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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第9章  ひしめく悪意の行進曲~マーチ~
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第136話  ~ラエルカン2度目の崩壊の日~



 話は一日前のことに遡る。エレム王国騎士団、アルム廃坑攻略師団が、コズニック山脈に乗り込んでいた頃のことだ。


 その日はよく晴れていて、昼過ぎのラエルカンの都は活気に満ち溢れていた。夏空の下で暑い中、熱に負けずに今こそ売り時だと声を張る商売人の声や、日差しのいい下で洗濯物を担ぎ出す人々がよく目立ち、真っ白な衣服の数々が町を照り返していたものである。


 事態は急に訪れた。夕頃前にラエルカンに響いた、魔物襲来の警鐘。時に魔物の軍勢が都に攻め入ることも無くはなかったため、活気付いていた都も、一度騒然としつつも迅速に対応していた。人々の避難、戦士達の陣取り、徹底抗戦の構え。旧ラエルカンに比べて当然、地力のみでは戦力不足であるラエルカンには、常にエレム王国騎士団や帝国ルオスの兵が駐在しており、かつてに比肩するほどの防衛力は充分にあったはずだ。だからこの日も、苦闘あろうとも魔物達を撃退することによっての終戦を民は予感し、戦士達も慢心に溺れないよう気を引き締めていた。万全だった。


 はじめ、ラエルカンに直進してきた魔物達は、ケンタウルスやガーゴイルを筆頭とした魔物の集団で、ネビロスのような上位魔物が指揮官としてそれらを率いていた。それらの間を縫って飛来する、小悪魔のインプやグレムリンのような魔物の存在からも、それが黒騎士ウルアグワの率いる集団だと防衛陣が把握するのに時間はかからなかった。


 都よりも南、都市外にて始まった野戦、上位魔物が含まれているとはいえ形勢は悪くなかった。だが、その戦場の隙間を駆け抜け、次々と戦士達の数を削いでいく影があった。大局的な優勢を覆し、勢いの良いはずの人類の兵力削減を実現させたのは、風のように走る暗殺者カティロスだ。


 前衛は混乱しつつ、魔物の数は減らすことに成功したものの、やがて押し込まれていく。さらに追撃のように後方より迫る、ヘルハウンドやサイコウルフ、ワータイガーやブレイザーの増援が、都市外の人間陣営を一気に呑み込んでいった。その中に数匹混ざり込んだ、ワータイガーの上位種ワーウルフの存在が、前衛を任された若き戦士達にはあまりにも荷が重く、その中に含まれていた法騎士や、それ相当の帝国士官の指揮官達をも殲滅し、やがて魔物達は都へなだれ込んでいく。


 都の入り口を守る関所にて繰り広げられた激戦は、まさしく人類の知恵が魔物を押し返すには充分なものだった。城壁の上からの的確な狙撃、敵の突入ルートを広く把握し的確に潰す守り、それを正しく指揮するラエルカンの勇士達。法騎士として慣らした指揮力を持つカティロスによる、魔物達の采配や動きの指示がなければ、この後の惨劇までにもっと魔物達の数を減らせていたはずだ。


 否応なしに難敵カティロスに注目が集まる中、やがて遠方から追い迫る魔物の援軍も、防衛陣は見逃さなかった。だが、ミノタウロスやトロルのような、巨人の集う軍団が現れたことに、カティロスの指揮下でそれらが良く動くことを危惧したのがノイズなのだ。地上の進軍に目を奪われた防衛陣に、城門前まで接近したヒルギガースの背中から、突如花火のように高く飛び出した影がある。


焦熱の風(ワイルドファイアー)


 日頃大魔法を使わぬ、魔王軍残党の大魔導士。百獣皇アーヴェルが空高く舞った末に放ったその魔法は、突然かの背中の後ろに太陽のような大火球を生じさせる。それがまるで塵のように崩れ、勢いよく炎の風に代わり、ラエルカンの関所を広範囲、一気に焼き尽くした。


 咄嗟に魔法障壁を張った者も、その凄まじい威力には抗いきれず火の風の直撃を受けた者が多数。限られた優秀な魔導士が炎の風を防いだ例外を除き、数々の人間が一気に焼き払われた関所の悪夢。奇襲成功に百獣皇が高笑いを響かせる中、カティロスの率いる魔物の集団は一気に関所を突破し、都へと突入する魔物達が人里へ一気に流れ込む。


