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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第9章  ひしめく悪意の行進曲~マーチ~
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第135話  ~失意の朝~



 皇国ラエルカン。それは、皇族の支配によって長年の安定を築いてきた国家だった。


 魔王マーディスに抗う手段として、"渦巻く血潮"が生み出される以前より、優秀な兵と魔導士を共に有するラエルカンは、その兵力数もエレムやルオスに勝るものであった。魔法の扱いに関しては圧倒的前線に立つ魔法都市ダニーム、個々の兵の実力では一歩前を行くエレム王国、魔法と武力の融合された最もバランスの良い戦いぶりを見せていた魔導帝国ルオスという図式の外、数と統率力こそが4つの国家の中で抜きん出ていたのが旧ラエルカンの特徴だ。


 そこに"渦巻く血潮"という強大な武器が加わることで、皇国ラエルカンは一躍最強国家の地位を獲得することになる。技術の確立のために多数の兵や民を失う一方で、個々の能力は人間を超えた力を得た者が多かった。総合力の向上は、ラエルカンを、エレムやルオスに勝る国家たらしめる結果へと繋がり、技術の確立より数年の間、ラエルカンの都は平穏を長く保っていた。


 人のカタチを捨てたラエルカンの戦士の哀しみを蔑む者もなかった時代。はじめは変わり果てた人間を忌避の目で見ていた人々もいたが、彼らが命を賭して都を守り、時にその命を散らせ、決死の防衛を果たす姿の前に、人々の心は強い結束を為すようになっていった。変わり果てた戦士こそ、人の目を気にして魔物の血を身に流した同胞達と、狭い社会の中で生きるように努めた一方で、一度彼らを避けた人々も、自ら彼らに会いに行き、感謝を告げることも多かった。異国から見ればそんな奇妙な非日常が毎日のラエルカンであったものの、かつてとは変わったラエルカンは上手く回っていた。


 各国の中で最も、安全な人里を獲得したラエルカンに唯一の懸念があるとすれば、人の姿を捨ててまで人類の未来を拓こうとした戦士達に対する周囲の感謝が強すぎたこと。戦力を高める一方、次々と生み出される異形の戦士達。個々の人間だけでなく、国の有り様まで変わり果てさせた渦巻く血潮の是非に対しては、ラエルカン内部でこそ疑問が長く唱えられていたことだ。


 かつてルーネがアルケミスに語ったとおり、ラエルカンの心は統一化されていなかった。魔物達を迎え撃つこと自体にこそ何の迷いもなかったものの、強大な魔物達に立ち向かうにおいて、結束力こそ欠かせてはならない最大の武器。全力で魔物達を迎え撃つ姿勢は何ひとつ変わらないのに、日を追うに連れて犠牲者の数が増えていく不可思議な矛盾の根底にあった心の繋がりの緩和には、長らく誰もが気付けずにいた。


 人としての人生を捨ててまで戦い抜く、元人間達への感謝は、ラエルカンの民にとって確たるもの。その元人間達の残った半生はどうなる。魔物の血を流した身に妻や夫を作ることなども為せないまま、変わり果てた姿で残る人生を送るのか。渦巻く血潮とは、高い軍事力をもたらすとともに、一人の人間の人生を哀しいものに変えるものなのだ。始めからわかっていたことであり、それを覚悟して臨んだ被験者とは裏腹に、力を得た元人間に対するラエルカンの民の尊敬心が、渦巻く血潮の是非をなおも強く疑問視する。ラエルカンの心は、結束したように見えて纏まらない。


 その致命傷癒え切らぬまま訪れた、26年前の魔王マーディス襲来。現在では魔王の遺産と呼ばれる4体の怪物ともども、魔王軍総軍でのラエルカン進撃に、皇国ラエルカンは全力で立ち向かった。魔王が、獄獣が、黒騎士が、百獣皇が、魔将軍が次々とラエルカンの精鋭を葬り、逃亡したごく僅かの命を遺し、この日ラエルカンは一度滅びる結末を迎えた。


 そこから14年後、魔王マーディスの拠点とされたラエルカンの地は、エレム、ルオス、ダニームの連合軍によって奪還される。そしてその一年後、魔王マーディスの討伐を以って世界に平和が訪れ、その日から始まったラエルカン復興の日々。はじめは廃墟と化した大きな都を建て直すことは、途方もない旅路の幕開けに感じられたが、1年もすればある程度形も整ってきて、一度故郷を失ったラエルカンに生まれし人々の心にも、再び茜差す日々が始まってくるのだった。


