第137話 ~夢の魔法とその現実~
魔法都市ダニームの南東に位置するリリューの砦跡は、数年前に黒騎士ウルアグワ率いる、魔物の軍勢に攻め滅ぼされた城砦都市である。魔法都市ダニームと親密な関係にあったその都市は、ダニームの英知を矛と盾に構え、堅固な守りで有名であった都市だ。
今はもう廃墟となりしリリューの砦跡は、復興の目処も立たず、人が立ち寄らぬゴーストタウンと化したまま放置されている。黒騎士ウルアグワの持つ妖剣"タナトス"に命を奪われた者は、霊魂をも共に傷つけられ、その魂は現世を飛び立ち輪廻の輪に加わる力を失うと言われている。そうした犠牲者の魂が未だに地縛されているこの地は、悪辣な黒騎士の刃に殺された無念の魂渦巻く伏魔殿。死霊の類の魔物の出没もしばしば確認されるらしく、今となっては誰も積極的に立ち寄ることのない地だ。地縛された霊魂の浄化に努める魔法使いが時々巡業に訪れるが、それが完遂されてこの地が復興に手をつけられるまでは、まだまだ時間がかかりそうである。
昼前に魔法都市ダニームに辿り着いたユースとチータは、そこから御者を借りて馬車に乗り、ここリリューの砦跡に辿り着いた。王都から直接馬に乗って来ればいいのではないか、という話でもあるが、そう出来なかった理由は2つある。
一つは、何が起こるかわからない危険地帯であるこの地に馬で来た場合、どこに馬をつなぎ止めておくかという話。仕事で来たはいいが、いざ帰ろうという時に、馬が何らかの異変に巻き込まれ、歩けぬ状態になってしまったりしたら、帰りの足が無くなってしまう。だから、来る時は馬車を引く御者に送ってもらい、帰りには夕暮れ過ぎに迎えに来てくれる約束をした同じ御者に、足を勤めて貰うという形が、安定した運びである。待ち合わせた人物も高名な大魔法使いであるし、馬という逃げ足を失う形になっても、まあ大丈夫だろう。
「それでは、私はここで。……くれぐれもお気をつけて」
「はい、ありがとうございました」
二十歳になったばかりの若さだと見るからにわかる二人が、それだけの頭数でこの砦跡に踏み込んでいくことに、二人を置き去りにする御者も本当に心配そうな顔だ。そうした眼差しを送ってくれるというだけでも、御者の人の良さはユースには伝わったし、深々と頭を下げて馬車を見送ったユースの姿勢は、礼儀を重んじるだけでなく素直な想いから溢れた行動だ。
「じゃあ、行こうか。正直、なんで俺達が呼ばれたのか全然わかんないけど……」
「そうだな」
もう一つは、呼んだ二人だけで来るように、という要求があったからだ。御者を砦跡にまで導けないことは、ユースの不安を駆り立てるものだったが、それを求められている以上は仕方ない。どうしても馬を砦跡内に導きたいなら、ユースとチータの二人で1頭の馬を使うという手段もあったが、諸々の面からそれもいまひとつなので、結局こういう形を取らざるを得なかった。
自分達が呼ばれただけでなく、二人だけで来るように命じた大魔法使いの意図とは一体。怪訝な想いを封じきれないまま、騎士団の二人は崩れかけた砦の門をくぐっていった。
何年経っても放置されているだけあり、朽ちた建物が風化しかけたように光景ばかりが散見する。そんな建物の足元、今や渇いた土だけが横たわる花壇などを見ても、滅んだ都のもの哀しい風をこの目で追っているような気分だ。二日前にラエルカンが崩落した、というの知らせを聞いたばかりの二人にとって、この光景は目にも胸にも悪すぎる。
巷で騒がれるような、死霊や魔物との遭遇がないことは幸いだったかもしれない。真昼を前にした明るい時間帯、晴れた天気のおかげで見晴らしがよかったことも、視界を悪くせずに済んだ幸運だ。砦跡という名の都市の廃墟を歩き、待ち合わせ場所に命じられたその場所に真っ直ぐ歩く二人の影しか、ユースとチータの周りで活きて動くものがない。