 町の中は大混戦。法騎士や聖騎士含む、優秀な兵の数々も奮闘した。だが、凍てついた風カティロスの先陣を切る勢いと、それを横から支える魔物達の軍勢、さらには次々に人間達の首を容易く跳ねていく真空の刃を飛ばすアーヴェルが、抗戦勢力を削いでいく。百獣皇と凍てついた風が同時に現れるということは、人々にとってかくも甚大な傷を負わせるものであると、防衛陣も痛いほど気付かされる。


 空を自由自在に舞うアーヴェルを、狙撃手や魔導士が動きを縛る努めも失敗はしていない。カティロスの攻め口に正しく対応し、好き勝手にさせない布陣を整えた、ラエルカン側の柔軟性も、厳しいながら魔物達に正しく抗戦できていた。そして、このままことが進むなら、被害は大きくとも敵を撤退させることは出来るだろう、という所まで傾けさせたところで、まさしく最悪の駒が投入された。


紅蓮地獄(インフェルノ)


 はじめ、その魔法が広範囲を焼き、人々と建物を焼き払った時、歴戦の兵達は特に、何かの間違いだと思わずにはいられなかった。その破壊力は圧倒的で、都の広場を一瞬で火の海に変え、その真ん中にある噴水の水さえも呑み込む威力には、百獣皇アーヴェル以外にここまでのことが出来る例がない。いるとするならば、かつて討伐された存在にそんな者がいたが、そんなはずもないと思えてならない。こんな魔法を使える新たな駒を生んだのか、という戦慄が、正しい理解のはずだったのだ。


 ルオスの魔法戦士の一人を、空から舞い降りたその巨大な魔物が足で踏み潰し、砕かれた人間をわし掴みにして、手から発する炎で勢いよく包み込む。全身を火だるまにされた魔法戦士の悲鳴の前、かつて討伐された魔将軍エルドルの姿を目にした戦士達の恐怖は、これは夢かと思わずにいられぬほど。


「許さんぞ……人間どもめ……!!」


 激情のままに、剣も魔法も恐れず兵の集団に突き進むエルドルの動きは、心を呑まれた兵達の為した人の壁を、易々とその手足で打ち砕いていく。もとより並の戦士では対応できぬ速度とパワー、魔力を持つエルドルの暴れぶりは凄まじく、自身の攻撃範囲円内に入った人間を、その爪で、太い脚で、次々と粉砕していくのだ。獄獣にも言えることだが、規格外のそのパワーは人間に触れた瞬間に即座に命を奪い去るものであり、魔将軍エルドルとの直接抗戦の末は、無傷のまま生き残るか、死か、ほぼそれしかない。


 当惑する戦士達、魔導士達が、エルドルに抗戦しようにも、後方から攻め入る無数の魔物達は、魔将軍に意識を傾けた者を容赦なく葬っていく。エルドルには遠く及ばぬ実力の魔物達とて、単身で充分歴戦の戦士も不覚を取ればやられるだけの実力がある。ミノタウロスやヒルギガース、ワーウルフなどはその最たる例だ。人類は、力を合わせてこのような魔物の駒を削っていかねばならぬのに、そんな暇も与えないエルドルという爆弾は、あっという間に人類の布陣を礫壊させ、ラエルカンの都を放つ炎で焼き尽くしていく。


 カティロスが、アーヴェルが、エルドルが、それら率いる魔物達が、夕暮れを迎えたラエルカンの都を踏み潰す。真昼時の活況を呈した街の声は悲鳴一色に染まり、夕暮れの光よりも赤く赤く町を染める。燃え立つ光景は、まさにこの世の地獄を絵に描いたようなものだった。


 人類に残された希望があるならば。


地上の海(タイダルウエーブ)


 突如都の真ん中に噴き出す、5階建ての建物よりも高く昇り立つ水。それは水の柱と言えるものではなく、水の壁のように広い範囲を為し、分厚いその壁が勢いよく前に倒れたその瞬間、多量の水は津波のように都を呑み込んだ。魔物や火を、一気に押し潰すようにだ。


