなかった。


 これは、まずいことになった。明らかに自分が口を挟める問題ではないとわかっているアルミナが、肩身狭そうに居間の椅子で縮こまっている。


 ユースはこの問題には直接関わっていない。だが、彼自身が持つ観念に則って、今回の件には相当思うところがあるようで、問題の火種となっている人物に厳しい目線を送っている。


 隣に座るユースが明らかに感情的になっている一方、シリカは比較的冷静ではあった。正直、シリカ自身が持つ倫理感で言えばかなり言いたいこともあったのだが、ここで自分が感情的になってしまえば、絶対に問題は解決しないことを彼女もわかっている。努めるまでもなく、こうした非常時に自然体で冷静でいられるのは、経験の為せる業と言えるだろう。


 そして、渦中の人物――魔導士の少年チータは、シリカの向かいの席で、いつもの表情を崩すことなくたたずんでいた。その表情から感情が読み取りづらいのはいつものことだが、間違いなくその顔が物語っているのは、自分は間違ったことはしていないという確固たる主張。


 居間に漂う剣呑な空気を打破する者がいない。形を持たないはずの重い沈黙が、この一室で最も存在感を放っていた。











 それは、今日の昼下がりの出来事だった。この時はしばらくエレム王国に身を置くことになったチータを歓迎する意味合いも兼ねて、4人で町の市場へ買い物に出かけていたのだ。


「そこの魚屋さんは、海産物のお惣菜を売ってるんだけどね。日暮前になってそれが売れ残ると値引きしてくれるから、それが狙いどころかな。まあ、残りにくいからアテにはできないけど」


「へえ」


 アルミナが元気よく町の情景をチータに紹介しても、返ってくる返答は素っ気のないものばかり。ユース目線、アルミナが気を悪くしないかと少し不安でもあったのだが、そこはアルミナも成熟しており、気分を害した様子はないようだった。


 孤児院で数多くの子供のわがままを受け入れ、叱り、わかり合うことに努めてきたアルミナにとって、価値観の違う者のとの対話は、さほどストレスではない。チータと今後何日の付き合いとなるかわからない以上、相手のことをなるべく深く知ろうとする姿勢はアルミナにとっては自然体だ。その上で、自分と合わない人間と判断できるのであれば、それも後日考えればいい。


「ああ、そうそう。そこで売ってるケーキが美味しくってさ。私が面倒見てる子たちも、みんな大好きだって言ってくれるんだよ」


「……面倒見てる子たち?」


 さりげなく、相手に疑問を抱かせる語り口でチータから反応を引き出す。二十歳にも満たないアルミナが、面倒を見ている子供達とは何だろうか。


「私、時々孤児院に遊びに行くんだ。そこの子たちのことよ」


「ふうん」


「あ、何。私がこの年で、子持ちにでも見えたっての?」


「そういう言い方されたら一瞬そう思うだろ」


「失敬な! そんな節操のない女に見えますか!」


 今日初めて、会話のキャッチボールらしい会話がアルミナとチータの間で交わされる。横からそれを見ていたユースは、つくづくアルミナは面倒見たがりな気質なんだなと実感していた。


「どこか座らないか? 歩いてばかりじゃ、疲れるだろ」


「あんたが疲れてきただけじゃないの?」


「お前、すぐそういうことにしようとするよな」


 機を見て口を挟んだユースの言葉にチータは反応しなかったが、アルミナがそれを拾って話は繋がる。さりげなくシリカがチータを観察する限りでも、そろそろどこかに腰を落ち着けていい頃かとも見られたので、今のユースの提案はちょうどよかったかもしれない。


「どこか入るか。アルミナ、いい店はあるか?」


「そうだなぁ……それじゃ、そこの酒場がいいな」


「こんな真昼からかよ……お前のそんなおっさん臭いとこ初めて見たぞ」


「違う違う! ここは真昼時はランチタイムセールで、普通のお料理を……」


 ユースにおっさん扱いされたことにきぃきぃ反論するアルミナを見るチータの目が、いかにも、ああうるさいなこの女は、というものだったのを見て、シリカはほんの少し苦笑を漏らした。