「右だっけ?」
「何回僕に道を聞くんだよ。全部合ってたし間違ってたら言うから、自信持って歩け」
友人に軽く叱られ、萎縮したユースの後ろを、はぁと聞かせがましく溜め息ついて歩くチータ。そんな感情表現を態度で伝えるようになった程度には、昔よりも随分距離が近付いた証拠でもある。
やがて辿り着いたのは、かつて城砦都市リリューの教会であった大きな建物。過去の美しさはとうに色褪せ、瓦礫の塊と成り果てた建物だが、遠くからでもその頭が見える背高い構造のおかげで、今でもこの地で待ち合わせをするぶんには人類の役に立っている。そんなことは極めて稀有であるとはいえ、今だ人類の助けになるこの教会の存在感は、計らずして人類の残した遺産の価値を語っている。
その教会跡の前で、騎士団の二人を待つ人物。静かな廃墟、二人の人間が近付いていることを、当の人物が察知できていないはずがないのに、振り返る素振りも見せないのは、ある意味最も彼女らしい態度である。その人影を見た途端、慌てたように駆け寄っていくユースの姿もまた、彼らし過ぎてチータも嘆息が漏れたものだ。
「おはようございます、エルアーティ=ネマ=サイガーム様。お待たせして申し訳ありません」
「ごきげんよう。予想よりも早い到着だったし、気にしてないわ」
目上の人物との待ち合わせで、自分が後に到着した時、ユースは本当に頭を下げる角度が大きい。そういう性格なのはわかっているが、何もあんなに焦って駆け寄ることはなかろう、とチータも思う。
「おはようございます、預言者エルアーティ様」
「はい、ごきげんよう」
チータの挨拶は実に形式的。エルアーティが、礼節なんてまったく気にしない人物であることは、マグニスとエルアーティの会話でわかっているし、短く纏めた方が彼女にとっても望ましいと思っての軽薄さだ。チータもそういう観点は個人的に持っているし、想像がつく。
普段着の紫色のローブと、藍色のナイトキャップに身を包んだ、まるで少女のような姿の賢者様。図書館で引きこもって毎日読書に営んでいる彼女の姿からなんら代わり映えしないものであるが、今日はその手に、日頃の彼女の手に握られていないものが持たれている。
「しばらく待ってなさい。もう少しで準備が整うから」
エルアーティは、手に持った箒の柄の端で、地面をひっかきながら歩いていた。よく見ると、箒の柄の端は焼きごてのように赤く光っており、地面をこするたびに地面に焦げ跡を残していく。そうして廃墟の石畳に、焦げ跡の線を引いて何かを描いていることがわかる。
全体像を見れば、これがいわゆる魔法陣というやつなのか、とユースにもわかることだ。地面に描いた大きな丸の中、五芒星"のような"星型の記号を5本の線で描くエルアーティ。ただ、綺麗な円でもなく、頭と手足の大きさが一様な綺麗な星型でもない。楕円の中に、飛び出す角の大きさばらばらの、美しい五芒星とはかけ離れた魔法陣だ。楕円の弧の流麗さと、星型を構成する線の真っ直ぐさは確かであるため、絵心なしではなく恐らく計算してのことだろう。
チータは魔法陣なんてものを描くエルアーティの姿を見るのは初めてだが、少し驚きの想いを抱かずにはいられなかった。魔法陣というのは確かに魔法を唱えるにあたって大きな助けとなるものだが、エルアーティほどの大魔法使いが、魔法陣を描いてまで魔法を行使しようとすることなど、本来ではなかなか考えにくいことなのだ。