 凄まじい圧の水を受けた多数の魔物が水に流され、同時にその重みに全身の骨を砕かれる。瞬時にそれを察し、翼をはためかせ高く空中に逃れたエルドル。その大魔法の魔力の揺らぎを目で追えば、術者の体から溢れ出る濃厚な魔力に気付くまで、時間はかからない。


「貴様……!」


壊滅の星(ミーティアラ)


 上空のエルドルに対し、挨拶の一つもなく冷徹な詠唱を唱えた大魔導士。空から表れしひとつの巨大な隕石は、大人の倍近くある背丈のエルドルの巨体にも勝る大きさを武器に、エルドルの斜め上から一気に襲い掛かる。


溶炉腕ラヴルブラ……!」


 突き出した腕でエルドルが隕石を受けた瞬間、エルドルの掌から伝わる凄まじい熱が、高熱の隕石を一瞬で液に変えた。その瞬間に掌を振るうエルドルの動きにより、飛散する溶岩と化した隕石は、都の地面に落ちていく。地面を流れる水に触れた瞬間、激熱が一気に水を蒸発させ、凄まじい蒸発音とともに水蒸気を吹き上げさせる。


 5つの宝珠を自らの体の回りをぐるぐると飛行させながら、自身も空中の一点にたたずませる大魔導士。魔王マーディスを討伐した勇者の一人、その破壊的魔法には右に出る者なしとまで言われた最強の魔導士アルケミスを見据え、エルドルは歯ぎしり一つした後、その爪を振りかざして一気にアルケミスへと飛来する。


 白兵戦の心得も充分にあるアルケミスとて、相手がエルドルでの接近戦は分が悪い。振り下ろされた爪を急上昇でかわした直後、詠唱もなく、炎術の帝王エルドルに対し、岩をも破壊する水の砲撃を放つ。攻撃をかわされた直後でもすぐにその先を向き、口から猛火を放つエルドルの炎は、アルケミスの水の砲撃と相殺し、両者の間で水と炎の魔力の大爆発を起こさせる。だが、その僅か前、すでにエルドルの左右には人間大の岩石が、それもエルドルに向けてその鋭く尖った太い大トゲを持つ塊が現れている。


 水と炎の魔力が爆発を起こしたのとほぼ同時、エルドルに向けて勢いよく飛来する岩石ふたつ。超質量と鋭い牙を兼ね備える岩石はエルドルを挟むように迫るが、右の岩は踵で、左の岩は掌底で同時に粉砕、はじき飛ばしたエルドルは、空中に逃れしアルケミスへと飛び迫る。


 距離を詰めた瞬間に豪腕と巨脚を振るって襲い掛かるエルドルと、機敏かつ柔軟な空中の動きで、紙一重の回避を重ねるアルケミス。目線をエルドルに返しもせず、無言にして水の槍を、稲妻を、風の刃を放つアルケミスと、それら反撃をことごとく、燃え盛る炎抱きし掌ではじき返すエルドル。人類最強の魔導士と暴虐の魔将軍の空中戦は、目で追う地上の戦士達にとって、この街の未来を定める希望の綱が揺れる光景そのものだ。


「固唾を飲む暇があんのかニャー?」


 アーヴェルの放つ真空の刃が、魔導士の耐魔障壁を突き破り、その首を一様に刎ねていく。極めてシンプル、しかし高い魔力が生み出すその単調な攻撃は、敵を確実に葬る手段として確立されている。百獣皇アーヴェルの恐れられる所以は、まさにここにある。


 守備魔法を扱う魔導士の一人が息絶え、敵の防御が薄くなったことを見定めたアーヴェルは、手に握る錫杖を口にくわえ、両手を広げる。魔力集わせしその手の先には風が固まり、アーヴェルの体躯の数倍の大きさを持つ、三日月形の巨大な真空刃を両手に携える形となる。


凶兆月(バッドムーン)


 翼はためかすと共に風に乗ったアーヴェルの体躯が、地表近くを凄まじい速度で滑空する。広げた両手が携える三日月形の風は、まるで巨大な青竜刀のように通過した場所にあるものを切断していく。巨大な石造りの建物をもだ。そんな巨大な真空の刃に触れた人間は、鎧を纏った胴元ごと真っ二つにされ、次々と二つ分かれの人間の体となって地面に転がされてしまう。