 チータの表情から、感情的な側面を見られたのはこれが初めてだったからだ。






「チータ、何食べる?」


「何でもいいよ」


 お品書きをチータの目の前に開いて尋ねるアルミナに、返ってきた言葉はやっぱり温かみがない。だいたい予想済だったアルミナも、次の手立ては考えてある。


「それじゃ、チータの食べるものは私が勝手に決めていい? ――すいませーん!」


 アルミナはチータの返答よりも早く、店員を呼ぶ。尋ねられてばかり、つまり返答する形でしか言葉を発していなかったチータが、予期せぬ形で言いかけた、どうぞの言葉につまづくことになる。調子の狂う第一歩だ。


「サニーソースのパスタと、夕焼け模様の赤オムレツ、スモークブレットに、ブルードスープに……」


 忙しい中駆け付けた店員に、次々と料理を注文するアルミナ。4人で来たのに明らかに10品以上の料理を注文してるのが若干おかしい。店員も注文を聞き終えた後、戸惑った声で、よろしいのでしょうかと付け加えたほどだ。


「お前まさか残したりなんてしないよな」


「食べ物を粗末にするようなこと絶対にしないわよ」


 ユースの刺してきた釘をはじき返して、注文を終えたアルミナはふんすと椅子にふんぞり返る。


 やがて数分待ったのち、シリカ達の座るテーブルに並べられた料理の数々。ぱっと見て一人前とわかる料理が9品、各自にドリンクが1つずつで計4つ。テーブル狭しと贅沢に乱立した逸品の数々は、質を問わぬならどこぞの宮廷料理かといわんばかりのボリュームだ。


「チータ、どれ食べる?」


 料理が揃ってからアルミナが聞いてきた。要するに、この中で好きなものを選べと。


 はちゃめちゃなアルミナの行動に、チータもしばらく目が点で、今の問いには思わず呆れたような目をして――とはいえここまでされて、何も選ばないというのもどうかという気分にもなる。


 チータは無言で、一つの皿を選んで手元に引き寄せる。それは小海老やはまぐり、冷えた茹で蛸と鮮魚の切り身をあつらえ、ドレッシングをたっぷりまぶした、アイマン風シーフードサラダだ。


「それじゃ私、これもーらい」


 チータの選択を見て、アルミナはオレンジ色のソースで満たされたパスタを選んで手元に。彼女の意図を察して後押すシリカはスパイスのかかった6つ分けのパンを選択し、ユースは少しだけ考えた後、焼肉の切り身ととろとろの卵焼き、緑黄色の野菜で飯が彩られた丼ぶりを選んだ。


 シリカが言ったいただきますの言葉に続いて、元気よくアルミナがその言葉を重ねる。ユースが普通の大きさの声で放ったいただきますの声が、アルミナの声でかき消えたぐらいだから、商売繁盛真っ只中の騒がしい店内に、チータの声は全く響かなかった。


 年頃のユースとアルミナ、食べ物を口に運ぶのが早いこと早いこと。チータも思わず訝しげに二人を眺めてしまったのだが、訓練に任務にお勉強に、頭も体も毎日フル稼働な二人の食事量は日頃からかなりのものである。日々の暮らしで膨らんだ胃袋は、そう簡単に縮まない。


「節操がなくて済まないな。こいつらは、いつもこうなんだ」


 チータの様子をうかがっていたシリカが笑いながらそう言うと、チータも思わず今までよりは少し感情のこもった声で、へぇ……と言葉を漏らす。そうこうしているうちに、二人が目の前の自分の皿の上にあったものを綺麗に食べ終え、次の皿に手を伸ばしていた。


 これは食べ残しなどあり得ないペースだ。ユースもアルミナも、今の2皿目をあっさりたいらげ、すぐに3皿目に手を伸ばすに違いない。


 それを見受けたチータが、目の前のサラダを食べ終える前に次の器に手を伸ばした。ムール貝と煮込んだ野菜の見え隠れする乳白色のスープの真ん中に、2匹の大海老がいかにも豪勢に浮かぶとろけるスープだ。液面から立ち上る湯気が、さっきからチータの鼻をくすぐっていた。