 以来10年間、ラエルカンはゆっくりとかつての形に近付いていた。数十年もすれば皇国としての完全復興も済むだろうと、各国が結論を出す明るいラエルカンは、まさに魔王マーディスの存在した長い暗黒時代を乗り越えた人類にとって、平和の夜明けの象徴と言えるものだったのだ。


 象徴の陥落は、すべての人々に闇の始まりを告げる。エレム王国騎士団、アルム廃坑攻略師団がコズニック山脈に赴いていたその日、歴史の変わり目は残酷にもこの世に顕現していた。











 アルム廃坑進撃師団が、エレム王都に帰還したのは明け方だ。死闘の末に疲れ果てた騎士達は、本来の予定では、道中半ばに位置するエクネイス国ないしトネムの都で休息を得てから帰還するように段取りが組まれていた。だが、ラエルカン崩落の報はすでに広く知れ渡っており、一部の騎士は事の重大さに加速した帰国を望んだ。様態のよくない騎士傭兵は、勿論エクネイスやトネムに残ったが、速い帰国を目指す騎士達は、真夜中にも関わらず馬を駆けさせエレム王都に至る。シリカもその例に漏れず、幸いにも重傷者のない第14小隊は、最速帰国組の中にあった。


 総指揮官である近衛騎士ドミトリーや勇騎士三人を差し置いて、誰よりも真っ先に王都の門をくぐって馬を駆けさせた者がいる。真っ直ぐに騎士館に向かうその闘士は、息の上がり始めた馬の手綱を握り締め、知らせが何かの間違いであったことを切より願う想いだった。


 やがてその人物が騎士館の前に辿り着いた時、その聖騎士にとって旧知の騎士が、騎士館の門前で待っていた。朝日昇り始めたこの時間帯、いつ帰って来るかもわからない、騎士団の同志を待つためだけにである。


 その人物を視野に入れた聖騎士は、遠く馬を止め、素早く馬から飛び降りる。魔物に飛び掛る時と殆ど変わらぬような速度で、騎士館の門前に立つ友人に駆け寄る一方、待つ者は取り乱した友人を前に動かない。


「ラヴォアス……!」


「……帰ってきたか、クロード」


 聖騎士クロードにとって、旧ラエルカンの尖兵だった頃からの友人、上騎士ラヴォアス。階級で言えば3つも聖騎士より格下のラヴォアスが、彼の名を呼び捨てで呼ぶのは旧知の間柄ゆえだ。


「ラエルカンが滅んだというのは本当か……!? たちの悪い誤報ではあるまいな!?」


 巨漢のラヴォアスに、少年のような体躯のクロードが、食ってかかるように詰め寄る。通りがけた国や都で、耳に半分入れただけの情報など、信じられないし信じたくもない。まして一度滅ぼされ、ようやく昨今復興の光が見えてきた故郷が、またも魔物に消されたなんて、そんな誤報を流した奴がいるなら殴り飛ばしてやっている。


 今のクロードには、最も信じる騎士団の声しか耳に入らない。貴き平穏を取り戻したラエルカンが二度目の崩壊を迎えたことなど、それ以外の誰に言われても信じられようか。


「……本当だ。ラエルカン生存者の方々が、近隣の町に辿り着き、ここまで歩けず届けてくれた知らせだ」


 目と耳を背けても、常に現実は冷酷で容赦ない。次の言葉を放とうとするも、言葉に出来ずに閉口するクロードの手は、鉄球棒を握ったままわなわなと震えている。


 眼差しいっぱいに殺意を宿らせたクロードが踵を返した瞬間、ラヴォアスが勢いよくクロードの腕を後ろから掴んだ。一瞬でもこれが遅れていたら、クロードは一気に王都外まで駆け出していただろう。クロードを案じたラヴォアスの、大慌ての制止行動だ。


「待て! お前まさか、ラエルカンに乗り込むなんて言うつもりじゃないだろうな!」


「やかましいっ! わしが何をしようとも貴様には関係ないっ!」


 怪力任せにラヴォアスの手を振りほどこうとするクロードだが、一瞬早くラヴォアスの豪腕が片手でクロードの体を浮かせた。振りほどく動きで握られた腕を振ったクロードは、地に足が着いていないため空中で体をひねる形になってしまう。


 抵抗は止まらない。右腕を掴むラヴォアスの右手の指に、自分の左手をかけ、腕を締める力を強引に引き剥がすクロード。地面に着地したクロードはすぐさま前に駆け出そうとするが、背を向けたクロードの首元に素早く腕を巻きつけ、右腕をクロードの脇に差し込むラヴォアス。腕全体でクロードの体を捕まえたラヴォアスは、ぐいっとクロードの体を持ち上げ、逃がさぬとばかりに全力で締め上げる。