 アーヴェルが刃を消し、空高く舞い上がるとともに、切断された建築物上部が切り口に沿ってずり落ち、盛大な破壊音を地面と共に打ち鳴らす。空中で身を翻し、地上の惨状を目に入れ、口元に手を置いてしししっと笑う姿が放つのは、アルケミスがエルドルをどうにかしてくれるなら何とかなるかもしれない、という人類の希望を打ち砕く、百獣皇の小さく大きな貫禄だ。


雲散霧消(ディシュペイション)


 自ら後方上空から迫る隕石に振り返り、掌を向けて小さく詠唱したアーヴェルの魔力が、壊滅の星(ミーティアラ)で百獣皇を撃ち抜こうとしたアルケミスの魔力と衝突する。あらゆる魔法をかき消し無力化するアーヴェルの秘術は、大魔導士アルケミスの大魔法をして発揮され、巨大な隕石が百獣皇の掌に触れた瞬間、魔力によって構成された全体を維持できずに爆散する。


 隕石の欠片、岩石相当の礫岩が地上に降り注ぎ破壊を促す中、アーヴェルに意識を傾けたアルケミスへの追撃。エルドルの巨大な爪先を、後方への飛翔で回避したアルケミスに対し、エルドルは既に連続攻撃の魔力を練り上げている。


煉獄の風(ファイアストーム)!!」


水砂障壁(ハイドロサビア)


 アルケミスの周囲を舞う宝珠の2つ、青と茶色の宝珠がアルケミスの前に飛び出し、2つで1つの円弧を描くように回転する。その弧の真ん中に飛び交う砂、さらに生じる厚い水の壁が、アルケミスの前方に円形の生じた瞬間、エルドル後方に空間の亀裂から噴き出す炎の風を遮った。自ら後方を勢いよくエルドルの炎が焼き払う中、アルケミスの放ったもう一つの宝珠、赤い宝珠がエルドルの煉獄の風(ファイアストーム)を突き破り、魔将軍本体へと飛来する。


 自らの放つ炎に視界を遮られたエルドルに、保護色の宝珠の存在は視認できない。エルドルの額に直撃した宝珠は、打撃とともに真っ赤な炎を立ち上げ、エルドルの顔を炎で包み込む。頭をのけ反らせるほどには怯んだエルドルが、頭を焼き尽くそうとする炎を勢いよく吸い、口の中に含んだのが直後のことである。


高圧炎(バーンフラッド)……!」


 エルドルの額を捕えた赤い宝珠がアルケミスの元へ舞い戻るのと、魔将軍の放つ超圧力の炎がアルケミスの真上から、滝のような勢いで雪崩れ落ちたのがほぼ同時。この破壊力を知るアルケミスは魔力で抗うことをせず、大きく身を後方に逃がして回避することを選んだ。間違っていない。


 その後方から、白兵戦でも望むのかという勢いでアルケミスに迫る影。視認せずともその気配に気付くアルケミスは、振り返らずに杖を振り、後方のアーヴェルに巨大な火球を放つ。アーヴェルも掌を突き出し、雲散霧消(ディシュペイション)の魔法で火球を容易く消し去る。両者詠唱もなしに的確な判断、さらにはアーヴェルがそうすることも読んでいたアルケミスは、火球でアーヴェルの視界を一瞬遮った隙に急上昇し、火球が消えた先にアルケミスの姿の無いアーヴェル目がけてさらなる砲撃だ。


六方陣雷(ヘキサゴンエクレール)


環状岩(ストームクロムレク)


 上、下、右、左上、斜め下、後方。不規則な6方向から自ら目がけて放たれる稲妻に、アーヴェルは周囲に岩石を無数に生じさせる魔力を展開。大粒の岩石がアーヴェルの周りを凄まじい速度で回転し、全方向からの稲妻を遮ってガードする。多角からの魔法をひとつひとつ雲散霧消(ディシュペイション)で消すよりも、一発の魔法で軒並み防ぐアーヴェルの手法は効率的だ。さらに、防御のために展開した岩石の数々でさえ、直後にはアルケミスへと飛来し攻撃のつぶてとなる。


 前方あらゆる角度から襲い掛かる岩石を、目の前に放り出す茶色の宝珠によって防御。茶色の宝珠を中心に巨大な岩石の壁が発生し、アーヴェルの散弾岩を防ぐのだ。側面から襲い掛かってくる、巨大なエルドルの猛進も見逃さない。振り下ろされるエルドルの拳を地上へと近付いて回避するアルケミスだが、自らの作った岩石の壁に遮られ、アーヴェルの動きを視認するのが一瞬遅れる結果を生む。