 チータが選んだ2品を見て、ある程度チータの好みが絞れたかもしれないと感じたアルミナが、その時点で店員に声をかけてもう2品注文する。片方は切り分けたフルーツトマト、もう一つは白身魚の開きのフライだ。


 空になった皿を下げて貰い、空いた食卓の真ん中にそれを置く。すでに8つに分かれているフルーツトマトはさておき、大きな白身魚の天ぷらを、アルミナはナイフで適度な大きさに6等分。


 ユースとアルミナが、トマトと天ぷらを1つずつ取って食べると、チータもそれに続いた。チータの好物は肉料理などよりも、海鮮料理やサラダなどの方にあるのではないかと仮説を立てたアルミナなりの配慮だったが、チータの動きからはあながち仮説は間違っていないかもしれない。口に運んで味わう表情から読み取れる感情は相変わらず乏しいが、最初と比べて手の進み具合が早くなっていることから、満足していることは3人の目にもよくわかった。そうした頃になってようやく、シリカは自分の1品目を食べ終えて、次の料理に手を出した。


 結局、シリカ達の囲んだ食卓から溢れそうだった料理の数々は、たいした時間もかからずにあっさりと4人の胃袋の中に消えていった。他3人はともかくとして、チータもなかなか大きな胃を持っているらしく、アルミナがデザートを3つ頼んで、どれかどうぞとチータに語りかければチータもしっかり1つ選んだ。残り二つは両方とも、アルミナの舌の上に溶けていった。


「ふあー、美味しかった! ごちそうさま!」


 快活な声が酒場に響き渡ると、周りのテーブルから驚きの意味を込めたどよめきが少しだけ上がる。このテーブルを視野に入れた店の客の多くが、完食を予想していなかったからだ。


「で、アルミナ。お前も少しは払ってくれるんだろうな?」


「えっ!? シリカさんが全部払ってくれるんじゃないんですか!?」


 くっくっと笑いながらシリカが尋ねてみたところ、わざとらしく厚かましい言葉を返すアルミナ。そんなこと言いながら、シリカは今の料理を全額支払えるだけのお金を既に財布から出しているし、アルミナもこう言いながらも自分の財布を取り出している。両者とも最初から自分が支払える算段で、あくまで冗談をかけ合っているだけというのが、態度からわかるというものだ。


 どうせ結局、最後は割り勘になると相場が決まっている。ユースはとっくに概算で小計をはじき出して、だいたいこんなもんだろうなぐらいの金額をテーブルに置いていた。目の前の様子を見てチータも自らの財布を取り出そうとするが、これはアルミナが制止する。


「いいよいいよ、せっかくなんだから一回ぐらいご馳走させて。旅路の末に出会えた縁で、私達の町のものを食べてもらえたんだしさ」


 店を紹介した者の使命だと言わんばかりに、アルミナは胸を張ってそう言った。チータが自身の観点から、それでも支払うと言い出せば、それはそれで受け入れもしただろう。


「……わかった。受け取っておく」


 そう答えたチータの目には諦観が少しうかがえたが、同時に、冷たかった目の色にほんの少し温かみが宿ったようにもアルミナには見えた。それがなんだか嬉しかったアルミナは、意気揚々とシリカやユースからもお金を預かったのち、会計を済ませてきたのだった。


 チータがこの隊に定着するかはわからぬ以上、何日の付き合いになるかはわからない間柄。たとえ仮にお別れがすぐそばだとしても、こうしたちょっとしたきっかけから、お互いが笑顔を交えていくことは出来るはず。それを実感していたアルミナもユースも、この時はまだ、今日の今後が楽しみだと思っていたのだ。