「離せ! 離せえっ! わしがどこで何をしようと勝手じゃろうがあっ!!」


「今のお前を放っておけるか! 頭を冷やして仲間達の帰還を待て!」


「うるさいうるさあいっ! これが落ち着いていられるかあっ!!」


 常人ならば首を絞め落とされるようなラヴォアスの太い腕とパワーに、鉄球棒を地面に捨て、全力の両手でその腕を引き剥がそうとするクロード。百戦錬磨の上騎士の豪腕もそのパワーには震え、全力で首を絞め落とすようなパワーにも関わらず、クロードの強い引き剥がす力に、腕と首の距離がどんどん広がっていく。


 脚をじたばたさせて吠えるクロードを、決死の思いで押さえつけるラヴォアス。やがて前方から、空を舞う騎士と馬にまたがる騎士、ラヴォアスの盟友二人が急ぐ脚で帰ってくる光景に、早く来てくれとラヴォアスは大声で叫びたい想いだ。長くはもたないかもしれない。クロードのパワーは強すぎる。


「ラヴォアス!」


「グラファスか……! クロードを……」


「っが……お前ら、邪魔をするなあっ!!」


「落ち着けクロード! まずは抑えろ!」


 馬を降り駆け寄る聖騎士グラファス、助けを求める上騎士ラヴォアス、暴れる聖騎士クロード。そして空からクロードの眼前に舞い降りた勇騎士ゲイルは、いち早く取り乱すクロードへ、怒号に近い声を放つ。


 地面に足を降ろしたクロードの両肩を、上から掴んで引き止めるラヴォアス。自らの腕をクロードの右腕に絡めて全力で踏みとどまるグラファス。両手でクロードの左腕を掴み、暴れる彼の動きを縛るゲイル。騎士団の古参にして、力の必要な武器を長年愛用してきた猛者三人の豪腕を以ってして、ようやく暴れるクロードの動きを押さえつけることが出来る。それでもクロードは振りほどこうと、雄牛のようなパワーを振りかざしてもがく。


「離せと言うとるじゃろうがあっ! 邪魔をするな……邪魔をするなあああああっ!!」


 明け方の騎士館の前、ラエルカンに生まれ育った聖騎士の、泣き声に近い怒号が響き渡る。引き止める騎士三人も、長年の友人の憤りと哀しみに歯を食いしばらせながら、ただ無言でクロードが落ち着くまで力を込め続ける。


 蘇ったはずの故郷を再び奪われた友人の痛みは、如何にして想像で補って足りるというだろうか。万力のような力と悲鳴のような叫び声は、耳から心まで貫いて、彼を止める三人の騎士の心にも深い痛みを突き刺した。











 イーロック山地。そこはラエルカンの西に位置する山であり、切り立ったその頂は高く、そこより西の地平線を見渡すにあたり、障害物は何も無い。ラエルカンの都を遠方より一望できるその場所からは、毎年冬に行われていたラエルカン建国祭に際し、空へと放つ花火が最高の眺めで見られる場所として有名だった。


 真夏の朝、ラエルカンの祭事とは真逆の季節にしてこの地を訪れた者は、祭の時でなくとも、安寧なるラエルカンの都をここから見通すのが大好きだった人物だ。愛国心で満ちていたはずの瞳によって今のラエルカンを一望する彼女の目は、遠目からもわかる祖国の変わり果てた様に、色を失っている。震える唇を止めることも出来ず、そばにある木に手を添えていなければ、その場で横に倒れてしまっていたかもしれない。


 ラエルカンの都の空を舞う、巨大な竜の影。朝焼けの光に照らされた、都から立ち込める黒い煙の数々。目を凝らさなくても視野に所々見える赤い小さな光は、この距離からでも見えるほどの、都を広く焼き払う炎だろうか。


 ふらつきそうな足を支えきれず、腰を抜かしたように彼女はその場で座り込んでしまう。見開いた目はまばたき一つ出来ず、現実の前に高鳴る心臓と、悪夢を目の前にした息切れが肺を締め付ける。


「……見つけた」


 そんな彼女のもとへ、空から舞い降りる一つの人影。箒に腰掛け、立ち上がれない彼女のそばに立った魔法使いは、座り込んだ彼女の隣で同じ方向を向く。目線を彼女に送らない。