 猫目をぎらりと大きく開き、真っ直ぐアルケミスに接近するアーヴェル。押し返すべく強風の魔法を展開したアルケミスの魔力がアーヴェルを襲うが、錫杖の一振りで風を操る魔力を展開したアーヴェルが自らを襲う強風を割き、邪魔者なく一気にアルケミスのすぐそばまで迫る。


鮮血空間(エルスカーレット)


耐魔結界(レジスト)……!」


 両手をアルケミスの目と鼻の先に突き出したアーヴェルの高密度魔力が生み出したのは、アルケミスを中心とした球体空間内を、幾千幾万の真空の刃が暴れ回る破壊空間だ。無数の風の刃が自らの全身を切り刻みにかかる魔力の気配を察知したアルケミスは、全身を防御魔力の層で包み込む。刃がアルケミスの全身を打ちのめすが、あと一瞬でも魔力展開が遅れていれば、とうにアルケミスの全身は細切れにされて地上に落ちている。


 だが、それでも不充分。自らの放つ魔力によって、アーヴェルは傷つかない。自分の作った風の刃にどんな魔力で抗えば無力化させられるかなど、自分が一番よくわかっている。自らの全身を魔力の層で包んだアーヴェルは、アルケミスと同じく真空の刃の渦中にいながら涼しい顔で、その手でアルケミスの肩をぽんと叩く。


雲散霧消(ディシュペイション)


 アルケミスの全身を包む防御魔力に、アーヴェルの悪意の魔力が介入した瞬間、勝利を確信したアーヴェルは空高く舞い上がる。直後アルケミスの全身を包み込む防御が、アーヴェルの魔力介入を引き金に、まさしく文字通り雲散霧消した。


 アルケミスが自らの数秒後を予感したことのとおり、防御手段を失ったアルケミスの全身を、アーヴェルの残した真空の刃が次々に切り刻む。手首を落とし、大腿をかっさばき、喉元を断ち、目元に深い傷を残し。それでも猛威を振るい続ける真空の刃は、空中でアルケミスの体がぐらついたその瞬間、アルケミスの首元に致命的な一撃を残した。


 地上の魔導士の一人が、上空のアルケミスを見上げたその瞬間、胴元と切り離されたアルケミスの頭がはっきりと見えた。目をこすって現実を確かめる暇もなく、空中にあったアルケミスの肉体が、次の瞬間には無数の刃によってばらばらに切り裂かれ、8つにも9つにも、果てには数十に細切れにされたアルケミスの肉体が、空より落ちてくる光景は、大魔導士アルケミスに全幅の信頼を寄せていた人類なら我が目を疑うものに他ならない。


 地上に達するよりも早く、アルケミスであったその断片の数々は、上空エルドルの放った火球によって塵へと変えられる。彼の愛用していた杖だけが燃えず、渇いた音と共に地面に落ちた音を最後に、大魔導士アルケミスが跡形もなくこの世から抹消された瞬間だった。


「ニャーハハハ!! アルケミス、討ち取ったり! さー皆の衆、ラエルカンを焼き払えニャ!!」


 風に乗せられたアーヴェルの高笑いがこだまする中、魔物達が一気に活気付いて侵略の脚を踏み出す。同時に人類の希望を打ち砕かれた戦士達の心に落とし込まれるのは、代わりに遥かなる絶望。百獣皇アーヴェル、魔将軍エルドル、凍てついた風カティロス。無双の猛者が率いる怪物達の軍勢は、ほどなくしてラエルカンにおける勢力図を、一斉に黒へと染めていく。


 蘇ったはずの皇国ラエルカン。残された戦士達は、かような状況下でも決して諦めずに戦い抜いた。そんな想いも空しく、ラエルカンの都に響く人々の声が完全に沈黙するまで、この時より半日もかからなかった。











「――これが、ラエルカンより逃げ延びた一人の騎士による報告だ」


 参謀会議を終えた法騎士ダイアンは、夕暮れ自室に招いたチータへの説明を、そう締め括った。黙って話を聞いていたチータも、この言葉には小さくうなずくのみ。


「大魔導士アルケミス様の死。魔将軍エルドルの復活。ラエルカンの崩壊。あまりにも現実味を帯びない話が立て続けに起こったことに、僕も闇の時代の再来の予感を禁じ得ない。それでも僕達騎士団は、未来を暗きものにしないため、前に進んでいかなければならない。わかるね?」