 店を出た4人の足取りは、チータ含めて軽いものだった。口には出さないものの、昼食には満足がいったようで、3人のチータ歓迎会は成功と言っていいものだっただろう。


「そういえばチータ、魔法が得意なんだよね? 私達、魔法に憧れてて……」


 機嫌も決して悪くないチータが、そう言ったアルミナの方を向いたその時だ。


「誰かぁ! その人を捕まえ……ひったくりよ!」


 シリカ達の歩く方向先から、しわがれた老人の声が響いた。甲高くも絞り出してかすれた声が老婆のものだと確信した矢先、シリカ達の横を流星のような勢いで駆けていく人影が一つ。


 事態をいち早く察知したシリカが瞬時にきびすを返し、去りゆく人影に追い迫ろうと地を蹴った。だが、その直後振り返ったチータの口元が、シリカより早く動く。


「開門、落雷魔法(ライトニング)


 短い詠唱の直後、光を放つ空間の裂け目が、走る人影の頭上で生じて稲妻を放つ。雷撃は見事にその人影に直撃し、その者は野太い悲鳴を上げてすっ転んだ。


 状況に合わせて最速の一歩を踏み出していたシリカも、目の前の光景を受けて歩速を緩める。目の前に倒れている男は、全身痺れたといったふうに痙攣しており、おそらくはもう立ち上がって逃げることも出来ないだろう。


「はぁ……はぁ……な、何が起こったのかねぇ……?」


 先程の声の主と思わしき年寄りの女性が、通行人の一人に手を借りて、片足を引きずってよろよろとチータのそばまで歩み寄り、つぶやいた。ひったくりに突き飛ばされて足首を痛めたのか、そこまで辿り着くとよろりとその場に座り込み、はぁーと深く息をつく。


「…………」


 チータは一度だけ、足を痛めた老人をその目で改めて見た。その姿を見た彼の瞳の奥に、密かな強い感情が生じ、再びひったくり犯を見定めたことに、今はまだ誰もが気付かない。


 目まぐるしい状況の変遷に、何が起こったのかを正しく追えなかった老婆は怪訝な顔をしている。街ゆく周囲の人々も最初は同じような顔色だったが、少し頭を回せば状況を理解する。あのひったくり犯を、誰かが魔法で射止めたのだと想像力がすぐに追いつく。やがてチータの周りで立ち上っていた混乱のざわめきが、どこかにいるお手柄魔法使いに対する驚嘆の声に変わっていく。


「――チータ、よくやってくれた。少々手荒ではあったが、お手柄だったな」


 振り返ったシリカが、魔導士の少年に目線を送ってそう言った。その後少し遅れて、街の小さな事件を一瞬で解決した少年への感嘆の声が少しずつ上がる。やがてどよめく街の声が、チータに対する勝算の声に染まるのに時間はかからなかった。


 しかし、チータはそれらの声に全く興味を示さなかった。むしろ彼の目線はただ一つ、先ほど自分の魔法で撃墜し、今なお地面に横たわるひったくりに向けられて動かない。やがてチータはゆっくりと歩を進め、本人の前でもう一度賛辞の言葉を述べようとチータに歩み寄っていたシリカを無視し、ひったくりとチータの間に誰もいない状況を作る。


「開門」


 チータは手を眼前にかざす。ひったくりに向けられたチータの掌の前に、今度は赤々しい光を放つ空間の亀裂が開く。雷撃を受けてすでに力尽きているひったくりは、意識ははっきりしているものの、今のチータの行動には気がついていない。


 直後、赤い亀裂の正面の空気が歪む。まるで陽炎のように一点の風景がゆらめいたことを認識したシリカが、その瞬間に思わず叫んだ。


「チータ!? やめ……」


火球魔法(ファイアーボール)


 言い終わらぬうちにチータの開いた亀裂から、ひったくり犯の背中の大きさに等しいほどの直径の火球が放たれる。狙い澄ました対象に向かってまっすぐ発射された火球は、地を這うひったくり犯に直撃して、真昼にもかかわらずまぶしいばかりの火柱を立ち上げた。