魔力とは、精神と霊魂の掛け合いによって生じるもの。エルアーティは長年培った魔力を練り出す手段を心得ており、目的に対する精神の確たる持ちよう、霊魂の疲弊によっても精神と肉体の相互関係を立たぬ強靭な精神力を養った末、高い魔力を抽出できる現在にある。未熟な魔法使いは、詠唱によって精神を魔法の行使に向ける努めなどをするものだが、エルアーティほどの大魔法使いになると、小さな魔法であれば詠唱なんて挟まない。それは大魔導士アルケミスあたりにも言えることであるが、それなりに強力な魔法を行使する時でもない限り、高名な魔法使いは詠唱などの予備動作を挟まない。
魔法陣を描くという行為もそれに合致する。魔力の巡らせ方、その軌道を目に見える形に描くことで、行使したい魔法の実現に向けての、魔力の設計図を作るようなものだ。そんなものをわざわざ作らなくたって、そらで上手に魔力を操り、万事あらゆることを為せるから、エルアーティは長らく大魔法使いと呼ばれて見上げられている。それほどの魔法使いが、魔法陣を描いて魔法を実現させようとする姿には、どんな魔法を行使しようというのか、ユース以上に同業者のチータには興味が沸いて仕方ない。
自分の描いた魔法陣の外に出て、近くに置いてあった犬の頭蓋骨らしきものに手をかけるエルアーティ。魔法陣の中心にそれを置くと、改めて自らも魔法陣の外に退く。
「さて、見てなさい。きっと失敗するでしょうけど、面白いものが見せられると思うわ」
ユースとチータに背を向け、魔法陣の方向を向いたままそう言うと、降ろした両手の掌だけを上に向け、魔力を練り始めるエルアーティ。同時に彼女の全身から溢れ出る濃厚な魔力は、エルアーティを淡い光に包んだようにも見せるほどで、魔導士でないユースにも肌でそれを感じられる。
やがて3人の目の前の魔法陣、五芒星の星の頂点5つに、エルアーティの魔力が魔法を発現させる。ひとつの頂点には蝋燭の火のような小さな灯火、ひとつの頂点には膝元までほどの高さの水柱、ひとつの頂点には小さな花が咲き、ひとつの頂点では小石が金粉のような輝きを放ち、ひとつの頂点には子供が砂場で作るような小さな土の山が出来上がる。エルアーティの得意とする、火、水、木、金、土属性の魔力を複合した魔法の行使を示唆した発動である。
エルアーティは魔法陣の方に右手を向け、5本の指をわきわきと動かして、5つの象徴を操る。火を大きくしたり、水柱を低くしたり、花をもう一輪咲かせたり、光沢放つ石を増やしたり、土の山の形を整えたり。時々首をかしげたりする仕草が、理想形を作ろうとしていることを表しているが、彼女の中で試行錯誤されている高度な魔力の扱いは、ユースには勿論、魔導士たるチータにさえも読み取りきれない。
頂点それぞれを結ぶ5本の線の間を、目には見えないエルアーティの魔力が駆け巡っている。それらの動き、自然な速さ、時々起こる各速度のラグと滞り。まるで川の流れを見定めるように、自身の魔力が魔法陣上を巡る様を感知しながら、エルアーティは魔力の扱いを緻密に計算する。やがてどこかで一応の満足を得たか、魔法陣に向けた手を降ろし、エルアーティは目を閉じる。5属性の魔法を同時に扱い、それらに注いだ魔力の比率を脳裏に刻み付けたエルアーティが、一息ついたのちその口を走らせる。
「常世隔たりし黄泉の門、迫りし現世にて光受け入れ、闇の奥より捕えし御霊ぞ放たん――」
大魔法使いのわざわざの前詠唱など、滅多に聞けぬものだ。述べた言葉の羅列によって、これから為そうとする魔法に向け、エルアーティの精神が彼女の霊魂に近付き、さらなる魔力を生み出す。膨大な魔力はいよいよ魔法陣にもはたらききかけ、焦げ跡の線で描かれた魔法陣までもが淡い光を放ちだす。
「蘇生魔法」