 それは騎士団に属する者ならば当然のことだ。それを敢えて一度口に出さねばならぬほど、今現在の人類を襲う状況は、絶望を促す強力な毒。その意図まで読み取って、はいと一言返したチータは、感情を表に出さずとも冷徹な覚悟を胸にしたものであると、ダイアンも信頼できる。付き合いも長くなってきた頃だ。


「騎士団の方針としては、明後日に国葬を行ったのち、君達含む騎士団の雄に王国東部の哨戒任務を任せることになると思う。アルム廃坑での疲れを数日癒して貰うだけの時間を設けたいところだったが、状況が状況だけにそうもいかなくなった。理解して貰えるね」


「勿論です」


 本来ならば、アルム廃坑進軍日の翌日である今日は、進軍師団は王都に帰ってくる予定ではなかった。帰路の中にあるエクネイスやトネムにて一晩明かし、明日が帰国日であり、その報告を受けて明後日の国葬だったというわけだ。事態の緊急性により帰国が一日早まってしまったが、予定されていた国葬の日付は揺るがない。殉職者の有無さえ確認する前から国葬日が決められているというのは、聞くからに縁起の悪い話だが、コズニック山脈へ大々的な進軍をする時などはだいたいそうだ。ましてアルム廃坑のような魔物達の拠点への進軍で、犠牲者ゼロを想定する方が、騎士団に言わせれば頭がお花畑だと言い切れる。


 エレム王国の東にラエルカンあり。かの地よりエレム王国へと進軍してくる魔物達の軍勢を警戒した哨戒任務には、アルム廃坑進撃には参加しなかった上層騎士も多数参加することになる。厚く固めた騎士団により、ラエルカンという魔物の新たな総本山に対する防衛線を張る日々の始まりは、チータも予見していたことだ。つい昨日まで死闘のさなかにいたというのに、24時間経った今はもう既に次の戦いを見通す目線は、二十歳の傭兵にしては期待される以上の展望力だ。


「君にも国葬前の明日ぐらいには、ゆっくりと休む日を与えねばならないところなんだが、そうもいかなくなった。疲れの溜まる頃合いだろうけど、ひと仕事請け負って貰いたい」


 昨日は激戦、今日は帰国路、浮いた明日も任務という強行軍だが、チータは不平を唱えない。確かに疲れはあるけれど、それだけの無茶をする役目を誰かが担わなければならない現状には納得しているからだ。


「先ほど、魔法都市ダニームの賢者、エルアーティ様より騎士団に要請が入った。エレム王国第14小隊所属、ユーステット=クロニクスと、チータ=マイン=サルファードに、リリューの砦跡調査の助手を任せたいとね」


 そんなチータも思わず閉口する申し立て。偉人による名指しでの人材要求の先は、魔法都市の学者でもなく、騎士団の上層騎士でもなく、小さな小隊の、それも騎士階級の若い戦士と傭兵だ。いったいどんな基準でそんな人選をしたのか、口にしたダイアンですらもその真意には辿り着いていないという顔。


「あの方の真意は、僕にもわからない。だが、あの方の意図された行動は、これまでも必ず人類に大きな躍進をもたらしてきた。……信頼には値するはずだ」


 チータも知っている、法騎士ダイアンの掴めなさ。だが、エルアーティの腹の底の読めなさは、それを遥かに凌駕するものだ。人を化かす狐のように見えていたダイアンですら、比較対象があの煙々羅では小狐にすら見えてくる。


「明日は頼んだよ。くれぐれも粗相のないように、とは言わない。人類の英知とも呼ばれし預言者様のメッセージを、しっかりと騎士団に持ち帰ってくるんだ」


 政治的任務の中では、恐らく過去最も難しいもの。ほぼ拒否権の無い上でそれを任されたチータだが、かの大魔法使いとの邂逅の好機に決して後ろ向きではなく、はいの一言を明確に返した。


 僅かな緊張感を持ってである。いくら肝の太い魔導士とて、かの預言者と真っ向から向き合う明日を思えば、肌がひりつくというものだ。

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