「ぎゃあああああああああああああああっ!?」


 炎に包まれたひったくり犯が、聞く者の胸まで届くような悲鳴を上げた。ユースもアルミナも、目の前の急展開に頭がついていかずに呆然とし、先ほどまでチータに対して称賛のざわめきを送っていた衆人も、目の前の光景に思わず静まり返る。


 火柱を中心に完全に街の時間が止まりかけた中、素早く動いたのはシリカだった。炎に包まれ絶叫するひったくり犯のそばに瞬時駆けつけ、剣を抜いてその火柱を通過するようなぎ払う。


 ミスリル製のシリカの剣に纏われた、魔力を切り裂くための魔力がチータの炎を真っ二つにし、横たわる男から離れた炎が空に消えていく。シリカはさらにもう一度、ひったくり犯を包む、小さくなった炎を剣で切り払った。


 非可燃物のはずのミスリルの剣が、魔力で以って炎を纏い、火を携えた剣を握る形になるシリカ。やがて剣に燃え移った炎は、シリカの操作する魔力の流れに従うように雲散霧消する。剣を纏う魔力を遮断すれば、剣を燃料に炎は燃えることが出来ないからだ。


「誰か! 医者をただちに!」


 全身を包む炎から解放されたひったくり犯だったが、泣き叫ぶような悲鳴をあげてのたうち、唖然とする衆人の耳を刺激して、その心に極めて不快な想いを抱かせる。火球に全身を焼かれたひったくり犯の全身はぞっとするような火傷に包まれ、シリカの叫び声にかぶせるように衆人の悲鳴が街に響き渡った。


 錯乱する街の中心で、アルミナがよく知る町医者の元に向かって一直線に走り、ユースは目の前の惨状に慌てふためく衆人に、医術の心得が少しでもある者がいないかを尋ねてまわる。全身焼けただれて呻き苦しむひったくり犯に、すぐに医者が来るからと必死に訴えかけるシリカの後ろで、騒ぎの中心にいた魔導士の少年は無表情でたたずんでいる。


 アルミナに手を引かれて駆け付けた町医者が現場に駆けつけ、ユースが必死に声を駆け回って集めた男たちが、町医者の指示に従って、ひったくり犯を医療所まで搬送する形になった。


 町を包み込む混乱はしばらく収まらず、収集のつかないであろうこの状況にすべてを諦めたシリカも、ユースとアルミナに呼びかけ、3人ともにひったくり犯の搬送に付き添う。全身を炎に焼かれた男は、触れられただけで絶叫して足掻くのだが、このままでは命すら危ない状況に我が儘を受け入れるわけにもいかず、3人も加担してなんとかひったくり犯を医療所まで運んだ。


 置き去りにされた形のチータだったが、その冷たい瞳に、泣いて苦しむひったくり犯に対する憐憫は一切感じられない。時に振り向いてチータの様子をその目に映していたユースには、心底チータに対して疑問を感じたことだろう。


 その魔導士が不満げに舌打ちをした音を聞いて、先程までひったくり犯を捕まえてくれた少年に感謝を述べようとしていた老婆が、小さく悲鳴をあげて、チータから離れるように後ずさった。











「――例の犯人は、全身の火傷で危篤状態だそうだ。今、騎士団の衛生班も医療所に駆けつけて、最善を尽くしている」


 そして今、テーブルを囲んだ4人の座る空間で、ようやくシリカが第一声を放った。騎士団の衛生班というのは、医術に加えて治癒魔法を扱える集団のことで、今は医療所の主である町医者の専門的な医学をもとに、魔法で患者の回復を促進させているとのことだ。


 一歩手当てが遅れていれば、当のひったくり犯が命を落としていた可能性もあったと聞かされている。それだけチータがひったくり犯に下した行為は、ひどく苛烈なものだった。


「あそこまでする必要があったのか?」


 ユースもアルミナも感じていたことを、シリカが代弁する形でチータに突きつける。しかしチータは冷淡な表情のまま、シリカの目を見据えて動かない。


「罪人に対して、随分甘いことを言いますね」


 チータが返したのは、悪事をはたらいた人間に対する仕打ちとして、あれは妥当なものだと暗に主張する言葉。その発言を耳にした途端、心の底から沸き上がって来る不愉快な想いをユースがその口から漏らそうとした瞬間、一歩早くシリカが次の言葉を紡いだ。