 何秒経っても、どちらも言葉を放たない。言葉を失い、真っ白になった目からぼろぼろと涙を流す賢者と、見ずしてその顔を想像できる彼女の友人。箒を片手にじっとたたずむ預言者の目にも、遠きラエルカンの地が滅んだ事実は刻み付けられている。隣で立ち上がる力を失った親友が、どれほどあの都の復興に全身全霊を注いできたかを知っている預言者にとって、親友の胸中を知るにはそれだけで充分すぎる。


「――ルーネ」


 魂の抜け殻のように動けない親友の名を呼び、預言者エルアーティが向き直って彼女を見下ろす。語りかけた言葉にまったく反応しないルーネだったが、やがて数秒遅れて、返事よりも先にゆっくりうつむき、全身をふるふると震えさせる。


 座り込んだ両膝に握り締めた拳を押し付け、とうとう嗚咽の声を溢れさせた親友の姿を目の前にしても、エルアーティの表情は決して動かない。闇より深い哀しみにルーネが心を蝕まれる一方、エルアーティは無表情で、無感情で、無色の眼差しをルーネに向けるのみ。心の有り様が震える体の全てに現れた賢者と、不動にして何ひとつ感情を表に出さない賢者の姿は、あまりにも対照的だ。


「帰りましょう」


 両掌をその目に押し付け、ふるふると首を振るルーネ。ここにいたってもう、何もできることがないのもわかっているはずなのに。目の前に広がる事実はあまりにも重く、再び祖国を失った賢者の頭は混乱を通り越し、錯乱にさえ近い想いに支配される。


「……そう。だったら、あなたが腰を上げるまで待ってあげるわ」


 エルアーティは、動くことも出来ないルーネのそばに立ち、再びラエルカンに目を送る。目線の先にあるものは、形だけ残した皇国だ。26年前に魔王に奪われ、12年前に人の手へ奪還され、11年の時を経て蘇りつつあった、人類にとって平和復刻の象徴。それが死んだことを示す光景が、預言者の目にも時代の大きな節目を深く刻み付ける。


 かの地に生まれ、一度祖国を滅ぼされ、魔王討伐のために命を懸け、故郷を人類の手に取り戻したルーネ。やっと、ようやく、14年の末に祖国の地を踏み、魔王討伐の日から、どれほどルーネがラエルカンの復興に向けて動いてきたか。永遠の平和を願う大きな石碑をラエルカンに築き、石碑の名に自分と同じ名をつけてくれたルーネの想いを、エルアーティは誰より深く知っている。その願いも今や踏みにじられ、死臭に似た煙を立ちこめらせるラエルカンの都は、親友を裏切った神の気まぐれに対する、預言者の失望を駆り立てる。


 想い願った人の心が、精神が、叶えたい何かを叶えるのが魔法ではないのか。石碑に永遠の平和を願った二人の賢者は、ラエルカンに永い平和の魔法をかけたはずなのに。魔法学者としてあまりに名高い二人の賢者の前、願いの象徴、石碑たたずんでいたはずの都が、今日の朝日を迎えない。


 くぐもった声とともに泣き続けるルーネと、無心で歴史の流れを心に刻み付けるエルアーティ。遠きラエルカンの都でもう一度上がる、ここからも見える大きな火の手は、未来を失ったラエルカンが明日のある二人の賢者に見せたかった、ここに我在りぬという最期の叫びだったのかもしれない。











 勇騎士ベルセリウスと共に騎士館の前に辿り着いたシリカ達の前にあったのは、地面に座り込んで頭を落とした一人の聖騎士。その周囲を、名高い勇騎士と聖騎士、上騎士の老兵が立って取り囲む姿。ほんの少し前まで取り乱していたことがわかるほど、座り込んだ聖騎士クロードは、肩で息をして体を上下している。


「ラヴォアス様……」


「……そっとしておいてやってくれ」


 ベルセリウスにそれだけ返し、幾許かでも衝動を抑えられたのか動かぬクロードを見下ろすラヴォアス。クロードと、彼を引き止めに参じた騎士二人を除けば、騎士館に一番乗りで帰ってきたベルセリウスとシリカ、ユースの三人にも、今のクロードにかける言葉など見つからない。見つけられるはずがない。