魔法陣の線上を、エルアーティの魔力が一気に駆け巡る。火、水、木、金、土の5属性の魔力は、魔法陣全体を色濃く満たし、大魔法使いの操るままに各色の魔力は、星の中心に置かれた犬の頭蓋骨に向かって集まっていく。エルアーティの唱えた言葉の意味を吟味し、これから何が起こるのかを予感したユースとチータは、目の前の光景から目が離せない。
犬の頭蓋骨に集う土。それを包むように焼く炎。燃え盛る火の中で土から芽生える花と枝。土に水が沁み込むように色を変えていく様。血に混ざる鉄が騒ぐように、燃える土の山が震える光景。魔法陣の中心にて、5属性の魔法が一斉に混在し、同時に存在しがたいはずの植物と火、火と水などが共存するというその様だけでも、かの魔法がいかに超常的かは見て取れる。
やがて、エルアーティの魔力がその土の塊を中心にはじける。土は崩れ落ち、火は消え、花と枝は散り、水の沁みた土は乾き、光沢を帯びていたような土の色も落ち着いた。
「木術の配合比率が不足、か。水術と金術は過多だったかしらね」
好奇心がくすぐられていた数秒前も、一瞬で冷めきる目の前の光景。犬の頭蓋骨があったその場所に新たに現れたのは、かすれた呼吸はしていたものの、生物のそれとは到底思えぬもの。むき出しになった脳が頭から溢れ、新鮮な肉がただれたような全身からは肋骨が露出、4本あるはずの脚も右の前足はなく、左の後ろ足に関しては尻から生えるような妙な方向に飛び出している。他の二本の脚も、一本は骨が丸出しで、一本は腐ったような色の皮膚で溶けたようにさえ見える形。少なくとも、体を支えるために生えている脚は一本もない。
顎を大開きにしたまま痙攣する頭は、後頭部を地面に置いて天を仰ぐ向きだ。そして、首の皮膚が頭を支えきれなかったのか、重さで千切れた首の腐った皮膚に伴い、犬の頭らしいそれがごろりと転がり、逆さまの頭で真正面からユースと目を合わせてきた。その瞬間に片目がどろっと地面に落ちた光景は、ユースの全身からぶわりと冷や汗を吹き出させるものだ。心臓の弱い者なら、悲鳴さえあげそうな光景である。
「ご協力、感謝するわ」
エルアーティが掌を向けたその先で、活きていない犬の全身が炎に包まれる。エルアーティの蘇生魔法実験のために、不完全なままこの世に呼び戻された命を、エルアーティがその手で黄泉に返す所作だ。炎に包まれ塵となったそれは、灰となって風に吹かれ、形を失い消えていく。それが目の前から無くなった今になっても、ユースの瞳の裏には先ほどの残酷な光景が焼きついて離れない。
すっかり言葉を失ったユースを振り返るエルアーティが、口の端を上げて上目遣いで見上げてくる。魔法陣の中心で起こったことは、賢者エルアーティに対する印象を、魔女エルアーティのそれへと濃く塗り替え、妖しげな彼女の笑みにユースは心臓を握られた気さえしたものだ。
「ふふ、怖がらないの」
ユースに歩み寄り、硬直したユースの顎を指先でついっと撫ぜるエルアーティ。固まっていたユースはそれによって金縛りを解かれ、思わず一歩下がってエルアーティから逃れる。
「本当、あなたの反応は可愛らしいわ。出来ればずっと、首輪をつけて飼ってあげたいぐらい」
自分の胸が、ユースの腹につきそうなほどまで距離を詰め、真下からユースを見上げてくるエルアーティ。二十歳の騎士と、10歳にも満たない顔立ちの少女という両者の図式だが、見た目とはまるっきりイニシアチブが逆で、目線だけで押されてユースは首を引いてしまっている。しかもこれ以上自分から逃げ出さないようにと、エルアーティの片足がユースの足を踏みつけ、釘となっている。
首輪という言葉に倣うかの如く、エルアーティの掌がユースの首の横をひたりと撫でる。暑い夏空の下、ひんやりとしたエルアーティの掌に鳥肌を立てたユースは、ほとんど反射的に後ろに飛び退いて逃げてしまった。引きつった顔で、今撫でられた首を片手で押さえるユースに、エルアーティはさぞかし満足げな笑みを向けるのみ。