「お前は、悪事をはたらいた者は、あれほどの目に遭って然るべきだというのか?」


 この言葉に、初めてチータが表情を曇らせた。ただしその顔色は、詰問されて追い詰められたそれではなく、どこか呆れたかのような、むしろ溜息混じりの表情だ。


「ご老体から財布を盗むような悪党に、なぜそんな肩入れをするのか理解に苦しみます。あの盗まれかけた財布の中に入っていた財産が、ご老体にとっていかに重要なものだったかは計り知れないでしょう」


 一部の極論を含んだチータの反論だが、シリカは沈黙を保ったまま思索する。極端だと言い返してもいい場面ではあったが、シリカから見たチータは、そんなことぐらい自覚して言っているようにも見えた。やむなくシリカは、敢えてそれを受け入れて話を続ける。


「物盗りは許されざる行為だ。規模の大小問わず、正当なはたらきを以って財産を得た者から、労せずしてそれを奪う行為は道理に反している。確かに罰せられるべきではあるな」


 そこまで言って、シリカは一度ユースをちらりと睨みつける。その身を乗り出して、今にも何か口走りそうな少年を制止する眼差しだ。目が合って、ユースが物言いたげながらも目線を落としたのを見受けて、シリカはチータとの話を再開する。


「たかだかひったくりであろうと、被害を受けた者にとってそれがいかに大きいか、小さいかには関係の無い話だ。お前はそう考えていると見えるが、これは正しい見解か」


 まるで稚拙な正義感を振りかざす年下を見るような目をしていたチータが、ほんの少しだけ目の色を正してシリカを見直す。こちらも今のシリカの問いに対し、一瞬考える間を設けたことを顧みると、次の言葉を選ぶのにやや慎重になってきたようだ。


「そうですね。力を持たぬ者から不当に安寧な暮らしを強奪するような人間は、魔物と変わらない。それをわからず、たかだかひったくりなどと考えているなら、魔物よりも性質の悪い思想ですね」


 チータ目線、場合によってはユースに対する皮肉でもあった。ユースが今何を考えているかまではチータにはわからないが、もしもたかが小悪党の強盗だとでも思っているならば――という皮肉だ。


「言いたいことはわかった。そうした"人間"に対して、お前がすべきだと思った行動が、先程のあれだったと言うわけだな」


「はい」


 冷徹な目で問いかけるシリカに、頑とした眼差しを返してチータは答えた。目を合わせた二人の時間が一瞬止まったものの、シリカはチータの主張を聞き入れると、目線を下ろして息をつく。


「騎士館に行ってくる。傭兵という立場とはいえ、エレム王国騎士団の一員として行動しているお前の行動は、今回騎士団に報告せねばならない。理解してくれるか」


「構いません」


 即答を受け、シリカは腰を上げて部屋を退出する。部屋を出る際にユースとアルミナの方を振り返り、何か一言言いたげに口を動かしかけたシリカ。だが、何も言うべきでないと判断したのか、結果何も言わぬままに、シリカは家を出ていく形となった。






 凍りついた室内の空気は、シリカがいようといるまいと何ら変化を持たなかった。アルミナはやはり何を言えばいいのかわからずに戸惑う中、ユースだけがシリカよりも遙かに厳しい眼差しでチータを睨みつけ、それに気付いていながらも素知らぬ態度を貫くチータ。


 やがて、長らく保っていた沈黙を破ってユースが口を開く。


「……やり過ぎだろ。一歩間違えば、人殺しだった」


「老人を傷つけ、その財産を奪って逃げるような者に、同情の余地なんかない」


 一つの見解、"だから裁かれるべきだ"。もう一つの見解、"それでもやり過ぎだ"。


 ユースとチータの眼光が正面からぶつかる。どちらも確たる意志を持って、自身の揺らがぬ想いを言葉に表していた。

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