 誰だって知っているのだ。ラエルカンに生まれ育ったクロードは、エレム王国に対する今の愛国心と等しく、ラエルカンへの愛国心を持つ男だと。酒が入れば、旧ラエルカンの魅力と、生まれ変わったラエルカンの二つをよく比較して話すのが好きだった。今はこうなってしまったけど、失われたラエルカンのこんな魅力もあった、だけど今のラエルカンにも過去とは違う良さがある――幾度となくそんな話をクロードに聞かせて貰ったベルセリウスも、あの日のことが遠く消えていくような心地だ。それだけ愛していたかつての祖国を、二度目奪われ失うというのは、一体どんな心地なのか想像もつかない。


「……グラファス、院政区へ行くぞ。今後のことを聞かねばなるまい」


「……そうですな」


 長き友人、勇騎士ゲイルの言葉に、聖騎士グラファスは職務に従じた声を返す。騎士館の門をくぐり、参謀達の集まる騎士館院政区に向けて歩いていく二人がラヴォアスに目配せしたのは、クロードを頼んだという旧知の友人へのメッセージだ。二人に目線を返したのち、再び目線を小さなクロードに落とすラヴォアスの行動は、うなずいたに等しい示唆である。


「勇騎士ベルセリウス様。聖騎士クロード様は私に任せ、貴方も院政区へ。これからが大変です」


「……そうさせて貰う」


 数秒前には、かつての上官に下からの言葉で話しかけたベルセリウスと、後輩向けの言葉を返したラヴォアス。騎士として、明日に向けて正しく動くべきことを改めて心に刻む二人は、ここでようやく勇騎士、上騎士間の正しい言葉遣いで会話する。一人の人間としてではなく、一人の騎士として、残酷な今日より明日へ向かうことを決意した二人の疎通である。


「法騎士シリカ、君も来るんだ。参謀部に指示を仰ぐなら、言伝ではなく直に耳にした方が早い」


「……心得ています」


 シリカだって、クロードと縁がなかった身ではない。かつて法騎士としての悩みを、正面から向き合って聞いてくれた先人に対し、あの日以来、より強い敬意を感じている。うなだれて震える彼から目が離せず、出来ることなら救いがもたらされて欲しいお方だと思ってしまうのも、自然なことだ。


「行くぞ、ユース」


「……はい」


 シリカの少し後ろを歩くとはいえ、勇騎士ベルセリウスとともに歩くというのは、本来ユースにとって恐縮を禁じ得ないもの。だが、今ここにきてユースも、そんな想いを抱く隙間さえ心には無かった。力強い聖騎士様さえ、ふるふると拳を震えさせて顔を上げられぬほどに、ラエルカンの滅亡という事実がいかに大きなものか、文字列が語る以上に目の前の事実が訴えてくるのだ。先に向けて一刻も早い前進が必要だと、騎士として育んできた魂が騒んでやまない。畏れ多い上層騎士様にたじろいで、為すべき足運びを遅らせている暇などないと、己の魂が肉体の行く先を指し示してくれる。


 魔王マーディスを倒した勇騎士様と共に歩くだなんて、二十歳そこらの騎士にとって、それも根っから生真面目なユースにとっては、頼りなく足が震えてもおかしくないことである。それをよく知るかつてのユースの上官、ラヴォアスにとって、そんな雑念に駆られることもない眼差しで、真っ直ぐ未来見据えて騎士館に歩み入っていくユースの横顔は、今限りにしても随分代わり映えたものだと感じる。男子三日会わざれば克目して見よ、というのはつくづく真実だ。


 だが、ラヴォアスも若き芽に感心していられる今ではない。クロードの隣に立ち位置を移し、上がった息の整い始めた盟友を見下ろすと、何も言わずにたたずむのみ。今の自分に出来ることはこれしかなく、それが最もすべきことだとわかっている。


「…………ラヴォアス」


 口やかましい彼本来の性分を思えばあまりに不自然な、低く小さく重い声。聞き逃さなかったラヴォアスも、ここに敢えて口を挟まない。


「……なあ、ラヴォアス」


「……どうした」


 二度目の問いに、静かに応じる。計り知れぬ痛みを胸にした友人が、沈黙を破って語りかける声は、続きを聞くのが恐ろしい。それを聞くのも、自分のすべきことだとラヴォアスは使命を背負っている。


「何度……何度、こんなことが繰り返されるのじゃ……あまりではないか……」


 かすれたような声で悲運を嘆くクロードの声は、友人の胸を同じく引き裂くものだ。うつむいたまま全身を震えさせるクロードの顔を見ぬままにして、胸中の痛みを感じ取ったラヴォアスもまた、その表情を歪ませずにはいられない。


 血に染まりしラエルカン。故郷を再び葬られたクロードの胸が引き裂かれるのと同じく、友人の痛みを肌で感じる武人の心も血を流した。

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