「ねえ、この子うちに預けてみない? 身も心も私に逆らえなくなるよう、一度色んなことを教えてあげてみたいわ」
「うちの隊長と要相談ですね」
冗談混じりのふざけた問いかけに、冗談を受け取った返答を返すチータだが、声は決して彼らしく軽いものではない。それだけ、目の前で起こった光景は、平静心を欠くには充分すぎるものだった。ポーカーフェイスは崩していないものの、緊張感を僅かに含んだチータの声は、ユースにもチータが動揺を胸にしていることがわかる要素だ。
「まあ、お遊びはさておき、あなたにならこの実験の意図、わかったのではなくて?」
「……蘇生術、ですか」
エルアーティに対するチータの回答。かつて討伐されたはずの魔将軍エルドルが、突然の復活を遂げた今、エルアーティが目の前で見せた魔法は、その事実と強くシンクロする。
犬の頭蓋骨から、屍に近い形とはいえ、命を蘇らせたエルアーティ。とても生命活動が為せるような様ではなかったにせよ、あれがもしも、蘇生させたい命の肉体をしっかり作れていたならば――と考えると、エルアーティは蘇生魔法を成功させていたことになる。あるいは見方によれば、あんな形であったとはいえ、死骸の一部から生命を蘇らせた時点で、魔法そのものは成功させている。
死んだ命を蘇らせる奇跡を、過去にどれほどの人々が夢に描いたことだろう。永遠に叶わぬ人類の夢であったはずの蘇生魔法が、目の前に半ば実現した光景には、チータもユースも驚きを隠せない。
同時にその胸に宿るのは、奇跡を目の当たりにした感動などではない。完全には成功しなかった蘇生魔法の為した、あまりにもえげつない光景は、夢と現実の大きな剥離の象徴に近いものであり、世紀の発明と喜ぶには惨すぎる残影だ。
「黒騎士ウルアグワか、百獣皇アーヴェルか。魔王マーディスの遺産達が描く悪意は、彼らの精神と霊魂に基づき、人類にとって最悪の現実を叶えた。蘇生魔法は確実に実存するという、ひとつの大きな現実とともにね」
エルアーティは二人に背を向け歩き出す。今しがた蘇らせ、直後自らの炎で灰にした野良犬の屍の有り様に近付いて、膝を降ろしてしゃがみ込む。
「それは前進。叶わぬと人類が結論づけていた魔法は、叶えられるものであるという証明である。魔将軍エルドルという、人類にとっての強大な敵の再来と天秤にかけても、この前進はたとえようもなく大きいこと」
小さなその手で、地面に残る犬の亡骸の灰を手にすくうエルアーティ。やがてその魔力が起こす風が、灰と化した亡骸を天まで舞い上げる。粉塵のように散って消えていくその亡骸は、やがては地に落ち自然の一部として大地に溶けていくのだろう。エルアーティなりの、亡骸の葬り方なのだろうか。
振り返るエルアーティは、遊んでいた妖しい笑みを消し、冷徹な瞳で二人を見据えてくる。ユースをからかったり、チータにそこそこの対話を踏み込ませてくれた魔法使いの目ではなく、感情を一切うかがわせない、初めて出会ったあの頃のような眼差し。これが本来の、魔法使いとしての彼女の姿なのだと、数度の対面で忘れかけていた二人も、事実を事実として思い出す。
「蘇生魔法の完成に向けての実験を繰り返す。立ち会って貰えるかしら?」
今のような光景を、また何度も見せつけると主張するエルアーティの態度は、普通の感性を持つ者なら拒絶して目を覆いたくなるようなものだ。ユースだって、任務で招かれた立場だという状況下でなかったら、そんな悪趣味なことに誘ってくれるなと首を振っている。
言葉を失い息を呑みかけたユースだが、ひとつのまばたきをきっかけに、精神を整える。先立つ嫌悪感を一度頭から払拭し、状況を冷静に見据えるのだ。自分とチータの二人だけでここに来るように、と要求したエルアーティが、蘇生魔法の実験に立ち会えと言っている。そこには間違いなく、聡明なる賢者の何らかの意図があり、感情論だけで切って捨てていけないことだと冷静に考えればわかることだ。
「……立ち合わせるために、俺達を呼んだんですよね」
目上の人物に、質問へ質問を返すようなことをして、しまったと感じるほどには、ユースも完全には冷静さを取り戻せていない。だが、確かめたことも彼にとっては重要なことだ。単に新しい魔法を人前にお披露目したいだけなら、エルアーティはわざわざ自分達をこんな所に呼ばない。賢者ルーネというベストパートナーがいるはずのエルアーティが、親友ではなくユースとチータを呼びつけてこの実験に立ち会わせようとしたことに、なんの意味も無いなんて不合理だ。
「ええ、そうよ。あなた達二人に見て欲しいから、あなた達を呼んでいる」
当たり前のことを聞くな、と言わんばかりの口調で冷たい声を放つエルアーティ。その背中から漂う威圧感にも近い風格は、おふざけの際のエルアーティなどとは比べ物にならぬほど、有無を言わせず人を押さえつける重圧を醸し出している。目を伏せて彼女を直視できないユースの態度も、今ならチータにも共感できる想いだ。
「なぜ自分達が選ばれたのか、気になるのでしょう。それは帰るまでに好きなだけ考えておきなさい。私の要求に応えず早引きするならば、その答えも永久にあなた達には思い至れないでしょうね」
真意や模範解答を容易に口にしてくれないのは、謎かけをする知識人にはよくあること。それは自らで答えを紡ぐことの重要さを知っているからであり、途中式には解答にも劣らない価値があることを確信しているからだ。謎かけされる側からすれば鼻につくこともある態度だが、敢えて答えをすぐには教えてくれないことに、ユースもチータも決して不快感を感じたりはしない。
ユースの師であるシリカも、チータの師であったティルマも、そう簡単にすべてを教えてくれるような人物ではなかった。自分で考え、道を拓いていくことを推奨し、それを受けた二人も試行錯誤を繰り返し今の自分がある。今日までの自分の道のりが正しいものであったかはわからず仕舞いの不安はあっても、これが今の自分であるとの自負は少なからずあるし、だからこそ過去を否定せず胸を張って生きている。だから、すぐに与えられない答えに対して自分で近付こうとすることの有意義さは、わかるつもりだ。
「……すみませんでした。蘇生魔法の実験、立ち合わせて下さい」
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げるユースと、会釈程度にお辞儀するチータ。態度に差はあれど、腹を決めた胸中と目的は同じくしたものである。
「それでは、多少手伝って貰うわよ。周囲を散策し、亡骸の欠片だと思えるものをここへ集めてきて頂戴。白骨化した死体でも、野垂れ死んだ動物でも結構だから」
魔物達が魔将軍エルドルという対象に成功させた、蘇生の技術。その真髄を追おうとするエルアーティの要求は、二十歳を迎えたばかりの者達に対し、あまりに容赦のないものだ。覚悟を決めた二人が、別方向に歩いていく姿を見届けると、エルアーティは一人で魔法陣に向き直り、先ほどの実験で巡らせた魔力の配合比率を検算し始める。
事と次第によっては、腐った死体をその手に担いで運ばねばならないかもしれない仕事。どれだけ意を決したといっても、そうした可能性を脳裏に描くユースは、唇を噛み締めて寂しい廃墟を歩かずにいられなかった。




